○
中尾説明員 御指名によりまして、ただいまお話の点につきまして申し上げたいと存じます。これは正式のものかどうか存じませんが、事前に「
国会の
決算審査に関する諸問題」というメモを実はちょうだいいたしておりますので、これに従いまして申し上げさせていただきたいと思います。
なお、実は
最初二つほどお断わりしおきたいと存じます。
一つは、事が
法律解釈に関する問題に非常に触れております。しかも、それは
憲法に直結するような、国の法制としてきわめて大事な
部分に触れるものがございまするので、これに対する解釈あるいは
立法論的意見等につきまして申し上げるという点については、実は私
ども大蔵省でございまするが、
内閣といたしまして、
法制局によるところの法制的な統一を経ませんと、ファイナルな政府としての見解ということで申し上げることには、はばかりがある次第であります。
法制局の方にも連絡をいたしましたけれ
ども、別途お呼び出しがあったそうでありまするが、
法制局としても何かそれの検討になお時間を要するということで、その打ち合わせをまだ了することができません。その段階で申し上げるということになりまするので、私
どもも、申し上げることができる
部分につきましては、なるべく率直に申し上げるつもりでございまするが、なお、そういうような点につきましては、
法制局の見解というものもございまするし、
法制局との論議によってなお明確になる
部分もあるかと存じまするので、そういう点について留保せざるを得ない状況で本日私がここへ参っております。私が
参考人で参っておりますると、その点がだいぶ気楽でございまするが、一応
大蔵省の見解を示せということでございまするので、それは
大蔵省限りの見解を示せばそれでいいといえば何でございますが、やはり政府の一省といたしまして、責任のあるなにを申し上げなければいかぬと存じますので、できる限りそういうふうに私は努力いたしまするが、その点の本日の私の立場を、そういうふうに御理解をいただきたい。
それからもう
一つは、いろいろ御議論を仄聞いたしておりますが、私
どもといたしましては、実は各省の
決算の総括をいたしまして、それで
国会に
提出をして、この御
批判を受ける立場にあるわけでございまして、いわば被告でございます。そういう立場からものを申し上げるわけで、そういう
意味におきましても、私
どもとしては、非常なはばかりを実は感ずるわけでございます。しかも、また
決算を総括いたし、あるいは
予算の編成をいたすという立場から申しまして、われわれといたしましては、この
決算制度、
国会の
決算の御審議ということについては、非常にこれを重要に考えておる次第でございます。これが活発に、かつ、効率的にその効果をおさめまして、
財政運営が国民の総意になるべく一歩でも近くなるということにつきまして、私
どもとしては、実は限りない期待を抱いておる次第でございます。以下申し上げます内容の表現につきましては、いささか事務的にわたる
部分もございます。しかし、今申し上げましたような気持が前提でございますから、私、せいぜい以下気をつけて申し上げるつもりでございますが、これらの点、ものの言い方におきまして、あるいはそういうことの
価値判断において、おろそかに考えておるのではないかというような誤解を招くことを非常におそれます。しかし、きわめて率直に申し上りたい。しかも、われわれの
真意といんしまして、基本的には
決算に対するそういう私
どもの考え方がございますので、その点もあらかじめ御理解をいただきたいと存じます。
最初に、
決算の
取り扱いに関する諸問題として、御提示になりましたメモに従って申し上げます。(1)は、旧
憲法第七十二条には、「
会計検査院之ヲ
検査確定シ」とあるが、新
憲法第九十条には「
会計検査院が
検査し」とありまして、「
確定し」がない。「
確定し」がなくても、旧
憲法と同様に、
会計検査院の
検査で
確定すると見るかどうか。
(2)は、
会計検査院法第二十一条の「
検査の結果により、国の
収入支出の
決算を
確認する。」とは、
確定の
意味か。
この二つについて私
どもの実務の面からの所見を申し上げます。
旧
憲法に「
確定」という言葉がございます。新
憲法にはこの言葉がございません。そこで表現の上で
幾らか相違かあるわけでございますが、新
憲法、旧
憲法、その趣旨に変わりがないというのが、私
どもの見解でございます。と申しますのは、「
確定」という言葉は、「
確認する」とございますが、その「
確認」というような
意味に従来から解しておったのでございます。
憲法が改正しなりましても、その趣旨は同一であると考えております。それから「
確定」という言葉がここに出ておりますが、「
確定」という
意味につきましては、旧
憲法の「
確定」は、現在の院法における「
