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穗積委員 そうなりますと、これは私から申し上げるまでもありません、新
安保条約の生みの親である前
アメリカ国務長官ダレス、この人が当時の回想として、ここに「ウオー・オア・ピース」という回想録を出している。これはごらんになっていると思いますが、この中で、この五十一条の生まれてくる過程とその性格を明確にしておるわけですね。今度の
——新
安保条約は、今の国連憲章の今高橋さんがおっしゃったように、
武力行使の場合は
安保理事会の許可と監督下に置く、これを根本的な原則とするというのに対して、五十一条が、何といいますか、私生児的に、または国連憲章を、ややともいたしますると鬼の子となってこれをくつがえすような例外規定として生まれてきた。その間のことがここに
——私が勝手に解釈するのではなくて、新
安保条約の生みの親であるダレスさんが、こういうふうにちゃんとこの書物の中で当時を回想して書いておるわけですから、ちょっと参考のために、
岸総理にもお聞き取りいただきたいと思うのです。五十一条が一体国連憲章の中においてどういう
地位を占むるべきものであるか将来われわれはこの五十一条に対してどういう
態度をもって臨むべきであるか、五十三条はこれの廃棄を
要求する、廃棄をすることが、中ソ
友好同盟
条約をなくする
条約上の基礎になるんだといって、強く五十三条後段の廃棄を主張されておりますけれ
ども、それにひっくり返って、新
安保条約の、または米韓、米比、米台
条約の国連憲章内における唯一のよりどころとなっている五十一条は、一体どういうふうにして生まれてき、どういう性格のものであるか。ダレス氏はこういうふうに言っております。「ダンバートン・オークス
——ヤルタ方式とチャプルテペック方式の矛盾」、これは南
アメリカを含む全米、今の全米軍事
機構ですね。「方式の矛盾は、サンフランシスコ
会議が行われている最中に」、すなわち、この国連憲章の起草
会議が行なわれておる最中に、「はじめてよく分った。ラテン・
アメリカ代表との連絡を主として担当していたネルソン・ロックフェラー氏によってそれが指摘された。」そこで、そうなるというと、すべて国連憲章の、
安保理事会の監督、許可がなければ
武力行為がとれ」ない、または個別的な軍事
条約の
発動ができないということになると、これは大へんなことになったというので、
アメリカがびっくりした。そこで、今認められました三つの場合以上に、
武力行為を行ない得る道を作らなければならない、抜け穴を作らなければならぬというので、五十一条が出てくる過程がここによく書いてある。この国連憲章制定
会議でこれが問題として提起されたときに、
アメリカ代表の中でもこれに反対する
意見が相当強くあったわけですね。それをダレス氏はこういうふうに明確に言っている。この複雑な問題に対して、
アメリカ代表団の一部に、「合衆国は安全保障
理事会の規則にこれ以上の除外例を挿入すべきではないと
考える者がいたことであった。」これははっきり言っておる。どういう理由でこの五十一条を
——後の五十一条です、これを作ってはいけないと言ったかというと、そういうことを主張した彼らは、すなわち、
アメリカ代表の一部は、「もしダンバートン・オークス及びヤルタ提案がこれ以上たがをゆるめられて、独立した地方的の強制行動を許すようになれば、」すなわち、今度の
日米安保条約もそうです。「許すようになれば、
国際連合という世界
機構は、ついに、有力な存在とはなり得ないであろうし、世界は小国群によって囲まれた大国の勢力範囲に分割されてしまい、」すなわち、帝国主義的な分割にあい、この大国の御都合主義の、すなわち単独の、国連憲章五十二条の精神によらざる紛争を起こす、または
仮想敵国視されている国を含まない、それを
仮想敵国として外に出してやる、この軍事協定が、国連の安全保障
理事会の許可も監督もなしに一方的に
発動することによって、大国の勢力範囲に分割されてしまうと、的確に言っております。「これらの地域的集団は武装した陣営のようなものになって行き、全世界的な秩序の可能性は消え失せてしまうであろう」という強い反対をした。そこで、この制定
会議における
アメリカ代表団は、まとまった
意見に統一することができなくて、その賛成、反対の両
意見をそのままトルーマン大統領に出して、大統領の裁決を仰いだ。その結果、トルーマンは、ついに冷戦
政策に踏み切って、そしてこの例外規定を設けることを主張したために、今問題になっている、新
安保条約に援用され、米比、米韓、米台
条約に援用されている、この五十三条と対比する五十一条というものが生まれてきたわけです。これが生まれてきたときにダレスは、みずからほくそえんで、こう言っている。すなわち、個別的かつ集団的
自衛権というものが固有にあるんだ、それは安全保障
理事会の監督を排除して、自由にこれが
発動できるんだということを、五十一条を挿入して戦い取り得たときに、彼はこう言っている。「第五十一条の方式は、サンフランシスコ
会議で正式に採用され、ここに、「集団的自衛」の可能性
——測り知ることのできない価値のある可能性
——が生れたのである。」と、ほくそえんでおるのです。従って、これらの過程から見ましても、われわれの曲解でなく、明瞭なことは、五十一条の規定というのは、今、高橋
条約局長が外務省を代表して認められた
——終戦後の各国の
武力行為と行動というものは、国連憲章四十二条または五十一条前段、これに従って行なわるるのを原則とする。従って、五十一条というものは例外規定である。五十三条後段の旧敵国に対するあれも、暫定的かつ例外的規定です。同様に、五十一条も、また例外規定としてわれわれは解釈しなければならない、こういうふうに解釈すべきだと思いますが、その点についての外務当局のお
考えを伺っておきたいと思います。