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1960-04-08 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年四月八日(金曜日)     午前十時二十一分開議  出席委員    委員長 小澤佐重喜君    理事 井出一太郎君 理事 岩本 信行君    理事 大久保武雄君 理事 櫻内 義雄君    理事 椎熊 三郎君 理事 西村 力弥君    理事 松本 七郎君 理事 竹谷源太郎君       安倍晋太郎君    愛知 揆一君       秋田 大助君    池田正之輔君       石坂  繁君    鍛冶 良作君       鴨田 宗一君    賀屋 興宣君       小林かなえ君    田中 榮一君       田中 龍夫君    田中 正巳君       塚田十一郎君    床次 徳二君       野田 武夫君    服部 安司君       福家 俊一君    古井 喜實君       保科善四郎君    毛利 松平君       山下 春江君    飛鳥田一雄君       石橋 政嗣君    黒田 寿男君       戸叶 里子君    穗積 七郎君       森島 守人君    受田 新吉君       田中幾三郎君    堤 ツルヨ君  出席国務大臣         内閣総理大臣  岸  信介君         外 務 大 臣 藤山愛一郎君         国 務 大 臣 赤城 宗徳君  出席政府委員         内閣官房長官 松本 俊一君         法制局長官   林  修三君         防衛庁参事官         (防衛局長)  加藤 陽三君         調達庁長官   丸山  佶君         外務事務官         (大臣官房審議         官)      下田 武三君         外務事務官         (アメリカ局         長)      森  治樹君         外務事務官         (条約局長)  高橋 通敏君  委員外出席者         専  門  員 佐藤 敏人君     ————————————— 四月八日  委員大貫大八君辞任につき、その補欠として田  中幾三郎君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 四月七日  日米安全保障条約改定反対に関する請願(小松  幹君紹介)第二一二〇号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び  安全保障条約締結について承認を求めるの件  (条約第一号)  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び  安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並び  に日本国における合衆国軍隊地位に関する協  定の締結について承認を求めるの一件(条約第  二号)  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び  安全保障条約等締結に伴う関係法令整理に  関する法律案内閣提出第六五号)      ————◇—————
  2. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これより会議を聞きます。  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約締結について承認を求めるの件、日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並び日本国における合衆国軍隊地位に関する協定の締結について承認を求めるの件、及び日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約等締結に伴う関係法令整理に関する法律案、右各件を一括して議題といたし、前会に引き続き質疑を行ないます。穗積七郎君。
  3. 穗積七郎

    穗積委員 質問に入ります前に、岸総理初め政府閣僚要望をいたしておきたいと思います。この新たなる安保条約審議されるようになりましてからすでに二カ月近くたったわけですけれども、その間、第一には、政府の提出された新年度予算審議のために時間がとられたこと、それから第二は、条約修正権に対する政府統一解釈混乱をしていたこと、第三には、条約中、占めるところの極東の範囲に対する政府与党間の統一解釈混乱をしたこと、おもにこの三つの理由によって、今日まで二カ月余を費やしたわけです。そして、この関心を持った重要な新条約は、まだ遺憾ながら、その本質的な審議に今まで入っておりませんでした。そこで、きょうからは時間を得まして、最初に、条約性格そのものについての本質的な総括質問をいたしたいと思っておりますけれども、それにあたりまして要望をしておきたいと思いますのは、最近の国会論議をわれわれ振り返ってみますと、いささか末節議論に花を咲かせたり、あるいはまた、政府混乱をした足にかみつかれたり、出したしっぽを押えられたり、そのために混乱をいたしまして、本質的なる審議が十分尽くされて参らなかったのです。これはどういうことかというと、やはり特に政府当局反省をしていただかなければならないことは、今日の国会は、昔の大理石のカーテンの中の、国民の目や耳から遮断された国会とは違いまして、国民のために、国民の中で、ともに審議しなければならない性格を持っておるのですから、従って、条約または法律末梢解釈にのみ主力を注いだり、あるいはまた、政府の不統一見解の暴露のために興味をそそって時間を使ったり、そういうことでなくて、お互いに信ずるところの政策所信を明らかにして十分話し合い、審議を尽くす、それが国民の中にも理解され、国民の世論となって形成されてくる、それをまた国会は受け取って重ねて審議をしなければならない、そういうときに、ややともすれば、今のような末節議論に花が咲いたり、政府のあげ足あるいはしっぽを抑えることに時間を使ったりすることは、政府自身が、本質的な政策についてのまじめにして、率直なる所信を明らかにされないからです。その一番重要な論議については、見解相違であるとか、認識相違であるとか、逃げ口上を使われて、まじめにこれに答え、所信を明らかにしようとしない、そして最後は、多数の力をもっていたずら審議を打ち切り、あるいは採決を強行する、こういうことになりがちでございました。だからこそ、われわれこの条約なり政策なりに疑問を持ちます者は、やむを得ずいたしまして、末梢議論によって政府の多数の暴力を食いとめようとする、あるいはまた、政府の出したしっぽをつかまえて、その横暴を食いとめようとする、そういうことになるわけでありますから、この際、政府与党としても、この条約は重要であるから、十分なる自信を持って慎重討議をしようと言っている。われわれもその所信を持って、この委員会に当初から臨んで参りました。引き延ばしなどは毛頭考えておりません。従って、今後の審議におきましては、われわれが質問機会を持つことが委員会審議ではなくて、同時に政府が国の内外に向かってその所信を明瞭にする機会でもあるわけでございますから、その点についてはあらかじめこの際岸総理初め各閣僚に重ねてお願いをいたすとともに、十分なる審議を尽くす、そして問題があとに残らないようにしておくことが、与党野党を問わず、国会審議責任であると思いますから、ぜひともその心がまえで十分なる審議をしていただきたい。そのように要望いたしまして、これに対する総理の所感をこの際伺っておきたいと思います。
  4. 岸信介

    岸国務大臣 私が、この条約審議にあたって、十分にこれの審議を尽くして国民理解を深めるようにいたしたいということは、重ねて申し上げております。従って、私は、質疑応答を通じて、政府野党見解を十分に国民理解してもらう、そして、政府としては国民の多数の理解の上に立った支持によって本条約の御承認を得たい、こういう心組みで審議にあたっておるわけでございます。
  5. 穗積七郎

    穗積委員 今の政府責任者としての首相所信、われわれ野党心がまえも、委員長はお聞きになったと思いますから、どうぞいたずら採決を急がれることなしに、問題をあくまで究明するように、委員長におかれましても、委員会運営にあたっては、委員長就任当時の所信にそむくことなしに一つやっていただきたいということを要望いたしておきます。  なお、重ねてでありますが、一昨日の民社の委員の方の質問のときに、与党理事不規則発言に対しまして要望がございましたが、これも今後委員長において、ぜひとも一つ審議妨害にならないように処置をしていただきたい。あらかじめこれはお願いしておきます。先ほど言いましたように、政府が出したしっぽ、あげた足をかみつかれて、政府が悲鳴を上げるのではなくて、遠くの方におる━━━━━━━━━━━━━━━━━、そして審議妨害する傾きがありますから……(「何だ、なめるな」と呼び、その他発言する者あり)そういうことのないように、一つぜひともお願いをいたしておきたいと思います。よろしくお願いをいたします。
  6. 小澤佐重喜

    小澤委員長 ただいまの穗積君の発言中、不穏当な個所がありましたならば、速記録を調べた上で適当の処置をいたします。
  7. 穗積七郎

    穗積委員 そこで第一にお尋ねいたしますが、今度の新条約は、政府説明によりますと、国連憲章の精神にのっとり、憲法規定範囲内においてこれを行なうのだ、こういうことで、そして、その条約性格防衛的性格を出るものではないということを言っておられますけれども、これを客観的に公平にながめますならば、一言にしていえば、明らかに共産主義諸国仮想敵国とする軍事同盟であるとわれわれは判断せざるを得ない。そこで、その問題について、条約具体的内容にわたり、国連憲章規定並び条文に従って解明をして、政府所信を伺いたいと思います。ところが、およそ一つ条約または法律というもの、あるいは外交政策というものは、それ自身独立して一つ意味を持つものではなくて、それに関連いたします広い政治的、経済的な背景との関連においてこれを理解しなければ、その条約の本質的なる性格は、私は明らかにならないと思うのでございます。そこで、後にも例をもってお示しいたしますが、共産主義諸国はもとよりのこと、特にアジアアフリカ地域における中立諸国、これらの国々は、言うまでもなく反帝国主義、反植民地主義の思想を明確にいたしております。そして平和中立政策をとっておる。これらの国々の諸君にも、今度の安保条約というものが、岸内閣組閣以来、あらゆる面において起きて参りました帝国主義的な政策の再現、こういう背景のもとに、この条約性格が明瞭に印象づけられ、理解されておるわけです。従って、私どもは、条約規定並び国連憲章条文に従って、この条約性格憲法との関係における違憲性、これを明確にいたします前に、この条約が生まれて参りました過程、その過程については、当初わが党の松本委員から指摘されましたので、きょうは省略いたしますが、その後明確になって参りました日米間における帝国主義的な軍事政策、あるいは経済政策、これらの背景のもとにわれわれはこの条約をとって、初めて正確な理解ができると思うのです。従って、私の最初にお尋ねいたしたいと思いますのは、アメリカ帝国主義に対する岸総理認識を伺いたいと思うのです。  前の太平洋戦争中に、日本並び日本国民は、アメリカ帝国主義規定をいたしました。この規定は、私は今日まで正しかったと思っております。このアメリカの武力と独占資本になるアジア支配搾取、その野望を指摘したこと自身は、太平洋戦争当時の岸総理を加える指導者の主張はいみじくも正しかった。ただ問題は、このアメリカ帝国主義に対してわれわれがこれに抵抗を加えるときに、日本自身がまた同じあやまちを犯す帝国主義によってアジアを襲う。すなわち、アメリカ帝国主義日本帝国主義とのアジア並び東南アジア地域における争奪戦であったところにこのあやまちがあり、そしてまた、このアジア地域から日本が孤立した悲劇があったわけであります。私はかように考えておる。  そこでお尋ねいたしたいのは、当時あなたは、開戦当時の閣僚の一人としてアメリカ帝国主義規定して立たれた。最後には、非人道的なる鬼畜英米といわれたのでありますが、そのアメリカ帝国主義規定いたしました所信に対しては、私も正確なる規定であったと思いますが、総理の今日の時期におけるその御所感はいかがでございますか、あらためて伺っておきたい。
  8. 岸信介

    岸国務大臣 前提として、国際情勢判断の上において、穗積君と私とは非常に異なるのであります。現実も違っておると思います。この安保条約安保体制の問題に対して、これが国連憲章に従う防衛的のものであるという前提は、われわれがかたく信じてそういう説明をしております。これに対して穗積君の見解によれば、共産主義国及び中立政策をとっておるアジア国々は、やはりこの条約をもって帝国主義的な軍事同盟としてこれに対して見ておるという見解でありますが、今日までの情勢から申しますと、そういうことは絶対にないのであります。共産主義国々がそういう非難を加えておることは、これは新聞その他においてもはっきり出ております。しかし中立主義立場をとっておる国々が、この安保条約に対して共産主義国と同じような見解を発表しておる国はどこにもありません。その点は、国際的な情勢判断において、穗積君と私とは非常に前提において違っておるということをまず申し上げておきます。  アメリカ帝国主義というものを云云されておりますが、私どもが戦後のこの国際平和を推進していく上において、いわゆる共産主義ブロック自由主義ブロックとが相対峙しておるこの立場において、われわれはいずれの立場をとるか、私ども自由主義立場を堅持しておるものであります。従って、そういう意味において、この自由主義国々と手を結んでおります。自由主義国々が今日、今穗積君の言われるような、いわゆる帝国主義に立っておるという見解は、私はとっておりません。従ってこれと提携して世界の平和をわれわれが推進しようという考え方におきましては、穗積君の言われるように、アメリカ帝国主義と結んで、そうして世界帝国主義的な侵略をする一手段としてやっておるというような認識は全然私どもはとらないのみならず、それは現実に反しておるものと私は考えております。
  9. 穗積七郎

    穗積委員 それでは戦争中にあなたがアメリカ帝国主義規定したことは、これはうそであった、そう言われるのでございましょうか。どうでございましょうか。
  10. 岸信介

    岸国務大臣 過去においてわれわれが国際間において持っておりました立場、それに対して当時のアメリカがとっておった立場というものは、当時の状況から見まして、それが帝国主義であったかどうかということは別として、われわれとしては、日本の当時の状況から見て、存立を考え、その繁栄を考える上において、アメリカ政策に対してわれわれはこれを認めることができないという立場をとっておったことは、私は当時の事情、客観的情勢から判断すれば、日本立場として私どもがそう考えたわけである、こういうことであって、何か理論的に帝国主義がどうだ、それが今日までどうなっているかというようなことは、国際情勢変遷と、それから今日の国際情勢状況から見て、われわれが今後どういうふうに対処して、日本の平和と安全、繁栄を考えていくかということとは、そこに理論的のつながりがあるような今の御議論でありますが、これは私は間違っておる、こう思います。
  11. 穗積七郎

