○
高田なほ子君 そういたしますと、この資料は、少なくとも今問題になっている立法の根拠となる
事例でなければならないわけです。根拠であると私は
考える。で、この
事例を
一つ一つ私は詳細に駁論する時間を不幸にして持ちませんが、概括して、ここでこの資料を拝見させていただきますと、次のようなことがうかがえるわけであります。
第一例は、第七
国会 二十五年三月九日の問題でありますが、「デモ隊は、午後五時過ぎから集合し、本院構内に侵入し、午後八時過ぎ退去した。」、これは
事例ですね。最後の行で、「予算
委員会の
委員の発言にもそれがうかがわれる。」、こういうふうに書いてあるわけです。そこで、いただきましたのでこれを拝見いたして参りますと、裏の表を見ますと、開会時刻、散会時刻、いずれもこの時刻が明記されておりますが、いわゆる午後五時という時間は、すでにこれは
委員会をほとんど終了している。そして予算
委員会は九時まで続行されておったわけでありますが、その
委員会の
委員の発言にもそれがうかがえるというような資料でありますが、この資料は資料としてきわめてあいまいである。やはり資料として出すからには、何々
委員からこれこれの発言があったということが明示されなければ、
審議がこのことで中止されたかされないかという判定の証拠にはなり得ない。従いまして私は
委員長に、この発言の
内容等については、準備をせられまして再度提出をされることを要求するわけであります。次に、「本院構内に侵入し、」とある。これは幸か不幸か、私はこのデモに参加をしておった。これは
国会議員ではありません。民衆として参加した。この当時は、先生方も御存じだと思いますけれども、警務課と組合の主催者側とが話し合いまして、そして陳情を受け取って、面会所は今のような面会所じゃないのです。構内とつながったところが面会所になっておった。たくさんの人間がおりますと、やはりそこに人があふれてくるわけです。ですから、今の現状でこれを察するということは私はあまり妥当ではないのじゃないかと思う。だから、はたしてこれが侵入したものか侵入したものでないのか、了解のもとにここに参加したものかどうか。——これはお答えは要りませんよ、あとで資料をみなまとめていただきますから。——この点を
一つ明確にしていただきたい。従って、この第一例によりますと、大体私どもが資料として要求した、
審議を中止した
事態の中には私は含まれないのじゃないかという
考え方を持つわけです。第二番目に、
議員の
登院が阻害されたというこの
事例というものについては、これは発見することができない。ただ、この第一例から見られることは、いわゆる集団的にこちらに陳情に参りましたその現象だけをここにピック・アップしておる傾向があるというような気がする。
これから第二例の問題です。第二例の十二
国会の場合でありますが、この「官公労の行政整理反対デモ
事件との
関係」でありますが、私はこれを見ましても、午後五時からデモが行なわれたというのでありますが、遺憾ながら
委員会はすべて散会後の時間であります。そうだとすると、これは
審議がこのために中止されたという
事例ではないのじゃないか。あるいは
議員の
登院が阻止されたという
事例ではないのじゃないか。しいて言うならば、静穏の空気が乱されたのじゃないかというような資料にはなるかもしれませんが、しかし、
国会の
権威を保つゆえんのものは、あくまでも
国会の
審議権を尊重するという
建前の上において地域の
制限や
行動の
制限が設けられるわけでありますから、この
法案の目標とすることに対する的確な資料であるとは
考えられない。これは私の主観でありますが、ここにもまた「侵入」という
言葉があります。了解を得て入ったものかどうか。デモの参加者が全部侵入したかのような印象を受ける表現である。これは少し誇大に過ぎる表現ではないか。
第三番目の十三回
国会の問題でありますが、これは御承知のように破防法反対のデモ隊でございます。御承知のように、こういう問題が起きた社会的な背景というものを抜きにしてこういう問題を論ずるということは、私はやっぱり片手落ちだと思うのです。このことは前発言者によって
指摘された部分でありますから、私はこれを繰り返そうとは
考えません。ただこれは資料として、「当日の
委員会は、その前後に比して、その開会が著しく少い状況がうかがわれ、それは破防法反対のスト、デモ隊等を考慮しての
措置ではないかと
考えられる。」、「ではないかと
考えられる。」というのはだれの主観か。正確な判断を導くための資料が「デモ隊等を考慮しての
措置ではないかと
考えられる。」、私はこういう主観の入った資料というものは資料としての意義のないものだと思う。またこのような資料を提出されて、これを
