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安平参考人 今から三十年ほど昔、私台北におりました。ところがその当時、
不動産窃盗というものが罪になるかどうかということを当局から聞かれました。どうしてそんなことが問題になるのかということを聞きますと、いやこれについては大へんな問題が起こっているので、今台湾全土で問題にされ、
裁判ざたにまでされようとしている。この種
行為は有罪になるのか、無罪なのかよくわからないということでありまして、だんだんと聞いてみますと、当時私の調査しましたところでは、全土に
不動産の
不法占拠という場面が数多く見られたのでありまして、人数からいって、たしか何十万という数であったのであります。これは皆さん御
承知のことかとも存じますが、あの地には当時官有林、それからこれに準ずる私有地と官有地との中間地帯、予備地帯とでも申すべきものがございまして、これらの土地は自然のままに放任されておりました。そこでこれら地帯に接近して居住する人々が、これを遊ばしておくのはもったいないというわけで、勝手に耕したり、
利用したりして相当の収入を得ていたのでありまして、こういう
事件が当時たくさんあり、これがとうとう問題とされたのであります。当時、私はまだ若かったのでありまして、
刑法に対し単純に
理論的
解釈を試みていくという
立場より割り出しまして、先ほど
市川教授から言われましたような
理論から割り出して、
窃盗罪と認めていいのではないかという一種の
解釈論を
裁判所の方などに私見として申し上げたのでありますが、しかし結局のところ、
裁判の上では採用されるに至らず、ただ、ほとんど
不動産の
窃盗として処罰してもいいとされるところまで来ていたのでありますが、とうとうそれがやはりものにされず、
日本の
現行法の
解釈としては、そこまで踏み切るわけにはいかないというので、そのままあやふやに経過してしまったのであります。こういう事実を今思い起こすのであります。
その後昭和十五年に内地に帰って参りまして、そのうちに戦争が済みました。その後和歌山県の熊野神社にお参りしたのでありますが、その熊野神社のところで驚きましたことは、神社の境内の中にたくさんの民間の住宅が建っている。これはどうもおかしいと思って、その案内人の人に聞きますと、これは町に住む家のない人が神社の境内に勝手に入ってきて、家を建てて住んでおるのだというということであります。こんなことをどうしてほうっておくのかと尋ねますと、いや何とかして追っ払いたいのであるが、やはり場所が神社の境内で、神さんが住んでいられる神域に住んでいる人間さんなんだ。その人間さんには家族もあるし、子供もいるし、生活に困って、ここを去って落ちつくところもない。せめて神社の境内なりと
利用して神さんの恩恵に浴している。それを神主さんも追っ払うことはできないのだということでありまして、なるほどとうなずけて、そこを去ったことがあるのでありますが、しかし、いかに神さんの
保護とは申しながら、この境内にこの様子は困ったものだというように
考えて帰ったのであります。その後東京で私の厄介になっている上野の寛永寺あたりの境内におきましても、これによく似たような問題が起こって参りました。そこで坊さんは、これらの建造物などを何とかして取り払いたいものと努力したのでありましたけれ
ども、仏の手前そういうむごい、手荒らなこともできないというので非常に困って、皆さん御
承知の通り、あの跡始末には相当に問題が残され、
解決は長引きました。
これは最近の問題でありますが、古くは、かの大正十二年の関東大震災のときにも、こういうような問題が生じたことは周知の通りでありまして、そこには一種の
不動産の
不法占拠、他の一面には最後の生存権の問題を生じました。人間と申すのは、
法律は何であっても、いざというときには、人間の享有する生命だけはどこまでも維持していかなければならない。この人間の最後の生存権の前には、
所有権は譲歩しなければならないと主張されたのであります。人間の最後の生存権ということと、
所有権制度の主張の二律背反、こういうものが衝突した場合、そのことをどう処置すべきか。先ほど前田教授も指摘されましたような、今日全国的に見て統計にも載っておりますように、いろいろな場面において、あるいは
所有権制度あるいは基本的人権あるいは生活権、そういうものとのあつれきの一場面として深刻な問題を起こしているのは皆様御