    穗積委員 卑怯にもお逃げになってはいけません。あなたも近代的な学問をされてこられて、帝国主義という言葉が、今日の政治社会学においてどういう概念であるかということは、もう明確でございます。従って、帝国主義という言葉を逃げる、逃げないではなくて——それでは続いてお尋ねいたしましょう。  われわれはまず第一に帝国主義というものを、近代的な資本独占集中化が行なわれて金融支配が行なわれておる、そしてその対外的な資本輸出が行なわれる。そして力を背景として国際的な分割統治が行なわれて世界分割化が行なわれて、そしてその資本の対外的な輸出のパイプを通じて、その資本性格運営が、その後進国に対する搾取支配が行なわれておる、こういう内容をもって大体帝国主義とわれわれは概念いたしております。そこで、そういう意味で、もし私の規定いたしました帝国主義概念が間違っておる、あなたの理解においては他のものであるとおっしゃるならば、この際明らかにしていただきませんと、あと軍事同盟は一体どういう意味であるかという規定も、軍事同盟である、ないということを論争をいたしましても、お互い理解しております概念内容が違っていたら、これは議論になりません。むだな議論になりますから、帝国主義に対しましても、われわれはそのように規定をいたしまして御質問を申し上げます。それで国際的にも説明をし、国際的な質問にも答え、国際的な理解に対してもわれわれは理解していかなければならぬと考えております。そうでございますから、帝国主義あるいは軍事同盟については、これは後に概念規定お互いに明確にしてから質疑応答をいたしたいと思っておりますが、帝国主義規定について、私はそのように理解いたしております。もし誤まりがあったならば、また違った御意見があったならば、この際明らかにしておいていただきさたいと思います。
  12. 岸信介

    岸国務大臣 私はただ単に資本主義の国だけが帝国主義というそういう考え方ではなしに、共産主義の国にも、そういうふうに自分の方の力をもって他の国を分割支配しようとか、あるいは他の国を政治的に支配していこうというような考え方は、われわれが真の平等の原則と自由の原則に立っての世界平和を脅威するものとして考える限りにおいては、やはり同様である、かように私は観念いたしております。
  13. 穗積七郎

    穗積委員 そういたしますと、あなたの御意見では、私の申し上げましたことは帝国主義のすべてを尽くしていないが、帝国三義の規定のそれも規定として正しい、こういう趣旨でございます。
  14. 岸信介

    岸国務大臣 私は、今帝国主義というような言葉をここで定義しようとは、実は考えておらないのであります。私自身は、われわれが願っておる世界の平和、そうして世界人類の福祉という理想国際社会というものを描く上におきまして、それが資本主義によるところの資本主義的な他の国々の自由と独立繁栄を妨げるような、他国を資本主義によって支配しようとすることは、望ましくないことである。そういうものは排撃しなければならぬと同様に、共産主義による同様な効果をもたらすことに対しましても、われわれは、これは人類の真のわれわれが理想とする平和の状態ではない、かように考えておるわけであります。帝国主義という観念そのものについ学者の間にいろいろな説明があろうと思いますが、そういうことを定義しようとする必要は、私としては考えておりません。
  15. 穗積七郎

    穗積委員 ここにあなたの御署名も入っております昭和十六年十二月八日の太平洋戦争の宣戦の布告がございます。これによりますと、米・英両国に対する当時のあなたの規定は、こういうことになっておるのです。「重慶ニ残存スル政権ハ、米・英ノ庇蔭恃ミテ、兄弟尚未タ牆ニ相相関クヲ俊メス。米・英兩國ハ残存政權支援シテ、東亜ノ禍胤助長シ、平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス。」ここが大事なところですね。それからさらに重要な点は、「剰へ與國誘ヒ帝國周邊ニ於テ、武備ヲ増強シテ我挑戦シ更ニ帝國平和的通商ニ、有ラユル妨害ヲ與へ、途ニ経濟斷交敢テシ帝國生存ニ重大ナル脅威加フ。」、こう規定しておられます。この規定についてはいまだに当時の所信としてあやまちがありませんかどうか、伺っておきます。
  16. 岸信介

    岸国務大臣 当時の状況は、まさにそういうふうにわれわれが意識するような状態にあったと思います。
  17. 穗積七郎

    穗積委員 そしてこれは明らかにだれが見ましても帝国主義的性格を持っておるということは、この文章によって明確でございます。そうしてその後、今あなたは国際情勢が変わったから、アメリカの今日はその帝国主義的性格変遷を来たしておる、当時はそのように規定したけれども、今日は変わっておるというふうな先ほどの御説明でございましたが、もししかりとすれば、一体何を根拠として、そのアメリカ帝国主義的性格が変わったのか、どこがどういうふうに変わったから、そういうふうに御理解になっておられるのか、それを具体的にお尋ねいたしたいと思うのです。
  18. 岸信介

    岸国務大臣 当時は、アジアにおきましても、御承知の通り、多数の地域西欧諸国支配のもとに植民地とされておりました。戦争後これらの国々は、いずれも民族独立が認められ、独立の国家が形成されております。そうしてそれらの独立を完成せしめるために国連があり、またその中心の勢力としてアメリカも努力をいたしておりますし、またこれらの国々自主独立を完成することに協力をしておる。当時のいわゆるわれわれが認識しておりましたアジアを制覇せんとするというような情勢は、変わってきていると私は具体的にはっきりと考えております。
  19. 穗積七郎

    穗積委員 それは詭弁でございまして、これは後に、最近のアメリカ政策帝国主義的性格をもってアジアに軍事的または経済的に延べられてきておる、その上に新安保条約というものが乗せられておるんだということを明らかにいたしたいと思いますし、さらに第二条に規定されて出ております日米経済協力関係、同時に自由主義諸国における経済自由化に伴う日米経済並びにアメリカアジア経済との関連の具体的事実の中に、私たちはその性格変更を認めるわけにはいかない。そういうことを立証していきたいと思っております。しかし、きょうはこの条約内容にわたるためのアウトラインを明らかにいたしておきたいと思うのが私の考えでございます。多くをこれに費やしませんけれども、今おっしゃいましたことによって、われわれは、かつてはアメリカ帝国主義的性格を持っていた、今日は持っていない、それはアメリカ自身変更ではなくて、アジア地域植民地独立したからである、こういう説明でございますが、これでもって私たちは納得するわけには参りません。だからこそその立ち上がらんとしておるアジアアフリカ地域の反帝国主義、反植民地並びに平和と繁栄を持ち来たそうとしておる諸民族が、アメリカ並び日本帝国主義の再編成ということに対して非常な危惧を持っておるのは、そこにあるわけでございまして、決して彼らが一方的な誤解、一方的な恐怖心によってそういうことを心配しておるのではない。そうではなくて、客観的に新安保を契機といたします日米間の諸政策の中に具体的にそういう性格がまだ続けられる、または強化される危険すら感じておるからでございます。従って、あなたの今の御説明をもって私は決して納得するものではありません。これは後に内容について次第に明らかにいたしていきたいことを申し上げております。  続いてお尋ねいたしたいのは、戦時中に行ないました日本の大陸並びにアジア地域に対する侵略的な政策、これに対しては私ども終戦後の日本の立ち上がり、終戦後の日本アジア外交、これらをこれから述べますためには、まっ先に反省しなければならない自己反省だと思うのです。そういう意味においては、帝国主義的性格をもって多くのあやまちと失敗があったということについての岸首相の御反省、あやまちは、私は過去のあやまちをいたずらに追及するために質問するのではなくそ、同じあやまちは二度繰り返してはならないという立場であなたにお尋ねするのでございますから、いやみとお聞きにならないで、率直にこの際あなたの所信を明らかにしていただきたいと思います。
  20. 岸信介

    岸国務大臣 これは私は今日から当時を回想し、おそらく穗積自身も当時の情勢判断されますと、これはお互いに人間でありまして、国民自身見解というものも非常に変わっております。われわれが今日の頭でもって、当時考えたことが当時の状況において正しかったかどうかという判断は、これはなかなか私はむずかしい問題であろうと思います。しかしながら少なくとも今後われわれがどういう方針で進むべきかという点に関しては、過去のわれわれの行なってきたことに対して反省を加えつつ日本の真の平和と安全、日本をいかにして平和にし安全を保持していくか、またいかにして国民の福祉とその繁栄をせしめていくかというこの見地に立って、過去のわれわれの体験なりわれわれのやってきたことを反省していくということが必要であろうと思います。そうして一たび戦いとなりましてから、これがだんだん進展の過程におきまして、いろいろわれわれが今日から反省してみてあやまちであったというようなことが多々あることは、これは確かにわれわれも冷静に反省をしなければならぬと思いますが、全体の問題としてはやはり当時の客観情勢というものを置いて、そうして当時の一般の国際情勢国民考え方というものを基礎に判断しないと、今日の状態で今日のなにでもってこれを判断するということは、私は適当な判断ではない、こう思います。
  21. 穗積七郎

