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1960-04-20 第34回国会 衆議院 決算委員会 第20号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年四月二十日(水曜日)     午前十時三十五分開議  出席委員    委員長 鈴木 正吾君    理事 井原 岸高君 理事 鹿野 彦吉君    理事 高橋 禎一君 理事 小川 豊明君    理事 高田 富之君       愛知 揆一君    小山 長規君       淡谷 悠藏君    神近 市子君       久保 三郎君    森本  靖君       山田 長司君  委員外出席者         国立国会図書館         専門調査員   佐藤 達夫君         専  門  員 黒田 久太君     ————————————— 本日の会議に付した案件  国会決算審査に関する件      ————◇—————
  2. 鈴木正吾

    鈴木委員長 これより会議を開きます。  国会決算審査に関する件について調査を進めます。  本日は、国立国会図書館専門調査員佐藤達夫君が出席されております。  佐藤君に申し上げますが、当委員会は、目下国会決算審査について調査検討中であります。本問題につきましては、すでに御承知のように、第一回国会、第七回国会において検討を加えられておりますが、いまだその結論に達するに至っておりません。第七回国会の際には、当時、法務府法制意見長官の職におられましたが、参考人として決算委員会に御出席いただき、御意見を拝聴いたしております。しかし、現在の決算委員は、当時の委員と全くかわっておりますので、重複についてのお気がねなく、御意見をお述べいただきたいと存じます。また、当時のお立場と異なり、当委員会調査に御協力いただくお立場から、忌憚のない御意見をいただきたいと存じます。  御意見をいただく点は、あらかじめお読みいただいております「国会決算審査に関する諸問題」を中心に、決算確定に関する問題、内閣国会提出に関する問題、特に国会における決算取り扱いの問題について、御意見をいただければ幸いであります。  なお佐藤君は、新憲法制定当時、内閣法制局次長として、その衝に当たられたと聞き及んでおりますので、この際、憲法財政に関する規定、特に第八十三条、第九十条の起草の経緯条文解釈等についても、あわせて御説明いただきたいと存じます。佐藤達夫君。
  3. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 ただいま委員長お話し通り、かつて私は、当委員会におきまして、決算関係の御説明を申し上げたことがございますが、当時も相当迷いを持っておりましたが、その後多少は進歩したつもりではおりますけれども、依然としてやはり迷い迷いとして、決断に至らないような点もございます。今回もそういう点について、率直に私の迷い迷いとして申しまして、あるいはまた御質疑等によってお教えを受けたいというような心がまえで参ったわけであります。  ただいまお申しつけによりまして主として、さきにプリントでいただきました質問事項に即しながら、お話を申し上げたいと思います。この質問事項にありますようなことは、かつて第七回国会におきましては、そこまで掘り下げて私どもの方でも研究いたしませんでしたし、また、こちらの委員会においても、そこまで深くあまり御追及もなかったように思いますので、そういう意味で、質問事項については、まともからぶつかって、私の率直な考えを申し上げたいと思います。  ただし、それに入ります前に、大体第七回のとき以来決算委員会中心問題点にしておられますところを、まず先につかみ出しまして、一口総論的なことを申し上げたい。そしてただいま委員長お話しの、新憲法あるいは会計検査院法制定当時の経過に触れまして、そして今の一々の質問事項についての意見を申し述べさせていただきたいと思います。  そこで、最初に、問題の主眼点となりますところは、これはもうたびたびこちらのお話に出ておりますように、現在の決算審査制度、これが政府から両院に対して双方に同時に決算を提出しているということが一つ。そして両院は、それを受けて各別に審査されておる、両院の交渉の案件になっておらないということ。それからさらに、これは付随的の問題でありますが、決算審査が終わりませんときには、当然次の会期にこれが引き継がれていくというようなことが現状である。この現状はそのままでいいかどうか、またこれを改めるとすれば、どういう方向のことが考えられるかということが、おそらく最終の目標とされるところであろうと思います。それらにつきまして一口に申し上げますと——あとでまた細目にわたって申し上げますが、私のとりあえずの大体論を申し上げますと、現在両院同時に提出されておるという扱いについて、あるいはまたその他の扱いについて見ますと、要するに、現在の憲法規定は、非常に幅の広い、ゆとりのある書き方をしている。その憲法に即してのやり方はいろいろあるわけでございますが、明治憲法以来今日まで引き継いでやっております決算やり方は、憲法の認めておる幅の中の一番合格すれすれの最低線のところをやっておる。従って、憲法違反とまでは私は申しませんけれども、合格線すれすれのところであって、憲法趣旨からいえば、もっと強い形の審査制度が打ち立てられてもいいのではないかというような気持でおるわけです。要するに、一口でいえば、現在の決算扱いは、報告書に近い扱い丁報告書そのままとも私は言い切れないと思いますが、悪い言葉でありますが、報告書に毛のはえた程度の扱いをしておるわけであります。憲法の認めておるところの最低線ぎりぎりのところであるという感じを、前提として申し上げておきたいと思います。  そこで、この現行法やり方をさらに強める。国会の権限としての面から申しまして、これを強めるという方法については、まず第一に考えられますのは、現在各院がばらばらにこの議決をされておるということはどうであるか。むしろ国会としての意見、これをおまとめになる。そして国会としての意思表明をされるということが、まず第一段に必要であろうと考えられわけであります。  そこで、そのやり方について、またいろいろな段階がございます。最も現状維持的な考え方を申しますと、現行法のままでも、国会としての意思決定の道というものはあるのではないか。これは非常に極端な理屈でございますけれども、そういう気がいたします。それは単なる理屈の問題でありまして、常識には合致いたしませんから、それはさておきましても、何か両院お話し合い、あるいは政府側との連絡の上で、運用を改める。第一院の方に先議してもらえばよろしい。そして第一院の方に提出してもらえばよろしい。そして一院先議で、一院の先議が終われば、第二院の方へ当然それを移していくというようなことが、運用方針決定によって必ずしも不可能ではないのではないか。そうすれば、決算に対して国会の御批判が表われます形は、国会の議決、国会として是認するとか、国会として不当と認めるというような形で出てくるのではないか。こういう程度のことであれば、現行法のもとでも、必ずしも不可のではないというような気持がいたします。  しかし、第二段として、事柄をもっとすつきりさせる。やはり立法上すっきりした制度を打ち立てる方が適当だ。これは当然のことであります。そういうことになりますと、やはり法律改正して制度を調整する。それについてどういう考え方があるか。この場合に、思いつきではありますが、簡単な二つやり方がある、法律の内容として、二つのことが考えられると思います。  第一は、やわらかい形で一政府としては一院に対して決算を出す。そしてその提案のときの形は、国会審査を求めるという形で提出する。それをさらに強めたものとしては、国会の認定を求めるということで、政府として提出する。そういう立法をされることは、現行憲法のもとにおいてむろん可能であろうと思います。さらにもう一つ、同様な法律改正によってもっと強めるという形としては、国会承認を求めるということにいたします。政府といたしましては、決算について国会承認を求めるという文書によって一院に提出するという形が、思いつきでありますけれども、考えられる。一応の形としては、そういうものがあると私は思います。そして今申しましたことは、いずれも現在の憲法のままで、憲法のもとにおける運用、あるいは立法として、可能であるというふうに考えられることは、信じておるわけです。  大体の気持はそういう気持で、さてこの次の、各項目についての謄写版刷りでいただいております方に入るわけなんですが、その前にあらかじめ申し上げておきたいのは、この憲法条文経緯その他であります。実は各項目にわたっての質問事項については、非常に明快なお答えができない。ということは、要するに憲法制定過程等におけるこの条文の問題が、率直に申しまして、突き詰めて検討されないままできておった。言葉は過ぎるかもしれませんけれども、そういうことになりますので、その含みの意味もあって、ごく簡単ではございますが、あらかじめこの憲法ができますときの経緯、その雰囲気に触れておきたいと思います。  現在の憲法は、総司令部のよこしましたいわゆるマッカーサー草案というものによっておりますが、便宜その前の段階においての事柄を申し上げておきますと、御承知の通りマッカーサー草案をもらいます前に、政府部内では、幣原内閣憲法問題調査委員会というものを設けまして、これはきわめて自主的な形で、総司令部関係なしに、国内の学者、実務家等を集めまして、憲法研究をやったのであります。その研究段階、もう一つ近衛さんを中心にする内大臣府における研究段階、多少公の研究過程としては、この二つがあります。もう一つ第三種として、多くの民間研究団体、あるいは政党というような方面の人が、非公式な改正草案を作って発表しておる。それだけの材料が、すでに当時あるわけであります。それらの材料について、今の決算審査の問題をどういうふうに扱っておるかと申しますと、決算審査明治憲法規定に対して根本的な改正を企てるということは、ことに政府筋内大臣府筋の半公の研究過程においては、あまり重く取り上げられておりません。むしろ民間の案を見ますと、民間で発表した案の中には、決算国会に提出して責件の解除を求むべしというような形にしておるものがある。あるいは国会承認を求めるという形のものもある。従って、民間諸案の中には、そういう点に着眼して、ある種の提案をしておるものもあったわけであります。これはマッカーサー草案をもらう前の段階であります。  そこで、昭和二十一年の二月十三日にマッカーサー草案をもらったわけですが、このマッカーサー草案の中で、決算関係はどうであるかと申しますと、これはほとんど明治憲法の形と同と申し上げていいかと思います。古い形を踏襲しておるわけであります。にマッカーサー草案で、八十四条ということになっておりますが、直訳いたしましたものを読みますと、「会計検査院ハ毎年国家ノ一切ノ支出及歳入最終的会計検査ヲ為シ内閣八次年度中二之ヲ国会提出スヘシ」ということであります。会計検査院の組織及び権限は法律でこれを定めるというのであります。検査確定というような言葉はありませんけれども、大体の条文の形は、明治憲法のほとんどそのままを踏襲しておるということであります。  