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渡辺参考人 今
紹介にあずかりました東大の
渡辺です。しかし私
土地制度の問題につきましてずっと研究しておりましたものですから、この
不動産登記の問題もその一部分としまして、従来若干関心を持っていたわけです。それで、実はこの案はだいぶ前から
法務当局の方で準備されていたと思うわけですけれども、ちょうど一年くらい前に、大体その案を拝見しまして、かなり私は疑問に思ったものですから、前に
法律の雑誌に書いたことがあるわけですけれども、今度また出た案を拝見しますと、前の案とあまり違っていないような感じがするわけです。従って、私が疑問に思っている点は、今度の案でも解明されていないような気がするわけであります。そういうところから私が疑問に思っている点を簡単にお話しておきたいと思います。
実は根本的な問題といたしまして、
登記簿と
台帳、今二本の
帳簿になっているのを一本にするということは、それだけ見ると非常に便利なように思われるわけでありますけれども、よく深く突っ込んで考えてみると、その
考え方自体がどうも適当ではないのじゃないかということが、結論的に考えられるわけです。と申しますのは、この
台帳というものと
登記というものとは、全然
性格が違うものでありまして、
台帳制度というものは、これは沿革的に申しましても、
現状におきましても、これはむしろ
租税行政のために
土地家屋の物権、まあ
不動産を把握する。それを
目的にしていると思うわけであります。それに対して
不動産の
登記制度というのは、これは
皆さん方御専門でありますから当然御
承知だと思いますけれども、
国民の
権利の
保護ということを
国家がサービスするということの
制度だと思うわけであります。そういうことから申しまして、実はこれも御
承知の通り、
台帳が昔の
税務署所管から今日の
登記所所管に移るときに、
台帳というものは
性格が変わったのだ、従来は
課税台帳としての
意味であったけれども、現在はむしろ単に地籍、
家屋の
現状を把握するための
制度だというふうに普通は説明されているわけであります。これは観念的にはそう言えると思いますけれども、実際問題として考えれば、むしろやはり
登記所の
所管になる前後を問わず、一貫して
台帳というものはやはり
課税台帳としてのみ
意味があったのだというふうに考えるわけです。
そこで、たとえば今度の
登記の
一元化をなぜするかということの理論的な問題としまして、現在では
権利関係に関する
登記簿とその
客体である
現況の把握と、そういう
台帳とが二本に分かれているというのは非常に不便であるということが言われるわけです。しかし、その点になりますと、実はこういうふうに言えるのではないか、
登記というのは、やはり
任意申請主義の
建前をとっているわけであります。現在まで理解されている
登記制度というものは、
国民の方から
権利を
国家に守ってもらいたいという者が
登録税を払いまして、そうして
申請する。それによって
国家は
登録税を取りまして、その対価のサービスとして
対抗要件その他の
権利を守ってやる、こういう形になっているわけです。従って、いわゆる
国民の方から、
自分は
登記したくない、あるいは
自分の
権利を
国家に守ってもらう必要はない、そう考えている人にまで
登記を強制するということは、今の
登記制度の
建前としてはやっぱり望ましくないのではないかというふうに思うわけであります。そこで、
登記制度ということから申しますれば、
国家の責任というものは、
国民からそういう
希望が出た場合に、その
希望に応じて
権利関係を明確にし、その秩序に任するという
仕事をすればいいわけでありまして、
権利関係と
関係のない、そういう一般の
土地や
家屋を
国家が把握するという必要は、
登記制度からは出てこないだろうと思います。たとえば、かりに私が家を
一つ新築します。そして別に私は取引をするつもりはありませんし、さしあたって
登記の必要がない、そういう場合には、ほっておいたってかまわないはずでありまして、その新しく建てた家に対して、
国家がこれを押えてその
現況を把握するというのは一体どういう
理由があるのだろうかというと、これは
登記制度という
観点からは全然出てこないわけであります。もし出てくるとすれば、それはやはり
租税行政の問題として、
固定資産税がありますから、国は、
建物をつかまえて、それに
租税を課していくという
行政をしなければならない。その必要から、新しく建った
家屋に対して国がこれをつかまえる必要があるわけです。そういうわけで、これをもっと根本的に申しますと、結局
台帳制度というものを
登記所で扱う
必然性があるんだろうかということが、私にはどうしても理解できないわけです。つまり、
建物や
土地につきまして
国民の方から
権利の
申請があった場合に、
国家がそれに対していろいろ
保護をするということで十分なんじゃないか。それ以上に、つまり、今申しました新築の家をすぐに
国家がつかまえなければならないという道理はないんじゃないか。従いまして、今
台帳制度でやっておりますように、
申告の
義務を課しまして、
申告しなければ罰則を伴う、あるいは