    穗積委員 それでは認識は、私が先ほど申しましたように平行線でございますが、それに満足、承服するものではなくて、具体的に新安保条約がいかに平和を愛する諸国民に不安を与えておるか、その背景を具体的に明らかにしながら、今の問題をお尋ねして参りたいと思います。  まず第一に、新安保条約終戦後変わらざる憲法のもとにおいて、これを従来の日本の意思の加わらざる基地貸与協定的な安保条約、それから性格を変えて相互防衛義務を持った条約に急変するわけでございますが、それに対して実は御承知のように、日本側においても、当時今日に至る前に早く相互条約に切りかえたい、こういう要望をちらほらと個人的に、また公式にまたは非公式に表明をされてきたわけです。そのことについての経過は一々申し上げるまでもないのであって、たとえばここにあります当時の外務省条約局長で、平和条約当時の交渉の衝に当たった一人である西村元条約局長が、サンフランシスコの思い出の中でそのことを明記いたしております。同時にまた第十二国会でございますが、現安保条約審議のときにもそのことを明らかにしておる。こういっておる。われわれは相互平等の相互援助方式が捨てられたことを深く遺憾とし、すなわち現在の安保条約は相互方式になっていないということで先方の再考を求めた。先方のいうところは、要するにアメリカは北大西洋同盟条約の生みの親となった上院のバンデンバーグ決議によって自助、これはセルフ・エイドという意味を自助とここでは西村さんは訳しておられる。自救です。これはまたあとで非常に重要な意味を持っていると思うのですが、単なる経済力の問題ではなくて、自救能力ある国とのみ軍事同盟に入ることを許されているが、日本は軍備を有しない。従って自助能力を持たないから、平等の基礎において相互援助関係に入るを得ないということであった。同様の答弁が今申しました十二国会においても、当時の政府を代表する条約局長として、アメリカはバンデンバーグ決議の根本原則を持っているから、相手国が米国に対し有効なまた継続的な——ここが大事ですね。バンデンバーグ決議のアメリカの解釈は、相手国が米国に対し有効なまたは継続的な援助を与える国でなければ、本格的な安保体制締結する資格がない。日本憲法では、自衛権はあってもこれは潜在的なものであって、有効な手段がないから、この相互防衛条約は結べないのだ、こういう規定をした。これが当時のアメリカのやや良心の残っておる解釈であり、態度であったわけです。ところが一体なぜ変わったか。変わったところに、先ほど言いました帝国主義的な野心の危険をわれわれは感ずるわけです。それがどういうふうに変わってきたかと申しますと、経過については松本委員がやりましたから、きょうは問題を整理する程度に私はとどめておきますが、昭和三十年、これは、当時鳩山内閣の外務大臣であられた、亡くなられました重光さんが、今申しました通り、正式に、いわば安保条約を改定して相互防衛条約にしたい、こういう第一回の交渉を行なわれたときにも、同様に、アメリカのダレスの態度は、日本がもし相互防衛条約を結ぶということであるならば、いつやってもよろしい、しかしながら、そのためには、日本自身アメリカの安全のために防衛義務を負ってもらわなければならない、その地域は、西太平洋、グアム諸島までだ、その地域に対して出兵する用意があるならば、いつでも相互防衛条約に応じてよろしい、しかし、現在の日本憲法ではそのことができないではないか、それではバンデンバーグ決議に反するから、これはできないと言われたのですね。しかしながら、そのときに明確にされましたことは、逆に日本の重光さんはそこでやぶへびになって引き下がりましたが、そのときに、砂川ほか五つの大きな飛行場の拡張計画の内約を与えた、さらにまた、全般的な軍事力の増強の約束をしてお帰りになったわけでございます。ところが、その後、一九五八年、あなたの第一回のアイゼンハワー大統領との間における対談が行なわれて、そして今度の改定のきっかけとなりました岸・アイクの共同コミュニケとなって現われて、その中からこれが日の目を見てスタートするわけですね。  そこで、なぜ一体こういうふうにアメリカ政策が変わってきたか。日本国憲法は厳として変わっておりません。そしてそれに対する解釈も、一九五五年までは、アメリカも、この第九条の規定については、やや良心的な解釈をしていたのです。それが、憲法の改正をしないで、今度の協定になぜ一体踏み切ってきたか。同じ人が踏み切ってきておるわけです。そこで、われわれは、一つ情勢の変化に伴うアメリカ政策の転換、同時に、積極的なアジア地域に対する軍事的進出というものを読み取らなければならないわけです。そこで、申すまでもありませんが、バンデンバーグ決議以後、アメリカとの間における新条約が具体的な交渉に入る、あなたとの第一回の共同声明までの間、一体どういう経過をたどってきたかということを大きく読み取りますと、一九四八年に、言うまでもなく、バンデンバーグ決議がアメリカ国会において決議されて、そして相互援助方式というものが出てきた。これは連盟国であったソビエトとの間が明確に対立状態になったので、これに対する武力政策として登場してきたわけですね。その翌年の四九年には、ベルリン封鎖がある、同じ年の十月に、中国の中華人民共和国政府独立宣言をする、続いて、それに対応して、一九四九年にNATOの条約を結んで、まず西ヨーロッパにおける対ソ武力政策を強化する——これはワルソー協定より前でございます。五年も前のことですね。それから、五三年にスターリンが死んで、そしてやや空気は変わって参りましたが、相変わらず、両陣営の対立は、力の対立に拍車をかける傾向を示してきて、そこで五四年の十一月に、問題になったワルソー条約ができてきた。ところが、翌年の五五年になりますと、一方においては、平和共存の空気も出てきております。これはジュネーブにおきまする巨頭会談における——これは必ずしも成功しませんでしたけれどもアジアにおきましては、前年の五四年の四月に、インドと中国の間におけるチベットの通商協定の前文の中で、初めて平和五原則というものが出て参りまして、そして私が後に申しますように、アジア地域独立諸国の平和と独立のためのこの支持が高まってきたわけですね。これがバンドン精神になってくるわけでございますが、五四年の六月に、ネールと周恩来との間における、平和五原則のはっきりした共同コミュニケが行なわれて参りました。明けて五六年に重要な転機が行なわれて、ソビエトの二十回共産党大会において、スターリンの今までの力の政策の痛烈な自己批判が行なわれた。そこで、平和共存政策というものが、アジア地域においてだけでなくて、東西両陣営で力をもって対立しておるソビエト自身の中から、力の道は進むべきではないというので、平和共存、雪解け政策への大転換が行なわれたわけであります。ところが、これに対しましては、アメリカの冷戦派の諸君——日本におきましても、この態度を戦略的なものである、戦術的な転換にすぎないということで誹訪して、その誹謗は、今日のあなたもまだその解釈を変えておられない。遺憾なことですが、そうです。ところが、その翌年の五七年にスプートニクが出て参りまして、ソビエトのICBMが圧倒的な優位を示すに至ったわけであります。同時に、この年を見忘れてはならないのは、その翌年から、ソビエトの、社会主義諸国だけでなくて、中立諸国に対する後進国の経済開発の提案が具体化して参りました。このことは非常に重要なことであります。そういうことで五九年の相互訪問となり、ふじたゆきひさ西外相会議となり、核実験禁止となり、今日のいわば平和共存、雪解けの世界の外交態勢を作り上げてきたのですね。五七年が非常な転機になってきたわけでございます。  ところが、アメリカは一体それに対して具体的にどういう政策アジアにおいてとっておるでございましょうか。今申しましたように、日本憲法の規制のゆえをもって、平和日本を尊重するという建前に立って、憲法の改正がない限り、相互防衛条約というものは結べないという態度をとっていたのを、同じ人が、同じ憲法のもとにおいて急速に乗り出してきた、それは一体どこにあるかということです。そこで問題は、ここでわれわれは、今日のアジアにおきまする、いわゆる今度の条約、協定の中における在日米軍——在日米軍とは一体何であるかということを明確に見なければ、第五条の、共同防衛の義務の実行の場合におけるわれわれの危惧も解けません。また、第六条における、極東の平和のためにおるというところの疑問も解けない。さらにまた、交換公文にいうところの事前協議の実体も、文章の解釈だけでは解けません。そこで、私は、安保条約がよって立っておるところの、安保条約の五条をもって結びついておるところの在日米軍の性格と実態というものは、一体どこからきておるか。言うまでもなく、在日米軍というものは実はない。条約の上では米韓条約がございます。米台条約、米比条約がございます。しかしながら、アメリカの今日の対ソ、共産主義仮想敵国とするところの戦略体系というものは、これらの孤立したものではないのであって、一環として、ハワイまたはペンタゴンにおいて指揮されておりまする太平洋軍しかないわけです。だからこそ、今度の条約の安全保障協議委員会の設置に関する往復書簡、この中で、今度の第四条並びに第六条付属の交換公文の協議事項に対する安全保障協議委員会が設置されておるけれども、この委員に太平洋軍司令官を指定しておるわけですね。これはあなたの書簡として向こうへ送られて、それが同意されて成立しておる委員会でございます。この中では、外務大臣、それから大使、防衛庁長官、それから太平洋軍司令官、こういうことになっておること自身によっても、すでにアメリカの軍隊の実体というものが明確になっておる一つの証左だと思うのですが、そういうことで実は急速に変わってきたわけです。そこで、これをながめれば、これは大へんなことですから、きょうはごくアウトラインだけ、条約の本質論に入りますための背景だけにとどめまして、あと専門的な、掘り下げた議論は、わが党の他の委員の方から続いて解明をしていただきますけれども、特に私が言っておきたいことは、従来の、朝鮮戦争までの、ダレスのいわゆる巻き返し政策、あるいはまた、封じ込め政策、あるいはまた、せとぎわ政策等の名によって呼ばれた——これは大量報復政策であったのが、先ほど言いました五七年のICBMの異常なるソビエト側の発達、これに刺激されて、そこで変化が生じましたのが、今度の新安保条約への踏み切りだと思うのです。そこで見ますと、たとえば、最も代表的なものは、国務省の最高軍事顧問をしておりますフープス、この人が、一九五八年の十月、また同年の一月、これらに、ちゃんと外に見えるように、大統領または国務長官にアドバイスしただけでなくて、世間に示す意味もあって、そうしてこの点を明らかにしておる。フォーリン・アフェアーズの上でこの論文を明らかにいたしております。すなわち、新安保条約の前論になりますものは、従来の、ソビエトICBM、大陸間弾道弾以前の大量報復戦略体系ではだめだということで、海外基地の後退の主張を始めた。これは、御承知の、昨年問題になりましたコンロン報告の中でも、このことを明確に打ち出しております。コンロン報告は、御承知の通り、単なる学者の報告文書ではなくて、十院の外交委員長の前書きで、その政治的意図を含めて発表されたものであります。従って、この二つは、単なる民間の評論ではない。そういう点で見ますと、海外の基地の後退、そうして同時に、太平洋その他において例をとるならば、これらは前進基地としての性格を持たせる、こういう方針の変化を五七年からしてきている。これはもう明瞭だと思います。ICBMの翌年の五八年から、こういうことが明確に出てきておるわけです。そこで、さらにフープスの指摘いたしておりますものは、今度の新安保条約性格と効用についてはこう規定しております。米の核兵器空軍の効力を増強すること、もう一つは、基地国への——セメントという言葉を使って、基地国との支配関係を強化するためだということですね。これが、すなわち第一線の戦闘部隊または指揮をずっと西の方に撤収いたしまして、ハワイまたはアメリカ本国まで引き揚げておいて、そしてアジアのものは前進基地だ。しかも、そのときに必要を生じてきたのは何かといえば、二つある。一つは、ICBMに対する小型爆撃機、小型核兵器ですね、その空軍力を強化するためにこれを増強せしめるということ、このことは、赤城防衛庁長官もお眠りになっておられるが、重大なことですから、御記憶願いますが、基地への、それから基地国へのセメントになるのだ、これは非常に政治的な意味を持っておるわけですね。そういうことでこの日本からの陸上軍の撤退が始まった。そして今あなたが文書をもって約束されたように、在日米軍というものは独立してあるのではなくて、太平洋軍というものの司令官は、少なくともハワイまたはペンタゴンにおる、こういう状態になってきておるわけですね。これが、今日の新安保条約によって、第三条で兵力を増強して、そうしてこれが第五条で結びつけられておる、安保条約がよって立っておる大体の背景だと思うのです。基礎だと思うのです。そういうことから、先ほど申しましたような、アジアに対するアメリカの、平和共存に逆行する軍事的進出の性格が、決してやまっていないという点をわれわれは具体的に指摘せざるを得ないわけです。こういう戦略体系自身判断というものは、われわれしろうとでございますけれども、大体そういう規定をもって新安保条約の軍事的性格、軍事的側面というものを——すなわち三条、四条、五条、六条、これらのものは、その背景理解のもとにここで審議しなければ、われわれはその解釈と運営ができないと、こう理解しておるのです。  従って、ここで総理並びに赤城長官にお尋ねいたしたいと思いますのは、そういう点から、五七年を一つの転機といたしまして、そういう大きな一つの戦略的変化がきておるということは、政府並びにその当局である防衛庁は、そういう認識の上に立っておいでになるのかどうか、その点をまず最初にお尋ねいたしておきたいと思います。
  22. 岸信介

    岸国務大臣 今アメリカの太平洋におけるいろいろな考え方地域におけるお話がありましたが、同時に、われわれが置かれておる客観的の立場から申しまして、共産主義国政策というものが——今穗積君のお話によりますと、共産主義の方はすべて平和主義であって、自由主義立場だけが何かそれに対して戦略を立てておるようなお話でありますが、今日の国際情勢、こういうふうに軍事科学が発達したなににおいて、お互いが武力を用いることなく、話し合いでもって懸案を解決していかなければならないという考え方をわれわれは強く持つものでありますが、しかし同時に、この国際情勢判断する上において、現実に一体各国がどういうことをやっておるか、それはいろいろ政策として発表し、演説その他のものにおいて、いろいろな宣伝なり自分たちの考えを述べておりますけれども現実に軍備の関係がどうなっておるか、また、防衛の態勢としてはどうなっておるか、たとえば一つの例として、東洋におけるところの中ソ同盟条約というものが、そういう宣言なり、あるいはそういう共産主義国における大きな政策転換によってこれが現実変更されておる、こういうふうに変えられたというような具体的な実行がなされておるならば、これは私どもは事実に目をおおうべきものではない。しかし、同時に、そういう宣伝が行なわれ、そういう方針が述べられたからといって、現実に何らそういう態勢が変わっておらない限りにおいては、その現実に基づいて日本の安全をどうしていくか、日本の平和をどうして守るかということを考えることは当然である。それから、今、新安保条約のもとにおいて、この運営について、日米両国の間における委員会の構成について、太平洋司令官が入っておるということで、何か非常に変わったというようなお話でありますが、現行条約のもとにおいてもそういう委員会ができておるのであります。私どもは、現行条約と今度の安保条約において、根本的にその考え方が変わっておる、アメリカも何か政策を変え、また日本がそういうなにに引き込まれておるということではなくして、今穗積君が指摘されたように、現在の安保条約が成立した当時から、日本の自主性というもの、日本独立国として対等な立場においていろいろ発言権を持つような条約になっておらないという点についての国民的の不満と申しますか、われわれが国力を充実し、それからみずからの力で祖国を守るということを、とにかく国力、国情に応じてある程度完成したならば、アメリカとのこの不平等な条約を変えようという、現行条約成立の最初から持っておるところのこの不合理な点を改めるということがその主眼でありまして、何かこの条約そのものが今度の改定において本質的に現行の条約と変わってくるというふうには私どもは考えておりません。
  23. 赤城宗徳

    ○赤城国務大臣 お話を聞いてますと、アメリカ軍は依然として帝国主義戦争を企図しておる、こういう前提のもとにお話されておるように私は感じます。申すまでもなく、帝国主義というのは、資本主義が極度に発達して、国内だけで間に合わない、他国を侵略して戦争をする、こういうことが帝国主義の行き方だと思います。お話を聞いていますと、アメリカはそういう形で戦争を遂行するために日本を利用し、日本を基地としておるのではないか、こういうような観点からの御質問だと思います。しかし、私はそれは全然間違っておると思います。戦争をするために、ソ連にいたしましても、あるいはアメリカにしても、軍備はしてきたでしょうけれども、現在の段階におきましては、こういう軍備が相当頂点に達しまして、その軍備は、戦争をするためというよりも、お互い戦争を抑制するということに役立っておるのが、現実世界の国防、ことにアメリカ及びソ連の国防の変化だと思います。そういう変化に対応して、アメリカ軍が極東軍及び太平洋軍というものを一つにしてハワイに拠点を移したということも、これはあり得ると思います。しかし、そのこと、あるいはまた、日本が在日米軍というものに日本の基地、施設等を供与するということが、直ちに帝国主義戦争のような形で戦争に巻き込むものだ、こういうふうにお考えになっておるやに伺いますけれども、私は全然反対であります。そういう意味におきまして、この安保条約そのものも、むしろ、戦争抑制に協力する、戦争をなくするための、戦争が起こらないための条約である、こういう観点から私どもはこれを見ておるわけであります。でありますので、非常に私ども考え方が違っておるんじゃないかという気がしますが、私どもは、そういう戦争抑制力の一半を日本の国力、国情に応じてになう、しかし、日本の国力、国情に応じてにない切れない点もありますから、アメリカとの協力によって戦争抑制に協力する、こういう形で進めていくのが、日本の平和と安全を守る道だ、こう考えております。
  24. 穗積七郎

