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大坪委員 委員長からもお尋ねがあって
大臣のお答えがあったわけでありますけれ
ども、私は今の
委員長との問答の中で感ずるのですが、
警察力が足らぬから幾らっかこれをふやせばいい、
警察に武器が少ないなら武器を持たせればいいというようなことでは、こういう社会不安というものは防ぐことはできないと思います。問題はその
責任の衝にある
警察官の心がまえにあると私は思うのです。それは私が先刻からお尋ねしたいと思ってお伺いしておることは、
警察は、
労働争議と名のつくものに対しては、なぜか知らぬが非常に消極的ではないか。たとえば
暴力団の区取り扱いにしても、いわゆる町の
暴力団に対してはこれを
排除をいたしておりますというお話であります。しかしながら、いわゆる
オルグ団という名をかぶせてきた
労働組合応援の
暴力団に対しては
措置をとろうとなさらない。こういうところが
労働争議について違法
行為があったというような場合について、何か
警察が積極的に
関係すると、すぐ
警察の介入とか官憲の横暴とかいうようなことで反対の議論が起こってくるから、そういうことにおびえてでもおられるのではないかと思うほどに、われわれ一般国民には
労働争議に関する
事柄については
警察はあまりにも消極的であるという印象であります。それは何も私だけではない。すでに
新聞紙がはっきり書いておる。雑誌等にも書いておる。「地元で
警察不信の声、不介入があだ」というような表題のもとに、町に多くの人権じゅうりんあるいは犯罪
行為、犯罪の予謀、そういうことが行われておるのに対して、
警察はいかに手をこまぬいておるかということを具体的な例をあげて
新聞紙が取り上げて書いております。こういう点が私
どもはやはり問題だと思うのであります。もう今日では
警察にものを言っても仕方がない。たとえば炭住で第二
組合の
家族がつるし上げを食っていますという訴えを第二
組合の
争議団本部が受けた。今
警察へ言ってもだめだ、すぐ青年行動隊を出せ、こういったようなことまでも、
大臣もごらんになったかもしれませんが、
新聞紙が報じておるような
状態であります。そうしてこの二十八首早朝のあの
事件以後、ずいぶんだくさんの非行が繰り返されております。私の手元にある資料によって一、二申し上げてみましょう。たとえばこういうのがある。そうしてそれは
争議団当事者だけではなしに、一般市民にまで非常に影響されている問題であります。二十七日三番方における
応援の経営者
——これは
関係のない民間人ですが、この三人が宮浦鉱の裏門において自動車をおりたところ、待ち伏せておった数人の旧
労働組合の
ピケ隊員が、いきなり
こん棒で袋だたきにし、重傷を負わせ、一名は水の中にたたき込まれ、いずれも全身打撲、二名は頭の裂傷によって五針ないし六針縫う
状態である。こういう例が
一つある。二十八日、
三川鉱の出勤にあたっては、旧
労働組合が
生産再開に備え、竹やり、鉄棒などを用意しておる
状況を見て、新
労働組合員も
こん棒等の準備を始めたので、
大牟田署の小林部長が心配をして、新
労働組合員に対して、旧
労働組合員には絶対にこれらの器具を捨てさせるか、または取り上げるようにするから、新
労働組合員も持たないよう宮地副長に
指導方を要請したので、宮地副長は新
労働組合の代表に強くこれを求め、従って新労代表の
指導により構内に入った者は完全に素手であった。ところが衝突による被害は相当多くなった。結局、
警察の要請を新
労働組合は忠実に守り、旧
労働組合からは無視され、そのままの
状態で衝突したところに問題がある。あるいは二十八日朝六時二十五分、万田縦坑正門を百五十人の旧
労働組合員が開いてさく内に侵入し、久保係長、上野首席を外に連れ出し、洗たくデモでもみ、打撲傷を負わしめた。二人は病院で手当を受けたが、その後も数回デモをかけられたため、生命の危険が感じられたので、
家族から保護願いが出され、
警察のパトカーで救出されたというような
事柄がずいぶんたくさんあるのです。そうしてこの二十八日の朝の衝突の場合には、新
労働組合の中に重傷十三名、軽傷百四十二名というものが出ておる。これは
三川鉱における例の
事件です。一方
労働組合側は、傷害の程度はよくわからぬが五十名と称しておる。そのほかに
会社の職員が、重傷五名、軽傷三十二名、計三十七名というように出ておるのであります。これは当日起こった最初の
事件であります。その後も、先刻申し上げましたように、
こん棒や
青竹を携行して町を横行する、あるいは
集団で
ピケラインを張っておる、こういうような
状態である。問題は、先刻
委員長も
お話しになったのでありますけれ
ども、
労働争議というと
警察はきわめて消極的でないかという印象が国民一般にあるということであります。そこで
労働争議の場合には、何ゆえに、
当事者はもちつろんのこと、世人の安心のいくような、国民の信頼する実力のある
警察行動がとられないか。これが先刻
委員長のお尋ねになりましたように、何か
法律に欠陥があるということになれば、これはどっちの味方をする、どっちの肩を持つということではないのでありますから、立法
措置を講ずるということも私は勇敢におやりにならなければいかぬと思う。それが御職責だろうと思うのであります。警職法
改正のごときも、必要であればやはりなさるべきである。特に近来の
日本は、どんないいことにも必ず反対が出るような
状況でありますから、反対が出ることは覚悟しなければならぬ。警職法
改正も必要であればお出しになって、国民一般が安心して
警察を信頼するような
事態に早く持っていかれるようにされなければいかぬと思うのです。いつかの機会にそれも考えましょうというような御答弁では、私
どもはどうしても納得がいたしかねる。国民に対しても、
日本の
警察を信頼せよということを言いかねるのであります。先刻
江口局長が、
凶器に類するようなものは、今日の法制上では任意に提出せしめるよりほかないということを言われた。今日の法制上どうしてもその程度以上に出られないものであるならば、
事態の危険を感じた場合には、強制的にそれを提出せしめるような
措置も、これはもう当然講ぜられるべきである。いつかの機会でなしに、即刻になさるべきことであると思うのであります。
警察は予防のものです。どうも今度の場合のように、
事件が起こってたくさんの死傷者ができた、それを担架に乗せて運ぶという役は
警察の役ではございません。また犯罪が起こって犯人を追っかけ回すというようなことは、これは
警察ではございません。これは
検察です。そこのところを私
どもは国民の一人として強く要望いたしたいのであります。どうもしっこく繰り返すようで恐縮でありますが、
労働争議と名がつくと非常に消極的のように思われる。そういうことはないと思うのでありますが、これらの
措置についてもう度
大臣からはっきりと今後
——私
ども今後のことを言っておる。轍鮒を枯魚の市に問うということわざがあります。わだちでまさに涸死しようとしている魚を、その場で水を与えて生き返らせることをしないで、すでに死んだ魚を売っている店でお見舞するという、いわゆる六菖十菊になるようなことは、これは
警察ではないのでございます。予防こそが国民の期待しているところである。力強い
警察というものを国民一般は望んでおる。これがたよりにならなければ、町に
暴力団が横行するわけです。みずから自衛しようという
気持になってくる。そこを私は非常に憂うるのでございますから、もう一度
大臣のこの点についてのはっきりした御
見解を承りたいと思います。