これは横道にそれますけれども、マッカーサー草案の起案につきまして、マッカーサ上元帥が部下の司令部職員に下命する際に、どうしても日本民主化のために必要な重要なポイントは、もちろん新しい角度において起案されるべきであるけれども、形だけはなるべく明治憲法の形を踏襲した方がいい、日本人の目になじみやすく見せるように。たとえば章別であるとか、あるいはまた将来の日本のあり方に直接関係のないようなこと、そういう条文の形は、なるべく明治憲法のままを踏襲しよう。矛盾した命令のように思われますけれども、どっちでもいいようなことは、明治憲法の形をそのままとっておけということではないかと思います。それが、このマッカーサー草案決算審査条文の中にも現われたのではないかと思います。これは私の単なる推測にとどまりますけれども、要するに、形は明治憲法より飛躍した形のものではない。先ほど申しました日本側民間の一部の人が考えておったところよりも、さらに現状維持的なものになっておる。これはちょっと興味のあることでありますが、事実であります。  そこで、これを受け取って、マッカーサー草案に即して新しい日本案を作れという指図によって、われわれが、これをいわばモデルにして日本側の案を起案したわけであります。われわれが日本側の案を起案いたしますについては、実はこのマッカーサー草案では、天皇の地位、あるいは基本的人のいろいろな規定、あるいはまた国会制度規定のごときも、衆議院に当たるもの一院だけしかないので、日本側としてはぜひ参議院を設けて二院制度にしたいということを申したのですが、その他重要な問題点が至るところにあった。ことに当時は、国体護持のこちこちでおったわけです。天皇の地位は象徴ということになってしまいましたが、当時の政府としてはこれは非常なショックであった。そういう点にも、問題の重点があったわけであります。従って、たまたま現在の第九十条で明治憲法の形そのままの形がマッカーサーの方から出てきておるということであれば、これはそのままでいいじゃないか。むしろ一他の重要な問題点の方に集中して検討していかなければならぬ。申すまでもございませんが、二月の十三日にマッカーサー草案をもらいまして、そうしてすったもんだと、当時の幣原首相及び松本国務大臣が総司令部にかけ合いまして、とてもこういうドラスティックなものは受け入れられないというようなことで、盛んに押し問答して先方の反省を求めて、そうしてさんざんそれをやったあとで、しからばマッカーサー草案に基づいて日本側の案を起案しようという態度を閣議できめたのが、二月の二十六日になってからであります。司令部からは矢のような催促があって、三月十一日までに英文に翻訳したものを持ってこいということでありましたために、立案に取りかかってから、その作業というものが実に短期間なんです。しかも、初めは三月十一日までというお話であったのが、途中で締め切りが非常に繰り上げられて、三月四日には持ってこいということになりまして、僅々四日か五日くらいの作業で、これは松本国務大臣と私とで分担して起案したのであります。要するに、数日の間の期間でわれわれの方の案を起草したわけであります。従って、ただいま申しましたような重要問題点が他にたくさんありましたために、弁解申し上げるようなことになりますけれども、たまたま明治憲法と同じような形にした方がいい、これはほとんどそのままにした方がいいということで、今の九十条については、手つかずのままで、また深く検討するまでの時間的余裕もなしにきております。従って、後に、政府案というものは、他の条文についてはいろいろな手直しがされておりますけれども、常に決算審査関係規定は、実は一つの死角の中に埋もれて、一つの盲点のままになって成立してしまったと申し上げてよろしいと思います。また、政府の原案としてこの憲法草案が固まりまして、当時の手続によってまず枢密院の諮詢に付せられたわけでありますが、枢密院でもほとんど問題にされておりません。それから当時の第九十回帝国議会、いわゆる憲法議会にこれが提案された後におきましても、ただいまではその当時の速記録がきれいに分類され、整理されてできておりますが、第九十条に関しては、ほとんど御議論なしに確定してしまったということであります。  ついででありますからちょっと申し上げますが、財政の章の中で初めから特に問題にされておったのは、予算不成立になった場合にどうするかということであります。明治憲法の時代においては、年度内に予算が成立いたしません場合には、前年度の予算を施行するという、政府にとっては非常に便利な規定があったわけであります。マッカーサー草案においては、そういう規定はなかった。さて、この新憲法のもとにおいて、予算不成立の場合に処すべき臨機の措置というものはどうすべきかという条文を置くべきかどうかということが、かりに財政の章に例をとれば、そういう問題がむしろ重点であって、決算審査にまでは実は思いが及ばなかったということを率直に申し上げます。  次に、会計検査院法にも、これは関係があるわけであります。これも言いわけばかり申し上げておるようで大へん心苦しいのでありますが、憲法の施行が二十二年五月三日、公布は前年の十一月三日、そして国会法内閣法裁判所法等を初めといたしまして、あらゆる面にわたる憲法付属重要法律というものを、その短期間のうちに立案しなければならないということで、会計検査院法ももちろんその中の一つでありますけれども、われわれ当時法制局におったものといたしましては、非常に少数の者で手分けをしてやっておったのであります。従ってまた、一人で関係する場面も非常に多かったものでありますから、会計検査院法そのもの制定過程においてどういう議論があったかということを、私自身、今ここで振り返ってみましても、当時の原案がどういう過程を経ておるかということは、今日手元に持ってきておりますが、今から見ますと、ちらちらと鉛筆の書き込みのようなことはありますけれども、これはどういう趣旨であるかというはっきりした記憶は、どうしても思い出せないのであります。ただ大まかに申しますと、私の持っております書類のつづりを見ますと、当時明治憲法のもとにおける会計検査院法の一部を改正するという形、ごく最小限度の訂正をするという一部改正法律案を準備した。それからもう一つは、現在の検査院法になっておりますが、全部書きおろしの改正案というものを作っておる。この全部改正案については、総司令部ウォルターという人が、何か参考案をこちらによこして、ウォルター案という書き込みの案が入っておる。要するに、当時の会計検査院の小峰氏、あるいは総司令部ウォルターという人の間で、おそらくいろいろと往復があって、結局この全部改正案の形が日の目を見るに至って、今日の会計検査院法になっておるというふうに思います。そこで当時の全部改正案を見ますと、でき上がりの今日の会計検査院法と大体一致しておる。そうして今おそらく問題になるのでありましょうところの「確認する」という言葉が、この全部改正案の方では、今日のような形で「確認する」という形になっておる。そしてこれは多少笑い話でありますが、横に鉛筆で「正しいということを認める」と書いてありまして、ただそれだけの書き入れしかございません。私は、事実を一応申し上げておるわけであります。  それからさかのぼりますが、先ほど申しました会計検査院法を一部改正するという形で準備した案の中では、明治憲法時代検査院法の中にありました「確定」という言葉を削っております。これは、おそらく憲法から確定という言葉が落ちたから、旧法にあった確定という言葉を削るべきではないかということから削ったのではないかと思います。一方今度全部改正になりました今日の法律では、その素材の方では「確認する」という言葉で書いてあるということが、ただいま私の持っておる一応確実な資料と思われるものに基づいての報告でございます。  それから今度はいよいよ新憲法が実施になって、そして初めて国会に提出申し上げるという場合に、新憲法のもとで新しい制度ができて、国会に対していろいろな案件が新たなものとして出てくる、政府として御提出しなければならぬという場合には、当時事務局におりました今の法制局長の西澤君一と、私と、大てい重要な問題については打ち合わせてやっておったが、この決算の出し方に関しては、別に研究をした記憶はございません。明治憲法のままの通りということで、ずるずるべったりにやったというように、私の今の記憶では思っております。要するに、憲法の建前も、会計検査院法の建前も、大体従来通りだという頭で、深く追求もしないままでどんどん従来の扱いを踏襲している。今から申しますと恥ずかしいことでありますけれども、率直に言えば、そういうことであったということでございます。  次に、謄写版刷りでいただいたものについてのいろいろな考えを申し上げますが、成立の経過からいってどうだというような意味の申し上げ方は、ほとんどできない。従って、明治憲法以来の扱いを振り返ってみて、成立過程に即しての御説明にはなり得ないだろうという気がいたします。そのおつもりでお聞き取りを願いたいと思います。  謄写版刷りでいただいたのに、第一に大きなグループとして、「会計検査院検査に関する問題」ということがあげられております。その中に、非常にむずかしいことがあがっております。すなわち、旧憲法には「検査確定シ」という言葉がある。「確定し」という言葉が、現行憲法からは落ちている。これはどういうふうに考えるべきかということがあります。ただいま申し上げました制定経過から申しますと、先ほど読みましたように、マッカーサーの方のモデルの案には、ファイナル・オーディットという言葉がありますが、確定という言葉はなかった。それが結局おもな動機となって、新憲法の場合においては、「確定し」という言葉が落ちてしまったということであろうと思う。従って、また立案の際も、私の気持といたしましては、確定という字を落としてどうなるというようなところまでの深い気持はなかった。従って、問題はむしろ次の、会計検査院法の二十一条で「確認」と、こう出てきている。それと結び合わせた場合に、問題はどうなるかということになるのではないかと一応考えるわけであります。その確認するというところについて、先ほど御披露申し上げましたように、「正しいということを認める」というような書き入れがある。要するに、私の当時の気持は、判定するという点に主として重点があったというふうに考えます。今でもそう見てよろしいのではないか。判定ということなら、ちょっと横合いからの作用というような感じが出て参ります。確定というよりも、判定と言いますと、第三者的の横からの批判という面が重く感じられて、感じが少し違ってくるのではないかという気持がします。  それから次の未確認部分という問題がございます。この未確認部分というのは、おそらく制度としてはそんなものは予想していない。会計検査院法立場としては、所定の期間内に完全に検査を遂げる。そして検査報告国会に出すということで、全面的にすべて確認されて検査院報告が提出されるという前提だろうと思います。従って、未確認部分があるということは、制度としては趣旨に沿わないということに一応なります。しかし、事実不可能であることは、やむを得ないことであります。不可能なものをも制度としてはこれをしいるものではないというふうに考えなければならない。従って、この確認は未確認部分を含んでいる。この確認ということは、要するにだれか参考人の方がさきに述べておられました留保付確認——うまいことをおっしゃるものだと感心したのですが、そういうことで、違法だ違法だと言っても、不可能なものはしようがないので、それを一応取り入れたいというように考えております。