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1960-04-08 第34回国会 衆議院 決算委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年四月八日(金曜日)     午前十時三十八分開議  出席委員    委員長 鈴木 正吾君    理事 鹿野 彦吉君 理事 高橋 禎一君    理事 小川 豊明君 理事 高田 富之君       愛知 揆一君    大倉 三郎君       小山 長規君    淡谷 悠藏君       神近 市子君    久保 三郎君       森本  靖君    山田 長司君  出席政府委員         大蔵事務官         (主計局司計課         長)      末廣 義一君  委員外出席者         大蔵事務官         (主計局総務課         長)      中尾 博之君         専  門  員 黒田 久太君     ————————————— 本日の会議に付した案件  国会決算審査に関する件      ————◇—————
  2. 鈴木正吾

    鈴木委員長 これより決算委員会を開会いたします。  国会決算審査に関する件について、調査を進めます。  本日は、大蔵省主計局より中尾総務課長、末廣司計課長出席されております。  御出席諸君に申し上げます。すでに御承知のごとく、当委員会は、国会決算審査に関し検討を進めておりますが、本日は政府側関係者として諸君出席をいただき、大蔵省側としての説明ないしは見解をお示しいただきたいと存じます。御発言をいただく点は、あらかじめお渡しいたしてあります「国会決算審査に関する諸問題」に掲げられてあります諸点を中心として、特に決算確定の問題、検査院の未確認部分財政法第四十条の提出の問題、憲法第九十条に「国会提出」とあるのに、各院別々に提出されている取り扱い問題等について、御発言をいただきたいと存じます。中尾総務課長
  3. 中尾博之