承知の通りであります。
では、これをどうしたらいいかという問題が起こるのでありますが、ここで
一つ考えてみなければなりませんのは、
不動産の
不法占拠あるいは
不動産の侵奪の問題であります。この問題は、
学者は抽象的な
言葉をもって片づけておりますけれ
ども、この実体を掘り下げてさぐってみますると、これはその
内容は千差万別でありまして、正直に申し上げますとまことにお気の毒である、無理がないというふうに、同情に値いして、これを一がいに
犯罪あるいは不
法行為として制裁をもって臨むことの困難なものもあるのであります。しかしまた、事案によりましては、
正義の
観念から申しまして、断じてそういうことは許すべきではない、一日といえ
どもそういう不法
侵害というものは看過すべきではないというふうに
考えられる事案もたくさんあるのであります。
そこで私つらつら
考えまするに、大体におきまして、この種事案は、
法律的に観察しますれば、三つの形態に分けることができるのではないかと思うのであります。そのうちの
一つは、
所有権の
侵害そのものを取り締まっていきたいという
考え方であり、次には不法な
不動産の占有事実的支配でありまして、ある土地なら土地、建物なら建物を不法に占拠する
行為それ自体を
法律上許されない
行為とすることであります。第三は、
不動産を不法に
自分の支配のもとに置き、これを
利用し、
不動産の経済的
利用を持続していく
行為を
犯罪として取り締まっていきたいとする
考え方であります。いわゆる
不動産の
窃盗と申しますのは、右の果していずれの場合をさすのであるか。右一の
所有権それ自体の
侵害あるいはこの
不法占拠をさすのであるか、それとも第三の
意味における
不法占拠して
不動産の経済的
利用を続けていく場合をさすのであるか、今次
法務省において立案せられました
不動産に対する侵奪罪は右のいずれに当たるのでありましょうか、私の見るところでは、案における侵奪罪の本質は、大体右の第三の型、すなわち
不動産に対する一定の意図をもってする
不法占拠及びこれによる
不動産の
利用あるいは経済価値取得にあるようにながめられるのであります。もしそうだといたしますならば、今日のわが
社会の
実情としてこのカテゴリーにおける
不動産侵奪を取り締まっていく必要があるのではありますまいか、私はこういうふうに
考えるのであります。今日、
不動産の
所有権々々々と言ってみましたところが、
不動産に対して地上権とか何とかそういう
不動産を利益する
権利が
他人の手に渡っておりますと、本来の
不動産に対する
所有権というものは、ほとんど用をなさない場合が数多く見受けられます。そこで実際上
不動産について大都会におけるこの
社会的機能を
考えてみますると、
不動産に対する占有を奪い、かつ
不動産の経済的利益価値を奪っている事態が生じておりますと、今申しましたように、
不動産の
社会的機能は阻害されることが明白でありますから、この種違
法行為を
一般に
犯罪として刑罰に結びつける必要があるように
考えられるのでありまして、これが案における
不動産侵奪罪と
考えられるのであります。でありますから、現在
考えておりますいわゆる
不動産窃盗と申しますのは、右のような事実不法な占拠及び
不動産の
利用価値奪取という事実
——厳格な
意味の
不動産窃盗罪ではないのかも知れません。大体常識から申しまして、
窃盗すなわち盗み取ると申すのは、物を取って持っていくこと、そういうことであります。これは見解の相違かも存じませんけれ
ども、常識的に申せば
窃盗と申すことは物を取り去ること、すなわち
動産というものが前提に置かれることになる。ところが、
不動産というものは持ち去ること、よそへ持っていくわけにいかない。いわんや今日それは登記制度というものがあって、完全な
所有権の移転には登記を要するので、
不動産の
窃盗ということは容易に是認されない。これが今までの伝統的な
考え方なのでありまして、ここにいわゆる
不動産窃盗とは、要するに
不動産に対する不法な占拠によるその
利用価値の奪取として理解されているのだと
考える次第であります。こういう
考えが浮かんで参りますと、
不動産に対する
不法占拠それ自体を
一般に処罰するという
考え方は排斥されなければならないこととなるのであります。たとえば、賃貸借
契約をして、そして明渡しの時期が迫って、催促を受けておるにもかかわらず、ただ場所をのかないだけでは、一種の
