○林
公述人 ただいまの国際的な軍事問題について、今度の防衛
予算と関連して申し上げたいと思います。これは私ずっと研究しておりました問題でありますから、
私見が多いかと思いますが、全部具体的な問題で申し上げようと思います。
まずこの問題を
考えますためには、一九四九年のアメリカの
相互防衛援助法第四百五条あるいは五一年に改定されました
相互安全保障法の五百二十九条、その項目を頭に入れて軍事問題を
考えないといけないわけであります。
その要点はどういうことかと申しますと、まず第一番にMSA協定によりまして軍備をいたしました国は、アメリカの防衛上の利害に反するようなことができない。それはアメリカの防衛に
関係しなければいけないという条文が規定されております。このことは今日の
日本の防衛問題を
考えますにあたって、これがほんとに
日本だけの自衛の問題であるかどうかということを
考える場合に、非常に重大なポイントになるかと思います。
そこで現在の軍事体制というものを一括して申し上げますと、これはアメリカでも問題になりましたが、ダレス構想の
世界戦略が完成した年、これが一九六〇年だということを申しておりますが、その状況は大体どういうことかと申しますと、ヨーロッパではNATOが完成している。それから中近東の中央軍事条約ではCENTOが成立している。東南アジアではSEATO条約機構が完成している。南太平洋においてはANZUS条約が成立している。今回の
日本の安保条約の成立をもちまして、この極東のNEATO、東北軍事機構が一応完成した。これがアメリカの評価でございます。
まず、幾つかの問題がございますが、最初に今日
日本の防衛問題の基本になっております性格について
考える場合に忘れてはならないのは、一九五七年九月十六日のフォーリン・アフェアーズの創刊三十周年記念号に載りました、なくなられたダレス国務長官の論文があります。これを読みますと、ダレスさんは非常に重要なことを言っておるのですが、その中で
日本とドイツの核武装をするということ、これが
一つ、それから
日本とドイツを社会主義圏の東西を梗塞する前衛戦線としなければならないということを書いておりましたあとで、
日本の核武装というものが、
日本の国民の心理状態その他に対して深刻な
影響あることはわかっているけれ
ども、おそらくこれはやがて可能になるだろうというようなことを書かれております。これはかなり長文の論文でありますが、今日
日本の防衛の構造を見ますと、この構造がだんだんと実現してくるという感じを私は痛切に感じております。これが九月十六日号に載りましたが、九月二十二日、国務省のスポークスマンから出されました声明には、大体この
日本の核武装というものは、一、二年のうちに実現するだろうと当時発表されております。そこで日独の核武装という形、これはすでにドイツでは一九五八年二月、国会が核武装に踏み切りました。
日本では皆様の御
努力によってまだそのような形が出ておりませんけれ
ども、そういった形の中で一体いかなることが極東に起こるかということが、軍事問題を
考えます場合の
一つのポイントになります。
これは簡単に申し上げますと、アメリカの極東の配備状態が、一九五七年七月一日から全く一変いたしました。極東戦略はアメリカ本土から出ますと、それがハワイの太平洋司令部に統轄される。ハワイの太平洋司令部から沖縄に出まして、この沖縄を極東の作戦中枢
機関としております。
日本と韓国と台湾、これは沖縄を取り巻く外郭攻防路線といいますか、外郭防御線の形を構成しております。簡単な表現法を使いますと、現代の軍事科学というものは三つの特質からなっている。それはエレクトロニクス——電子工学とミサイル、これは大陸間弾道弾まで一括したミサイル、それから原水爆の破壊、この三つによって構成された、ハワイを中心とする遠隔制御の作戦構造だということが言えるわけであります。
まずことしの防衛
予算を拝見いたしますと、一般は千五百四十五億という数字は、皆様の方が専門でいらっしゃいますから省略いたしますが、そのほかに国庫の債務負担行為によりますものや、あるいは軍人恩給等も含めますと、狭い範囲でも総計二千五百二十八億円という金額になります。そしてこれが総
