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井伊委員 私は
日本社会党及び
民主社会党を代表いたしまして、この
政府提出の
原案に対して
反対し、両党が出しましたところの
修正案に対して
賛成をするものであります。(拍手)
裁判所の
事務の適正迅速をはかり、人権擁護の実をあげるということについては、これは
国民のひとしく
要望する点であることは言うまでもないのであります。しかし、その実をあげるについて、現下の情勢上これを適切に処理する方法として、
政府は今の
裁判所法第六十条の
改正案を
提出をいたしておるのでありますが、そのことにつきまして、ほんとうの
要望にこたえるところの処置そのものが、これは
裁判所と、
政府との慎重な
検討の結果かようなことになったと言っており、また諸般の事情によると言っておりますけれ
ども、結局突き詰めてみれば、これは行
政府に
裁判所の
裁判そのものについての
一つの軽視があると思うのです。諸般の事情と言っておるものは、突きつめてみると、これは財政上の事由にほかならぬ。そして結局現在のところどうにも適正に
要望にこたえていくことができない結果は、
裁判官が
裁判所の
事務を
書記官のところに持ってくるということになっておるのであります。これを解決する方法は、ほかに今のところではないと言うが、今これだけ
裁判所事務というものが輻湊してきて、
裁判の
事務が遅滞する、これを解決するのには
裁判官だけの力ではできないと言うことは、そもそも
裁判所に対する行
政府の
考え方は、ほんとうに
裁判というものは
国民の
要望しておる国の重要なる
仕事であるということについての認識が足りないためか、従来あるところの行
政府に比べて、
裁判の問題はいつでもあと回しにされておるという明治
憲法以後引き続いた
一つの慣習的な
考え方だ。それが行政面に現われておる。今度これを訂正しようとするけれ
ども、やはり事実はその観念で支配されておって、
裁判官の増員も結局できない。事実
調査のための
補助の
調査員を設けるというような
考え方も当然起こるけれ
どもできない。諸般の事情といっても、諸般ということは
一つもないので、結局は国の財政の問題、金がないというようなところに来ておるだけの話じゃないか。しかしながら、それは一応現実の事情としてそうであるといたしましても、どうしてもやらなければならないところの
書記官の
職務というものは、いかなる変化が来ましても明確でなければならないと私は思うのであります。これは六十条における
記録その他
書類の
作成だとか
保管、その他他の
法律において定められた
事務、ここに定められておるところの
事項だけに限ってこの
事務をつかさどるということが明定されておるのであります。それであればこそ今度第二項に追加をして、それ以上にわたるところの
事務の
範囲を明足しようとしておる。事実上は、
裁判所に起きまして、
裁判官の
命令によって、この第二項にありますようなもののほかに、なお明定されてないところの
仕事をさせられておるのであります。しかもそれはある場合にはそれが慣習である、長い
裁判所内の美風であるというふうにいわれる。美風を私は否定するものではありませんが、美風であるというふうに持ってこられて、そのためにその命に従わないというものは、
一つの行政的な処分をされるというような事態も実際においては起きておる。そういうようなことは、実はその
職務の
範囲というものは明定されておっても、
事務がだんだん膨張してきて、その膨張したところの
事務の
範囲を適当に処理する方途が講ぜられない。その道が結局ない。最高裁においてはこれをやむを得ない日本の行政上の地位として甘受しておる。やむを得ないのだというふうになって今まで忍んでおるのではないか。今度の
改正も、
政府と最高裁との間で合議をした結果得たのがこうであるとはいうけれ
ども、実際は、
裁判所は、
裁判官は
裁判に関しては常に正当なる
見解を持ってその
判断をしておるけれ
ども、
裁判所におけるところの行政面においては、いつもそれを、
裁判とはもちろん切り離して、負うべき以外のものまでどんどんその
事務をまかせるというか、内輪であるということで、またこれは昔からの伝統的な美風であるというようなことで、下の方にまで、
書記官等にこれを託すというふうにしておる。こういう力が今またここに出てきておるのではないか、私は実にその通りに思うのであります。