確認」と同じものであるということは、申し上げることができると存じのます。それから
現行法には、「
確定」という言葉はございません。従って、ここで「
確認」という言葉は「
確定」の
意味かということでございますが、旧
憲法にいったところの「
確定」という
意味であるということは申し上げることができますが、それ以上の「
確定」という言葉の中に積極的な何らかの
意味を持つということは、私
どもといたしましては、認識いたしておりません。
この問題は、ちょっと飛びますが、七番にございます、
決算が
決算として成立するのは、
内閣で、
閣議決定したときか、
会計検査院で
確認したときか、あるいは、
国会で
議決したときか。こういう
問題点が上がっておりますが、これとあわせての問題になりますが、私
どもの実務の立場といたしましては、
決算は、
大蔵大臣がこれを作成することになっております。実情を申し上げますと、
大蔵省がこれを作ります。そういう作成ということは、実定法上明瞭に
大蔵大臣が作るということに解しております。これを
会計検査院に送付をいたします。それから次いで
国会に
提出をいたします。その際には、それぞれ閣議の
決定を経ております。これは
決算を作成いたしますのは
大蔵大臣でございますが、これを
会計検査院に送付し、あるいは
国会に
提出するというのは、
内閣ということになっております。従って、
大蔵省といたしましては、これを作成いたしましたる上、
会計検査院に送付いたしたいので、閣議で御
決定を願いたい、
国会に
提出いたしたいので、
決定をお願いいたしたいということで、閣議の
決定を経ております。これは
内閣が行なう行為でございますから、
内閣が何事かをいたしますのは、閣議の
決定によるということが、
内閣法の規定に書いてございまするので、その手続に従っておる次第であります。
決算を作成した後にこの
提出の閣議というものがある
関係上、あるいは
内閣で
閣議決定をいたしたときに
決算というものができたのではないかというふうな御解釈も、
学者先生の中におありのようでございますが、私
ども、
法律解釈の点としては、その点は条文の問題を明確に
確認することができません。ただ、実情を申し上げまして御説明とするわけであります。
そこで、
決算について申し上げますと、
決算と申しますのは——言うまでもなく、
国会の
議決によりまして
予算ができる。それから
財政法あるいは
会計法、その他その両
法律の
特別法が一ぱいございまするが、そういう
法体系でいろいろな御指示を得ておるわけであります。その
議決に従いまして、今度は
予算執行、あるいは
会計法の執行、その他の
財政法規の執行ということをいたすわけでございます。最も典型的な場合は、
歳入の
賦課徴収、それから
歳出の契約、並びに
債務負担、並びに支出ということが最も顕著なことでありますが、それが
予算の実行になり、あるいは
会計法規の実行になり、
決算は、かかる実行をいたしましたるところをそのまま記述をいたしまして、これを取りまとめたところの
一つの記述でございます。
決算書といいますると、もう少しはっきりいたしますが、要するに、
大蔵大臣が作成いたしまする
決算は、すべてこの事実の記述でございます。すでに行なわれましたるところの事実の記述でございます。ただ、その中には、
歳入・
歳出ばかりではございません。
歳入・
歳出の結果として、
剰余金が
幾らになりましたと、意識的にこれを作ったものではありません。
剰余金というものは、
歳入と
歳出の結果、計算上出て参るものでありまして、それが
幾らでございますということの事実も記述いたしております。それから
特別会計あたりになりますと、
損益計算をいたします
会計がございます。こういう
会計につきましては、欠損あるいは利益というものがこういうふうになりましたということも、明らかにいたしております。その記述も含んでおるわけであります。しかしながら、その
剰余金が出たらこれをどうすべきかということは、すでに
財政法なり
会計法なりによって御指示が定められておるところでありまして、その御指示に従って処理すべき金額が
幾らであるかということが、初めて明らかになってくるということであります。それから
損益——欠損あるいは益金が出ました場合、それの処理につきましても、これは
会計法規によりまして、直接あるいは間接にすべて
国会の関与されますところの、いわゆる
憲法八十三条の規定にその精神を求めるのでございましょうが、
議決によりまするところの一切の訓令的な規定が整備されておるわけであります。それに従って行なった結果の記述でございます。と申しますことは、要するに、
決算書は、そういう報告、事実の記述でございます。報告ということは
——議案であるかないかというような御議論があるようですが、そういう問題を離れまして、また、報告ということでは