    穗積委員 赤城防衛庁長官にお尋ねいたしましたのは、帝国主義概念の御意見を伺ったのではありません。そうではなくて、アメリカアジアにおける戦略態勢といいますか、軍の総合的な編成方針というものが、積極的であるとともに、総合的に変わってきておるという、その実情をお尋ねしているわけです。すなわち、在日米軍、在韓米軍、在台米軍、在比米軍という、そういうアイソレートされた、独立した部隊というものがあるのではなくて、太平洋全地域、すなわち、これが今度の条約でいう極東の範囲でございましょう。極東の範囲で全部網をかぶしてある。極東の範囲の問題は後にいたしますが、この性格において理解しなければ、極東の範囲のこの条約における政治的意味というものは明確にならないと思うのです。そういう意味でお尋ねをしているのです。すなわち、在日米軍、在韓米軍、在比米軍、在台米軍というものがはたして個々ばらばらに独立した形であるのかどうか。そうではなくて、司令部は、一切の戦闘行動の指令並びに編成の方針、これらは全部ハワイから本国の向こうにあるのだ。それで、条約のつらでは、今度の日米安保条約と、それから米韓、米台、米比の条約とは、法律上の解釈からいけば、関連はありません。関連はありませんけれども、その軍事的側面を見ますならば、これは一体のものなんです。そういう状態になっておるかどうかということを私はお尋ねしているのです。ですから、重ねてお尋ねをいたしますが、たとえば、講和条約当時からすでに、アメリカ意味でいえば、先見の明があるというか、当時のトルーマン大統領がその中で明確にしておる点は、太平洋における防衛のための地域的取りきめが発展すれば——地域的取りきめはこれから問題になるこの条約国連憲章第五十二条を引用するところの地域的取りきめでございましょうが、これが発展すれば、創設される日本の防衛軍は、同地域の他の諸国の防衛軍と連合するであろう——防衛軍と訳するのが正確だと思いますが、防衛軍と連合するであろう、これはもう在日米軍と日本の自衛隊というものが、それだけで、独立した戦闘意思や作戦計画を持つものではないということですね。  さらに重要な点は、一九五四年にSEATOが結成されまして、その翌年の五五年の二月に、マニラにおきましてSEATOの第一回理事会が開かれた。これには、当時の長官でありますダレスが出席いたしまして、アメリカの考えを明確にいたしておりますが、SEATOが東南アジア防衛に必要な限り、日本を含めた新たなる機構が極東防衛のために必要であるということですね。すなわち、日本の自衛隊——今度の新安保条約によって、第三条で増強され、第五条で血を分けた、切ることのできない中にアメリカ軍と結びつけられているその自衛軍というものは、この性格において理解しなければいけないということです。比喩でございますけれども、長良川でアユをとっているウは、一匹々々独立している。横につながっておりません。日本と韓国と台湾とはつながっておらない。ところが、そのすべてはウ匠の手につながっておる。軍事的な側面では、ハワイの司令官あるいはペンタゴンの司令部につながっておる、こういう相互関係を明確に指摘しておるわけです。だから、今度の条約における第四条、第六条等にありまする極東の地域なるものに金門、馬祖が入るからけしからぬとか、入らぬからいいというような問題ではなくて、これはまさに、今言った通り、アメリカ帝国主義のなわ張りでございますから、従って、これらの軍事同盟の骨格の上に、軍事的配置の骨格の上に乗せられている。従って、日本の米軍というものは独立した軍隊ではなく、さらに日本の自衛隊というものは、これまたアメリカ軍から独立し得ないことは明瞭であって、その太平洋軍の一部である日本におる米軍の補完部隊としての性格しか持っていない、そういう理解をせざるを得ないわけでございます。そういうことの判断は別ですよ。われわれはそう判断いたしますが、赤城さんが、そう判断されるかされないかは別として、そういうふうな太平洋におけるアメリカ軍の配置というものが、そういう状態に転換されつつある。そうして韓国、日本、台湾、フィリピン等の陸上、空軍、海上等の軍隊というものは、今言いました通り、アメリカの、そこらに駐留しておるところの軍隊と結びつけて、コンバインされて、初めて一本になる補完的な性格を持っておる、そういうふうにわれわれは理解せざるを得ないと思います。従って、今の、トルーマン元大統領、ダレス前国務長官等の、SEATOその他における日本の防衛力に対する理解の仕方が、はたして誤っておるか誤っていないか、これはアメリカとの間において食い違いがあるかないか、それをお尋ねいたしたいと思います。
  25. 赤城宗徳

    ○赤城国務大臣 アメリカといたしますならば、太平洋のアメリカ軍が、一体となって動けるというような態勢を整えておくということは、当然であろうと思います。しかしながら、何も日本は、今の長良川のウのようにつながっておるというわけでなくて、日本の平和と安全が世界の平和と安全、あるいは極東の平和と安全につながる、そういうことでアメリカと連携をするということであって、アメリカの手によって日本がウになっているというのではなくて、日本一つの主体性を持って、東洋の平和と安全に寄与していく、こういう形ですから、逆だと思います。ことに、安保条約から申し上げましても、そういう一体となっていけるかどうかというようなことを考えましても、日本憲法規定もありまして、軍事同盟的に、アメリカが侵略されるとかいうことが起きたときに、アメリカまで日本の自衛隊が出動するというようなことはあり得ないので、そういう点から見ましても、日本の平和と安全、こういう問題からアメリカの軍と協力するという形で、アメリカ軍のために日本がこき使われるというような形ではないと思います。そういう観点から言いますならば、安全保障条約というものはみなアメリカのために奉仕するのだ、たとえばNATOのイギリスは、これはアメリカのウになって働いておるのだというような見方をするのと同様であります。それと同じように、日本が決してウになって働くというのではなくて、日本の主体性のもとで、平和と安全を守っていくという意味からアメリカ協力する、こういうふうに私どもは考えております。
  26. 穗積七郎

    穗積委員 日本のために役に立つか立たないかは、これは後にお互い議論いたしましょう。西ヨーロッパの例が出ましたが、NATO諸国が、今日アメリカとの間にいかなる対立を来たしておるか、NATO加盟国相互の間において、いかなる対立を来たしつつあるか、このことは、後に具体的事実をもって立証いたしましょう。それがNATOの軍事的性格というものの無意味さを示すとともに、今申しましたようなヨーロッパ第一主義の考え方から、今のNATOの軍事機構というものはゆるみつつある、そういう認識日本の防衛庁長官世界の戦略体系というものをごらんになっているということになると、はなはだわれわれは心細い話であって、納得するわけには参りません。  そこで、私は続いて申し上げますが、アメリカは、このようにアジアに対して日本との安保条約に踏み切っただけでなくて、第一、国連憲章前からありましたところのチャプルテペック協定によって、全米州の軍事協定ができておるわけです。それが国連憲章の五十一条を援用いたしまして、全米州機構となって登場してきておる。それから、さきに言ったように、西に回りましてはNATO、それからCENTO、ANZUS、それから今のアジアにおけるSEATO並びにNEATOが失敗をいたしましたから、そこで個別の取りきめをやっておるわけですね。そういうことになっておる。従って、今日、全世界およそ四十二カ国をこえる国とこういう軍事協定を結んできておるわけです。しかも、その上に、先ほど言いました、日本に対して態度がだんだん変わってきますときに、ちょうど西ヨーロッパにおいてはドイツ——ドイツにおきましては、御承知のように、五五年にパリ協定を結んで、西ドイツの再軍備を許すだけでなくて、再軍備強化をエンカレッジする、奨励、鼓舞、激励する政策をとってきたわけですね。それに対応するものがアジアにおける新安保条約である、こう理解せざるを得ないわけです。それは私どもがひがみを持って、頭から色めがねをもって解釈するのでなくて、先ほど言いますように、日本安保改定の事前の要望に対しは、憲法をたてにして拒否してきたアメリカが、五七年以後の情勢変化に伴って具体的になってきたということは、ここで明瞭なんです。従って、ヨーロッパにおけるドイツ、それからアジアにおける日本の、ヨーロッパのパリ協定に即応する新安保条約、こういうものを、関連をしてわれわれは見なければならない。だからこそ、先日も当委員会において、われわれの黒田委員が、アデナウアーのワシントン、東京訪問というものに対して政治的な警告を発した、ここで緊急質問をもって警告を発したのは、そのゆえんなんです。それは単なる杞憂ではなくて、こういうアメリカの、全世界を取り巻くところの一つの戦略体系という具体的動きの中に、すなわち五八年からの雪解けとは違った傾向を逆流せしめながら強化していく態勢というもの、これが、われわれとしては指摘しておかなければならない点です。ですから、私があなたにお尋ねしておるのは、そういう事実を——その解釈は、われわれの解釈を押しつけようとは思いません。私どもは、そういう理解をしなければ間違いではないかと思っておるのですが、事実は事実として、これは認めなければならないわけでしょう。だから、そういうアメリカアジアにおける戦略的な配置と、その補完部隊としての日本の自衛隊の地位というものが明確にされるとともに、それによって、初めて今度の安保条約における極東地域の政治的意味と、それから兵力増強の第三条の意味、第五条の意味、事前協議の意味も、だんだんとその運営の中において、国民理解が明らかになっていくと思うのです。そういう基礎として私はお尋ねしておるのですから、あなたは、それが役立つと思って、やっておられると私も思いますよ。思いますけれども、西ヨーロッパでもやっておるから、おれらもやるのはあたりまえじゃないか、他を顧みておのれを証明しようとするならば、西ヨーロッパは違っておるということを、われわれは後に指摘いたしますが、事実だけを赤城さんに聞いておるのです。だから、そういう配置転換といいますか、戦略体系の転換に対して、日本の自衛隊の性格、それから、これから太平洋司令官とあなたとの間に行なわれるところの安保協議委員会、その中において、具体的にこの第三条の問題や第五条の問題が討議されるにきまっておる、そういう理解で私どもは伺っておるわけです。ただ抽象的に条約づらの文章をとって、これには拒否権があるとかないとかいう、兵力増強の義務があるとかないとかいうことだけで——それも重要なことでございますけれども、その実質的な成り行きというか、見通しというものを、この際われわれは国民とともに明確にしておいていただきたい、それで安保条約が正しいか、正しくないかをわれわれは理解して、賛否の態度をきめたい、こういうことでございますから、事実を、この際、あなたも率直に明らかにしていただきたいおけです。政治的判断は後に伺うことにいたしまして、その前に、その具体的な事実をお尋ねいたします。
  27. 赤城宗徳

    ○赤城国務大臣 先ほどから申し上げておりますように、アメリカの太平洋軍が一体となって運営するということは、これはまぎれもない事実でございます。しかし、日本に駐留するところの在日米軍が、どういうふうな役割を演ずるかということは、これは具体的に、安保条約によって、日本に駐留を許す目的に従って行動する、こういうことは、条約というものに具現化されておるのですから、その面からこれは判断するよりほかないと思います。ですから、日本の自衛隊が、アメリカの極東戦略と一緒になって、どこへでも出ていく、アメリカまでも出ていけば、フィリピンまでも出ていくというようなことこれは事実としてもあり得ない。そういうことがあり得ないことを、条約の面に具現化しているのが、この条約だと思います。でありますから、私が申し上げておることは、抽象的な問題ではなくて、具現化した条約を基礎として、日本の自衛隊は、この安保条約においてどういうふうなあり方であるべきか、行動すべきかということから申し上げますならば、アメリカの極東戦略というものは、これはアメリカは持っていましょう。持っていますけれども、それに何も引きずられているわけじゃなくて、日本の平和と安全という、また、日本アメリカ軍を駐留させる目的から判断して、日本の自衛隊というものは行動し、あるいはあり方を続けていく、こういうことであります。これが事実であるというふうに私は申し上げ、また、そう考えております。
  28. 穗積七郎