ですから、次の「検査を了して内閣に回付する」という、この「検査を了して」というのは、事実上不可能であって、未確認部分があるということはやむを得ないが、一応留保付検査は了したというふうに見るほかはないという感じを持っております。  それからその次に、財政法の四十条に「検査を経た」という言葉の問題がありますが、これも今申しました通りのことで、未確認部分まで一応検査を経たものと扱ってよろしい。非常に大まかな言い方でありますけれども、そう見ざるを得ないのではないかということになるわけです。  それから会計検査院検査というものは、国会における財政監督上の点からいってどういう役割を持つか、どういう性格を持つかということですが、これはきわめて重要な、権威のある資料だ。重要であり、かつ権威はあるけれども、これはあくまでも資料だ。参考という言葉をつけるとちょっと権威が落ちますけれども、要するに、参考資料というふうに見るべきではないかと思っております。  それからそのグループにおける最後の、決算決算として成立するのは一体いっか。これは、先ほどの「検査確定シ」という旧憲法の「確定」という言葉が落ちて、「確認」という言葉検査院法の中に入っているというようなことにも、多少この間においての違いが出てくるのではないかという、これは迷いでありますが、そういう迷いをもちまして、しかし、とにかく現行制度のもとにおいての決算としての成立の時期は、要するに、決算は、予算とは違って、過去の事実の締めくくりであり、将来に対する拘束力は、法律的にはないわけです。そういう点からいって、この成立の時期は、支出の責任者である内閣が、決算としてまとめたものを財政法の三十九条で検査院に送付する。その送付するときに、一応決算としては成立している。これは形式的な見方でありますけれども、その辺で筋を引いていいのではないか。そこで筋を引くのはおもしろくない。もっとあとの段階にずらして、会計検査院確認のあったとき、あるいは国会で議決をしたときというふうにずらすのが適当じゃないかということも考えられますが、それなら、そういう措置を立法で明らかにされることは、憲法上少しも差しつかえないと思います。しかし、立法政策の問題は別として、現状を見れば、率直にいえば、内閣でまとめて検査院に送ったとき、その直前の形が成立したときであるといってよろしいのではないかというふうに——これも多少の迷いを残しつつ、一応そういう考え方をしております。それからだんだんむずかしい問題になりますが、第二段になって、「内閣の提出に関する問題」の、憲法第九十条で、国会に提出しろと書いてあるにかかわらず、現状は各院別々に提出している。これは私、明治憲法時代から法制局におりまして、どうもおかしいじゃないかという感じを抱いておりました。帝国議会というのは、両院が一組になっての組織であります。その両院の構成単位に別々に出しても、これは意味がないというふうに——これは国会になった今でも感じております。明治政府までここで弁護する必要はありませんけれども、一応別の角度から考えてみますと、国会に提出する。そこで、一院が先議の前提で、一院にかりに政府が出すという場面を考えてみますと、書生論で間違っておるかもしれませんけれども、それの国会としての窓口というものが何か国会側の制度でできておりませんと、そこのつながりがつかない。すなわち、先議、後議の関係が何か法制上保障されておれば、一院に出せば、必ずその先議の院から後議の院に送って下さるという保障はっきますけれども、制度を見渡した場合に、どうも先議、後議の関係は全然出てないということになると、政府から一院に出したのはいいが、それをはたして他の一院に送って下さるものやら、下さらぬものやら、制度上の保障がないから、まあ間違いがないところで両院に出しておけ。これは書生論ではありますけれども、そんなことも、弁明の立場になればいえるのではないかという気がいたします。しかし、まあそんなことはよけいなことでありまして、いずれにせよ、かねがねおかしいとは思っておるということであります。  それからこまかい第二段で、内閣国会に、すなわち両院各別に出しておりますが、その決算について、内閣としては国会にどういう働きを期待しているのか、審査を求めておるのか、議決を求めておるのかということであります。これは、ここで私が申し上げるのは、非常に言いにくいことなんであります。先ほど最初に申しましたように、現状の扱いとしては、憲法の許している一定の幅の扱いの中の最低線ぎりぎりのところ・すなわち、言葉は悪いと思いますが、報告書に毛のはえた程度の性格のものとして扱っておるということになりますと——報告書に毛のはえたものというのに注釈を申し上げますと、要するに予備費の支出については、憲法の上で、必ず国会の承諾を求めるといって、承諾ということを条文上はっきりさしております。それから、これこそ単純な報告と認められるものは、九十一条でありますが、財政状況報告。これは国会報告しろとなっている。決算の九十条の方は、承諾を求めろとも書いてない。しかし、今の単純なる九十一条にいうような財政状況報告と、これは性質が本質的に違う。これも明らかであります。その間の一つのその取り扱いを、幅広く憲法はあとの立法なり、運用にゆだねております。要するに、九十一条の単なる報告とも考えていない。そこで毛のはえたという悪い言葉を使うわけであります。その最低線のところを翻訳いたしますと、これも露骨な悪い言葉になりますけれども、悪ければおしかりを受けるという——これは非常に素朴な言葉でありますけれども、悪ければおしかりを受けるものだ。これを是認してもらうということだと言葉をかえますと、そういうところまでのことは、今の扱いからは出てごない。非常に理詰めでこれを割り切ると、そういうことになる。しかし、国会のお立場は全然別であります。悪ければしかる、それでこのままでよろしいということになる部分は是認されるということは、これはもちろん国会の権能としてその点は何ら拘束はございません。書生的に割り切って申しますと、そういうところであるという気持がいたします。  そこで、だんだんとこまかい第三段の方へ入って参りますが、内閣国会に議案として承認を求めて提出してくる必要はないか、ということであります。ここで議案としてという言葉が、非常に問題になる。何らかの国会の意思発動を求めるという形で決算を提出するということはどうかということであれば、先ほど幾つかの例を申しましたように、あるいは審査を求めるという形でお出しすることもあり得る。あるいは認定を求めるという形でお出しすることもあり得る。あるいは承認を求めるという形でお出しすることもあり得る。これは立法としてそういう制度をお立てになることは、憲法上何ら差しつかえないことであろうと思います。  次に、大きな三になりまして、今度は、国会側における決算の取り扱いの問題として、決算については閉会中審査に付することなく、後会に継続するという取り扱いでよいか、という問題であります。先ほど申しましたように、これはぎりぎりのところであり、報告書に近いものだという前提からいえば、その扱いは決して間違いがない。理屈はそういうことになります。報告書的なそういう性格のものとして見ていけば、これは申すまでもないことで、こういう結論にならざるを得ないということになります。  それから、会期中審査未了になった場合、あるいは解散になった場合、これもそうであります。  それから、解散後新しく選ばれた議員に、こういう書類を配付しないでもいいかどうか。これは理詰めでいえば、現在の扱いは、そのままで決して悪くはない。決してという言葉は言い過ぎだが、とにかく悪くはないということになる。これは参議院議員の半数改選の場合でも、同じことです。たとえば、法律案が継続審議になっている場合において、参議院の議員さんの半数が改選された場合には、参議院の新しく選ばれた方にどうなるのか。これは現在国会法が変わりましてから、そういう問題は直接起こりませんけれども、国会法の変わる前においては、私どもそういうことを議論したことがあります。理詰め一本やりでいけば、それもやむを得ないということにならざるを得ない。だから、それをどう改めるかということに考えを持っていかなければいかぬのじゃないかという気がいたします。  その次に、決算審査は、会計検査院検査報告について行なうのでよいか。これは先ほど申し上げましたように、法律的にいえば、検査報告というのは資料であります。政府のととのえた決算そのものが審査の対象になると思いますけれども、検査報告は資料として出されるものだというふうに考えます。  それから会計検査院の未確認事項に及んで国会決算審査を行なえるかどうか。これは、対象となる本体は決算そのものでありまして、会計検査院の未確認とするものであろうとあるまいと、すべてこれは及び得るものだ。これは当然だと思います。  その次に出て参ります検査報告の性格は、先ほど申しました通りであります。  それから、決算の議決において、会計検査院検査報告各指摘事項を列記する必要があるか。これは国会のお考え一つで、どういう方法をおとりになっても、それは拘束はないと思います。  それから、決算の議決は政府の責任を解除することを意味するか。ここは先ほど来申しましたように、憲法上の建前として、責任を解除するという建前に持っていくことも可能だ。いろいろな段階の形が、憲法上は幅広く認められておるというわけであります。今日の扱いから申しますと、責任を解除するごとまでも意味しておるという保障は出てこない。むしろ、悪ければ追及するというところに重きを置かれて今の考え方が成り立っておるのではないか、悪いところを追及するという点に重点があるのではないかという気がいたします。この点が、予備費の場合とは違う。また予備費の場合と、憲法は九十条において書き方を変えておりますから、すべての場合に予備費的にやれというところまでも、憲法は強制はしてない。そこにゆとりがあると申し上げるわけであります。  次に、内閣立場として、決算を出す場合に、検査院の未確認部分及び既往年度の未確認部分、それの確認済みの部分について明記してくる必要はないか、ということであります。これは、審査の対象は決算そのものだというように割り切ってしまいますと、そう必須な問題にはならないように思います。これは、扱いそのものでどちらにもなり得ることだというように考えられます。  次に、決算は、国会中心財政主義、あるいは国権の最高機関というような建前からいって、予算と同様に国会の議決によって初めて国会財政監督権を全うするか、ということであります。これは先ほど来申しましたように、二つの院が別々にこれらに対する批判あるいは議決をされるということでは不十分で、むしろ両院交渉の形によって国会としてまとまった意思の形成をされて、それを政府に突きつけるという形の方が、それが全うされるということになる。その方が徹底することになるというふうに考えます。  それから、その中の(イ)(ロ)(ハ)と分かれておりますが、さてこれはおそらく今後の立法の問題であろうと思いますが、国会に対して決算承認を求めるという形で規定をすることはどうか。これは先ほど来申しましたように、そういう形の立法をされることは、もちろん現憲法下において可能であると思います。  その次に、予算に準じて衆議院先議にすることはどうか。これも私は可能であると思います。  ただ、その次に出て参ります衆議院と参議院とでこれが食い違った場合に、衆議院の優越性というものを法律規定し得るかどうかということでございますが、これがどうも私はふん切りがまだつかないところです。