○保科
委員 私は、本安保
委員会の
審議が始まってから、社会党、民社党
委員諸君の質問に終始熱心に耳を傾けて参りました。ところが、その
国際情勢に対する
見方があまりにも事実と違っておるものがある、しかも一方に偏しておる、特に、
条約に対する不安、不信感を醸成せんがために、わざとそういうようなことを言っておるように見える節もあるのであります。私は、これらの点に対して非常に遺憾に
考えておるものであります。よって、私は、今から、史実に立脚いたしまして、詳細にこの
世界の
情勢に関する安全保障機構が、どうできたかというような経緯をここに述べまして、これらの点に対して、あらためて
総理並びに
防衛庁
長官、外務大臣の所見をお伺いいたしたいと思います。
ただいま
世界に現存しておる安全保障機構は、御
承知の
通り、西欧にはNATOがあり、中近東にはCENTOがあり、東南アジアにはSEATOがあり、南太平洋にはANZUS
安全保障条約がある。その他、
日本、韓国、台湾あるいはフィリピンはそれぞれ
アメリカとの間に
防衛あるいは
安全保障条約があるのであります。なお、米国全体にわたって米州安全保障機構があることは、御
承知の
通りであります。これらの機構は、一九四五年の六月に
国際連合憲章が発効いたしまして、国際連盟にかわって第二次
世界大戦後の平和護持機構を作るということでできましたことは、御
承知の
通りでありますが、その後、この
国際連合憲章を守らずにいろんなことが行なわれたために、こういうような安全保障機構を作って、われわれ自由
世界のものが民主自由主義を守らなくてはならぬということになったのが、その実態であります。ただこれだけを申し上げたのでは抽象論になりますから、若干これを敷衍いたしまして、私は申し述べてみたいと思います。
一九四五年の八月に、終戦とともに日独両国の軍隊の解体、経済機構の解体、教育革命等が行なわれたことは、御
承知の
通りであります。当時、
アメリカは一千三百万の軍隊を持っておりました。ソ連邦は一千万の軍隊を持っておったのであります。そうして、この
国際連合憲章に従って、お互いに縮小するということにいたしまして、
アメリカが先頭を切って急遽解員をいたしました。ところが、ソ連は東欧、中近東等に兵を出しておりましたが、その撤兵を求めましたけれ
ども、これに応じません。かえってプロシャ、チェコの一部を併合いたしました。また、千島、南樺太を併合し、さらに東ドイツ、北朝鮮を赤化して、衛星国の建設に取りかかったわけであります。さらに一九四六年に入りまして、ソ連はアフガニスタンの一部を併合いたしまして、モンゴル、アルバニア、ブルガリアを、赤化して、これを、衛星国にいたしました。ソ連邦は、中近東における戦時駐兵を、
約束通り実行いたしません。そこで一九四六年の三月に、
アメリカは、従来の伝統を捨てて、トルーマン・ドクトリンというものを宣言いたしまして、これらの国の共産化を、防止して、自由民主主義擁護のために厳重抗議をいたしまして、ソ連は、兵を中近東からついに撤兵することになったのであります。こういう
情勢のもとに、一九四七年の九月に、全米州を赤化より守るためにできたのが、全米相互援助
条約であります。それから一九四八年の二月に、チェコが赤化されまして、ソ連の衛星国となりました。一九四八年の四月に、ソ連の強引なるベルリン封鎖が始まりまして、ここで、米国並びに西欧諸国は一致結束して、航空輸送力を動員して、ついに一九四九年の五月には一日に一万二千トンに及ぶ物資の輸送に成功いたしまして、ついに西ベルリンの市民の
生活を保障いたしましたことは、御
承知の
通りであります。こういう
情勢にかんがみまして、一九四九年の四月にNATOができたのでございます。そうして一致結束して民主主義、自由、法の支配の諸原則を擁護することを誓ったのが、すなわちNATOの結成でございます。それから一九四九年の九月に、蒋介石
政府が中国より追われまして、中共政権が成立いたしました。いわゆる中共、ソ連の衛星国がここにできました。それから一九四九年の十月に東独共産
政府ができまして、またソ連の衛星国ができました。一九五〇年の二月に、
先ほど来しばしば出ております、中ソ両国が、
日本及び
日本と連合する国を目標とする中ソ友好同盟
条約というものができました。さらに六月になって
アメリカの地上軍が韓国から撤退するや、北鮮軍が、中共軍の支援のもとに国境を越えて韓国に侵入して、ここに朝鮮
戦争になったのであります。そこで一九五一年八月には、米比相互
防衛条約ができました。さらに、一九五一年の九月になって、
先ほど申し上げましたANZUS
安全保障条約ができ、さらに、五一年の九月に、
日本と連合国との講和が成立して、同時に、当時の状況にかんがみて、現在あります日米
安全保障条約ができたことは、これまた御
承知の
