○
石橋(政)
委員 それじゃ、時間のことも申しておりますから、私、最後に
一つお尋ねして終わりたいと思います。
いろいろ申し上げたいことはたくさんありますけれ
ども、今申し上げたように、審議に協力する
意味で結論から先に申し上げます。というのは、今度の新安保
条約、これは
日米相互信頼の上に立って結ばれておる、こうおっしゃっております。いろいろと、ここが
改正されたんだ、ここが
改正されたんだ、よくなったんだとおっしゃるが、私
どもの目から見れば、少しもよくなってないじゃないかということを昨日来私は言って参りました。しかし、とにかくあなた方の
立場で、よくなっていると申しております一番大きな柱として、私は
事前協議制の採用ということをあげざるを得ないと思う。これは、
アメリカが日本防衛の義務を、負ったんだというようなことも、あなた方の
立場としては入るかもしれませんが、一般国民的な関心の目から判断しましても、この
事前協議制というものについて、非常に大きなウエートが私はあると思う。しかし、過去のいろいろな質疑を通じて明らかになっているのは、この
事前協議制というのがにしきの御旗で、これですべて日本に都合のいいようにチェックできるというようなお話でございますが、その前提には、
アメリカというものは絶対に信頼できるんだという、こういう確信がなければ通用しないような御答弁、
説明が非常に多かったと思います。
アメリカの方から、先に事前協議の対象として議題を持ち込んでこなければ、どうにもならぬような問題がたくさんございます。これは御記憶に新ただと思う。そうしますと、
アメリカは絶対に間違ったことをしない、国連憲章に反することもないし、
条約に違反することもない、した約束は必ず守る、それこそ、正義のかたまりみたいなものだという前提がなければ通用しない部面が占めていると思う。それこそ、正義の味方といいますか、何か子供の歌にもあるようですか、そういうものが
アメリカである。
アメリカは絶対に信頼してもいいんだという前提がくずれたら、私はこの新安保
条約も成り立たない、こう思うわけです。ところが、
アメリカが、しからば、そんなに
条約に忠実であり、日本の
政府、日本の国民の信頼を裏切ってないか。私は
一つの例をあげてみたいと思う。
これは朝鮮動乱の際に、
現行安保条約のもとにおいて、
アメリカが国内においてやった行為であります。どういうことかといいますと、日本人の手をかりて、日本人だけで私設日本海軍を編成して、そしてこの戦乱に巻き込ませておるということです。時期は、朝鮮動乱の後期であります。当時、この計画に携わったのはCIAでございます。どういう目標をこの私設海軍に与えたかと申しますと、支那大陸沿岸で、中共から北鮮に対する物資補給を目的とする中共側船舶の航行の阻止、諜報並びにその取り締まり及び米国情報局員を支那大陸に揚陸、潜入せしめるため武装船の準備、これに要する日本人隊員を乗船せしめて出動すること、こういう目標を授けております。当時のCIAのこの計画に携わりました担当者は、ロバート氏であります。
具体的にどのような、計画が行なわれ、どのように遂行されたかと申しますと、最初に、おもな幹部を人選いたしまして、これに約一週間、神奈川県茅ケ崎で、秘密裏に武器操作の訓練を施しております。
なお、これが編成されまして、貸与されました武器は、五十七ミリ無反動砲三門、弾丸三百発、五十口径M二型重銃身ブローニング機関銃三門、弾丸三千発、三十口径M一型ブローニング機関銃三門、弾丸三千発、携帯用機関銃八門、弾丸三千発、カービン自動小銃十五丁、弾丸三千発、拳銃十五丁、弾丸二千発、そのほか信号用拳銃三、C四爆薬二十ポンド、手留弾四十八、雷管及び導火線各種、乗組員は、旧日本帝国海軍の将校、下士官がほとんどであります。指揮官は沢出久水という男、編成も全部わかっております。
具体的に、第一次に出動いたしましたのは、
昭和二十七年十二月十日、佐世保市の相浦港から出港いたしております。そうして最初の交戦をやりましたのが十二月の十三日、上海沖沿岸において、中共警備艇二隻と交戦をやっております。当時の記録フィルムはCIAに引き渡し済み。この際私設日本海軍の損害、死亡者一名——重傷後死亡でありますが、橋本三好という男、佐世保市の早岐町に住んでおりました。それから一人、全治二週間の傷を負っております。私はこの人にも会いましたが、
西村勉といいます。当時の海難報告書は、
昭和二十七年十二月十七日付、魚をとりに行ったら中共艦からやられたというような、うその報告書が、九州海運局佐世保港湾管
理事務所あてに出されております。私はこれを、そのものを持っております。その当時の新聞記事にも、この届出に基づく報道がなされております。これが当時の届出書、海難船員死亡報告書であります。それから、これが当時の新聞の記事であります。
以後、第二次から第六次出動までやっております。いずれも日本から出ておる。佐世保の港から出ておる。
昭和二十八年の三月まで、第六次まで行動いたしております。そのときに、なぜやめたかといいますと、当時中共からの引き揚げ問題が出て参りまして、これ以上中共を刺激するのはどうもよろしくないというので、解散命令が出たという報告が出ております。そうして、
昭和二十八年三月下旬、武器の返還が行なわれました。この返還を行ないましたのも、国内の板付であります。CIAの飛行機と本人たちは言っておりますが、どんな飛行機たったかというと、この間から問題になっております、まっ黒なジェット機だと言っております。これに積み込みをいたしまして、返納したということが報告されております。
ほかにも資料がたくさんございますが、こういう事件が、新安保
条約の
締結下、行政協定のもとにおいて、堂々と国内において行なわれておる。訓練も国内で行なわれておる。日本人だけで編成しておる。しかも、その編成にあたっては、当時の海運局の
関係者、これが人選に携わっておる。武器を貸与したのも、返却したのも国内、出動しておるのも佐世保の港から。一体こういうことが、日本
政府の了解なしに、堂々と国内においてできるものだろうか。もし協力も暗黙の了解もしておらないというならば、
アメリカは、それこそ
条約、協定を無視して、このようなことになったということにもなる。私は、この日本
政府、
日本国民の信頼を裏切る米軍の行動が事実であるかどうかということを、早急に日本
政府が責任を持って調査していただきたいと思います。そうすることによって、私は、岸内閣が中国敵視政策をとるものではないという、この立証をしてもらいたい。調査をして、事実であるならば、率直に中国にあやまってもらいたいし、また、
アメリカ一辺倒でない、
アメリカの言うことなら、何でもうんうんと言うのじゃないとおっしゃるならば、これまた、その証拠として事実を調べて、厳重なる抗議を、
アメリカ政府に申し入れをしてもらいたいと私は思う。中国敵視政策をとるものでない。
アメリカ隷属、
アメリカ一辺倒じゃないという、この
二つを証明するいい機会だと思います。一種の踏み絵と私は思いたい。この踏み絵を踏むかどうか、私はこれによって立証してもらいたいと思います。私も、この問題は非常に影響が大きいので、だいぶん苦慮いたしました。しかし、ここにおいて決意をいたしました。やはり、もしあやまちがあるとするならば、堂々とこれは事実を突き詰める必要がある。当人たちにも私は納得してもらっております。中国に対しても、もしこれが事実であるならば、この人たちも、やったことが間違いであるということを今認めておるわけですから、心から私もともにあやまりたいと思っております。どうか善意をもって、真剣にこの事件の調査をやっていただきたいということを申し上げます。いかがでございますか。