    中尾説明員 御指名によりまして、ただいまお話の点につきまして申し上げたいと存じます。これは正式のものかどうか存じませんが、事前に「国会決算審査に関する諸問題」というメモを実はちょうだいいたしておりますので、これに従いまして申し上げさせていただきたいと思います。  なお、実は最初二つほどお断わりしおきたいと存じます。一つは、事が法律解釈に関する問題に非常に触れております。しかも、それは憲法に直結するような、国の法制としてきわめて大事な部分に触れるものがございまするので、これに対する解釈あるいは立法論的意見等につきまして申し上げるという点については、実は私ども大蔵省でございまするが、内閣といたしまして、法制局によるところの法制的な統一を経ませんと、ファイナルな政府としての見解ということで申し上げることには、はばかりがある次第であります。法制局の方にも連絡をいたしましたけれども、別途お呼び出しがあったそうでありまするが、法制局としても何かそれの検討になお時間を要するということで、その打ち合わせをまだ了することができません。その段階で申し上げるということになりまするので、私どもも、申し上げることができる部分につきましては、なるべく率直に申し上げるつもりでございまするが、なお、そういうような点につきましては、法制局の見解というものもございまするし、法制局との論議によってなお明確になる部分もあるかと存じまするので、そういう点について留保せざるを得ない状況で本日私がここへ参っております。私が参考人で参っておりますると、その点がだいぶ気楽でございまするが、一応大蔵省の見解を示せということでございまするので、それは大蔵省限りの見解を示せばそれでいいといえば何でございますが、やはり政府の一省といたしまして、責任のあるなにを申し上げなければいかぬと存じますので、できる限りそういうふうに私は努力いたしまするが、その点の本日の私の立場を、そういうふうに御理解をいただきたい。  それからもう一つは、いろいろ御議論を仄聞いたしておりますが、私どもといたしましては、実は各省の決算の総括をいたしまして、それで国会提出をして、この御批判を受ける立場にあるわけでございまして、いわば被告でございます。そういう立場からものを申し上げるわけで、そういう意味におきましても、私どもとしては、非常なはばかりを実は感ずるわけでございます。しかも、また決算を総括いたし、あるいは予算の編成をいたすという立場から申しまして、われわれといたしましては、この決算制度国会決算の御審議ということについては、非常にこれを重要に考えておる次第でございます。これが活発に、かつ、効率的にその効果をおさめまして、財政運営が国民の総意になるべく一歩でも近くなるということにつきまして、私どもとしては、実は限りない期待を抱いておる次第でございます。以下申し上げます内容の表現につきましては、いささか事務的にわたる部分もございます。しかし、今申し上げましたような気持が前提でございますから、私、せいぜい以下気をつけて申し上げるつもりでございますが、これらの点、ものの言い方におきまして、あるいはそういうことの価値判断において、おろそかに考えておるのではないかというような誤解を招くことを非常におそれます。しかし、きわめて率直に申し上りたい。しかも、われわれの真意といんしまして、基本的には決算に対するそういう私どもの考え方がございますので、その点もあらかじめ御理解をいただきたいと存じます。  最初に、決算取り扱いに関する諸問題として、御提示になりましたメモに従って申し上げます。(1)は、旧憲法第七十二条には、「会計検査院之ヲ検査確定シ」とあるが、新憲法第九十条には「会計検査院検査し」とありまして、「確定し」がない。「確定し」がなくても、旧憲法と同様に、会計検査院検査確定すると見るかどうか。  (2)は、会計検査院法第二十一条の「検査の結果により、国の収入支出決算確認する。」とは、確定意味か。  この二つについて私どもの実務の面からの所見を申し上げます。  旧憲法に「確定」という言葉がございます。新憲法にはこの言葉がございません。そこで表現の上で幾らか相違かあるわけでございますが、新憲法、旧憲法、その趣旨に変わりがないというのが、私どもの見解でございます。と申しますのは、「確定」という言葉は、「確認する」とございますが、その「確認」というような意味に従来から解しておったのでございます。憲法が改正しなりましても、その趣旨は同一であると考えております。それから「確定」という言葉がここに出ておりますが、「確定」という意味につきましては、旧憲法の「確定」は、現在の院法における「確認」と同じものであるということは、申し上げることができると存じのます。それから現行法には、「確定」という言葉はございません。従って、ここで「確認」という言葉は「確定」の意味かということでございますが、旧憲法にいったところの「確定」という意味であるということは申し上げることができますが、それ以上の「確定」という言葉の中に積極的な何らかの意味を持つということは、私どもといたしましては、認識いたしておりません。  この問題は、ちょっと飛びますが、七番にございます、決算決算として成立するのは、内閣で、閣議決定したときか、会計検査院確認したときか、あるいは、国会議決したときか。こういう問題点が上がっておりますが、これとあわせての問題になりますが、私どもの実務の立場といたしましては、決算は、大蔵大臣がこれを作成することになっております。実情を申し上げますと、大蔵省がこれを作ります。そういう作成ということは、実定法上明瞭に大蔵大臣が作るということに解しております。これを会計検査院に送付をいたします。それから次いで国会提出をいたします。その際には、それぞれ閣議の決定を経ております。これは決算を作成いたしますのは大蔵大臣でございますが、これを会計検査院に送付し、あるいは国会提出するというのは、内閣ということになっております。従って、大蔵省といたしましては、これを作成いたしましたる上、会計検査院に送付いたしたいので、閣議で御決定を願いたい、国会提出いたしたいので、決定をお願いいたしたいということで、閣議の決定を経ております。これは内閣が行なう行為でございますから、内閣が何事かをいたしますのは、閣議の決定によるということが、内閣法の規定に書いてございまするので、その手続に従っておる次第であります。決算を作成した後にこの提出の閣議というものがある関係上、あるいは内閣閣議決定をいたしたときに決算というものができたのではないかというふうな御解釈も、学者先生の中におありのようでございますが、私ども法律解釈の点としては、その点は条文の問題を明確に確認することができません。ただ、実情を申し上げまして御説明とするわけであります。  そこで、決算について申し上げますと、決算と申しますのは——言うまでもなく、国会議決によりまして予算ができる。それから財政法あるいは会計法、その他その両法律特別法が一ぱいございまするが、そういう法体系でいろいろな御指示を得ておるわけであります。その議決に従いまして、今度は予算執行、あるいは会計法の執行、その他の財政法規の執行ということをいたすわけでございます。最も典型的な場合は、歳入賦課徴収、それから歳出の契約、並びに債務負担、並びに支出ということが最も顕著なことでありますが、それが予算の実行になり、あるいは会計法規の実行になり、決算は、かかる実行をいたしましたるところをそのまま記述をいたしまして、これを取りまとめたところの一つの記述でございます。決算書といいますると、もう少しはっきりいたしますが、要するに、大蔵大臣が作成いたしまする決算は、すべてこの事実の記述でございます。すでに行なわれましたるところの事実の記述でございます。ただ、その中には、歳入歳出ばかりではございません。歳入歳出の結果として、剰余金幾らになりましたと、意識的にこれを作ったものではありません。剰余金というものは、歳入歳出の結果、計算上出て参るものでありまして、それが幾らでございますということの事実も記述いたしております。それから特別会計あたりになりますと、損益計算をいたします会計がございます。こういう会計につきましては、欠損あるいは利益というものがこういうふうになりましたということも、明らかにいたしております。その記述も含んでおるわけであります。しかしながら、その剰余金が出たらこれをどうすべきかということは、すでに財政法なり会計法なりによって御指示が定められておるところでありまして、その御指示に従って処理すべき金額が幾らであるかということが、初めて明らかになってくるということであります。それから損益——欠損あるいは益金が出ました場合、それの処理につきましても、これは会計法規によりまして、直接あるいは間接にすべて国会の関与されますところの、いわゆる憲法八十三条の規定にその精神を求めるのでございましょうが、議決によりまするところの一切の訓令的な規定が整備されておるわけであります。それに従って行なった結果の記述でございます。と申しますことは、要するに、決算書は、そういう報告、事実の記述でございます。報告ということは——議案であるかないかというような御議論があるようですが、そういう問題を離れまして、また、報告ということでは国会を軽視するものであるというような御議論に通ずる御感触もあるかと思いますが、そういう点を実は私最初から御理解を得たいと願っておったのでありますが、決算というものの本質そのものを見ますと、これは報告になる、さように解しております。ということは、それ自身が討議の命題を含んでおらないのでございまして、規範性のないものでございます。この点は、私どもの基本的な認識でございます。  一つの連想といたしまして、商法の場合の計算書というのは、剰余金処分案を含んでおります。それの妥当性を立証する意味を持つところの貸借対照表以下の財務諸表というものも、計算書に載っておりますが、これらの議決——株主総会議決されることになると思いますが、これは一つの規範の定立になるわけでございます。ところが、国の決算の場合には、そういう部分の立法的な指示というものは、すでに予算なりあるいは会計法規なりによって定立されております。その執行の結果の数字的な報告にすぎなくなっております。この点が、会社の決算の場合と非常に違う点であろうと存じます。私自身あまり勉強いたしておりませんで、これは大蔵省というより、むしろ私担当官としての関係になるのでありますが、フランスあるいはベルギーあたり決算法という法の形をとっておるということでありまして、この法の関係というのも、各国いろいろございましょう。必ずしも規範的な意味のないような、非常に訓示的と申しますか、精神的な規定といったようなものが非常に発達しておる形式的な法律も各国にございますから、法律であるからどうこうということになかなかいかぬかもしれませんが、しかし、決算法律であるという点、これがベルギーあるいはフランスあたりにその例があるということを私も仄聞いたしておりましたが、申しわけないことに十分勉強しておらなかったのでありますが、過日参考人の御口述の記録を拝見いたしまして、フランスでございましたか、ベルギーでございましたか、これにおきましては、やはりその中に法規範を含んでおるようでございます。それは剰余金の処分あるいは欠損金の処理といったようなものについての一般的な規定が、まだ確立されておらない。そのつどそのつどにきめる。現在の日本の制度で申しますれば、財政法の第六条、あるいはいろいろな特別会計におきますところの欠損あるいは純益の処理の方式といったようなものについての国会一般的議決がないようなもの、それが定立されておらないで、個々に、毎年度出たところで、さてどうするかということを御議決になるという趣旨があるようでございます。こうなりますと、これは一つの規範でございますから、まさに法律であってもしかるべきものかという感じがいたします。本件については、それだけでございます。  以下、また戻りまして、こういう関係決算というものの本質を考えておりますが、現実の決算を見ますと、歳入歳出に関して、いろいろな手続の段階におきますところの事項を決算に盛るべきことが法定されております。これは財政法の三十八条でございますが、歳入につきましては、歳入予算額、これは参考でございましょう。それから徴収決定済額収納済歳入額不納欠損額収納未済歳入額、いずれもこれは財政法規に基づきまして、徴収、収納に関する財政法規の実施の各段階における実績を示す事項かと思いますが、それを明らかにすべきことが法定されております。それから歳出につきましては、今度は歳出金には間違いありませんが、むしろ国会議決されました歳出予算額、つまり支出権限お金そのものよりも、支出権限というものを中心にいたしてございます。従って、予算額幾ら権限が与えられたか。前年度予算中繰り越し使用している権限幾らあったか。それから予備費から小切手を振り出すべき予算支出権限に直したもの、つまり予備費使用額幾らあるか。これら政府に許されたところの小切手を振り出す権限、あるいは契約する権限幾らであるか。それからそれをほかに転用した分がどうなっておるかというのが流用でございますし、その権限を使用した支出済み額幾らであるか。それからその権限を翌年度に繰り越す分が幾らであるか。権限を使わなかった分が幾らであるか。このように、もっぱら歳出権限の扱われ方の実績の記録を中心といたしております。しかしながら、そのほかに、会計法規関係で、あるいは財政法関係で、今申し上げましたような、いわば決算取引と申しますか、そういうものに類するようなもの、あるいは繰り越し手続のようなもの、規定によると、剰余金幾ら幾らになります、こういうような記述、あるいは純益、あるいは欠損は幾らになります。これは法律の定めるところによってこういう処理になるわけですが、その規定の適用によると、こういう金額になりますというような記述も、この中に含まれております。従って、この「確定」という意味一つ法規範と考えますと、いつから効力を発するか、いつから拘束力を持つか、あるいはそれが定立されたものであるとかどうとかということが非常な積極的な意味を持ち得ますけれども、これは報告でございますから、法規範の場合と比べまして、積極的な意味は弱いのじゃないかと存じます。いずれにしても、実情は、大蔵大臣が作成するということで考えておる次第であります。大蔵大臣が作成いたしました以後は、これはいろいろなものの客体になっていく。会計検査院検査確認しかりでございまして、会計検査院でこれを検査いたすわけでございます。検査をいたしまして、それがしかるべきやいなや、あるいは法的に、あるいは条理の上からいって、あるいは経済的に批判を下しまして、これを批判、評価する。これが確認意味であろうと存じます。それから国会決算を御審議になりますのも、あくまで決算書というものに対してこれを批判いたしまして、しかも、それは決算書そのものを通しまして、その決算書に示されておるところの、個々の国の財政処理のふるまいの一つ一つのアクションが、しかるべきものであったかどうかということについての御批判が下される、こういうふうに考えております。  それから「内閣提出に関する問題」に入ります前に、確認、未確認部分につきましては、実は検査院の主たる御意見が意味を持つのであろうと思いますが、私どもといたしましても決算を作成いたしまして、皆さんに提出いたしまする以上は、この確認あるいは未確認ということについて、当然関心を持たなければならないわけでございますが、確認意味が、すでに申し上げましたような、そういう批判をして、その批判によるところの結論の確定したものが、確認されたるところでありましょうし、それから検査はしておる、しておるが、これがしかるべきものであるかいなかということの結論に達しないものが、未確認であろうかと存じます。従って、この(3)の御質問の「会計検査院検査決算確定するとすれば」とございますが、今申し上げましたような関係で、私どもそういう前提をとっておりません。  それから(4)の関係で申し上げまするならば、会計検査院検査報告中の「その検査を了して内閣に回付する」と未確認との関係につきましては、検査はすべて終わっておるわけでありますから、その未確認という部分は、それに対する批判の結論がまだ出ていない、というふうに感じておる次第であります。  それから財政法第四一十条に「内閣は、会計検査院検査を経た歳入歳出決算国会提出する」とあるが、「検査を経た」とは、検査院確認部分だけで、未確認部分を含まないのか、確認、未確認をともに含むものなのか、とございますが、私どもは、会計検査院検査を受けまする立場に立っておりますることから心得ております所存を申し上げまするならば、これは検査を経ておると考えております。検査は、先ほど申し上げましたように、決算書検査でございますから、これはきわめて簡単なことでございます。ただ、その検査をいたしました結果、それがしかるべきことであるかいなかということの結論は、これは事実問題でございまして、確認の容易につく部分と、時間をかけないと確認のつかない部分があろうかと存じます。しかし、いずれにしても、検査を経たればこそそういう問題にぶつかるわけでございまして、従って、ともに含むものである、こういうふうに解釈いたしております。  それから会計検査院検査は、国会における財政監督上の審査のための準備をなすものではないか、という御質問でございます。これは、あとにも似たような事項が出ておったと存じますが、会計検査院自体は、現行憲法制度で申し上げまするならば、私から申し上げますまでもなく、一つ憲法上の必要機関ということになって、内閣からの独立性法律によって認められております。従って、これが国の専門の検査機関としての検査をしており、それ自体として憲法意味があるものであると考えております。しかしながら、実際問題といたしまして、国会における財政監督、いわゆる一切国会議決によって行動したわけですから、命令の出しっぱなしということでは不十分なので、最後にどうやったか報告せい、これは、普通の場合、当然なことであります。従って、それが財政処理の基本でございまするが、財政監督という意味におきましても、これは検査院及び国会が、最高の権威であることは当然であります。しかも、国会に比べまして、検査院は、その専門の職員も置いておりまするし、長い間同一の仕事に従事しておる人も多いわけですから、その検査というものの結果は、当然国会における財政監督上の審査のための準備としての重要な資料になるべきものであると考えます。