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滝井委員 どうも
労働省は少し分析が足らぬのじゃないかと思うのです。私は、達観的にずっと見てみますと、まず第一の特徴は、技術系統が非常にふえておるということです。たとえば出光興産の徳山工場なんかを見ましたが、これはやはり増加しておるのは技術系統ですね。特に工業高校ですか、こういうのがふえてきておるのです。そうして
雇用というものは、学校卒業者の中でも事務系統、無技能者はありませんよ。
雇用は非常に少ないのです。少ないというのは相対的に少なくなってきておるということです。いわゆる求人側の求めるのは何かというと技術系統です。これが非常に多いのです。特に特殊な技術革新が進む部面においてはそれが著しいのです。これが私は
一つの特徴だろうと思うのです。そうしてその特徴に対して、大学卒にしても高校卒にしても技術系統が少ないという第二の特徴が現われてきておる。だから娘一人に婿八人ですよ。そういう特徴が現われてきています。それからもう
一つの特徴は、今あなたのおっしゃったように新しい卒業者というものが非常に要望されて、そうして中年以上の者が
——これは昔の技術のない中年以上の職長クラスの者が一たび職を失うと
あと就職の
機会がないですよ。こういう形態が現われてきておる。そういう
傾向は特に技術を必要とする大企業になればなるほど著しい
傾向として出てきておるわけです。こういう
状態が顕著に出てくる。技術系統というものが非常に重んぜられて、無技能者、事務系統というものがなくなってくるという、こういう形態は、
失業保険で余った金を
失業救済の施設に金をつぎ込んで施設の充実をはかる場合に、どうしてもわれわれが
失業保険制度とともに
一つの政策転換を
考えるべき理論的な支柱をなしてくるのではないかと私は思うのです。一応
日本の産業政策としては、貿易自由化の中で外国に負けないようにするということになれば、当然技術革新をやらなければならぬ。
雇用がある程度減ってくる。ところが、
松野さんがさいぜん言われたように、技術革新をどんどんやって、
雇用のふえる面というのが、私は安定したものにはないという見方をするのです。これを調べてみますと、何せ
日本の技術というものは、外国から輸入してくる技術です。そうしますと、その技術部門ならばメーターを読むだけのもので、いわゆる工業学校、工業高等学校を出た者がずっとメーターを読んでおればいい。新鋭の火力発電なんかみなそうです。目をつけていればいいのです。昔の古い職工さんなんというのは役に立たない。昔ならば六十キロの鉄棒をかついで、そして二百メートルの競走をして一番早かったから雇う、こういうことであったのです。ところがそういう労働力を今必要としないのです。六十キロの鉄棒かついで二百メートルを一番早く走ったやつが採用だというわけにはいかないのですよ。やはりメーターを読み、温度計を見ながら、炉の温度その他を科学的に調節をしていくという能力が必要になってくるのですね。そういうことになってきますと、やはり
雇用の増加の中における教育政策といいますか、職業安定行政の中でもむしろ
職業訓練の面や何かというものに、今後やはり
失業保険は
失業保険金のほかに金をつぎ込まなければならぬという面が出てくると思うのです。だからそういう点にしても、今のような中学校やら高等学校卒業者が新規に増加を望まれておるのは、これは事実その
通りです。しかしそれは、
日本に新しい工業技術を持った人はいないから、やむなくそういう人でやっておるだけです。こうなってくると、
日本の産業政策の
あり方、それから
日本の学校教育の問題とも関連をしてくるが、
労働省の内部においては特に職業補導、
職業訓練制度というような技能者養成の面に非常に大きな関連が出てくると思うのです。こういう点、昔ながらの、
失業したら
平均賃金の六割の
失業保険をやります、
支度金をやりますというようなことでなくて、もっと積極的に
支度金も上げます、それから
職業訓練手当も上げますが、同時に余った金があるならば、労働者の再訓練のための経費というものを、やはり
失業保険というものは
失業救済の施設にも活用していかなければならぬという問題が顕著に出てくると思うのです。そういう点でもう少し、やはり
失業対策というようなものを、単に首を切られて
失業したから
失業保険をやるという昔ながらの
失業保険の
あり方ではなくして、
日本の産業政策なりあるいはこれは公共事業にも関連が出てくる。今までのようなちゃちな一般失対とか炭鉱の緊急就労対策事業ということでなくて、やはり公共事業というものの方がもっと安定するのですから、そういう部面に産業政策としての
方向と
失業保険の
方向、公共事業と
失業保険の
方向、教育政策的な面、
職業訓練、そういうものと
失業保険との関係というような、もう少し高度な
失業保険のあらゆる政策への結びつきというものを
日本では
考えなければならぬ時期がきていると私は思うのです。それはちょうど今、
日本経済の自由化のあらしの中における一番盲点になり、
労働省が
考えなければならぬ政策の
一つの柱になるのじゃないかと思うのです。今のように
労働省が単に中学、高等学校の卒業生がうんとふえて、それを望む者がふえましたというようなきわめてありきたりな答弁では、どうも
労働省の労働政策というのは分析が足らぬという感じがするのですが、何か
そこらあたりでいい御答弁があればお伺いしたい。