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江口政府委員 三井三池の問題につきましては、二十七日夜及び二十八日の
事態が大体おさまったという時期におきまして、また昨日不測の
事態が
四山鉱におきましてできましたことは、まことに遺憾でありまするが、私の手元に参っておりまするだけの
報告を、二十八日と二十九日に分けまして、主として
三川鉱内における
乱闘事件及び昨日の
四山鉱正門におきまする
事件を中心に御
報告を申し上げたい、かように思います。
まず二十八日の早朝、
三川鉱内の繰り込み
場付近におきまする新旧両
組合員及び
会社側との
乱闘事件の
状況を申し上げます。
その前に、二十七日の夜、熊本県の三角港から出ました第二
組合員を乗せた船が第二人工島の縦坑から中に入った。それから第二陣として
長洲港から出港いたしました
組合員が、やはり同じ
行動に移ろうという意図があったのでありまするけれども、これは紛争を起こして実行に至らなかったというような問題が
三川鉱事件の前に
一つあるのであります。しかしながら、それは多少の
乱闘があったようでありまするけれども、大きな事故を起こさずに二十七日の晩は済んでおったのであります。
それで
三川鉱の
状況に移ります。
三川鉱事件は、二十八日の大体七時ちょっと過ぎの
事件のようでございます。それで
三川鉱の
事件に至るまでの
三川鉱における
状況がどうであったかと申し上げますと、旧
労側、いわゆる第一
組合側は、午前一時ごろから、
三川鉱の
裏門付近にございます
団結館と称する建物がございますが、そこに約二千五百名が集結いたしまして、そして
正門、
裏門、
新門、こういうところに約三百名から四百名くらいの
ピケ隊員を配置しておったのであります。こういう
状況のもとに五時二十分ころ、そのうちの約五百名くらいの第一
組合員が西門及び
北門から
三川鉱の
構内に入り、
鉱長室その他の勤務いたしておりました職員に暴行を加えまして、
ガラス窓、机というようなものを破棄するような行為があった
模様であります。
一方、今度は新労、いわゆる第二
組合でございまするが、新労は、
予定通り約千三百名が
諏訪公園付近に集まりまして、午前六時ころから
正門に向けて第一隊約四百名、
北門に第三隊約四百名というものを向けまして、これがまあ世にいう
陽動作戦の役目を果たしたようであります。この第一隊及び第三隊がおのおの四百名ずつ
正門と
北門に向かいましたので、外で
ピケを張っておりました第一
組合員の大部分がそれに対峙をするという形になっておったのであります。そこで三つに分けましたうちの第二隊約五百名という新
労員が、残っておりまする
新門からほとんど
——これは
警察の
報告でございまするが、入る場合にはほとんど妨害がなく、五百名ぐらいが
構内に入った
模様であります。この五百名が
新門から入りまする場合に、ちょうどその時間には
正門のところにおいて旧
労側、第一
組合側の
ピケ隊と新
労側、第二
組合の第一隊、先ほど申し上げました第一隊がもみ合っておった
模様であります。そうして入構しました新
労員五百名が繰り込み場の
付近に到着しました際に、先ほど申し上げました
部隊であるか、あるいは新たに増強された
部隊であるか、この点さらに調べないとわかりませんけれども、先に入っておった第一
組合員との間に衝突を起こしました。これがほぼ七時ちょっと過ぎ、七時五分ごろであろうということに相なっております。七時五分ごろから第一
組合及び第二
組合員との間に
乱闘状態が起こりまして、
警察がかけつけました七時十五分ごろまでの問に多数の
負傷者を出すような大きな
激突事件が行なわれておったのであります。
警察部隊は七時十五分に第一隊がそこにかけつけまして、制止をいたしまして、第一
組合側はそこを引き揚げたということになっております。その際のけが人が、昨日までは百十五名という
報告を私は各
委員会で申し上げたのでありまするが、けさほど参りました
報告では二百三十名ぐらいの数になると思います。どちらがどちらをたたいたかというようなことは、もちろん現在捜査中の事柄でございまするけれども、けが人から申し上げますと、これも多少将来また変わると思いまするが、現在は新