委員会に配るということも、きわめて私は不見識な問題じゃないか。この点は資料としての価値ないものというふうに
考えられる。同時に、このデモ隊は午後一時十分ころからうかがわれたということでありますが、さて、午後一時十分には大体の
委員会はすでに解散している。そうだとすると、これによって一体その
審議権が侵されたかどうかということは、この資料を見れば侵されないという結論を出さざるを得ない。それをあえて印象づけるために、「デモ隊等を考慮しての
措置ではないかと
考えられる。」というような資料は、これは的確な資料であると私は
考えない。
第四は安保改定阻止デモとの
関係であります。私は前提としてここで申し上げなければならないことは、あの
国会のデモ隊の
行動は、確かにこれは行き過ぎがあったということは私どもみんな認めている。あなたも認めているだろうが、われわれも認めている。しかし、これはここでその
理由をくどくど述べたくはありませんけれども、大体、労働組合の統一
行動というのは、今日までの慣行でもおわかりであるように、いずれも前に何回かの会合を持ってその統一
行動が乱されないということを固く規定して行なわれてきたのが原則であります。警視総監もここにお見えになっておりますが、
東京都のいわゆる都労連傘下における統一
行動は常にこの規定が守られてきている。しかし、時と場合で、その中の一部の方が統制に服し得なかったということからいろいろな
事態を起こし得るということもあり得る。私は、その一部あり得たことは、これは決して正しい
行動ではなかったということを私どもは
考えている。さればこそ、現在の私どもの党においても、あるいは統一
行動をしたそれぞれの団体においても、本問題については非常に深い検討が行なわれつつある。そういうことを一体立案者はお認めになっているかどうか、これはわかりませんが、ただこの中で私が
指摘したいことは、「午後四時五十分ころ、
委員長代理田口長治郎君は、「
外部が騒然としておりますから、ちょっと相談する
意味において暫時休憩いたします。」と宣言し、休憩後は
会議を開くに至らなかった。」と、こういうふうに記してあります。私は当日の
速記録を拝見したわけでありますが、なるほど田口
委員長代理の「
外部が騒然としておりますから、ちょっと相談する
意味において暫時休憩いたします。」、こういうような速記が残っているわけであります。しかし、これは相談をする
意味において暫時休憩する、こういうふうに書かれております。騒然として
審議ができないからというふうには書いてない。そこで当日は、これはわが党の多賀谷
委員がこの
委員会に出席をされ、当日の模様について私は詳細に多賀谷
委員にただしたわけであります。多賀谷
委員の申し分によりますと、ちょうど水俣病について
審議中であったように言われておりますが、デモ隊が来て、その現場に大坪
議員——お名前は私は存じません、自民党の先生だそうでありますが、行って来られて、何回も
委員会をやめるように
委員長に言っておった。つまりデモ隊が来たかどうかということはわれわれ知らないうちに、一番端の部屋で連合
委員会を開かれておったそうだが、大坪さんというのが何回も
委員会をやめるようにという
委員長に対する
要請をされたが、しかし、私どもはそのときはデモ隊の声は何も聞きとれなかった、そういう程度だった。
委員会は継続されておった。しかし、その後大蔵省の
政府委員の出席がないために閉会をしたものであって、デモのために閉会をしたものではないというような御発言があるわけです。いずれ公聴会も開かれるわけでありますから、この資料はきわめて重要な資料であり、そしてまた、こういう
内容のものであるとするならば、再検討の必要があるのじゃないかと思います。とりわけ、この大坪
議員の
行動については、次の日の
国会対策
委員会でも大へんに問題にされた、こういうようなことが私の調査によって明らかであります。
言うならば、ある
意味において、その立法の根拠が
政治的に過ぎやしないかという私は批判を持つ。つまり、この資料は、
審議を中止した例、あるいは
本法に規定する
議員の正常な
登院が阻害された
事例として要求されて提出された資料である。その資料が主観をまじえ、そうしてまたそういう
事例がこの中から発見することができ得ないということになるならば、これは
本法に対して提出された資料としては妥当なものではないのじゃないかという実は気がするわけです。そこで、これは立案者にお願いするのもいかがかと思いますけれども、
委員長には、以上私が要求いたしましたことについて、あらためて整備をされてお出しをいただきますとともに、今私が数々
指摘しましたことの中で、はたして
審議を中止した
事例として妥当な資料であるかどうかということについて
一つ御見解を伺いたい。