話はちょっとそれますけれども、こういう種類の問題につきましては、一応さかのぼりますと、現在の国会法を立案いたしましたとき、これは衆議院の事務総長がたしか大池氏だったと思いますが、大池氏あたりが苦心して立案されたのです。私どもたまたま相談にあずかったのでありますが、そのときに、臨時会の会期の決定、これはもちろん新憲法のもとにおいては、自主的に国会できめるようにする。会期の延長も、国会側で自主的にきめるようにする。そのことは憲法には何も書いていないのですから、国会法条文の問題としてそれをきめるということになりました。そこで、会期についての衆参両院の議決ということになるわけですが、議決が食い違った場合にどうするかということから、話が非常にこまかくなって、——大池さんというのは、非常に鋭い頭の人で、実に緻密に考えられて、国会が会期をきめるという条文を書いた。そのときに、両院が食い違った場合は、衆議院の議決を優越させるという書き方は、憲法に抵触することになりはせぬか、こう言うのです。すなわち、憲法では、衆議院の優越する場合を列挙している。法律の場合は三分の二、それから予算、条約の承認、首班の指名というふうに、特に条件を掲げて列挙している場合が、衆議院の優越を認めた場合。そういう特定の優越の規定のない国会の活動については、やはりそこに二院制度の原則が働いて、両院平等である。たとえば、憲法改正の議決についての憲法規定がありますが、その場合には、一院の優越の規定はない。これは両院平等だという原則がそこに及んでくるというようなことから、特に列挙されていない事柄については、両院平等の建前で扱う。国会というものは、一組の衆参両院で成立している。その一組の国会として扱うから、特定の憲法規定のない限り、両院平等でいかなければならない。そうしておきながら、会期の決定について両院が食い違った場合に、衆議院を優越させるということは、今の両院制度の基本原則をとっている建前からいってどうだろうか。そこでなかなか緻密な考えを出しまして、衆参両院ワン・セットにして国会として扱うからそうなる。これを別々にばらして、衆議院、参議院別々の組織体として扱う分には、どっちを強めたって憲法の問題にはならない。別々の組織体として扱うということで、現在の国会法にもございますように、両議院一致ということにして、国会の議決という言葉を避けまして、「両議院一致の議決」という言葉を使っております。そこで、それが食い違った場合は衆議院を優越させるということで、実に精密な、一種の細工というか、そういう細工を弄したわけです。そういうことで、法律のいろいろな条文の方で、憲法に特に書いていないような国会の権限、たとえば人事の同意というようなことを書いてありますが、しかし、この場合には、今の考え方から両議院の一致というふうに、小細工といいますか、そういう形をとっています。ということで考えてみますと、この国会決算に対する承認権ということは、考え方によって、先ほど申し上げたように、第九十条そのもので予定している国会の権能の中に承認権というものも潜在的に入っている。それは立法にまかされているだけで、立法自体によっては、承認権というものを表に出して、現実的な国会の機能とすることもできる。憲法九十条の中にすでに国会の機能としてそれが含まれているということになりますと、今言ったような点から、やかましい法律問題について一議論をしなければならぬということになるわけであります。これは実にこまかいことで、おそらく常識からお考えになりますと、何を言っているかという感じをお持ちになると思います。私も、ときどき反省いたしまして、つまらぬことはもう考えることはよそうと思いますけれども、従来そういう経緯があったということで、若干その問題点があるということだけを申し上げて——実は迷っておる。やってしまえばそれでできる。ことに憲法そのものについての解釈論としては、今私が申しました国会法の立案のときのような、そういう考え方とは違った考え方をとっている学者もおります。その方が、大きな筋としては正しいのではないか。大体憲法上、衆議院の優越という建前で国会は組織されているという見方に切りかえれば、これはその方で押していけることで、今申しましたようなことは末梢の議論であるかとは思いますけれども、過去にそういう経緯があったということだけを、御参考までに申し上げておきます。  それから次の、決算承認を求める件は一部分的な承認というものができるかということでありますが、これは私は、国会の御一存でいかようにもなされ得ることだ、ここは悪い、ここはいいという意味での、ここは承認、ここは承認しないという意味の議決は、可能であろうと思います。  それから附帯決議あるいは警告決議というようなことは一これはもちろん両院別々におやりになる場合と、それから、今まで一般の学者あるいは国会方面の事務当局では、そういうことはあまり表に言っておられませんけれども、私自身としては、両院交渉の形の決議というものは、今の憲法及び国会法のもとにおいて不可能であるとは思いません。従って、これは私独自の考え方になりますけれども、そういう独自の考え方からいえば、両院各別の警告決議も可能であり、両院交渉のもとにできた国会としての警告決議も可能であるというふうに私は考えます。これは現行法でもできるという考え方であります。しかし、今申したように、多くの人はあまり賛成してくれません。  それから最後に、国会承認は、国会に対する政府の責任を解除するもので、決算に関する最終的な確定あるいは確認と見るべきかというようなことは、これは立法のときの表わし方にもよる。ドイツの立法例のように、免責というような言葉を明らかにつけるものもあります。立法の書き方にもよると思いますが、これはただ、予備費の承諾というような場合の承諾と、かりに決算について承認とされた場合の、決算に対する承認というものとは、多少本質としては違いがあるのではないか。これは前の第七回国会の当委員会においても申し上げたと思うのでありますが、予備費の方は、本来ならば、予算でこまかく事前に国会がおきめになって、そのこまかい細目に従って支出せしむべきところを、これは事柄の性質上、ある程度白紙の形で、しかも憲法条文にありますように、内閣の責任において支出される。本来事こまかく国会でおきめになるべきところを、事の性質上それをきめずして、内閣の責任で支出させる。一応そのワクの中で内閣を泳がしている。だから、その締めくくりの方は、国会の承諾という形ではっきり結末をつけるという意味がございます。決算の方は、一応予算としてできたものを、その予算通りに執行されたかどうかということで、予算通りにそれが合っていれば、正しい締めくくりになっておれば、それでそれは当然のことなんで、違いがあるとか、あるいは間違いがある、不正があるというような場合に、国会がこれを追及するというようなことが、むしろ重点になるというふうに考えます。今の予備費の承諾の場合と、この決算に対する国会承認の場合とは、多少そこにニュアンスと申しましょうか、多少その重点が違ってくるのではないかというような気持がいたします。しいて言えば、そういうことであります。制度としてできてしまえば、これはもう何とでも——結論は、要するに国会承認ということになる。そうしてそれが不承認になった場合にどうなるかという問題を、結局現実の問題として検討すればいいわけです。そこに尽きると思いますけれども、しいて言えば、今申しましたような予備費の場合とは、多少ニュアンスが違い得るものではないかというような気がいたします。  それから決算について、これを最終的な確定あるいは確認と見ていいかどうかということであります。これは多少異論があるかもしれませんが、これは立法ではそういうことにするのだ——現在の建前では、先ほど私が露骨に申しましたように、内閣会計検査院に送れば、決算は一応成立したのだというような、いわばドラスティックな言い方をしましたが、それを法律でお改めになって——法律でお改めになってというのは失礼になりますが、法律ではっきり御規定になって、この最終の確定段階国会承認になるということにするということも、これは憲法上何ら差しつかえないことであります。ただそこまでやる必要があるかどうかという立法政策上の問題は、私は多少ここに残るとは思いますけれども、要するにそういうことであります。多少問題が残ると申しますのは、私個人としては、今ちょうど地方自治法に地方議会の認定という言葉があります。確定と認定とまたどう違うかといわれると、これは非常にデリケートになりますが、地方自治法でいっているような程度のところ、これが一応考えられるのではないかというような気がいたします。  はなはだ取りとめのないことになりましたが、また多少不正確な言い方をした点のございますことをおそれますが、一応これは私個人としての意見であることは申すまでもございません。図書館として別に検討した結果を出てきて申し上げているわけではございません。個人として考えあぐねておるところを取りまとめて、一応申し上げた次第でございます。     —————————————
  4. 鈴木正吾

    鈴木委員長 質疑の通告があります。順次これを許します。小川豊明君。
  5. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 お尋ねしますが、佐藤さんは第七回国会ですか、昭和二十五年の三月ですが、この問題に関して、委員会に出席されてやはり意見を述べられているわけですが、当時の御意見では、この決算の取り扱いについて、まだ決定的な御意見ではなくて、四つの案を考えておられたように私は見ておるのですが、率直に言って、当時、決算審査に関する取り扱いについては、今ほど積極的に議会の考え方というものが出ていなかったというふうに理解されるわけです。また同時に、佐藤さんの御意見も、コンクリートされてなかったようにうかがえるわけですが、今日、これまでの、決算政府から両院同時に提出する、従って、両院は各別にこれを審査して、両院交渉の取り扱いをしていない、さらに、決算一つの会期から次の会期に持ち越されて審査されている点、こういう点を総合して考えてみると、私は、やはり取り扱いとしては、報告書的な取り扱いをされているのではないかと思う。これは御意見と同じことです。しかし、われわれは、戦後の議会制度の中で、決算の重要性が非常に高まってきている。しかも、この審査の結果は、その後の予算の中に十分に反映せしむることができるようにしたい、こうした考え方が強くなってきて、決算の取り扱いを議案の形にしてその権威を高むべきではないか、こういう意見が強くなってきているのが現状です。そこで、政府両院別々に提出している形を一本にして、衆議院から参議院へ流れ作業というか、そういうふうにして両院一致の意思決定をする。そのためには新たな立法措置が必要かどうか。佐藤さんの御意見では、現行法内でやれるという考え方が十分に成り立つというようにわれわれお聞きしていたわけですが、しかし、この点の憲法上、国会法上の解釈問題は、国会内部の問題であり、国会自身できめる事柄だと言われているわけです。そうしますと、法制上の見地からいえば、現行法でやることが正しいのかどうか、法の改正によってやることの方が正しいのかどうか、この点が一点。それから議案の考え方には、国会の決議にするという考え方一つ。それから案件といった考えで、決算審査の結果に関する件といったような考え方が、一つ出てきます。それから第三には、財政法改正を加えて、国会決算に対して是認するか、あるいは不当として認定するか。第四には政府決算について国会承認を求めなければならないという条文を入れるかどうか。ちょうどこの予備費の承諾と同じように、議案という性質を持つものにするのかどうか。このどの形が最も望ましいとお考えになっておられるか。この中の二つを合わせた独自の取り扱い方法というものも、私は考えられるのじゃないかと思う。この前の口述の際には、適当な組み合わせによってできる、こうおっしゃっておられるわけですが、もし決算委員会等で議案の形にした方がいいというような結論が出た場合に、これは法制上の措置はどう進めたらいいのか。こういう点をもっと具体的にお話を願いたいと思います。