ただし、実情を申し上げますと、会計検査院批判は、違法な場合、あるいは不当な場合というものに大体限られます。それ以上の政策的な批判というものは、政策の政治的信条というものを前提といたしませんと、これは成り立たない次第でありますから、そういうものについては触れないのが、日本の現状になっておるわけです。しかし、国会における財政監督の場合におきましては、検査院検査の範囲とは全然異なりまして——これを含むこと当然でありまするが、そのほかに、政治的な御所信なり国民の真意なりというものを基礎にいたしました、政治的な政策批判というものが当然にあるわけでございまするから、その準備と申しましても、準備の一部にしかならないであろうということは言えるかと存じます。これらの点は、私どもが直接の関係ではございませんが、今のような御批判国会で活発に行なわれることを、財政当局といたしましては、非常に心から日ごろ要望しております立場もございまするので、あえて、蛇足でございましたが、申し上げさせていただいたわけであります。  それから「内閣提出に関する問題」に移ります。  憲法第九十条には「国会に提出しなければならない」と規定してあるが、各院別々に提出しても差しつかえないか。それから、内閣決算国会(正確には各院)に提出しているが、国会の審査並びに議決を求めていると解す出るか、内閣国会に議案として承認を求めて提出してくる必要はないか、ということであります。この点につきましては、先ほど申し上げましたように、決算の本質を、一つの報告と考えております。これを国会提出いたしまする場合には、これに対する御批判を受けるというと、直接には決算書の御批判を受けるわけです。それから第二番目に、それを一皮むいて申し上げまするならば、その決算書に現われました結果をもたらしましたところの歳入歳出契約、あるいは在庫の評価といったようなものの予算執行当局のやり方、そのやった事実、これに対する御批判ということになるのでございましょうが、それを求めておるわけであります。従って、議案とするか、あるいは承認を求めるかというような点でございまするが、事柄は、今申し上げましたように、あくまで国会の御批判を仰ぐという趣旨で提出をいたすべきものと考えております。この趣旨は、旧憲法以来、その解釈を変えておりません。そういう意味国会に出す。国会は、両院でございますから、両院それぞれに提出をいたしておる次第でございます。その提出をいたすことは法律に書いてありますが、提出する趣旨は何かといえば、今申し上げたように、御批判を仰ぐ。その御批判のきめ方につきまして、両院で同じような、調整のとれた手続でもって御批判になるか、あるいは各院別々に御批判になるかということにつきましては、私ども、実は国会法その他議案、議事というものに関する専門的な知識がございませんので、その点についての意見は、原則として差し控えさせていただきたいと存じます。ただ、いずれにいたしましても、国会の御議論が、両院が一本であるという場合より、二本に分かれた場合には、それが弱いというような御議論もあるようであります。しかし、私ども実際実務をやっておる側の率直な意見を申し上げますと、一院の議決であるからといって、これを無視するとか、あるいはこれを軽視するとか、両院議決の半分くらいにこれを評価するというような感触は、とうてい働かないのでございまして、御指摘の点につきましては、国会の御批判として十分けんけん服膺するという心がまえになっております。しかも、その御指摘の内容が、一院で御指摘になりましたものと、両院で御指摘になりましたものと、両方ございましても、なるべくあらゆる角度からあらゆる御批判を承るということが、実は非常に内容が豊富になりますので、好ましいという感じを持っております。  それから「提出してくる必要はないか」とございますが、言葉通り申し上げますれば、必要はないと存じます。承認と申しましても、これは決算は、すでに済んだことであります。御指示に従ってやっており、その通りにやったわけですから、別におほめにあずかることでも何でもないわけです。ただ悪い点は、事実はどうにもならぬわけでありますから、そのやり方は悪い、あるいはそういうことをやっておった内閣は悪いということで、御批判を承る、こういうことであろうかと思います。  それから国会における決算取り扱いの問題でございますが、この辺も、実は私どもの直接の関係でございませんので、あまりストレートにものを申し上げるという、私どもとしても確信を持ってはいけないと思うので、そこにはばかりがございます。そういうことで、あまり深く御説明する用意を持ち得ないのでございますが、(1)、(2)、(3)というようなことは今申し上げましたような説明で尽きておると存じます。  (4)の、決算の審査は会計検査院検査報告について行なうのでよいか、という御質問でございますが、これはまさに国会の審査のやり方の問題でございまして、国会自身で目的をお立てになりまして、一番いいと思われる方法によって行なわれるということであろうと存じます。  私は、以上、決算の内容がその性質として報告であるということを申し上げましたが、どういう意味でこの報告が国会になされるのか、提出といっておるのかということは、繰り返して申し上げますが、国会の十分な御検討を待つということでございまして、単なる財政報告の場合のように、間接的に御了知を願うといった程度のものでは決してございません。これに対して、きわめて掘り下げた、そのもの、そのものに即した御批判をいただくということが徹底することを非常に希望いたしておりますし、そういうものが、この決算国会提出意味であろうと存じますので、審査は、そういう意味から一番いいとお考えになります方法でおやり願うのが一番いいかと存じます。  それから、国会決算審査会計検査院の未確認事項に及べないものか、あるい及ぶべきものではないのか、ということでございます。これは、何か未確認というのが確定とからんだような御趣旨を前提としておる御質問かと思いますが、その点についての所見は、すでに申し上げましたところによって御理解願うといたしまして、省略をいたします。以上申し上げましたところに従って考えますならば、未確認事項、確認事項を問わず、国会として御検討をなさいまして、十分の御批判を賜わるということが、当然であろうかと思います。そもそもこの未確認という事項ですら、現在におきましては、いろいろ国の仕事も多岐多端にわたっておりますから、それが違法であるか不当であるかということの判断を下すのに、いろいろ議論のある問題もあり、あるいは法律解釈等の点につきまして意見の一致しないような問題もあり、結論が出がたい問題が出てくるということは、ある程度当然であろうと存じますが、やはり公の仕事でございますから、なるべく未確認というようなことにならないように、早く確認できるような、すっぱりした形でもって明快に事が行なわれているということが、何と申しても好ましいわけであります。従って、やむを得ざる未確認事項であるか、あるいはやり方が多少明快を欠いておったために、検査院がなかなか確認できなかったのかというようなことは、やはり当然国会側としての御批判をちょうだいいたしまして、予算の執行の改善に一歩でも近づくということになりますれば、幸甚の至りであろうと存じます。そういう意味におきまして、確認、未確認という点を問わず、あらゆる面からの御批判を賜わりたいものである、こう考えております。  それから(6)の問題は、先ほど会計検査院関係ですでに申し上げましたので、これをもって充てて、御理解を願うことにいたしたいと存じます。  それから(7)の問題は、これは(1)、(2)、(3)と同じく、何分にも私どもの方で御批判を受ける方の側でございますから、こういう手続的なことについて四の五の申し上げるということは、筋が通らない、穏当を欠くと存じます。ただ、これは執行側の財政当局といたしまして、何とぞ、その財政の執行が適実に行なわれるために、必要な点につきまして適切なる御批判と御叱正をいただきたい、こういうふうに考えておる次第でございますが、それだけの気持を持っておりますことを申し上げまして、次に進みます。  (8)決算議決は政府の責任を解除することを意味するか。この御質問も、どうも私よく理解できませんが、決算に関して議決というのは、決算法規範のごとくに、これを議決して成立せしめるというような意味での議決か、あるいは決算についての、現在国会であそばしておるような取り扱いであるか存じませんが、私は、私どもの見解に基づいての解釈に従いまして、これについて申し上げますならば、現在行なわれております国会の御議決というものがあるわけです。各院の御議決がありますが、これは政府の責任解除というようなことについての、直接の実定法上の規定はございません。しかし、憲法八十三条によりまして、すべて国会議決に基づいて処理すべきことになっておりますから、今度はそれについての御批判を後に承りますならば、言った通りにやったかどうかということについての御確認は願えておるわけでございますから、当然政府といたしましては、それでおしかりがなければほっとするということになる。しかし、すでに御議決願いましたところに従わないでやったものについて、かんべんしていただくというか、特にあとでかんべんしていただくというような制度が、成り立つものとも考えておりませんし、現行の法律の解釈といたしましても、財政制度というものの本質から見ましても、そういうふうなものは出て参らぬかと思います。ただ、一面内閣国会に対して責任を負うわけでありますから、これらの規定とうらはらとなりまして、これらの点が責任の明確——責任を負っておるわけでありますから、その責任を果しておるかどうかということを判定する場合の、最も有力なる一つの指標になるというふうに解しております。  それから(9)内閣は、決算国会提出するにあたって、検査院の未確認部分及び既往年度未確認部分確認した部分について、明記してくる必要はないか。これは事務的なことのようにも存じますし、それから本質的な問題のようにも考えられますが、御趣旨はいずれにございますか、私どもといたしましては、決算は、あくまで事実の記述でございます。その間において、それ自体としての価値の軽重はございません。いずれも真実を記しましたところの、事実の記述でございます。今度検査院検査報告の方では、これに対して評価がございます。しかるべき部分としからざる部分の評価された御意見について——検査院の報告の御意見の中には、当然そういう評価の命題が入っておると存じます。それをお下しに至らざる部分が、未確認部分ということになるかと存じます。しかし、これらの評価の高いもの、あるいは評価の悪いもの、あるいは評価し得ないものというようなものは、検査院検査の結論についての区分でありまして、決算それ自体の属性ではないと存じます。なお、実際に決算の御検討を国会でなさいます場合におきましても、現在の検査院確認、未確認の区分は明確になっておりまするし、他に、さらに必要であればその資料を取り寄せることもできるのでありましょうから、それらについての手続は、必要がある限りおとりになるということになろうかと存じます。  それから、決算は新憲法が「国会を国権の最高機関」となし、「国会中心財政主義」をとっている以上、予算と同様国会議決によって初めて国会財政監督権を全うすることにならないか。それからこれを敷衍されたのだと思いますが、(イ)から(ヘ)まで出ております。(イ)内閣国会決算の承認を求めて提出することを規定して差しつかえないか。(ロ)右の提出にあたっては予算に準じ、まず衆議院に提出することを規定して差しつかえないか。(ハ)衆議院で承認後参議院に送付し、参議院が承認しない場合は両院協議会を開き、それで協議がととのわない場合には、衆議院の議決をもって、国会議決とすることを規定して差しつかえないか。(ニ)決算の承認を求むるの件の議決は承認するかいなかを決するので、部分議決は許されないのではないか。(ホ)決算の承認を求むるの件を議決するに際し、政府の措置に不法または不当の個所があれば、これを附帯決議として、政府に警告し、あるいは独立の警告決議を決定するという取り扱いでよいか。(ヘ)国会の承認は、政府の国会に対する責任を解除するものであり、また決算に関する最終的な確定あるいは確認と見てよいか。これらの点につきましては、大体一連の問題でございますが、(ヘ)を除きまして、(イ)から(ホ)までについて一括しての私どもの心覚えを申し上げさせていただきますならば、先ほども申し上げましたように、国会が国権の最高機関であることはもちろんであり、国会中心の財政主義であることはもちろんでございます。この点については、もちろん疑いのないところでありまして、すでに大権経費も、既定経費も、責任支出も、そういうものは全然その余地がない。給与あたりにつきましても、すべて法定主義ということになっておりますから、それらの点は問題ないのでありますが、いずれにいたしましても、そういう御指示に従って行動する、そういうことであります。現行制度はすべてそういうことになっておりますが、決算はすでに行動いたしました事実の内容の記述でございますので、これについて、こういうふうに決算を書け、ああいうふうに書けというような御指示というものは、本質的にないわけであります。すでに個々の行為について御指示がありまして、それに従ってやっている次第でございますから、その余地がないものと考えます。  それから次は、承認というようなことでございますが、承認というのは、いわゆる予備費の支出の承認といったような場合がございますし、それから報告といえば、財政報告、事業報告というようなものがございます。本件について特に提出いたしました趣旨は、事柄は報告である。しかしながら、報告は、単に届け出るという意味ではないのであって、これによって、財政の執行の個々の行為に対する批判が、当然に期待されるわけです。それは個々の取引の違法、不当ということも、もちろんであります。しかも、個々の施策に対する批判ということももちろんであるが、さらにはそれを総合いたしまして、いわゆる内閣責任といったようなものにも通ずるところの批判となるものでございます。しかし、いわゆる事後承認といったようなものではございませんで、すべて御指示に従ってやっていることでございますから、御指示にたがった部分が出て参る、いわゆる違法といったようなもの、たがっているというようなものは、おしかりは受ける余地はありますが、それ以外のものについて、特にあらためて何らかの責任の解除というような式のものは、その通りやっております限りにおいては、法制上無理ではないかという感じを持っております。  なお、問題は御批判であります。これがきわめて適切に、そのしからざるところを剔抉していただくということが、一番大事であろうと思います。従って、決算議決というような一括的な御意思を表示していただくよりも、やはり個々に、具体的な問題についての御検討がなされることこそが、私どもとしては非常に望ましいと考えております。国会のようなこういう会議体の組織でございますから、おのずから限界があるかもしれませんが、それはそれといたしまして、やはりそういう点を具体的に剔抉される。予算というものは、もちろん一本になっておりますけれども、中で、科目のうち項というものは、歴史的にも非常に大事なものになっております。これが大体行政目的を現わすことになっておるわけでありまして、予算全体が、しかるべき予算であるかどうか、あるいは国民経済的影響から見てどうであるとかこうであるとかいうような問題、あるいは政策の大綱から見てどうであるとかこうであるとかいう御批判も、もちろん大事でありましょうが、折り入っての個々の内容の御批判になりますと、部分々々の御批判ということが非常に大事なことかと存じます。そういう意味で附帯決議というようなお考えも起こるのかと思いますが、私どもとしましては、むしろこういう点をきわめて具体的に御批判が出まして、それが予算の審議、あるいは予算の編成の際の論議というところのものでは到達し得ないような、決算の審議で初めてこれが動かないもの、逃げ隠れができないものとして把握され、それによって今後の財政運営が正常になり、あるいは正しい政府が持たれていくということになることが、非常に好ましい。そうなりまして、決算というもののほんとうの意味を全うすることができると存じます。従って、この(ニ)、(ホ)あたりに書いてございます御趣旨の底にあるところの、個々の御批判というもの、これはきわめて重要なことであるというふうに私どもは考えております。もちろん、これが重要であるかどうかをほんとうにおきめになるのは国会御自身でございますが、われわれの立場といたしまして、半ば希望を込めまして申し上げさせていただきますならば、そういうことでございます。  それから国会の承認の問題ですが、これは先ほど申し上げました通りでございます。「決算に関する最終的な確定あるいは確認と見てよいか」ということにつきましても、すでに先ほど申し上げたところによって御理解願いたいと存じます。  以上がこの事柄に対する認識であります。  ただ、先ほども申し上げましたように、財政の処理は、一切国会議決によりまして、御指示を得てやっておるものである。それによって、あるいは予算の形、あるいは法律の形ということでできております。それから執行がなされ、その報告がなされるわけであります。報告の内容は、すでに事実ができてしまったあとですから、どうにもしようがございませんが、最後に、これをまた御命令を受けた向きに、その結果を報告するということであります。これをもって一連の財政作用というものが、そこで一応の締めくくりを見るという意味におきまして、私は、決算一つの重要な関門であるというふうには考えます。しかし、決算そのものの技術的な本質というものから見まして、これが確定あるいは確認というものと、国会とは関係はございません、というふうに考えております。あくまで作成され、確認されたところの決算というものに対して、国会はこれを批判をなさるということになりますので、そのように考えておるという次第でございます。  言葉が少しかたくなりまして、あるいは誤解を招くおそれがあるということを私は初めから心配しておりますが、事柄は、今申し上げました通りであります。ただ、表現におきまして多少かたくなりまして、適切を欠いた点があるかもしれません。そういう点につきましては、真意は冒頭に申し上げました通りでございますので、重ねて御理解をお願い申し上げておきます。     —————————————
  4. 鈴木正吾

