○神近
委員 ありがとうございます。それでは始めさせていただきます。問題は、もう非常に時間がたちましたから、あまり御記憶になっている方がないと思うのですけれ
ども、
昭和二十八年の十一月に徳島で起こりましたラジオ商の三枝何がしという方の殺害事件についてでございます。御承知の方もあるかもしれませんが、この事件では、内縁の妻の富士茂子という婦人が徳島地裁、高松高裁で判決を受けまして、十三年の刑に処せられておる。そして最高裁に上告したのを取り下げまして、和歌山でもう一年十カ月ほど服役している。この問題が非常におかしい。いろいろ問題になりますのは、
犯罪の確定に対しての証拠が非常に微弱でありまして、そしておもな証拠となったものは何人かの証人の証言であったのでございます。ところが、この加害者と判決された富士茂子は、もう一貫して
自分ではない、
自分はそういうことはやってはいないということを言い立てて、そして今日まで服罪したのは費用その他のことを
考えて服罪したのであって、決して
自分がその罰を認めたから服罪したのではないということを言い続けております。私は二十三年の十月にもこの
委員会で御質問申し上げたことがございます。きょうは御出席になっていない猪俣
委員も、昨年の二月と四月とにここで御質問になっているはずでございます。猪俣
委員がどういう現地の調査をし、いろいろ御調査になって、どういう点に最も関心をお持ちになったかはわかりませんが、私
どもはいろいろ文書を調査してみますと、どうも
検察の職権乱用の行き過ぎにあったんじゃないかという点が一番問題になっているのでございます。また私
どもにもそういうふうに受け取れる。無実の罪でこういう判決を受けて、十三年もの服役をしいられるという人の立場に、もしそれが事実であるとすれば、これはもう非常に気の毒な
状態ではないと思うのです。内縁の妻ということになっておりますので、法務
関係の方々は内縁とか、あるいは正式な妻だというようなことに非常におこだわりになるようですけれ
ども、実はこの人はもう十二才になる子供があって、夫との間に何かの事情でほんとうの妻に入籍ができなくていて、十年以上も連れ添うていれば、だれでもこれはわかることだと思うのです。
現実に生活をともにしている者が妻である。戸籍がどうなっていても、もう別居して十年以上という人は
他人のような感じになっているのですから、内縁の妻ということで非常に
検察官がこだわられたのではないかというようなことが
考えられる。これはもちろん警察の見込みとそれから
検察の見込みとが違っていたのです。警察はこれは外部から行なわれたという。それから
検察の方では内部から、さっき申し上げたように、その内縁の妻というふうなことにこだわられたんじゃないか。そういうふうなことから捜査が別途に行なわれて、そして外部からの加害者説というものがあまり重視されなかった。そういうところから問題が分かれてきているのですけれ
ども、万々一にもこの妻が加害者でなかったとすれば、これはもう助からないと思うのです。
自分の最愛の夫は殺されたわけです。そうして十カ月後には
自分が犯人と
考えられて、あるいは推測されて逮捕されて、そのまま十三年もの
懲役に処せられた。これは
考えようによっては女の一番悲しい災難が二つ振りかかってきている。私
どもそういうような事情を
考えると、何だか黙って見ていられないような気がするんです。中央でこそ問題にはなりません。中央の問題でないから……。けれ
ども、四国地方ではみんなこの問題では非常に関心を示して、一体
裁判というものはどういう性格のものかということで、この署名運動が起こり、あるいはいろいろな陳情が行なわれて、非常に問題になっているんです。第一番には、法務省の中の
人権擁護局でやはりこれは特例だそうですけれ
ども、現地の御調査があった。第二には日弁連の人権擁護審査会の人たちが現地に行って、また現地から証人を呼んで調査をされて、どうもいろいろ調べてみると、この証人に対する
検察の態度に職権乱用の傾きがある。そういうことで調査がしきりに行なわれた。それからもう
一つは、
あとで具体的に伺いますけれ
ども、
検察審査会の
委員がちゃんと答申しておるのです。条文による八人以上の議決証明をいたしまして、そうして十二人ですかが署名いたしまして、これは再審査をすべきだ、その材料になる
起訴をすべきだということを申し立てている。そういうふうなことが全部取り上げられないで一方的に証人の偽証でございましたというようなことは取り上げられないで、今徳島地裁で再審の申告をしておる。そういう段階です。もし徳島地裁また高松高裁におけるように、この申告を取り上げないということになったら、一体この人はどうしたらいいのか、私は
法律にはしろうとでございますけれ
ども、そういう不正が行なわれるということを許しておけないと思うのです。それで私は
自分の選挙区でも何でもございません、頼まれたのでもない。ただ、ほっておけない、これほど著しい人権じゅうりんが一体許されていいものかどうかということを
考えるので私はこの点からいろいろのことでお伺いしたいのです。一番重要なことは、この五人の証人が一度に第一審、第二審におけるわれわれの証言は偽証でございました。声をそろえて偽証だということを
自分で手記を書いて、そうして警察に自首して、あるいは
人権擁護局に、法務局ですか、そこへ出頭して、それを申し立てている。それをなぜ信用することができないか、そして相変わらず——この中の二人の証人というものは、
犯罪が行なわれたときには十七才の少年だったのです。それを私たちが前に問題にしたのは、不当な調べ方で威嚇したり、あるいは巧みに誘導したり、そういうことをして、この偽証をさしておいて、それが偽証でございましたということを言う段になっても、どうも私はそこらに皆さんのお
考え方が何を
考えていらっしゃるかわからないところが生まれてくると思うのです。それで逐次その問題について私はお尋ねしたいと思うのです。
三十三年の八月に法務省の中の
人権擁護局で御調査になっております。二人の人が派遣されまして、そうして私がここで質問申し上げたときにも、いろいろお
考えを伺ったのですけれ
ども、そのときの記憶を新しくするために、
人権擁護局に一、二お尋ねしてみたいと思います。このとき、特例だとおっしゃったのですけれ
ども、二人の人を徳島に御派遣になった。どういう動機で、あるいはどういうお
考えでその人員の派遣を御決定なさったのか、それを伺わしていただきたいのです。