○
椎熊委員 私ども大阪市に派遣せられました
委員は、十五日午前九時の飛行便で、ほとんど大部分が現地に到着いたしました。飛行機からおりまして、飛行場におきまして直ちに全体の
委員の
会議を開きまして、傍聴人の制限その他会場の設備等について
意見の交換をいたしました。ほとんど
意見が合致いたしまして、当初、現地に立つ前には、傍聴人の制限を約五十人と決定しておりましたが、会場の変更等によって余地のあることが知れましたので、各党合意の上、傍聴人を百人に増加することに決定したのでございます。かくて、十六日午前十時五分から
会議を開くごとにいたしました。
ただいま、これから御
報告を申し上げる私の
報告の内容は、
報告書作成の後、社会党並びに民社党の派遣せられた
委員の方に閲覧を願いまして御同意を得たのでありまして、私の個人的
報告ではございません。派遣されたる十名の
委員全体の
報告であると御了承を願いたい。
第二班の大阪市における
意見聴取の結果につきまして、以下、御
報告申し上げます。
会議は、午前十時五分より大阪府
会議事堂において行なわれ、私より
班員及び
意見陳述者を
紹介し、さらに、
会議開催の遡行及び議事について
説明した後、京都大学名誉教授田岡良一君、大阪大学教授大渕仁右衛門君、立命館大学総長末川博君、京都大学教授田畑茂二郎君、以上、四名の
意見を聴取し、
質疑を行なったのであります。以下、各
陳述の順にその要旨を御
報告申し上げます。
まず、田岡教授は、
現行安保条約と比較すれば、新
安保条約の方がはるかによい。私は、
現行安保条約が
締結されたとき、この
条約が永久的なもので、一方的廃棄は不可能であることに不満であったが、できてしまった現在、少しでもよくなる
改善には賛成すべきだ。新
安保条約について特に考えなければならぬことは、新しい
条約の
締結ではなくて、現在あるものを
改定しようとしておることであります。新旧いずれがよいかを考えるべきで、孤立主義をとった
日本としては次善の方法である。対立する一方の陣営と結ぶことは危険であるという議論は、旧
安保条約の
反対としては正しくとも、新
安保条約の
反対としてはおかしい議論である。
改定反対論者は、
安保条約の
反対論で、これでは、いつまでたっても解決はつかないのである。新
条約でよくなった点は、
事前協議と
期限をつけたことである。
条約を
締結することは、国内法律を作ることは全く事情を異にするのであって、ギブ・アンド・テイクが常道である。
条約の一部を見れば気に入らない点があっても、
政府が最善を尽くせば、全体としてはこれを結ぶ方がよいのであって、新しく結ぶ場合と
改定の場合とではおのずから異なるべきである。
次いで、末川総長は、御自分の
意見を開陳せられる前に、この会合についての見解を述べられまして、自分はたびたび
公聴会等に出席したことがあるが、
政府並びに
国会は、われわれ
陳述者の
意見を採用したためしはない。単に、形式を整えるだけでこのようなことをするということは無意味ではないだろうか、そういう御
意見であって、そういうのには応じたくないのだという考え方のようであります。私は、班長として、われわれが今回参りましたことは、学識経験のあるりっぱな方々の
意見を案件判断の参考として重要視しておるのであって、決して形式的に参ったのではないということを私から申し上げまして、御了解を得ました。
そこで末川総長は、
安保
改定は国の運命を決する大問題であるから、慎重に
審議を尽くし、場合によっては
国会を解散し、または
国民投票をして
国民の総意を問うべきである。
現行の
安保条約には
反対であるが、これを
改定するにあたっては、いつ、だれが、どういう方向でやるかということが問題である。いつとは、東西首脳会談が開かれている現在やるべき時期ではない。だれがというのは、国内的、
国際的に最も信頼できる人がやるべきである。どの方向とは、不平等でなく、従属的でなく、しかも、
日本の平和
憲法に合致した方向ということである。新
安保条約の三条、五条、六条等は、
防衛能力を増進する
軍事同盟的であり、
米軍に
基地を認めて十年間も有効である
条約を結ぶことは、
日本国民の望む方向ではない。
日本の
憲法第九条は最も尊重すべきであるのに、いろいろ解釈が変わり、今日では、抜本的な解釈がなされ、
軍隊まで持つに至り、新
条約では、さらに
軍備を増強しようとしている。
日本に
米軍の
基地がなければ
戦争に巻き込まれない。交換公文で
戦闘作戦行動は
事前協議となっているが、今のボタン
戦争の時代に、ノーと言えばよいというような簡単なものではない。
政府は善意と信頼によると言っているが、アメリカを疑うわけではないが、U2機の例もあり、安心できない。大東亜
戦争における学徒出陣の悲惨は再び繰り返してはならない。これは、当時の為政者が
世界情勢の判断を誤ったからである。核兵器ができ、人工衛星が飛ぶ今日においては、もはや
戦争はできないというのが
世界の常識である。この正しい認識を妨げているのは、
軍需産業に金力と権力が結びついて、一もうけしようとしている人達がいるということである。
日本は平和産業によって生きていくべきで、
日米運命共同体など作るべきでない。さらに、中華人民共和国がこの十年間大きく伸びてきた事実を見のがしてはならない。日中
