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金丸(徳)
委員 そういう点で、いろいろとまた、せっかく
先生に手当が出たけれ
ども、そのために町村の
財政が苦しくなるのだというふうな因縁をつけられないようにしておかれることが大切のようにも思うのであります。
文部省の意図せられるところが現場までいく間に曲げられると、いうことは
言葉がいけないかもしれませんけれ
ども、いつか知らぬ間にぼやけてきてしまうという心配もあります。ことに平衡交付金、
財政支出の
基準というようなものは、ずいぶん長い間町村の事務をやっておる
人たちでもわからなくて、何だかごまかされておるかのように
考えたがるものでありますので、今度のことにつきましても、私はそういう点をぜひ御配慮願っておく必要があるんじゃないか、こう思うのでありますが、これはむしろお願いであります。
次に、大臣にお伺いをいたしたいのでありますが、大臣は一昨日日教組の幹部
諸君とお会いになりましたように新聞で承りました。大臣がいろいろお立場もあられるのにもかかわらず、非常な決意をもってこの挙に出られたことに対しましては、世間は非常に好評をもって迎えておるように、私は新聞及びラジオの解説等によって承ったのであります。最近の大臣のヒットではないかと、私は実は大臣に非常な親近感を持っております。といいますのは、私は
教育の全くしろうとで、大臣は、今はもうずいぶんとベテランになられたのでありますが、文部大臣に御就任する前まではしろうとであったかのように思うのであります。もとはしろうとという
意味におきまして私は非常な親近感を
感じたのであります。その大臣が、非常な大事な時期に、大事な問題について重大な決意をもってお当たりになられる様子を見せていただいたものですから、私はほんとうにこれはいいことだと思います。そういうことからして、非常に世間で心配をしておるところの、
教育界におけるこの重大な問題に
一つの解決のめどといいますか、雪解けがきますることを深く念願するものであります。
そこで私がしろうとなりに非常に心配をいたしておりましたことは、
学校の教師
諸君、ことに私
どもの年配から十年ばかり若くなる、その
程度の年令層の人々は、今
学校の校長なり教頭なり、その他教職の幹部の席におる
人たちでありますが、この
人たちが終戦後新しい
時代の
教育を担当することになって、はたで見る目も痛々しいほどの精神的肉体的苦労を重ねておる。といいますのは、これは私から申し上げるまでもございませんが、戦争前の、
教育勅語によって子供たちを教え込んできたということから百八十度転回しまして、新しい憲法、新しい
教育基本法によって子供たちを訓育することになった。そこでは大転換が行なわれ、この年令層の人々は、かつて自分たちが教えたことがうそであった、間違いであったのだ、今度のことがほんとうのものだということについては、ずいぶん苦労しただろうと思う。そして新しい
教育制度がしかれて、以来、月を積み年を経て五年、六年、ようやくにしてこの制度について、この国の
方針について確信を持って
教育に従事することになってきた。そうして非常に力強い、自主的な、張り合いのある
気持でいよいよ
教育に従事しかかったころに、残念ながら、世間の状態に、またしてもその基本にぐらつきが来たんではないかという心配を持たせるような
状況が出てきた。この年令層の人々は、またしても変えなければならぬのじゃないかという心配を持ち、非常な神経過敏になりつつ
教育のことに従事しているようであります。
そこで私は大臣にお伺いしたいのでありますが、ここ三、四年来世間で、たとえば
教育委員会法の改正でありまするとか、その他勤評の問題に現われているようないろいろなことが事象としては出て参った。そして、むしろ国定教科書というようなものにあこがれを持ったり、あるいはまたひどいのになりますと、もとの
教育勅語に一抹の郷愁を
感じたりする者さえも現われてくる。この
状況下におきまして、もう今の憲法なり
教育基本法の根本の精神は微動だもしないのだ、教員
諸君、安心してこの基本法を堅持してくれという、文部大臣としての確固たるお
考えなり
方針が現場の教員
諸君に伝わることが望ましいのであります。私がはたで心配しておるだけで、ほんとうのものはそうじゃないのだ、お前たちの心配はよけいな心配なんだ、そう言われればそれだけのことでありますが、どうもそこに、何かまた根本がぐらぐら動きかけてきておるのじゃないかという心配を持っておる者が、現に私
どもの友人にたくさんあるので、その点、確固不動である、微動だもしないのだという決意を
一つこの席で、一昨日の今日であります、承りたいと思います。