運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1960-05-06 第34回国会 衆議院 地方行政委員会 第28号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年五月六日(金曜日)     午前十時二十二分開議  出席委員    委員長 濱地 文平君    理事 飯塚 定輔君 理事 纐纈 彌三君    理事 田中 榮一君 理事 加賀田 進君    理事 阪上安太郎君 理事 門司  亮君       相川 勝六君    亀山 孝一君       津島 文治君    富田 健治君       三田村武夫君    山崎  巖君       太田 一夫君    佐野 憲治君       中井徳次郎君    安井 吉典君  出席政府委員         警察庁長官   柏村 信雄君         警  視  監         (警察庁保安局         長)      木村 行藏君  委員外出席者         警  視  長         (警察庁保安局         交通課長)   内海  倫君         参  考  人         (東京大学教         授)      今野源八郎君         参  考  人         (東京旅客自動         車協会会長) 藤本 威宏君         参  考  人         (全国旅客自動         車労働組合連合         会副委員長)  佐藤  保君         参  考  人         (全国交通運輸         産業労働組合同         盟会長)    古賀  専君         参  考  人         (主婦連合会副         会長)     春野 鶴子君         参  考  人         (株式会社丸見         屋副社長)   三輪 善雄君         専  門  員 圓地与四松君 本日の会議に付した案件  道路交通法案内閣提出第五八号)(参議院送  付)      ————◇—————
  2. 濱地文平

    濱地委員長 これより会議を開きます。  道路交通法案を議題といたします。  本日は参考人より意見を聴取することといたします。午前中出席参考人は、東京大学教授今野源八郎君、東京旅客自動車協会会長藤本威宏君、全国旅客自動車労働組合連合会委員長佐藤保君、全国交通運輸産業労働組合同盟会長古賀専君、以上四名の各位であります。この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところわざわざ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げる次第であります。  御承知のように道路交通法案は、最近の自動車激増等に伴う交通事情の著しい変貌と、将来予想される道路交通の一そうの複雑化に対処しようとして政府より提出されたものであります。本委員会といたしましても、いわば道路交通基本法となるべき本案の性格にかんがみまして、本案審査に一そうの慎重を期するため、本日参考人各位の御意見を承る機会を持った次第でございます。何とぞ各位におかれましては、それぞれの御立場から忌憚のない御意見を承りたいと存じます。  なお、参考人各位の発言は、初めに一人当たり二十分程度において順次御意見の発表を願い、そのあと委員参考人に対する質疑によりましてさらにお答えを願いたいと思いますので、さよう御了承を願っておきます。  それでは今野参考人よりお願いいたします。今野参考人
  3. 今野源八郎

    今野参考人 私、道路交通政策の面から、そういう立場からこの道路交通法に対する意見を申し上げさしていただきたいと思います。  道路交通に関する基本的な法律として、従来の道路交通取締法にかわりまして道路交通法提案されました。それは単なる道路取り締まり的な法律ではなくして、道路交通の基本的なあり方規定する法律であるという趣旨のことがうたわれております。そういう立場から考えてみますと、道路交通法として一番重要な問題は、安全性を確保するということであるとともに、道路交通機械化近代化、そして経済成長に必要な道路交通発達をはかるということだと思うのであります。各国立法の実例を思想的にたどってみますと、一九一〇年までは、大体自動車交通上の危険物視する、そういう思想取締法が強かったのでありますが、第一次大戦後、自動車を便利な交通機関として交通革命に導入しようとする思想が台頭します。申すまでもなく、一九二〇年代に大体今日のような各国道路交通に関する法律体系ができてきたと思うのであります。三十年代に入りまして積極的に道路交通発達をはかる、自動車普及をはかるという立場から、アメリカ、ドイツあるいはその他の国に見られますように、進歩的な道路交通発達を積極的にはかる政策がとられて、法令の上でもその体系化が見られるのであります。そういうことは、結局においてその国に必要な道路交通輸送力を高め、そうして経済成長交通成長を支持してきたものであります。これを日本立法について見ますと、残念ながら一九一〇年代の思想がなお強くございまして、わが国道路交通取締法というものが、かなり古い思想によって強く特徴づけられておったように思うのであります。しかし、今回全面的なかなりの改正が見られまして、安全性と同時に交通流れ円滑化をはかろうとされることは、その趣旨において賛成であります。しかし同時に率直に申し上げますと、あまりにも安全性にとらわれ過ぎまして、道路交通経済的に必然的な機械化自動車発達交通発達近代交通の歩みを、ややもすれば阻止するような条文が見られることは、まことに残念なことでありまして、そういうことに対しまして、若手の私個人の修正意見を持っておるものであります。  その点について主要な点を二つあげたいと思いますが、一つは、従来原付自転車あるいはオートバイ許可制にしておりましたものを免許制にするということ、これは私自身の考え方からしますと、また世界的な大勢からいたしましても、従来の現行法通り許可制がよろしいのではないかと思います。第二に小型車免許というものが従来ありました。これは申し上げるまでもなく、日本自動車行政上、税制上、優遇してきた小型車であります。これを免許の種類において単純化する、あるいは合理化するということの理由から、小型免許普通免許と一緒にするということに対しましては、やはり自動車普及という点から見て、あるいは伝統的なわが国自動車行政という点から見て、現行法通りでよろしいのではないかということを感ずるものであります。これらの点につきましては、法案の第八十四条、第八十五条の規定に関するものでありまして、なるべく自動車発達を人為的に押えないということ、そうして正しく自動車交通あり方を教えて規制していくということが、進歩的なあるいは区正しい考え方ではないかということから、このような意見を申し上げるわけであります。第三の点は、自動車運転免許試験制度先進国並みに改善してほしいということであります。条文を拝見してみますと、かなり改善されているようであります。そうして合理化をするということをうたっておられます。しかし御存じのように、日本試験世界で最もむずかしい試験でございまして、また法律内容のまる暗記というふうなことを試験内容としているようなきらいがございますが、どちらかと申しますれば、もっと実用的な内容試験をしていただきたい。たとえば法律のそのままの言葉がわからなくても内容を理解していれば。パスさしてもいいのじゃないかという気がするのでありまして、そういう点では実際現在の試験制度というものに対して、これはこまかい話になりますし、いずれ施行細則その他できめられることだと思いますが、受験者に親切な、そうして自動車発達が国のためになるのだという立場から試験制度を改善していただきたいと思うものであります。  次に、試験に関連いたしまして、自動車教習所あり方でありますが、教習所重点主義におきましては、今度の法律においても同じことだと思うのでありますけれども、もし教習所に行って国民試験問題を勉強し、そして試験を受けるという現実的な方法がとられるといたしますならば、なるべく教習所の数をふやしていただきたい。こういうふうに原付自転車オートバイまでも、法規については試験をするということでありますならばなおさらのことでありまして、不便な地方の町村を見てみますと、そういうところには教習所もない。法律を理解する能力もない。しかし経済的には、それらの原付自転車なりオートバイなりあるいは小型車なりを利用した方がビジネスのためになる、また国のためにもなるというような場合に、何時間も汽車に乗って教習所に通うとか、あるいは非常な困難が伴うわけでありまして、現実的な方法としましては、教習所重点を置かれるならば、教習所の数を非常にふやしていただきたいということであります。御存じの方が多いと思われますが、ただいま東京のどこの教習所に行きましても、あしたの番をとるのにきょうでなければならないというふうでございまして、かなり教習所受験希望者があふれておるような状態でございます。私、若い学生を相手にしておりますが、学生の大部分のものは免許をとりたがっておるわけでありまして、これは日本人として近代的な教養を身につけ、また自分交通機関自分で持つということが当然でございますので、その免許を簡単にとれるというふうに工夫していただきたいと思うのであります。  それに関連いたしまして、学校教育制度日本学校教育普及というものは世界で最も普及率が高いといわれておりますが、その学校教育制度をもう少し活用できないかという気がするのでございます。九十九条の第三号に「高等学校機械科を卒業した者で、自動車に関する学科を修得したもの」は運転免許試験の一部を免除することができると書いでございますけれども、単に機械あるいは構造の面だけでなくして、自動車法令に関する、今問題になっております道路交通法に関する非議にいたしましても、大学はもちろん高等学校の課外の教育あるいは随意の教育科目として、それを修得した者に対しては免除するというふうなことも必要ではないかと思うのであります。こういうふうなことを私申し上げます理由は、結局三十三年の衆議院地方行政委員会の御決定にもありますように、交通事故防止するためには、交通法令普及交通道徳の確立が必要でございまして、国民全部が道路交通法必要最小限度の知識を持つことが交通事故防止に役立つものでありまして、新しく車を持とうとする者の免許を困難にし、あるいは取り締まりをさらに厳重にすることだけによって問題を解決することはできないことは歴史の教えるところでございます。そういうことではなくして、むしろ積極的に交通思想、安全な、自動車を持ったときの道徳なりあるいはマナーあるいはエチケットというものを国民大衆が知ることによって、初めて交通事故は防げると思うのであります。     〔委員長退席纐纈委員長代理着席〕 だんだんこれをむずかしくして参りますと、結局限られた人だけが知っているということになる心配があるのでございます。もちろん提案法案の御趣旨の中にも、そういうものではなくして、普及させるということがうたわれておりますけれども、実際に行なわれる面を見て参りますと、どうも従来のような傾向になりはしないかということをおそれるものであります。また運転免許制度合理化をはかるということからしまして、各都道府県の免許事務の単一化、適正化をはかり、全国的な基準を命令で定めるとしておられますけれども、これにつきましてはプラスの面とマイナスの面がありはしないかと思うのであります。北海道の道路交通事情と、東京道路交通事情とは違うのでありまして、なるべく地方的な特徴も生かすということもお考え願いたいと思うのであります。  結局、申し上げたいことは、交通事故というものが法律だけの力によっては防げるものではもちろんございませんので、道路容量、キャパシティを拡大するということ、そうして交通流れを科学的に、交通工学的に御研究下さいまして、そういった交通流れのあるところには広い道路を作っていただきたい。道路を作るまで仕方がないからこういう法律を作るのだという御意見でありますならば、それは同時にしていただきたいということでありまして、各国の例を見ましても、道路容量を拡張するということ、交通道徳を確立するということとが同時に行なわれておるのであります。いろいろな意味自動車交通を制限するということは、経済問題としては深刻な影響を持つものでありまして、道路交通発達は、鉄道発達あるいは航空発達と並んで国民経済上必要なものでありまして、国としまして交通成長をはかるということは、最も新しい自動車交通発達航空輸送力発達をはかることによって、わが国経済成長が国際的に競争し得るものと思われます。従いまして、交通事故というものが単に人間的な間違いというふうな形を一応はとりますけれども、それは道路という一つのフィジカル・プラント、物的施設交通流れと機能が合わないところに起こる一つディスロケーションである。偶発的なものと見られますが、結局道路陳腐化、機能的に古くなって役に立たない道路をわれわれが使おうとするところに一番の問題があるわけでございます。もう一つ交通法律は知っておっても、それを守れないあるいは守ろうとしないという道徳上の問題あるいは仁義の問題だと思うのでありまして、よく外国でいわれます正しいドライブの仕方というものを国民的な思想として教えていただきたいと思うのであります。もちろんそういうことは申し上げるまでもないことのようでありますけれども、ただ交通量を制限する、あるいは新しく自動車を持とうとする人を制限するというような思想が万が一にもありましたならば、それは国民経済上非常なマイナスであるということを私この法案を読んで痛感したわけでございます。どこにそういう思想があるかといわれますと、これを読んで、一般に罰則を厳重にする、あるいは免許につきましても簡易化するといわれながらも、ややもすれば従来よりも多くの課題を要求されるのではないかというふうな印象を持ったわけであります。また同時に、日本の伝統的な考え方からそういうことを考えるわけでございます。もしそうでなく、非常に積極的にモビリゼーションを推進するための法律であるというならば、私の言うことは杞憂になると思うのであります。しかし、その場合においても、先ほど申し上げましたような三点につきましては御考慮願えれば幸いだと思うのであります。  なお、法案提案に関連いたしまして、法の目的として、交通の安全と円滑化をはかるということがうたわれておりますが、円滑化ということは何を意味するかということ、同時に経済的には能率化をも考えていただきたいということであります。第二に用語表現を平易にしたとおっしゃいます。確かに前の現行法に比べますと平易になっております。しかし、私ども国民立場から申しますと、もう少し覚えやすい内容のものについて試験をしていただきたいと思うのであります。ここにアメリカイギリス交通に関するわかりやすい法規の解説がございますが、正しく運転するにはどうしたらいいかというようなことでございまして、小学校からやっている「われわれ運転者」、ウイ・ドライバース、こういうわかりやすいパンフレットもございます。それからこれはイギリスハイウェイコードでございますが、実によく図解をしておりまして、大ていの小学校を出た人ならわかるわけであります。これを、私たち今まで勉強してきました日本法律に比べてみますと、非常に困難でございまして、定義も非常にわかりにくかったわけでございますが、今度簡明直截な法文にされたことは非常な進歩だと思いますけれども、さらに一そうわかりいい文章にして、これだけは覚えろ、それでこれだけ覚えていれば試験に通していただけるような試験をしていただきたいと思います。これにも同じようなパンフレットがございます、これはアメリカ高等学校における運転教育の現状を書いたものでございます。さらに先ほど道路を改良することによって交通事故は防げると申しましたが、これもそうでございまして、住宅地の造成にあたって交通安全がいかに考慮さるべきかということがこのパンフレットの中に書いてございます。  結局交通事故防止は、総合的な政策によってのみ防げるわけでございまして、法律だけの改正によっては所期の目的を千分期待できないのでございます。しかし、法律もきわめて重要なものでございますから、今回のような改正につきましては、最初述べましたような三つの問題を除きましては私は賛成でございます。  簡単でございますけれども意見を申し上げました。(拍手)
  4. 纐纈彌三

    纐纈委員長代理 ありがとうございました。次は藤本さんにお願いいたします。
  5. 藤本威宏

    藤本参考人 藤本でございます。業者立場からこれについて意見を述べろということでございますので、その立場から述べさせていただきます。  私どもは、今般改正案として提出されました道路交通法につきましては、業者立場から二、三の点が非常に強く印象づけられますので、それをまず申し上げまして、あとから個々条文についての意見を述べさせていただきたいと思っております。  その一つは、いろいろ言われておりますように、単に法律改正だけで、今日のような輻湊した交通事情あるいはますます多発する交通事故が防げるかどうかということについては疑問があるところでございまして、これについては異論ないところでございますが、ただ今日与えられた条件のもとにおいて、この改正案現行道路交通取締法よりも非常に合理的であり、また近代化されているということについては、これは明らかであると考えております。特にこの改正案がその法の目的に、従来の交通事故交通取り締まりという点のほかに、交通を円滑にするという点を加えていることについては、これは刮目すべき点だと考えております。むしろ、この後者の交通の円滑ということがもっと強くこの法案に織り込まれてもいいんじゃないかと考えている次第でございます。と申しますことは、今後の日本交通事情を考えてみましても、自動車交通が、鉄道とか航空とかよりもより大きな、いわば主流となるであろうということが予想されることでございまして、その場合に、この交通円滑化ということが、ひいては国民経済とか社会生活等について切っても切れない影響を与えるだけじゃなくて、これらがうまく調整できない場合には、たとえば大きな意味においてはコスト・アップとかいろいろな大きな社会的影響も及ぼすだろうと考えておりますので、その点から見ましても、この交通円滑化ということにもう少し重点が置かれてもいいんではないだろうかという点が考えられる次第でございます。もちろん交通円滑化には、その他国民道徳問題とか、あるいは道路政策とか、そういった根本的な総合的な交通政策が必要であることは言うまでもございませんが、この道路交通法の中においても、もう少しそれを強く織り込んでもいいのではなかろうかと考えている次第でございます。それについては個々条文の際に、二、三述べさせていただきたいと考えている次第でございます。  第二の点は、確かに警察権が非常に強化されているというふうには考えられるのでございますが、私どもは、さきに申し上げました交通円滑化ということが、社会的、経済的にどうしてもこれだけは遂行しなければならぬというような強い考え方を持っておりますので、その点ではやむを得ないんじゃないだろうかと考えております。ただ大方の御意見のように、今回の改正案が、これを運営する警察官の質によっては、非常に悪影響も及ぼすことも確かであると思っておりますので、ぜひ末端の警察官に至るまで、今回の改正案意味をよくくみとるように一つお願いしたいと思っている次第でございます。つまり、単に交通を取り締まるのだということじゃなくて、われわれがこういうことも甘んじて受けるということについては、社会的、経済的にも交通の円滑、これをどうしてもここで確立しなければならないのだというようなことから考えているんだということを御認識願いたいと思っている次第でございます。  それともう一つ、ちょっと余談になりますが、一カ月くらい前からジャパン・タイムスに、外国記者日本交通事情印象記というものがずっと載せられておったわけでございますが、それを読んでみまして感じましたことの一、二を申し上げますと、日本警察官自動車というものをよく知らないんじゃないだろうか、つまり運転自分でやりますと、なるほどこういうところは一番事故が起こりやすい、こういうところは取り締まるべきだという考え方がするんだけれども、それが自動車を知らないために、取り締まりのポイントを失しているんじゃないだろうか、従ってもう少し自動車運転をじかに習わなければならないんじゃないだろうかということを言っておりましたが、この辺についてもよく御留意願いたいと考えている次第でございます。それからこれに関連した罰則の強化についても、批判される向きもありますが、これも改正案趣旨から見てやむを得ないと考えている次第でございます。  その次の点は、今回の改正案には交通の円滑ということをうたっておりますが、道路空理者との関係について、建設省というような他省との関係もあるだろうと思うのでございますが、ちょっとあいまいになっているんじゃないだろうか、特に八十条等の規定について、何となく何か低姿勢過ぎるというか、若干この辺もう少し具体的な規定があっていいんじゃないだろうかと考えている次第でございます。  次に、個々条文について一つ意見を述べさせていただきます。それは一つは第十三条、第十五条というようなところの、要するに歩行者への規定でございます。特にこの第十三条第二項に触れられている、つまり横断についての問題でございます。これは横断については罰則というものが一切ないわけでございますけれども——泥酔者等いろいろ罰則がついておりますけれども、今回の場合にはやはり横断等歩行者についてもある程度罰則は与えるべきではないだろうかと考えている次第でございます。それは単に運転者の方だけが責められるといったようなバランスの問題を言っているのではないのでございまして、あくまで道路交通円滑化ということを中心に考えております。一例を申し上げますと、先日たまたま私居合わした事故でございますが、それは横断歩道に突然——それはほんとうに突然、自動車がかわすひまもなく飛び出してくる子供がおりまして、その飛び出してくる子供を無意識的に避けるためにハンドルを切った。なるほどその歩行者子供は助かりましたが、そのかわり向こうから来る自動車とそれは大へんな衝突事故を起こして、そこで何人もの人が死んでいるということでございました。ということは、ただこの横断歩道を勝手に飛び出す、それもたとえば高速度道路に準ずるような道路である一国道、二国道といったような幹線道路に近いところ、こういうような指定した場所でけっこうでございますが、その場所においての横断については、これはやはり相当の考慮を払わなければならない。単にその人だけのことではございません。その人だけじゃなくて、現実に多くの運転者が、飛び出してくる人を避けるために、相手方に行って家の中に突っ込んだり、相手方から来る車にぶつかって、より多くの災害を起こしているということでございまして、こういうような事故防止の観点から申し上げましても、また交通の円滑という点から申し上げましても、公安委員会等が指定する重要道路とか、指定する道路においては、歩行者横断についても、これは罰則を与えるべきじゃないか。そのくらいにしなければ交通の円滑は守り切れない、このように考える次第でございます。この事故防止だけを中心に考えておきまして、それで今のようにこの辺をほっておくということになりますと、どうしても交通は停滞する、あるいは今言ったようなより多くの事故が生ずるということもございますので、特に歩行者横断についても、これは十分に何らかの罰則も与える——罰則のための罰則ではございません。予防のための罰則をここできめるべきではないだろうかと考えている次第でございます。  二番目に、第七十四条第三項に泥よけ器を備えろというような規定がございますが、これはどうも、どの国の例を見てもあまり例を見ない奇異な規定でもございますし、これはわが国道路事情からこういうような規定が生まれたものとも思いますけれども、いわばうたい文句の何から何まで近代化ということから見ましても、ちょっとそぐわないものを感じますし、また過去にある例からいって、おざなりの泥よけではなくて、ほんとうの泥よけをしようと思うと、なかなかこれはむずかしいものでございまして、かえってタイヤに巻きついたりいろいろいたしまして事故を起こすような原因にもなっております。従って、おざなりの泥よけなら意味をなさないし、ほんとうにやろうと思えば、そのほかにもいろいろな弊害も起きるしいたしますので、これはやはり第七十一条第一項と同じような、徐行させるとか、そういったような緩和した規定にしてもらいたいものであると考えている次第でございます。  その次に、これは重大問題でございますが、第七十五条に車両等の運行を管理する者の義務がうたわれております。この第二項に過労というような問題も出ておるわけでございますけれども、これは御存じのように、私ども業者から申し上げますと、十分に注意をして、運転者のその日のからだの状況その他も十分に見ながら出すわけでございますけれども、何分外に出て、いないことでむずかしい問題でございますので、疲労の測定等についてはきわめてむずかしいというのでございます。従って、これについては、あとでいろいろ問題も起きるだろうと思いますが、ぜひ道路運送法の第百三十二条と同じような規定をここに入れてもらいたい。御参考までに道路運送法の第百三十二条を読ましていただきますと、こうなっております。「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者がその法人又は人の業務若しくは所有し、若しくは使用する自動車若しくは軽車両に関し、第百二十八条から前条までの違反行為をしたときは、行為者を罰する外、その法人又は人に対しても、各本条の罰金刑を科する。」そのあとの問題でございますが、「但し、法人又は人の代理人、使用人その他の従業者の当文、違反行為を防止するため、当該業務に対し、相当の注意及び監督が尽されたことの証明があったときは、その法人又は人については、この限りでない。」こういう条文がございますが、われわれ事業者といたしまして、あるいは運行管理者といたしまして、十分注意をする、または運転者の疲労とか、からだの状況にも十分注意を尽くしたあげくにおいて事故が起きた。さらにそれが前の晩に夜ふかししたことが原因だったということが事故の起きたあとでもってわかった。こういうときになりますと、やはりこの辺の道路運送法のような条項を、ただし書き以下の問題を入れていただきたい。これはぜひ入れていただきたいと考えている次第でございます。御存じのように、こういったものに対しましては、今回は両罰規定でございまして、こういったものが起きた場合には、運転者はもちろん罰せられますが、まず運行管理者が罰せられる。またこの百三十二条によって、経営者の方も罰せられる。いわば二重に会社の経営者も運行管理者も、運転者も三人が罰せられるというような、非常にその点はきつい条文でもございますだけに、この辺のところは、十分に監督し注意をし、その証拠が明瞭であったにかかわらず起きたという場合については、道路運送法のようなただし書きをぜひ入れていただきたい、このように考えておる次第でございます。  さらに次の点は八十条の点でございまして、これは先ほど一般論の中でも申しましたが、いわばちょっとしろうと考えでございますが、拝見いたしますと、この条文は、国とか直接管理者が道路工事をするときはちょっと協議すればどんどん直してもいいというような印象も受ける条文ではございますが、この辺はぜひ先ほどの道路の効率的な使用、円滑化というような積極的な目的のために、これを何かそのようなことではなくて、もっと道路管理者との間において、これが防ぐことができるような具体的な条文を入れていただきたい、そのように変えてもらえば幸いであると考えておる次第でございます。  最後に、これは本条文と直接関係はないと思うのでございますが、試験の問題でございます。この中には、内容的にぜひ試験通り一ぺんの試験というのではなくて、最近私ども業者が盛んに注目してやっておりますのは、社会心理学的な観点から事故防止を考えております。ということは、今までのように反応動作がおそいとか早いとかいう問題ではなくて、事故自身が相当社会心理学的な性格論、性格がどうだとか、そういったような分析からも、非常に事故を起こしやすい性格が明瞭に出てきておるようでもございますし、われわれ採用のときにも、そういったことを中心に、たとえばMMPIとかいろいろな方法がございますが、そういうような試験方法も利用しておるわけでございまして、その点も、こういうような試験の中には織り込んでいただきたい。形式的な法文を暗記するとか、わかっているというだけではなくて、事故を起こしやすい性格の分析とか、そういったこともぜひ織り込んでいただいて、この試験制度がより向上されればけっこうだと考えているわけでございます。大体以上で意見の陳述を終わります。(拍手)
  6. 纐纈彌三