    穗積委員 そのあなたの願望と解釈につきましては、私は、遺憾ながらまだ納得するわけに参りません。それで次の機会に、私ども同僚委員から専門的に一つ掘り下げて、その問題を明らかにしていただきたいと思う。  次に、安保条約軍事同盟性格内容の討議に入る前に、今、私はごくしろうとですけれども、一応安保条約のよって立つ軍事的側面を理解するために、今の米軍のアジアにおける進出と配置を指摘してお尋ねしたわけですが、もう一点だけ安保条約の政治的背景として指摘して、岸総理並びに藤山外務大臣のお考えを伺っておきたいのは、経済的な側面でございます。  言うまでもなく、独占化されました資本主義国と低開発後進国との間における経済的結びつきというものは、実は軍事的な結びつき以上に重要な搾取支配のパイプとしての意味を持っておるわけでございますから、従って、私は、実はこの問題についての日米間の経済関係と、アメリカアジア地域との間の経済関係につきましては、ソビエトの経済援助政策との対比において、後に機会をあらためて、第二条の審議の中でお尋ねいたしたいと思っておりますが、きょうはごくアウトラインとしてお尋ねいたしておきたいのは、言うまでもなく、アメリカ独占資本の力というものは、敗戦後の世界の経済、特に自由主義諸国の経済に対して大きな影響力を持っていたわけです。日本の復興に対しましてでも、西ヨーロッパの復興に対してもそうでございましたから、対外援助の実額につきましては、ソビエトとはもう比較にならない。額においても、時間的にも、早くから多く行なわれてきておる。ところが、ここで私は特徴的なものを一つ指摘しなければならない。  それは何かといいますと、額の多い少ないだけでなくて、一つ問題になりますのは、アメリカの援助と、一九五八年以後のソビエトの対外経済援助とを対比してながめてみますと、第一の特徴はどういうところにあるかというと、資本の投資、借款またはクレジット等の場合において、アメリカ側の経済的条件というものは、非常にきびしい条件が多いわけです。第一に申しますならば、これはアメリカが、言うまでもなく、国際協力局——ICAの基金と、DLF——後進国開発基金と、世界銀行、輸出入銀行、余剰農産物の返還方式、それからまた、来年度から第二世界銀行ができる、そういうふうにいろいろありますけれども、総じてながめますならば、たとえばソビエトが、先般アラブ地域、インド、インドネシア等に行ないました条件と比べると、非常にきびしいものである。まず、利子は大体六分前後、ソビエト側が二分五厘、それから期間についても、非常に長期になっておる。さらに大事な点は、ひもつきでないということですね。これは具体的に後にまた明らかにいたしたいと思いますけれども、援助の条件が軍事援助と結びつけられて、そして見返りの資金というものに、日本においてもそうでございますが、兵力増強の義務を負わされておる。それからまた、最近ドルの不足といいますか、ドルの地位が危機を生じて参りましたので、まずDLF基金からバイ・アメリカン——アメリカ商品に対する優先買付を要求する、あるいはまた、余剰農産物の買付を要求する、あるいはまた、輸送の場合においてはアメリカン・シップ——アメリカの船を使うことを要求する、これは単なる経済的条件でございますけれども、こういう点が非常にきびしくなっているのが、第一の特徴であります。  それからもう一つの特徴は、その投資が、非常に軍事的性格を持っているということですね。これも先ほど言いましたように、アメリカ政策が、決してソビエトに先がけて平和的なものであり、民主的なものであると解釈するわけには参りません。たとえば、昨年度一年——五八年から五九年にかけてのアメリカの経済援助をとってみましても、直接の軍事援助になっておりますものが、全体の中で十八億ドルの地位を占めて、全体のパーセンテージは四五・六%になっているわけです。さらに、同様の軍事的性格を持った、すなわち、防衛性格を支持するための資金、これは八億三千五百万ドルとなって、その占める地位は二一・二%になっておる、こういうことです。これを両方合わせますと、大体全援助額の六七%が軍事的性格を持ったものであり、軍事的義務を負わしめたものになっている点が第一点、しかも、その経済援助を与えておる国につきましては、ほとんどすべてが、アメリカとの間における経済ブロックの加盟国であり、または軍事協定によって、アメリカに結びつけられておる国に限られておると言って差しつかえございません。これはアジアアフリカ地区、中近東地区からアフリカ地区にその具体的な例をとってみましても、明瞭でございます。従って、今のアメリカの対外援助資金の中で最も大事なものは、このアジアアフリカ地区に例をとりますならば、ICA、あるいはまた、世界銀行ではなくて、輸出入銀行ではなくて、DLF、開発借款基金、これが中心にならなければならないはずなんです。ところが、そういうことの精神でやりますならば、真に名前のごとく、後進国の開発を、そして世界における民族間の不平等、または階級間の不平等をなくすことが平和の基礎である、そしてそれが民主主義の基礎である。国際的な民主主義並びに国際的な平和共存の基礎というものは、階級間と民族間における不均衡を直すことだという精神で、この基金というものは使われなければならない。従って、AA諸国に対しまする経済援助というものは、今申しましたような軍事的性格を持ったものでなく、また、経済的な条件がきびしいものではなくて、後進国の実態に即応した対外援助が行なわれなければならないにかかわらず、昨年度の一年だけ、五八年から五九年だけとってみましても、たとえば日本、台湾、ベトナム、韓国、フィリピン、パキスタン、これらは大体アメリカと軍事的に結びつけられておる国でございます。従って、これらの国に対するものは、後進国開発という名目で行なわれておるけれども、実は実態はそうではない。というのは、人口が、これら六カ国合わせまして、ほぼ概算で二億三千万、それに対して援助額が、アジアアフリカ地区全体で八四%を占めておる。先ほども、軍事援助の比率で、私は総額の六七%が軍事的性格だと指摘いたしましたが、この場合におきましては、アジアアフリカ地区においては八四・四%という高率を示しておるわけであります。そして、他のこれらの国よりさらに低地域であって、真の開発のための、ひもつきでない民主的な経済援助、政治的、軍事的性格を持たない開発資金を必要としておる諸国、合わせますと、人口が約千億、それに対して一体どれだけの援助が行なわれておるかというと、全く逆に、たった一三・六%の援助しか行なわれていないというのが、昨年度のアメリカアジアアフリカ地区に対する対外投資の実情でございます。  そこで、先ほど言いましたように、変化が生じて参りました。なるほど、五八年からソビエトの対外援助が、先ほど申しましたように、ひもつきでない上に、場合によれば現物支払いも許す——軍事的援助ももとよりありますが、軍事的援助によりましても、それは軍事的な義務を生ぜしめないで、経済的なコマーシャル・べースで返還をし、または現物支払いをもって決済するという、いわばひもつきでない援助、これがAA地区で歓迎されたわけです。そういうことに刺激されて、先般も予算委員会であなた方が大いに言っておられる第二世界銀行というものが、来年から発足することになる。これは従来の六%前後の利率よりは引き下げられる可能性が生じて参っておりますけれども、昨年度の実績をとってみましても、今のように非常な二つの特徴、すなわち、軍事的性格が非常に強いということと、それからもう一つは、経済的条件が、低開発地域に対しましては負担するのに苦しいような非常にきびしい条件が行なわれておるということ、この二つの特徴を私は発見せざるを得ない。そういうことが現状になって、その構想の上に、日米経済協力の第二条というものが組み立てられるわけです。それにもう一つ、これは後に経済協力の点で申しますけれども、自由化の問題とからんできておるわけです。この状態のままで、アメリカの新安保条約第二条に伴います経済協力なるものが、アメリカの民主的な後進国開発計画を中心にした、そして岸首相がかつて言われた、アメリカ資本で、日本の技術で東南アジアの市場開発ができるのだというような考え方は、全く国民を欺くオブラートにすぎないとわれわれは考えざるを得ないわけです。特にこの点については、藤山外務大臣は財界から入られて、再々言うように、戦争のための外交政策ではなくて、経済発展のための経済外交政策国民は期待しておった。にもかかわらず、何もやらぬで、戦争の準備ばかりおやりになっておるわけですから、この際、今のアメリカのAA地区に対する経済援助の実態、その上に乗せられる新安保条約の経済協力規定、こういう事実を認識した上で、私の総括的な危惧に対するあなたの所信を、総理の答弁の後にお尋ねいたしたいと思います。
  29. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 私は、今穗積委員の言われました御意見とは、実は逆な考え方を持っております。アメリカが、何か非常に金利の高い、あるいは非常に厳格な条件のもとに低開発国に金を貸すということが、アメリカ帝国主義搾取の道であり、あるいは低開発国を隷属化する道であるというふうに言われるのでありますけれども、これは個人の貸借でもおわかりいただけますように、ただでもらうくらい、もらった人がその人に隷属することはございません。ましてや、コストを割りますような利率でもって金を貸して、その恩恵を与えますことは、その与えられた人は、与えた人に対して隷属的にならざるを得ません。そういう意味において、経済開発というものは、やはり適当な利率、そして適当な条件をもって援助していくことが必要だと私は思います。それは、むろん低開発国の今日の立場からいいまして、できるだけ安く、できるだけ長期であることが必要であることは当然でございますから、われわれは、それに向かって努力して参らなければならぬのでございます。しかしながら、いわゆるコマーシャル・べースに反したような利率、国内の金利を割って貸すというのは、これは恩恵でございます。そういう意味において、アメリカの援助それ自身が厳格であるということが、必ずしも後進国搾取するのだ、あるいは後進国に対して何か隷属的な立場でいくのだ、そういうお考えとは私は実は意見を異にしておりましてで、全く逆に考えております。  また、軍事上の協力の問題につきましても、これはアメリカだけがやっておるようにお話しになりますけれども、私は一々の例を持っておりませんが、エジプトに対する、あるいは中近東に対する武器援助等の問題を考えてみましても、決してアメリカだけがやっておるわけではございません。ですから、そういう意味において、何かソ連だけが非常に正当なことをやっており、アメリカだけが非常に不正当な、帝国主義的なことをやっておるというふうには、私は断じて考えておりません。従って、今後の経済的な後進国開発に対しましても、アメリカ協力して参りますことは決して不当だとは考えておりません。
  30. 穗積七郎

    穗積委員 それらのことは、先ほど言いましたように、きょうは安保条約性格を明らかにするための前論でございますから、後に経済協力の実態の討議のところで明らかにしていきたい。あなたの御回答に、私どもは満足するものではございません。  続いて問題になりますのは、今度は日本の場合でございますけれども日本の場合は、言うまでもなく、現在すでに国民の努力によって、戦前を基準とする三〇〇%に生産力が増強してきたと見てよろしいと思う。ところが、世界資本主義工業生産全体の中に占める地位というのをちょっと比較してみますと、実はそういう状態が出ていないわけです。戦争に敗れたための立ちおくれというものが、非常に明確に出てきておる。たとえば生産額、日本自由主義工業国内における生産の全体に占める地位でございますが、私の調べたところによれば、戦前が四・八%になっている。ところが、昨年の統計はありませんで、一昨年の統計でございますが、五八年においてはまだ三%にしか及んでいないわけです。それから貿易額をとってみますと、戦前、日本の貿易の全自由主義諸国の貿易の中に占める地位が五・四%であったものが、これまた、同じく今日まだ三%しか占めていない。ドル貨が十億ドルをこえる、対外援助も十億ドルをこえるということで、岩戸景気だの神武景気だのということがいわれましたが、実態はこういうふうになっておる。この立ち上がりの不十分さと不満足というものは、私より日本独占資本が一番よく知っていると思うのです。それから重化学工業だけの大体の工業規模をとってみると、特にこの点は、経済の自由化に伴いまして、今後大企業、大資本の経営とアメリカ資本をコンバインされる可能性が非常に多いわけですが、とってみますと、アメリカはさておきまして、西ヨーロッパと比べてみて、大体の工業生産における資本の規模というものは、平均十分の一になっているわけです。それから資本輸出でなくて、商品輸出も、今申しましたように、全体の総量も、パーセンテージがたったまだ三%にしか回復してきていないということでありますけれども、さらにそれを見ますと——そのうちの資本財だけ重要なものをとってみます。これは経済が重化学工業中心になり、独占化されて参りますと、雑貨輸出でなくて、資本財の輸出がこの後の問題になると思うのです。そういう点で見ますと、イギリスまたは西ドイツ、これは一八%に対して、日本はたった三・三%、こういう点であります。こういう状態であるわけでございます。従って、対外輸出が、これは資本の直接の投下でなくて、延べ払いであるとか、それから債権の残であるとか、それから借款等を含むものとして、伸びた伸びたと申しまして十一億ドル、こういうのが日本安保条約を迎えようとする経済の実態でございますから、従って、問題になりますのは、これから一体、この安保条約がどういうふうに経済的に利用されていくか、こういう点が非常に問題になる点だと思うのです。  そこで、ちょっととってみましょう。アメリカと結ぶところのアメリカとの関係ですが、近隣国だけとってみますと、アメリカに対する輸出、これも今申しました通り、総額における低位だけではなくて、アメリカの対韓輸出というものは、日本が二〇%であるのに対して、そのちょうど倍の四四%を占めております。これは戦前とは比較にならないわけです。それから台湾との関係につきましても、日本はこれはやや伸びて参りまして三八%に対して、アメリカの対台湾輸出は四六%となっております。ここでもやや前よりは——倍ではありませんけれども、とにかく三分の一しか占めていない。それから、この間問題になりましたベトナム、これはやや岸さんと植村さんの特別の関係で伸びて参りまして、日本が二一%に対して、アメリカは二四%になっておる。最後のタイ、このタイだけが、日本がかすかにアメリカを追い越しておる。これがアジアにおきまする輸出の主要なる、つまり、アメリカ軍事同盟を結んでおる国と、日本並びアメリカとの貿易関係の実態であります。  こういうことをなぜ一体問題にするかといえば、ここで新安保条約というものが、アメリカ独占資本日本独占資本とが結んで、そうして東南アジアに対する開発または輸出の増強——この面においてはこの間の後進国開発会議に、日本がいささか招かれさる客のごとく飛び込んで、島さんがおいでになった。これはこの間の五十億のアジア地域に対する経済援助の法案が審議されましたときに、正確に政府当局、大蔵省並びに通産省が答弁しておるのは、このゆえんは、西ヨーロッパの共同市場にもぐり込みたいためなんだ、こういう話なんです。そのためには、どうしてもアメリカのこの間の後進国開発会議に参加する、そうして一つのねらいは、東南アジアに対する進出、アメリカに軍事的義務を負い、アメリカに軍事的サービスをして、対米輸出を伸ばしてもらう、そうして資本の投入をやる、ここにおいて対アジア諸国に対する貿易の肩がわりをする。こういうことは、私どもが指摘するのではなくて、この間の五十億のアジア開発のための資金をリザーブする法案の中で、政府当局がこのことを明確にしておられるわけです。そこに私どもは今度の新安保条約の経済的側面というものを見なければならないし、そういう状態の上に新安保条約というものが乗せられておる。そこに、今言いましたように、あなたは経済的合理主義によってとおっしゃいますけれども、必ずしもそうではなくて、この新安保条約の五条によって、アメリカと防衛条約を結んで、極東地域において強化されるその防衛力、軍事力、それを背景とする経済的進出、その経済的進出のためにその力を背景にする。あなた方は、アジア並び日本の安全を守るために防衛的な性格だと言われますけれども、そうではない。日本独占資本がこの事実を知らないはずはない。立ちおくれを取り返そうとする意欲がないはずはない。そのための軍事費、そのための軍事的産業の強化、これはSEATO諸国を対象とする軍事生産の輸出それだけではなくて、その軍事費、軍事予算によってまかないましたものが、非生産的な費目ではなくて、コストとなって、向うから取りもどす。今日は閣僚になっておられませんが、岸総理は御記憶になっておるでしょう。昭和十八年から十九年当時の議会におきまして、戦時公債を発行することに対して議論が行なわれた。そのときに、日本の生産力が低下しつつあるときに戦時公債を発行することは、日本のインフレを増強するものであり、国民生活を圧迫し、さらに輸出を困難にするものであるという議論が、良識ある議員から行なわれたときに、今自民党の外交調査会長をしておられる賀屋大蔵大臣は、当時何と言って説明したかというと、それは心配は要らない、戦時公債の裏づけというものは、日本の生産力ではないのだ、日本国内における生産力ではなくて、アジア大陸から東南アジア地域の顕在的な、または潜在的な開発資材を裏づけとしておるのであるから、決してインフレの心配はないと言って、説明をされて、この予算は通ったわけです。それは何かといえば、この軍事予算、すなわち、まかなうところの軍事費は、単なる自己防衛や平和のための非生産的費目だ、戸締まりのための金だということではなくて、それは武力をもってアジア並びに東南アジアに進出して、そこで非合理的な、非コマーシャル。ベースで、そこから開発して吸い上げるその物資並びに利潤が、戦時公債の裏づけになっている、戦時費の裏づけであると、いみじくも説明されました。それは戦時中のことでございました。それがこの間の国会で、大蔵、通産、外務の三委員会において、五十億の対外援助が審議されたときに、政府説明いたしましたことは、これによって……     〔発言する者あり〕
  31. 小澤佐重喜

