○北島
政府委員 酒造米の
割当につきましては、いろいろ問題があることは、私
どもも、もちろん当事者でありますからよく存じております。そしてまた、その解決が
昭和十一年にさかのぼるということで実にむずかしい問題であるということを痛感いたします。実は、このような
委託醸造を生じました原因は、おそらく私のいないときに
間税部長から
説明があったと思いますが、
昭和三十
年度におきまして、前
年度に比較して三十万石も増殖されました際、従来は実は酒を作ればどんどん売れるような状況であったのが、この増産により
需給の状況のバランスがとれて、むしろ軟化して参りまして、それと同時に、昔からの
基準指数による
配給の弱点が出てきたわけであります。これは地域的にもまた個人的にもいろいろ差が出て参ります。たとえば九州、四国、中国あたりは、昔は朝鮮、台湾の領土がございましたので、
昭和十一年当時には相当作っておったわけであります。そういうものが
基準になっておりまから、あちらの西部方面は
基準指数が比較的大きくなっています。また個人的にもいろいろ差異がありまして、それをそのまま昔の
基準で参りましたために、
昭和三十
年度に大幅に増産されたときに矛盾が出てきた。そこで、その
基準による
配給では少ない
業者と、それではさばけない
業者と出てきたわけでありまして、
昭和三十一
年度に、
清酒の一種の
需給の調整の作用として、
委託醸造というものが出てきたわけであります。これが翌年になりまして値段が相当高くなる、
委託醸造の数量も多くなりましたので、
国税庁では、これではならないというわけで、
昭和三十三
酒造年度から、
委託醸造につきまして、むしろ抑制を加えるという方針、何といってもすなおな姿でありませんから、抑制を加えるという方針をもちまして、
委託の甲乙というようなことをやりました。さらに
委託醸造をする者に対しては、中央保有米をやらないとか、あるいは
委託をしたら翌年において
委託した
基準指数の一〇%を実績影響として削減させる、こういう
制度をとりまして、だんだん減らして参りました。
一方また、中央保有米という
制度を
昭和三十三
酒造年度に設けたわけであります。実は、
昭和三十三
酒造年度に、従来の
基準石数一点張りの米の
配給をやめまして、ある
一定限度まではこれは従来の
基準指数で
配給するが、それ以上は、酒をみずから作り、かつ売る能力がある者に
配給するという方針を打ち立てたわけであります。これを、
言葉が適当かどうかわかりませんが、中央保有米と申しております。この
制度を実は
昭和三十三
酒造年度において実施しますときにも、非常に業界の抵抗を受けたわけであります。四千軒の
清酒の
業者の方々、これは二十年来一応財産的利益——
権利じゃなくても財産的利益として売買譲渡されておったものですから、それをこわされることは、それはやはり業界に対して相当なショックだったわけです。しかし、私は、これではいかぬ、こういう状態を進めていったら、必ずあとでより大きな矛盾が出てくるということで、
昭和三十三
酒造年度には、実は業界の反対を押し切って、中央保有
制度実施に踏み切りました。ただ、その際は、最後に業界もいわば若干条件闘争的に出て参りましたので、三十三
酒造年度におきましては、
国税庁としても当初の方針を緩和しましたため、実はすっきりした中央保有
制度にはならなかったのであります。三十四
酒造年度におきましては、業界もだいぶ
国税庁案に歩み寄って参りまして、これは中央保有
制度やむなしということで
委員会も作りまして、そうして
国税庁と
種々協議いたしました結果、現在のような
制度になっております。これも、私案を申しますと、まだ完全なものとはもちろん思っておりません。現われて参りました実績を見ますと、必ずしも私
どもの庶幾しておったところにいっておりません。これは何とかし三十五
年度においてはよりよきものにしなければならぬのじゃないかと思っております。ただ、何と申しましても、長い間の財産的利益、これを一挙に取っ払うということは、業界にとってやはり大きなショックであります。業界に対して大きなショックを与えることは、やがて大きな
酒税を負わしておるところの企業の安定を欠くことになり、租税収入にも支障を生ずるということになりますので、そういう点も
行政上十分頭に入れてやらなければなりません。それと同時に、業界の協力を求める、業界に対しまして趣旨を十分
説明して、できるだけ
納得ずくでもって正しい
方向に一歩々々持っていく、こういう
方向へいきたいと思っております。
それで、三十四
酒造年度の中央保市
制度は前
年度に比べて一段と進歩であったのでありますが、なお三十五
年度におきましてはもう一歩進めて参りたい。それによって当然
委託醸造は減って参ると思っております。現に
昭和三十二
年度から
委託醸造の数量は漸減いたしております。
昭和三十二
酒造年度においては、全体の一・七%程度かたしか
委託醸造されたと思います。それが、三十三
酒造年度においては一・五%程度、それから三十四
酒造年度においては一・一%、全体の作る量の一・一%程度が
委託醸造、こういうふうに漸減いたしております。私は、こういう方へだんだん持っていって、こういうものかなくなることが望ましいんじゃないかと思っております。ただ、一挙にしてこの
委託醸造をなくする場合においては、いろいろ問題があります。受託して、
自分の
販売能力に応じて生計を立てておる人たちに対してどうするかという問題があります。これはなかなかむずかしい問題で、簡単にはいきません。ただ、十分時日もあるごとでありますので、三十五
年度におきましては、より一歩進んだ
配給制度をやって参りたいと
考えております。