○八木(一男)
委員 事務
当局の言った
通りとおっしゃっても、
一つ厚生大臣みずからこの問題にあたっていただきたいと思うのです。というのは、この問題については小山さんと
趣旨は同じながら、その具体的な問題については——年金をよくしたいという
考え方は同じなんですが、小山さんは年金問題の優等生であるのに、実はこの科目については落第生なんです。ですから、事務
当局と打ち合わせてからということでは問題は進みません。小山さんはこの問題では完全にいかぬのです。というのは、今までの御答弁では内部障害——結局白血病であるとか、肺を切って肺の容量が少ないとか、いろいろなものがあるわけです。手がどうとか足がどうとかいうことではないけれ
ども、働く能力がないということでは、手がない、足がないと同じ
状態にある人、そういう人たちには支給しなければいけないではないかということが、この前の国民年金の論議でかわされたわけです。
趣旨は賛成だけれ
ども、なかなかできない。できないというのは、厚生省の御用お医者さんの中で、どういう内科障害については、とにかく障害が固定したものは年金給付の対象になるけれ
ども、その内科障害がなおってしまって、そういうような労働能力が回復する者があるかもしれないからできないのだと、そのときはいつも答弁される。今は変わっているかもしれない。こんなことは非常になまけた話で、それはたといどんな障害だって将来医学が発達したら、足が切れちゃったって、どこかの人の足をくっつけるということだって、百年後はできるかもしれないですね。目玉がなくなったって、目玉がついて見えるように、百年後か二百年後にはできるかもしれない。それと同じようなことだ。内科障害だとなおるかもしれないから、今全然労働能力がないのに年金をつけないというようなことは非常に形式的な話だ。特に内科障害の中でも、今の足が再生することが不可能であったら、同じように絶対に不可能なものだってある。肺切除といって、左の肺を全部とってしまって、肺活量が八百くらいしかないというような人だっている。そういう人はかぜを引いたら、肺炎になって死んでしまう。うっかり
段階も上れない。片足の人は、苦しいけれ
ども、
段階を上ろうとしたら上れる。そういうふうに、外には見えないけれ
ども、ずっと障害の多い人がいるわけです。そういう人は、片足の人も気の毒だけれ
ども、それよりも生活する能力がないわけです。それが内科障害であるからということで一文も金を上げないというのが政府の国民年金法なんです。それはおかしいじゃないかというと、なおるかもしれないから、なおってしまったときに困るからという御答弁なんです。ところが足が再生しないと同じように、内臓の器官である肺の方も、結核で悪かったが将来なおることがあり得るかもしれないけれ
ども、とってしまったものがなおるということは、今普通の医学上の常識では、足が再生しないと同じように、ないわけです。そういうはっきりわかっておる部分がある。わかっておる部分があるのにかかわらず、内科障害だから上げない、こういうことは全く子供のように形式的論議を意地をはって言っているようなものです。そういうことではいけないと思う。ですから内科障害については、そういう気の毒な人が生活できるようにすることですから、ひょっとしたら百のうち五つか六つはなおるかもしれないという者までも上げてもいいのです。それから後にまた回復したらやめてもいいのです。そこまでやらなければいけない。少なくとも今回復することができないとわかっている白血病であるとか、肺の容量が減っているとか、精神病であるとか、そういうものについては、当然外科障害と同じように、障害福祉年金を支給すべきであり、また将来醵出年金においても、それを完全に支給するような態勢で整備をしなければならないというふうに思う。小山さんだってそれはわかっておるはずなんです。わかっておるはずなんだけれ
ども、
予算の
関係とかなんとか、顧問のお医者さんの小うるさい
関係か何かそういうことで、ごちゃごちゃとしてはっきり答弁なさらないのですけれ
ども、
厚生大臣がそういうものにとらわれない
考え方で
考えられたら、外科障害と同じ程度の障害については障害年金を、あるいは醵出年金についても障害年金をさせる制度に踏み切るというような態勢がなければ、これはもうとにかく厚生行政を担当する
大臣としての資格がないと思うのですよ。
厚生大臣はそういう
方々に非常にあたたかい温情を持っておられるし、ほんとうにいいと思うことは実行する能力を持っておられるから直ちに実行すべきである、またするというお約束ができると思う。これは小山さんの御答弁でなくて、
厚生大臣の御答弁をお願いしたい。