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中村(時)
委員 このことはよく覚えておいていただきたいと思うのです。それはこういうことを言っておるのです。「戦前の
土地所有権の復活を
内容とした
農地法
改正を企図する運動が抬頭し、各地に小作地取上げが頻発していることは寔に遺憾である。」として、「
農地買収が適法であった趣旨に鑑み、
政府が
農地改革以前の地主制の復活を阻み、耕作者の地位の安定と農業生産力の増進を目的とする現行
農地法を厳正に施行するとともに、創設された自作農の維持育成について万全の措置を講ずべきことを期待する。」こういう旨の決議をやったわけであります。このことは何を意味するかということはあとにお尋ねしていきたい。
そういうような実情の中において
農林委員会並びに
農林大臣の所管機構は、一応この問題は無理ではないかという考え方が大体基本となって現われておった。そのときに時たまたま、私がこの前
委員会で読み上げましたが、佐藤貞なる方が、
農林委員会がなぜ反対するのか、それは
農林省の中の一部の赤の手先になった連中から金を一千万円もらっているのだというような趣旨のパンフレットを出し、あるいは各地区において演説を行なった。それに対するところの参考人としての取り上げ方を御依頼しておる。その結果はまだ出ておりません。いずれ
理事会において賢明な
一つの方向が打ち出されると思うのです。そういうような状態の中においていよいよ地主攻勢が激しくなってきた。その当時の新聞社説というものは御承知の通りほとんど反対いたしております。しかしそのときの新聞を
一つごらんになってもわかるように、こういうことが書いてある。「今秋こそはの意気、メドをつけぬと
組織にヒビ?」という大見出しで、これはほとんどの新聞に出ておるのであります。農業新聞にも出ましたし、読売新聞にも出ましたし、朝日新聞にも出ましたし、産経にも、いろいろなところに出ましたが、ここから自民党と今言った地主団体との
一つのきずなが生まれてきているわけです。それには「自民党ぐらつく、川島幹事長も熱入れる」、その中の一に、自民党内にかなりの同調者をわれわれとしては獲得できた。すなわち、去年下條派の国家補償連合会から分立して、今会員二十五万と誇称する日本
農地犠牲者連盟では、会長代行
委員に新潟県選出の参議院議員小柳氏、兵庫県選出衆議院議員
原健三郎氏、群馬県選出の参議院議員木暮武太夫氏を据え、ほかに顧問として綱島正興氏ら百余名の衆参議員を委嘱することに成功した。一方また別の下條康麿氏の全国解放
農地国家補償連合会、これは会員が六万と誇称している。大村清一氏、山本勝市氏ら衆参四十名の議員を顧問に据え、顧問会を開いてどう要求を実現するかを協議しておる状態である。これらは与党議員が一、二年前の口先だけの同調から親身に考える方向に変わってきていることを物語るものである。
同時に、そういうような状態の中から特別
委員会というものが党内で設けられてきておる。すなわち、岸内閣にかなりの理解者が現在でき上がってきた。今日岸総理自身は今は国家補償の必要はないと先国会で言明しておるが、地主団体の存在なり要求にはかなり心痛いたしておる。事実このことはこの前の国会のときに私は発表をしておいたはずです。そういうような状態の中からまた川島幹事長は、自民党政調会内に
農地政策小
委員会ができたあと、地主団体の
理事会の席上で、近く特別
委員会を必ず設けて皆さんの御希望に沿うようにいたします、こういうことを言明しておる。地主団体はこの言質の実践を連日要求して、近く
設置されると確信するに至った。このほか、当時の村上国会対策
委員長、松永文相、鹿野経企庁政務次官、田中官房副
長官らは、いずれも連盟顧問としてつながっておる。従って明年度に補償金の予算化は無理としても、特に
政府内部には調査機関が作られ、補償が一応これによってめどがつくようになってきた。こういうように発表しておる。
その次にはどうしてこういうような結果になったか、すなわちここに
一つの大きな問題があるわけです。それはどうしてこれらの幹部になった方々がこのような運動に積極的になったかということは、選挙にからんでこれだけの人員がおる。これもやむを得ないと思っておりますが、それらを何とか包括したいという一点と、もう一点の問題があったと思う。それはどういうことかといいますと、こういうことになっておるのです。今までの三団体が今言った小作地を取り上げるとかあるいは国家補償をさすとかいろいろな問題がありましたが、まずさしずめ国家補償という問題に焦点を置くならば統一された見解ができ上がるだろうという立場から、今度小作地の取り上げを放棄いたしまして、次にきたものがこの当時から、すなわち九月十六日ごろから今度は国家補償に切りかえていったわけです。その国家補償にどうして切りかえたか、これには
組織とかいろいろな問題があると思う。それはどういうことかというと、全国の地主三百万から年二百五十円、これは金額はいろいろあります。私たちのところは百円ずつ集めております。大きいところは二百五十円集めております。そうすると会費が七億円以上になってくる。その問題をめぐって何に使われたかは知りません。私は七億は集まっておるとは思いません。話半分としても一億近くは集まったと思う。そういうような
観点がこういうふうな状況に現われてきておる。幹部は職業ボスと化して生活にあえいでおる地主と運動資金を食いものにしておる。あるいはまた、補償連合会長の下条氏の独断で、運動資金の中から当時の岸幹事長に二千万円渡し、自分の選挙費用として三千万円使用した。それが同時に下條さんに対する告訴になった。そしてその連合会が分裂をしていった、こういう結果が生まれてきておる。その後そのような結果がだんだん発展をいたしまして、大体調査会ができ上がるという見通しがついたと同時に、今度は方法が変わってきた。ただ単にくれと言っておったことをやめにしようじゃないか。それであるならば見舞金と同じ程度のものはやめて、今度ははっきりした線を打ち出そうじゃないかという考え方に変わってきた。そういうような考え方に変わると同時に、保守党に対しまして強力な
一つの手の打ち方をやっていった。それがどういうふうに保守党の中に影響していったかというと、
御存じのように今までの調査会というものが特別
委員会となり、そして今度は自民党の中においてはっきりとした性格を打ち出すような状態になってきた。そこで今度は、新しくでき上がりました
農地問題特別
委員会、これは田子一民さんが会長になって、これが音頭をとって三団体の要求をある程度聞いておる。そこで三団体に統一しようじゃないかと、自民党の中で話し合いをされた。私どももしょっちゅう党内の皆さんから耳にしました。そういう状態で田子さんがそれを引き受けることになって、名前は補償でも救済でもいいから、そのかわり
内容というものをはっきりさしていこうじゃないかということが、大体そのときから問題の中心になってき、そうして自民党が仲介になって、ついに三団体が統一される、こういうような状態になってきたわけです。そこでこれらの三団体が統一されて今日に至ってきているわけですが、そういうような経過を振り返ってみたときに、これらの三団体が
一つになって連合会を作る。そうして今度は初めて皆様方の民情部の中に
事務所を
一ついただいて、そこには常任もちゃんといらっしゃる。そのような状態が、これは
質疑応答の中ではっきりしてきたわけなんです。そして
長官も事実そういうものはあるということを認められた。そして
長官自身も、それらの団体の選挙の際には推薦候補になりました。これは名誉ある推薦候補なのか、あるいはまた
——ともかく喜んでなられた、こうおっしゃっている。ところがその団体の中に、
福田現
農林大臣の名前も、ちゃんと推薦人の一人として現われておる。そこでまずお尋ねしたいのは、
福田農林大臣は、これらの団体に対して、そういう御推薦を受諾されたかどうか、これをまず第一点にお伺いしたい。