    纐纈委員長代理 ありがとうございました。  次は佐藤さんにお願いします。
  7. 佐藤保

    佐藤参考人 昔の取締法時代から、特にわれわれのために取締法のあった時分から非常に関係の深いバイヤー、タクシー労働者の立場から若干の意見を申し上げてみたいと思います。  道路交通法は、国民一般に非常に関係の深い法律であり、また日常生活にも直接的なつながりを持っておるというところの法律があるわけでございます。従って国民大衆がこの法律を理解し、協力して初めて法改正の成果が上がるということが言えるのではないか、このようにわれわれは考えておるわけです。従って国民の健全な世論の反映の上で改正すべきだというふうに私どもは考えておったのでございますが、警察庁は昨年の八月ごろから条文の作成に着手しておるということを私どもは聞いております。そうして形式的には準備懇談会というようなものを持ちまして、一部の方々の意見を聞いているようにわれわれも漏れ聞いておるわけでございますが、実際は、やはり警察庁が秘密的にこれを作成してきたというふうにわれわれは判断をしておるわけでございます。ほんとうに交通の安全を心から望んでいるものはだれであるのかという問題を考えていくならば、やはり国民大衆であり、特に関係の深いバイヤー、タクシーの労働者の意向というものが反映されておらなければならないのではないか、このように私どもは考えておるわけでございますが、全然私どものハイヤー、タクシー労働者に対して、この準備懇談会に対しての呼びかけもなかったという問題があるわけでございます。このことに対しては、私どもバイヤー、タクシー労働者の全国組織としての全旅労連は、八時間制の問題、また神風タクシーの問題等、行政官庁に対して、その存在も認められ、協力もしてきたように私どもは自負してきたわけでありますが、今回は何の呼びかけもなかったということで、やはりこういったところが問題になってくるのではなかろうかとわれわれは考えております。このような考え方というものは法を国民大衆に周知徹底させて守らせる、そして協力させるということではなしに、ただ取り締まれば事は足りるのだ、取り締まりでもってもう問題が終わるのだという考え方が強く出ておるような印象を私どもは受けるわけでございます。御承知のように、現行法律は昭和二十二年に実施されて以来、部分的な改正を十回にわたって行なわれております。また施行令は、昭和二十八年から数十回にわたって一方的に相当大幅な改正が行なわれておるというような状態の中で、今政府が、この改正を実施したところの施行令を本文に繰り入れる。私どもがいろいろと調べたところによりますと、その施行令自体が、やはり五十回以上の改正が行なわれているということを聞いておるわけでございますが、こういった一方的に改正実施された施行令を本文に繰り入れて、これを積み上げたところで、実績の上に再び改正をしようとしているのではないか、このように私どもは判断がなされるわけでございます。私どもは、やはり交通といいますか、そういったハンドルを握っておるというような職業でございまして、自分の生命と家族の生活をささえておるという運転を職業としておるところのわれわれ労働者は、切実にだれよりも交通の安全のことを願っておるわけでございます。従って、私どもは正しい法律改正を一貫して叫んでおるわけでございます。昭和二十八年以来、私ども道路運送法、道路交通取締法施行令の改正を一貫して叫び続けてきたわけでございますが、この問題に関して私どもの意向というものは全然反映されないし、また改正しようとするときに、私どもに対して何ら呼びかけも行なわれなかったというような事情でございます。特にここで私どもがこの法改正の中で強く叫んで参ったのは、現在私どもに課せられておるところの司法、行政の二重処分という問題がございます。この問題が、総理府令の七十五号の解釈から非常に不当過酷に行なわれておるという現状でございます。この不当過酷に行なわれておる司法、行政二重処分の実態というものを明らかにするために、私どもは資料も整えて準備しておるというような現状でございます。そういったような問題に対して全然触れられておらないという情勢にかんがみて、今回の改正案には根本的な多くの矛盾をはらんでいるのではないかというふうに私どもは考えておるわけでございます。  そこで、この法律改正する警察庁は大体どいううような考え方を持っておるのかという点で、かねて私どもは警察庁にいろいろと陳情並びにそういったお話し合いに行ったわけでございますが、そこで責任のある方がこういうことを言っております。事故防止に対して根本的な交通行政というものをやる必要があるのだ。たとえば道路行政だとか、そういった問題が必要なのだ。しかし、今その問題に関しては時間と金がかかるということで、早急にはできない問題だ、こういうことを言っております。従ってまず第一番に取り上げる問題が法改正だと言っておりますが、私は、やはりこういったところにもかなり問題がひそまれておるのではないかというふうに考えております。このように政府交通に関する欠陥、交通行政といいますか、総合的な交通行政の欠陥を、ただ法改正すなわち罰則強化によってのみ解消できるという考え方は、非常にあいまいでもあるし、せつな的でもあるのじゃないかというふうに私どもはやはり考えるわけでございます。やはり私どもが反対する理由というものは、こういうところから生まれておるということをはっきりと申し上げておきたいと思います。  それから私たちが法改正に対して反対する理由の中でいま一つの問題点として申し上げておきたい点は、それでは現在の取締法ではどうなんだという問題であります。現在の取締法でも十分これが活用されておらないというふうに私どもは考えております。現在の取締法でも十分取り締まるものは取り締まれるし、何でもやれるというふうに考えておるわけですが、ただ法が改正されて事故が減るのならけっこうだと思いますが、しかし私たちは、何といっても交通に関するところの総合行政というものが必要であるのではないか、このことの貧困をただ法改正によって事故が減るのだというようなあいまいな考え方に対して、やはり猛反省を促したいと考えておるわけであります。現にこのことに関しては過日新聞にも出ておったように、地方行政委員会の、また運輸委員会の諸先生方が、実際にどのような交通の状態であるかということを現場でいろいろと見られたと思うのですが、あそこの中でおそらく諸先生が感ぜられたことは、この中へ今度の法改正を持ってきて事故が減るのかどうか、たとえば一貫して流れておるところの安全、円滑という問題が、法改正によってあの現場の中ではたして可能なのかどうかということをやはり直感で考えられた問題点ではないだろうかというふうに考えておるわけであります。このように非常に多くの矛盾をはらんで、しかも根本的な総合交通行政というものが何ら論議されずに、ただ部分的に法体系を整備するのだ、罰則を強化するのだということが一貫して法改正の中に盛られておるということであれば一考を要する問題があると私どもは考えております。  この改正案をながめてみると、なるほど法体系の整備という点では確かに整備されておると思います。非常に複雑であるといわれた施行令も、そういった法体系の整備という点では非常によく整備されておるというふうに私どもは考えておりますが、全体を通して見ると、先ほど私が申し上げましたように、具体的な施策というものが何らなされておらない。言うならば、ほとんどが精神規制、すなわち道徳教育のような全文でつづられておるのではないか。たとえば歩行者は行ってはいけない、横断してはいけない、運転者は飛ばしてはいけない、人を飛ばしてはいけない、何々をやってはいけないというように、全くの精神規制だけのように、全体を通して見るとそういう印象を受けるわけであります。このような面が全体の法体系を整備したという中で流れておるということでございますが、その中で、やはり歩行者や自家用車族に対する指導性が全く具体性に欠けておるという点も総括的に言えるのではないか、このように考えております。  それから次に、政令できめるということが非常に多いわけであります。全体を通して見て政令できめるのが約三十以上あると思います。参議院から修正された面はまだ具体的に細部にわたって検討はしておりませんが、政令できめるのが非常に多いということであります。先ほど冒頭に申し上げたように、政令できめるところに問題があるのではないか。やはり実績を積み上げた中からこれを本文に繰り入れるという今の法改正の技術的な問題等を考えてみるならば、やはり政令できめるにしても、できるならばこのことに対しては若干の方向づけくらいは出しておく必要があるのではないか、このように考えておるわけでございます。  次に、道交法は道路におけるところの危険防止交通の安全をはかることだが、新たに今度の法改正の中に円滑ということが非常に強く出されておるわけであります。このことは非常にけっこうなことだと思いますが、ただ単にうたい文句であってはならないのではないか、このように考えております。言葉のあやとうたい文句とでこの円滑ということを考えるならば、私ども、やはり法改正全体を通して見て、全く改正すればいいのだという結果になってしまうのではないか。少なくともこの円滑の問題につきましては総合的政策の麦づけが必要ではないかと考えております。  具体的に言うならば、たとえば車両構造上の問題があろうと思います。年々大型化していく、しかも車がふえるという状態の中で、自動車道路関係を調節し、また統制するための方策は何らなされておらないという現状の中で、ただ円滑化ということだけが出ておるということになってくると、これは単にうたい文句にすぎないのではないかというふうに考えております。そのためには大体第百十条と百十一条とに若干この問題に関して片りんがうかがえるわけですが、こういった問題こそは大胆に取り組んでいかなければならないのではないかというふうに私どもは検討いたしておる次第であります。  次にまた定期路線バスとか、トラック、タクシー、観光バス等の認可は、一応道路事情が加味され、しかも需給調整という問題も十分加味された中から許可ということがなされておるわけですが、自家用車の使用は野放しであるというところにも若干問題点があるように私どもは考えておるわけであります。運輸省が認可にあたって自家用事の認可基準というものをやはり明確にしておく必要があるのじゃないか。こういうことが野放しでは、一方においては企業としてのトラック、タクシーとか、そういったものが非常に厳重な需給調整、道路事情とかいうものまで加味されて基準になっておるのに、自家用車の場合は全く野放しであるというところに、現在の道路事情とか、道路に対するところの統制という問題が野放しではないかというふうに私どもはやはり考える次第でございます。  また、この点は非常に問題だと思うのですが、運転者の義務事項中に過労運転の禁止という問題がございます。この中では最高速度の遵守、それから最低速度の遵守、安全運転の義務等の規定があるわけでございますが、ここで一方雇用者の義務として、運転者に義務違反をしいるようなことをしてはいけないというだけでございます。これは非常に抽象的な規定だと思う次第でございます。科学的に乗務時間とか、走行キロなどについて行政指導を行なうべきではないかというふうに考えるわけです。現在陸運局で若干実施しているところの走行キロの規制などという問題もございますが、走行キロの規制のきめ方がきわめて非科学的であったということは、すでに皆さんが十分御承知のことだろうと思います。特にこの問題で走行キロの規制が非常に非科学的だということは、警察庁自体がよく知っておるのではないか、こういうようにわれわれは考える次第でございます。道路交通全般の立場から考える必要があると考えるわけです。  次に、改正案中特に重大な政治的改悪の意図があると思われる点は次の点でございますが、第六条、七条、十一条、七十七条、こういった条文がやはり警察官、公安委員会の権限拡大という問題として解釈されるわけでございます。これは各個条ごとには混雑緩和の措置とか、通行の禁止とか、行列等の通行、道路使用の許可等の問題でございますが、これと裏はらであるところの罰則を総合運用した場合においては、現場にあるところの警察官の裁量によって、集団の示威運動、争議行為の弾圧等は容易にできるというふうに解釈される節が非常に多いわけでございます。このことは交通の安全と円滑の名に隠れて警備公安警察上の必要を満たそうとする、言うならばなしくずしの警職法の疑いが十分であるというふうに私どもは検討した次第でございます。参議院におきましては、若干この点で修正がされておりますが、根本的な疑いが解消されておらないというふうに私どもは見ておるわけでございます。  次に、運転者、一般歩行者に対する罰則の強化の問題でございますが、俗にいうところの酔っぱらい運転とか、それからカミナリ族といわれるところの一部の悪質者に対する罰則の強化は当然だとしても、罰金で五倍ないし十倍、体刑で二倍ないし四倍というのは法律的な根拠について妥当性を欠くのじゃないかというふうに私どもは考えております。この問題に関して警察庁は、決してこれは強化されたのではない、大体今まであるところの一般の、たとえば軽犯罪法とか、メートル法とか、売春禁止法とやや同じような法律に持っていったのだということを言っておりますが、少なくとも国民の欠くべからざるところの交通という問題に関して、メートル法とか、売春禁止法と同じような考え方でもってこの罰則が強化整備されるということに対しては、私どもは非常に多くの疑問を持っている次第だ、このように考えております。特に現在の経済情勢の中で、われわれ運転を職業としている者の負担能力ということを考えてみるならば、罰金の問題なども五倍、十倍ということは、この負担能力をはるかに越えておるのではないかと私どもは考えているわけでございます。従いまして罰金、体刑の強化は、現下の道路交通事情からして事故がなくならないという中で、どういう考え方からこういうものが出てきたのかということでございます。特に矛盾点としてあげてみますと、明らかに雇用者の責めに帰するものであっても、雇用者に対しては両罰規定があるのみで単独罰則がないということでございます。たとえば過労運転でございますが、私どもはやはり労働者として働いておるという建前から、好きこのんで過労運転をしようなどという考え方は持っておりません。少なくとも過日、昭和三十三年に当衆議院の地方行政委員会できめられたところの交通事故防止に関する決議の中でも、第三項の問題等を考えてみるならば、事故防止の中にわれわれの労働条件なり賃金なり、そういった問題がやはり大きく指導、監督していかれなければならぬという決議がなされておるところを見ても、決して好きこのんで過労しておるものではないということを考えるならば、これに関しては当然雇用者の責めというふうに私ども考えるわけでございますが、このことに関して両罰規正があるだけであって、雇用者に対する単独罰則がないということがやはり若干矛盾ではないか。罰金、体刑等が五倍ないし十倍されたという点から考えても、こういった点は若干矛盾だというふうに私ども考えております。  それから次の問題は乗車、積載の方法、制限に対しての問題でありますが、法体系としては乗車制限の方法、積載制限の方法等もよくわかるのでありますが、問題は守れる実情にあるかどうかということをよく考えてみなければならないと思います。これも朝夕のラッシュ時を見れば、定員乗車という問題がはたして守れるかどうかという問題、もし乗車なり積載の方法、制限等に関して、これに違反した場合においても、これも運転者の責任だというふうになっておるわけでございますが、こういった問題こそ、明らかに運転者だけではなしに、やはり雇用者といいますか、企業体そのものにこそ問題があるのではないか。こういったこともおしなべて罰金が十倍だということになってくると、私どもは矛盾だと考えるわけであります。今申し上げたように、過労運転の禁止等の規定があるが、こういった場合でも使用者の責任こそ関わるべきであって、労働者が賃金労働をやっておる建前からいって、六カ月とか五万円以下という罰則はとんでもない話だと考えておるわけです。  それから次の問題は、免許証の過失による不携帯の場合でございますが、これもやはり三万円以下の罰金に処せられるということでございます。事故の間接的な重大原因の一つである道路の不正使用、しかも警察署長の許可条件に故意に違反したものも同じ刑罰であるということが私どもは非常に矛盾だと占うのであります。たとえば、免許証はもらってあっても過失による不携帯と、事故を惹起させるところの重大原因を作るところの道路の不正使用だとか、警察署長の許可条件に故意に違反したものでも同じ刑罰だというところにも、やはり罰則の強化という問題で五倍、十倍というようなことは非常に矛盾だというように考えております。このように罰則の強化に関しては、直接関係のあるバイヤー、タクシー労働者の立場から、かなり矛盾点があるというように考えて、罰則の強化に対しては反対せざるを得ないというふうに考えております。  次は運転免許制度改悪の問題でありますが、運転者の適性が重要視されるということに対しては異論がないところだと思います。私どもも、このように交通が激増してくるというような状態の中で、運転者の適性が重要視されるということについては、一面において妥当であるというふうに考えておりますが、一方において金さえ出せば簡単に免許証が交付されるような条件があるわけでありますが、このことあたりがかなり相矛盾した一つ考え方ではないかというふうに考えております。こういった問題では適性が重要視されておる、しかも金さえ出せば、自動車教習所とか学校で簡単に免許証がとれるわけでありますが、これでは統一水準の維持、適性検査指導をするのに非常に困難ではないかというふうにわれわれは考えております。このことについて適性検査の範囲、方法等に対しても政令にゆだねられておるわけでありますが、こういったあたりが、地方の特色を生かすといえばそれまででありますが、政令にゆだねられておる適性検査の範囲、方法も非常にあいまいであるというふうに私どもは考えております。  免許証の取り消しと停止等の場合でも、聴聞といういわば形式的な弁明の場があったとしても、結局は公安委員会または警察官の任意的な判断によって、その職業を奪われていく免許証の取り消し、停止が行われ、しかもこういったことについて回る生活権を奪い去られるということについても、これは容易に可能なわけであります。このことが今起きておるところの二種免許運転者の不足の問題になってくるのではないかというように考えております。この二種免許運転者の不足の問題がその極に達しておる感があります。過日私どもが名古屋に行った場合に、十台の会社で三台しか運行できない、二種免許を持っておる運転者が不足しておるというような状態が、そこに働いておる労働者、企業主から訴えられておるわけであります。このことは将来非常に重要な問題として考えていかなければならぬというふうに考えております。この二種免許証交付の具体的方法もすべて政令にまかせられておることからして問題があるのではないか、このように考えております。そういうことが政令にまかせられてあるので、その地方における需要とかせつな的な情勢に押されて、御都合主義でもって二種免許に対する交付の方法等も変更されるおそれが、公安委員会とか、そういったものの判断の中から出てくると思う。そういったものから出てくる現象として、増車になった、二種免許が足りない、増車がストップされた。二種免許を持って運転を職業としようとする人たちにとってもう職場がないというような、非常にアンバランスな状態が出てきているというふうにわれわれは考えるのでございます。あくまでも職業選択の自由を束縛するがごとき行為のないような格好でやってもらいたい。金さえあれば自動車学校免許がとれるという実情と、この二種免許の問題を政令できめるという御都合主義によっている点と相照らして考えてみた場合に、若干の矛盾点があるのではないかというふうに私は見ております。  いずれにしても昭和三十三年四月二十二日、衆議院の地方行政委員会で決議した交通事故防止に関する決議の第三項にある「自動車運送事業の適正化」というような問題と真剣に取り組んでもらうことあたりが、事故防止にどれだけか役立つ方法ではなかろうかというふうにわれわれは考えております。この中で事故防止の重要な問題として、運転者の労働条件改善と賃金の適正化という問題が大きく取り上げられているわけでございますが、衆議院の地方行又委員会が決議はしたけれども、これに関してどういうような指導、たとえば行政官庁の行政指導の方法等に対して的確な指示なり方向を与えたかどうかという問題で、私どもはあえてこの席上で、そういった問題こそ真剣に取り組んでもらうことが、実際問題として事故を減らしていく一つの方策ではなかろうかというふうに考えるわけでございます。従って、今次の改正案は急ぐことなしに、関係のあるあらゆる方々ともう一度十分話し合って、根本的な交通総合行政という問題等とも関連して審議される方がいいのではないかというふうにわれわれは考えておる次第でございます。  非常に簡単でございますが、働いている立場から、私どもの道交法に関する意見を申し上げてみた次第でございます。(拍手)
  8. 纐纈彌三

