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田村公述人 お呼び出しを、受けましたのですが、御
審議に貢献し得るような陳述を行ないまする余地が一体残っておるかどうか、私非常に自分ではり疑っておるのでございますが、
国際法とか
外交史を
研究する一人といたしまして、
安保の必要性と、正当化の理由を簡単に申し上げさ、していただきたいのであります。
安保条約の
国際法上の構造は、これは新旧ともそうでございますが、集団的
自衛権というものを組織化したものであります。この権利は、
国連憲章の英文では固有の権利となっておりまするが、フランス語の正文では正当
防衛の自然権という文字が使ってあります。従って、自然法上の権利でありまして、実定法によって与えられた権利ではない。
国家として、
国家が生まれてくれば、それだけの事実で、だれから授けられることもなく、当然にその
国家に内在する権利である、こういう思想によって立案されておるのであります。従って、この権利は、人に譲ることもできませんければ、人から奪われることもない権利であります。それでありまするから、
日本が独立国であるということを否認しない限り、
日本がこの集団的自己
防衛権に基づいて、自分の選ぶ友邦と集団
安全保障条約というものを結ぶという権利を否認し得ないのであります。さればこそ、
日本が今の
国連憲章の規定でありまする国連に加盟しない前から、サンフランシスコ平和
条約でもこれが認められておりますし、このサンフランシスコ
条約に参加しませんでしたソ連も、日ソ共同宣言でこれを認めておる、こういうことが言えるのであります。
しからば、この集団的
自衛権というものの性格はどういうものであるか。これは学者の間でも議論もありますし、説も分かれておるのでありまするが、最も権威ある学者の説明によりますると、これは第一には、この集団的
自衛権というものを認めるということが、平和を維持する上におきまして、国際社会の全般的利益と終局的には一致するということが一つであります。それから第二の理由は、こういう集団的権利を認めなければ、ただ個別的の
自衛権だけでは、
世界を
支配せんとする一国または
国家群に対して、彼らがねらっておりまする犠牲者を一つずつ撃破していく門戸を開くものである、それだから、集団的
自衛権というけれども、これは個別的
自衛権というものを合理的に表現したものにほかならない、もしくは、非常に個別的な
自衛権を賢明にし、かつ、これを先を
見通したものにほかならないのだ、こういうのが学者の説明であります。
元来、この
自衛権という
制度は、あくまで例外的な規定でありまして、憲章の規定から申しましても、例外的な権利であります。でありますから、この憲章を起草した者の意図のように、現在の国連が機能を発揮しておってくれれば、かりにこういう権利を認めましても、それを実際に発動する場合というものは、きめて希有な場合でなければならぬはずであります。しかるに、御
承知のように、今日の国連は、いわゆる中枢機関でありまする
安保理事会というものが、麻痺されて、半身不随の
状態に陥っております。それがために、この例外的な
制度でありまする
自衛権というものが、かえって
原則的な
制度に化してきた。今日現実の問題といたしまして、
世界の平和を維持しておりまするものは、国連ではなくて、この集団的
自衛権に基づいて作られておる
NATOが中心であり、それに、あるいはSEATOとか、全米
相互援助条約というものがくっついております。わが
安保条約も、そのカデゴリーに入るものであるのであります。
ここで、今まで
日本でほとんどどなたもおっしゃってない、われわれの仲間でだれも言っていないことが一つあるのであります。しかも、
安保というものが必要であるということを理由づける大きなファクターが一つあるのであります。それは、かりに、国連がそれでは本然の姿を取り戻して、いわゆる憲章の起草者が意図したような機能を発揮し得る
状態になったといたしましても、なおかつ、現在の国連の
制度というものは、五大国の一つ一つに御
承知のように
拒否権というものを与えておりまして、五大国自身はもとよりでありますが、五大国が保護する小さな国が、どんな明々白々たる侵略行為をやりましても、絶対にこれが侵略行為にならないのであります。従って、彼らは国連から制裁を受けるということはない。第一次