    小澤委員長 静粛に願います。
  32. 穗積七郎

    穗積委員 これによって、西ヨーロッパ市場並びに東南アジア開発市場に進出するための手がかりの資金である、こういう説明が行なわれたわけです。あやまちを繰り返そうとしておるわけです。従って、経済的に独占資本の諸君が今度の岸内閣を非常にバックしまして、新安保条約に強硬なる意見を持っておる経済的基礎というものは、私はここにあると思う。その危険を感ずるわけです。総理並びに藤山外務大臣の見解を、この際伺っておきたいと思います。
  33. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 私は、もうすでに過去の公式論になっております独占資本論に基づいて、必ずしも今日の事態を解釈する必要はないと思っておるわけでございます。今日、東南アジア低開発国に対して、独立国となりました国々の経済的発展を庶幾して参りますことは、当然、先進国と申しますか、あるいは自由主義国の有力な国々が、なさねばならないことだと私は考えております。そうして政治的独立の裏づけとして、経済的独立ができますようにやって参りますのは当然だと思います。しかし、そのこと自体は、やはり商業ベースの上でやるべきことが一番必要であろうと私は考えておるのであります。アメリカも同じような考え方でやって参ることで、決してそのこと自体が、何か新しい経済的な進出であろうとは私は考えません。  また、貿易を拡大して参りますということ自体が、すぐに何か支配力を持つというふうにお考えになるということは、私は行過ぎではないかと思うのであります。どの国でも、貿易を拡大していかなければならぬことむろんでありまして、お互いに貿易を拡大し合うということ自体は、決して何ら経済的な支配を確立するという意味ではございません。そういう意味において各国ともやっておるのでありまして、共産圏の国々におきましても、あるいは過去において、中共が、相当安い品物を東南アジアなりアフリカ輸出いたしまして、そうして貿易の伸張をはかって、中共の経済建設に外貨獲得をいたした例もございます。各国それぞれ貿易を伸張して、国内の経済の確立をやっていくということは、これは今日世界のどこでもやっておることでございまして、そのこと自体が、すぐに何か経済的な支配を確立するというものではないと私どもは考えております。従って、われわれは、東南アジアからアメリカやドイツを手を引かして、そうしてそのためには、ヨーロッパ共同体の中に入っていかなければならぬというふうに狭く考えてはおりません。お互いに競争しながら、自分の技術と経験によった、よき製品をできるだけ安く売るということによって、自由主義陣営の中の貿易競争は当然やるべきである。ただ、ヨーロッパ共同体のような、ある一つの関税障壁みたいなものができるような趨勢にもしあるとするならば——これは必ずしもあるとは現在私は申し上げかねます。しかし、あるとするならば、そういうものは、域外諸地域に対して適当でないわけでありますから、これらのものを域外の諸国がヨーロッパ共同体の国々と話し合いながら、そういう傾向のないように持っていかなければならぬのであります。その意味におきまして、日本がヨーロッパに対する輸出をもっと盛んにして参らなければならぬのでありますから、そういう意味において、ヨーロッパ共同体と域外諸国との間の調整に、日本自身も相当な努力を払い、あとうべくんば、話し合いの場に出ることが適当であると考えております。
  34. 穗積七郎

    穗積委員 いろいろと説明をなさいますけれども、この問題は、ここで多くの時間をとろうと思いませんから、先ほど申しましたように、あらためて聞きたい。  ところが、こういうわれわれの危惧は、実は平和を愛する日本における国民の危惧だけではなくて、特にわれわれが位しておりますアジアアフリカ地域、これは今後重要なる日本の外交の対象になる地域でございますけれども、これらの地域の諸国、ほとんど大多数の国が、岸さんのおっしゃったような意味で新安保条約を礼賛しておりません。そしてまた、日本独占資本の経済的進出の危険についても、決して今藤山外務大臣が説明されたような甘い言葉を迎えてはおらないのであります。  そこで、政府がわれわれにお配りになりました情報、国際情勢資料に、新安保に対する各国の反響として、報告をされておられる。これは政府の発行したものについては、政府の皆さんもごらんになっておられるでしょうが、この国際資料なるものは、資料ですから、すべての国の評論なり意見なりを載せるべきであるにかかわらず、相変わらず一方的であって、アジアアフリカ地域における重要なる中立諸国の反響すら載せていない。こういうことですから、おそらくは、岸さんも藤山さんも赤城さんも、さっきの御説明で、アジアアフリカ地域の諸国並びに諸人民が満足して、おそれ入っておると思ったら、大間違いです。ですから、その一例として申し上げてみます。  ソビエトから参りましたグロムイコ覚書その他は、外務省を通じて政府への覚書でありますから、これは申すまでもない、私は申しません。それから中国の外交部が発表しました声明ですね、これも政府にやった覚書ではございませんが、政府の発表ですから、ごらんになったと思うのです。ところが、そうではなくて、中国における人民大衆が放った批判、これは北京における日米軍事同盟反対集会の決議になっておりまして、民主的なものでございます。これにはこういうふうに指摘しております。(「中共に大衆の声なんかないよ」と呼ぶ者あり)「アメリカ帝国主義は新しい侵略と戦争を企てるため、日本軍国主義の復活と侵略の再起の防止に関する一連の国際協力を踏みにじり、公然と日本軍国主義を復活させ、日本を米国の侵略的軍事ブロックと核戦争の体制に組み入れている。一方、」ここからは特に藤山さんに聞いていただきたい。「岸信介氏を代表とする日本の軍国主義勢力も、米帝国主義に追随し、再度アジアで拡張を行ない、」エクスパンションの意味です。「大東亜共栄圏」を再現させようとするはかない夢を見ている。日米軍事同盟の設立は、中国、ソ連及びアジア各国の安全に重大な脅威をもたらしており、同時に、日本民族を再び戦争の災難に引き込もうとしている。」今、自民党の席からはからずもヤジが飛びましたが、中国の、すなわち、共産主義諸国の人民の声であるから、初めから色めがねを持ち、敵視政策、または仮想敵国視して、そういうことをヤジられるわけでごさいましょうが、これは後に申しますように、国連憲章の精神によって新安保が組み立てられるといたしますならば、自由主義諸国、社会主義諸国の区別はないわけですね。そういう精神は国連憲章のどこにもない。従って、この声は、この六億の民衆を代表する声として聞かなければならない。そういう意味で、私はほんの注意を促しておきます。  そのほか、中国におきましては、郭沫若であるとか、廖承志、あるいは謝南光、張奚若、これらの人々が放送をし、あるいはこれら最も中国の今日知日派といいますか、それらの人々が言っておる。  さらに北朝鮮、北ベトナム、それからモンゴル共和国、それから束ヨーロッパ諸国の社会主義諸国にも、同様の趣旨のものがありますけれども、これは趣旨が大体同じですから、省略いたします。  次に問題になりますのは、今ヤジっておられますが、問題になるのは、中立諸国の声でございます。インドですね。インドは、これはあなたとネール首相とは、アジアの平和と繁栄について話し合われているはずである。敵対国でもなければ友好国でもない。あなたの考えですら、敵対国ではない。そうしてまた、インドについては、経済的問題について、先般も積極的な協力をしようとしておられる。そのインドでございます。このデイリー・ヒンドスタン、これは御承知のように、インド国内におきましても、中立国の中で、最も右寄りの新聞、機関紙ですね。決して社会党寄りのものではございません。中立のインドのその中で、またまん中よりは右寄りの機関紙、それが、長くなりますから、結論だけ申しますと、「ソ連と中国は日本の隣国であり、彼らの隣国に米軍基地が設けられるのはかれらにとって当然危険なことである。」すなわち、戦争への危険を指摘しておるわけでございます。さらに、このインドのアムリタ・バザール・パトリカ、これも今申しましたように、決して左翼的なものではございません。これは最後にこういうふうに言っております。「この条約の唯一の具体的結果といえば、モスクワと北京の論評が十分に指摘しているとおり、極東の冷戦を激化させるということである。」すなわち、冷戦激化の政策であるということを危惧して、そして中立と平和を尊重するインドの世論を代表して、日本並び日本国民に警告を発しておるわけです。あなたは、社会主義諸国以外はほとんどこれを礼賛しておるような錯覚を持っておられるようでありますけれども、そうではないのでございます。  さらにインドネシア、これまた賠償協力その他が行なわれて、非常に大事な友好国でなければならない。このインドネシアの黎明日報は「米国の育成の下、日本はさらにぼう大な武力をもち、対外拡張」——これはエクスパンション、膨張のことでしょう。この中に帝国主義的な進出という心配が含まれておるわけです。「対外拡張を行なってその「大東亜共栄圏の野心」を実現しようとたくらんでいる。」これはインドネシアですよ。であるから、東南アジア全人民、特にインドネシア人民は不安を感じておると率直に訴えております。さらに、これは一つだけではあなた方は信用しないかもしらぬから、申し上げますが、同じくインドネシアのビンタン・チムール、これはこういうふうに言っております。最後で、「日本が軍国主義の古い構想——国内問題解決と市場と原料供給地を求めるため軍事的拡張を利用する——」ここですね、藤山さんよくお聞き下さい。これはあなたが賠償をやられましたインドネシアの世論でございます。この軍国主義の構想、すなわち、帝国主義的な市場拡張の構想「——を使おうとしていることを示す。この軍事条約日本を他の諸国、まず初めにアジア諸国から孤立させるだろう。」これがインドネシアの代表的な論評でございます。  それからアラブ連合、これも中立諸国です。アジア・アラブ諸国で、中立諸国で、高碕さんその他がアッサム開発その他の経済開発に非常に協力しており、親日的であり、日本との間における経済協力を最も願っておる国でございます。決してあなたがきらっておる共産主義国または社会主義国ではございません。これが何と言っておるかというと、これはアラブ共和国の代表的なアル・グムフリヤ紙で、これはその論説でございますが、「この条約日本を完全に米国の同盟国にしたが、新同盟は日本に一層の危険をもたらすだろう、自国内に外国の基地を設ければ、戦争に導くだけだ」これまた冷戦激化の政策であるということを指摘して、反省を求めておるのでございます。さらに、AA諸国民連帯会議、これは実は日本国民に向かってメッセージを送ってよこしまして、このように訴えております。「バンドン諸原則とカイロ諸決議は、」——これは高碕さんも出席されたバンドン決議のことです。カイロ諸決議には北村徳太郎さんも参加されております。「諸決議は、平和共存と完全独立の実現を断乎として擁護し、帝国主義者との軍事同盟を非難している。いかなる形式であるとを問わず、帝国主義者と軍事同盟を結ぶ国家は、確実に帝国主義の走狗たる役割を荷負わされるであろう。」そうして続いて、こういうことを言っておる。「「相互防衛」という口実のもとに、日本が、アメリカ帝国主義の追随者たる地位から、その協力者たる地位を占めることを、われわれは黙視することはできない。」続いてまた、これは……。(「中ソ同盟はどうなんだ」と呼ぶ者あり)ちょっと待って下さい。中ソ同盟については、ヤジがありますが、後に私は明確に触れます。「また、日本がその工業力を互恵平等の原則に基いて相互の繁栄とを、すべてのアジアアフリカ人民が希望しているにもかかわらず、アメリカ帝国三義の利益のために極東の兵器庫たらしめようとしていることは、最も恐るべき事実である。」すなわち、日本の軍事化をおそれているわけですね。「全アジアアフリカ人民は、日本におけるアメリカ帝国主義協力者によって企図されている日本軍国主義の復活を、許すことはできない。」これが日本国民に対する呼びかけでございます。  さらに、エジプトとイラクが、これまた中立国として、同様の趣旨のものをよこしておりますが、時間がだんだんなくなってきましたから、省略いたしましょう。  最後岸総理に申し上げたいのは、あなたが自由主義諸国の陣営だと言っておる韓国、フィリピン、アメリカ国内等における論評、これは亭主の好きな赤烏帽子で、亭主の好きなものしか登録しない外務省の方々の情報の中には載っていないと思いますから、重大な参考として申し上げておきます。自由主義諸国は全部これを礼賛し、歓迎しておるなどとお考えになったら、大きな誤りでございますから……。  フィリピン。これは「マニラ・ミラー」ございます。「マニラ・ミラー」がいかなる新聞であり、その論説がフィリピンにおいていかなる比重を占めておるかということは、外務省の方は御承知でございましょうから申し上げませんが、こういうふうに言っております。「新条約中の日米両国間の経済提携を定めた条項は、特に悪質なものである。東南アジア諸国は、その結果として、あの悪名高い〃大東亜共栄圏〃が今度は日米協力の名のもとに復活することをおそれている」と、率直にその結論で訴えております。これはフィリピンでございます。  次に韓国。韓国は「韓国日報」。ここでは、「新条約は、日本を極東において従来より以上に高い地位に引き上げるであろう」、これはいい意味も含まれておるとともに、昔、韓国の支配をしておった当時の日本をもう一ぺん思い起こしながら言っておる。続いて「東亜日報」。この論説は、こういうふうに言っております。「新条約は、極東全域における日本の指導的立場承認する。岸首相の訪米が、十五年前に」——ここからが大事です。「十五年前に力では失敗した大東亜共栄圏を、平和的に達成することを目的としていることは十分想像できることである」これが結論でございます。決してあなたの言うように、自由主義諸国がすべてこれを礼賛しているものではございません。(「その雑誌は「前衛」だろう」と呼ぶ者あり)これは「世界」。勉強のために読んでごらんになったらいいでしょう。どこであろうと、「世界」の意見ではない。「世界」の意見ではなくて「東亜日報」の意見。これも「韓国日報」です。一月十九日ですから、調印の日です。あなたのことを非常に皮肉って、こう言っておる。「戦犯であった岸氏が、平和賞の受賞者となるまでに百八十度の転換をするだけの偉大な貢献があったとするならばともかく」——ともかくですから、ないということです。「これは過去五十年間日本帝国主義の最大の被害を受けておる韓国人民を初めとして、岸氏自身までをもあぜんたらしめた一部のアメリカ人の没常識的な措置であるといわなければならない」、あなたのやっておられる新安保条約は、決して平和のための政策ではないということを指摘しておるわけでございます。そのほか、アメリカにおける論評が数稿、痛烈なるものがありますが、これは時間がありませんから省略いたしておきます。  このような、安保条約がよって立っておりますところのアメリカ国際情勢の変化に伴うアジアの太平洋軍の配置転換の実態と、それから経済的な、アメリカアジアアフリカ地域に対する現在の対外援助の実態、その性格、さらに、日本の東南アジア地域に対する経済的関係、以上が、私が最初に申しましたように、新安保条約理解するための政治的背景であり、その背景のもとに、またはその一つの表情として新安保条約がここに登場してくるわけですね。そこで私は、最初に申し上げましたように、ここで、第一に、条約内容について討議に入りながら、御質問をいたしたいと思いますも  率直に申しますと、先ほど申しましたように、新たなる条約は、これに国連憲章の精神並びにその規定を順守すること、日本国憲法規定内ということでカムフラージュし、オブラートで包んでありますけれども、決してそうではなくて、国連憲章の精神に反し、五十一条を乱用し、憲法に違反する、社会主義諸国を仮想敵国とする軍事同盟である。それは、われわれが主観的に理解するのではなくて、客観的に条約の構造並びに規定の中に明確であると思います。そこで、この条約が軍事的同盟ではないか、憲法に違反するものではないかという質問が、もうこの二、三年来、国会のあらゆる委員会でなされましたが、それに対して政府は、ただ一片の防衛的なものである、諸君の誤解であるということで、何ら内容についての所信を明らかにされておりませんので、私は、これから、何ゆえにわれわれがそういうことを言うかということを、単に観念的な、独善的な解釈をしておるのではなくて、具体的な条約の構造、それから条文規定の中にその事実があることを明らかにしながら、所信をお尋ねしたいのです。  最初に、先ほど帝国主義について申しましたが、帝国主義論は先ほど程度でいいとして、軍事同盟であるかないかということをここで規定するためには、軍事同盟ということに対するお互い概念理解が一致していなければ、幾ら議論してもだめでございますから、まず、軍事同盟性格規定して、政府統一解釈として、軍事同盟とはこういう性格のものを言うのであるが、そうではなくて、国連憲章にいう集団的取りきめはこういう内容のものであるという点の区別を明らかにしてから質問をいたしますから、このことについては、率直にしていただきたい。  第一、私どもは、軍事同盟をこういうふうに理解いたします。戦時におきましては、つまり、新条約の第五条がうたっている非常な事態が生じましたときには、相互に防衛同盟の義務を負い合っている。そして、お互いに他の安全のために、国策としてこの防衛行動を行なう。これが第一。  第二の要件は、平時でございますが、平時におきましても、一定の政策遂行が行なわれておる。この同盟機構、つまり、この条約機構が、平素の政策遂行に利用されている。その国の内政のすべてを含んでおりません。たとえば、今度の条約で言うならば、第三条による兵力増強の打ち合わせをする、あるいはまた、第四条における脅威が生じたときに対処するための第五条の戦闘行為になる前の政策遂行に利用する、あるいはまた、平時の兵力増強だけではなくて、指揮、訓練等に対しても今度の安保委員会を通ずるわけですね。さらには、その国の国際情勢判断にこれを利用する。このことは、今まで行なわれました合同委員会審議の中ですでに行なわれてきたことをわれわれは明らかにいたしますけれども、今度の新安保条約におきましては、先ほど私が指摘いたしました日米安保協議委員会を通じて、第五条の戦時だけではなくて、平時における政策遂行のためにお互いに利用されるわけですね。これが第二の特徴、要件である。  第三点は、仮想敵国を持つこと。これは国連憲章五十二条にいう地域的取りきめとの性格の重大なる区別の特徴、メルクマールになるわけでありますが、仮想敵国を持っておるということも  以上、三点をもって私ども軍事同盟条約としての規定をしたい、そういうふうに理解をしております。そして、まず最初に、新条約国連憲章地域取りきめ、あるいはまた個別的、集団的自衛権との問題に入って参りたいと思いますが、最初に、この軍事同盟が途中でひっくり返り、ひっくり返り、ときによって違う、人によって違うようなことでは困りますから、きょうは首相、外務大臣、赤城防衛庁長官、林法制局長官並びに高橋条約局長全部おられますので、どなたからでもけっこうですから、統一解釈なるものをこの際明らかにしていただきたいと思います。
  35. 岸信介

