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飛鳥田委員 防衛庁長官も
出席要求をしておきましたから、お見えになりましたら始めます。
——きょう私が
質問を始めますに際して、
総理、
外相、
防衛庁長官らに
一つ二つあらかじめ
お願いをしておきたいと思います。
それはほかでもありません。先般、
アメリカ上院外交委員会の
議事録を読んでおります間に、次のような
言葉にぶつかったからであります。すなわち、そこでは、
日本に対する
MSA援助の
実態を知りたい、こういう
質問に対し、
ナッシュ国防次官補が、
日本に対しては、表現、つまり
言葉の使い方が大切だ、こう答え、次いで、ターミノロジーは私には興味がない、その
実態を知りたいのだという再
質問に対しても、ザット・イズ・ベリー・インポータントとだけ答えている
議事録であります。確かにこれは
日本に対する痛烈な皮肉であろう。事実の重大さについて、たとい
立場を異にしようとも、真剣に
討議をしようとするのではなく、
言葉のすりかえや
論理の輪のはずしっこに終わりがちな
質疑応答、そういうものの多いきのう、きょうに対し、海のかなたから皮肉られておるような感じがいたします。私もできるだけ
注意をいたします。しかし、あなた方も十分御
協力を願いたいと思います。同時にまた、海のかなたどころではない、今、
国内にも、こうしたやり方に対する怒りは満ち満ちているのではないだろうか。学習院大学の
飯坂良明教授は、傍聴の記にこう書いております。「それは実質的な
意味での
討議ではなくて、
審議という体裁をかりて
お互いに根本的な不一致を再確認しているだけにすぎない。だから、ここでは
話し合いや説得を可能にするような合理的、
論理的精神はあり得ようはずはなく、輸理的に追及しようとする社会党の
質問者さえ、
論理性を無視した
政府の
答弁に業を煮やして、激情化せざるを得ない。そしてこの異状な雰囲気は敏感に高進していって、罵倒的なヤジの応酬と、
委員が席を立って
委員長席に詰め寄るといった光景が連鎖反応的に出現する。しかし最も不愉快なのは、ヤジることを唯一の仕事とし、しかもそれを楽しんでいる様が、その自己満足的な顔にありありと見える
与党議員の喧騒である。しかしこれを
委員長は制止しようともしない。それを制止するならば、
与党は一歩
論理性に近づかなければならないからである。そして彼らはそれをおそれる。
質問に対して
政府側の
答弁者に要求されるものは、
論理性ではなくて、
論理を無視し、これを聞き流す図太さである。これが
国民の運命を左右する問題の
審議というものであろうか。こうした
審議以前の
審議が続けられていって、やがては
審議の打ち切りか、
単独審議の形で多数の専制にものを言わせて通過させるのであろうか。もしもそれがねらいであれば、ここには
議事常はあっても
議会はなく、
委員会や本
会議はあっても
議会主義はない。休憩のとき私の前にすわった画家の某氏は、
日本で
総理大臣ぐらい楽な職業はないでしょうなとわれわれに漏らした。われわれは笑ったが、それは言い知れない憤りを表わしていた。」こう言っておられます、私は別にあなた方だけを責めようとは思いません。私
たちも
注意して、できるだけ事実に即した
質問をするようにいたします。しかし、どうぞあなた方も、
言葉の魔術を弄したり、
論理をすりかえたりして、客観的な事実を鈍らせることがないように、これが
質問を始めるに際しての私の第一の
お願いであります。
さらに、他の
一つは、
条約という、客観的に、かつ、厳格に検討していかなければならないもの、すなわち、
日本国が今後十年間もこれによって拘束されていくこの新
安保条約の
審議に際して、不確定的な要素や
希望的主観を導入してはならないと
考えることであります。
総理や
外相は、ともすると、
信頼と
協力に基づいた
日米関係という
言葉をお出しになり、説明の具に供されるのでありますが、
信頼と
協力は確かに望ましいものであります。そして今後も米国との
関係においてかくありたいと願われることは、あなた方の御自由であります。しかし、そのことをもって
条約の
不備を補う材料にされるようなことはあやまちだと私
たちは
考えます。これらの点について
お願いをいたしますと同時に、
総理の御見解を伺っておきたい、このように
考える次第です。