世界大戦以後できました国際連盟が崩壊いたしましたのも、これはやはり大国の侵略でありまして、
日本、イタリア、ドイツ、それからロシヤという——ロシヤが一番しまいにやりまして、これは旧国連二十年間の歴史において唯一の追放された国であります。
日本がついに制裁を受けなかったということは、かえって不幸でありました。イタリアはごく部分的な制裁を受けた。ドイツはそれを見越して先に脱退した。
最後に残っておったロシヤがフィンランドを侵略して、これは国連から、初めてでありましたが、追放を受けたのであります。こういう大国の侵略であります。
現行制度のもとにおきましても、大国が侵略を始めましたら、これはもうどうすることもできないのであります。
それを裏づけるものがここに二つございます。その一つは、イギリス
政府が発表しておりますのですが、公式の
国連憲章の註釈書というものを発表しております。それの中にこういうことが書いてあるのです。「どんな
制度を作っても、大国の侵略行為を処理することはできない。国連が大国に対して強制行動をとることは、大
戦争を賭せざる限り不可能であること明瞭である。かかる事態に立ち至れば、国連がその
目的に失敗したときであって、各加盟国はおのおの最善と認める行動をとるほかない。しかし国連創設の趣旨は、大国が自発的に自己
制限を受諾することによって、かかる事態の発生を阻止することにあった。」とある。これがイギリス
政府が発表しました公式のものであります。これによりますと、大国が侵略を始めましたならば、国連では手に負えないということは、初めから、国連を作った当時からきまっておった。サンフランシスコの国連の制定会議では、
アメリカ政府はどういう
意見を出しておるかと申しますと、「大岡が侵略者になれば、
安保理事会は、
戦争を防止する力はない。その場合には固有の
自衛権が適用され、
世界各国は、おのがじし彼らが
戦争を行なうかいなかを決定しなければならない。」とあるのでありまして、われわれは、国連の全面的な保護のもとにありましても、なおかつ、
日本のような小国、弱国は、どこかの大岡の保護を受けなければ、大国がもし
日本に侵略した場合はどうすることもできないというのが、国連そのものの姿、ほんとうの姿であります。そういう
意味において、われわれがこれに対して、雨の降る前に用意しておくということは、けだし国を守っていく上からは当然ではないか、こういうふうに考えておるのでございます。現在の
安保条約は、
日本が敵国たる
地位を脱却する瞬間に、平和
条約と同時に結ばれた
関係上、
日本に全然発言権がない、降伏文書の継続たる性格を持っております。第一、その起草方法からも一方的でございまして、「何々することを得」「せねばならぬ」ということは一つも書いてありません。みな、「するを得」と書いてあります。向こう様がやれるように、ちょうどポツダム宣言と高じ書き方であります。そういうものを、これを
NATOとかSEATOというような、
世界的水準の
集団安全保障のパターンに引き直したものが今度の
条約でありまして、ごらんの
通り、比較をされれば一月瞭然でございまするが、全く同じ文字が使われておりますし、しかも、条文の配列までよく似てきておるのであります。従って、この大敗戦から完全に回復いたしました
日本の国際的
地位というものを、
アメリカが力強く、かつ公式に
承認したものが、今度の新
安保条約と言えるのであります。
いろいろな批判がございますが、私の今まで発見したうちで、ロンドン・タイムスが、一番公正にしてかつ気のきいた、実態を正しく、適切に説明しておると思います。それによりますと、「新
安保条約は、
占領以来、
日米間に残っていた不平等を一掃したものである。同
条約は、
日本の主権を
制限し、
日本人の矜恃を傷つけていたが、新
条約は、これらの点に関し、
アメリカ全面的に譲歩を行なっている。しかし、新
条約は、
日米間における
外交上、軍事上の同盟
関係には、何ら実質的変化をもたらしていない。」これは私は、最も気のきいた、性格を分析したものであるというふうに認めておるのであります。スタ—リンが、封鎖の飢餓戦術によって、西ベルリンを奪取せんとしたことが、
NATOを生んだ直接の原因であります。中共が、ホー・チミンを援助しまして、インドシナの共産化を企てたことが、SEATOを生んだ直接の原因であります。スターリンが、武力によって南北朝鮮の統一を企てたことが、
日米安保条約を生んだ直接の原因であります。だから、そういう