    鈴木委員長 質疑の通告があります。順次これを許します。淡谷悠藏君。
  5. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 さっきからのお話を聞いておりますと、大体大蔵省側の見方というのは、決算は、議案ではなくて、報告であるというように割り切ってしまっておるようですね。そしてこの間から他の参考人意見を聞きますと、中には、強く議案性を持たして、議案で踏み切っていくべきじゃないかという意見の人もあるようでございます。特にここで気になりますのは、旧憲法解釈と新憲法解釈とが同じようだという認識の上に立って、報告と見られておるようですが、同じようなものであるならば、憲法の条項なども憲法と同じような言葉を使ってもいいのですが、特に新憲法で「確定」という言葉を除いてしまったのは、どういうように解釈されておるか。この点をお聞きしたい。
  6. 中尾博之

    中尾説明員 承知いたしております部分だけをお答えいたします。報告説と議案説とがあるというお話でございますが、報告報告でないもの、それから議案議案でないもの——報告でなければ議案である、議案でなければ報告であるという、そういう論理関係が動くものかどうか、実は私は、議案という問題を、国会法その他の点に不案内なものですから、承知いたしておりませんので、直接それに対しての御説明は、私にはできません。ただ決算というものにつきまして、先ほどこれは規範性を持たない、内容は報告的な内容のものであるということを申し上げました。報告と申し上げましたのは、決算は、内容が性格的に報告である。それが憲法規定に取り入れられ提出という立場をとらされておるわけです。その報告が、いかなるものを憲法が期待し、これがいかなる法律的あるいは政治的意味を持つかという問題は、これは私はきわめて重要なるものであるというふうに考えておるという点を、先ほど実は申し上げたつもりでございますが、これを国会の方のお取り扱いで、議案ということになさるか、なさらぬかという問題につきましては、実は私どもはいささか不案内な点がございますので、それ以上立ち入って御答弁ができません。ただ、その点について、特に私ども立場から見て申し上げまするならば、今言った内容が報告としての事実の記述であるということで、きのうだれかが悪いことをしたかしないかということでありますから、これを御議決になりましても、悪いことをした場合にはしたわけでありますし、しない場合にはしないわけであります。そういうものでございますから、御議決というものに属しますものかどうか、私は、しろうとでありまして、国会の御審議の方の関係がわかりませんから何でありますが、そういうことであるということと。それからお取り扱いの場合に、一括して御批判になるということもしかるべきことではございましょうが、全体としていい悪いということよりも、個々に折り人って、しかるべきか、しかるべからざるかということの御指摘を願う。しかも、それが全体に通じての病弊であるような場合に、それを余すところなく御指摘を願う。そうしてこれは非常によくない、これも現状ではやむを得ぬかもしらぬが、いずれは改正する方向で努力すべきだというような折り入った御批判がありますと、これは効果という面から見まして、きわめて効果的であろうと存じます。単に可否というようなことではなくて、そういうような御意見が出ることが、私は、財政を運営しております、総括をしております立場から見まして、非常に心強い助けになるというふうに考えております。  それから新旧憲法表現の問題でございますが、これは直接的に申しまして、私は存じません。新憲法表現は、非常に急速に起草されたような事情があるやに私は仄聞をいたしております。すでにこの関係を担当された方も他界しておられますので、私も、そういう点は、今の淡谷委員の御質問を待つまでもなく、当然勉強しなければいかぬと思っておりますが、具体的ないきさつを確かめるすべがございません。ただ、旧憲法以来「確定」とございますが、決算というものの本質に照らし、確定という言葉解釈といたしまして——ただいま現行法に「確認」とございますが、要するに検査をしてその意見を付するわけであります。しかるべきかいなかということの批判結論を出すことでございましょうが、そういうものであるというふうに旧法時代も解されておりました。そういう解釈に対して、確定という言葉はちょっとなじみに多少レジスタンスがあるということは明瞭であろうと思います。従って、旧憲法時代にもいろいろ御論議があったようでございますが、そういう点をやや明確にしたということかと私は解しておりまするが、具体的な経緯につきましては、先ほど率直に申し上げました通り、今確かめるすべはございません。
  7. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これは、どうもあなたに対する質問は少し無理だろうと思うのです。むしろ大蔵大臣に来てもらって、政治的な見解までも確かめた方がいいと思うのですが、私たちは、逆にきょうの話で、大蔵省決算に対する態度というものが、私たちが心配しております態度がそのままに出ておりましたので、これは大へんなことだぞという考えがしているわけです。強く印象づけられますのは、他の参考人に比べまして、報告であるということに割り切っている点、国会決算批判するのだ、こういう点が、非常に強く印象づけられているわけです。もし単に批判であるならば、何もそうひまをつぶして何日も何日もやらなくてもいい。批判文でも書いて、新聞へでも投書して載せてもらった方が、はるかに国民に徹底すると思うのです。われわれの考えとしては、決算委員会はもう少し重要な性格を持つのじゃないかということから、参考人意見を聞いているわけです。これはこの間からの参考意見に徴しましても、旧憲法時代すでに伊藤博文の「憲法義解」などでは、予算と同じ重さを持ち、予算と同じ重要性をもって国会審議すべきものであるという主張が、強くなされているようであります。私は議論するんじゃありませんけれども、特に今あなたは確定という言葉はレジスタンスを感ずるというのですが、レジスタンスを感ずるのは当然だろうと思う。確定をとってしまえば、それは今あなたがおっしゃった通り、決算委員会というのは、報告書を受け取って、それに対して批判を受けて、ごもっともでございます、十分考慮いたします、こうやってこられているので、われわれは非常に困っているのです。幾ら重大な問題がありましても、決算委員会でちょっとしかられておこうという考えでいいかげんにされて、あとは十分考慮いたしますで帰ってしまえば、おしまいになります。特に決算承認が、一年おくれようと、二年おくれようと、三年おくれようと、それが新しい予算編成には何の影響もなく、どんどん進んでいっている現実というものは、決してこのままであってはよくないということを、われわれは考えております。むしろ、そういう形の上に、大蔵省の若いあなた方が抵抗を感じて、決算委員会はこれではいかぬなという感を持たれた方がすなおなような気がしますが、むしろ、今の決算委員会なら安心して何でもできるからというようなことで、のうのうとしておられるような感じがする。いわば確定するのが、今のお話では、内閣閣議決定で大体決算確定するのだし、国会提出して報告すればいいのだという考えの上に立っておるなら、非常に気は安かろうと思います。旧憲法確定という字句すら抵抗を感ずるほどにやすやすとできる仕事だと思うのですが、一体決算委員会の形は、これはあなたには無理でしょうが、この場で言い得ないことかもしれませんが、今のような決算委員会の形でいいと思われておるか、困るなと思われておるのかそういう認識の点だけを一つ……。このままでいいのか、どうもこれではちょっと困るというお考えをお持ちなのか、今の決算委員会の姿に抵抗を感ずるか、感じないか。憲法確定という字句にまで抵抗を感じておるならば、決算委員会に対して、それくらいの考えは述べてもいいと思いますが、これはどうですか。
  8. 中尾博之