予算の中の二二・四%を占めてきたということは、今日
日本の防衛
予算が国民の生活にとって決して安易なものでなくなったことを
意味していると思います。
そこでこのような
予算に裏づけられました軍事的な
内容の、
日本の自衛隊の装備に関する一部を
考えますと、まずはっきり出て参りましたのはミサイル装備化の問題であります。たとえば空軍におきましては、サイドワインダーがすでに注文されて、しかも現物が
日本に入ってきたし、またF104が配備されるようになりますと、ミサイル装備の戦闘機部隊というものが
日本の上空で配備につくということになります。それから海軍の方は、これは
一つ問題がございますが、一九五八年の二月、アメリカの海軍作戦部長のバーク大将が
日本にやって参りまして、当時外人記者団と面会しました。そのときに
日本の海上自衛隊の任務は何かというインタビューに対しまして、はっきりと答えましたのは、
日本の海上自衛隊の任務は、ソビエト、中国の潜水艦を極東地域において封鎖、撃滅するための対潜部隊であるということを言っております。その後バーク大将のいろいろ公表しました資料を見ましても、
日本の自衛隊は今回の
予算をもちまして、三隊からなる護衛艦隊を作ります。それにまた航空集群という言葉を使っておりますが、八戸と徳島と鹿屋の対潜警戒部隊、これはP2Vを中心とする部隊、こういった海上艦艇と対潜哨戒機を中心として、
日本海あるいはシナ海、そしてマリアナ方面に通ずる海上補給の潜水艦遮断作戦に対応する体制をとってきております。
ここで思い出しますのは、ダレス国務長官となくなられた重光外務大臣が安保問題で交渉いたしたことがございますが、何とか不平等的な条件を考慮してほしいということを重光さんが言われたときに、ダレスさんが、ハワイまでとは言わない、せめてマリアナまで
日本が防衛できるならということを言っておりますが、まさにそのような潜水艦
対策というものが今月出てきている。そして新しい警備艦の中では誘導弾ターターの発注が、すでに四十二発の
要請がなされているという形で出てきております。それから陸軍におきましては、これもまた新聞などで一部報道されておりますが、北海道の第七混成団、あれがここ数年間に、ペントミックスという原子戦部隊に改編される。そのために、すでにアメリカが一九五五年の十一月以来持ち込みました原子砲、これは二百三ミリの火砲でありますが、それが二十四門北海道にある。それからまたオネスト・ジョン、これはコンクリートを詰めていると申しますが、実戦の場合には当然核兵器になるわけでありますが、そういったオネスト・ジョン部隊、これらが北海道ですでに
日本に供与されている。そしてまたナイキ・アジャックスを装備いたしますために、特に二百七十人前後の自衛隊の士官あるいは下士がアメリカに今派遣されていることは御存じの
通りであります。ここで問題になりますのは、かつて韓国、台湾、そういった国々に配備されました共用兵器、つまり一般火薬を使用いたします兵器、弾薬類、あるいは核兵器を装てんする、どちらにも使えるという
意味で共用兵器といわれております。それらの種類の兵器がすでに
日本に配備されており、これが自衛隊の主力火器になりつつあるということであります。こういった形の中で幾つかの問題が出て参りますが、ここでどうしても、アメリカの戦略がどういう形態をたどって今日
日本のそのような
強化を必要とするかという問題に入ってみたいと思います。
まず第一番に
考えないといけませんことは、朝鮮戦争以後、アメリカの極東戦略というものは根本的な変化をしておりますが、その一例として申し上げますと、朝鮮戦争以前までは、アメリカでは空軍が一番優先的な態度をとっておりました。御存じの
通りに一九四七年三月十二日、当時トルーマン大統領のソビエト封じ込め政策が採用されました。これは国策でありまして、その国策を軍事的な手段として遂行していく戦略、これをわれわれは全面戦略と申しておりますが、その全面戦略が採用されたわけであります。その全面戦略を採用するにあたりまして、アメリカの方は、二つの点に立って対ソ優位という判断を当時持っておりました。その