    纐纈委員長代理 どうもありがとうございました。  次は古賀さんにお願いいたします。
  9. 古賀専

    古賀参考人 私は総同盟の交通運輸産業労働組合の古賀でございます。先ほどから他の参考人の方々から、今度の道路交通法案の問題点については、多少角度は違いますけれども、指摘がなされたと思います。従いまして、簡潔に私の結論と多少の意見だけ申し上げさせていただきたいと思います。  今度の道路交通法案につきましては、その趣旨において大体賛成でございます。ただ、これがはたしてその所期の目的を達し得るやいなやということに相なりますれば、先ほど来他の参考人の方々から申し上げておられますように、道路法なりあるいは道路運送法その他との関連の中で総合的な、もっと統一されたものが出なければ、なかなか円滑なる輸送の期待はできないのではなかろうかということが指摘できると思います。  いま一つは、今度の法案は非常にやさしく書かれておるということで評判になっておるようでありますけれども、幾らこれがやさしく書かれておりましても、多くの関係者並びに国民がこれを知ることがなければ、これはほとんど意味をなさないのではなかろうかと思います。そういう意味合いにおきましても、この法案については、単に専門家とか関係者だけではなくて、もっと国民全般にこれがPRについての努力が必要であろう。そうでなければ、おそらくこれも守られない法律になってしまいはしないかということでございます。  大体総括的なことを申し上げればそういうことに相なりますが、なお多少問題点について、一、二意見を申し上げますと、第一に、警察官の権限が拡大されるという点についていろいろ意見がございます。この点は労働組合の中でも若干意見の対立を見ておるような傾きもございますけれども、この点について、私は先ほど趣旨においてこの法案賛成だということを申し上げました。従いまして、警察官がこの運用について適切そのよろしきを得れば、いろいろ危惧されておるような点については十分防止ができるのではなかろうかと思いますし、また同時に世論がそういう警察官のいわば行き過ぎをさせないという形になることも大切な要件であろうし、そういうことが相待って初めて道路交通の円滑も期されるのではなかろうか、かように脅えております。  それから歩行者の問題でありますが、これについてはいろいろ論議があったようでありますけれども、今度罰則が全然課されておりません。これは先ほど藤本参考人からいろいろ実例等も申されておりましたけれども、実はこれは私、理屈を申し上げれば、道路の使用ということについては、単にこれは車両の運転者だけでなくて、歩行者もある意味においては——平等とは申しませんけれども、あるいは同等とは申しませんけれども、何らかの一つの義務なり、あるいは道義的な責任というものはやはり待たなければならないのではなかろうかということでございます。特に現状から申し上げますると、どうしても運転者の方にもいろいろ問題があることを否定はいたしませんけれども、しかし歩行者の側に問題が多いということも問題がございません。これはもう私自身、昨年すぐそこの御成門のところで体験いたしまして、大けがをするところでございましたけれども、この場合は、単にあの御成門の大通り子供が横町からぱっと飛び出してきたというのではないのです。その子供のうしろにおとながおった。おやじであるか、にいさんであるかわかりませんけれども、相当年配のおとながその子供をからかっておった。そこで子供がぱっと電車通りへ飛び出してきた。危うく私が乗っておりましたタクシーが安全地帯に乗り上げて、少しばかり足腰が痛くなる程度でようやく難を免れることができたのでありますけれども、こういう場合、これはもう明らかに運転者の責任ということになることはいささか不公平であろう。こういうふうな場合における——しかも子供じゃない、おとなが子供をからかっておった。そういう形の中での交通事故が発生をするということを事実上私どもは見聞をいたしておりますから、こういう点について何らかの措置を講ずるということが、実際の立法技術上とかあるいは法の運用上いろいろ困難さがあることはわかりますけれども、しかし、何かそういうことについてはやはり責任を負わなければならないのだとか、あるいはそういう場合については罰則の適用を受けることもあるんだくらいのことはあってもしかるべきではなかろうかというふうに考えております。  次は運転者の問題でありますが、この点につきましては、今佐藤参考人から十分専門的な意見が述べられておりますから、あえて私は重複するようなことは申しあげませんけれども、しかし私は、今度のこの道路交通法案に限りません、交通に関する法案全般の中で、交通に従事をしておりまするところの労働者に対する政府なりあるいは行政官庁のとらえ方に若干統一性がないのではないか、こういうような感じが強くいたすのであります。一口に労働手と申しましても、これはいろいろございます。交通、特にハイヤー、タクシー、トラック、こういう場合の運転手も労働者であることには間違いございませんが、学校の先生もこれは労働者でありましょう。しかし、大工場で働いておりまする労働者と同じような条件で交通産業の労働者の問題をとらえるのでなく、いろいろな意味のやはり差異がなければいかぬし、そういう差異あるいは特徴が生かされないと非常に問題じゃないか、こういうふうに考えます。でありますから、単に労働者はすべて賃金労働者だというふうな、そういう概念的な規定でなくして、少なくも交通の円滑さを期そうというならば、交通産業に働いておる労働者の特徴なり特異性なり、そういったものを十分つかんでいただかなければなりませんし、そのことは同時に単に労働者だけの問題ではなくて、経営者との問題とも私は関連をいたすと思います。もっと一般的なことになりますけれども、少し大きな視野から申し上げますならば、日本の産業構造の中で今日の交通産業というものがどういう地位を占めてきたか、そのことの中から労使関係というものはどういう状態になってきておるかということの特徴くらいはつかんで、この道路交通法に対する法案等がきめられます場合には、運転者に対する一つのタッチの仕方というものがなければ、ほんとうに実のあるものにならないのじゃないかと思います。従いまして、従来とかく交通労働者に対しては取締法案というような、何でもかんでも取り締まろうとする形で出てきたのも、その辺に多少根拠があるのじゃなかろうかと思います。  それから、このことはまた罰則にも関連いたしますけれども、今度の罰則の中で、いわゆる両罰規定が採用せられましたことは、まことに画期的なことだと思います。これは私ども当然なことだと思いますけれども、しかし、なおかつ七十四条について、これが罰則規定がなされておらないということは、多少しり抜けの感がしないでもございません。この点はもちろんあとの方にはあるわけでありますけれども、もっと雇用者に対する罰則——単なる運行管理者だけに対する罰則じゃなくて、これももっと明確に強くいたしていただくことが、私は、先ほどやや抽象的ではありますけれども申し上げました今日の交通産業の中における労使関係という実態から見て、ある程度経営者に対するところのそういう政府の指導なり何なりが必要ではなかろうかというふうに考えます。そうでなければ相当この点は問題を起こしがちであります。問題を起こすということは、常に運転者が被害者の立場に立たされる懸念が十分にあるということを指摘いたしておきたいと考えます。  それからもう一つ運転者に対する罰則の問題でありますが、これは今佐藤参考人が申し上げましたのと同様であって、あえて繰り返す必要はないけれども、重ねて運転者立場から御理解をお願い申し上げますならば、先ほども申し上げましたように、一口に労働者といってもいろいろ違うということをお考え願いたい。このことは、単に名目賃金が同じように見えましても、実際の収入が同じではございません。また労働時間にも相当な差異がございます。それから体力の消耗ということよりも、今日においては神経の消耗という問題の方が運転者にとっては非常に大きな疲労の原因になってきておるのでありますが、しかもそういうふうな関係の中で見まして、今日の一般の運転者運転手と言われておりますものの収入は決していいことはございません。これくらい実は常に同一労働、同一賃金といったような問題に追っかけられておる職種はないのでありまして、大工場とか大企業でありますならば、年功序列型の賃金で、年配者はそれなりに優遇されますけれども運転者の場合はそういうことはないのです。そういったことで多少のことはあっても、ほとんど同一労働、同一賃金というような状態の中で、しかも安賃金で働いておりますから、今回のように罰金や刑罰が一ぺんに何倍かになりますと、それは非常な負担になるということを一つ御理解願いまして、一般的に貨幣価値から見てこの程度の金額は適当だという判断ではなくて、今日それの適用を受ける当該者の収入の度合いから見て適当であるかどうかという御判断を一つお願い申し上げて、この罰則の点については、右下軽減をしていただくことの方が私は適当ではなかろうかと考えます。  それからさらにもう一つ罰則関係で、これも佐藤参考人が申し上げましたが、一言ぜひ諸先生方に今後何かと御配慮を願いたいと思いますことは、いわゆる司法行政二重処分の問題であります。二重処分の問題は、あえて運転者だけに限ったことじゃなくて、船の船長さんも二重処分を受けるわけでありますから、二重処分そのものがいかぬとい議論の仕方については、若干私どもも疑義を持ちますけれども、しかし今日行なわれております処分のあり方というものについては、もう少し改善をしていただくくらいはできそうなものだろう、こういうふうに考えます。特に行政処分を受けますと、運転免許証を取り上げられるわけでありますから、たちまちこれが生活の脅威になること申し上げるまでもございませんし、加えて罰金を納めなければならぬということに今度はなっておる現状でございます。この辺の処理を——何か海上の事故の場合には海難審判所というものがあります。これとは同一にはいかぬと思いますけれども、こういう陸上交通における事故が頻発するわけでありますから、もう少し簡便な、しかも合理的な一つの審判機構を考えていただくことがだんだん必要になってきているのではなかろうかということでございます。  なお最後に、まだ交通の規制の仕方やそのほかがあるわけでありますが、この点は幾らりっぱな法律ができましても、実際にこれを運用される第一線の警察官の方々が、どういうふうにこれに熱意を持ち、法の趣旨を理解されるかということも大切でありましょうし、かたがたまた警察官の方々の訓練という問題も多分にあると思います。私は、先月の三十日に本郷からタクシーに乗りまして、労働省前まではいつもの通り十分で行きましたが、あそこで三十五分待たされました。にっちもさっちもいきません。ところがじっと見ておりますと、大手町から馬場先門、それから桜田門の間はほとんどがらあきで、すうすう自動車が走っている。交通巡査がいないのかと思うとやはりいる。おりますけれども、なかなか整理がつかぬ。というのは、結局はその一カ所だけで整理しようとしても無理なんだろうと思う。この点は、ここにも出ておりますように、時間制にするとかなんとかいう方法もありますけれども、もう少しそれ以外の方法があるのではないかと思います。私もたまたま戦後二、三回ヨーロッパやアメリカを見て参りましたが、どこでも混雑しております。ニューヨークでもパリでも、まさに混雑する場所のあることには間違いありませんが、そういう場合の処理の仕方が、やはりあか抜けしているか泥くさいかという差異があると思うのです。しかし実はあか抜けしているか泥くさいかではなしに、訓練されているかされていないかの問題ではなかろうかと思いますから、そういう点、この法案をいろいろ御審議願って、どういう形で成立するか知りませんけれども、運用上についても十分一つ御配慮いただかなければ、先ほど申し上げましたように、どんなにりっぱな法案ができてみても、守られない法律になるのではないか、かように考えております。  はなはだ簡単ですが、以上で意見を終わります。(拍手)
  10. 纐纈彌三

    纐纈委員長代理 どうもありがとうございました。  以上をもちまして参考人各位の一応の意見開陳が終わりました。引き続き参考人に対する質疑に入りますが、この際参考人各位に念のため申し上げますが、衆議院規則の定めるところにより、参考人から委員に対し質疑することができないことになっておりますので、あらかじめ御了承願っておきます。  質疑の通言がありますので順次これを許します。田中榮一君。
  11. 田中榮一

    ○田中(榮)委員 それでは参考人の方に簡単に質疑をいたしたいと思いますから、どうぞ一つ腹を割って懇談的にお話し願いたいと思います。  まず第一に今野先生にお伺いしたいと思うのでございますが、先ほどお舌がございましたように、こういう法令を作った場合におきまして、なるほどわれわれ審議に当たる者並びに当局は、法令については非常に詳しくわかっておりますが、国民大衆というものはどうも法令というようなものにはなれていないわけであります。従って法令がうまく適用できるかできないかということは、結局最初お話しのように、私はPRの問題だと思っておりますが、今お手元にございますような英米等におきます刊行物ですが、これはやはり取り締まり当局がそういうものを作って配布しておるのでございましょうか、あるいはそれに関連した団体、たとえば事故防止の団体、東京等には交通安全協会というものがございますが、そうしたものが配布しておるのでございましょうか、その点ちょっとお伺いしたいと思います。
  12. 今野源八郎

    今野参考人 国によりまして、あるいはその地方によって違うと思うのでございますが、たとえばイギリスを見ますと、政府の出版物を売るところで発行しております。非常に安くだれでもが買える。日本の値段にしまして五十円とか、電車賃より少し高い程度で買えるような出版物にしていただけますと、私たち非常に便宜で、ほとんど日本の家族全部がこういうものを持っておれるのじゃないか。学校の社会科の教科書の教材あるいは副教材、参考書程度にして、抜粋してほんとうに必要な内容だけにして、これを一番安く発行して普及させることを御研究願えれば非常にけっこうだと思います。地方の自治体でもけっこうでございますし、政府で一括して、政府の出版物を売っております農林省のわきのところでもけっこうでございますけれども、えて日本のものは高過ぎて、あるいは複雑過ぎて、どこを読んだらいいかわからないということですが、少し教育の低い人でもわかるように、なるべく図解をしてやって、その図を覚えておれば試験に通して下さるように、たとえば消火栓から五メートル離れてパークしなければならないというのを間違って、たとえば五・五メートルであっても、それ相当の距離を置いてパークすれば試験に落第しないというように、○×式でやっておりますと、法令になれておらない人は二、三字違っても落ちてしまう。どちらにもとれるような、迷うようなものをたくさん並べておいて、どれかいいと思うものにマークしろということでやっているので、私の知っている人でも、医学博士で三べんも落ちておりますし、私の仲問でも何べんも落ちておる。私自身も落ちるかもしれませんし、とにかく日本世界一むずかしい試験をしておる。合格率も、これで見ますとだんだん悪くなっておりまして、五割五分であったものが三割二分程度の合格率になっております。われわれ国民が、これから自動車を持とうとする、便利な生活をしようとする者が苦しむだけであって、やはり事故は減らないんじゃないか。かえってみんなが知っていて、みんなが守るということの方がいいんじゃないか。  それからもう一つ関連してお願いしたいことは、ここに警察庁当局がお訳しになったスイスの交通法令がございまして、比較して私少し読んでみたのですが、別に交通道徳というほどのことは書いてございませんけれども、なぜ最高速度は守らなければならないのかという意味のことが書いてある。日本の場合は、最高速度は守らなければならないとぽつんと切っておりまして、きまっているのでありますけれども、スイスの法律の二十五条では「操縦者は、常に自己の自動車を安全に操縦し、かつ、その速度を道路及び交通の状況に適応させなければならない。」というのが原則であります。その他「公衆に迷惑を及ぼし、事故を起こすおそれのある場所においては、徐行しまたは停車しなければならない。」そういうふうな書き方をしております。ぽつん、ぽつんと要点だけをお書きになるのも一つですけれども、ある場合においては、なぜ守らなければならぬのだということを教えるような意味でも書いていただければ、別にこれが交通道徳だとか、これはマナーだとか言わなくても、その中に入っているんじゃないか、公序良俗に反しないようにしろというのと同じことでありまして、そういうふうなことを少しお入れになってもよかったのじゃないかという気がいたします。
  13. 田中榮一