国会を軽視するものであるというような御議論に通ずる御感触もあるかと思いますが、そういう点を実は私最初から御理解を得たいと願っておったのでありますが、
決算というものの
本質そのものを見ますと、これは報告になる、さように解しております。ということは、それ自身が討議の命題を含んでおらないのでございまして、
規範性のないものでございます。この点は、私
どもの基本的な認識でございます。
一つの連想といたしまして、商法の場合の
計算書というのは、
剰余金処分案を含んでおります。それの
妥当性を立証する
意味を持つところの
貸借対照表以下の財務諸表というものも、
計算書に載っておりますが、これらの
議決——株主総会で
議決されることになると思いますが、これは
一つの規範の定立になるわけでございます。ところが、国の
決算の場合には、そういう
部分の立法的な指示というものは、すでに
予算なりあるいは
会計法規なりによって定立されております。その執行の結果の数字的な報告にすぎなくなっております。この点が、会社の
決算の場合と非常に違う点であろうと存じます。私自身あまり勉強いたしておりませんで、これは
大蔵省というより、むしろ私
担当官としての
関係になるのでありますが、
フランスあるいは
ベルギーあたりで
決算法という法の形をとっておるということでありまして、この法の
関係というのも、各国いろいろございましょう。必ずしも規範的な
意味のないような、非常に訓示的と申しますか、精神的な規定といったようなものが非常に発達しておる形式的な
法律も各国にございますから、
法律であるからどうこうということになかなかいかぬかもしれませんが、しかし、
決算が
法律であるという点、これが
ベルギーあるいは
フランスあたりにその例があるということを私も仄聞いたしておりましたが、申しわけないことに十分勉強しておらなかったのでありますが、過日
参考人の御口述の記録を拝見いたしまして、
フランスでございましたか、
ベルギーでございましたか、これにおきましては、やはりその中に
法規範を含んでおるようでございます。それは
剰余金の処分あるいは
欠損金の処理といったようなものについての一般的な規定が、まだ確立されておらない。そのつどそのつどにきめる。現在の日本の制度で申しますれば、
財政法の第六条、あるいはいろいろな
特別会計におきますところの欠損あるいは純益の処理の方式といったようなものについての
国会の
一般的議決がないようなもの、それが定立されておらないで、個々に、毎年度出たところで、さてどうするかということを御
議決になるという趣旨があるようでございます。こうなりますと、これは
一つの規範でございますから、まさに
法律であってもしかるべきものかという感じがいたします。本件については、それだけでございます。
以下、また戻りまして、こういう
関係で
決算というものの本質を考えておりますが、現実の
決算を見ますと、
歳入と
歳出に関して、いろいろな手続の段階におきますところの事項を
決算に盛るべきことが法定されております。これは
財政法の三十八条でございますが、
歳入につきましては、
歳入予算額、これは参考でございましょう。それから
徴収決定済額、
収納済歳入額、
不納欠損額、
収納未済歳入額、いずれもこれは
財政法規に基づきまして、徴収、収納に関する
財政法規の実施の各段階における実績を示す事項かと思いますが、それを明らかにすべきことが法定されております。それから
歳出につきましては、今度は
歳出金には間違いありませんが、むしろ
国会の
議決されました
歳出予算額、つまり
支出権限、
お金そのものよりも、
支出権限というものを中心にいたしてございます。従って、
予算額で
幾ら権限が与えられたか。前年度
予算中繰り越し使用している
権限が
幾らあったか。それから
予備費から
小切手を振り出すべき
予算支出権限に直したもの、つまり
予備費使用額が
幾らあるか。これら政府に許されたところの
小切手を振り出す
権限、あるいは契約する
権限は
幾らであるか。それからそれをほかに転用した分がどうなっておるかというのが流用でございますし、その
権限を使用した
支出済み額は
幾らであるか。それからその
権限を翌年度に繰り越す分が
幾らであるか。
権限を使わなかった分が
幾らであるか。このように、もっぱら
歳出権限の扱われ方の実績の記録を中心といたしております。しかしながら、そのほかに、
会計法規の
関係で、あるいは
財政法の
関係で、今申し上げましたような、いわば
決算取引と申しますか、そういうものに類するようなもの、あるいは
繰り越し手続のようなもの、規定によると、
剰余金が
幾ら幾らになります、こういうような記述、あるいは純益、あるいは欠損は
幾らになります。これは