一つは、ソビエトは少なくとも十五年は核兵器を持てないという
前提であり、もう
一つは、核兵器を持てないだけでなく、それを運ぶ長距離爆撃機は長期間にわたって
生産し得ないであろう。そのような条件の中で、アメリカは核兵器を持ち、そしてこれを運ぶ長距離爆撃機を保有する場合に、いかなる事態が生じてもソビエトに対して全面的に優位を保ち得る、こういう想定が地球戦略、グローバル・ストラテジーとかあるいはトータル・ストラテジーと呼ばれる体制であります。そのために、御存じの
通りに、バンデンバーグ決議案が採用されると同時に、北大西洋軍が創設される。そういう形の中で、当時東ヨーロッパでは人民民主主義革命が進行するという状況の中で、初めて原爆搭載機のB29が八台ヨーロッパに派遣されました。これが一九四六年の六月であります。そしてパトロールという名称のもとに、原爆攻撃隊が常時戦闘配備につく形ができたのですが、これが先ほど申し上げました全面戦略の採用によりまして、社会主義圏を取り巻く地域に西欧側の戦略空軍の陣地が配備されました。これは大体百五十九カ所とか、百六十一カ所とかの大きな戦略空軍の基地でありますが、これがソビエトをぐるっと包囲する形で、いつでもソビエトに対して原爆奇襲攻撃の形をとる。こういう体制で、アメリカは自己の優位というものを当時主張したわけであります。
これがくずれました第一の段階というのは一九四九年九月の二十三日、ソビエトが初めて原子爆弾の保有を公表する。それから二十一日には、中国の人民民主主義共和国が成立する。さらにまた、その同じ年の十一月七日、ソビエトの革命記念日におきまして、ソビエト最高会議がこういう声明をいたしました。それは、もし原子戦争が起こって、アメリカの長距離爆撃機がソビエト圏に対して原爆攻撃を行なうような場合が生じたら、ソビエトの長距離爆撃機は直ちに報復爆撃をアメリカ本土に行なう、こういうことを声明したわけであります。
ここでもって
一つの戦略段階の転換が起こります。一方だけが原水爆を持ち、それを運ぶ輸送機を持っておったという状態、これは一方的優位の体制でありますが、相手がそのようなものを持つとなりますと、これを撃った方は必ず報復されるという状態が出て参ります。ここで初めて、
相互同じような状態で戦略を反省しなければならないという形が出て参ります。このとき、この問題を解決いたしましたのが、かつて
日本の第五空軍の司令官をしておりまして、朝鮮戦争にも出撃したことがありますホワイトヘッド中将でありますが、そのホワイトヘッド中将がアメリカに帰りまして、一九五一年から五四年にわたって、アメリカ本土防衛というものを徹底的に研究いたしました。その結論を向こうの資料で読みますと、こうなっております。
アメリカの爆撃機隊がソビエトに侵入した場合——これは当時ミグ戦闘機が出現いたしまして、アメリカが社会主義圏を取り巻く百五十九カ所ないしは百六十三カ所の戦略基地から一せいに飛び上がりましても、当時配備されました原爆攻撃隊千五百機をもってしては、ソビエト本土の攻撃は不可能である。何となれば、一万六千機のミグ戦闘機が常時配備されておって、とうてい一対一〇の中では、爆撃機はジェット戦闘機に対抗し得ないという結論が出ました。その出発点というものは朝鮮戦争で出てきたわけでありますが、ホワイトヘッド中将はそれをいみじくも感知いたしまして、アメリカの戦略空軍の対ソ攻撃は不利という結論を出した。
一方、アメリカ本土が原爆攻撃を受けた場合どうなるかということを、当時ホワイトヘッド中将は、空軍をニつに分けて、みずからソビエト攻撃機隊指揮官という想定で、アメリカ本土原爆攻撃の演習を
実施した判定が出ております。それによりますと、アメリカの国防状態はパーフェクト・ストリップ、つまり完全無防備の状態だという言葉で表現いたしました。これは、アメリカの国防戦略として歴史的な由来があるのであります。つまりアメリカの戦略というものは、一七七六年独立戦争のとき、アメリカ本土を戦場とした。次いで一八六五年南北戦争のときに、アメリカ本土で戦かった。しかしそれ以後は、アメリカ本土が戦場になったことがない。しかも北極海、太平洋、大西洋あるいは南米等を控えまして、アメリカ本土が攻撃される可能性というものがありませんので、そこに勢い、アメリカ本土の防衛というものはコースト・ガード的な、沿岸警備隊的な形に置きかえられました。由来アメリカは、一八九八年から行動を始めまして、ハワイあるいはフィリピン、それから西インド諸島、こういった国々を領有化いたしまして以来、アメリカ本土で戦闘を行なうという