    岸国務大臣 私どもは、この条約をもって軍事同盟とは考えておりませんから、そういうことに対して政府統一見解を発表する必要はないと思います。いろいろ人によって、軍事同盟という内容に——穗積委員が、今おあげになったような意味軍事同盟という言葉をお使いになるとわれわれが理解しておけばいいことでありまして、こちらから何も統一見解を発表すべき性質のものではないと思います。
  36. 穗積七郎

    穗積委員 私は、この条約軍事同盟であると思うからお答えなさいとだけ言っているのではない。私の方では軍事同盟条約理解せざるを得ないが、あなたの方は軍事同盟条約ではないと言っている。軍事同盟条約にあらざる条約というならば、この条約軍事同盟条約であるなしにかかわらず、軍事同盟条約という概念があって、それと比べて軍事同盟条約でないといわれるのならばわかりますが、そうでなければ、これから国際条約審議するのに、一体どうやって審議できますか。たとえば、今のように中ソ友好同盟条約、ワルソー条約、NATO条約、これらが具体的に問題になって参る。そのときに、これが軍事同盟条約であるかないかということをあなた方が言う以上は、軍事同盟条約でないと解釈しても、軍事同盟条約という概念政府の頭の中にあるはずなんです。それがなくして軍事同盟条約の論争はできません。そんなばかばかしい答弁では、われわれ納得するわけにいかない。
  37. 高橋通敏

    ○高橋(通)政府委員 ……。     〔「総理大臣々々々々」と呼び、その他発言する者多し〕
  38. 岸信介

    岸国務大臣 総理大臣としての見解は、先ほど申し上げた通りであります。国際法の観念として用いられていることにつきましては、いろいろな説があるようでありますから、条約局長からその点についての見解を申し述べます。
  39. 高橋通敏

    ○高橋(通)政府委員 通常われわれが、国際法上と申しますか、国際関係におきましての軍事同盟ということの問題でございますが、この軍事同盟ということでわれわれが一般的に理解されている概念はどうであるかという問題であろうかと思うのであります。一般的に、これは軍事同盟だ、軍事同盟でないという問題は、むしろ、第一次世界大戦前の観念であったかと思います。すなわち、昔の観念におきましては、御承知の通り、戦争をするということが違法だとか適法だとかいわれていなかった。すなわち、戦争というものが一般に適法であった時代に、この軍事同盟、すなわち国家間の結合というものが行なわれたのではないか、こういうふうに考えております。軍事同盟にも、御承知の通り、攻撃同盟、それから防御同盟、それから攻守同盟というふうな、いろいろな分類が行なわれております。すなわち、ある国と結合して第三国に攻撃を加えようじゃないか、こういうふうな結合、これは一つ軍事同盟といわれております。それから、ある国から攻撃を受けたときに、相互に結合してこれを防衛しようじゃないか、これは防御同盟でございます。それから、攻守両方を規定したところの攻守同盟——私が申すまでもないことでございますが、こういうふうな観念によって軍事同盟ということが呼ばれておった。ただ、現在におきましては、国連憲章におきまして、武力の行使は明らかに禁止されておるわけでございます。そして武力の行使が禁止され、武力の行使を行なうということは、集団的または個別的自衛権の範囲内で行なえるということになっております。従いまして、このような制限のもとに、この武力の行使は現在行なわれておるわけでございます。過去におきましては、そのような制限はなかった。すなわち、武力の行使も適法である、攻撃をすることも、また、攻撃を受けた場合にそれを反撃することも全く無制限であった。そういう時代に、これをフルに活用して、国家間の結合によって対抗しようというのが軍事同盟であった、こういうふうに考えます。
  40. 穗積七郎

    穗積委員 それでは話が前に進みません。それではお尋ねいたしますが、国連に加盟しておる国の結ぶものは、どのような内容のものでも、すべて国連憲章を尊重するという一文字さえあれば、それは国連憲章に許されておる、または奨励されておる地域的取りきめである、こう理解されるかどうか。それははなはだしく論理の独断であり、飛躍がございます。そしてまた、同時に、今日の八十二カ国の加盟国以外に、この世界の平和に対して重要な影響を持っておる諸国で、国連に入っていない国がある。その国の結ぶものは、一体、内容によって規定せずして何によってしますか。それが奨励すべきものであるか、世界の平和のために排除すべき条約であるか、それを規定するには、内容によって規定する以外にない。その国が国連に入っておる、国連に入っていないという形式的なもので、入っているものはいい、入っていないものはだめだとか、または、入っておるもののやることは何事でもいいということではないと思う。従って、その点をまず第一に明らかにしていただきたい。
  41. 高橋通敏

    ○高橋(通)政府委員 そういう観念のもとにわれわれは軍事同盟ということを考えております。従いまして、現在、そのような軍事同盟というものは、明らかに国連憲章で私は禁止されておる問題だと考えております。国連に加盟していない国も、国連憲章では、これに従ってやるように、国連加盟国としては努力しなければならない、こういう規定がございますので、国連憲章を順守すること、並びに第五十一条を順守すること、すなわち、武力攻撃がありました場合に、これに対して個別的な、または集団的な自衛権を、自衛権の範囲内でこれを行使すること、しかも、国連が措置をとるまでそれをやること、また、国連に直ちに報告され、国連の措置がとられたならばそれに従うこと、こういうふうな国連の憲章を完全に順守しなければならない。そういう意味合いの安全保障の結合、個別的な結合がございます。また、そうでなければならないわけでございますが、そのワク内をはずれたところの軍事同盟ということは禁止されておりますし、現在存立するわけにはいかない、こういうふうに思います。
  42. 穗積七郎

    穗積委員 それは形式論であって、それでは現在までのだけでなく、今後結ぶところのあらゆる軍事条約は、国連憲章の精神、目的と原則に従うという字句さえ入れれば、それで内容のいかんを問わず、そして五十一条にいう報告の義務、自衛権の限界ということであれば、これはいいということですか。  それからもう一点は、私が、先ほど国連憲章の精神に反する軍事同盟内容規定をいたしましたが、それに対する適否を、一つそちらから言っていただきたい。問題を逃げないで、あの規定が正しいか正しくないか。
  43. 高橋通敏

    ○高橋(通)政府委員 ただいま御指摘の点でございますが、武力攻撃を受けました場合に、集団的または個別的自衛権を行使しまして、相互に防衛するという約定を結ぶこと、これは国連憲章のもとにおきましても許されていることである、国連憲章の安全保障を補充する意味で、このようなことは許されていると考えております。従いまして、決して仮想敵国云々という問題でなくして、防衛と申しますか、武力攻撃をしかけられたときに、応急的にどう対処するか、こういう意味合いの国家間の結合ということは、軍事同盟ではなくて、国連憲章のもとにおける許された協定であろうというふうに考えます。
  44. 穗積七郎

    穗積委員 それでは、ここで押し問答いたしましてもいけませんから、前へ進めながら、今の軍事同盟規定について具体的に一つ一つ進めていきたいと思います。了承したわけではございません。  そこで、第一にお尋ねいたしますが、私の理解では、国連憲章のもとにおいて行なわれるところの地域的取りきめは、大体三つの分類をもってわれわれは理解すべきである。その第一は、この五十二条は、言うまでもなく、国連憲章そのものの精神は、国連機構そのものが平和と安全の保障機構であるべきでございますが、それが足らない場合の補完的な意味としてここに認められておるわけですから、従って、第一の重要な特徴は、先ほど申し上げましたように、仮想敵国、敵対するものを全然想定していない、自由主義諸国であるとか、社会主義諸国であるとか、そういう政治または思想、政策の違いというものによって全然区別をしないで、むしろそれらのすべてを含む、さらに具体的にいえば、平和と安全がお互いに脅かされる危険のある関係に立っておる国々、それらの国々を外へ出さないで全部内に包んで、お互いの平和と安全を保障し合う、そして加盟国のA国がB国に対して危害を加えた場合には、加盟国B国だけが自衛権を発動してやるだけでなくて、C、DあるいはE、Fの諸国もこれに協力して、その侵略行為を排除する、こういうことによって紛争または侵略を抑えていく、そういう性質のものが一つだと理解いたします。五十二条に言うところの説明は、言葉足らずでございますが、わかり切ったことでございますから簡単に申しましたが、そのように理解して政府は差しつかえないとお考えでございますかどうか。そして、今度の新安保条約はこの五十二条によるものではないと、私は、今申しました理由によって理解いたしますが、その二点について政府の答弁をわずらわしたいと思います。
  45. 岸信介

