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佐藤国務大臣 第一点の第二
世銀の問題でございますが、先ほど来
国際機関でやるのがいい、そういう前提に立っての第二
世銀ということで、
横山さんも前提は承認されたわけではないが、一応そういうことで立論しておられます。私
どもが
国際機関でやるということを申し上げますゆえんは、先ほど来申し上げておりますように、今わが国の為替の自由化の場合でも議論になるのですが、外資が
日本に入ってきたときに、外国
資本によって
事業が占領されるのじゃないかということを、一部で非常に懸念した向きがあった。ことに東南
アジア諸国においてはそれを非常に警戒をしておる。従いまして、共同経営ということ、その形すら実は絶対にいかぬという言い方をしておる国すらあるわけであります。最も顕著な例がインドネシアだと思います。こういうようなところに対しては、
経済開発をやっていく場合に、やはり金を貸すという以外に
方法はないだろう。しかも、その金の使い方について、どこまでも自国の言い分でその金を使うということでありますから、金を貸す方もそういうことならということで差し控える。国際的な
金融というものはそういう
意味でなかなかむずかしいのであります。私は、こういう
意味から、
日本経済自身についても、将来の為替導入ということを考えれば、もうそういう自国の
事業は全部自国でやるのだというようなけちな考え方をしないで、わが国の産業を拡大し、貿易にも役立つようなこと、その
目的に合うならば外資は進んでこの国に
受け入れる、こういうことでないと、なかなか発展を期するわけにいかないのであります。今日の
国際協力ということは、そういう
意味において当然考えていかなければならない、在来のような自立
経済というようなこまかな考え方じゃいけない、こういうことをいつも指摘して参っておるわけであります。ところで、そういう考え方で東南
アジアなりその他の未
開発、低
開発国のあり方を見た場合に、積極的に
日本からの
資金の供与を心から望む国もあるし、ただいま申し上げるように、共同経営は一切ごめんだ、金を貸してくれるのはいいが、その使い方は借りた方で自由にやるのだ、こういうような考え方とがあるわけであります。そこにやはり金を貸してくれる
日本の
気持も十分考えている、共同して
経済開発もやってもらいたい、こういうような
意味のものは私
どもも進んでやりたい。これがいわゆる第二
世銀の考え方であり、また第二
世銀そのものを特に私
ども今回申しておりますのは、先ほど来御指摘になりましたように、
国際金融公社にしても、あるいはまたこれまで考えられた地域的な国際
金融機関というものにいたしましても、非常に地域を限っておる。あるいは中近東の問題が起きた際に、中近東に
一つ国際
金融機関を作ろうというような
計画を持った。しかしこれは成立を見なかった。しかし、ラテン・
アメリカについては、特殊な地域をまかなうような
金融機関すら生まれている。取り残された地域といえば東南
アジアあるいは中近東、それらが取り残された。そういうものに対しては、
日本の位置する
立場から見ましても、何らかの要望にはこたえ得るような措置をとることが必要だ。第二
世銀に私
ども参加いたしました際にも、特に東南
アジアについての
金融を考慮してもらうということを私
どもも発言して参っております。同時にまた、先ほど申すような
意味合いからも、特に
日本の
経済協力を要望する国に対しては、それにこたえ得るような機構が必要だというので、いわゆる
経済開発基金なるものを今回御
審議をいただいておるわけであります。この
経済開発基金
そのものが、
金額がいかにも少ない、中途半端だ、御指摘の通りであります。私は、五十億をもって十分だとか、あるいはこれである程度まかなえる、かようには実は思いませんが、まず初年として、わが国の今の財政状態からさき得る
資金とすれば、この程度のものに実は限らざるを得ないということでありますので、残念ながらもきわめて少額のものを計上した。一部におきましては、少なくとも二百億あるいは三百億程度は最低必要じゃないか、そういうものでスタートしよう、従って、五十億しか金がないならば、借り入れの限度も考えたらどうかというような事柄まで議論されておりますが、今回は最初のことでございますから、借り入れな
どもしばらくはやらないことで、これでまずスタートしてみようということで
政府は考えております。しかしこれは非常にきわめて少額であります。中途半端であります。そういう
意味では、これで十分
目的を達するとは思いませんが、私
どもの積極的意図というものは、この制度を設けることによって、十分理解を得るんじゃないか、所要の
金額がさらに増額を必要とするような時期がくれば、さらに私
どもも工夫をすべき事柄だ、かように思います。
ところで、この第二
世銀なりあるいは
開発基金なりの問題を通じて、共産圏のソ連あるいは中共等の低
開発国に対する
融資の
金利が非常に安い、場合によっては無利子である、ときに二分五厘が普通だ、こういうお話を実はしておられます。一体、これは、
経済政策あるいは世界
経済政策あるいは外交政策というか、何かそれらの国自身の特殊な
関係で低
金利を提供すること、これが中共の国力自身でふさわしい
状況にあるかどうか、これは私は、実情がわかりませんから、あえて批判はいたしません。しかしながら、先ほど来、わが国
経済について、
日本の国民生活を向上させ、
経済を発展さすためには、国内の
金利はもっと安くならなければならぬ、こういうことを指摘されましたが、中共自身の
経済の実態が、外国に対して二分五厘の金を相当多額貸し得る、国内産業については、一体どういう処置をとっておるかという点は、よく考えてみなければならぬことじゃないか。私
どもしばしば申し上げるのでございますが、いわゆる共産主義国の政治のやり方、
経済のやり方と、私
どもの自由主義国のやり方とは、基本的に違っておる。その
意味で、これを二つ比較してみることは非常に困難だ、
条件を合わしてみることは非常に困難でございます。しかし、私は、そういう違いはありますが、現実の問題で、ソ連や中共が非常に低
金利の
融資を低
開発国にしている、これはおそらく政治的な特別な意図の結果にほかならないだろうと思います。と申しますのは、中共やソ連における一般国民の消費水準、国民の生活水準というものは、しからば
日本の国民生活水準と比べて、どういうところにあるだろうかという点など考えてみますと、これは特別な
金利を提供しておる、特別な政治的意図があるんだ、こういうことを申さざるを得ない。しかし、少なくともそういう現実の出ていることだけは事実なんです。借りる方から申せば、安い国から金を借りる、
条件がないならばそれに飛びつくということも、これはあり得るだろうと思う。しかし、わが国自身が、ただいま申すような中共やソ連の二分五厘の
金利で、こういう国に金を貸し得るような力のないことは、先ほど来御指摘の通りでございます。私
どもは、やはり
国際機関を通じて、こういうことは
開発さるべきじゃないか。真に民族の生活向上を考え、そうして
経済の
開発が自国の
経済あるいは貿易の拡大に役立つ、こういうことを考える場合には、これはやはり、最近の国際情勢から申せば、
国際機関を通じてやるということが望ましいことじゃないか、実はかように考えております。