考えは全然なくなっており、そのために本土防衛の
考え方は失われました。そうして今日まで来たわけでありますが、双方が原水爆と長距離爆撃隊を持った場合、アメリカ本土といえ
ども、完全な攻撃を受ける可能性というものを認知したわけであります。当時この状況をオッペンハイマー教授がいみじくも表現いたしましたのは、びんの中の二匹のサソリというたとえ方でありますが、これはアメリカの国防状態から出てきた言葉であります。
たとえば、その一例といたしまして、一九五四年六月十四日に、アメリカでアラスカからカリブ海に及びます防空演習を行ないましたが、そのときの想定によりますと、四百機のソビエト爆撃機隊がアメリカ本土に侵入したという想定で、その三〇%しか撃滅できない。従って残り七〇%、二百七十五台前後がアメリカ本土に対して数千発の原爆攻撃が可能である、こういう演習の結果が出ました。それがアメリカ本土三千万ないし九千万の死傷という問題であります。この数字は、御存じの
通り、昨年原子力
委員会で初めて公表されたわけであります。
そういう中でアメリカの原爆独占という形での全面戦略の体制がこわれましたときに、これの指導をいたしてアメリカの戦略を立て直したのが、一九五三年以来昨年の六月までアメリカの統合参謀本部
議長をしておったラドフォード大将であります。このいきさつは省略いたしますが、簡単に申し上げますと、五二年の十二月の二日から五日の間、新しいアメリカの
世界戦略並びに極東戦略は東京において決定されております。これは、当時アイゼンハワー大統領が当選いたしまして、新しい施政のために朝鮮戦争を視察いたしました帰り、東京におきまして、在日陸海空三軍司令官を呼びまして今後の軍事
対策を聞いたわけでありますが、そのとき、ラドフォードが、長年研究のラドフォード構想、後にラドフォード・ドクトリンとか、ラドフォード・ストラテジーとかいわれますが、それを初めて明らかにしたわけであります。これが非常に重要視されまして、ダレスさんか国務長官になると同時に、ラドフォード大将はアイゼンハワーの指名によって統合参謀本部
議長に就任いたしました。
その要点はどういうことかと申しますと、これまでのアメリカの対ソ一辺倒の原子戦略を直ちに放棄しなければならない、これがラドフォードの主張であります。すなわち同対の力を持って互いに戦った場合、アメリカもまた原子戦争によって自滅的被害を受ける。そのような形の戦争はもはや戦争ではなくて、アメリカの自殺である。これは排除すべきだ。そこで初めてアメリカの空軍万能主義が断ち切られるわけであります。
次にラドフォードが出しました問題は、これは非常に重要であります。これまでソビエトのみを社会主義の主目標としてきた。すでにソビエトは建国以来四十年近く、その力は非常に強力である。これを撃滅することは不可能である。むしろ問題なのは中国の社会主義革命の成功であり、その社会主義の建設である。従って、中国の社会主義建設が進行いたしますと、東ヨーロッパ、ソビエト、中国というふうに社会主義の大きな路線ができますから、これを何とか阻止しなければならない。その中でどういう方法をとるかという点でラドフォードはこういう問題を出しております。それは、中国の社会主義そのものを撃滅することは、朝鮮戦争の結果から見て、もはや不可能の段階である。要は中国の社会主義の建設を阻止することにある。こういう
考えがラドフォードの
考えでありまして、その中国の社会主義建設の阻止のためにいかにすべきかというところで、初めてラドフォードの原爆機動艦隊の案が生まれ、そして中国戦略というものが決定されてきたわけであります。
それを簡単に申し上げますと、まず第一番に、中国本土沿岸で小型原爆を使用するという