意味におきまして、この
安保条約は、
世界的規模において、国際共産勢力の侵略の可能性に対しまして、自由
世界の安全を
防衛せんとする使命を持っておる
意味におきましては、全く同一性格のものであります。だから、
日本を仮想敵国といたした中ソ同盟
条約と、朝鮮の侵略と、
日米安保条約というもの、この三つは、時間的にもそうでございまするが、その三者は不可分の因果
関係を構成しております。中ソ同盟
条約なく、朝鮮の侵略がなかったならば、
日米安保条約は生まれる必要はなかったのであります。これは正しい歴史の解釈であります。時間が多少ございまするので、私は消極的でありますが、この
安保に対するいろいろな批判がございますので、その批判をまた批判することによって、自分の賛成論の根拠にしたいと思います。それは、一番の大きなものは、
日本は、この
安保条約を結ぶことによって、
戦争に導くとか、
戦争に
日本が巻き込まれるという議論であります。
日本人の心理
状態に、
戦争の傷あとというものが非常に深いのでありまして、何でも
戦争に結びつけることによって、これはもうにしきの御族でありまして、
戦争と言われれば、もういかなることでもみんな帽子を取るというほど、
戦争というものが——この心理
状態をつかまえたのがソ連の
日本に対する工作でありまして、ソ連の
日本に対する心理
戦争のうちで、最も成功しておりますものは、この
戦争と核、兵器の脅威の問題であります。一体、
戦争といいますけれども、
戦争はだれとだれとの
戦争か、まず私どもは聞きたい。竹島を李承晩に取られても、じっと指をくわえており、公海における
日本人の生命、財産もよう守れないような弱い
日本が、幾らだれが考えても、ソ連や中共にいくさをしかけるなどということは、どんな言いがかりをする人でも、あえてできないだろうと思うのであります。そうすると、どういうことになるかと申しますると、これは結局
アメリカが、国際連合憲章を破ってソ連に
戦争をしかける、そうすると、
日本は
アメリカに
基地を貸しておると、ソ連から核兵器で
攻撃をされる、
戦争に巻き込まれて、核
攻撃を受ける、こういうことになるほかないわけであります。そういたしますと、ここで問題は、
アメリカがソ連を
攻撃する公算が多いか、逆に、ソ連が
アメリカを
攻撃する公算が多いか、そのどっちの公算が多いかという問題に帰着するのでございます。これは、ひとり
日本ばかりではございませんですよ。
アメリカと
条約を結んでおる国が、
日本以外に
世界に四十三ヵ国ありますが、この四十三ヵ国とも同じ問題にぶつかるので、これは
判断しなければなりらない、われわれとみんな同じ運命にありますから。イタリアにしても、フランスにしてもそうです。
アメリカがそういうことをやれば、みな同じような運命になるのでありますから、その
判断を何でするかと言えば、これはもう
判断の材料になるものは、両国の前科調べよりほかにないのであります。前科を調べるよりほかはない。その前科調べで、どちらの国が、いつどこの国に対して、どういう理由で、どういう条件のもとにいくさをしたかということを調べる。これは
外交史以外にはないのであります。
外交史を調べる。そこで
日本も含んで、そのほかに
世界に四十三ヵ国ありますが、その四十三ヵ国の国全部が、いずれも、ソ連さえいくさを始めてくれなければ、われわれはもう絶対に、永久にいくさに見舞われることはないという確信のもとに立っております。幸いに、フルシチョフ首相は、武力で共産主義を拡張しないとおっしゃっておられるので、はたしてそうであれば、このできた
安保条約も、これはもう過去においてそうでございますけれども、将来も長く伝家の宝刀として——これはひとり
安保条約でなく、
NATOもそうでございますが、これは伝家の宝刀といたしまして、さやにおさまったままこれを使わずに——これが一番大事なのであります。使わぬ、使うようなことがあってはいけない、そのまま
抑制力として残っていくということが期待されるのであります。これに関連しまして今も
猪木先生からもお話しになりましたが、これを結ぶと中ソ両国を刺激するというのです。それから、刺激したから報復を受ける、こういうことが反対論の一つなのでありますが、私はこれは逆にとるのでありまして、報復などされる、それだからこそ、われわれがこの
条約を結ばなければならぬ必要性を、むしろこれは言っておるものである。これも、
日本ばかりではございません。四十三ヵ国がみなそうであります。ちゃんと