労員の
負傷者が約百六十名、旧
労員の
負傷者が約五十名、
会社側といいますか、会社の職員の
負傷者が約二十名、こういった数字になっております。
警備
措置等は後ほど申し上げますが、以上が
三川鉱構内における
事件の概要でありますが、おととい二十八日は
三川鉱以外におきましても、
四山鉱その他で四、五人ずつの
負傷者を出すというような
事件は各所に起こっておりまして、現在二十七、二十八日のいわゆる不法
事件というものを合計いたしますと、十九件福岡県側だけで起こっておるということに相なります。三川以外の場所における事柄は、また御
質問がありますればその際申し上げることにいたします。
次に、昨日
四山鉱におきまして起こりました一人の死者を出しました
事件の概要を申し上げます。昨日の午後四時五十五分ごろ、これはもう新聞等でも詳しく報道いたされておりまするが、大牟田の山代組、それ以外の組も多少入っておりまするが、山代組を中心とする百名ぐらいの者が、トラック一台、ハイヤー十四台に分乗いたしまして、
四山鉱南門の前の検問所を通過いたしまして、そこで検問員に検問を受けておりますけれども、その警告を聞かずにそこを突破して、
正門へと向かっております。これが四時五十五分ごろです。ちなみに南門の検問所は、これは熊本県
警察の検問所でございますが、これはパトカー一台と検問員が七名の配置であったようであります。そこで、これは警備
措置の適否にかかるわけでありますけれども、とにかくそこで停止するということができずに、
正門に行ったという事実がございます。その一隊と申しまするか、車の列は、午後五時十五分ごろ
四山鉱の
正門前に到着しまして、数名がおりて、そこに
ピケを張っておりました第一
組合員、これは三百五十名くらいの
ピケであります。これと口論をしておったようであります。そのうち全員が車からおりまして、そしていわゆる第一
組合の
ピケ隊員とその連中との
乱闘に相なったのであります。その
乱闘のさ中か、その直前か、
付近の駐在所に詰めておりました熊本の
警察官の四名がそこにかけつけて、警告、制止をしておりますけれども、これも聞き入れられてないというか、それをとめることができずに、両方のなぐり合いになっておるのでございます。そのうちに福岡県の
部隊が一個小隊、これは山代組一派のトラック及びハイヤーに乗った連中が、いわゆる宣伝
活動ということで方々をその前から歩いておるものですから、これはかねがねの行状に照らして衝突のおそれが十分あるということで、三百メートルぐらいうしろをずっと追尾をいたしております。これがその次にかけつけております。それから、これが中に入り、その後、急報によってかけつけた熊本県
部隊が約二個中隊、特科
部隊、私服
部隊を入れまして三百名ぐらいの者がさらにこれにかけつけまして
事態を鎮圧した。鎮圧といいますか、終結をして、そうして乱暴いたしておりました山代組ほかの五十一名を荒尾署に同行して調べたのでございます。こういう事故が起こりまして、まことに遺憾でございますけれども、死者一名を含めます
負傷者が旧
労側第一
組合側に十三名、それから山代組側に一名、
警察官に五名というものが、その紛争事案の渦中にあってけがをしたり、一名がそのうち病院で死亡するというような事故が起こっているわけでございます。以上が昨日の
四山鉱正門前における事案でございます。
今まで起こりました事案は、従いまして、先ほど申し上げました二十八日の
三川鉱構内における事案と、昨日の
四山鉱正門前における事案とが一番大きな事案と相なっております。現在の
状況は、私ただいま役所を出ます際に聞いて参りました
状況は、新
労側の就労しようという
状態が出ておりませんのと、旧
労側も各所に
ピケを張っておりますけれども、もちろん相手がございませんので、衝突、接触というようなことは現在まで行われておりません。
次に、警備
措置についての概要を申し上げます。どういう判断のもとにこういう警備
措置をやったかということにつきましては、いろいろございますけれども、その点を省略しまして、どういう