    中尾説明員 今御指摘でございましたが、その前に、もう一回釈明を一つさせていただきたいのですが、私が、最初若干の時間をとりまして、技術的な意味本質を申し上げた。しかも、それに対する政治的な意味を含めて、私は十分に申し上げたつもりです。今の御質疑を承りますと、いささかその点の御理解がまだ徹底しておらぬようであります。それは私の説明が悪かったためであろうと存じますが、もう一回繰り返します。  私が報告と申し上げましたのは、決算というものは事実の記述であるということの事物の性質を申し上げただけのお話で、これは法律とか、あるいは憲法制度以前の問題である。これが憲法でもって国会提出されることになって、国会でこれを御審議になるということになりまして、それが重要なる意味を持つものであるということについては、別の問題として何回か私の説明において強調いたしたつもりであります。その点は、これを報告と言ったんで、出しっぱなしである、あるいはそれを出しておけばあと安心しておられるのだ、そういうふうにおとりになるとしましたならば、それは私の真意ではございません。事物の性質と、それからこれが制度として取り入れました場合の、これが果たすところの法律的、政治的な機能というもの、それに対するわれわれの心がまえというものは、別であります。従いまして、今の前段の委員の御指摘の点は、私ども真意と違う。むしろ、委員の御指摘になりましたような方向で、私どもも心がけておるものでございます。  なお、現在の決算委員会のあり方がこれでいいかどうかということについてというお話でございました。これは私では少し任が重いわけでございまして、答弁に非常に苦慮いたしますが、決算委員会のやり方についてどういう問題がおありになるかということを御承知になっておるのは、委員の諸先生方でございます。その結果、いろいろ審議の協力というような点で、政府側もたびたび御注意を受けておる次第であります。それでその点はよく心得ておる次第であります。私どもも、決算の総括といたしまして、各省にもそれはたびたび徹底をいたしております。それから国会決算の御審議でありますが、私どもとしましては、もう少し具体的と申しますが、個々の問題について情報をお調べになりまして、とにかく最高の権威でございますから、あらゆる手段をお持ちなわけでありますから、ねらいをつけられまして、具体的な御意見を承ることを、私どもとしては好ましいと考えております。そういうふうにいたしますのにはどういうふうにしたらいいかというような点は、いろいろ問題もございましょうが、そこら辺につきまして、私どもとしては、具体的にこうしたらよろしゅうございましょう、ああしたらよろしゅうございましょう、そこまで申し上げる具体的なものを持ち合わせておりませんし、そこまでの思い上がった感じも持っておらぬのでありますが、そういう方向でもって御努力なさるということにつきましては、全面的に協力をいたさなければならぬというふうに、私どもは心がけております。  それからなお、決算報告だから、提出しておけばそれでいいのだという心がまえであるという御発言がちょっとございましたが、これは私どもといたしまして、常日ごろ御批判を繰り返し承っておる身といたしまして、ちょっとそのままで聞き捨てならぬので、決してそういうことではございません。しかも、私どもは、予算執行という面では、財政当局は若干の統制権を各省に持っておるわけです。そういう際に、決算の場合にどうするのだ、決算委員会で一体どういう説明ができるのだ、こういう問題は常に論議をいたしております。そうしておそらく先生方のお耳には達しないような段階におきまして、こういう制度があることによって、われわれとしても、また各省としても、そこでもって正しきによっておるという面が非常に大きいのでございます。もちろん、予算制度にしても、法律にしても、一つの統制でありますから、一つの固定的な制度になりますから、実際の実情に合わせようとすれば、うまくいく場合もありましょうし、若干の余裕がある方がもっと工合がいいという場合もございます。それがはなはだしきになれば、予算の補正なり法律の改正なりということになりますが、しからざる場合は、やはり制度でございますから、そういう便宜的なことではいかぬということで、統制していかなければならぬ。そういう点のいわゆる実行上の統制というものは、重要なものでございまするし、こういうような場合に、単に国庫大臣が法律上の見地からこれを行ないまするということもさることながら、この決算委員会というものがございまして、ここで最終的な御批判があれば一体君はどう説明するか、御納得が得られるかどうか、もう一回考えてみたい、何かいい方法はないだろうかというので、一緒に所管の各省といろいろ工夫を重ねるという場面が多々ございます。これはもちろん御存じだろうと存じまするけれども、そういう面もございます。
  9. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 決算委員会審査を重大視願うという立場において一致するならば、これに越したことはございません。たとえば一例ですが、予備費承認決算委員会がやらぬという場合は、一体事務的にはどういうふうに処置するのですか。
  10. 中尾博之