    ○田中(榮)委員 もう一つお伺いしたいと思うのでございますが、今日の道交法の改正でございますが、経済の発展するためには、どうしても輸送の円滑化というものが必要であるという先生の御意見なんですが、私ども法案内容を拝見いたしまして、大体この程度の改正であるならば、輸送の円滑に対してそう大して支障はない、大体無理ではない、こういう御見解と見て差しつかえございませんか。
  14. 今野源八郎

    今野参考人 大体そうでございますけれども、先ほども申し上げましたように、やはり自動車普及をはかるということが国のためになるのだというふうな立場からこれを運用していただきたいし、問題はこれを政令で定める場合に、立法者の精神を生かすようなきめ方をして下さるなり運用していただければいいのじゃないかと思うのでありますが、一般的に申しますと、過去の日本道路交通取締法あるいは自動車運転免許制度にいたしましても、世界に例のないくらい厳重過ぎて、結局その法令だけから申しますと、私たちの見たところでは、やはり自動車発達にはマイナスの面がかなりあったのじゃないか。ですから特に国際的な水準では、ここにスイスの法律がありますし、御当局でも国連の道路交通に関する条約もすでに御研究になっておられますが、やはり先進国に追いついて、立ちおくれておる自動車交通文化を国民に均霑させていくためには、もう少しある面では寛大に、ある面では厳重に対処していただきたい。またオリンピックもありますし、外国から来る人が日本交通法規に迷わないように、なるべく国際的な標準に合わせるように、今後いろいろな場合に御考慮願えればありがたいと思うのであります。非常に自動車発達したと申しましても、日本自動車普及率は、申し上げるまでもなく、まだまだ低いわけでありますから、どうしても道路交通文化というものを日本の部会だけでなく、地方普及させるためには、もう少し内容的に、新しく自動車を持とうとする者に対して御理解のある態度なり法令をお作りいただければ非常に幸いだと思うのであります。
  15. 纐纈彌三

    纐纈委員長代理 いろいろ御質問があるだろうと思いますが、まだ他に御質問の通告もありますので、なるべく簡単にお願いいたします。
  16. 田中榮一

    ○田中(榮)委員 次に藤本さんにお伺いいたしますが、最近のバイヤー会社の運転者に対する勤務条件でありますが、固定給と歩合制度とになっておりまして、最近においては固定給もだいぶ標準が上がってきておると思います。条件も非常に改善されたと思っておりますが、私ども考え方では、固定給がまだ少し低いのじゃないかというような考えもあるのであります。これはやはり運転者に走行マイル数が非常に制限されて規定されておりますから、大体においてそういうふうな点はないと思いますが、やはり固定給というものが運転者の生活の最重要なる収入になると思いますので、その辺は今日大体どういうことになっているかお伺いしたいと思います。
  17. 藤本威宏

    藤本参考人 東京における実例を申し上げます。大体固定給と申しますのは、初任給八千円から始まりますので、大体今平均して固定給は一万円前後だと思っております。それにいわゆる諸手当がつきまして、大体五千円くらいがいわば準固定給的部分、それから先が歩合部分ということになるだろうと思っております。歩合部分は、最近ちょっと車が不足ぎみという意味で好況だったりした例もありますので、ちょっと多うございますが、大体二万円をこえておると思っております。それで経営者の方としては、前回の事故防止審議会の答申、御勧告によりやりまして、基本給は一万円、諸手当五千円、それから歩合、そのほかに最低保障制度を投げまして、一万八千円以下になる場合にはそこまで保障するということになりましたけれども、現在の全体の収入は三万五千円から四万円近くなっておりますので、そういう意味からバランスがちょっとくずれておるわけであります。しかし、これはすぐに二千八百台の増車が近々出て参りますし、さらにそのあとで増車問題がすぐに討議され検討されることが自動車運送協議会で行なわれるはずでありますので、それらの状況を見て、安定したところで見なければならぬと思っておりますが、とにかく今言った一万八千円の最低賃金保障制度と、約一万円の固定給に準固定分が五千円で一万五千円、そのようなことを今やっておるわけであります。
  18. 田中榮一

    ○田中(榮)委員 もう一言、佐藤さんにお伺いいたします。先ほどいろいろの道交法の内容について、政令で非常に多くのことを規定している。これを法文の中に取り入れたらいいという御意見でありますが、私どもも、その点につきましては非常に賛成であります。ただ法令が非常に多いものですから、こまかいところまで入れ切れないので政令に入れたと思いますが、今後われわれも、今お話しのような点につきましては確かにさような点があります。特に一方において国民に、国会において承認した以上の義務を課するということは、これは憲法違反のような疑いも起こってくるわけでありますが、この点については十分注意をいたしたいと思っております。  そこで積載の問題でありますが、これについては警察庁長官どうでしょうか。満員バスの問題なんかここに出たのですが、これは現実に利用者の点も考えてやらなければなりませんし、といって満員バスに乗ったからといって、運転者がすぐ処罰されるというようなことは、現実問題として非常に困るわけでありますが、こういう点については、その場において一つ適当なる取り締まりをやらなければならぬということになると思いますが、その点はいかがですか。せっかくの機会ですから、警察庁長官から答弁をいただきたい。
  19. 柏村信雄

    ○柏村政府委員 バス等につきましてラッシュ・アワーなどに非常に輻湊して定員をオーバーするという実情があることは確かでございます。理想といたしまして、いかなる場合においても定員超過などのないようにするという杉に、車両の増加であるとか、運行回数であるとかいうようなことをそちらに近づけて参るということにできるだけ努力していただく。またそういう方向に持っていくということにまず努むべきだと思うのでございますが、現状として直ちにそういう理想の形に到達し得ないということもよく理解されることでございますので、そういう特殊なものにつきましては、いろいろ指導、取り締まり等について運用上十分に配慮して参り、実情に全く合わないような過酷な取り締まりに陥らないように努めて参りたいというふうに考えます。
  20. 纐纈彌三

  21. 阪上安太郎

    ○阪上委員 一つ今野先生にお伺いいたしたいと思います。先ほどきわめて端的にこの法案に対する問題点をあげていただき、また御意見としては、ただ単にこれが取り締まり法規というだけでは十分に目的を達成できないのじゃないかというような御意見であったように思います。従って社会的、経済的に、特に国民経済との関係も考慮して、そして総合的な対策が立てられなくちゃならない。こういうような御意見だったと思うのですが、私どもも、やはり先生の御意見に対しては全く同感なのであります。そこで、その中で特に教習所の問題を取り上げられたように私は思うのであります。先生のお考えになっておる根底には、やはり交通教育というようなものが徹底されなければならぬというような意図があったように私は拝察したわけであります。そこで一般普通教育としての交通教育ということになれば、義務教育課程等においてそういったことを諸外国が取り上げたか、取り上げなかったか、これははっきり伺っておりませんけれども、私、かつて西ドイツ等も見て参りましたが、相当思い切った年少者に対する教育をやっております。わが国においても、当然こういった問題については義務教育課程の中で交通教育が取り上げられなければならぬ、こういうふうに思うのであります。それはしかし本日はさておきまして、それならば特殊教育、各種教育の面における問題として、教習所というものがその教育をやることによって、やはり交通道徳とか交通教育というようなものを一般国民に周知徹底せしめる一つの方策になる。こういうふうに言われておりますが、現在の教習所には、設備等をながめてみますと、非常に完全なものもあれば不完全なものもある、こういうような状態で放置されております。一般に東京都の基準等をながめて見ますと、これが千坪程度のもので事足れりというような考え方に走っているようであります。大阪方式等を見ますと、三千坪以上のものを基準といたしまして、公安委員会試験場と同等の規模以上のものを要求しているというような状態になっておる。これらの教習所は一律に、先ほど先生が問題点とされておりました免許の問題につきまして一部試験の免除をされているというような状態であります。それはその内容を見ませんと十二分なことはわかりませんけれども、そういったものに思い切って権威を与えて、徹底してそういった教育機関が教育をやっていくというような制度に持っていくことが必要ではなかろうかと私は思うのであります。といって、委員会試験制度を廃止せよとは私は申し上げません。先ほど労組の方からもお話がありましたように、金のない者はそういうところに行けないというようなことがあってもならぬと思います。これは当然考えなければなりませんけれども、しかしながら、そういう教習所で一定のしっかりした基準のもとにしっかりした教育をやることができるという見通しが立つならば、そういったものに対して、思い切って優先的に特権を与えていくというやり方をやることが適当であるかどうかということについて、一つ意見を伺いたいと思います。
  22. 今野源八郎

    今野参考人 私、今の教習所にこれ以上の特権を与えることがいいかどうかという御質問に対しましては、やはりかなり研究しなければならない。今のままでもいいのではないか、ただし数をふやしていただきたいということです。それからドイツでは、御存じ通り、実際に運転を習うところと法規を教えるところとは必ずしも一カ所ではないわけです。たくさん需要がありまして、こういう法律のPRをやるためには、東京日本橋とか、非常に人口の多いところに、二階を借りても、どこを借りてもいいから分教場みたいなものをたくさん作りまして、お昼休みでも、オフィスのひけたあと三十分でも一時間でもそこで習って、何回かやれば、大体これをマスターすることができる。試験官は警察の方が来て、五分くらい面接して、そうして交通道徳を守ってくれるような人かどうか、そうして大体法規内容を知っているかどうかだけを試験して通す。あと学校試験してもらう。それは教習所の分教場あるいは教習所あるいは学校教育の課外教育——教習所一つだけでは、万能的な役割はむずかしいと思う。それから原付の自転車まで免許にすることは大へんなことでありまして、百姓の子弟とかなんとかいう者は、一体どこで勉強するかということをお考え願いたい。もし免許制にするならば、徹底的な教育制度を考えていただきたい。そうでないと、今の先生方の選挙区でも経験があると思いますが、定期を買って何カ月も教習所に通わなければなりません。そういうふうなやり方というものは、先ほどもお話がありましたように、大へんな時間と経済的な負担を国民に強制するということでありますから、もう少し簡便に勉強させていただけるような制度をお考え願いたい、そういう趣旨でございます。
  23. 阪上安太郎

    ○阪上委員 そういたしますと、先生の先ほどの説の中には、いろいろな観点から便宜をはかる意味において、さらに数をふやせということも入っておったことは事実であります。そこでそういうことになりますと、いろいろな段階のそういった教育施設があって、そうしてその内容の充実あるいは基準等に相当厳格なものをそれぞれ持っていく。そうしてそのことによって、いわゆる法の九十九条三号にうたわれておるごとくに、そういったバラエティに富んだものをといっても、何段階も作るわけにいかないと思いますが、何かこういう基準を設けたものを作って、そうしてそれによって、ある一定の基準のものに対してはある一定の免許の資格を与えていくというような方法で、きわめて厳格なりっぱな施設を作ることによって、技能試験であるとかあるいは学科試験等を免除してもいいようなものも作ってもいい、こういうふうに解釈していいわけなんですか。
  24. 今野源八郎

    今野参考人 試験は、大きく分けますと、自動車を公衆の安全をそこなわないように運転できるかどうかという技術士の試験、これはかなり大きな練習場が必要だと思います。もう一つ法規試験で、これだけの法規でございますから、実際に東京にたくさんある夜学でも、あるいは高等学校の社会科の先生でも、一定の勉強をした人ならできるんじゃないか。それを教習所に行かなければならないようにくぎづけして、あれほど混雑して、例は悪いかもしれませんけれども、ちょうど東大に入るのに予備校にすら入れないと同じような意味で、あの学校にも入れない。ウエーティング・リストを待っている。試験も申し込んでから二週間もしなければ受験できない。これはそれほど複雑なものでもない。大へんりっぱな簡単な法律を作って下さったのですから、これを教えるのは、ちょっと勉強した人であれば——一定の資格を持った人というのは学校の社会科の先生、そういう人に試験をさしてもいいんじゃないか、この法律試験はそんなにむずかしくしなくてもよろしいんじゃないか。あと運転の技術ですから、技術を教える場所さえあれば、それを二つに分けてやれば、そんなにむずかしく考えなくてもいいじゃないか。第二種の営業の免許の場合は別でございますけれども、一般の自動車の場合には、そんなにむずかしくしなくてもいいんじゃないかということでございます。
  25. 阪上安太郎

    ○阪上委員 どうもありがとうございました。藤本さんにちょっとお伺いいたしますが、ざっくばらんに申し上げまして、先ほどの給与の問題でございます。現在のノルマ制度というのは、一体どういうようにお考えになっておりますか。
  26. 藤本威宏

    藤本参考人 ノルマというお言葉でございますが、これはいろいろな意味でございますが、現在最高走行キロが一日三百六十五キロという工合にきまっておりまして、三百六十五キロを守るためには大体三百五十五キロから三百五十キロ、その程度が平均になるわけでございます。それでこれは変則十六時間勤務、二日のうちに十六時間やる。八時間勤務を二つ重ねた勤務、その中に入るわけでございまして、またそれがスピード違反をしないで走るような工合に計算をして、そのように一応計算上できておるわけでございます。従いまして三百六十五キロは最高制限キロでございまして、そういった意味で何キロ走ってこいというノルマについては、現在のところは、一時非常に騒がれて、三百八十走れとか、四百走ってこいというような不心得な営業者がおったようでございますが、最近それは影を消しているんじゃないかと考えておるわけでございます。そのような次第でございます。
  27. 阪上安太郎

    ○阪上委員 そこで固定給との関係です。あなた方おやりになって、十分な御経験をお持ちなんですが、固定給にすることはできないでしょうか、その点一つ伺いたい。
  28. 藤本威宏

    藤本参考人 固定給にするということは全部という意味かどうかわかりませんが……。
  29. 阪上安太郎

    ○阪上委員 できるだけ多く……。
  30. 藤本威宏

    藤本参考人 このできるだけ多くというのは非常にむずかしいところなんでありますが、ただ御存じのようにタクシー——一応バイヤーは別でございます。また先ほど言ったのはタクシーの実例でございまして、バイヤーの方は、はるかに固定給が多うございます。タクシーの場合で申しますと、タクシーは、御存じ通り直接労務管理ができない。一回朝、家を出てしまうと、帰ってくるまでは直接労務管理ができないという特殊性がございまして、そういう特殊性からいいまして一つの宿命みたいなものがある。これは何も日本だけじゃなく、タクシーというものがあるどこの国に行っても、そういったものが多くないと仕事にならない、こういうことでございます。ただ問題は、百パーセントいかないまでも、どのくらい固定給を多くできるかということが一つの問題でございますが、これにつきましては、私どもはなるべく多くということで現在も考えております。刺激になり過ぎてもこれはうまくないし、少な過ぎてもまたこれは仕事にならぬといった問題もございますので、ちょうどいいということの理由で、前回の一万円と諸手当五千円、あとが最低保障給一万八千円をきめたわけでございまして、ただその後において少し車の不足で収入が上がり過ぎてしまって、歩合だけにはね返りが多かったわけでございます。それだけにバランスがくずれてしまいましたが、当時は、そこまでいくと大体半分は固定給及び準固定給で占められるという構想で、そのときは、収入は月三万円、それで十三勤務、一カ月のうち二十六日勤務でございます。そこで今言った仕事をやって、月収三万円、固定給が一万円、準固定給が五千円、それに最低賃金保障制度が一万八千円、これが構想だったわけでございます。ですから、今ちょっとバランスがくずれましたが、これは先ほど申し上げたように二千八百台の増車があり、さらにそれに引き続きまして増車が見込まれておりますので、どこまで下がるかがちょっと今の場合予想がつかないのでございまして、そこらの状況を見まして、安定してさらに考えたい、こんなふうに考えておる次第でございます。
  31. 阪上安太郎

    ○阪上委員 こういう質問を申し上げますのは、実は諸外国の例を見ましても、これはタクシーの場合なんですが、わが国のように、いわゆる流しタクシーという格好で、ガソリンも外国から買っておるくせに、そこらをばらばらと走り回っておる。この制度の問題なんです。ああいった制度とか、先ほど言いましたノルマの問題だとか、固定給、そういった関係等から、いわゆる交通事故を引き起こす原因というものを非常に多くその中に私は見出すことができると思う。従って、ああいう流しタクシーをやらなければならないようなわが国の状態というものは、おそらく四等国以外にはそういうことをやっておるところはないのじゃないか。そこで御経験がおありかどうか知りませんが、ちょっと参考までにお伺いしておきたいのですが、やはりああいう流しタクシーをやらなければならぬ、あるいはそれにかわるべき諸外国のように駐車場を設けてタクシーをやっていくということについて、わが国ではそういうことはできないのだという理由が何かあるのでしょうか、それを伺っておきたいと思います。
  32. 藤本威宏

    藤本参考人 お答え申し上げます。これは現在私どもの業界では、無線タクシーだとか、それから駐車場とか、そういったことを総合して、今鋭意研究中でございますが、ただ諸外国と若干違っておることがございます。それはアメリカにしても欧州にいたしましても、非常に自動車交通発達しておる国においては、道路交通の大宗を占めますものは自家用でございます。そこでタクシーのごときものは、それらの自家用が満たすことができないほんとうの間を縫っての仕事というようなことがおもな任務でございます。ちょうど自家用車の補助機関というようなものがタクシーであり、従って海外からの旅行者だとか、他の州からの旅行者、あるいはたまたま自家用車が詰まっていて使えないからタクシーを呼ぶといったような特殊な用途、こういったものに発達しておる諸外国では使っております。そこで日本の場合はどうかというと、経済活動は諸外国に劣らないくらいに実際は激しく動き、従って本来からいえば、これは自家用等がもっと今の数倍、十数倍にふえて、外国並みになるわけでございますが、富の蓄積その他の関係から自家用車がそうふえない。従ってタクシーが自家用のかわりをしておる。諸外国では自家用の補助機関でございますが、日本においては自家用車のかわりをしておる。非常に大きな社会的意味も違います。そういった意味で一がいに諸外国同様の補助機関のようなものと同じような工合にいくかどうかということは言えませんが、日本日本なりの工夫が必要でございまして、それなりに何らかもう少し今、この駐車場とか無線とかいうものを使って合理的に動かしたいと思っている次第でございます。ただちょっと申しますと、現在は昔と違いまして、百キロ走りましてお客さんの乗っているキロ数が六十五キロぐらい乗っております。従いまして、それほどむだに使っているというものではないのでございますので、御参考までに申し上げておきます。
  33. 纐纈彌三

  34. 門司亮

    ○門司委員 今の問題でもう一つ藤本さんに聞いておきますが、実は静岡では流しはやっておりませんね、御存じですか。この結果がどういうことになっておるかおわかりでございましたら、この際一つ御発表いただきたいと思います。静岡はたしか駐車場制度をとっておると思います。
  35. 藤本威宏

    藤本参考人 静岡の例を、寡聞にしてまだ詳しくその後の調査をしておりませんが、ただ御存じのように、流しタクシーが可能だということはごく限られた範囲でございます。流しタクシーが可能ということは、経済的に見ましても、東京、大阪、京都の一部、それから神戸といったような、いわば大都市でございまして、流しタクシー自身ができるという範囲はきわめて小さいということでございまして、大都市に限っております。あとの大半は日本でもハイヤー形式のものでございまして、一つこれはさっそく調べてみたいと思っております。
  36. 門司亮