措置をとったかということを申し上げます。
まず、二十八日の事案に対処いたしましては、
警察としては第二
組合ができましてから、こういう
状態といいますか、成り行きになるだろうということを予想しまして、会社あるいは第一
組合、あるいは第二
組合、あるいは再建連盟といいますか。あるいは灯をともす会というような、接触摩擦を起こしそうなすべての方面に向けまして、数次の警告をいたしておるのでありまするが、そのいずれもが
——もちろん会社及び新労は、こうなった上は一日もすみやかに生産を再開したい。従って新労は就労をしたいという意向を持っておることは事実でございますけれども、両者衝突した場合に、どこまでも実力をもって、いかなる犠牲を払ってもそういうふうに持っていくということはないということは、はっきりと前々から申しておったのであります。また旧
労側の方針、戦術
会議等の
内容を情報によって察知しますと、やはりこれも方針としては、もちろん第二
組合側の就労を
ピケによって防止するという方針は立てておりまするが、これも両方衝突して流血の惨をも辞さないというような態度に出ないという
考え方をとっておったようにわれわれは承知しておったのであります。しかしながら、そういうふうな両者ともたたき合ってまでということはやらぬという
考え方を持っておっても、多数の者が、また非常に感情の激発しておる者が接触をいたしまする際においては、不測の事案を起こすことは十分あり得るということが
警察としての判断の基礎になっておったのでございます。従いまして、衝突すなわち
乱闘必至という意味合いで、その
乱闘の起こりそうなところに前もって
警察官を配置するということは、これはいかがかということで、やっておりませんけれども、起こればいつでも、あるいは起こることがはっきりすればいつでも出れるという形においては、福岡県側千五百名、熊本県側五百名、その他熊本の待機千名というような、普通の
警察力から申しますると、きわめて困難なといいますか、多少無理してもそこに
警察力を集中するというような態勢にあったのであります。現に
三川鉱事件の起こりまする直前、六時四、五十分ごろまでの間は、かねがね大牟田市
警察署に待機をさしておりました千五百名のうちの大部分を、
三川鉱に近い三川巡査派出所及び諏訪橋というところまで前進待機をさしておったのでおります。しかしながら、平常の場合でありますと、事故が起こったということでそこから
三川鉱にかけつけるのには、おそらく二、三分を要しないと思いまするけれども、現実には十分ないし十五分を要しております。これはだんだん聞いてみますと、やはり
警察官といえども、その
状態の場合においては大道をかけ足でいくような
状態で現場に行けなかった。やはりへいを飛び越え、よじ上って第一隊が入ったというような
状態でございまして、普通の速度を
考えておっては間に合わなかったという点はあるようでございます。
それから昨日の
状況は、御承知のように一昨晩七時半に、立ち入り禁止の仮処分と妨害排除の仮処分が出まして、これを執行するということになれば、またいかに
法律のきめたところによってこれを実行するとはいっても、やはりこれに反対する者がある以上、衝突が必至であるということのもとに、きのうは福岡県側において約二千七十七名、熊本県側におきまして九百九十八名という、おとといよりもさらに増した人数を配置しておったことは事実でございます。しかしながら、これもまた配置をしておいても実力が及ばないと申しまするか、それを突破されて事故が起こったということについては、まことに遺憾でございまするけれども、そういうふうに
警察が非常に手薄く、ゆだんをしておったという事実はないものと私たちは
考えておるわけであります。
以上、いずれにいたしましても、一昨日及び昨日の
状態は、現地につきまして
調査をいたさせておりますけれども、
報告が非常にまちまちでございまして、これは大よそこうなるだろうということを私たちがまとめたものでございまするから、さらに実地
調査及び事後の日にちの経過等でさらにはっきりした数字なり、
状況なりというものが出てくるものと、こう
考えますので、一応以上の点で、簡単でありますが
報告を終わります。