法令及び
判例の
調査、これは事実上必要になって参ります。この程度の
調査をするということは
裁判官がどうしてもしなければならぬことであるのみならず、おそらくは
事件の量が多くなってきておる、また複雑性を加えてきておる今日においては、その
仕事というものは分量として非常に多くなってくるに相違ない。このたまっている分量をどう処理するかということを、ほかには持っていきどころがないということから、結局一番近い
書記官に
補助させる、そういうことにするよりほかないという、あきらめの結果がここに来ておるのではないか。しかしながら、本来いかなる職域のものでも、その
職務の
範囲というものは明確にしなければならぬ。いわんやこれは
裁判所の問題です。ここのところにおいては、その
調査の
範囲は、これだけでも従来のところからはみ出てくるのです。よけいになってくるのであります。けれ
ども、この程度のものはこれは現にやっておるところもあるが、おそらく現在においては足らない、もっともっと
範囲を広げなければならぬという
理由で、ここに
法令及び
判例の
調査ということが出てくるのだろうと思う。そういうふうに分量がこの先どういうふうに広がっていくかということは、これはきめることはできないだろう。このくらいのところというものは、協力することができると思う。これはそういうふうにしてもよろしいと思います。これをただ「その他必要な
事項の
調査」というところへ持ってくるということは、一そう不明確な
範囲、分量になる。もちろんこのことについてはこういう
意味だという
政府当局の説明はわかっておりますけれ
ども、それは名目でありまして、それ以外のものは入らないというものでもないし、またそれがどう発展してどういうふうな
範囲までいくのか、分量等はもちろん知るよしもりない。そういうふうになって参りますれば、この「その他必要な
事項の
調査」というがごときは、これこそがむしろ
法令及び
判例の
調査よりももっと
範囲が広くて、量の多いものであるということを考えなければならないのであります。現にある程度は、それはやっておるところでありますけれ
ども、ここにこの
法律をもってその他の必要な
事項の
調査までもやるときめることは、苦しいあまり、ほんとうのところを全部ここに押し込めてしまって、
仕事を全部引き受けさせておるような格好です。こういうことは、
裁判所の
書記官の
職務としては、他の方においてもそうでしょうけれ
ども、特にそういうことはいけないと思うのです。大体現在の
裁判所の
書記官の
職務というものは、実に分量過多であります。
範囲も広い。しかし、それにもかかわらず、これは正確を期さなければならない。いいかげんな処理は許されないのであります。他の行政庁におけるがごとく、数日もあってその間に
調査をするというようなことではない。窓口にいても、聞かれることについて即答し、直ちにこれを処理するというのが
裁判所の
書記官の
仕事であります。そういうように分量が多くて、直ちにこれをやらなければならぬという
仕事をしておるところに、さらに内部においては一そう明確にこの
規定によって
法令及び
判例の
調査もやるし、あるいはまたその以外の必要な
事項の
調査ということまで
補助することになるならば、
政府がこれらの
書記官の素質の向上をはかり、優秀な
書記官を作り上げたと言ってみましても、それは当然のことで、これはその
仕事に適するということを言われるだけであって、こういう者をここのところに押しつけられたならば、私はむしろ
裁判の迅速適正ということとは
反対の結果を起こす、こういうことを憂えざるを得ない。私
どもは、この不明確なそして分量の非常に大きくなること、またある場合においては質的にもその
裁判そのものに
書記官の
一つの意思が加わるというようなことも考えられるので、そういうふうに考えますと、私は、ここにいうその他の必要な
事項の
調査を
補助するがごときことについては
反対せざるを得ない。そしてまた一二面から申しますならば、
裁判所の内部における
裁判官と
書記官との間に、分量の上で職域の明定がないために、予期せざる、むしろ区要らざるところの隔離、そういう問題が出てくるのではないか、そういうことを考えるものであります。
以上の点からこれらの
修正をいたします点に
賛成をいたしまして、
政府の
原案に対して
反対をするものでございます。