通りであります。それから五二年の十一月になって、
アメリカが水爆の実験に成功いたしました。五三年の一月にはアイゼンハワー大統領が就任をする。五三年の三月にはスターリンが逝去をいたしました。こういう目まぐるしい
国際情勢の急変に応じまして、五三年の七月に朝鮮休戦ができたのでございます。そうして、さらに五三年の八月には、ソ連の水爆実験が成功いたしました。こういう
情勢のもとに、五三年の十月に米韓相互
防衛条約ができたのであります。さらに五四年の四月には、北ベトナムのディエンビエンフーが陥落いたしまして、北ベトナムが赤化されまして、そこで同年の九月にSEATOができたわけであります。五四年の十二月米台相互
防衛条約ができました。それから五五年の二月にはCENTOができました。こういう各般の、この共産圏に対応する
安全保障条約ができましたために、一九五五年の五月に、ソビエトは衛星国八カ国を糾合してワルソー
条約を調印いたしまして、陣容を
整備しながら五五年の七月にジュネーブの頂上会談に臨んだことは皆さん御
承知の
通りであります。ところが、五六年の二月になって、またソビエトにおいてスターリンの批判が始まり、さらに六月にポーランドに暴動が起こり、十月にハンガリーの動乱が起こり、スエズの
戦争が起こる。五七年の三月には、以上の
情勢にかんがみまして、アイゼンハワー・ドクトリンというものが宣言をされまして、中近東における赤化活動について警告をするという事態になりました。正五七年の八月にソ連がICBMの実験に成功し、十月にはスプートニクの打ち上げがあり、五八年の三月にはフルシチョフが独裁者の
地位につきました。こういう
情勢があって、五八年の七月に、イラクの革命が起こるという事態になったのであります。そこで米
政府は、レバノン
政府の要請によって、かねての
条約に基づいて、赤化防止のためにレバノンに出兵するのやむなきに至りました。それから五八年の八月に、金門、馬祖島に対する全面猛砲撃が開始された。それから五八年の十一月に、フルシチョフ首相は西ベルリンの期限付自由化を提案いたしまして、
世界の緊張を来たしたことは、これも御
承知の
通りであります。それから引き続いて中共がチベットを弾圧して、それからさらに、五九年の五月にはベルリン問題について東西外相
会議が開かれたけれ
ども、成果が上がりません。さらに、五九年の八月に中印国境の
紛争が始まる、それから五九年の九月には、ラオスの赤色勢力の脅威を受けて、ラオスから国連に提訴するという事態が起こる、こういう一連の
世界緊張が続いたあとに、五九年の九月に、御
承知の
通り、フルシチョフとアイゼンハワーがキャンプ・デービットにおいて会談をして、これらの問題は、お互いに力によらずして、話し合いによってやろうということが話をされた。こういうのが、この国際安全保障機構ができた歴史的経過であります。
社会党の諸君が言われるように、これは決してこちらから進んできたものではなくて、向こうからそういう状態を作られたために、われわれは自由陣営の立場において、こういうものを作らざるを得なくなったということは、この歴史的事実によって、私は明瞭になったと思います。私は、こういうような点から
考えまして、社会党の諸君が、この明白な史実を歪曲して、はなはだしきは、米国は
世界侵略政策をとりつつある、あるいは
日本はそのお先棒をかついでおるというような議論をされることについては、はなはだ遺憾に
考えておるものであります。元来私は、
侵略というものは、
国民がその欲せざるところを強行するものを
侵略というと思います。それは政治的な問題であっても、軍事的でも、あるいは心理的であっても、いずれにしても、これは
侵略には変わりがありません。そういう点から見て、私は、
アメリカの弁護をするわけではございませんが、
アメリカは
国連憲章やポツダム宣言を完全に守らてきていると私は思います。第二次大戦後において、寸土も併合しておりません。沖縄、小笠原には、施政権を
行使しているが、わが潜在主権を認めておる。極東の事態と
日本の決意次第によっては、いつでも返還の用意があるということを申しております。また、フィリピンにおいてはあれだけの犠牲を払っても、完全にフィリピンに自由を許しておるのである。ところが、ソ連邦はどうか。ポーランド、フィンランド、ルーマニアを併合し、プロシア及びチェコの一部を併合しておる。また、エストニア、ラトヴィア、リトワニアの全部を供合しておる。また、日ソ不可侵
条約を一方的に破棄して、わが千島、南樺太を占領、併合して、今なお返還をいたしておりません。いな、むしろ永久領有を言明して、明らかに国際憲章違反をやっておるではございませんか。私は、こういう状況を歴史的に申し上げたわけでありますが、この事実に立脚をして、現安保
条約の改定に進んでおられる
総理大臣並びに外務大臣の所信をあらためて伺いたいと思います。