  6. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 前回申し上げましたことは、ただいま小川先生おっしゃった通りなんですが、そのとき申し上げなかったことで、ちょうど第七回国会で、おもしろい——これは決算じゃございませんけれども、それに参考になるような非常に変わった立法がされました。と申しますのは、第七回国会で、国家公務員の職階制に関する法律の内容といたしまして、第四条第二項というのができたのですが、そこに、人事院がこの職階に関する「職種を決定したときは、職種の名称及び定義を国会に提出しなければならない。」という条文一つある。そうしてそれを受けまして、その第三項で、「前項の場合において、国会が人事院の決定の全部又は一部を廃棄すべきことを議決したときは、人事院は、すみやかに、その職種の決定が効力を失うように必要な措置をとらなければならない。」とある。そこでこれを憲法の第九十条と比べますと、「提出しなければならない」というところまでは一致しておるわけです。ただその三項に、国会が今度それを廃棄するということを議決することがあり得ることを予定しておる。その予定が法文に出ておりますから、その点で決算の場合とは多少状態が違いますけれども、少なくとも最初に読みました「国会に提出しなければならない」という、この提出の仕方ですね、これについて、当時の衆議院の人事委員会でこれを修正して、そういう条文ができたわけです。それについて、本会議で人事委員長委員長報告をされております。その報告の中で、この案件国会提出の手続のことに触れておられる。この手続は一院先議の方針による。そして執行上はできるだけその承認に近い手続にしようという含みを持つというようなことを、本会議報告説明しておられる。実はそのいきさつは、初め衆議院の人事委員会でお考えになったのは、この職種に対しては国会承認を求めなければならないということの原案考えておられたらしい。ところが、その承認を求めるのは行き過ぎだということで、総司令部の方で反対が出まして、そこでそれをやめて、そしてただ単に黙って国会に提出しなければならないという形にしてしまっておるわけであります。そういうことで、扱いは、せめて実際上承認を求めると同じ扱いにしたいという委員会の含みがあられて、本会議委員長報告には、わざわざこれを一院先議にするということまではっきり言っておるということから申しまして、今の憲法条文から申しましても、かりに政府側立場に立って見ますれば、そういうような国会側の何か委員長報告なりなんなりというような形で、そういう保障、手がかりがちょっとでもついておれば、これはおそらく現行のままでもお出しできるのじゃないかと思うのであります。先ほど申しましたように、今のところ、その保障がない。私は、何かの扱いの基準というものがきまりさえすれば、それは可能じゃないかというふうに思います。  それから今の組み合わせその他の、最初の七回の国会の際に申し上げましたところ、これも今考えてみると、非常にずさんなことですが、いろいろ組み合わせということを申しました。私は今日他の角度からこれを分類して申し上げたので、それは結局同じことでありまして、その組み合わせのあり方は、やはりおっしゃるように、いろいろな形があり得ると思います。一院先議にしつつ、そうしてどういう組み合わせをするかということは、あり得るだろうと思います。
  7. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 専門家に対して非常に素朴な尋ね方なんですが、私は素朴に考えて、憲法の八十三条ですか、「国の財政を処理する権限は、国会議決に基いて、これを行使しなければならない。」こういう点が出ておる。従って、これに基づいて、国会決算政府としては提出しなければならないと、こうなっておりますけれども、これは九十条に提出しなければならないとなっておりますが、提出するということは、ただ提出しつぱなしではなくて、そこには審査なり議決なり、何らかの行為を求めなければならいということだろうと思うのです。それならば——また、現に慣行としては、これに対して議決しています。議決しているのだから、そこでこれは当然審査をし、議決をするわけなんです。そういう点から、さらに国会が国権の最高の機関であるとするならば、国会の意思というものを政府は十分に尊重しなければならない義務が出てくるだろう。そういう中から、両院にこれを各別に送ってきて、異なった議決をした場合に、一体政府はどうこれを尊重するのか。尊重するというからには、国会に提出するということは、両院に提出するのだから、これを両院別々に出してくるならば、両院異なった議決をする例はあるわけです。従って、そういう場合に、政府としては、尊重しようにもする方法がないじゃないか。そういうわれわれがここに当面している点から見て、これはどうしても議案としての性質を持たすべきだ。そして両院が協議できる場というものを作るべきじゃないか。そこに初めて決算の意義というものが出てくるのじゃないか。予算が非常に重要視されておりながら、決算は軽く扱われている。ひがみではなく、事実そうなんです。そういう点からいって、われわれは決算の中にある不正とか不当とか、そういう事項を見つけ出して、どうだこうだと言うばかりが決算の任務ではなくして、予算編成の精神というものが決算にほんとうに生かされておるかどうか、さらにその経済効果は上がっておるかどうかということが、決算にとっても、不正、不当ばかりでなく、これは重要な問題である。従って決算というものを審査し、議決することは、次の年度の予算編成の中にそういうものが織り込まれて、初めて決算の権威というものが出てくるので、今のような形ならば、これはこっちも言いっばなし、聞きっぱなしということになる。そうでなからしめたい。そういう点から見ると、地方自治法を見ると、予算決算というものは並列されて、どっちも承諾を求めているわけです。ところが、国会だけは、そういう予算決算というものは、まるで別になっているわけです。こういうふうに新憲法で別にした当時のいきさつというものは、一体どういうわけでこういうふうに別にしたか。地方自治の場合においては、これが並列して承諾を求めていながら、国の場合にはそうでなくていい理由というものは、その当時どういう理由でこういうふうにされたのか。この点もあわせてお聞かせ願いたいと思うわけです。
  8. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 前段のお話の分は、先ほど私も申しましたように、全く御同感でございまして、憲法条文から申しましても、提出先は国会となっておるのでありますから、それに対する反響も、出てくるなら、国会の意思として反響が出てくるのが、筋道からいっても、言葉からいっても、当然じゃないか。ですから、今の扱いはきわめて不自然な扱いであるということは、御同感でございます。  第二は、これはちょっとすっきりしたお答えにはならないのでありますが、旧憲法時代も、これは時期によって違うかもしれませんが、例の府県の制度と市町村の制度が違っておりましたころ、府県の場合は、認定の制度がなくて、これはただ報告しつぱなし。私は市制を見ましたが、市制では、旧憲法時代から認定という形をとっておる。地方制度の上では、それがすでに旧憲法時代に芽ばえておった。それを自治法の際に広く及ぼして、府県、市町村すべてに及ぼしたということまではわかりますけれども、憲法との扱いをなぜ違えたかということについては、先ほど申しましたように、ああいう事情でございましたということにならざるを得ないのでございます。
  9. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それからもう一、二点、御口述願った中でお尋ねしたいわけですが、やはり今の決算の取り扱いというのは、慣行で取り扱っているにすぎない、こういうお話であったのであります。それを前提として、お話の中で参考に確かめておきたいのは、会計検査院検査は、国会における財政監督上の審査のための準備をなすものでないのかという、このことに対しては、これは資料である、こういう御説明であったから、そう承ります。  それから決算成立するのは、検査院内閣が送付するときの閣議で決定したときに決算成立しているのだ、こういう御意見のようであったが、これで差しつかえないかどうか。  それから内閣の提出に関する問題の中で、内閣決算国会に提出しているが、国会審査並びに議決を求めていると解するかという尋ねに対して、これは政府の政治的責任を追及すべきなんだ、こういう点が述べられたと思うのですが、現行の規定では、政治的責任を追及しても、政府としてはその責任を——道義上は別ですが、責任を負わなければならない何らの条文も私はないと思うのですけれども、この点は、政府が政治的責任を負うというのは、道義的に負うことであって、法文の上では負わなくていいのかどうか。  それから、内閣国会に議案として承認を求めて提出してくる必要はないかというのに対しては、立法として制度を明確にすべきではないか、こういう御意見であった。この点は、私もぜひそうしたいと思っているわけです。  それから、国会における決算の取り扱いの小さい二と三を合わせて、これは理詰めで言うなら、悪いともいえない、やむを得ない、こういうお話でございましたが、そこでこの点と、もう一つは、決算の全体としての取り扱いの問題で、佐藤さんは、まあ言葉としては報告に毛のはえたものだ、こういうお話であったが、実はそれでは私どもの方は困るので、報告に毛のはえたものであるとかないとかいうことでない、報告であるのか。これは議案として出されていないのだから、やはり毛がはえていようがはえていまいが、これはやはり報告にしかすぎないではないか、こう解釈する以外に解釈のしょうがないのですが一毛のはえたでなくて何とかもっとはっきり、これではいけないのだ、もっとこれは直すべきなら直すべきだということに御意見を固めていただいて、直すなら、こういう点を直すならば憲法に手をつけなくてもできるのじゃないか、こことここを改めるならばできるのではないか、こういう点が明確になると、私どもは、もうそろそろこの問題に対する結論を出さなければならない時期にきていますので——今のいろいろな情勢下において、憲法改正するとかなんとかということはできるはずのものではありません。従って、やはり国会法とか財政法とか、こういうものの改正によって、その毛のはえたものであるというのをもっと明確にすることができるか、できないか。それから、そこまで毛をつけなくても、これは取り扱いでできるのか、できないのか。これじゃまずいから直すべきか、直すべからざるか。直すならば、こういうふうにして直したらできるのではないか、こういう点をお教え願いたいわけです。