前提が出ております。次に、これを原爆機動艦隊で使って、いざというときは局地的な原子戦争を行なう、こういう形と同時に、
日本から沖縄へという戦略構想の変化が出てきております。この問題は、中国の沿岸で絶えず軍事的紛争を継続する、長期にわたって継続する、そして中国を
経済封鎖もしくはあらゆる
意味での遮断を行なうということを決定したわけでありますが、このラドフォードの提案がアイゼンハワーに出されましたのは十二月二日から五日の間であります。これが
実施されまして第七艦隊というものが朝鮮戦争と同時に創設されたのでありますけれ
ども、ラドフォードが統幕
議長になると同時に、大型空母による第七艦隊の編成というものが着手されました。
その後幾つかの問題がありましたが、ここで若干申し上げたいことは一九五五年の四月でありますが、アメリカのミラー海軍大佐が国会の要求によりまして極東戦略の調査に従事いたし、その結論が出たわけであります。それによりますと、もはや
日本は極東戦略の中心ではないということが、ミラー報告の一番ポイントになっております。つまりそれまでは、トルーマン時代、空軍優先主義の時代の全面戦略の中におきまして、極東の戦略というものはどういう形かと申しますと、アリューシャンから
日本列島、それから韓国、台湾、フィリピン、これをアチソン・ラインという言葉で、当時国務長官アチソンが命名いたしましたが、それを貫く縦線の中にアメリカの戦略路線がある。これの作戦中枢が御存じの
通りに極東軍総司令部でありまして、この極東軍総司令官の下に陸海空三軍の部隊が配置されておったわけであります。その中で特に主力でありましたのは千歳、三沢、横田、板付、それから沖縄は単なる防衛部隊の戦闘機の基地にすぎず、そうして次のコースはフィリピンのクービー基地あるいはクラーク・フィールドの空軍基地、こういうところに結ばれておりました。韓国の方にもあまり重要な空軍基地はなかったわけでありますが、ミラー報告の結果どういう形が出たかと申しますと、もはや
日本という国を極東の作戦中枢にしてはならない。それは沖縄一点が極東の作戦中枢の基本であるということを出したわけであります。
このことはニューヨーク・タイムズのハンソン・ボールドウィンが解説しておりますが、それによりますと、ハンソン・ボールドウィンが軍の意向として申し述べましたことは、もし沖縄に中距離弾道弾の陣地のようなものが作れるならば三つの効果があるということを言っております。まず第一番に、中距離弾道弾の完成、その沖縄配備によって、ソビエトそれから中国に対し、ミサイル攻撃という軍事的威圧をかけることができる。第二点は、
日本、韓国その他台湾、フィリピン、こういった同盟諸国が西欧陣営から離脱することを防ぐ効果がある。第三点は、中国の革命がその他東南アジアに波及しないような政治的効果がある。この三つが沖縄の
意味だということを彼は言ったわけてあります。
このことが具体的に進行いたしました形は省略いたしますが、その中で周辺戦略と結びつけまして
考えますと、ラドフォードの中国の社会主義建設阻止という戦略と沖縄とが結びつきまして、それが実現いたして参りましたのが、さっきちょっと申し上げた一九五七年七月一日のアメリカ極東戦略の根本修正になります、それによりますと、アメリカ本土からハワイに来る、ハワイから沖縄に対して指令が出る。今
考えますために、こういうふうにお
考えになるとよろしいかと思いますが、
日本と韓国と台湾を結びますと、ちょうど三角形になる。その三角形の底辺のまん中にありますのが沖縄基地という形になります。この沖縄基地が、ミサイル装備の陣地として、あるいは戦略空軍の前進基地としてアジアの中心基地になった場合に、
日本と韓国を結ぶ路線は、社会主義圏に対しまして沖縄の右翼側面防御の配備になります。韓国、台湾を結びます線は、中国本土に対しまして沖縄を左翼でもって防衛する後方路線になる、こういう形が出て参ります。
そこで、アメリカが一九五五年から五七年の間にいたしましたことは、
日本が極東の作戦基地でないということを具体的に明らかにしたわけであります。五七年の七月一日、極東軍総司令部が廃止されまして、在日米軍が撤退いたしましたのは、アメリカ軍が極東戦略においてまさに新しい段階に対応するためでありまして、この中で出て参りましたのは、