アメリカと一緒に結んでおります。ほかのヨーロッパ、
アメリカの四十三ヵ国がソ連や中共を刺激せず、
日本ばかり、
日本の
条約だけがなぜ刺激するのかということが、まず問題なのであります。(拍手)それはやはり、ローマを滅ぼしたものはローマ人自身であって、北方の蛮族ではないという教訓であります。
日本の国内の分裂というものが、国際
政治においては、権力者がこれを利用しないのはうそでありまして、われわれも利用したのですから、あしたに呉佩孚をやり、夕べには段祺瑞を援助するということを、やるのであります。そういうようなことで、今ちょうどわれわれが対象になっておるのであります。大体刺激すると言うけれども、隣の国が戸締まりをする、けしからぬやつたといってこれを憤慨する者がありとするならば、その人はもし隣の人が戸締まりを怠ったならば、その家に忍び込もうとする意図を抱いているものといわざるを得ないのであります。(拍手)だから、
日本が自衛の措置をとることについて、もしどこかの国が刺激されるとするならば、その国は、もし
日本が自衛措置をとらなかったならば、
日本に侵略をしようという野心を持っておると言われても、しようがないのであります。(拍手)それでありますから、
安保条約を
破棄せよというようなことをおっしゃる国もありますが、そういう国は、
安保条約というものがあることが、非常にじゃまになる国なのであります。じゃまにならぬ国は、イギリスもフランスも言わないのですね。だから、これを言うものは、どうしても
日本に対して潜在的の侵略者である、こういわざるを得なくなるのであります。あと、一、二気のつきましたことを言いますと、今
猪木先生からおっしゃったので、ちょっと私は言うつもりはなかったのでありますが、この三条の規定でございます。三条の規定には二つの誤解があるのです。今その誤解を、
猪木先生自身がお開きになったのであります。その一つは、あの三条の規定によって、
日本が軍備を増強する
義務を負うたのだという誤解であります。これはソ連の覚書にもあります。それから第二の誤解は、あれによって、
自助と
相互援助ということがあるから、
日本がこれから
アメリカを武力で援助する
義務を負うたのだという、二つの誤解であります。これはいずれも誤解であります。何となれば、この条文は
NATOにもSEATOにもみんなあります。ところが、たとえば
NATOには、アイスランドという国が入っております。これは一兵、一艦、一機持っておらぬ、まる裸の国であります。同じ条文があれば、あの条文で
義務を負うということになれば、アイスランドも軍備を作らなくてはならぬ。それからまた、ルクセンブルグなどという国がありますが、こういうものが、軍備を増強したということをだれも聞かない。あの条文があるために、軍備を増強する
義務を負うたということは、だれも聞かない。
日本だけに、あの条文を、そう解釈される必要はない。
アメリカは、そういう解釈を迫ってこないと思う。もしそういうことをすれば、ほかの国にもそう言うはずなんです。ヨーロッパの国とかアジアの他の国にやりませんで、
日本ばかりに、そういうことを言えるはずはないのでありましょう。それから第二の誤解は、
相互援助というのは武力援助——
NATOに関する書物は非常に少ないのでございますけれども、私が読んだ限り、こういうことを書いております。あの条文、三条と四条と五条というのは、大体並んでおります。
NATOも、今度の
日本の
安保条約も、三つ並んでおります。初めは三条で、いわゆる
相互援助で、われわれが武力の抵抗に対する
能力を維持発展するということと、その次は
協議制度、それからいよいよ
武力攻撃があった場合、この三つが並んでおります。この三つを、学者はこういうふうに説明しております。三条の規定というものは、まだ非常に朗らかな晴天の日、何ら侵略などの模様のない時代に、きょうは晴天であるけれども、いつまた荒天がくるかわからぬので、あらかじめ用意しておかなければならぬ規定が三条であって、その次の第四条の
協議制度に及ぶのですが、これは天の一角に黒雲が現われて脅威がきそうだ、それがきたらどういう態度をとかかということを
協議するというのが、その次の
条項であります。それからいよいよ暴風雨がきたというのが、
日本で言えば第五条でありますが、そういうように配列がみな同じになっておる。
日本のは、
武力攻撃に対して抵抗
能力を維持、発展とございますが、それと同じ条文がほかにもあるのであります。そういう