  10. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 最初の検査報告の性質については、やはりこれも露骨な言い方になりますけれども、突き詰めていえば、御審議の資料であって、御審議の主たる対象は決算そのものである。ただ、その資料は相当権威のあるもの、また重要性を持っておるということは、当然であると存じます。  成立の時期は、これは先ほども多少迷いを含めながら申し上げましたが、やはりいつだということであえて区切りをつけますとすると、現在の立法建前では、やはり内閣から検査院に送った、内閣がいよいよまとめて送る、その直前のまとまった形が成立である。はなはだ事務的な言い方でありますけれども、一応そこで区切りをつけて考えた方が自然に考えられるのではあるまいかという趣旨でございます。従って、立法によってその成立の時期をずらすという措置をとられることは、もちろん可能である、こう考えております。  それから責任の追及の場合でございますが、こういう場面になりますと、たとえば予備費についても、承諾、不承諾——予備費の使い方が悪かったというわけで、不承諾になさるという場面などは、ことに露骨に責任問題が出てくるわけでございます。その場合の追及の方法は、やはり予備費の場合においても、特に法律的には出ておりませんので、これはやはり政治的な大きな立場からの政治的手段としての追及方法がとられるということであって、これは政治一般に対する責任追及の問題と共通のことになるのではないか。たとえば極端な場合をいえば、内閣不信任の決議というようなところへ連なるような、そういう政治的責任の追及方法——先ほどここにもありましたように、警告というような決議の形もございましょう。いろいろな形がある。これは一般の形によることになるのではないだろうかというふうに考えます。  それから、その次に、議案として出すのが適当だ、これは私もそう思います。やはりこれは、立法の形でおきめになるのが一番正しいのではないかということに考えます。ただ、一番最後にお話しになりました点と関連いたしますが、議案として出すということになりますと、これは立法をしていただいて、その上でのことにした方がよくはないだろうか、こういうふうに考えます。  それから書類の問題も、はなはだ木で鼻をくくったような見解を申し上げたようなわけでありますけれども、露骨に、率直に申し上げれば、先ほど申しましたようなことで、先ほど毛のはえたということが問題になりましたけれども、それは理論的には、毛はなくても、報告書ということに一まとめで申し上げてしまった方がはっきりする品わけでありますが、ただニュアンスをつけますために毛をはやしたわけで、実はそんなニュアンスは要らぬので、露骨にいえば、報告書扱いにしていい。従って、現在までの扱いは、そういう出発点からいけばやむを得ない。必ずしも間違っているとはいえないんじゃないかということでございます。  それから報告に毛のはえたということを今申しましたが、最後に、今後の扱い方をどうするかということでございますが、今の議案として出すのは、私は立法していただいた方がいいと思いますが、先ほどちょっと言いかけてあまり深入りをしませんでしたが、すべて国会法も今のままにしておいて相当迫力の出る結論の形式というものがあるかといわれれば、これはかりに報告案件として出ましても、その報告に基づいて国会がいかなる批判をされるか、その批判の内容、及びいかなる手続によってその批判を表明されるかという形式、この双方とも国会のお考えによってどちらもとり得る。現在の国会法によってそれを制約するような、それができないような制限的な規定があればもちろんできませんけれども、それから先は議論のあるところで、人によって議論が分かれますが、それは、私はそれができないという意味の制限的な規定というものは、今のところ国会法にはないという前提に立ちますから、かりに衆議院で御審議を先に終えられまして、そうして報告としてこれを見る、報告としてごらんになって、しかし、ここはいけないというような、現在おやりになっておるように是認すべき点、あるいは不当と認める点という結論が出ました場合に、衆議院としてその結論をおきめになる。そうして決議案という形をここでお作りになって、それを参議院に送付される。そうしてそれが議案になる。決算審査の結果に関する件という議題になりますかどうか知りませんが、要するに、それが議案となって、それを参議院にお送りになる。参議院がそれを対象にして政府決算とともに審議をされまして、そうして、なるほど衆議院の決議として送ってきた通りだというふうに参議院で同調されますならば、そこで衆議院から送付されたその決議案は、参議院において可決される。そこでそれは国会の決議として成立する。いわゆる事件決議としての両院交渉の、しかも国会としての事件決議というものがあり得るんじゃないかと、私は思います。今までそのものずばりの実例はございませんけれども、似たような形のものは、公労法十六条の、あの議決を求めるの件というような場合に、相当おやりになっておるように思います。何も国会法上やろうと思ってできないことはない。ただし、それは参議院の側と衆議院の側とお打ち合わせができておりませんと、妙なものを送ってきたということになりますから、これは内部の打ち合わせの問題としてお話し合いができれば、私は不可能じゃない。従って、またそれが食い違いがあったという場合には、両院協議会の問題になって、国会法にちゃんと載ってくるんじゃないかというふうに、私はかねがね論又にも書いておりますが、そういうふうにできないことはないという気持を持っております。ただし、先ほどからたびたび申しますように、反対の見解もあります。その点は留意しなければなりませんが、私は、そういうふうに思うのでございます。  そこで第二段として、もっとそれをはっきりする方法はどうかというと、議案として出させる。そしてそれに対して、両院一致の、国会としての何らかの意思を表明するということを制度的に保障しようということになれば、これはやっぱり立法していかないと——それは認定を求めろという形にするか、承認を求めろという形にするか、あるいは審査を求めろという形にするか、そのいずれかの道を立法の形で明らかにする。結論としては、立法的な形が一番はっきりするということで、またそれが一番望ましいことじゃないかと、私は思います。
  11. 鈴木正吾

    鈴木委員長 淡谷悠藏君。
  12. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 簡単に二、三点お伺いしたいのです。決算国会承認されないときは、政府の責任というものは解除されない。解除されないから、たとえば、三十二年、三十三年あるいは三十一年度の決算などが承認されなかったら、いつまででも政府の責任を追及できるということにとれましょうか、これは私の一つの疑問なんです。
  13. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 私が先ほど来申しました趣旨を一口に申しますと、今の現行制度のもとでの決算に対する扱い方は、むしろ責任解除というよりも、悪ければ追及されるという面が実は表に立っておると思います。ですから、ほっておかれれば、それっきりだ。政府立場でいえば、ほっておかれれば、政府では国会で認めていただいたなと思う。要するにおしかりがあれば、これは仕方がない。おしかりの面を表に立てての制度じゃないかと私は思う。そういう点から申しますと、そのおしかりは、いつまでにしからなければならぬということはありませんから、一事不再議の原則というものはどの程度まで働きますか知りませんが、国会としては、その決算はいいんだという積極的の意思を表明されたところへ、あとから追っかけてそれをしかるということは、これはおかしいことでありましょうけれども、まだ国会としては審査が続いているという形であれば、審査の一応の結論が出たときに、いつおしかりを受けるか、これに対しては、制度上、法律的な別に拘束はないというふうに私は思います。
  14. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 そうなりますと、たとえば決算承認があった場合、承認がなかった場合、政府の責任追及というものが、どっちがつらいのでしょうか。承認しない、あるいは承認したと、どっちでも同じようにとれるのですが。つまりさっきのお話報告書みたいなもので出したのだから、いつか悪いところがあったらおしかり下さいという形のものであって、何も決算委員会承認したから、承認しないからといって、政府の方で少しも痛痒を感じないようにとれるのですが、この点はどうでしょうか。
  15. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 それが、やっぱり現行制度の欠点ということにつながるんだろうと思います。従って、お話に非常に同感をするわけなんでございますが、要するに、今の建前でいきますと、是認されたという結論が出れば、それは安心します。それからまだ結論が出ないと、いつおしかりがあるかなという不安感を持つ。それだけのことでしょう。それでしかられたら、そうか、これはしまったというだけで、さらにそれで追っかけて、内閣の不信任あるいは警告というような形で爆弾が飛んでくれば、またそれは相当の影響を及ぼしますけれども・決算に関する限りにおいては、今申しましたようなことから、いかにも弱いことじゃないかという感じが出てくる。これは当然だと思います。
  16. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 どうもこれはいろいろなお話を聞くに従って、大へんに不合理な点、あるいはばかばかしいような点が出てくるわけなんで、さっきの佐藤さんのお話でも、新憲法を作る場合にほとんど決算というものは死角に立ち、盲点になっておって、いわば投げやりにしておかれたというようなお話のようでしたが、やはり十分に論議はされなかったのですか。決算委員会あるいは会計検査院のあり方については、ほとんど論議を投げておられたという形だったと思うのですが。
  17. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 今お言葉がございましたから思い出しましたが、会計検査院のあり方については、多少触れられております。ただ決算の今の九十条の第一項に関する場面においては、私はきょう伺うまで、当時の貴族院、衆議院の速記録をずっと見たのですが、貴族院で、明治憲法時代にはいつまで出せということはなかった、今度はこれが憲法で入った、その違いが一言出ているだけです。決算そのものの、今御議論になっているようなことは、出ておりません。今から思いますと、非常に不思議なくらいに出ておりません。国体がどうの、天皇地位がどうのだの、そういう点が非常に大きな重点になっております。
  18. 鈴木正吾

    鈴木委員長 神近市子君。
  19. 神近市子