    ○門司委員 それからもう一つこの際藤本さんに聞いておきたいと思いますことは、例の個人の営業を最近許可する方針をとり、多少東京等で許可しておりますが、これについての皆さんの御意見がどんなことかということです。時間がございませんから私の意見を先に言っておきますが、私は、本来運転手という職業が一生人に使われなければならない職業ではない、これは自分の技術で自分で十分職業の選択ができるはずなのです。ところが、法律で最近まで個人の営業は許さなかった。これは憲法違反だといえば明らかに憲法違反だ。憲法違反にひとしいようなことが法律できめられておった。しかし、これを最近個人の営業を許したということでありますが、私の考え方としては、動いておる車の数はふえないという考え方を持っておる。それは会社に雇われておれば、一台の草が二十時間運転をしている。個人が運転をすれば、やはり十時間運転しても一台しか動かない。道路を動いている車というのは、大体個人に許可しても同じじゃないか。従って交通事故その他についても、むしろ自分の車で自分運転した方が、責任を直接感ずるので、無理がなくて交通事故なんかも減りやしないかという考え方を持っておるのですが、これについてのお考え方がもしおありでしたら聞かしていただきたい。
  37. 藤本威宏

    藤本参考人 お答え申し上げます。これについては実は自動車運送協議会でたびたび論議されている問題で、ここにおられる今野先生なんかも非常にいろいろな御意見をお持ちなので、養しつかえもあるかと思いますが、私の個人の意見ということで申し上げておきます。  私は、営業形態、経営形態としては、あえて会社形態がいいとか個人形態がいいとか言いませんが、少なくとも言えることは、集団形態でなければいけないのじゃないか。個人営業を認めたにしても、それが一つのグループを作って、何らかの統制、規制のもとにおいて行なわれなければならない。それでなければ、個人営業の場合のいい点もありましょうが、マイナス点も出てくるのではないだろうか。たとえば三百六十五キロ走れといっても、きょうはちょっとお金の都合があるから四百百キロ走ろうといっても規制のしようもない。あるいはきょうは病気になったから休んでしまうが、だれかにやらしてしまいたいという欲望も起きるでございましょうし、いろいろな意味からして、私どもは、経営形態としては集団形態でなければならぬのじゃないだろうかと思っております。ただ私ども、従来既存経営者というものが、まことに公共的精神に乏しく、非常に批判を受けるようなことが経営者自身にあったために、経営形態自身までが否定されたというような感じはしております。その点で私どもは非常に強い反省を持っているわけでございますが、経営者自身の問題と経営形態とは、はっきり区分して考えるべきである。経営形態として考える場合には、個人営業よりも集団営業、一つの規制のもとにおける営業の方がより大きなプラスがあるのではないだろうか、個人営業というような所有形態の場合でも、営業形態としてはそのような集団的なことをとらなければ、必ず災害が出てくるのではないだろうかというように、長い目で見て考えられる次第であります。
  38. 門司亮

    ○門司委員 今野先生にちょっとお伺いをしておきたいのですが、先生のお話をお伺いしませんでしたので、あるいはお話の内容からそれるかと存じますが、一応伺っておきたいと思いますことは、この法律の体裁ですが、今までの法律は、要するに取締法ということでありまして運転者取り締まりを主として、それからくる交通安全性を保とう、こういうことになっておる。今度の法律はそこがやや変わってきております。取り締まりも厳重にするが、歩行者の方にも注意を促す、あるいは常業者の方にも関係を持たせた。従って名前も道路交通法案というような、今までのような取り締まり一方ではないというようなことになって、新しい感覚を与えようとする——感覚を与えようとするという言葉を使うことはどうかと思いますが、ややそういうにおいのする法律のようで、先ほど労働組合の方々の御意見を伺いますると、そういうことを強く印象づけられておるように拝聴したわけであります。従いまして、先生の御意見として、この法律交通の秩序を保持することを主眼とした法律であるのか、あるいは従来の観念と変わりがないような考え方立法されたのではないかという、御感想が御発表ができますならば一つ聞かしていただきたいと思います。
  39. 今野源八郎

    今野参考人 率直に私の感じを申し上げますと、大正年代以来の日本道路交通取締法から、新しい国際的な道路交通に関する法体系に進む過渡的なものじゃないかという気がしてならないのであります。しかし、過渡的なものだから悪いとか、そういうことではなくて、わが国のような自動車交通の後進国では、こういう段階もやむを得ないのではないか。しかし、もし欲を言わさせていただきますと、ほんとうに道路交通基本法とおっしゃいますならば、もう少しプラスの面を入れてほしかったということを、これはあとからになって感じるのですが、私は別にただそういう感じでながめ、あるいは研究しているものでありまして近い将来にオリンピックを前にして、世界から多数の自動車を持った人がおそらく来ると思うのでございますし、自動車のドライブが簡単にできないという感じは、日本に来た外国人がみんな持っている不平でございますし、また私たち若い学生を相手にしたりすると、何であんなにむずかしい試験を受けなければならないのだという質問を受けるわけであります。実用的な試験、そして事故が少ない国にするように先生方のお導きでしたいものだという念願を持っております。
  40. 纐纈彌三

  41. 太田一夫

    ○太田委員 今野さんに三点だけお尋ねをいたしますが、もしかすると、少し質問がはずれておるかもしれませんが、おわかりになる程度だけお答えいただきたいと思います。  まず最初は、人間の歩き方の問題ですが、右側通行を左側通行に戻すべきではないかという世論はかなり強いのです。これに対しまして先生としては、やはり右側通行で強行すべきかどうか、この法案は、やはり右側通行でございますが、しかし左側通行の方が本来ではないか、汽車、電車の左側通行が改まらない限り、人間が右側通行ということはおかしいという議論が非常にびまんしておりますので、この点の御見解を一つお聞かせを願いたい。  それから軽自動車のはんらんですね。三百六十CCまでの原動機の大きさのものは軽自動車と申します。たとえばその名前はスズライト、あるいはマツダ、今度三六〇クーペというものができましたね、あるいはスバル、こういうのがほかにたくさん出て参りまして、これは軽免許ですから、非常に簡単に免許証がとれる。ところがスピードが八十キロから九十キロ出るのですから、相当にこれが交通道路の秩序を乱すと言っては何ですが、事故の発生の原因を多分に作っておる。この点について、軽自動車の製造を奨励することと取り締まることとの矛盾がありますけれども、先生は、教習所はなるべくたくさん作り、免許は簡単にやるべきだとおっしゃるけれども、歩く側の方から見ますれば、普通自動車も軽自動車も、同じような教育内容、技術を修得して免許すべきだという声があるのです。これについて特に小さい自動車は、スピードを早めても簡単な免許でよろしいという現在の考え方は妥当であるとお考えになるかどうか。  それからもう一つは自動三輪車のことですが、いわゆるオート三輪です。これが現在交通事故の一番ガンをなしておる。オート三輪というのは乱暴な運転をするものなりというので、ハイヤー、タクシー、自家用車は、みなそれを避けて通っておるわけなんですが、この自動三輪車の長さですね、自動三輪車を作るのには長さはこれだけ、それから原動機の容量、五百CCか何百CCか知りませんが、原動機の大きさはこれだけというふうに制限をして、あまり大きなものを作らせない。二トンも二トン半も積むようなものを作らせない。これがほんとうの行き方だろうと思うのですが、こういう点について何か御意見がありましたら承りたいと思います。  以上の三点です。
  42. 今野源八郎

    今野参考人 第一の交通方法、この問題は実は私、研究しているのでございますけれども、まだ結論を得ませんので、決定的なことは申し上げかねます。  第二の軽自動車がふえることの問題でございますが、これは軽自動車がいいか小型車がいいかは別問題として、自動車がふえること自身は交通近代化道路交通機械化意味しますので、われわれがそれを禁じますと、それじゃ何で交通したらいいんだ、事故は必然的にある程度はふえますが、しかし、さればといって荷車とか非機械的な交通をやるということは、交通発達から見ますと逆行でございまして、自動車が欧米並みにふえる、日本も十年くらいの後には今の西欧諸国くらいになる。もしならなければ、道路交通機械化あるいは道路交通の革命を否定する、そのことによってわれわれの経済生活がそれだけマイナスになっていく。やはり鉄道とか自転車とか人力というような原始的な交通機関によるのでありまして、どうしても機械力を使うことは必然で、今世界的に平均しますと、二十七人に一台普及していますけれども、統計の普及率というのは、結局アフリカやアジア諸国を入れた普及率にすぎないわけでございますから、これだけの自動車時代に即応する交通道徳をわれわれが守るというふうに持っていく以外には、解決しないんじゃないかという気がいたします。警察行政的に申しますと、自動車が少なくなってしまえば事故もなくなりますし、それで終わりますけれども、その犠牲になりますものはわれわれ経済生活を営んでおる者ですから、経済近代化なり成長率をもし年五%以上とかというのでありますならば、自動車普及率も一〇%ということに当然なって参りますので、それをどうわれわれの社会生活に受け入れていくかという積極的な受け入れ方がむしろ問題じゃないかという気がいたすのであります。  それで軽自動車がいいかどうかということと三輪車の問題なのでございますけれども、三輪車というものは、世界的に見て過渡的な役割を果たすものだと思うのでございます。外国の例を見ましても二輪車、三輪車にかわって大体小型自動車——小型自動車と申しましてもフォルクスワーゲン程度の車でございますけれども普及するというのが例でございますから、日本で逆に二トンまで積ませるということはむしろ例外的にああいうようなものになってしまったわけでありまして、一番経済的でしかも日本道路にも合っているものが従来の小型車ではないか。その小型車も、何も千五盲CCと限定しないで、千八百でも二千でもいいんじゃないか。あまり超小型車——今の軽自動車的なものは経済的なようですけれども、山坂の多い日本の全国的な地勢から見ると、結局輸出にもあまり向きませんし、はたして経済車と言えるかどうかということは問題でありますし、まして三輪車のようなものは、道路がよくなればだんだん四輪車に変わっていくんじゃないか。その四輪車の大きさが、一番日本経済交通の実情から見て、最適なものは何かといえば、通産省なり、建設省あるいは警察当局、先生方の御指導で御研究を願えれば、私たち非常にありがたいと思うのでありますが、過去において小型車にあまりとらわれた結果、バランスのとれない小型車、ダットサンとか、あるいは小型三輪車というものを作ってしまったのでありまして、結局こういう法律は、ただ道路交通あり方規定するというだけではなくして、未来の交通の。パターンなり自動車の形をきめるわけでございますので、十分御審議の上、私たち国民の所得の倍増を約束されておられますので、どうか経済成長に役立つような道路交通成長を期待できる法律をお作り願いたいと思うのです。
  43. 三田村武夫

    ○三田村委員 関連して。せっかくきょうはそれぞれの専門家の御意見を伺ったのでありますが、ここで拝聴いたしました御意見は、みな委員会の議事録に載っているわけでございます。そこで今野先生に特に一言申し上げて御所見を伺っておきたいのでありますが、今お話しの通り、今後の交通あり方ますます機械化する、これは当然の方向であります。自動車の数量にいたしましても、アフリカ並みの二十五人に一台という恥ずべき傾向であります。そこで今先生の述べられました御意見が速記録にそのまま載っておりますので、一言申し上げて、さらに御所見を伺いたいのでありますが、現在の日本道路状況、現在の道路のままで、先生がお述べになりました御意見を、これをこのまま議事録に残しておきますと、現在の道路のままでもなおどんどん交通あり方機械化してよろしいのだ、小型三輪にしても、あるいは単車にしても、どんどんこれは認めてもいいのだ、こういう御意見になる懸念があるのであります。私たちはここで交通の安全と、先生が先ほどおっしゃった交通に関する基本法という今回の改正法に対するうたい文句については、われわれも必ずしもそれがぴったり当てはまっているとは思いませんが、少なくともこういう観点から、よりよき交通の秩序を確立したいという観点からこの法案を審議しているのでありますから、びっこになってはいけないと思います。先ほどお述べになりましたが、私は少なくとも現在の道路状況のままではいけないと思うのです。この間警視庁の実情を伺ったのでありますが、昭和四十年になると、現在の五十万台が百万台になるといわれております。ところがごらんの通り路面はぎりぎり一ぱい何ともいたし方がない。今、藤本参考人は、現在二千七百台増車になり、また次に増車の計画もあるとおっしゃいましたが、増車になって事がふえるのはけっこうですが、しかし一体どこを走る計画なのか、どこに車が動く余地があるかということなのであります。この根本の問題についてわれわれは非常に心配を持っている。路面電車を廃止してしまうとか、もう少し道路上の秩序を立てた土でないと、私は今の御意見は、そのまま速記録になまで残しておくのはちょっと気がかりでしょうがないのですが、その点についての御所見を伺いたいのでございます。私たちも交通機械化人間は歩いて通るとか、あるいは自転車で走るとか、こういう原始的な交通上の生活環境から一日も早く抜けたい。お互いに自動車を一台持って、自由に新しい経済活動に即応する態勢をとりたいということは考えておりますが、遺憾ながら、日本道路情勢はそうなっていない、びっこであります。この点についてどういうふうなお考えでありますか、伺っておきたいのであります。
  44. 今野源八郎

    今野参考人 私の申し上げたことに多少っ補足的な説明を必要といたしますが、最初に申し上げるときに、これは道路の守屋を拡大するということが同時に行なわれることが前提であるということを申し上げました。同時といっても問題がございますが、要するに比較的自由な寛大な道路交通機械化を促進する、先進国並み法律を持つということ、先進国並みの国際的な規格の道路を持つということが並んでいって、初めて道路交通近代化されるのでありまして、決してこっちだけが進めば、こっちだけはそのままでいいとは申し上げないことはおわかりいただけると思います。従って、それじゃこっちが狭いから、こっちも保守的にしろ、こういうようにしますと、いつまでも進歩つがないので、結局ジグザグになって進歩するのが世界の大勢だと思うのであります。イギリス御存じ通り、背蒸気自動車ができましたときに、非常に危険だということで約三十年間、赤旗を持った人が先に歩き、それ以上に自動車は速力を出してはいかぬとか、数の制限をしたために、イギリス自動車工業なり自動車交通の後進国になって、あとであわてたということがございますけれども道路が狭いのは与えられた現状でございますけれども、これも広げようと思ったら広げることが十分できるわけです。それは何年かかかると思いますけれども、簡単に広げられる点がたくさん東京都内にあると思うのです。あるいは交通工学的に直したらいいということに気がつくところがたくさんあると思います。それをあまりなさらずに、法律だけを進めても、一九六〇年から七〇年、八〇年代の世界の大勢から見て、私はこれは少し心配し過ぎるのじゃないか。むしろこちらは世界並みにしておいて、こっちも世界並みにする。道路も国際的な規格になってきております。自動車もそうなってきておりますから、交通法規もなるべく世界的な、国際並みな規格にお近づけ願いたいということを申し上げたいのでありまして、どっちかを先に促進しませんと、こっちが与えられた条件ではない、こっちもさらに保守的にするといっても、ますますこれが低いところで停滞してしまいはしないかということで心配して申し上げただけなんです。一例を申しますと、たとえば丸ノ内から日本橋に行く間に、自動車が詰まって三十分かかる。歩けと言われても、歩道もないわけですね。たとえば、あのガードがじゃまになっていますけれども、あのガードにもう二、三本穴をあけまして、道路を通れるようにして、こっちは歩行者が歩けるとか、多少は工夫をしてもらってもいいじゃないか。四つかども、もう少しまるみをつけて、交通事故をなくすようにして下さればいいのじゃないか。また東京道路だけじゃなくて、地方道路容量を増してもらいたい。そうすれば大きなキャパシティでいくのじゃないか。東京の実情だけでなしに、広い日本全体を見て考えるべきじゃないか。何か私は、与えられた条件にあまりとらわれ過ぎやしないかということだけ申し上げておきます。
  45. 三田村武夫

    ○三田村委員 それは私、これ以上申し上げません。ただほんとうに交通機関というものは、自動車にしても何にしても、産業及びわれわれの文化生活上便利のためにあるべきものだと私たちは思います。ところが今の情勢は、必ずしも東京だけの現状じゃありませんが、ラッシュ・アワーになりますと、どうぞお急ぎの方は歩いて下さいとかいう状態なんです。意味をなさないのです。そうしてしかも交通事故は年間死者だけで一万人をこえる。殺人、強盗がやかましい問題になりますが、純粋の刑法犯で殺される者はわずかに一年間に二千人、交通事故で尊い生命を失う者は一万人。こういう尊い人命を守らなければならないという立場が一番大きな政治なんです。もとより世の中は便利にしなければなりません。けれども人の生命は一人でも尊い。こういう点にわれわれの関心がなければいけないと思うのです。どう調和さしていくかというところに全般の政治があると思うのです。そういう意味で私は申し上げたので、先生の御所見に別段異論があるわけじゃございません。どうぞ一つ機会あるごとに、日本道路関係をよくするように御助言、御協力を賜わりたいと思います。  それから藤木さんに一言伺いたい。先ほどの門司君からの御意見に対する御答弁についてでありますが、個人営業の問題です。私は元来個人営業の主張者なんです。戦争中から自動車業の統制絶対反対を叫び続けてきた一人であります。無慈悲なる統制をやって営業権の収奪をやってしまった。これは戦争は絶対至上命令だという、何人も反対し得ない大きな旗を掲げて営業権の収奪までやってしまった。これは所有権の収奪ですよ。私は済んだことはしようがないと思いますが、先ほど藤本さんが言われました個人営業についての懸念ですね。過労のために事故が多いとか、あるいはきょうはお金がよけい要るから三百キロから四百キロ走ろう、そのための事故があると言われましたが、これは全体の中から見ると、例外中の例外なんです。私たちの言うのは、常に原則を尊重する、例外は例外なんです。例外を原則に戻して、それを判断の基準とされることをわれわれは問題にするのであります。個人営業の場合は、十年なり二十年なり運転手として交通業務に携わって、相当の経験を積んで、ぼちぼち自分の単一台を持って、自分の業務を楽しみながら自分の一生をこの仕事にささげていこうという人に、私は個人営業権を与えることは当然だと思うのです。従来の事故の率を見ましても、個人営業の方がうんと事故が少ない。自分の車だから自分を大切にします。車を大切にします。事故をやれば自分の責任だから大切にする。会社は責任を持ってくれません。そういう観点からわれわれはものを考えるのであります。きょうは金がよけい要るから一つ三百キロ、四百キロ走ろう、そういうことは例外中の例外で、百件に一件もない。そういう例外を原則に戻した議論は、私はすべての正しい問題を判断する基準にならぬと思う。私は、そういう意見自動車運送協議会にあることを承知しておりますから、ここで申し上げるのですが、一つ業者の有力な発言の立場を持っておられるのですから、あらためてその点の御意見を伺っておきたい。
  46. 藤本威宏

    藤本参考人 申し上げます。個人営業の話でございますが、私が先ほど申し上げましたのは、純然たる経営形態として、こういう危険な事業であり、また公共性が大事な事業であるから、どのような形態が一番それにふさわしいかというふうに考えると、集団営業が一番ふさわしい。外国でも個人営業の場合も多うございますが、これはばらばらやっているものはほとんどない。一定の統制に服し、またそうしなければ経営経済的にも非常にマイナスがあるわけでございます。たとえばガソリンを買うにしたところで、集団で買えば一リットル三十五円で買えるものを、一人々々で買えば四十円も出さなければならないし、あらゆる面において経営経済的にも無理があるし、また今言ったいろいろな事故の場合の補償の問題でも、集団の方がやりいいことは事実でございますから、こういうような公共事業、しかも相当むずかしい危険性のある事業には集団経営の方が適している。所有形態が個人経営とか会社経営ということは問わないまでも、集団経営が適切である。この方向がうまく出ないと、私は危険があると思っております。いい例が戦争前の個人営業の場合には、これはどうにもこうにもならなかった例もございます。それがあってしょうがないので、集団経学的にだんだん集約してきたのが過去においての歴史でございます。ですから、今回は個人営業をされる方も非常に精選されておりますし、また厳重な意味も了承されておるし、監督官庁も今のところ非常に厳重に見ておられますので、そういう点についてはプラスの面こそあれ、マイナスの面は非常にないかと思っておりますが、ただ、この方針を全面的に取り入れた場合については、これまた私は今言った集団経営的な問題についての相当大きな研究をなされていないと、害を流す危険性が非常に大きい。こう申し上げておるのでございまして、一つその辺のところをよろしく御理解願いたいと思っております。
  47. 纐纈彌三