法律の定めるところによってこういう処理になるわけですが、その規定の適用によると、こういう金額になりますというような記述も、この中に含まれております。従って、この「
確定」という
意味を
一つの
法規範と考えますと、いつから効力を発するか、いつから
拘束力を持つか、あるいはそれが定立されたものであるとかどうとかということが非常な積極的な
意味を持ち得ますけれ
ども、これは報告でございますから、
法規範の場合と比べまして、積極的な
意味は弱いのじゃないかと存じます。いずれにしても、実情は、
大蔵大臣が作成するということで考えておる次第であります。
大蔵大臣が作成いたしました以後は、これはいろいろなものの客体になっていく。
会計検査院の
検査確認しかりでございまして、
会計検査院でこれを
検査いたすわけでございます。
検査をいたしまして、それがしかるべきやいなや、あるいは法的に、あるいは条理の上からいって、あるいは経済的に
批判を下しまして、これを
批判、評価する。これが
確認の
意味であろうと存じます。それから
国会で
決算を御審議になりますのも、あくまで
決算書というものに対してこれを
批判いたしまして、しかも、それは
決算書そのものを通しまして、その
決算書に示されておるところの、個々の国の
財政処理のふるまいの
一つ一つのアクションが、しかるべきものであったかどうかということについての御
批判が下される、こういうふうに考えております。
それから「
内閣の
提出に関する問題」に入ります前に、
確認、未
確認の
部分につきましては、実は
検査院の主たる御意見が
意味を持つのであろうと思いますが、私
どもといたしましても
決算を作成いたしまして、皆さんに
提出いたしまする以上は、この
確認あるいは未
確認ということについて、当然関心を持たなければならないわけでございますが、
確認の
意味が、すでに申し上げましたような、そういう
批判をして、その
批判によるところの結論の
確定したものが、
確認されたるところでありましょうし、それから
検査はしておる、しておるが、これがしかるべきものである
かいなかということの結論に達しないものが、未
確認であろうかと存じます。従って、この(3)の御質問の「
会計検査院の
検査で
決算が
確定するとすれば」とございますが、今申し上げましたような
関係で、私
どもそういう前提をとっておりません。
それから(4)の
関係で申し上げまするならば、
会計検査院の
検査報告中の「その
検査を了して
内閣に回付する」と未
確認との
関係につきましては、
検査はすべて終わっておるわけでありますから、その未
確認という
部分は、それに対する
批判の結論がまだ出ていない、というふうに感じておる次第であります。
それから
財政法第四一十条に「
内閣は、
会計検査院の
検査を経た
歳入歳出決算を
国会に
提出する」とあるが、「
検査を経た」とは、
検査院の
確認部分だけで、未
確認部分を含まないのか、
確認、未
確認をともに含むものなのか、とございますが、私
どもは、
会計検査院の
検査を受けまする立場に立っておりますることから心得ております所存を申し上げまするならば、これは
検査を経ておると考えております。
検査は、先ほど申し上げましたように、
決算書の
検査でございますから、これはきわめて簡単なことでございます。ただ、その
検査をいたしました結果、それがしかるべきことである
かいなかということの結論は、これは事実問題でございまして、
確認の容易につく
部分と、時間をかけないと
確認のつかない
部分があろうかと存じます。しかし、いずれにしても、
検査を経たればこそそういう問題にぶつかるわけでございまして、従って、ともに含むものである、こういうふうに解釈いたしております。
それから
会計検査院の
検査は、
国会における
財政監督上の審査のための準備をなすものではないか、という御質問でございます。これは、あとにも似たような事項が出ておったと存じますが、
会計検査院自体は、
現行憲法制度で申し上げまするならば、私から申し上げますまでもなく、
一つの
憲法上の
必要機関ということになって、
内閣からの
独立性も
法律によって認められております。従って、これが国の専門の
検査機関としての
検査をしており、それ自体として
憲法上
意味があるものであると考えております。しかしながら、実際問題といたしまして、
国会における
財政監督、いわゆる一切
国会の
議決によって行動したわけですから、命令の
出しっぱなしということでは不十分なので、最後にどうやったか報告せい、これは、普通の場合、当然なことであります。従って、それが
財政処理の基本でございまするが、
財政監督という
意味におきましても、これは
検査院及び
国会が、最高の権威であることは当然であります。しかも、
国会に比べまして、
検査院は、その専門の職員も置いておりまするし、長い
間同一の仕事に従事しておる人も多いわけですから、その