    ○神近委員 大体論議は出尽くしているのですけれど、私も、決算報告に毛のはえたもの——毛のはえたものがおかしいということですけれど、少しほかの報告よりは念が入っていますから、そうだろうと思うのですけれど、今論議を伺って、私は、法制上のことは、これはどうでもいいと思うのです。それはほかにまた専門の方があって、いろいろお考え下さるでしょうけれど、一体何のために決算というものがこういう機構を持って、そうして定期的に委員会を開いてあるのかというのが、私の一番最大の疑問なんです。これは未確認事項というところに、よく予備費の問題が出ます。会計検査院報告を見ましても、調査は一割五分あるいは一割七分くらいで、ピック・アップ制度をとっておいでになるように思うのですけれど、そうすると、調査のやられなかった部分も、未確認部分ということになるのですか。その点どうなんでしょうか。
  20. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 今先生のおっしゃいました未確認の問題は、この委員会で今回お取り上げになって、実は初めて私はなるほどということで、非常に率直に申しますけれども、これは問題だなという感じを抱きましたのですが、結局大きな筋から申しますと、先ほど申しましたように、ほんとうに事実上不可能だ、時間的にも不可能であったということで、それは容赦してよろしい部面、これはやむを得ない。ところが、たとえば当該関係者が怠慢であるために、本来やりようによっては確認できることを未確認だという場面も、私はあると思うのでございます。おらくそういう面についてのお話中心じゃないかと思いますけれども、そういう点については、今度は会計検査院のあり方、なぜ未確認をそのままにほっておいたかということは、やはりどこが追及するかというと、この委員会で、国会で、やはり御追及になるべきことじゃないか。そういう面で、やはり政府決算のあり方というものと、会計検査院決算審査やり方という両面にわたっての御審査というものが、あるいは御審議が、ここでやはり国会としてなされるべきじゃないか。そういう点において、またそれが明らかにされていくことじゃないかというような感じを持っております。
  21. 神近市子

    ○神近委員 あなたが御関係になっていた時代かどうか知りませんが、行政監察特別委員会というのがございましたね。あれを今から考えてみますと、行政に関して会計検査院も確かにそれはやっておいでになるのですけれど、あれは決算の補助的機関として置いておく方がよかったのじゃないかというようなことを考えるのです。今報告を受けて、われわれが非常にこの点で不満を考えましたのは、委員の中のある方は、会計検査院の事項を検査するだけで、これが決算委員会の最大の任務だというふうに考えていらっしゃる委員もあるわけなんです。私どもあれをやってみまして、一体あの多くのさまつなものを取り上げて能事終われりとする、そのようなことを繰り返しても、突は委員としても一体何だろうというふうな感じを持つわけなんです。それで、今あれは報告だとおっしゃったので、他のいろいろ刷っていただくような報告の一部だと考えればいいということになって、そうすれば、決算委員会の任務というものは、会計検査院報告を頭からおしまいまでこれで上げましたというような意味のことでは、無意義だというふうに考えるのです。そうなると、あの行政監察特別委員会というものは、どういう動機から作られたのか。それは御記憶にはないでしょうか。
  22. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 私、ずっと法律の方面ばかりやっておりましたものでありますから、行政監察特別委員会のあることはもちろん承知しておりましたけれども、その方の仕事に直接関係するような部面がございませんでしたために、あまり関心を持っておりません。ただ、あれは何か特別の動機から、特殊のものを中心としての委員会であったように、ばく然と考えるわけであります。しかし、あの行政監察特別委員会の問題を離れて、今紳近先生がおっしゃったもっと広い面から申しまして、決算ということは、とにかくお金のつじつまが合っているかどうかということだけで、はたしていいのかどうか。確かに予算のワクからははみ出しておらぬが、これが効率的に使われているかどうかということの方が、大きな問題ではないかと思います。その方の面は一体どこでおやりになっておるのか。常任委員会の分野というものは、私、今はっきり記憶いたしませんが、それは決算に伴って当然表裏の問題としてお取り上げになることではないか。ただし、行政部門別に常任委員会ができておりますから、たとえば厚生関係の行政の実態は厚生関係委員会、あるいは内閣部門のものであるならば内閣委員会ということで、それはもちろん御追及になる場面がございますけれども、やはりお金のやりとりという面からその実態をつかむということは、制度がどうなっているかは別として、決算にこれを引きつけて考えることは、私は一番有効な方法ではないかというような感じを抱いております。あるいは今先生のおっしゃったのがそういうことであるとすれば、はなはだ同感に存じます。
  23. 神近市子

    ○神近委員 今のように会計検査院決算報告報告として見る。そうして、たとえば内閣であれ、あるいは農林であれ、あるいは商工であれ、それをここで、別に関係がないところで、一まとめにいいの悪いのといったってあかんと思うのです。それで、これはかえって各省別に、たとえば商工なら商工、外務なら外務というふうにやった方がいい。自分の委員会の受け持ちですから、理解もできるし、あるいはあれはいつの予算であったというふうに、すくぴんとくるわけなんです。そうすれば、会計検査院の仕事は多少煩瑣になるかもしれませんが、一冊にしないで、各委員会にばらまいて決算するという方が、ずっと効果的だと思うのです。もし何か新しく決算委員会のあり方を考慮するならば、各省別の審査の結論をここで集めて、そうしてこれを議決するなら議決する、あるいは確認するなら確認するというふうな形は考えられないものでしょうか。その点一つ考えを聞かせていただきたい。
  24. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 これは、私、わきからほんとうに無責任なことを申し上げるようなことになりますけれども、確かにその面もございます。それを徹底していきますと、決算委員会という常任委員会の根本問題に触れてくると思います。ですから、それの取りまとめだけをやる委員会なのかどうか、あるいは全然なくなってしまうのかどうかというところにまで発展していきますが、決算委員会というものは、行政にふだんからそう深入りしていかないで、客観的な第三者の立場で見て、行政部門別の常任委員会とは別のものとしておやりになる。行政部門別の委員会としては、これは悪い言い方でありますが、立法その他でしょっちゅう行政に深入りし過ぎていますから、それを百歩退いて見るという立場からいいますと、何か第三の委員会があった方が、またそこで独自の機能として期待されるのではないか。今おっしゃるようなことは、両々相待ってということがあるいはいいのかもしれませんが、決算委員会決算委員会としての独自の使命、特徴があるのではないかと思います。そこでそれをどうかみ合わせるかということが、問題であろうと思います。
  25. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 これは今までずいぶんお聞きしたことなんですが、佐藤さんは、この新憲法の作成にも関係なさったという立場ですからお尋ねするのです。旧憲法の七十二条には「検査確定シ」とあります。新憲法の九十条では「確定」は取ってしまって、「検査し」となっておるのですが、「確定」という二字を特に取って「検査し」だけにしたのは、どういう考え方だったのでしょうか。
  26. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 これは実はこまかいことをいいますと、先ほど申しましたマッカーサー草案そのものには、確定という言葉はなかったわけです。しかし、私どもがそれを受けまして、ただモデルとしての案を作ります場合には、明治憲法にあった言葉をそのままにしておいた方が無難だろうということで、実は私が書いた案には、「検査確定」は明治憲法通りに書いてあった。それがその後の総司令部との接触でありましたか、あるいは内輪の議論の際でありましたか、はっきり覚えませんが、「確定し」がなくなりまして、初めて新聞に発表せられました政府案では、今の「確定」が取れた形が出ておる。従って、中間の段階において、私が明治憲法の引き写しをやった段階がありましたが、これは間もなく消えてしまったということが事実でございます。要するに、憲法で「検査確定し」と書いておけば、会計検査院の方の検査の効果というものが、相当憲法自体で出て参ります。かりに「確定」という言葉憲法から削ってしまったということになりますと、あと会計検査院法なり立法で、会計検査院の方でこれを確定することにしょうが、あるいは今の確認することにしょうが、立法の幅が広まるわけであります。要するに、憲法でそこまでいわぬでも、あと立法段階考えればいいのではないか。ないならないでいいということで、別に深く注意はしないままで、その他の手当で何とでもやれるということでやったのであります。  それからちょっとものはえたという話がたびたび出まして、多少気になって参りましたので、もう一ぺん正確に申し上げますと、なぜ毛のはえたという言葉を申したかと申しますと、憲法の九十一条に、先ほど例にあげました財政状況についての報告ということが上がっておりますが、今決算国会に提出するという、その提出する実態と、形式的には九十一条にいう報告とは同じことです。あるいはその他のいろいろな立法では、何とか計画を国会報告しろということがございますが、これらの報告と、決算の提出というものがはたして同じであるかどうかと申しますと、議案であるかどうかというような形式の扱いとしては、報告書と同じであると思いますが、その形式を離れての本質から申しますと、それを受けて、国会ではこれに対する何らかの反響を国会として表明されるべきことを、これは憲法自身が濃厚に期待しておる。国会が、ああ報告かというので、すぐ紙くずかごにお入れになるという他の報告とは違う。国会はやはりそれを審査されて、それに対する反響をお示しになるということが、憲法上期待されておる。その期待されておるということを、俗な言葉で毛のはえたというふうに申し上げたのであります。形式から申しますと、まさに報告でありますけれども、本質論としては、やはり普通の報告とは違うということだけは、御了承をいただきたいと思います。
  27. 鈴木正吾

    鈴木委員長 山田長司君。
  28. 山田長司

    ○山田(長)委員 佐藤さんに最後に聞いておきます。過日来いろいろ参考人の方から御意見を伺って、きょうあなたから伺ってみて、実に決算委員会なるものは、ばかばかしい印象を受けてしまったのです。全くこの法律の作り出されるときに、投げやりに決算の問題が取り扱われてしまったので、かなり現行制度にも欠陥があるという、こういうことのようです。しかも、きょうのお話を伺っていると、明治憲法とほとんど変わりのないような印象を私は決算上における話として伺ってしまったわけですけれども、あなたの御見解で、明治憲法当時と現在とで、ほとんど変わりないということで結論を出していいのですか。