職権で調べていく、そういうことをやるのは、どうも
登記制度とは全く
関係のないことでありまして、むしろ
登記制度の
建前から許されない問題であるわけです。従って、現在でも
台帳制度に対しまして、そういう強制的にこれを登録させるという
制度があることは、これは
登記制度としてはやはり全然理解できないわけで、
租税行政ということだけを考えて理解できる、こういうふうに思うわけですり。
そういうわけで、
登記制度と
台帳制度というものは根本的に
性格の違う
二つの
制度であるということを
前提として考えた場合に、これを一本の
帳簿に
形式上載せるということは、かえって複雑になりますし、また
国民の方から申しましても、たとえば、今度の案で申しますと、
不動産に関する
表示をしても、
権利の
対抗要件を発生しないということになるわけですし、同じ
登記簿の中に、単なる従来の
台帳に関する問題と、従来の
登記簿に関する問題と、
二つの全く違う問題が一本の
登記簿に載せられるということでどうもますます理解しにくくなり、複雑になる、そういうおそれがあるのじゃないかというふうに考えるわけです。こまかいことにつきましては、御
質問があればお答にしたいと思いますが、根本的な私の
一元化ということへの疑問は、そういう点のわけです。
そこで、なぜこの
一元化が出てくるかということで、
一つは理論的な問題を離れましても、
事務的な問題で、
国民の側から
申請が便利になるとか、あるいは
登記所職員の
事務が減るとかいうことが
一元化の
理由だと思いますけれども、その場合に、たとえば
申請人の側から見れば、はたしてどれだけ便利になるかということはかなり問題があるだろうと思います。今でも、たとい
一元化しても、
登記したくない場合にはただ
表示に関する
登記をするだけでありますから、
権利の
登記はまだ行なわれないわけでありますから、どうしても二重の
手続になる。たとえば、私が家を建てまして、そしてとりあえず
建物の
表示に関する
登記をします。しかし、
保存登記はしたくないから黙っています。その後、何年間かたって
保存登記をするということになるわけでありますから、いずれにしても、
登記したくない人にとっては二重の
手続が残るわけです。
登記のしたい人には今でも
併用申告の
制度がありますから、別に改正しなくとも同じようなものではないかというふうに思うわけであります。
それから、閲覧その他の問題につきましても、今
不動産登記簿と
台帳と
二つを同時に閲覧することは、実際にはあまり行なわれていないのじゃないか。と申しますのは、現在
不動産登記所の
台帳制度というものは、ほとんど
役割を果たしていないのが実情だろうと思います。むしろ、
市町村役場の
固定資産課税台帳を見て
現況を把握するという方が普通じゃないかと思います。この方が便利でありますし、またその方が正確に押えているということになるわけであります。実際から申しますと、やはり、
台帳制度というものは、
登記所にあるよりは
市町村役場に置かれた
課税台帳の方が
意味を持っているということだろうと思います。
それから、また
登記所職員の
事務が一本化によって非常に軽減されるということは、確かに現在の
制度を
前提とすれば、二本の
帳簿でやっていることを一本の
帳簿でできる形になりますから、便利になる点があると思うのです。しかし、私のさっきの根本的な
考え方からいうと、むしろ、
台帳制度は
登記所の任務の中に入れなくていいのじゃないか。これは
市町村役場の方がよく抑えるわけであります。そういうところでやって、
登記所というのはただ
権利関係を明確に把握する、そして
権利関係の
対象となるその限りで、
権利関係の
対象となる
土地や
家屋を明確に把握するということでいいのじゃないか。現在、たとえば
登記所が
台帳事務をやっておるために、さっき申した
権利関係と全く
関係のない、新しく建った家などを
登記所の
職員が押えなければならないということは実際できないわけでありますし、またわずかな
——東京あたりの区で申しますと、各区にせいぜい一人か二人の
台帳事務をやっている
職員がいるだけでありまして、その一人か二人の
職員で、毎年
一つの区に何千軒という新しい
家屋が建っていくわけですけれども、そういう
家屋を調べて登録させるなどということはできないわけであります。そういうことに
仕事を奪われるくらいなら、
登記をしたいといって
国民が
申請してきたその
土地と
家屋については、せめてちゃんと
実態調査をして、
現況を十分に把握するということの方に重点を置いた方がむしろいいのじゃないかというふうに思うわけであります。そういうわけで、私は、もちろん学者の
意見でありますからすぐにどうこうということはできないと思うのですけれども、理論的に考えましても、将来の
方向としては、
台帳制度を
登記所からはずしていくという
方向に行く方が、
登記制度のあり方としてはすっきりして、かつ実際にも便利である。そして、今のように
登記所の
仕事が
台帳事務に追われて、肝心の
登記事務が渋滞するということはだんだんなくなるのじゃないかというふうに考えているわけであります。
まあ、そのほかいろいろ問題があると思いますけれども、御
質問が出ましたら、またその中でお話ししたいと思います。