検査というものの結果は、当然
国会における
財政監督上の審査のための準備としての重要な資料になるべきものであると考えます。ただし、実情を申し上げますと、
会計検査院の
批判は、違法な場合、あるいは不当な場合というものに大体限られます。それ以上の政策的な
批判というものは、政策の
政治的信条というものを前提といたしませんと、これは成り立たない次第でありますから、そういうものについては触れないのが、日本の現状になっておるわけです。しかし、
国会における
財政監督の場合におきましては、
検査院の
検査の範囲とは全然異なりまして——これを含むこと当然でありまするが、そのほかに、政治的な御所信なり国民の真意なりというものを基礎にいたしました、政治的な
政策批判というものが当然にあるわけでございまするから、その準備と申しましても、準備の一部にしかならないであろうということは言えるかと存じます。これらの点は、私
どもが直接の
関係ではございませんが、今のような御
批判が
国会で活発に行なわれることを、
財政当局といたしましては、非常に心から日ごろ要望しております立場もございまするので、あえて、蛇足でございましたが、申し上げさせていただいたわけであります。
それから「
内閣の
提出に関する問題」に移ります。
憲法第九十条には「
国会に提出しなければならない」と規定してあるが、各院別々に
提出しても差しつかえないか。それから、
内閣は
決算を
国会(正確には各院)に
提出しているが、
国会の審査並びに
議決を求めていると解す出るか、
内閣は
国会に議案として承認を求めて
提出してくる必要はないか、ということであります。この点につきましては、先ほど申し上げましたように、
決算の本質を、
一つの報告と考えております。これを
国会に
提出いたしまする場合には、これに対する御
批判を受けるというと、直接には
決算書の御
批判を受けるわけです。それから第二番目に、それを一皮むいて申し上げまするならば、その
決算書に現われました結果をもたらしましたところの
歳入・
歳出契約、あるいは在庫の評価といったようなものの
予算執行当局のやり方、そのやった事実、これに対する御
批判ということになるのでございましょうが、それを求めておるわけであります。従って、議案とするか、あるいは承認を求めるかというような点でございまするが、事柄は、今申し上げましたように、あくまで
国会の御
批判を仰ぐという趣旨で
提出をいたすべきものと考えております。この趣旨は、旧
憲法以来、その解釈を変えておりません。そういう
意味で
国会に出す。
国会は、両院でございますから、両院それぞれに提出をいたしておる次第でございます。その
提出をいたすことは
法律に書いてありますが、
提出する趣旨は何かといえば、今申し上げたように、御
批判を仰ぐ。その御
批判のきめ方につきまして、両院で同じような、調整のとれた手続でもって御
批判になるか、あるいは各院別々に御
批判になるかということにつきましては、私
ども、実は
国会法その他議案、議事というものに関する専門的な知識がございませんので、その点についての意見は、原則として差し控えさせていただきたいと存じます。ただ、いずれにいたしましても、
国会の御議論が、両院が一本であるという場合より、二本に分かれた場合には、それが弱いというような御議論もあるようであります。しかし、私
ども実際実務をやっておる側の率直な意見を申し上げますと、一院の
議決であるからといって、これを無視するとか、あるいはこれを軽視するとか、両院
議決の半分くらいにこれを評価するというような感触は、とうてい働かないのでございまして、御指摘の点につきましては、
国会の御
批判として十分けんけん服膺するという心がまえになっております。しかも、その御指摘の内容が、一院で御指摘になりましたものと、両院で御指摘になりましたものと、両方ございましても、なるべくあらゆる角度からあらゆる御
批判を承るということが、実は非常に内容が豊富になりますので、好ましいという感じを持っております。
それから「
提出してくる必要はないか」とございますが、言葉通り申し上げますれば、必要はないと存じます。承認と申しましても、これは
決算は、すでに済んだことであります。御指示に従ってやっており、その通りにやったわけですから、別におほめにあずかることでも何でもないわけです。ただ悪い点は、事実はどうにもならぬわけでありますから、そのやり方は悪い、あるいはそういうことをやっておった
内閣は悪いということで、御
批判を承る、こういうことであろうかと思います。
それから
国会における
決算の
取り扱いの問題でございますが、この辺も、実は私
どもの直接の
関係でございませんので、あまりストレートにものを申し上げるという、私