不法占拠ではありますが、これをもって直ちに
犯罪ということにはならないと
考えられるのであります。けだし、これだけで
犯罪として罰せられることになりますと、刑罰権が広がっていって、結局国民に対する人権擁護の見地からして危ぶまれることとなるのであります。そこで右のような
意味で、案第二百三十五条の二という条文を置いてはどうかというのが、この案第二百三十五条の二「
他人ノ
不動産ヲ侵奪シタル者ハ十年以下ノ懲役ニ処ス」という
規定であるといたしますならば、これはおもしろい
立法と
考えるのであります。ところで、この二百三十五条の二にいう
不動産の侵奪とは何でありましょうか。いただいております理由書を拝見いたしますと、侵奪というのは、不法
領得の
意思を持って、
不動産に対する
他人の占有を排除し、これを自己の支配下に移すことであり、実質的には、
窃盗罪における窃取と同じ
意味である。ここにいう不法
領得の
意思とは、
窃盗罪の
成立要件として必要とされるそれと同様に、その次が大事でありますが、ほしいままに
権利者を排除し、
他人のものを自己の所有物と同様に、この経済的用法に従い、これを
利用し、または処分する
意思を
意味するとしてあります。おそらくこれは単なる
不法占拠それ自体を処罰するのではなくて、そのほかに悪意を持って
不動産の実質的、経済的支配状態を
侵害するという一種の
侵害行為を取り上げて、これをもって
犯罪としている趣旨と
考えられるのでありまして、それは単なる
不動産に対する
不法占拠一般を罰するのと少し違いまして、大体におきましてこれは
他人の
不動産だということがはっきりわかっているにもかかわらず、それを何とかして、必ずしも
所有権まで取ろうというのではありませんが、それの事実的支配を
自分の手に移し、これによって
不動産利用の経済的利益を取得しようという
行為を
犯罪に取り上げているのだと解せられるのであります。
不動産の
利用方を奪取する、そういう
意味の一種の侵奪罪を新しく
立法に取り上げられた、これが本条の
規定と
解釈いたします。
それでは今世界の国々の
刑法を見まして、さような
意味の
不動産奪取という一種の
行為をピック・アップして
犯罪として
規定している国があるということを、ちょうだいしました
立法資料によりまして、私少々忙しくありましたので、他の諸資料につき、よくは検討して参らなかったのであります。検討してみますと、
ドイツ刑法、
フランス刑法、こういう大国の
刑法中には、さような
不動産に対する
窃盗罪と申すようなものは見当たらないのでありますが、ただいまの案文に一番接近しておる外国の
立法といたしましては、ポルトガル
刑法第四百四十五条の
規定が右の案文に近いように見受けられるのであります。それからイタリア
刑法の第六百三十三条、同第六百三十四条の
規定並びにスペイン
刑法第五百十七条、なおニューヨーク
刑法第二千三十四条、同第二千三十六条の
規定もこれに近いもののようにながめられるのであります。これらの諸国におきましては、右のような条文で
不動産の侵奪にあらずんば、不法な経済的
利用、ときには
不動産に対する
不法占拠を罪として処罰しているのを見受けるのであります。特に御注意願いたいのでありますが、これらのある国の
立法におきましては、実質上は
不法占拠、こういうような
行為を
犯罪として
規定しているところもありますけれ
ども、少なくともただいま指摘しましたポルトガル
刑法の第四百四十五条、イタリア
刑法第六百三十三条の条文を見ますと、まさしく
日本のただいま法務当局において立案されておるようなこの侵奪罪に非常に近い一種の
規定が見受けられるのであります。こういたしますと、この種の
立法はヨーロッパ大陸の
ドイツ系の国よりかむしろ南のラテン系のイタリアあるいはポルトガル、こういうところにあるということになるのでありまして、これを
立法しましたところが、
日本のが珍無類というわけではありません。今申しましたように、私は現在の
社会の
実情から見まして、この種の
立法は特に悪質な
不法占拠並びにこれによる
不動産利用に対する不法侵奪として、
社会の
一般常識に訴えまして不当ではないと思料するのであります。そういう
意味におきまして、私は、今度の案の
不動産侵奪罪、これには
賛成であります。
それから、その次に、案第四百五十六条を見ますと、これは境界標の問題であります。この
立法でありますが、これまた、世界諸国の
立法を見ますと、たとえば、
