○楯
委員 間違っておったと思えば改めればいいではないですか。いまだに間違った取り扱いについて固執しておることはないと思う。だからなるほど長野県側の残存の方の運動、合併受け入れの方の運動、賛成、反対と、数が違っておったということはわれわれも認めます。しかし常識的に
考えて、それも五対五と四対五というような数字なら、これはなかなか当時判定がむずかしかったということもいえるのですが、今現われておる数字というものは当時わかっておったはずなんです。あなた方がそれがわからぬといえば、あなた方実際どうかしておったと私は思う。だから少数のために多数を犠牲にしておいて、そうしていまだに当時実情がわからなかったなんということは、ほんとうにこれは三百代言ですよ。しかし過去のことを言っても今さら仕方ありませんから、将来のことをお伺いしたいのですが、長官も聞いておっていただきたいと思います。中央審議会は、全員異議なくこれは中津川市に合併すべきであるといっております。ここにありますからちょっと読んでみます。「
関係地域の今後の発展と
住民福祉の増進のために中津川市と合併することが必要であると認められる」と中央審議会は答申しております。しかも現地へ行けば、中津川市にしかもう出口はないのです。何かバスでもほしいというときには中津川から雇って、岐阜県側から雇って神坂村に出るのです。それから学校も、高等学校あたりは、たとい長野県の高等学校へ行っておる生徒でも、中津川市まで出てきて、汽車に乗って、そうして長野県に行く。また中津川市の高等学校へ入学する人の方が多いのです。こんなことは、よほどどうかした人でない限り現地へ行けば当然なんですよ。それを一部の政争の具といいますか、政治家のためにこんな判決を
出して、今日苦境に陥れておる。しかも残留をいたしました峠、馬籠、荒町の三部落は、農協は
——農村でありますから農協がありますが、それは両県にまたがる組合として申請を
出して許可をされておるわけです。だから岐阜県側の中津川市農協として全部やっておるわけです。最近長野県の方で六十四名であったかと思いますが、無理に脱退をさせて支所というものを作った。ところがこれは看板だけで、いわゆる卵の集配とか、いろいろな農協の
仕事は、全部両県にまたがる申請を
出して許可を得た中津川市の農協がやっておるのです。それから消防団、婦人会、それから青年団、とにかく村にあるありとあらゆる
団体が、長野県にありながら中津川市に所属しておるのですよ。そういう実情なんです。
それから学校教育問題を取り上げると一番よくわかるのですが、三十五年度に入学する児童は新しい学校
——これも私は全くばかげたことだと思うのですが、学校が
一つある。その学校は、中津川市の方に編入された
地域にあるわけです。そこでさっそく約四千万円の金をかけて学校を新築したわけです。残存した方たちのために作ったわけです。ところがその学校に行っておられる人は、旧中津川市の学校には五百二十四名の生徒が現在おるわけです。ところが新しく約四千万円かけた学校には九十六名しかおらぬのです。五百二十四対九十六ですよ。だから児童数から申し上げれば、九十六名のために
自治庁が判定を誤まって五百二十四名が犠牲になっておる、こういうことが言える。
昭和三十五年度の入学児童数を見ますると、合併をした中津川市の学校に入学する児童は五十四名です。ところが四千万円ばかりかけた学校に入学する児童は六名ですよ。この事態を見て、長官が笑って今後
措置しないということならば、もうここで幾ら高遠な議論をしたり
答弁をしていたってほんとうにしませんよ。
自治庁というものは何をやっておるのですか。今私は二、三の具体的な例を申し上げましたが、この点についての
大臣の所見を
一つ承っておきたい。