    中尾説明員 そういう問題は、またあまり形式的なことを申し上げますと誤解を招きまするので、むしろはばからしていただきたいと思いまするが、一番の問題は、予備費承認という制度がある以上は、御承認をいただけないようなやり方はやらぬというところが基本でございまして、それが万金の重みがあるわけです。私どもも、そういう心がまえで仕事をいたしております。もし御承認願えなかったらどうしようかというようなことは、ゆめ考えておりません。そういうあぶない橋を渡ると申しますか、そういうことはとんでもない話です。もう慎重に、誠心誠意やっておる次第でございます。
  11. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 そこに詐術があると思うのです。はからずもあなたは口をすべらしましたが、予備費承認がされなければ困るから、万承認がされないようなことのないように十分気をつけているというのですが、あとのことは気をつけなくてもかまわないというような形が出てくる。一切の決算承認をされない場合は、その次の年度の予算にまでも影響を及ぼすという規定があるならば、あなたの希望されるような、非常に厳密な報告も出されるだろうし、厳密な審査もするだろうし、もっと真剣になって各省担当の大臣も出てくるだろうし、決算委員会の権威が高まるだろうと思うのです。そういう点で、今度参考意見も聞いているわけなんです。これはあなたの今の一言で十分です。承認を得なければならないものは、承認されないことがないように重視するという一言があれば、われわれこの決算委員会のあり方に対しても、今後覚悟の仕方が違うと思うのです。われわれ長い間やっておりますと、幾らこっちが血道を上げてその事実を突いても、あるいはさまざまな批判を申し上げても、ほとんどその次の予算に影響がないという現実があるのです。やっていると申しまするけれども委員会で頭を下げていきさえずれば、あとはさっぱり予算の上にはその頭を下げた気持が生きてこない。従って、これはやはりわれわれの態度も悪いだろうけれども決算委員会制度そのものが改革されなければならないのじゃないかというので、審議をしているわけなんですから、きょうはあなたにはこれ以上質問いたしませんが、あなたの言葉を通じて、われわれは、はっきり今の大蔵省というものの、あなた方のやり方が判明したということを申し上げておきます。
  12. 中尾博之

    中尾説明員 御指名がございませんでしたが、お許しを得まして、ちょっと釈明をいたします。今の何か誤解を残しておることは、まことに遺憾であります。予備費承認があるから、御承認にならぬようなことについて気をつけるというのは、私どもは当然だと思います。それについて、それだからほかのことは何でもやってよいのだという考え方を持っているというような御趣旨でございましたが、これは全然私の真意と違います。予備費承認もさることながら、決算の御審議もさることながら、われわれとしても、何とかして悪いことをしようというわけでは決してないのでありまして、正しきに従ってやるということに努力をいたしております。それであればこそ、御承認を得なければならぬということになりますし、それから決算の御批判におきましても、御指摘を受けないようにしなければいけないということを考えておる次第でありますから、その点は重ねて御理解を得たいのであります。何か大蔵省当局が決算委員会をどうでもよいと考えておるというような御印象におとりになりましたとすれば、これは全然私ども真意ではございません。私の説明が十分でありませんでしたから、そういう印象を与えたわけでありますが、事柄が技術的なこともありますので、最初申し上げましたように、明確にいたしたのであります。ただ、これが制度として立てられました場合に、その運用、その心がまえにつきましては、今淡谷委員が仰せられました御希望なりに対して、異なる考え方を持っているものでは決してございません。これにつきましては、私どもは、職務でありますから、四六時中考えているところであります。  なお、決算委員会なり国会なりの御意向が、予算編成にどういうふうに反映されるかという問題でございますが、これは行政と申しますか、執行関係国会との全体の関係として、どういうふうにそれが効果的に相互の連絡がつくか、調和がつくかという一般の問題かと存じます。従って、そういう点につきましては、私どもとしても、それにつながる仕事をいたしておりますから、それらの事務が円滑にいくようにということは、十分注意をいたすつもりでございます。しかし、かと申しまして、一方で決算なら決算というものの事物の本質を曲げるわけにはいかないと存じます。しかし、そういうものを前提にいたしまして、しかも、国会の意のあるところ、すなわちこれは国民の総意ということになるわけでございますから、この総意というものに従って行なわれていくということが、一番最終の目的であろうと存じます。これにつきましては、内閣の問題もありますし、具体的には法律の問題もあります。いろいろな手段があるわけでございますから、そういう点で解決をはからるべきものであろうと存じます。それらの点につきまして、十分国民の御期待に沿うように制度の運用をやっていくということにつきましても、大蔵省といたしまして、これに異存があるはずのものではございません。一応お許しを得ましたので、釈明をいたします。
  13. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 私が質問しないのにあなたがお答えになったので、そういうお答えなら、私も質問をいたします。国民の総意というが、国民の総意がどういうふうに決算の上に反映するか。国民の総意と国会関係は、どうなるのです。国民の総意と、多数と少数の関係はどうなるのです。あなたは、決算予算との関係国民の総意に基づくと言われましたが、その関係を具体的に説明願いたい。
  14. 中尾博之

    中尾説明員 私は、理論的な意味でもって申し上げたわけでもなく、ごく常識的な意味で申し上げたのですが、予算決算との関係について申し上げたのではございません。決算の御批判予算にどう反映するかということの担保の問題として、御議論があったように存じます。これは結局予算決算の御批判という形で国会の御論議があるわけですから、それが今度は政府側の施策にどう反映するか、こういう問題であると考えますが、これをどういうふうに運用していくかという問題は、おそらくは議会制度本質的な問題だろうと存じます。それ以上の意味をもって私が申し上げたわけでは決してございません。特に、そういうことは私ども専門的な分野でもございませんから、そういうことで具体的にどうこうということを申し上げるつもりでは、決してなかったのであります。ただ、そういう大きな問題の一環でございましょうということを申し上げたのです。
  15. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 じゃ、結局決算委員会における決算批判国民の総意に影響するというのは、選挙の点数に関係するというような意味なんですか。それだけの意味でお話しになったのですか。
  16. 中尾博之