ドイツ刑法第二百七十四条一項二号、あるいは
フランス刑法第三百八十九条、四百五十六条、あるいはスイス
刑法第二百五十六条、あるいはイタリア
刑法第六百三十一条、あるいはギリシヤ
刑法第二百二十三条、ポルトガル
刑法第四百四十六条、スペイン
刑法第五百十八条というふうに、諸国においてこれに大同小異の
規定を設けているのであります。これは比較
刑法の見地から見ましても、右のように十ヵ国に近い諸国の
刑法にこういう
規定を設けていることは、やはり
社会の実用性に基づくことを
意味しているのでありますから、これまた私は
賛成していいと思うのであります。
これは実質的にながめて、一種の
不動産を侵奪する手段
行為ないしはこの前提
行為としての準備活動、そういうふうにながめていいのでありますが、こういう境界標の損壊
行為等をひとまず取り上げ、これによって土地の境界を不明ならしめる
行為をここに新しく
犯罪行為としてピック・アップすることも当然のことであろうと思うのであります。かように
考えますので、ただいま拝見いたしました二つの条文、これはともに、私は、
立法に
賛成なのであります。いな、むしろこれが
立法はおそきに過ぎたとさえ思うのであります。かような
立法は、台湾なんかで問題になりましたせめて三十年前にでも気のきいた
立法をしておけば、だいぶトラブルを起こさずに済んだのではないかとさえ思うのであります。今日のわが国における
不動産の
窃盗と申すことは、
現行刑法の
解釈上から、直ちに
不動産それ自体に対する
窃盗罪を認めるわけにいかないでありましょう。拡張的な
解釈は罪を肯定する
方向、
——刑法で有罪を
解釈をしていく上では許されておりませんので、勝手に拡張
解釈して、この種の
窃盗罪を認め、刑罰の名によって国民を縛るということは、よほど
考えなければなりません。
裁判官でさえもそれは無理だとしているのに、しかも国民の人権は極度に保障されなければならないとされる現代において、いたずらに
解釈をし、しかも拡張
解釈によって刑罰の範囲を広げていくことは
考えものであります。これはちょっと無理だと思います。ほんとうに人権を擁護するならば、少なくとも
立法によってはっきりと条文をきめていって、そして国民に対して、今後相済みませんが、こういう
行為をすれば
犯罪になるのでありますと、あらかじめ法文ではっきり示して、しかる後に処罰するのでなければおさまらない。
現行刑法の条文を見ても、こういう
行為は罪になるのだとはっきりし、検察官も、
裁判官も、
犯罪として処罰するに至るであろうと思われるのであります。
学説だけで有罪だといってみたところが、刑事司法は容易に動くものではありますまい。私は、人権擁護の今日の時代において、単に
学説の上から刑罰の範囲を拡張していこうとする
考え方の理解に苦しむ一人なのであります。
社会の必要があって取り締まりをするというならば、まず法文の上ではっきりした条文を設けていくのが本来の取り締まりに関する本格的な姿ではないかと思うのであります。
次に、当局のお示しになっております案文の中に、私の見そこないかも存じませんが、侵奪罪の未遂を罰する
規定が見受けられるのであります。たしか案文で未遂処罰の
規定が見受けられるのであります。申し上げるまでもなく、
日本の
立法というのは未遂処罰がなかなか好きなのでありまして、何でも
犯罪を認めるという段になると、その未遂処罰ということがよく
考えられるのであります。
思い浮かべる一事は、明治四十年のわが
刑法改正のときに、片方は貴族院を代表しての富井政章代議士、他の一方は衆議院を代表して花井卓蔵代議士の二人が、未遂の
立法的処置に関し見解が対立して、それがために
刑法の全部的改正が危機にさらされ、ために、ついに貴族院と衆議院との両院協議会を開いて、やっと、一面は
フランス法主義の主観主義
理論を代表される富井政章
博士の見解を一部取り入れ、他方は
ドイツ刑法理論を代表しての花井卓蔵氏の見解を取り入れ、ここに妥協が
成立して、この妥協裏になったのが
現行刑法第四十三条の未遂処罰の
規定であり、これだけ未遂犯という問題は、わが
刑法における深刻な問題となっておりますので、いざ刑罰
立法となれば、いつも未遂犯をどうするかが問題とされるのは無理のないところと思惟されるのであります。それはともかくといたしまして、取り締まりの面から申せば、さしあたって
窃盗罪——現行刑法二百三十五条の
窃盗罪に未遂を認めており、しかもこれが主として