日本の第一線基地化ということになります。つまり極東軍総司令部がありまして、あそこで最高司令官が指揮をとるという形をとりまても、ミサイルがすでに実現が近いという状況の中では、まず、戦争になりますと、最高司令官からまっ先に蒸発する可能性がありますから、この最高司令官はハワイに去る、そして沖縄を中心とした三角路線の中で対抗していく、こういう形になったわけであります。
そこで問題は、従来の安保条約と今度の安保条約との
関係のことに触れるわけでありますが、簡単に申し上げますと、これは
日本でどのように前安保条約を解釈いたしましても、向こうの方ではっきりとした軍事的な安保条約の解釈を出しております。その一例を申し上げますと、前の安保条約の特質は、アメリカ軍の作戦上どう解釈しているかといいますと、
日本そのものがアメリカ陸海空三軍の作戦基地である。そこには三軍の兵力かあり、施設があり、器材がある。これはアメリカの極東戦略の中心基地として守らなければならないということであります。
第二点は、
日本が東洋における唯一の戦略工業の中枢地である。従って戦略補給の見地からこの
日本の工業力を確保しなければならぬ。これが
日本を守るという言葉の第二点であります。さらにまたこの工業要員あるいは戦略要員を保持するために、
日本の労働力を確保しなければならない。あるいは再編成しなければならない。これが第三の
日本防衛の
意味だというふうにいっておりますが、まさにこの戦略の見地からいいますと、われわれとしては、
日本を守るという言葉はうれしいのでありますが、やはり軍事問題というものは非常にドライな問題でありますから、あらゆる角度から分折しました場合、アメリカのこの説明が一番納得いくわけであります。
問題は今度の安保条約になって参りますが、今度の安保条約のことを一々条文に触れることは省略いたしまして、結論だけ申し上げますとこういう、ことになります。
たとえば過日首相が説明されました、
日本と韓国との直接の
関係はないということを言われましたが、これはわれわれもそうは問題にしておりません。むしろ大事な点はどういうことかといいますと、アメリカ本国からハワイ、ハワイから沖縄へと参ります。その沖縄から作戦指令が出されまして、その場合日米安保条約によって
日本とアメリカの
関係でこの部隊が動く。それからアメリカと韓国の米韓協定によって韓国の軍隊が動く、あるいはアメリカと台湾の
相互援助条約で台湾が動くという形になりました場合、これは
日本と他の三国との間が、どうでありましょうとも、これは一種の遠隔制御の形で沖縄に対する攻防路線という形が成立いたします。アメリカの実例を申し上げますと、一九五五年十二月に原子砲を六門入れました。以後ずっと拡張していると思います。これは水上艦艇の沖縄に対する攻撃に備える要塞砲の効果をねらっております。それから現在八カ所のナイキ・アジャックス及びハーキュリーズの陣地があります。一陣地は四門の発射機を持っておりますから、合計三十二基の発射陣地がある。この陣地は主として三十キロから八十キロ前方の原水爆攻撃隊、これは爆撃機を想定いたしまして、それらの爆撃機が沖縄に対して反撃あるいは奇襲に移る場合に、これを前方において核弾頭で一挙撃滅する、こういう形のナイキ・アジャックスあるいはナイキ・ハーキュリーズの陣地であります。これも局地防衛にすぎません。その上に重要なのは沖縄に侵入する敵の勢力というものを事前に封鎖する、これが過日の日韓共同演習でも出ておりますが、
日本と韓国はソ連圏に対する側面防御の体制をとらされている。それから韓国と台湾はその左翼側面防御の形をとる、こういう形になって参ります。
その場合にここで
考えなければいけませんのは、
日本の自衛隊の戦闘機が
日本の上空に上がって
日本本土を守るという問題の場合ですが、これは技術的な問題と同時に実態というものの違いで
考えてきたいと思います。まず実態の場合、
日本の自衛隊が
日本の上空にありまして
日本を守ろうという形をとりましても、そのときに極東戦略がどういうふうに動くかという条件を