    中尾説明員 どうもそういうふうに御追及になられますと、私が最初答弁いたしましたときに意図しました範囲の外の問題になるわけであります。しかし、最初発言いたしました関係上、できるだけ補足をいたしますが、決してそういう形式的な、あるいは技術的な、具体的な観念をもって私は申し上げたわけではない。決算委員会というところは、票の数の問題も選挙の際にはございましょうし、国会という場もございまして、ここで論議というものがある。その論議が公にされるということ自体、むしろそこに重要な意義があるものと存じます。しかし、この辺は、重ねて申し上げますが、私ども財政当局の特に専門とするところでもございませんから、特にそうではないんだというような御意見がありましても、あるいはそれは不十分だという御意見がございましても、私どもとして、いやこうあるべきだということでもって、議論にわたるようなことを申し上げる意図は、私ども持っておらないのでございます。御理解を願いたいと思います。
  17. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 私どもは、決算委員会批判が、ただ世論形成の上に、あるいは選挙の成果の上に影響を及ぼすだろうというくらいでは、満足ができないのです。具体的に、国会活動において、決算委員会結論というものはもっと強い影響を持つのがほんとうであるという立場で、この機構を何とかしようかということまで考え出しているわけなんです。結局あなたのさっきの予備費の答弁からちょっともつれたのですけれども予備費承認をしない場合はどうなるかという私の質問に対して、承認されないようなことはしていないということは、これは一つのうぬぼれですよ。そういう、自分たちは絶対間違ったことをしてないんだという観点に立つから、あとのこともずさんになってくるのです。もしも決算全体が承認されなければ、翌年度の予算も組めないように法制の改革があったとした場合——これは政治問題ですから、あなたの答弁の限りじゃないだろうからして、いいか悪いかは聞きませんけれども、そういうことがかりにあったとした場合に、大蔵当局は困りますか。前年度の決算承認されない場合は、翌年度の予算ができない、こういうことが法制上できたとした場合、現在の大蔵当局のやり方では困りますか、困りませんか。簡単にお答えできませんか。
  18. 中尾博之

    中尾説明員 どうも答弁を申し上げるたびに誤解を招いて、われながら非常に残念な次第でありますが、予備費の点も、非常に思い上がりであるというあれでありますが、承認をされないようなものは、しかる使い方をしたくないという私どもの心がまえでありますから、これはあるいは思い上がりと思われても何ともいたし方ない次第で、決して承認されないようなことをしておらないという意味において申し上げたのではございません。御承認を願えないようなことはやりたくないという心がまえでいたしております、そういうことを申し上げておるわけです。  あとの決算を上げないということ自体は私どもには技術的には理解できないのですが、政治的には重大なことになりましょう。そしてそれは非常に不幸なことであると存じます。われわれは、そういう事態が起こらない、そういう事態をもたらすような財政の運営が行なわれないということに心がけるべきであろうと思います。なお、予算の成立しないということは、これは容易ならぬことであろうと存じます。これは一財政当局の問題でございませんで、やはり国の生活というものは絶え間なく行なわれておるわけでございますから、それに対して、憲法規定されておるところの予算という制度がやはり円滑に動いていくということでなければ、これは容易ならざることでございます。それは予想することすら、非常におそろしいと申しますか、不幸な事態であろうと考えます。
  19. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 どうもあなたの答弁を私も誤解するかもしれませんが、私の質問もまた誤解されているらしい。私の言ったのは、現在では予備費承認しなければならなくなっておりますけれども、あとの決算の方は、決算全般の報告承認しようがしまいが、予算はどんどん進行していきます。かりに法律の改正があり、決算委員会の機構が変わって、予備費と同じように他のものも承認を得なければならないというふうに変わった場合に、その法律に基づいて決算承認されなかった場合に、非常に困るのはわかっております。ですから、さっきあなたのおっしゃったように、自信を持って承認されないような決算はしておりませんと言い切れるかどうかというような問題は、これはあなたの心がまえの問題でしょう。心がまえの問題で万事が解決できるならば、これは決算委員会はやめた方がよろしいのです。われわれは、決して決算委員会からは文句を言われないような予備費の使い方をしているのだ。その自信だけで通るならば、承認も何も要りません。従って、他の決算全般も、大蔵省は、決して私は間違った使い方をしていないと思っているし、また他の各省も意識的に決算委員会から批判されるようなことはしていまいと思いますけれども、それでもなおかつ重大な誤りがあった場合に、これは承認しないという場合もあり得るでしょう。しかし、今じゃ、そういう場合があったと仮定しましても、どんどん予算は進行する。それじゃ困ると思う。従って、何らか予算に影響を見させたいというのが、われわれの意見なんです。従って、法律改正によって決算が変わって、前年度の決算承認を受けない場合は、翌年度の予算が影響をこうむる。それではあなたは困るとおっしゃる。困るとおっしゃるが、予備費の使用と同じように、そうなっても、われわれは自信を持って決算承認を得るような使い方をしますということの自信のほどが、おありかどうか。というのは、心がまえの問題です。私はそれを聞きたい。
  20. 中尾博之

    中尾説明員 心がまえといたしまして、そういう制度ができますれば、もちろんそれに従いまして、現在の決算の御議決と同じようにいたすべきことは、私は当然だと思います。ただ、そういうことは、私としてはちょっと考えられません。と申しますのは、決算承認という制度は、事の、決算というものの本質上、論理的に疑いがあるがゆえに、今のお考えのようなことが予想できないわけでございます。予備費承認の場合は、「内閣の責任において」ということがございます。国会の御議決もございますが、予算本質といたしまして、その金額並びにその使途、目的というものを御議決願わなければ、おそらく予算にならぬと思いますが、それが予備費ということの特別の制度によりまして、その予算部分につきましては、若干のルーズな点があります。そのルーズな御議決部分は、政府の責任でやれよ、こういうことになっておるのであります。責任である以上は、これはいつか解除を受けなければならぬ。そういうような点で、その目的について、国会の御議決が、これは御指示がないのですから、それは非常に異例であります。しかし、事の性質上やむを得ぬということでそうなっておりますので、それに対して責任がある、従って、その解除を願うという筋合いはございます。決算の場合は、幾らかこれと異なりまして、一切御議決に従ってやっておるわけでございまして、多少事情が違うのではないかと存じます。  なお、次の予算との関係の問題でございますが、これはお考えの骨子が、話の骨子がよく理解できませんが、決算がこういう弊害がある。従って、予算編成上、あるいは予算執行上、こういう点はもう政府にまかしておけないから、何とかお前の方でこういう法律を作れとかなんとかというようなことでございますれば、これは何ら差しつがないことで、そこまでの御注意をいただくということ自体は、不幸なことでありますが、それによってまたそういう制度が整うということは、これは好ましいことであろうと思います。現に補助金適正化法とか、あるいは債権管理法、物品管理法といったような法律、あるいは契約関係といったようなもの、こういうようなものにつきましては、大部分が、そういうようないきさつで、政府側といたしましても立案をいたしたわけでございます。今後立案をいたす分もあるわけでございます。
  21. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 もう一点。決算というものの本質上、そういうことができないというお話を承ったんですが、決算というものは承認を経て確定する。たとえば、今までの例で申しますと、閣議決定をもって確定と見たものを、国会承認によって確定と見るというふに移せないようにとるべきなんですか。これはどうなんですか。決算というものの本質上、それはむずかしいことであると言われておりますが、これは言葉じりではありません。非常に正確な認識をわれわれは持ちたいわけですから、あえて疑わしい点をお聞きいたしたいのです。
  22. 中尾博之