どもとしても確信を持ってはいけないと思うので、そこにはばかりがございます。そういうことで、あまり深く御説明する用意を持ち得ないのでございますが、(1)、(2)、(3)というようなことは今申し上げましたような説明で尽きておると存じます。
(4)の、
決算の審査は
会計検査院の
検査報告について行なうのでよいか、という御質問でございますが、これはまさに
国会の審査のやり方の問題でございまして、
国会自身で目的をお立てになりまして、一番いいと思われる方法によって行なわれるということであろうと存じます。
私は、以上、
決算の内容がその性質として報告であるということを申し上げましたが、どういう
意味でこの報告が
国会になされるのか、
提出といっておるのかということは、繰り返して申し上げますが、
国会の十分な御検討を待つということでございまして、単なる財政報告の場合のように、間接的に御了知を願うといった程度のものでは決してございません。これに対して、きわめて掘り下げた、そのもの、そのものに即した御
批判をいただくということが徹底することを非常に希望いたしておりますし、そういうものが、この
決算の
国会提出の
意味であろうと存じますので、審査は、そういう
意味から一番いいとお考えになります方法でおやり願うのが一番いいかと存じます。
それから、
国会の
決算審査は
会計検査院の未
確認事項に及べないものか、あるい及ぶべきものではないのか、ということでございます。これは、何か未
確認というのが
確定とからんだような御趣旨を前提としておる御質問かと思いますが、その点についての所見は、すでに申し上げましたところによって御理解願うといたしまして、省略をいたします。以上申し上げましたところに従って考えますならば、未
確認事項、
確認事項を問わず、
国会として御検討をなさいまして、十分の御
批判を賜わるということが、当然であろうかと思います。そもそもこの未
確認という事項ですら、現在におきましては、いろいろ国の仕事も多岐多端にわたっておりますから、それが違法であるか不当であるかということの判断を下すのに、いろいろ議論のある問題もあり、あるいは
法律解釈等の点につきまして意見の一致しないような問題もあり、結論が出がたい問題が出てくるということは、ある程度当然であろうと存じますが、やはり公の仕事でございますから、なるべく未
確認というようなことにならないように、早く
確認できるような、すっぱりした形でもって明快に事が行なわれているということが、何と申しても好ましいわけであります。従って、やむを得ざる未
確認事項であるか、あるいはやり方が多少明快を欠いておったために、
検査院がなかなか
確認できなかったのかというようなことは、やはり当然
国会側としての御
批判をちょうだいいたしまして、
予算の執行の改善に一歩でも近づくということになりますれば、幸甚の至りであろうと存じます。そういう
意味におきまして、
確認、未
確認という点を問わず、あらゆる面からの御
批判を賜わりたいものである、こう考えております。
それから(6)の問題は、先ほど
会計検査院の
関係ですでに申し上げましたので、これをもって充てて、御理解を願うことにいたしたいと存じます。
それから(7)の問題は、これは(1)、(2)、(3)と同じく、何分にも私
どもの方で御
批判を受ける方の側でございますから、こういう手続的なことについて四の五の申し上げるということは、筋が通らない、穏当を欠くと存じます。ただ、これは執行側の
財政当局といたしまして、何とぞ、その財政の執行が適実に行なわれるために、必要な点につきまして適切なる御
批判と御叱正をいただきたい、こういうふうに考えておる次第でございますが、それだけの気持を持っておりますことを申し上げまして、次に進みます。
(8)
決算の
議決は政府の責任を解除することを
意味するか。この御質問も、どうも私よく理解できませんが、
決算に関して
議決というのは、
決算を
法規範のごとくに、これを
議決して成立せしめるというような
意味での
議決か、あるいは
決算についての、現在
国会であそばしておるような
取り扱いであるか存じませんが、私は、私
どもの見解に基づいての解釈に従いまして、これについて申し上げますならば、現在行なわれております
国会の御
議決というものがあるわけです。各院の御
議決がありますが、これは政府の責任解除というようなことについての、直接の実定法上の規定はございません。しかし、
憲法八十三条によりまして、すべて
国会の
議決に基づいて処理すべきことになっておりますから、今度はそれについての御
批判を後に承りますならば、言った通りにやったかどうかということについての御
確認は願えておるわけでございますから、当然政府といたしましては、それでおしかりがなければほっとするということになる。しかし、すでに御