考えますと、まず第七艦隊があります。第七艦隊が今日満載八万トンの空母を持っている、この中には百二十機前後の飛行機が積まれております。特にそのうち四十機前後は原水爆の爆撃機及び戦闘爆撃機を搭載しております。これらは直接
日本海とかシナ海に出ていくものではありませんで、
日本列島線からフィリピンまでの後方太平洋上に待機いたします。ここから長距離攻撃を行なう場合に、
日本本土の上空に配備されます
日本の自衛隊の戦闘機はまさに
日本土空の配備についておりますが、それは第七艦隊からいいますと前方の遮蔽幕の効果をする。あるいは今度の
予算で出て参りましたが、アメリカのミサイル潜水艦が実戦配備の形になりますと、これらはポラリスというような水中ミサイルをやはり太平洋上の後方から撃つことによって、
日本の戦闘機はこの前衛防空という役割、こういう形になって参ります。
ここでいろいろ
考えなければいけない問題がございますが、特に私痛切に感じますのは、たとえば、一九四五年の敗戦のとき、天皇陛下が、本土を戦場にしないということでああいう異例の
措置をとられたわけでありますが、その
内容の評価は今別といたしまして、ただ今日非常に心配なのは、局地戦争という形で
日本本土が戦争になるという条件を想定した今日の自衛隊の軍備が、はたしてミサイルとエレクトニクスそれから核兵器の中で可能かどうかという根本問題です。
一つの例を申し上げますと、一九五四年の五月にインドシナ戦争がございましたとき、
日本の横須賀からフィリピン・シーという三万トン空母が原爆攻撃隊を載せてあのインドシナに出撃いたしました。また一九五四年九月十二日には、四万五千トンの空母ミッドウェーが原爆攻撃隊を搭載いたしましてシナ海に配備されましたときには、この日原子爆弾を搭載した艦上攻撃隊が甲板上に配備され、そしてあのときにそれが使われなかったというのは、まさにアイゼンハワーの判断によって急に作戦が中止になりましたために、ラドフォードその他の主張というものが中止になりまして、中国に対する原子攻撃というのは中止されたわけであります。
当時向こうの発表の
内容を調べますと、あのときに中国本土に対する原子攻撃に反対いたしましたのは二人きりであります。それはべデル・スミス元駐ソ大使、それからリッジウェイ元国連軍最高司令官、リッジウェイはどういうことを言ったかというと、朝鮮戦争の例からかんがみて、中国に対する原子攻撃は全面的な
世界戦争を誘発する。この場合にアメリカ陸軍は対ソ戦並びに対中国の地上戦闘を完遂する可能性を持たないということをはっきり断言いたしました。これはわれわれとしても今後のために大いに学ぶべき点があるかと思います。もう
一つは、ベデル・スミスは中国に対する原子攻撃は必ずソビエトのアメリカに対する報復をもたらすという点で反対いたしました。国家安全保障会議構成員十二人のうち反対二人きりでありましたが、アイゼンハワーがこの裁決をよくいたしましたことは、当時のためによかったと思っております。
それからまた、これは一九五八年の場合でありますが、四月の七日に沖縄で緊急の原子戦闘演習が行なわれております。このときの演習のことが後にわかりましたが、この演習の中で行なわれましたことはどういうことかというと、レバノンにおいて突然戦闘が起こる場合を想定し、それが今度さらに極東に波及した、そういう形で金門、馬祖——これは八月から十月にかけて行なわれました金門、馬祖の戦闘状況を想定した演習が、すでに四月七日にあそこで三十時間原子戦演習として行なわれたことであります。
こういうような状況の中で一九五七年八月一十七日、ソビエトのICBMの完成ということが出て参りました。どういう根本的な軍事革命があったかと申しますと、これは至って簡単であります。私すでに一九五五年に、あと四、五年たったら爆撃隊は古くなるということを分析してそれを書いたことがございますが、このミサイルの発達によりまして、特にICBM、IRBMの完成によりまして、今までの地上戦闘、海上戦闘の様相というものが一変したわけであります。