    纐纈委員長代理 ほかに質疑はありませんか。——それでは参考人に対しまする質疑はこの程度にとどめます。  参考人の皆さんに申し上げます。皆様には御多用中のところ長時間にわたり、しかも貴重な御意見を承りまして、まことにありがとうございました。今後の本案審査に資するところがきわめて大なるものがあったと存じます。委員会を代表して私より厚く御礼を申し上げる次第であります。  では午前中はこれで休憩をいたし、午後一時から再開いたします。     午後零時四十一分休憩      ————◇—————     午後一時三十八分開議
  48. 田中榮一

    ○田中(榮)委員長代理 それでは休憩前に引き続きまして会議を開きます。  道路交通法案に対する参考人よりの意見聴取を続行いたします。御出席参考人は、主婦連合会会長春野鶴子君、株式会社丸見屋副社長三輪善雄君、以上の方々でございます。  この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。本日は御多用中のところわざわざ御出席をいただきましてまことにありがとうございます。厚くお礼を申し上げる次第でございます。  御承知のように道路交通法案は、最近の自動車激増等に伴う交通事情の著しい変貌と、将来予想される道路交通の一そうの複雑化に対処しようとして政府より提出されたものであります。本委員会といたしましても、いわば道路交通基本法ともなるべき本案の性格にかんがみまして、本案審査に一そうの慎重を期するため、本日参考人各位の御意見を承る機会を持った次第であります。何とぞ各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見を承りたいと存じます。  なお、参考人各位の発言は、初めに一人当たり二十分程度において順次御意見の発表を願い、そのあと委員参考人に対する質疑によりましてさらにお答えを願いたいと思いますので、さよう御了承願っておきます。  それでは春野参考人よりお願いいたします。春野参考人
  49. 春野鶴子

    ○春野参考人 主婦連合会の副会長をいたしております春野でございます。今回、ただいま委員長さんから御説明がございましたような、非常に交通関係が複雑になり危険になっておりますおりから、道路交通法案が制定されようということに私ども期待をいたしておるわけでございます。いろいろ法案を拝見させていただきまして、専門の点にわたるようなところはわかりませんので、家庭消費者あるいは利用者と申しましょうか、そういう立場で、バスにも乗りますし、道路もよく歩きますし、ときにはタクシーも利用さしていただく、そういう立場から、多少さまつな点にもわたるかもしれませんが、少し参考意見と、あるいはお願いに及ぶようなところもあるかもしれませんが、述べさしていただきます。  目的の第一条に、「この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的とする。」とございますので、まことにこの通りでございますが、なおお願いすれば、私どもの気持からいえば、この法律は、一にも安全、二にも安全、とにかく安全ということを第一にしていただきたいと申し上げたいのでございます。御承知のように、ほんとに交通地獄でございまして、家を出ますときには、きょう一日無事に帰ってきてくれますようにと、夫のうしろ姿を祈るようなあんばいでございます。自分たちが出かけるときも、老人、子供などを連れておりますとなお一そうでございます。乗りものに乗っても、歩いても非常に危険を感じる。資料を拝見いたしますと、交通事故だとか、あるいは交通事故による死者、あるいは老人、子供の犠牲者、そういったものが世界一というふうに、まことにお恥ずかしい結果が出ているようでございますが、そういう世界一は一日も早く解消していきたいものでございまして、別にこの事故をどうこうとまでは申しませんが、とにかく道路における一にも安全、二にも安全、安全を第一にして、もちろん危険を防止する。そして交通の安全と円滑をはかる。そういう気持を大いに法の運営によって盛り込んでいただきたいと思います。  それから第二章の歩行者の通行方法ということでございますが、「歩行者は、歩道と車道の区別のない道路においては、道路の右側端に寄って通行しなければならない。」、つまり右側通行の徹底ということであろうかと思いますが、いつのころからか、この右側通行ということが、ある駅では右側でありますが、一般的にもう乱れてしまって、右側なのか左側なのか、ときに右側を歩いておりますと、左側の方がいいと言われたり、非常に混乱をいたしておりますので、この際右側なら右側ということを徹底的にきめてしまう。右側交通ということが国民の常識なんだというふうになっていかさしていただきたいと思うのでございます。     〔田中(榮)委員長代理退席、飯塚   委員長代理着席〕  それから十二条の横断歩道及び横断方法というところでございますけれども、この横断場所が、私ども歩く者にとりましては一番こわい地獄谷でございまして、いろいろ警官の方も整理をしていただいておりますけれども、どうぞ一つ老人、子供であっても安心して横断できる状態に保護していただきたい。ここに各個条いろいろお取りきめ願っているようでございますけれども、こまかいことを申し上げて恐縮ですが、広い日比谷公園のようなところでも、あるいはこれから横断歩道を設定されて、そこに線をお引き下さる場合でも、一体そこを渡り切りますときの歩行のテストというのは、若い青年の方、あるいはまあよちよち歩きは必要ないと思いますけれども、やや老人の方、その速度が違うわけですね。それと横断のところに出ております信号の青、黄色、赤と変わるわけでございますが、その場合のタイム、これもやはりいま少し細心の注意を払って御設定願いたいと思います。そういたしませんと、渡り切らないうちに信号が変わる。もうかけ足で、十分ゆっくり歩いていいようなときでも歩行者は一生懸命にかけ出して歩く。そういう悪い癖がついておりますが、そういう癖がつかざるを得ないほど危険なのでございます。おまけに、いずれこれはあとに出てくると思いますけれども、青い電気が出ておりますので渡っておりますと、横合いから必ず車がやってきまして、そしてにぎやかな交差点のところなんかは、無理々々おもしろがって、車が人の波を泳ぐようにして行くのです。これは前にも問題になったことがあると思いますけれども、ちっとも徹底されておりませんで、青になって必ずさあっと向うに渡り切れる人はいいのですけれども、そのあとに続こうと思いますと、必ず横合いから車が割り込んで参ります。これだけは絶対に一つ横断歩道のところでは、車はいかなることがあっても、人が歩いていた場合には厳重にストップさしていただきたい。  それから広い横断歩道もありますし、商店街のような横断歩道もありますし、いろいろ道幅、環境によって横断の人波も違うわけであります。ごく最近、目黒の祐天寺の付近でありますが、そんなに広い道路ではありません。しかし、ひんぱんになって参りましたので、信号と横断線路が引かれたわけであります。けれども、何か形式的に線が引かれまして、そうしてその線のすぐまぎわまで来て車がとまる。そうするともう歩く者はどきどきしてしまう。ですからどうせ車をとめていただくならば、横断歩道はそう広げて下さらなくとも、車のとまるラインをもう少し先の方に引いていただいて、そこで車がとまるのだという癖と言いましょうか、そういう取りきめをはっきりしていただきますと、車から離れて割合にゆったりした気持で渡ることができる。いつぞやも非常に悲しい事故がございましたが、小学校の少女が、先生に言われた通りにちゃんと規則を守って横断歩道を渡っていたのに、横合いから車が参りまして即死をいたしております。よく若い運転手の方は、もうおもしろがってまぎわぎりぎりのところまで、どうかいたしますと歩道の中までも割り込んでストップすることがありますが、はるかに手前のところで静かに歩行者を見守ってあげるというような穏やかな態度は一つもないのであります。どうぞ一つ安心して横断ができますように、道幅の広い狭いによって、青年なり元気な方の歩行速度ではなくて、それよりもゆったりと歩いても渡れるように、信号の電気の変わるタイムを調整していただきたい。  それから十六ページの第十四条に、「交通のひんぱんな道路又は踏切若しくはその附近の道路において、児童若しくは幼児に遊戯をさせ、又は自ら若しくはこれに代わる監護者が付き添わないで幼児を歩行させてはならない。」とありますが、これはこの通りでございます。だれもこんなあぶないところで歩行をさせたり、遊戯をさせたりはいたしたくないのでありますが、親たちも十分に気をつけておるものの、たまたま起こります事故は、いつしか親の手元から抜け出した子供がひょいと戸外に飛び出す、あるいはいつしかそういう場所で遊んでいたというふうなことが非常に悲しい事故を生んでもいるわけでございます。ここで一つ考えますのは、法律にこういうふうに幼児を歩行させてはならない、もちろんその通りでございますが、こういった場合に事故が起きたといたします。その場合に、歩行させてはならない、遊戯させてはならないところで親はさせておりませんけれども子供がそこで無心に歩いたり遊戯したりしていたわけです。そこへ車が来て事故が起こった。そういう場合には、この法律に歩行させたり遊戯させてはならないところに子供がいたんだから、傷害補償と言いましょうか、そういった場合の判定のときに、子供の方が悪いんだから、補償金を——何というか、運転手の方は悪くないというような、これはきわめてデリケートなところだろうと思いますけれども、ここら辺のところを、この条文にある通りではございますけれども、判定される場合には——歩いたり遊んだりはもちろんのこと、老人、子供に至っては、いわゆる武装しないで肉体そのままで歩いている。そこへもってきて武装した車がぶつかるのですから、何をおいてもとにかく事故を起こさないように、車を運転なさる方々が、さきに申しましたように一にも二にも安全、いかなることがあってもひかない、人体を痛めつけないということをほんとうに第一にしていただきたいのでございます。それからまたこれに関連いたしまして、この法律に直接ではないかと思いますけれども東京のようなあるいは大阪のような都会地では、だんだん子供たちの安心して遊ぶ場所が非常に少なくなっております。事故を起こしました子供たちの例を見ましても、主としてそういう環境に恵まれない子供たちが被害を受けていることは全く残念なことでございます。関係御当局でも総合して、子供たちがこんなところに飛び出さなくてもいいような手軽な子供たちの遊園地、遊び場そういうことを一緒に考えていただきたいと思います。   それから三十五ページの三十八条に、同じく歩行者の保護ということをわざわざうたってありまして、「交差点又はその附近において歩行者道路横断しているときは、その歩行者の通行を妨げてはならない。」、これがさきに申し上げましたように、信号のタイム等ともあわせまして、このことが現在ほとんど、あまりにもひどく守られていないということを特に先生方に御銘記いただきたいと思います。  それから第四十五条の駐車をしてはならないというくだりでございますが、これがまた最近私どもまことに迷惑をいたしております。また危険も感じているわけでございます。いわゆる自家乗用車ももちろんですが、最近商店街などは、至るところの方々が小型、大型の貨物トラックですか、その他の自動車をどんどんお持ちになっております。それが平気で御自分の家の前あるいは御近所、至るところにとめてありまして、その間を縫って大型のバスがまことに危険な運転をしていくわけでございます。そこのところを今度は小学校に行く子供あるいは買い物をする主婦たち、そういうものが間を縫っていくのですから、これはまことに極端にひどい。商店街などごらん下されば一目瞭然だと思います。しかもとまっておりますから、そのうしろを横切ったり、あるいはその車の前をと、こうやっているときに、横合いやうしろや前から車が来る。バスなんかは軒にすれすれであるというふうな狭い道路を盛んに今通っております。その場合に、一台でも二台でも駐車しておりますと、どうにも動きがとれないほど混雑をいたしております。歩く者の迷惑はまたこの上もないことでございます。さらばといって、便利なそういう車を利用なさる方々がガレージを——どもは、ほんとうはガレージを持ってそこにきちんと納めて、と言いたいところでございますが、車を置く場所すらないような状態のときに、ガレージまでということであれば、せっかくその便利なものも多くの人が利用できないということにも追い込められますので、はなはだ判断に迷っております。しかし市民の立場から言いますと、今よりも、もう少し車をお持ちになっておる方々が何とかあき地を利用するとか、何とか方法を講じて、そういう道路は占有しない、自分の家はよくても、ほかの車、ほかの歩行者に迷惑をかける。荷物を積みおろしをする場合でも、実にずうずうしく二時間も三時間も商店の前にとめっぱなしで、中でむだ話をしておるとか、あるいは自転車を置くときだって、のんびりした方は、もっと端へ寄せて下さればいいのに、そういうことをなさらない。そういう観念、常識、こういうものが非常に欠けておるのじゃないか。これでおそらく危険度もふえておりますので、何とか自家用車を持つ人はガレージを持てということが言えないならば、何か一つ名案を考えていただいて、車の管理あるいは駐車、停車、そういうことに一ついい方法をお考え願いたいと思うのでございます。  それから六十五条で、酒に酔った方たちが車両などを運転してはならない、これはぜひ徹底的にお取り締まり願いたいと思います。それから若い人のオートバイ運転ぶりなども、ここに運転者の義務ということがうたってございますが、当然この各条にうたわれてあることはけっこうだと思います。ことに若い人のオートバイの飛ばし方というようなものは、ほんとうにおもしろ半分でございまして、遠い人けのないところなら別でございますけれども住宅地あるいは商店街、そういうところでもおもしろ半分の運転をするという方が多いのでございます。それから普通の町の流しの円タクを私ども利用いたしますときでも、できればある程度お年を召した運転手の方を探して、そして幾らか安心して乗る。若い方の車にはなるべく乗らないというふうに考えるとか、非常に運転者によりまして運転の仕方が違うのでございます。なお会社などこ勤めておられますと、ノルマというようなことがございまして、過労になりっぱなし、あるいは収入をふやしたいばっかりに非常に無理な運転をなさっておる。そういうふうなことも大きな影響があることだと思いますが、幸いに交通事故防止に関する決議ということで、この行政委員会で決議をしていただいております。全くここにうたわれておる通りでございます。ただしかし、取り締まるとか、しかりつけるとか云々だけでなくて、運転する者の良識、常識、それから歩く者の良識、常識、それと官庁の方あるいは法律、そういうものと合わさったよい習慣、よい常識がここに生み出されまするように、私どもも利用者の立場でうんとこの際交通道徳交通常識、そういうものを学ばなければいけないと思っております。ともかく酒に酔った方の運転ということだけは、一つ十分お取り締まりを願いたいと思います。それで、この間大へん大きな事故であったようでございますが、自業自得といえば自業自得かもしれませんけれども、あるバーで社長さんが何人かの女の方と相当お飲みになって、そして自分が車を運転して大へんな事故を起こされた。そういった場合に、もちろんその方々もいけませんけれども、回わりの者が十分気をつけて、そうして運転をとめさせてあげる。それでも酔っぱらって私が運転していくのだというふうな場合には、警察にでも電話をかけて、酔っぱらった人が今運転しようとしているからとめに来て下さいというくらいになっていいと思います。そうして自他ともに危険を防いであげる。  それから七十一条の運転者の遵守事項でございますが、「ぬかるみ又は水たまりを通行するときは、泥よけ器をつけ、又は徐行する等して、泥土、汚水等を飛散させて他人に迷惑を及ぼすことがないようにすること。」、これは絶対につけなさいということに実はしていただきたいのでございます。これは割合大きな事故でもございませんけれども、水しぶき、泥水をかけられたら、かけられっぱなしの被害が一番多い例でございます。泥よけ器を全部つけるということになりますと、費用などのことであるいは車をお持ちの方には迷惑かもしれませんけれども、これは車を運転する方の当然守るべき常識だろうと思うのでございます。小さい被害のようですけれども、無数の者がこの迷惑を受けております。中にはおもしろがって、わざわざぬかるみのところをじゃぼっとやって、歩いている人がきやっと言うのを喜んでやるような方も相当多うございます。これは車を運転する方の常識として、ぜひそういうことは守らせていただきたいと思います。  それから交通事故の場合の措置とありますこの六十三ページでございます。ここでそろそろ罰則に入るようでございますが、罰則のところは非常に専門的なことで、私どもにはむずかしいのでわかりません。がしかし、一番悪質なひき逃げなんということは、一つ徹底的に大きくクローズアップされて、ひき逃げなどをした場合には、よくわかりませんけれども、たとえば無期懲役になるんだ、あるいは二十年はしゃばに出れないんだというような、何かはっきりキャッチ・フレーズになるような、自分への戒め、同時にまた一般の者にも、交通事故の場合の罰則はわかりやすく一つお下しを願いたい。そうしてそういうことがあってはなりませんし、またそういうことをみんなが防止する意味合いで、罰則のところはほんとうにわかりませんので、そういうことはうたってあるかと思いますけれども、悪質なひき逃げというふうなことについてこうだと。下品な例ですけれども、へいのところなんかに立ち小便をしても軽犯罪だというふうに、運転する人にも一般の国民にも、おもな事柄はわかりやすく罰則を示していただきたい。私の義理の兄がつい昨年でございますが、自転車に乗りまして明らかに右側通行を守っておりましたにもかかわらず、うしろから来ました砂利満載のトラックがからだ半分を完全にひきまして即死いたしましたが、この補償などの話も、いろいろ手間がかかりまして、その運転いたしていた方がちょうど二カ月ほど保険費を払っていなかったために、ようやく二年ほどかかって補償金をいただくようにはなりましたけれども罰則と同時に被害者の補償というふうなことをもう少し明快におさばきいただきたいと思います。  なお、多くの家庭の皆さんから出ておりますことは、道路修理の問題であります。道路の広さ狭さに無関係と申しますか、大型バスが遠慮なく許可されているということ、バスが通ってくれることは住民にとりましては便利なんですけれども、それと同時に、広い道を行くバスがそのまま今度は狭い商店街に入り込んで参りまして、軒すれすれのあぶない運転をする。こういうようなことで、非常に一般が危険を感じている。免許等についても、それぞれ御専門のことがあろうかと思いますので……。  一番最後に申し上げたいのは、年令の点です。もう少し年令を引き上げてしか許可を与えない。これは私は当然だろうと思われるのです。十六才の方でも、しっかりした間違いのない方もあろうかと思いますけれども、とかく若い方々の事故の起こし方あるいは道義的な考え方の不足、そういったことを考えますと、やはり十八才あるいは二十才以上というふうに年令を引き上げられることが妥当だと思います。  いずれにいたしましても、この法律がやがて施行されますについては、運転される方をやたらに取り締まる、やたらにしかりつける、やたらに罰則さえ与えればいいということでなしに、要所々々はきちっときまりをつけていただきとうございますが、同時に運転者も、それから全国民が、いよいよますます自動車がふえ、便利にもなりますかわりに複雑にもなり、そうして同時に交通地獄がこの上ともに拡大されるということだけは一つ何とかみんなで防いで参りたい。そのための教育あるいはPR、それから車を運行する方々の責任、義務というふうなことを十分徹底させて、指導していただく、導いていただく。そういうふうな建前でお願いをいたしたいと思います。(拍手)
  50. 飯塚定輔