議決願いましたところに従わないでやったものについて、かんべんしていただくというか、特にあとでかんべんしていただくというような制度が、成り立つものとも考えておりませんし、現行の
法律の解釈といたしましても、財政制度というものの本質から見ましても、そういうふうなものは出て参らぬかと思います。ただ、一面
内閣は
国会に対して責任を負うわけでありますから、これらの規定とうらはらとなりまして、これらの点が責任の明確——責任を負っておるわけでありますから、その責任を果しておるかどうかということを判定する場合の、最も有力なる
一つの指標になるというふうに解しております。
それから(9)
内閣は、
決算を
国会に
提出するにあたって、
検査院の未
確認部分及び既往年度未
確認部分で
確認した
部分について、明記してくる必要はないか。これは事務的なことのようにも存じますし、それから本質的な問題のようにも考えられますが、御趣旨はいずれにございますか、私
どもといたしましては、
決算は、あくまで事実の記述でございます。その間において、それ自体としての価値の軽重はございません。いずれも真実を記しましたところの、事実の記述でございます。今度
検査院の
検査報告の方では、これに対して評価がございます。しかるべき
部分としからざる
部分の評価された御意見について——
検査院の報告の御意見の中には、当然そういう評価の命題が入っておると存じます。それをお下しに至らざる
部分が、未
確認の
部分ということになるかと存じます。しかし、これらの評価の高いもの、あるいは評価の悪いもの、あるいは評価し得ないものというようなものは、
検査院の
検査の結論についての区分でありまして、
決算それ自体の属性ではないと存じます。なお、実際に
決算の御検討を
国会でなさいます場合におきましても、現在の
検査院の
確認、未
確認の区分は明確になっておりまするし、他に、さらに必要であればその資料を取り寄せることもできるのでありましょうから、それらについての手続は、必要がある限りおとりになるということになろうかと存じます。
それから、
決算は新
憲法が「
国会を国権の最高機関」となし、「
国会中心財政主義」をとっている以上、
予算と同様
国会の
議決によって初めて
国会の
財政監督権を全うすることにならないか。それからこれを敷衍されたのだと思いますが、(イ)から(ヘ)まで出ております。(イ)
内閣は
国会に
決算の承認を求めて提出することを規定して差しつかえないか。(ロ)右の
提出にあたっては
予算に準じ、まず衆議院に
提出することを規定して差しつかえないか。(ハ)衆議院で承認後参議院に送付し、参議院が承認しない場合は両院協議会を開き、それで協議がととのわない場合には、衆議院の
議決をもって、
国会の
議決とすることを規定して差しつかえないか。(ニ)
決算の承認を求むるの件の
議決は承認する
かいなかを決するので、
部分議決は許されないのではないか。(ホ)
決算の承認を求むるの件を
議決するに際し、政府の措置に不法または不当の個所があれば、これを附帯決議として、政府に警告し、あるいは独立の警告決議を
決定するという
取り扱いでよいか。(ヘ)
国会の承認は、政府の
国会に対する責任を解除するものであり、また
決算に関する最終的な
確定あるいは
確認と見てよいか。これらの点につきましては、大体一連の問題でございますが、(ヘ)を除きまして、(イ)から(ホ)までについて一括しての私
どもの心覚えを申し上げさせていただきますならば、先ほ
ども申し上げましたように、
国会が国権の最高機関であることはもちろんであり、
国会中心の財政主義であることはもちろんでございます。この点については、もちろん疑いのないところでありまして、すでに大権経費も、既定経費も、責任支出も、そういうものは全然その余地がない。給与あたりにつきましても、すべて法定主義ということになっておりますから、それらの点は問題ないのでありますが、いずれにいたしましても、そういう御指示に従って行動する、そういうことであります。現行制度はすべてそういうことになっておりますが、
決算はすでに行動いたしました事実の内容の記述でございますので、これについて、こういうふうに
決算を書け、ああいうふうに書けというような御指示というものは、本質的にないわけであります。すでに個々の行為について御指示がありまして、それに従ってやっている次第でございますから、その余地がないものと考えます。
それから次は、承認というようなことでございますが、承認というのは、いわゆる
予備費の支出の承認といったような場合がございますし、それから報告といえば、財政報告、事業報告というようなものがございます。本件について特に
提出いたしました趣旨は、事柄は報告である。しかしながら、報告は、単に届け出るという
意味ではないのであって、これによって、財政の執行の個々の行為に対する