簡単な数字で申し上げますと、原子戦地上部隊、これはたとえばベントミックスのような部隊は、地上を作戦速度で進行いたしましてもせいぜい一時間五キロから十キロ前後であります。これに対しましてICBMは四千倍のスピードで地上千キロないし千三百キロの高度を音の早さの二十倍ないし二十三倍のスピードで通過して原水爆を爆発させる。あるいは原水爆の機動艦隊が作戦行動に移りましても、この艦隊の戦闘速力で行動した場合、ミサイルはその四百倍のスピードで作戦任務を完成してしまう。さらに空軍が超音速の爆撃機に原水爆を載せまして攻撃に入りましても、大陸間弾道弾はその二十倍ないし二十三倍のスピードで目的地を粉砕してしまうということであります。
こういう状況の中でアメリカの極東戦略が根本的に変わりました。その変わったのが今度のアメリカの軍事
予算の中に出て参りました。それは詳述を省略いたしますが、総計四百九億ドルに上ります
予算の中で、今までは陸海空軍の、陸軍は問題になりませんが、特に海空の飛行機に大部分集中されておりましたのが、ことしから変わりまして、六対四の割合で、まだ決定的とは言えませんが、ミサイル全軍配備に切りかえられたということであります。この
内容を簡単に申し上げますと、もうすでにその基地の建設費までがアメリカでは公表されておりますが、大陸間弾道弾アトラスの陣地、これは十発装備の部隊が九個中隊、合計九十発、それからタイタンという大陸間弾道弾、これは十発装備の十一個部隊ができまして、合計二十個部隊の二百発というものがアメリカ本土に——これは地名は今省略いたしますが、建設されるわけであります。これは一九六〇年から六三年にかけて作業を行なう。
さらに今までのようなヨーロッパとか極東とかそういった社会主義圏を取り巻く地域に対しまして、九カ所の中距離弾道弾陣地の
予算が成立いたしました。ただし、
日本の沖縄に関する
予算はことしは延期になりましたので、これは明年ないし明後年になるかと思いますが、はっきりいたしましたのは、イギリスに中距離弾道弾の陣地四カ所、それからアラスカに一カ所、カリフォルニアに一カ所、ギリシャに一カ所、イタリアに一カ所、トルコに一カ所、こういうような中距離弾道弾の陣地ができた。
その中でどういうことを
意味しているのかということはこうなります。それは社会主義圏の強力なミサイル戦略に対して、前方にやはり中距離弾道弾のミサイル陣地を作ることによって、相手の対米攻撃能力というものを分散、吸収させる。それからもう
一つは、アメリカ本土に大陸間弾道弾の陣地を作って、ソビエトに対して対抗的な勢威というものを持たなければならない。こういう形になりますと、今までのような軍事的な
関係というものがどうして根本的に
考えさせられてくるわけであります。そのことは昨年の一月二日アイゼンハワーが年頭教書の中で触れ、さらに四月九日の国会教書の中で触れておりますことは、もはや従来の陸海空三軍という編成は軍事的任務を達成しなくなる、これが第一であります。それからさらに戦争というものが政治あるいは
経済の目的を解決する手段にならなくなる。さらにこのような軍事的な問題というものを、はたして今までのような作戦士官にまかしておいていいかどうか、もはや政治というものが軍事を完全にコントロールしなければならない時代が来た。このような時代が来た根本原因は、これは三つしかない。それはミサイルとエレクトロニクスとそして核兵器である、こういうことを申しました。そうして陸海空三軍の編成がえというような問題を出してきたわけであります。
今日ではそういった体制に切りかえが行なわれまして、アメリカの
予算がその
内容の第一歩を裏づけまして、一九六〇年から六三年にかけまして、アメリカは全面的なミサイル戦略に切りかえていく。そのような中で、沖縄というものは極東戦略の中心として直接これをアメリカが防衛するという形はとらないで、それは
相互援助条約によりまして日、韓、台、そして南方牽制部隊として東南アジア条約機構、それから北海道におります直轄部隊はハワイでありまして、決して
日本の在日米軍は管轄しておりません。そういった形でコントロールするという形になって参りました。
この点だいぶ今日の軍事問題というものは十分
考えなければならない点がたくさんあると思います。時間がございませんので、これで省略いたします。(拍手)