    ○飯塚委員長代理 三輪参考人
  51. 三輪善雄

    ○三輪参考人 新しい道交法の審議にあたりまして、日ごろこの問題に非常な興味と関心を持っております市民の一人といたしまして、この機会に意見を述べる機会を得ましたことを非常に光栄に存じておる次第でございます。私がこの新しい案に対しまして意見を述べますにあたりまして、いかなる立場でこの案に対する意見を述べるかということについて、少々時間を拝借いたしたいと存じます。  過去数カ月にわたりまして、本案に対しましては、あらゆる職業、あらゆる立場、あらゆる利益代表の方々から御意見が出尽くしたものと存じます。私もほとんど三百六十五日運転手を使わずに走らせておる者といたしまして、またあるいは日本の各地におきましてその市の当局と密接な協力関係を持って、その土地の交通問題と取っ組んでおります青年商工会議所に関係しております者といたしましても、そういう立場から申し上げるのも一つの案でございますが、しかしながら、私は今日運転者の実感ということについて、運転する者の実感からいって、この法案がどういうふうに運転する者に受け取られるかという点を少々述べさせていただきたいと存ずるのであります。もちろん運転者というものにはトラックあるいはスクーター、乗用車、大型、小型全部を含めたものと御了解願いたいと存じます。  実感と申しますと、どういうことかということなんでありますが、なぜ運転する者はあんなにスピードを出したがるんだろうか、ノルマをかせぐためあるいは金を得るため一生懸命働く、走らせるということもございましょうが、これは私、自己誇示の本能ということも見のがしてはならないことだと思うのであります。タクシーが前方に白ナンバーの車を見ますと、あの連中はおれよりも技術の下手な者がやっているのだというふうに本能的にちょっと頭に来る。われわれが運転をいたしましても、桃色のドライブ・クラブの車が前にございますと、あの連中のあとをついていったらあぶない。いつ急ブレーキをかけられるかわからないから早く抜いてしまえというようなこと、ちょうど子供が、前にいるものを追い越して快感を味わうという気持が、確かに運転する者にはあるというようなこと、こういうようなことが実感です。  あるいは、なぜ日本道路が狭いのにかかわらず道路を十分に使わないか。京浜国道をお走りになりますと、左側のレーン、区分帯のところをトラックが走っております。あのバス、トラックの走っているところをよく見ますと、大体五十センチないし六十センチくらいの幅にずっとほこりの帯ができております。あれは車が通ってない証拠であります。あの何メートルか知りませんが、りっぱな道路の両わき、五十センチとすれば一メートルというものは死んでおるのであります。これはどういうことかと申しますと、結局自転車がトラックの運転者には非常にこわいのであります。京浜国道の場合、自転車はこちらの方に道がございますから、その問題はないのでありますが、それじゃ京浜国道はどうだと申しますと、あれは街路樹がおおいかぶさっておるものですから、非常に圧迫感を感じまして、右側に右側に、ちょうどベルトのプリーがまん中にまん中に走らせるような傾向になっておりますが、ちょうどそのような気持でトラックなり、乗用車の運転手が運転しているということ、これも実感でございます。  欧米特にアメリカあたりの町で、なぜ町の中をあのようにいい車があんなにゆっくり走っているか、その反対に、日本はなぜ町の中をところきらわずにスピードを出すのか。これはロンドンにいたしましても、ニューヨークにいたしましても、急ぐときにはハイウエイを使えばいい。そのハイウエイに出るまではゆっくり、時間がかかるかもしれないけれども、その先は急ごうと思えば幾らでも急げるという一つの安心感、逆に申しますと、東京におきましては、常に何かせかされていなければというような気持で運転していないと、目的地に時間以内に着けないんじゃないかというようなそういう焦燥感、そういったようなものがある、これも一つの実感でございます。  なぜうまい運転者——先生方がうまい運転手の車にお乗りになった場合一に、なぜスムーズに、あまりスピードを出さずに、しかもあまりブレーキも踏まずに目的地に時間内に着くか。これはその運転手が自分の走っている前の車だけを見ていない。常にそのうしろのガラスを通して前の前の車——私に言わせれば、九十点をつけられる運転手は三台、つまり前の前の単を見て走る。その二台前の車を見て走るのが大体六十点くらいだ。じゃ直前の車を見ながら走るのは何点か、これはゼロだと思うのであります。直前の車は頭の中で見るのであって、目で見ている車は前の前の車を見ていれば決してぎこちない運転はしない。これも一つ運転者の実感でございます。  それに現在ではうしろのガラスに白い幕をたらしまして、私はあれを霊柩車だと言っておるのでありますが、あれは日本のある大きな都会からはやったもののようでございます。そうして東京でもだんだんそれがはやりまして、メーカーが新しい車を売るときに、もうすでにそれをつけて売っているということは、これはほんとうに将来考えていただかなければならないことだと思います。  じゃ、なぜ自転車やオートバイをトラックの運転手がこわがるのかというと、実際私がうちのトラックを運転してみまして感ずることは、自転車は、一台の幅はあの自転車の幅じゃないのであります。われわれ運転者の目には、ちょうど自動車の幅くらいの幅を意識していないと大へんな事故を起こす。オートバイになりますと、大体自動車の半分を意識していればいいと私はいつも運転手に言っておるのであります。それほど自転車というのは自動車にとってこわいものでありまして、そのためにどうしてもトラックというものは道路の中央に中央に入りたがる。そして乗用車に追い詰められ、乗用車は両方から追い詰められて蛇行する。こういうのが運転者の実感でございます。  こういうような実感を、当局は本案に対しまして非常にたくさんの面で改良せられ、そして織り込んでおられると思うのでありますが、特にそういう点を今後さらに改正下されますおりには十分に御審議願いたいと存ずるのであります。  次に二つばかり私の意見を申します、考えている焦点を申し上げたいと思います。その一つは、日本交通取り締まりの方式と申しますか、パターンと申しますか、そういうものは大体において戦前、戦後を通じまして、米国式のパターンが、道路標識におきましても、あるいは道路の作り方におきましても、それをまねていると言っては語弊がございますが、それを手本にしているのではないかと思われる節がございます。しかし私の考えは、ヨーロッパ並びにその植民地に彼らが——特に植民地におきましては、本国にできないような理想主義を施行しようというような非常に意欲的な交通取り締まりが行なわれている意味におきまして、アメリカだけでなしに、ヨーロッパ並びにその植民地の交通法規というものをぜひ参酌、参考にしていただくべきである。アメリカ交通法規のいい点は、先ほど申しました運転する者、ドライバーの実感が非常によく織り込まれていると私は思います。これは作る者が、全部自分がお役所まで自分の家から運転することもありましょう。あるいはその他の社会世相からもそういうことが、えると思うのでありますが、ヨーロッパの法規のいいところは、いわゆる日本と同じように、オランダでも、ベルギーでも、それからスエーデンでも、みんな自転車が多くて、モーター・バイクが多い。いわゆる混合交通と申しますか、車の種類が非常に雑多であるという点において、学ぶべき点が非常に多いと思います。これらの点に焦点を合わせて、こういう法規が審議されることを特に私はお願いしたいと思います。  第二の点は、よく神風運転、神風タクシーということを新聞あるいは雑誌が取り上げます。あれは外国人に言わせますと——私の会社にタクシーに乗って外国人が来たといたします。そして東京印象はどうだと言うと、神一風のタクシーが非常に印象的だと言う。その印象は一体何だということを私考えてみますと、新聞や雑誌が書いているように、神風タクシーというのはスピードを出し過ぎる、スピードが早いから神風だというふうに皆さん解釈しておられるようでありますが、私はそうは思わないのであります。神風タクシーというのは結局無謀運転、いわゆる右側通行、割り込み、一時停止を行なわない、あるいは電気を上に向けっぱなしで走るとかいうような、外国人では思いもよらないような、これを道路交通上の運転道徳と申しますか、マナーと申しますか、そういうものが全然日本運転者にはないということの代名詞が神風なんでありまして、スピードを相当のものを出したって、これは神風にはならないということ。さらにはそういう考え方が新聞だけでなしに、一般の市民も、そして  一番大切な警察官の頭の中に、スピードだけを取り締まれば事故がなくなるんだという考え方がまだまだ残っている。それを払拭しなければ本案のバック・ボーンは入らないんじゃないかという点、この二つの点に一つ焦点を合わせて、私は意見を申し上げたいと思います。  前置きが長くなりましたが、本案を拝見いたしまして、一番最初に感じますことは、言葉が非常に平易になったということ、そして罰則が非常に強くなったということであります。これに対しましては、もろ手をあげて賛成をいたします。大体むずかしい言葉がなぜ必要かというと、お役所とお役所の間において、いろいろの手続上必要であって、われわれ運転する者に、それは割り込みというのだ、あるいはこのことを駐車というのだと言えば、一ぺんにしてわかるような言葉が幾らでもあるのであります。そういう点におきまして、本案は非常によくできておると存じます。  第二に、先ほどの混合交通、車種の多様性といいますか、それをどうさばくかという点に関しましても、これは旧法に比べまして一歩も二歩も前進しておると私は存じます。ただし、満足な状態には至っていないと私は存じます。たとえば十九条のトロリーバスをどの線を走らせるかということを拝見いたしますと、トロリーバスは乗用車、トラックその他と一緒に、道の中央沿いを走れということになっております。トロリーバスというのは、人を乗りおりさせなければならない関係上、どうしても道路の左端に、約三百メートルないし四百メートルおきくらいに寄らなければならない性質のものであります。これを中央沿いの区分帯を走らせるということは、どうももう少し考慮の余地があるのではないか。  さらには、その前の十八条でありますが、車両相互の優先順位というところに、自動車及びトロリーバスを第一号に、そして自動車の中には乗用車もトラックもみんな含ませたものを入れておるのであります。その左側をオートバイが走ったり、それからスクーター、二つ車のついたようなものが走って、その左側を自転車が走るということになっておりますが、これなども速度の制限を政令によってきめて、最高速度の早いものがうしろからついてきたら、一応よけなければならないというふうになっておるように私はお見受けいたします。それでは、うしろからラッパなり何かなりの合図をしてきたならば、常に右寄り左寄り、また右寄り左寄りと、先ほど申しましたトロリーと同じような蛇行運転というものをむしろ奨励しているような形になる。もちろん道の狭い間はこれもいたし方ないと存じますが、将来は、どうしても最高速度の種類によってゾーンをきめていくのが一番混合交通に打つべき手ではないかと存じます。  次に、トラックを運転いたしまして一番こわいのは自転車であるということを私は申しました。私のところのトラックの運転手も、やはり十年くらい前に、一人非常な不幸な目にあわせました。この自転車の保護を、今後もう少し本案に織り込んでいただいたらなおいいのではないか。歩行者の保護はもちろん大切でございますが、それと同時に、自転車というものは、子供でも老人でも乗る非常に弱い乗りものでございますから、この自転車をもう少し自動車から保護してやるということを、今後ぜひ織り込んでいただきたい。たとえば、両国橋へおいでになりますと、今までずっと広い千葉街道が、両国橋に入りますと、自転車が全部車道の上を通り、人だけが歩道を通る。あの広い歩道が人影はほとんどばらばらで、国技館がなくなりましてから、今両国橋を往復するというような人は非常に少ないのであります。にもかかわらず、自転車はその上に乗ると怒られるものだから、一番あぶないトラックと同じところを走っておる。こういうようなことも、今後はできるだけ自転車の保護という面において、歩道の半分は自転車に開放してやる。ちょうど六郷の第二京浜の橋のように開放してやるとか、その逆のことを申しますが、千葉に参ります新しい道路で、橋がかかっておりますが、そこまでせっかく広い道ができて、そこへ参りますと、ちょうど半分くらいの道に狭められて、しかも自転車がそっちへ突っ込んでくる。これなどはまことに時代逆行以外の何ものでもないじゃないか。そういう意味から、私はこういう意見を申し上げておるのであります。  その他道路標示をお作りになりましたが、これはまことにけっこうなことだと思います。これもぜひ守れるような道路標示を一つ御指導願いたい。安全地帯の直前まで三本の線を引いておいて、そして四台の車をずっと並ばしておいて、その直前でぷつっと切ってしまい、あとはどうなるか、あと運転手にまかせておけば、結局安全地帯の左側に全部うまくもぐり込むだろうというような、そういう不親切な作り方は、むしろ道路標示が事故のもとになる。できれば五百メートルくらい先から、今までは三レーンだったものが二レーンになるぞという予告を運転者に早く与えるということが、運転者の実感にぴったり合った施策である、そういうふうに思います。  五十二条に、他の交通の妨げとなるときは電気を下に下げろというふうになっておりますが、これなども今の状態においてはいたし方ないと存じます。と申しますのは、街路樹のために街灯が減殺されまして、道が非常に暗い。ですから、将来外国並みに町を明るくしてやるから、そうしたら電気を消せ、ディム・ライトで走れというくらいに、一歩前進という意味でこの規則を御解釈願いたいと存じます。  まだいろいろございますが、それぞれの立場の方がもうすでに御意見を述べられたことと存じますので、私の具体的な意見はこれでとどめます。  最後に、結論といたしまして、われわれの考えている安全交通の理想に近づけるための当局の御努力がここににじみ出ているということを、私ははっきり申し上げてよいと存じます。特に参議院の審議の終わったあとの修正案を見ますと、私が自分で申すのもおこがましいのでありますが、専門家の立場から見ても、よくここまで運転者の気持を察してお作りになったという点を大いに感じ、深く敬意を払う次第であります。交通秩序の確立に対するもしも原則というものがあるとするならば、私はこういうふうに考えるのであります。左手に環境整備、右手に取り締まり、しかも右手の取り締まりは、環境整備がよくなればよくなるほど右手の仕事は減るのだ、逆に環境整備が悪い間は、これは取り締まりでカバーしていかなければ人命の保護にならないという点であります。右手と左手の仕事は常に反比例する。その意味におきまして、先ほど英米の話が出ましたが、交叉点でラッシュ・アワーのときに立ち往生するのは、これは世界の流行病でございまして、いたし方ないと存じます。これは警察庁あるいは警視庁のお仕事の怠慢ではないのであります。これはどこの国もそうでございますことは、皆さん御承知の通りであります。ただ各国それぞれの特異性に即した手を打って、その解決に努力している。でありますから、日本わが国の特異性に即した解決の手をぜひ打っていただきたい。例を申しますと、アルゼンチンのブエノスアイレスについてこの間行って参りましたが、三百五十万人の都市で、信号機が何と三カ所しかないのであります。これをよく聞いてみますと、三年ほど前に予算をとって全部整備したそうであります。ところが、かえって事故が多くなった。これなどはむしろ取ってしまった方が、あのアルゼンチンの大陸的な国民性には合っている政治なのだそうでございます。  それから環境の改善と取り締まり、右手と左手の仕事は、これはできれば一つの頭でやっていただきたい。いろいろな頭がたくさんついていたのでは、いい仕事はできないということを申し上げたいと思います。できれば一つのお役所に全部まとめていただきまして、先ほど春野先生が言われたように、道路の普請、あれはまことに困ったものでございますが、あれはただ交通渋滞を起こすからいけないのだというふうに皆さんとられておりますが、私の見方は、穴ぼこがちょっとでもありますと、必ずベルトをはずして車は走りたがる。すなわち蛇行運転を必ず始める。その口実をお役所が運転者に与えているようなものです。だから、ジグザグ運転をするなと言うならば穴を埋めて下さい、こういうことを申し上げたい。これは警視庁の仕事じゃないのだからいたし方ない、これが日本の現状です。  次に、アメリカでよく車がずっとベルト・コンベアーに乗って走っているような写真がございますが、あれはなぜあんなに乗っているかというと、結局車の形、大きさ、スピードがあまり変わらないからでございます。日本はその逆でございます。それではなぜ日本で前照灯を下向けて夜中に走らないのか、これはとんでもなくまぶしい、しかも乗っている御当人にはあまり明るくないような前照灯を作るメーカーがいるのであります。実にぎらぎらしたいやらしい色のする電気を作るメーカー、こういうものがあるからであります。  日本はなぜ右ハンドルでなければいけないか、これはアメリカにおいては左ハンドルでありますが、右ハンドルは対面交通のときに非常に楽だということと、追い越しのときに楽だということ以外に何ら効能はないのであります。私は常に考えておるのでありますが、追い抜きをする必要が、あの砂利を満載したところのトラックにあるかどうか。私は、トラックはぜひ一番運転のしにくい、一番神経をいらいらさせる自転車に一番近いところに運転者を置くべきだ、特に日本におきましては。これはハイウエイができましたら別であります。乗用庫は今のところ右ハンドルでもいいと思いますが、それでもパークするときに左の方がずっと便利である。なぜ右へ、中央に中央に自動車が寄ってきて道が有効利用されないかという点も、それからジグザグ運転の点も、こういうようなハンドルの構造からも原因がよって来たっておるということも一つお考え願いたいと存じます。  最後に私は、環境改善の右手と左手ということを申し上げて結論にしたいのでありますが、その完成のできない間は、やはり取り締まりの強化あるいは警官の権限の強化ということはいたし方ない、ぜひやっていただきたいと存じます。ただし、警官の一人々々が今の右手と左手の原則を十分にわきまえていただいて、環境が改善されないのだからわれわれは今取り締まるんだぞ、環境がよくなればわれわれは取り締まらない、君たちの味方であるというような積極的な建設的な気持でぜひ取り締まっていただきたい。いやしくも、もうこれだけ車がふえたのだから日本では、東京では仕方がないんだよというような気持、あるいは取り締まりやすいところばかり選んで取り締まる。取り締まりばえのするものばかり選んで取り締まるというようなことがもしあるならば、私は、皆さんの努力によって作られたこの案は死文化するということは自明の理であると思うのです。その意味において、ぜひそういう気持に警官全体がなっていただくことをお願いすると同時に、この法案が、われわれの理想に相当数歩近づいて前進してきたという意味におきまして、われわれは市民の一人といたしまして全幅の賛意を表する次第であります。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  52. 飯塚定輔

    ○飯塚委員長代理 以上をもちまして参考人各位の一応の御意見の開陳は終わりました。  引き続き参考人に対する質疑に入ります。質疑の通告があります。これを許します。田中榮一君。
  53. 田中榮一

    ○田中(榮)委員 ただいま春野先生並びに三輪先生から非常に具体的な一般国民大衆を代表されてりっぱな御意見を拝聴いたしまして、われわれも非常に参考になったのでございます。そこで春野先生にちょっとお伺いしたいと思うのですが、現在でも交通道徳普及につきましてはいろいろ、たとえば警視庁で申しますと、交通安全協会であるとか、あるいは母の会であるとか、PTAの会等で相当側面的に交通安全運動の実施等につきまして協力されておるのですが、主婦連合会としては、従来われわれの国民生活の実態につきまして、あるいはふろ屋の値上げに対して反対されるとか、いろいろ大へんためになることをやっていらっしゃるのですが、こうした交通地獄から子供を救うあるいは子供を守らなくてはならないというような運動は、主婦連合会としてはあまりおやりにならないのですか、どうでございましょうか。
  54. 春野鶴子

    ○春野参考人 特に避けたわけでも何でもないのでございますが、会を結成いたしまして十年、その経過の中に会のやはり活動をいたしたい主目的がございますもので、その方につい追われがちで今日まで参ったのでございます。同時に、交通関係のような場合に、PRをなさるあるいは協力を求めなさる先方の方、たとえば警視庁なり各警察の方がいつしか——別に私どもお断わりした覚えはありませんが、つい地元の母の会というようなふうに次第に色分けができたということもございます。だから、うちの方に御依頼がないから別に知らぬふりをしておるということはございませんけれども、やはり会の主目的の方のお仕事がついつい忙しいものですから、交通関係あるいは警察からの御依頼等のことは大体母の会の方々がよくなさっていらっしゃる。それにいいことは陰ながら御声援を惜しまない、そういう態度で参ったのです。ですから今後とも、もしお呼びかけ下さる側が、もう少し総合的に、そうして目的を明確にしていただいて、これだけのお互いの交通に関する常識あるいはあるときの行事、PR、そういう場合にはどうぞ一つあげて一緒にやりませんかというふうになりますと、参加もしやすくございますし、そういうことに非常に熱心な母親たちもたくさんおりますから、決して逃げたり隠れたり、いやがったりしたわけではございませんので、よろしくお願いいたします。
  55. 田中榮一