意味であって、決してこれによって武力で
相手の国を助けるなんという——もしこれが第五条にありましたならば、
日本も武力で
アメリカを助けなければならぬということも言えるのでありましょう。特に非常に明らかなことは、琉球に
攻撃があった場合に、琉球の統治権は
アメリカが持っておりますから、これは
日本に対する
攻撃ではありませんで、
アメリカに対する
攻撃であります。そうすると、琉球を
日本が武力で援助することになれば、これはあるいは
日本の本土を
アメリカが援助するかわりに、
日本は、
アメリカの統治下にある琉球を援助するということになると、これは相互的になるかもしれません。それはないのですから——今度はそういう
義務を
日本は負うてないのですから、これをもっても
相互援助でないということがわかるのであります。それからいま一つ、私が絶えずよく聞かされておることであります。これはソ連の覚書にもございましたが、一体新
条約で、引き続いて
アメリカに
日本は軍事
基地を貸しておるが、それは
日本の主権を
アメリカに譲渡し、
日本人自身が、独立を
アメリカに差し上げたようなものだ、独立をすっかり失ったようなものだ、こういう非難がございます。これはいかにも子供だましの議論でございまして、イギリスには、六万の
アメリカの戦略爆撃機がおりまして、しかも、四つの大きな軍事
基地を持っております。そうしてしかも、原水爆を載せて毎日イギリスの上空を飛行しておる。この前の総選挙のときには、労働党から、あんなものをやめてくれというスロ—ガンまでありました。事それほどのことをやっておる。フランスには三カ所あります。イタリアには二カ所、スペインにも二カ所ある。こういう国が、主権を失ったとか独立を失ったというようなことを、だれも言いやしない。ところが、
日本だけそういうことを言う。どういうものか。こういうことも、まことに私は残念なことだというふうに考えるのであります。時間がございませんから、
最後には、
アメリカ研究の
世界的権威者でありますジェームズ・ブライスという人がありますが、この人が、
アメリカの
国民性の三大特色というものをあげております。その一つは
アメリカは自由を熱愛するということ。ある場合には、生命より自由を重んずる。提督ヘンリーの、われに自由を与えよ、しからずんば死を与えよという、この伝統が続いておって、大統領が軍にものを言う場合、それから
日本におりまする部隊長が、部下に言う場合の訓令というようなものを、われわれもよく読むことがありますが、それを見ますと、やはり決して愛国、国を守れというようなことを言わないのであります。お前らが犠牲を払って、命を捨ててくれという場合にも、国を守ってくれというようなことは決して言わないのであります。いつも言うことは、自由のために身をささげろ、こういうほど自由を熱愛しておる。第二の特色は、弱者に対する同情の非常に深いということであります。言いかえるならば、下敷きになった犬が立ち上がろうとするのを支持してやる、こういう念が非常に強いということであります。これも、われわれはやっぱりいろいろな体験を、したこともありますが、目撃することが多いので、われわれ自身もこういうことを皆さんとともに感じているのでありましょう。第三は、
国際法を尊重する。これは私は自分の教科書にも書くのでありますが、
国際法を尊重するということは、
条約を守るということであります。私ども、こうして非常に弱くなり、小さくなった国でありますから、弱い者いじめをするよりも、弱い者に同情してくれる国と運命をともにしたい。それから、
条約を破る国よりも、
条約を守ってくれる国とわれわれは生存をともにしていきたい。でありますが、私が最も高く評価しておりますのは、むしろ、そのことじゃなくて、一番初めの自由であります。われわれは、あくまで言論の自由が行なわれ、
政府を批判する自由が許され、職業を選択する自由が許され、ストライキをやり、デモをやる自由が許されるような国、いつまでもそういう国になっておりたいのであります。すなわち、
日本の
憲法に書いてありますように、人類多年の努力の成果でありますのですが、この努力の成果を投げ捨てて、またもとのような自由のない国に戻るということは、絶対にわれわれは避けねばならぬ。その
意味におきまして、自由の国と手をつないでこの国の生存を維持していこう、そういう
意味におきまして、私はこの
条約を支持するものでございます。(拍手)