    岸国務大臣 条約の字句の解釈の問題でございますから、政府委員より答弁いたさせます。
  46. 高橋通敏

    ○高橋(通)政府委員 お答え申し上げます。御指摘の点は、第八章の「地域的取極」という点であるかと考えております。そこで地域的取りきめの概念がどういうものであるかというと、先ほど御指摘になりました仮想敵国云々を問題としていない。すなわち、この地域内または地域的に結ばれた諸国の内部の問題をまず考えるのが地域的取りきめではないか。すなわち、御承知の、地域的取りきめの内包性とかいうことで言われている点でございますが、確かに理想的な形としては、そういう点が考えられるわけでございます。ただ、この国連憲章の第八章の「地域的取極」というのは、非常にばく然とした概念ではなかろうか、すなわち、これが地域的取りきめでありまして、それ以外のもの、またはそれがないものは全然地域的取りきめであってはいけない、それまで厳格にこの地域的取りきめの概念というものを規定したものではない。すなわち、第八章の「地域的取極」の五十二条の「この憲章のいかなる規定も、国際の平和及び安全の維持に関する事項で地域的行動に適当なものを処理するため」これが一点でございます。そして、「その行動が国際連合の目的及び原則と一致することを条件とする。」この広い一つ概念規定が、非常にばく然としていますが、概念規定が置かれておりますから、こういう意味合いから見ますと、今の第二の御指摘の、この地域的取りきめに該当するかどうかということも、新安保条約がこの地域的取りきめであるということを決して否定するものではない、こういうふうに考えております。
  47. 穗積七郎

    穗積委員 きょうは、私はちょっと具体的な速記録を持って参りませんでしたが、総理は、本条約国連憲章五十一条を援用する協定であるという点は明確にされておられる。五十一条と五十二条と違いますよ。だから五十二条によるものではなくて、五十一条を援用して、それによって精神を尊重するだけじゃなくて、具体的には五十一条による、すなわち、個別的、集団的自衛権のオーソライズされた五十一条によるのだ、こういうふうに明確に答えておられますが、これは一体どういう意味ですか、総理にお尋ねいたします。
  48. 岸信介

    岸国務大臣 安保条約の第五条において、武力行動をやるという場合は、五十一条の、いわゆる個別的または集団的自衛権に基づいてそういう行動をするという意味において、内容が五十一条によるということをいっているのでありますが、五十一条は、私どもは五十二条と相いれない、いわゆる排除するというふうに考えておりません。
  49. 穗積七郎

    穗積委員 国連憲章の中の五十一条と五十二条ですから、全然対立したものであるはずではありません。当然、後に、五十一条が頭を出して参りました経過並びに内容については明確にするわけですが、新安保条約関係いたします。いたしますが、だから五十一条によるか、五十二条によるか、これはいずれによるかということは、当然安保条約の解釈上明確にしなければ、単に第一章第一条の目的、原則に従っているということだけによって、国連憲章の裏づけが行なわれているんだという具体的説明ではないわけです。この条約は、あくまで相互防衛同盟条約なんです。その条約の中でいうならば、第五条です。条約性格はそこに中心がある。そうであるならば、経済協力であるとか、平和を尊重するとか、国連の強化をやるとか、前文または第一条とか第三条、これらのものを抽象的精神規定として、それで言っているのではありません。私の言っているのは、具体的に、いかなる法律的な根拠によって、国連によってジャスティファイされた協定であるのかということです。五十二条でなく、明らかに五十一条です。そんなでたらめな、あいまいなことを言われては困る。だから、今度の協定の中心というものは、今申しましたように、平和のコミュニケでも、または経済協力の精神規定条約でもないわけです。中心は、何といっても第五条を中心とする軍事的な相互防衛条約なんです。それは国連憲章との関係において一体どこからジャスティファイされてきているかということを言っているんです。どれによって立っている条約であるか。そういうようなでたらめなことを言われては困ります。
  50. 林修三

    ○林(修)政府委員 先ほど条約局長からお答えいたしましたことと、今総理がおっしゃいましたことを合わせて、両方総合したことについてのお答えをいたしたいと思います。  国連憲章五十一条の個別的または集団的自衛権の発動は、必ずしも個々の国のみによって行なわれるものではなく、数国が共同して、あるいは数国が一国の自衛を助けるということをもちろん認めているわけでございます。今度の安保条約も、まさに、五十一条の個別的または集団的自衛権として、それを基礎に置いてきめられておるわけです。しかし、同時に、先ほど条約局長がお答えいたしました五十二条の一にいっております地域的取りきめ、これは非常にばく然たる規定でございまして、この五十二条の一にいっております国際の平和及び安全の維持に関する事項で地域的行動に適当なものを処理するために地域的取りきめを結べる、こういう意味における地域的取りきめ、これは今度の安保条約のようなものもこれに当たる、こういうことを条約局長は言われたわけでございます。もちろん、この地域的取りきめの中で、たとえば、五十三条等になって参りますと、この五十三条で利用される地域的取りきめは一種の小さな国連式なものをさしていることは、大体この条文から明らかだろうと思います。五十二条の一にいっております地域的取りきめは、これは非常にばく然たる観念でございまして、いわゆる五十一条の個別的または集団的自衛を実現するための取りきめ、これも、ここにいう地域的取りきめに含まれる、こういう趣旨を条約局長は言われたもの、かように考えております。
  51. 穗積七郎

    穗積委員 五十三条ですね。私は、先ほど来の、国連憲章の精神に反し、規定を乱用したるところの軍事同盟条約であるという解釈について、今の答弁が明確にされませんでしたから、従って、最初に、国連憲章にいうところの地域的取りきめの概念規定をし、さらに、五十一条による集団的自衛権の政府理解、これを明確にして、そして、もう一ぺんもとへ戻って、軍事同盟概念規定と一緒にすべてやりますから、今の御答弁で問題が解決したわけではなくて、むしろ、問題を新たにまた残しておるわけです。だから、それらは質問を留保したまま前に進んで、またあとでもう一ぺん繰り返してやります。  その次に問題になりますのは、五十三条の後段ですね。いわゆる敵国に対するもの、これは百七条が受けておりますけれども、これが他の五十二条または五十三条の前段でいっておるところのものとは違った意味での地域的取りきめの一種である。これが第二の類型であろうと思いますが、これはもとより変則的、過渡的なものでありますね、敵国に対するものですから。そういう意味理解して進みたいと思いますが、それで政府としてはよろしゅうございますか。
  52. 高橋通敏

    ○高橋(通)政府委員 ただいま御指摘のように、第五十三条後段にそのような規定がございまして、地域的取りきめという、そういう規定も含めまして、第八章で地域的取りきめというふうにいっておるわけでございます。
  53. 穗積七郎

    穗積委員 第三の類型がいよいよ五十一条によるものですね。この五十一条の問題につきましては、これはいささか政府の解釈を伺っておかなければならない。特に集団的自衛権の内容並びに個別的自衛権の内容について、最初に、その解釈並びに規定を伺っておかなければならぬと思いますので、ちょっと私の方から私の理解を申し上げて、そして、それに誤りがあれば、また政府に違った御意見があればそれを伺って、その上で集団的自衛権の権限内容、これについての規定最初にしておかないと、集団的自衛権があるとかないとか、集団的自衛権はどこまでだというような議論をしましてもいけませんから、最初にこれは率直に一つ伺っておきたいと思います。  言うまでもなく、五十一条は、ダンバートン・オークスの提案の場合においては、集団的自衛権というものはなかったわけですね。全然ない。そしてまた、そのダンバートン・オークス原案というものは拒否権すらもなかったわけです。これが二十七条に拒否権が入った。それから問題が起きてきて、五十一条が頭をもたげてきて、今問題になっておる集団的自衛権というものが、今度の国連憲章によって創設された感があるわけです。そこで私がお尋ねいたしたいのは、五十一条に規定するところの集団的自衛権のよって立つ法律的根拠については、私の調べたところでは、今日大体三説あるわけです。第一は、自然法を根拠とするもの、原文でいうインヘアレントという解釈は、その自然法的な法源を法的根拠として認められておる固有の権利である。固有の権利というのは、そこに意味があるのだという説が一説。それから第二は、一八六〇年から流布されております、特にフランスを中心とする、フランスの国際法理論の中で出て参りました正当防衛の理論、これを法源とするものである。すなわち、他人の正当防衛を援助する権利、たとえば、刑法の中で言うならば、私の隣におられる松本さんが緊急不正の危害を加えられようとしておる、そのときに、正当防衛権が彼にはある、これに対して、私は彼を救わなければならない法律上の義務はないけれども、私は私の固有の権利として、正当防衛を援助する、すなわち、正当防衛に加えられておる危害、侵略を排除する権利、そういう、いわゆる正当防衛論による国連憲章以前の法理論、これを根拠とする集団自衛権の解釈、法源はそこに求める。これはどこに求めるかによって、集団的自衛権の権限の内容が変わって参りますから、伺っておるわけです。第三は、この五十一条によって出てきたものである。これによって初めて根拠を国際法的に認められたものであるという解釈、この三つのうち、当然第三の国連憲章五十一条によって初めて集団的自衛権なるものが、これは義務としてではなくて、権利として独立国家に認められるようになった、そこに法源を置いておる、こう私は理解するし、そうあるべきである。従って、新安保条約五条に援用されております五十一条の個別的自衛権なるものは、国連憲章五十一条ができて、初めてでき上がった法律上の権限を根拠として認められたものである、私はこう解釈していくべきだと思う。政府はそういう解釈に立っておるのか、そうでなくて、自然法的な解釈も、正当防衛論による法源も、また、国連憲章の五十一条によるものも、すべて含んでおるものと解釈しておられるのか、それを最初に伺っておきたいと思うのです。
  54. 高橋通敏

    ○高橋(通)政府委員 ただいまの御指摘の点でございますが、これは学問的に考えまして、いろいろ理論があり、問題がある点であろうと考えております。ただ、ここで大体私ども一般的に考えられておる考え方——これは非常に学問的な問題でございませんから、あるいは正確さを欠くということがあるかもしれませんが、大体一般的に考えられておる考え方といたしましては、第五十一条の自衛権の問題として、ここに個別的及び集団的自衛権と掲げられましたこの個別的自衛権というものは、集団的自衛権とともに関連して考えられた自衛権である。すなわち、個別的自衛権という旧来の観念のうちで、なかんずく、武力攻撃が発生したような場合に、対抗措置をとるという場合の個別自衛権ですから、そのほかの場合における個別的な自衛権は、もちろん存在するわけでございますが、集団的自衛権と関連づけられた個別的自衛権としてここで考えられているのは、そのような意味における個別的自衛権——この個別的自衛権も、もちろん、従来の伝統的な自衛権でございます。従いまして、それは固有の権利であるというふうに考えられる。ところが、集団的自衛権になりますと、これはただいま御指摘のように、憲章五十一条によりまして、初めてこのような権利の存在が認められた、すなわち、そこで固有と考えられております場合は、この場合の固有は、非常に重大な権利というような意味の権利でありまして、決して自然法的な意味における固有というのが、集団的な自衛権にあるというふうには考えられない、というのが一般的な見解ではないか、こういうふうに考えます。
  55. 穗積七郎

    穗積委員 時間が参りましたので、留保いたしまして、次の機会に続行いたしたいと思いますけれども、ちょうど区切りでございますから……。  今の政府の解釈によりますと、新安保条約にいわれるところの集団的自衛権の権限の内容というのは、明確なる制限がある。すなわち、自然法的または正当防衛論を法の根源とするところの集団的自衛権の観念とは違って、言うまでもなく、次の三つの条件というものをこれは厳守しなければならない。その第一は、武力攻撃が、現に継続的かつ組織的、具体的にあった場合においてのみ、これが発動し得る。言うまでもなく、その場合においては、集団的な自衛権であっても、個別的自衛権であっても、五十一条の規定するものは、あの先制攻撃の概念は認めていない、先制攻撃の概念はこれを排除しておる。従来の自然法的または正当防衛論を法源とする正当防衛論、あるいは集団的自衛権の場合においては先ほど条約局長が言ったように、戦前の、戦争のある意味における自由であるような状態国際社会の場合、また国際法秩序の場合と違って、先制攻撃の概念は入らない、これが第一の条件であり、規定である。第二は、安保理事会が、その起きたところの侵害に、または攻撃に対して必要な措置をとるまでの間の暫定的なものである、これが非常に重要な点ですね。新安保条約は暫定的なものではありませんけれども、そのいずれにしても、ここで規定しているところのものは暫定的なものである。第三は、先ほどお話がありましたような、この行動が集団的自衛権、個別的自衛権を、五十一条を援用して発動すること以外に考えられないわけですから、その場合におきましては、個別的自衛権の発動であろうと、集団的自衛権の発動でありましょうとも、国連加盟国であり、国連精神を尊重する独立国家は、すべて、その個別的または集団的自衛権を発動した場合には、直ちに報告の義務を持っておる、これに違反して自衛権の発動は許されない。以上三つが厳格なる規定である、厳格なる制限である、こういうふうに私は解釈して、自衛権の解釈、あるいはまた、運用の面についての審議を進めるべきだと思いますが、それで御異存はございませんかどうか。できれば藤山外務大臣からお答えを願いたい。
  56. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 今回の五条は、まさにその精神をうたっておるわけてあります。
  57. 穗積七郎

    穗積委員 それでは、これからいよいよ新安保条約内容について、性格規定するために審議を進める所存でございましたが、本日は、お悔やみ申し上げますが、自民党の長老の林讓治先生がおなくなりになって、自民党の党葬がおありになるという御事情を一伺っておりますので、はなはだ残念でございますが、われわれ野党の者もそろって弔意を表しながら、きょうはこれで質問を留保して中止いたしますので、後にそのおつもりで一つ委員長からよろしくお願い申し上げます。
  58. 小澤佐重喜

    小澤委員長 本日は、これにて散会いたします。     午後一時十五分散会