批判が、当然に期待されるわけです。それは個々の取引の違法、不当ということも、もちろんであります。しかも、個々の施策に対する
批判ということももちろんであるが、さらにはそれを総合いたしまして、いわゆる
内閣責任といったようなものにも通ずるところの
批判となるものでございます。しかし、いわゆる事後承認といったようなものではございませんで、すべて御指示に従ってやっていることでございますから、御指示にたがった
部分が出て参る、いわゆる違法といったようなもの、たがっているというようなものは、おしかりは受ける余地はありますが、それ以外のものについて、特にあらためて何らかの責任の解除というような式のものは、その通りやっております限りにおいては、法制上無理ではないかという感じを持っております。
なお、問題は御
批判であります。これがきわめて適切に、そのしからざるところを剔抉していただくということが、一番大事であろうと思います。従って、
決算の
議決というような一括的な御意思を表示していただくよりも、やはり個々に、具体的な問題についての御検討がなされることこそが、私
どもとしては非常に望ましいと考えております。
国会のようなこういう会議体の組織でございますから、おのずから限界があるかもしれませんが、それはそれといたしまして、やはりそういう点を具体的に剔抉される。
予算というものは、もちろん一本になっておりますけれ
ども、中で、科目のうち項というものは、歴史的にも非常に大事なものになっております。これが大体行政目的を現わすことになっておるわけでありまして、
予算全体が、しかるべき
予算であるかどうか、あるいは国民経済的影響から見てどうであるとかこうであるとかいうような問題、あるいは政策の大綱から見てどうであるとかこうであるとかいう御
批判も、もちろん大事でありましょうが、折り入っての個々の内容の御
批判になりますと、
部分々々の御
批判ということが非常に大事なことかと存じます。そういう
意味で附帯決議というようなお考えも起こるのかと思いますが、私
どもとしましては、むしろこういう点をきわめて具体的に御
批判が出まして、それが
予算の審議、あるいは
予算の編成の際の論議というところのものでは到達し得ないような、
決算の審議で初めてこれが動かないもの、逃げ隠れができないものとして把握され、それによって今後の
財政運営が正常になり、あるいは正しい政府が持たれていくということになることが、非常に好ましい。そうなりまして、
決算というもののほんとうの
意味を全うすることができると存じます。従って、この(ニ)、(ホ)あたりに書いてございます御趣旨の底にあるところの、個々の御
批判というもの、これはきわめて重要なことであるというふうに私
どもは考えております。もちろん、これが重要であるかどうかをほんとうにおきめになるのは
国会御自身でございますが、われわれの立場といたしまして、半ば希望を込めまして申し上げさせていただきますならば、そういうことでございます。
それから
国会の承認の問題ですが、これは先ほど申し上げました通りでございます。「
決算に関する最終的な
確定あるいは
確認と見てよいか」ということにつきましても、すでに先ほど申し上げたところによって御理解願いたいと存じます。
以上がこの事柄に対する認識であります。
ただ、先ほ
ども申し上げましたように、財政の処理は、一切
国会の
議決によりまして、御指示を得てやっておるものである。それによって、あるいは
予算の形、あるいは
法律の形ということでできております。それから執行がなされ、その報告がなされるわけであります。報告の内容は、すでに事実ができてしまったあとですから、どうにもしようがございませんが、最後に、これをまた御命令を受けた向きに、その結果を報告するということであります。これをもって一連の財政作用というものが、そこで一応の締めくくりを見るという
意味におきまして、私は、
決算は
一つの重要な関門であるというふうには考えます。しかし、
決算そのものの技術的な本質というものから見まして、これが
確定あるいは
確認というものと、
国会とは
関係はございません、というふうに考えております。あくまで作成され、
確認されたところの
決算というものに対して、
国会はこれを
批判をなさるということになりますので、そのように考えておるという次第でございます。
言葉が少しかたくなりまして、あるいは誤解を招くおそれがあるということを私は初めから心配しておりますが、事柄は、今申し上げました通りであります。ただ、表現におきまして多少かたくなりまして、適切を欠いた点があるかもしれません。そういう点につきましては、真意は冒頭に申し上げました通りでございますので、重ねて御理解をお願い申し上げておきます。
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