    ○田中(榮)委員 母の会になりますと、主としてこれは東京都内に組織されておりまして、全国的組織ではないと思います。それからPTAとなりますと、やっておるところもありますが、どうも学校の入学の方ばかりに重点が置かれて、子供のほんとうの生命の保護ということにあまり関心が薄いのではないか。そこで幸い主婦連合会というようなところは全国的な組織をお持ちですから、やはり経済闘争以外に事故防止闘争もできるだけ御協力願って、もし警察の方から呼びかけがございましたら、ぜひ主婦連合会におかれましても、できるだけこれに御協力のほどをお願いいたしたいと考えております。  それからもう一つ、酔っぱらい運転でございますが、われわれも、当委員会におきましても各委員の方々も、これについては非常に熱心に検討を加えているわけでございますが、どうも酔っぱらいというものは、法律がやかましくなりましても、飲んでしまうと忘れてしまうわけなんです。そこで主婦連合会としましては、主婦の立場にありますから、家庭的の行政処分、司法処分を厳重にやっていただいて、法律の処分以外に、家庭内における主婦の処分を厳重にやっていただくことによって相当効果がてきめんじゃないかと考えております。そういう方面からできるだけこれに御協力いただきたいと思います。  それから三輪先生に一つお伺いしたいと思うのですが、三輪さんは交通問題につきまして、ほかの使命で欧米を御視察になっても、交通だけはいつも御自身で御調査なさる、非常に民間における交通研究家でいらっしゃることを私は承っておるのであります。そこで三輪さんに一つお伺いしたいと思うのですが、われわれが自動車に乗って経験しますことは、たとえば皇居前を走っておりますと、いわゆる白線の区分線をわざとまたがって運転しているようなトラック、タクシーがあるわけなのです。それから三輪さんのお宅のすぐそばの、たとえば浅草橋であるとか、あるいは江戸橋の昭和通りから三越の方へ曲るところ、ああいうところへ差しかかりますと、いわゆる割り込み運転が盛んになるわけなのです。一台が割り込むために、ほかの車がまたそれこくっついてくる。そこへ一台か二台途中にあるものですから、ほかの車が前に行くこともできなければ、後退することもできない。回転もできないということで、わずか一、二台の割り込みの車のために全部が混雑してしまう。交通巡査が声をからしてこれを取り締まっても、なかなか思うように車が動かない。こういうのが各方面に起こっておるわけなのです。あるいは不当に追い越しをしていくとか、それからまた一時停車をほとんど無視して突っ走っていくというようなこともございますし、自動車の窓の中で見ている際にもわれわれは交通違反を目撃するわけなのです。ところが現場には不幸にして警察官は一人もいない。こういう場合に、何かわれわれ民間人が警察に対して協力、取り締まりといいますか、警察署に対してこういうナンバーの自動車がいつどこでこういうような違反をしておったということを投書というと少し暗くなりますけれども、これは一般の交通事故防止のためですから、何もさすという意味ではなくして、これこれの番号についてこういう違反を犯したがということを参考に警察に知らせるとか、何かそういうようなことをやっている国はほかにないでしょうか。何かはかにあなたのお考えで、われわれ民間人が、こういう点で違反等を発見する場合において警察に協力したらどうかというような御意見がございませんでしょうか。
  56. 三輪善雄

    ○三輪参考人 今田中先生のおっしゃったことがまさに私の日ごろ慨嘆にたえないところなのでありまして、外国におきましては、先ほどの施設——線なら線が守りやすく引かれているという点と、それからもう一つ運転する者のロード・マナーと申ますか、交通道徳心と申しますか、その二つの相乗作用で案外うまくいっておるように私は思われます。にもかかわらず、やはり交通モニターと申しますか、そういうような民間の交通行政協力者というような制度があるということは私よく承っております。日本も九州の方でそういうことを実施されているというようなことを承っております。私自身の例をとってみますと、ついこの間の日曜日でございます。夕方箱根から、おそらくサンデー・ドライバーだと思いますが、中央線をまたいで、私、はかっておりますと、大体二キロくらいそのまま走っておるのであります。私はそのあとからついて参りまして、どういうふうにしたらこの連中の事故を未然に防げて——彼らが死ぬのはいいけれども、相手の事故を防ぐには一体どうしたらいいかということを、ただいま田中先生がおっしゃったのと同じようなことを考えながら運転していったのであります。私がその前に抜いていって、前にとめて、ちょうど交番の前でとめて、今実はこういうようなことをこの人がやっておったから、あなた注意して下さいと言えばおんの字であります。それをすれば、おそらくそのおまわりさんは、何か証拠がありますか、何か証拠がなければそういうことは取り上げられないといって、そのうちに、じゃ私は失礼しますとおまわりさんが帰ってしまえば、もしも相手が暴力団だったら一発私はやっつけられてしまう。それ以外に手はないのであります。ですから、そういう民間の協力者をどういうふうに協力させるか、しかもただ利害関係の代表者としてのモニターでなしに、実際はそういう交通事故未然防止という面で適任の方を試験するのもけっこうでありましょうし、経歴を洗い上げるのもけっこうだと思います。そういうようなことをやっていただくことを、むしろ私の方からお願い申し上げておきたいと思います。
  57. 田中榮一

    ○田中(榮)委員 私も数年前に、ロスアンゼルスから四晩車の中に泊まりまして、五日目に砂漠の中のソルトレークに行ったのでありますが、大体アメリカのレーンは、レーンさえ見えておけば絶対に事故は起きない。レーンをたよりにして行くわけです。そのレーンにいろいろ注意書きが書いてある。たとえば先ほどおっしゃったように、三百メートル先に行ったら左に入ることができるとか、二レーンになるとかということが、三百メートル、二百メートル前に書いてあって、それによってわれわれが運転していくわけです。こんな砂漠の中ならそれでいいが、東京のようなところで、百メートルか二百メートル先にこういうことがあるというふうに予告をレーンの上に書くことによって効果があるでしょうか、ないでしょうか。
  58. 三輪善雄

    ○三輪参考人 大いにあると存じます。いい例が今度の横浜バイパス、あそこに入りますときに、直前まで右へ折れていいのか、左へ折れていいのか、ただ天井に矢しるしが書いてございますので、自分の走るべき領域であるところの、ただいまおっしゃったレーン、交通区分帯、それをどっちをキープしていったらいいのかということは全然指示してない。ですから、左側を走っていきまして、右に行けば八王子に行くんだということはわかりますけれども、その直前に行って、まっすぐ行ってしまいますと、道を間違えたということを感じたときに、今の日本のドライバーだったら、必ずあの錯綜する交通の中をバックして、その間を縫って八王子の方に行くことが平気で行なわれておるような現状であります。絶対にレーンを守る、自分の領域を守る、そのかわり人が犯したらそれをやっつけるというセンスを運転者に植え込むような教育をぜひやっていただきたいと思います。
  59. 春野鶴子

    ○春野参考人 一、二点落としたことがございましたから。三十一条のところでございますが、路面電車のところでございます。「ただし、路面電車に乗降する者の安全を図るため設けられた安全地帯があるとき、」云々「一・五メートル以上の間隔を保つことができるときは、徐行して当該路面電車の左側を通過することができる。」電車がこうありまして、車がこちら側から通過してもよろしいという指示でございますが、路面電車から一メートル半離れていれば車が通過することができる。これだけ離れている距離のあるところは私、東京でも少なかろうと思います。でありますならば、実は電車と車の場合に私ども非常に危険を感じますのは、車がとまります、それから車に対する安全地帯というものもあったりなかったりいたしております。次第に何か安全地帯がない方が多いようであります。そこで客が乗ったりおりたりいたすわけでございます。その間に左側から来ます車が実に平気でこれを通過して参ります。よくよくでないと、車からおりる人と乗る人を待ってくれませんで、その合間を縫って乗る人、おりる人は非常に危険を感じながらようやく歩道の方に渡るわけでございます。ですから、いっそこの一メートル半以上の間隔を保てば通過してよろしいなどと甘いことをおきめ下さらずに、むしろ路面電車が停留所でとまっておりますときには、間隔がわかるわけでございますから、路面電車の長さだけずっと手前の方に線を引いて、そこのところで車はとまれ、こう指示していただいた方が、電車に乗りまたおりる人は安心してその行動ができる、こう思うのでございます。一・五メートルの間隔があればということは、おそらく私はこっけいに思われる表現ではなかろうかと思います。もうすれすれどころか、歩道と電車の間を二台くらいが一寸ぐらいしか離れていないでせり合って出ていくわけでございます。この点はぜひとも一つお願いいたしたいと思います。あちこちの標語には、電車に乗る人おりる人を優先にして、そうして車は通りなさいなどとしてありますけれども、ほとんど守られておりません。ぜひ一つ、電車が停車いたしますその長さはわかるわけでございますから、その手前にずっとストップの線を引いていただいて、電車がとまっている限りは、乗降が済まない限り、車はその線から電車の側面に出ちゃいけないというくらいに一つしつけていただいた方がありがたいと思います。  その次に踏み切りのところでございますが、これは簡単に踏み切りを渡るときのきまりが書いてございますが、私どもから言わせますと、無人踏み切りとでも言いましょうか、こういうものが無数にございまして、ことに私鉄の会社なんか、値上げをなさるようなときに、私ども条件を申し入れまして、それじゃ値上げはやむを得ないとしても、その値上げ分で無人踏み切りの事故防止ということで、ぜひとも踏み切りの安全を期していただきたいということも何回かやり合ったことがあるのです。しかし、そのときだけはいはいと言われて、目立って改善された結果は見ておりません。どうぞ一つそういった点、魔の踏み切りというのが無数にございますし、信号のないような踏み切りもたくさんございますので、ぜひともこの点よろしくお願いいたしたいと思います。
  60. 飯塚定輔

    ○飯塚委員長代理 門司亮君。
  61. 門司亮

    ○門司委員 ごく簡単に三輪さんにちょっとお聞きしておきたいのですが、いろいろ外国の例等をお聞かせいただきまして、非常に私ども参考になったと思いますが、この法案の中で一つ欠けている点が実はあるのではないか、それをどうするかということで私ども苦労しているのが一つあります。それは、この法案自身が道路交通法基本法として一応こしらえられた、と言うと実にふれ込みが大きいのでありますが、この中に欠けておりますのは、運転者意見を十分聴取する機関が設けられていないということです。それで取り締まる方の側あるいは客観的の情勢から見て判断をする人のみの意見でこの法律はこしらえられておる。同時に、この法律の実行に対してもそのような形になっておる。従って、法律内容の中には、運転者意見を聞く機会なりあるいは聞かなければならないというような規定がほしいのではないか、それは二つの場合が私はあろうと思います。  一つは平常の場合で、たとえばゴー・ストップをこしらえるという例を一つとってみます。それから管内に、一つの警察なら警察管区内に無人踏み切りが一つある。そこで事故が起こる。あるいは無人踏み切りでなくても事故が起こる。しかも魔の踏み切りといわれるような踏み切りがある。それらの問題に対して、その事故をどうなくするかということは、直接運転をする人の意見が非常に大事だと思う。そういう人の意見を聞く機会を与えるというようなことが法的にどこにもない。行政的にはある程度あると思う。最近行政的にあるものを見てみましても、運転免許を持っておる人は警察に集まってもらいたいというようなことで、法律が変わったりあるいは施行令が変わったりいろいろする場合に、訓示的の規定はいたしておりますが、実際運転者意見はどの程度入っておるか、これは非常に疑わしいのであります。そういうものをこの法律の中にどこかに織り込む必要がありはしないか。  それからもう一つは、これは午前中の参考人意見の中にもちょっとありましたが、交通事故が起こった場合、運転者意見を十分聞く機会をやはりどこかに求むべきではないか。ただ一方的に裁判をする。一方的におまわりさんが聞き取るだけでやるということは、これはお話にもありましたように、日本のおまわりさん全体が運転者ではありませんから、運転の心得がありませんから、運転者としての気持がわからぬわけであります。従って客観的に見たことだけしか知らないということになる。こういうことについて、どこかそういうものをこの法律の中に織り込む必要があると私は考えてみておるのですが、なかなかしろうとには法律を書くことが困難であります。そういうことについて、この法律全体を見てお気づきではありませんでしょうか。
  62. 三輪善雄

    ○三輪参考人 ただいま御質問の点に関しまして、私が先ほど運転者の実感を織り込んだものであってほしいと申しましたその点に結びつけていただけばまことにしあわせなのでございますが、まさに今おっしゃったことを私は危惧いたしておるのであります。ただここで一つ考えなければなりませんことは、運転をする者の立場、職業、それによりまして非常に意見が変わってきやすいという日本の社会情勢がだいぶあるのじゃないかと思うのでございます。たとえばスピードをもっと最高速度を下げろということを法律を出した場合には、主婦連合の方は、これは子弟を守る上において絶対にいいから賛成である。その側の運転者賛成するかもしれませんが、それを職業としておるサラリーマン、ノルマをかけられておるいわゆる利益代表の方は非常に反対なさるだろうと思うのであります。そういうように非常に相矛盾する点があると思うのでありますが、ただここで一つだけ言えることは、純粋の運転技術的な意見、これは第三者的なごく抽象化されたものだけは入れていただかなければいけないと存じます。伺うところによりますと、警察庁、警視庁は、そういう点で非常に今度は御意見を聞かれておるようでございますので、私はその点非常に安心をいたしておるのであります。ただ、事故を起こした場合に意見を述べる機会を与えよという御意見にはしごく賛成でございます。ぜひそうしていただきたいと思います。
  63. 門司亮

    ○門司委員 それで、さっき私申しておりますように、この法律の中に入れるか、あるいはそういうことは法律で非常にむずかしければ政令に出すかということであります。あるいはさらに下がって、行政措置として各警察に通達でもしてもらって、そうしてこのことが行なわれるようにするか、こういう幾つかの方法は私はあろうかと思います。しかし、いずれにしましても、やはりそういう運転者自身の気持というものが十分わからぬことには、なかなかうまくいかないと思う。これは外国の例で、私どもの知っておる範囲でも、私、直接関係をしたというほどではありませんが、半日見ておれというから、よくわからぬなりに見ておったのです。ある場所で、警察の交通の主任、検事、判事を入れて、そうして運転者が全部集まって、そのときはちょうどさっき申し上げましたゴー・ストップがこの町に一つふえるというときでありましたが、そのことによってどういう事故が起こるのか、どういう交通上の利便があるのかということを半日かかって議論した。そこに判事もいれば検事もいる。むろん交通の主任さんもいる。そうして全部が運転者さんでありますから、運転者さんがいろいろな角度から意見を言ってくる。そうして、こういうことでもし犯罪が起こったとしたら一体だれの責任か。今まではこういうゴー・ストップがなかったからこういう形で通れた。今度ゴー・ストップができると、こういう形になってタイムがこれだけかかる。そうすると今までわれわれが心得ておったタイムでは走れなくなってくる。それだけどうしてもひまがかかってくる。ここからここまでどういうスピードで行けば行けると考えたことが違ってくる。従ってこっちの勘が違うのだから、その間には事故が起こらないとは限らないのだ。運転者の勘というものとの誤差がどうしてもできるような気がするのだが、そういうときの責任は一体どっちが負うべきかというような議論を盛んにやっておりました。あるいは裁判所で、運転者さんが黒板に絵をかいて、自分の車はこういうふうに走ってきたが、片方がこういうふうに走ってきた。だからどうしても事故が起こらざるを得ない、避けられないのじゃないか、その事故をどうして避けたらいいかということで判事に食ってかかっておりましたが、何も裁判所だけでなくてもよろしいと思う。日ごろの訓練の中に運転者さんの意見というものを十分に聞いて、そういう疑問点が一々明確化されていくというような機会が与えられるべきだ。そうすると、今主婦の代表の方からお話しになりましたような、たとえば子供をどうして守るか、事故が起こったところだけそれをさばくということだけでなくて、運転者意見というものを聞いて、罰するということじゃなくて、その事故をどうしてなくするかということを話し合う機関というものがどうしても必要だと思う。その場合に、役人が運転者にものを教えるという態度でなくて、むしろ同じような立場でものを研究していくという機関がどうしても必要だ。そうすれば、それをこの法律のどこかに織り込むか、あるいはこういうことについては政令なら政令で事故防止をどうするかということを考えることがどうしても必要だと思う。もし交通基本法だというならば、それを法律の中に入れて、運転者の理解と、さらに住民の協力が得られるような仕組みにしていくべきじゃないか。その場合には、よけいなことですけれども、お母さんたちの代表者やいろいろの代表者を集めてそういう機会を与えて、お互いに事故を少なくしていく方法がどうしても必要だと思います。  それでもう一つお伺いしておきますが、そういうこと等については、単にさっきから私が申し上げておりますような法律だけではいけないのではないか。これを法律に入れたがいいか、あるいは政令でいいか、規則でいいか、さらに行政措置の通達だけでこういうことが守れるか、こういうふうないろいろな方法があると思いますが、三輪さんのお考えとしては——あるいは聞くのは無理かもしれませんが、法律にそういうことをうたうべきだというお感じがおありになるならば、これは法律の技術としてはなかなかむずかしいと思うのですけれども、この法律の中にそういうことを入れることをもう少し検討してみたいと思う。
  64. 三輪善雄

    ○三輪参考人 ただ、そういうものができましたときに私非常に心配いたしますことは、判事なりあるいはジャッジをする警察官なりの交通に対する考え方、先ほど申しましたように、スピードを出す者が悪いのだというような今の考え方ですべてを律せられてしまうならば、どんな機関を作ってもむだになるのではないかと私は思う。たとえばここに日本アメリカ交通事故のおもな原因の表がございますが、日本の場合は、総事故のうち速度違反の項目に全部のしわ寄せがきているのであります。ところがアメリカの二百四市の平均でございますが、優先交通を無視した、あるいは通行区分を違反したというのがその半分を占めております。それから連続進行がその次にきておりまして、速度違反というのはずっと低いのでございます。これは実際に彼らがスピードを出していなかったかというと、私はそうは見ません。逆に速度は相当出していたけれども、たとえば前の車が優先区分を無視したために私の車が事故を起こしたという場合には、すべてスピード違反で片づけられてしまっているというのが日本の現状でございまして、そういうような道路交通のセンスというものを、運転者と同時に取り締まる方が全部それだけ考え方を変えていただけるならば、そういう機関をぜひ作っていただきたいと思いますが、今の場合では、すぐそういうような話し合いと申しますか、陳述する機会を作っていただきましても、まだ少し時期尚早ではないか、この次あたりにそういうようなものが作られてもいいのじゃないか、それまではもう少し警官も運転者も、教育期間を本案によってやっていったらどうかというような感じが私はいたします。
  65. 飯塚定輔

    ○飯塚委員長代理 参考人からの意見聴取はこの程度にとどめます。  参考人各位には、御多用のところ長時間にわたり、しかも貴重なる御意見を承わりましてまことにありがとうございました。今後の本案審査に資することきわめて大なるものがあったと存じます。委員会を代表して私より厚く御礼を申し上げる次第であります。  本日は、これにて散会いたします。     午後三時七分散会