関係の
改善についてもっと真剣に考え、
日本はアジアの一員として隣国中国と手を結んでいくべきである。
次いで、大渕教授は、法律学的見解を述べると前提して、
この
条約は、集団的安全
保障を前提とする集団的
自衛を
規定している。集団的安全
保障は、第一に、その規範的原則と、これに基づく行動とを示すものである。本
条約は、各条がこれら
二つの要素からなっている。従って、本
条約を考えるにあたっては、行動面に関する
規定と規範面に関する
規定とは一体不可分のものとして
理解しなければならない。
集団安全保障とは、多数の国家が合意によって安全の
保障を共同の任務とする際に名づけられるものである。
集団安全保障は、現在の
国際社会の趨勢であり、
国際連合がこの代表的なものである。本
条約は、
日米両国がこのワク内において特別なつながりを持つことを
規定している。このゆえに、本
条約は、従来の同盟
条約とは全く異なるものである。
わが国の
憲法は
自衛権を否定するものではない。もし、
自衛権を否定するとすれば、それは自国家を否定することになる。本
条約は、この
自衛権の行使、しかも、
集団自衛権の行使を
規定するものである限り、
わが国の
憲法に違反するものではない。さらに、第六条により、
米軍が
わが国に駐留することは戦力の保持になり、
憲法に違反するとの説があるが、
憲法にいう戦力は、
わが国の陸、海、空軍のことであって、駐留策は、
わが国の意思で動かすことができないので、
わが国の力を表現するものではなく、違憲とは言い得ない。しかし、
米軍の行動を無制限に許すならば、不測の影響を及ぼすことがあるので、これを防止するために、交換公文に
事前協議が取り上げられたのである。これは本
条約の特色であって、
現行の
安全保障条約と比較して大きな利点と認められるのである。もし、本
条約が成立しないときは、
現行条約はそのまま効力を保持し、この
条約が存在する限り、
米軍を制御する何らの方法がないのであって、この点深く考うべきことである。また、この
条約を、成立せしめないことが、同時に、
現行条約を消滅させるものでなく、
米国の合意のない限り、
現行条約は現存することに深く思いをいたすべきである。
次いで、田畑教授より、
現行安保条約は占領下に
締結せられたもので、
日本側の自由な意思が表明できなかったため、
極東の安全のため、
日本の当地から
米軍が出動できて
日本に不利であり、しかも、
米国が承知しなければ永久に解消できないので、これを
改定することは賛成であるが、新
安保条約は、
改定の名のもとに、
相互援助
条約になっていて、
基地の提供以外に、
日本における
米軍の
基地防衛の義務が生じ、このため、中ソ両国を刺激すること大であり、中国との国交調整に大きな障害を与えることとなった。かつてダレスは、旧
安保条約について、バンデンバーグの決議によって相手方も
米国を援助するだけの力が必要で、将来は、
日本がサービスする
相互安全保障条約を結びたいと言った。
現行条約では、
日本に
米国の
防衛義務を負わしていないが、新
条約では、三条で自助と互援助を
規定し、さらに、五条で
日本領域内の
米軍基地防衛の義務を負わせている。また、
米軍基地が攻撃された場合に、
日本は
自衛権を発動して
軍事行動を起こすが、これを個別的
自衛権の範囲で
説明できるか、
国際法上はなはだ疑わしいところである。さらに、
米軍の駐留は、六条により、
極東の平和と安全に寄与するという別の目的があることも無視できない。
米国は、韓国、中華民国との間に
相互防衛条約を結んでいるので、
日本が
米国に
基地を提供することは、韓国や中華民国の
防衛のため、
日本から
米軍が出動することもあり得るので、この場合、
日本は
国際法上交戦
区域とみなされ、
日本も、
戦争に巻き込まれるおそれが多分にある。また、交換公文にある
事前協議でも、
軍事行動が緊急を要する場合には、
日本はノーと言い得ても、効果的に発動できるか大きに疑わしい。突発的な問題に対してはノーと言えないのではないか。
最後に、
条約の
期限であるが、ミサイルの発達の結果、
米国内にも前進
基地撤廃諭が出ているので、
日本基地の撤廃も不可能ではない今日、十年としたことは、はたして妥当であるか疑問である。
との
陳述があったのでございます。
以上で午前の
会議を閉じ、午後は、一時半から
会議再開の予定でございましたが、議場に入らんとする班長たる私に、総評幹部と称する人々並びに学生のデモ隊の一部と称する人々が、多数私の身辺を取り巻いて入場を拒否せられました。その問題を解決するためにかなり時間を要しまして、おくれまして三時四分から再開いたしました。しかし、私の身辺には別段危害を加えられたわけではございませんし、開催が一時間半ほどおくれたというだけでございます。
それより再開後、各
班員から
陳述者に対し熱心なる
質疑を行ないました。自由民主党からは床次君、服部君、社会党からは
松本君、飛鳥田君、
戸叶君、民社党からは堤ツルヨ君、以上の方々は、ごく簡単でありましたが、要点をとらえて熱心なる質問をせられまして、それぞれ
陳述者より
答弁がございました。よって、予定の行動は一切終了いたしまして、四時四十分、無事に散会することができた次第でございます。
以上、
報告申し上げます。(拍手)