  29. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 ここでは私は、もう宣誓こそしておりませんけれども、宣誓をしたのと同じようなことで、私としては申し七げにくいようなことでも、率直にありのままを申し上げた結果が、以上の通りであります。これは事実でありますから、いかように言葉を飾ろうと、現実は現実としてこれは認めていただく。その現実に即して、これをどう直すべきかということは、これはむしろ改めなければならぬという方向の基礎になるのじゃないかと私は思いますから、むしろそういう意味で、ありのままのことを申し上げたのであります。要するに、現行制度のそのままではおかしいということで、しかし、先ほど申しましたように、明治憲法の形をそのままほとんど無意識に——悪意はなかったと思いますが、従来通りやっておけばとにかく無難だということは、これは普通の当局者としては、一応の心理状態でございますから、一応無難の道を歩んでこのようなことになったというのが、おそらく真実じゃないかと私は思います。
  30. 山田長司

    ○山田(長)委員 当時も迷っていたが今も迷っているというような話を先ほどされたわけですけれども、少なくとも決算会計検査院報告書に従って審議をし、それからいろいろ過日来の参考人の話を伺ってみた結論として、国会で決議した予算がいかに執行されているかということと相対比して、当委員会としては、決算に今日まで重点を置いてきたつもりなんです。何とかして、国民の血税が少しもむだなく使用されるようにということのために、微力をささげてきているわけなんですけれども、何かちっとも予算と対比されずに、投げやりにされている形の印象をちょっと受けて、ずいぶん決算の問題については、これは明治憲法以来今日まで、真剣な形で国民の血税というものが審議されなかったものだという印象を私は受けたわけなんですけれども、この点について、一番法制の、何というか、立役者であるあなたの場合も、当時も迷ったが今も迷っているというようなことじゃ、率直なことを申し上げて、私たちのたよるところがない感じなんですよ。何とか迷わない線が打ち出せないものかと思うのですが、あなたが、与党の御用を勤めるようなことじゃなくて、もっと明確な指針が鎌算上に打ち出されないものかと思うわけなんですけれども、迷わない方針というものが、もし今の法制上で困難であるとするならば、これは決算委員会で一応立案してでも何でも、もっと確固たるものを打ち出さない限りにおいては、相済まぬという気がするのですよ。何かこの点についてお話し願いたいと思うのです。
  31. 神近市子

    ○神近委員 ちょっとそれに関連して。各委員会で受け持ち受け持ちの決算を審議するということは不適当だ、決算委員会というものはもっと権威あらしめて、それを総括的に第三者的立場からやった方がいいという御意見ですが、今の山田委員の御質問とも関連するのですけれども、それでは、決算を権威あらしめるためには、どういうふうな方式というか、国会の中の第三者的な立場というものは、どういうところに求めたらいいのでしょうか。
  32. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 両先生にお答え申しますが、今迷いという言葉を私は多少使い過ぎたものでありますから、多少真意がそのままお受け取りいただけなかったかと思います。迷いと申しますのは、この謄写版刷りで私はいただいたのでありますが、実に精密な問題がたくさん出ておりますけれども、検査院法確認の性質はどうかというような、もう実はむずかしい問題点ばかりなんです、こういう具体的な、個々の問題になりますと。それらについては、私は、率直に言って、これはこうでございますと、そうみえを切るだけの自信がございませんから、それは迷いとして、むしろそういう点を申し上げたつもりでございます。決算制度はいかにあるべきか、今現在の制度は完全なものであるかどうかという点については、もうたびたび申しましたし、私の言葉の勢いによっても御判断できると思います。その点については、決して迷いは持っておりません。何とかしてこれは完全にしなければならぬ、もっと権威あるものにしなければならぬ、その大方針については、絶対に迷っておりません。ただ、迷いというのは、先ほど申し上げました、こまかい、いろいろな精密な問題点がございますので、これを一々また突っ込まれては、明快な御答弁ができないということでは迷っている。しかし、それについても、一応の私の考えは申し上げたつもりであります。ですから、趣旨はそういう趣旨であります。今紳近先生のおっしゃった点は、各常任委員会がそれぞれの行政分野に通じておるという特色は、一応立てて考えなければならぬ。それと決算委員会とのかみ合わせを、何かうまい方法で考えられないだろうかということは、これは考えられる。たとえば、今の制度のもとで審議をなさるについても、あるいは各省別の決算を御審査の際に、あるいは連合審査をしていただくなり何なりして、何かの意味でつながりを持ちながら御審査をされるというような方法で、両々相待って国会全体の一つの審議を充実させるという方向は、これは考えられる。ただ、決算委員会を全然なくしてしまってというふうに、私はちょっと感じを持ちましたものですから、それはいかがでしょうか、これはやはり、第三者的なものとしては一つ必要ではないか、そういう意味でございます。
  33. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 先ほど、決算検査院に送付する前の閣議で成立するのだ、こういうお話に承ったのですが、私は、この段階が三つか四つあると思っておるのです。今の点がしかり。それから、検査院検査を了したとき、さらにそれを内閣に送付したとき、内閣国会にこれを報告する場合にいわゆる閣議を開く、そのときに成立するのか、この三つの段階のいっかということは、私自身にもわからぬ。ただ大蔵省の主計局の諸君は、簡単に言えば、数字の羅列なんだ、動かしようがないのだから、それは閣議できめたときに成立するのだ、こう言っている。動かしようがないということを言っておりますが、この会計検査院法の総則には、二に、「会計検査院は、常時会計検査を行い、会計経理を監督し、その適正を期し、且つ、是正を図る。」こういうことが、会計検査院権限になっておる。そうすると、数字は動かせないかもしらぬが、その執行に対しては、かなり是正もはかられ、適正もはかられる、こういう権限会計検査院にあるわけなんで、従って、先生のおっしゃる会計検査院に送付すると誉に成立するということに対して、私は何ぼか疑問が出てくるんじゃないか、こういう点が一点出てくるわけです。  それから、先ほどの確定はそれでわかりましたが、その次の二十一条には、「会計検査院は、検査の結果により、国の収入支出の決算確認する。」こうあるわけですが、この確認確定関係はどういうものか。  それから次に、さらにもう一点は、これはわれわれの受け取り方と政府並びに会計検査院等のあれが違うかとも思うのですが、会計検査院は御承知のように、膨大な国の機構なり予算なりを、わずかな予算と少数の人で検査しているわけなんです。従って、手が回りかねる。先ほど神近さんがおっしゃったように、ごくわずかな何%かというものを抽出的に検査している。そこでわれわれとしては、検査を了しないのを未確認だ、こう一応解釈したわけです。ところが、主計局の方の諸君の考え方は、検査はしたのだが、ただその当否の判断がつかないのが未確認なんだ、こういうことなんです。そうすると、今度は事実問題として、われわれは未確認部分をあわせて承認してしまうということがあった場合、これは問題じゃないか、こういう点が考えられてくるわけです。そういう点から、この憲法の九十条には、「検査報告とともに」とあるわけですが、未確認部分については、検査報告がないことに、検査は了しないことにならないのか。検査報告というものは、未確認部分についてはないことにならないのか。こういう疑問を持つわけなんですが、佐藤さんのお考えはどうなんでしよう。
  34. 佐藤達夫

    佐藤国立国会図書館専門調査員 今御指摘の点がまさに迷いに当たることでございますが、一応の結論を先にちょっと申し上げたのでございます。この確認確定との違いというものは、私は、まつ先に順序として問題になると思います。それはその成立の時期ということに関係して、この字句の使い分けがどういう影響を及ぼすかということが、まずぴんとくるわけであります。すると、旧憲法時代のように「確定」とあれば、これは本体そのものについての表現になりますから、成立の時期ということをそれについて探って参ります場合にも、旧憲法時代は、内閣がきめたときではなくて、むしろ会計検査院確定したときに成立するという考え方が結びつきやすいのじゃないかという感じを持つのです。ところが、それがなくなった。そして今度は確認になったということになりますと、先ほどちょっと触れましたように、確認というと、正しいかどうかをわきから見るというふうな——言葉感じからで申しわけございませんけれども、そういう感じ一つはいたしましたので、成立の時期というものは、やはりその本物が文書として編さんが確定したとき、というふうに一応考えていいのではないか。その文書に対して、もちろん検査院検査いたしますけれども、文書そのものについて検査院が別に修正するわけではない。検査院は横からそれに批判をするというふうに考えて参りますと、先ほどの、検査院に送られる前の段階成立というふうにっかまえるのが、自然に思えるのではないか。これはほんとうに迷いでございますが、そういうような感じを持つわけでございます。  それから第三の、検査院の未確認部分というのは、これは先ほども触れましたように、表向きから言うと、そういうものがあったのでは検査を了したことにならないというのが、すなおな結論だろうと思います。またそれにはいろいろな理由があるだろう。実際上事実不可能、あるいは帳簿、証拠書類等が消滅してしまって不可能ということがあるから、絶対確認不能というものもあるだろうと思いますが、時期の問題などでむしろ絶対不能というものもあると思います。そういうものも含めて、そういうものに対して合理的な理由があるかどうかということで、その方の追及は、別途会計検査院側に対する国会側の追及として出てくる。人員が足らぬというなら、人員をふやさなければならぬという追及、やり方を改善しなければならぬというのなら、やり方を改善しろという追及、それは、国会会計検査院に対しておやりになるべきことであろうと思います。しかし、それだからといって、絶対不能だからといって、審査を始めぬというわけにも参りませんから、そこの調和点として、合理的な理由で、これは不能あるいは未確認というのも無理はないというなら、ほんとうの常識論になりますけれども、そこの見きわめをおつけいただいて、審査にお取りがかりになるということでなければ、空際動かぬのじゃないか。これはほんとうの常識論でありますけれども、結論はそういうことにならざるを得ないように考える次第であります。
  35. 鈴木正吾

    鈴木委員長 本問題につきましては、先月末より七回にわたり、参考人、及び大蔵省、会計検査院内閣洪制局等の意見を聴取し、検討を続けて参ったのでありますが、これらの意見を聞く段階は一応この程度にとどめ、今後の取り扱いといたしましては、本日までの各発言者の発言内容等を整理の上、これをもとにして、さらに慎重検討いたしたいと存じます。  本日はこれにて散会いたします。     午後零時三十五分散会