動産に関するものである限り、今ここに
不動産の
窃盗について十年以下の刑罰を認めることになれば、これに対しても未遂罪を認めていこうとすることはむしろ当然のことと思われるのであります。
現に、実際問題としても、トラックに材料を積んでそれを空地に持っていき、しかる後建物を建設して
不動産を
侵害しようとするやさきに、
警察官がかぎつけて、これを未遂罪として、やっとこれをとりやめさせた場面も
考えられるのでありますから、処罰することは必ずしも不当ではないでありましょう。ただ
一つ、私が不思議に思いますのは、この点検討が不十分であるかもしれませんが、ただいまいただいております諸外国の
立法資料によりますと、いかなる国の
立法を見ましても、
不動産侵奪罪の未遂処罰の例は
一つもないのであります。今申しました不法侵奪罪について、ポルトガル
刑法の四百四十五条、イタリア
刑法の六百三十三条、同六百三十四条、ニューヨーク
刑法の二千三十四条、同二千三十六条、スペイン
刑法の五百十七条を見ましても
——あるいは総則かどこかに
規定されているのかも存じませんが、少なくとも各別のところでは、私の研究不足かもしれませんが、
一つもその例を見出さないのであります。この種の未遂処罰の外国
立法例が見当たらない次第なのです。もちろん、何も外国になければ
立法できないということはありませず、外国をまねる必要はないのでありますから、
日本だけ、合理性に訴えて、必要があるならばどしどし
立法していいのでありまして、何もそれに
反対する
意味ではありません。
反対するわけではありませんが、どうも外国に既遂の点に例があって、未遂にその例がちょっと見当たらない。これはだんだん
考えてみますと、この罪は一種の侵奪罪という現実的結果の発生を必要とする罪でありますから、あるいはその現実的結果の発生がない未遂を処罰する合理的根拠はないと
考えられたのではないかと思うのであります。ただし右は別に
反対せんがための
反対をいたしているわけではないのでありまして、ただどうも不思議に思います点を指摘したにすぎません。
日本は未遂
立法が好きだから、
日本ではそれをどしどし取り上げていけばよいということでありますならば、これでよいのであります。
以上、私は今御提案になっております当局の
立法形式につきましては、むしろ
日本の基準としてはまだ
立法おそきに失したうらみがある。しかし、今からでも決しておそくないのでありますから、これは
立法されてしかるべきであり、決して無理ではないと信じている次第であります。しかも、そこには単なる
不動産に対する
不法占拠ではなく、相当にしぼりがかかっておりますので、人権を侵すことにはならないと思うのであります。それからまた、ただいまいただきました資料によれば、これを
立法してきたところが、既成の事実に遡及するものではない、刑罰不遡及の
原則に従って、将来に発生することあるべき悪質な侵奪、それのみを処罰するのだというように、趣旨が大体はっきりしておるようでありますから、これを
立法しても、別に
既往の不正事実についてとやかく言うわけではなく、人権擁護からいっても別に危険はないと思うのであります。
ただ一言、この
立法に際して御
参考にしておきますが、実際問題として、はたして侵奪となるかならないかということになりますと、すなわち本案に
規定しておる侵奪という
観念になるかならないかというきわどいところになりますと、その前提としてどうしてもあるいは賃貸借とか、売ったとか買ったとかが問題となり、これは
民事関係として、まず
民事的に
解決しなければ、はたして不法侵奪になるかならないかと判定がつかないということになりまして、実際問題としてなかなか見当がつかない場面も生じてくるのではないかと思うのであります。それはどういうことになるか私も見当がつきかねますが、おそらく、この
立法にやられておるのは、そういうややこしい
民事訴訟によって、はたして
権利があるかないかわからぬようなそういう場合は、多くは侵奪のうちに入れて
考えられない。個々の侵奪
行為は、
社会常識からいっても、何人が
考えてもこれはけしからぬというような、ちょうど
窃盗罪と同じように、客観的に、
不動産に対する一種の
利用価値侵奪、それの違法な
侵害、それが今日の
社会観念に訴えて明確な場合に限り適用を見ることと
考えている次第であります。
以上、私といたしましては、結論から申し上げますれば、今度の立案には全面的に
賛成であります。