    中尾説明員 そういう点は、申し上げますと、非常にまたわれわれの態度とか心がまえについての誤解を招くので、繰り返したくございませんけれども、そういうことは抜きにして、特に技術的な意味の御質問かと思いますので、私どもの心得を申し上げますならば、決算は、繰り返し申し上げましたように、事実の記述であります。法律上は、大蔵大臣がこれを作成することになっておるわけであります。これは事実を正確に記述しなければいかぬことはもちろんでございますが、それだけのものでございます。内閣国会なり会計検査院なりに交渉を持ちまするので、従って、閣議決定という手続を経ております。この閣議決定という手続が、決算書という一つの書類に対していかなる意味を持つかということについて、私は先ほどはっきり申し上げることを避けておったのは御承知の通りであります。ただ、そういう手続があることを御説明申し上げたにとどめております。しかし、いずれにしましても、これは規範性のないものでございまして、事実の記述にすぎません。従って、それ自体確定するとか、あるいはつまり法規を成立させるような意味における確定というような、あるいは国会の御議決があらかじめない部分で、政府の責任でやらしておった部分に対するところの事後の承諾と申しますか、そういうようなものと性質を異にしておるというふうに、私どもは心得ておるわけでございます。
  23. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これはあなた方事務当局としては当然そう考えられましょうけれども、私は、今の御答弁の中に、やはり見のがしがたいわれわれの立場との相違、というよりは、事の本質に対する考え方の相違を見ます。決算は、事実の記述だと、こう言われる。もし記述された事実の中に、予算の使い方によって大きな欠陥なり誤りを発見した場合、それでもなおかつ事実の記述であるから、これは承認しなければならないという見地に立つならば、決算委員会は無意味だと思います。あなた方は、事実を記述する。どんなことがあろうとも、正確に記述されればいいかもしれませんけれども、われわれは、記述された事実について審査し、批判し、あるいは承認、不承認決定する権利はあると思う。これもないでしょうか。
  24. 中尾博之

    中尾説明員 事実の記述でございまして、その記述を通してうかがえますところの事実が、しかるべからざるものである、あるいはしかるべきものであるということになるわけですが、それに対する御批判、御指摘——しかるべきものは当然問題ないわけですが、しかるべからざるものについての御批判、御指摘があるということであろうと存じます。それを私は繰り返して申し上げているのでございまして、承認ということを、私は申し上げたことはない。今の御質問、あるいは承認というふうに私は聞こえましたが、決してそうは申し上げておらぬ。決算書の御審議を通じまして、財政執行、ひいては国政の遂行、内閣の責任といったようなものの追及の実質的な手だてになっておるということを、繰り返し申し上げておる次第であります。
  25. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 もうあなたに対する質問の限界はきたようですから、これ以上は聞きませんが、ただ、これまでの参考人意見を聞きますと、外国の例によりましても、日本の学者の意見などを見ましても、国会における審議を見属しても、事実を記述するのだから、承認できないものはこれは承認できないというふうに言って批評していればいいという結論はありません。あなた方の役割は、確かに政治家の役割ではありませんから、事実を正確に記述して報告すれば済むかもしれませんが、やはりわれわれとしては、政治の分野にあるものですから、記述された事実に対する承認、不承認の問題、あるいは承認しない場合の政治責任の追及の仕方、これについて実はいろいろここで研究、審査を続けているわけなのです。これ以上は、あなたの答弁では得られそうもありませんから、一つ大臣にでも一ぺん出てもらって、見解を聞きます。これで質問をやめておきます。
  26. 鈴木正吾

    鈴木委員長 関連して、僕からちょっと御質問申し上げたい。この委員会で連日にわたってこういうことをやっておりますが、決算を衆議院は衆議院だけで議決をしておりますけれども、その議決予算編成の上に影響があるような審議をしたい、そういう決算委員会でありたいというのが、主なるねらいどころなのです。先ほどからあなたの答弁を聞いていると、決算委員会に、政治的なというか、予算の効果的な使い方について十分審議をしてもらって、それを参考にして、その次の予算編成の重要な資料にしたいというような気持もお述べになっておった。私は、そういう気持ならば、決算審議に期間がないというばかなことはないと思う。報告出しっぱなしにしておいて、それがいつ議決せられようと、それは政府にとって何の痛痒も感じないというのが、現在の状態であります。もし過年度の決算の衆議院の審議、参議院の審議の結果を次の予算の編成の上の重要な参考にしたいというのがまことならば、この決算は次の予算編成に参考になる時期までに審議をしてもらいたいという期日があってしかるべきだと思う。決算審議に期日が付せられるということになれば、取り扱いはまるで違ってくるのですね。今のように出しっぱなしで、解散になっても、次の新しい議員にそういう書類を渡さないとか、それから継続審議という形もとらぬとかいうような取り扱いは、できなくなると思うのですが、決算審議に期日を付することは必要だと思う。大蔵省あたりでは、単に報告をしっぱしでいいのだというのですと、どうも衆議院の決算審議の結果を次の予算編成の上の重要な参考資料にするというのは口先だけのことで、実は出しておけば、いつまで審議しなくたってかまわないのだ、こういうふうに思えるのですね。現在この委員会でも、三十一年度、三十二年度の審議は一応おわっておりますけれども、まだ議決をしておらぬというのが、現状なのです。そうだとすると、ただ報告出しっぱなしで、ほんとうにそれを予算審議に取り入れよう、参考にしようというようなことがないのじゃないか。僕が今あなたに聞きたいのは、われわれがもしこの報告を受けた場合に、その報告審議に期限を付するような法制の改正というか、大蔵省自体がそういうことを発議してこなければならぬと僕らは思うのですがね。ほんとうに決算審議予算編成の参考資料にしたい、むだづかいをなるべく省くようにしていくというようなことがあるならば、期日をこれに付して出すのが当然だと思うのですけれども、その点はどうなんです。この報告をいつまでに審議して結論を得てはしいとか——批判を聞くというのだが、その批判をいつまでに出してもらいたいということぐらい、言うのがあたりまえだと思うのだけれどもね。どういうことなんです、それは。期日を付すということになれば、今までのこの議案取り扱いとはまるで違ってくるのですよ。
  27. 中尾博之

    中尾説明員 お答えいたします。今のお話は、非常に突然なお話で、それからその問題の意味が及ぶところ、どういう関係になりますか、また法律的な関係でどうなりますか、私も、実はきょうは大蔵省ということで出て参りましたので、そういう意味で、ここで私が御即答申し上げることはいかがかと思います。ただ、今までとの関連において、さしあたり繰り返しておきますが、決算というものの性質上、この御審議といいますか、あるいはこのメモあたりにございますような確定、そういう関連のものは、私は、どうも制度としては無理ではないかということが、前提一つでございます。それからもう一つは、予算の編成にあたりまして、決算、それから国会のこれに対するところの御議決、こういうようなものが参考になる時期が早ければ早いほどわれわれとして望ましいことは、一点の疑いもございません。現にわれわれも、そういうことについては要望しておるわけでございます。昔、大正十三、四年ごろまでは、二年おくれでありましたが、それが一年おくれに、出納閉鎖期間を繰り上げたりしておりまして、急いでおります。決算書の作成も、最近といたしましてはだいぶおくれておったわけでありますが、それがこのところ数年間急いでおります。そして早く検査院にも送り、検査院からも早くいただくというようなことで、早く提出する。現行制度のもとにおきましても、そういう早める努力は、われわれも払っております。しかし、国会の最終的な御議決というものは、予算編成の際にはいただいておりませんから、単なる決算検査院検査報告というものが中心になります。今のところは、参考資料には間に合わないわけであります。それが、何らかの関係で許されることであれば、好ましいと思います。しかし、その方法なり、その持つ別途の意味というようなことで、そういう制度が成り立つものでありまするかどうか、それは財政制度の面からも、その他の面からも、なお検討を要すべきものがあるような感じが、私はいたすのでございます。せっかくのお尋ねでございましたが、それ以上明確な答弁をここで即席で申し上げる用意も、私はございません。
  28. 鈴木正吾

    鈴木委員長 そうすると、今のお話だと、決算を次の予算の編成の上に参考にする。その参考にする資料というのは、会計検査院報告参考にしておるのであって、議会の審査参考になっているわけではないわけですね。
  29. 中尾博之

    中尾説明員 それは今のお話で時期のお話がございましたので、私も早手回しにお答えしたのですが、検査院検査というのを、申し上げましたのは、その前々年度の決算のことでございます。その前の年度になりますと、大体国会の御議決もいただいておりまするから、それらの分につきましては、十分に検討いたしまして、けんけん服膺しておるわけです。ただ、前々年度の分と申しますのは間に合わないということでございます。その前の年度の分につきましては、十分にこれは利用し得るわけでありまするから、われわれとしては、できる限りこれを各省との交渉に用いておるわけであります。各省といたしましても、予算要求の際に、当然これを慎重に、重要に考えまして、取り扱っておることと私は信じます。そしてその年度の分について間に合わないからといって、前の年度の分で御議決になったものを全然顧慮してないということはございません。
  30. 鈴木正吾

    鈴木委員長 実際問題として聞いておきたいのですが、たとえば会計検査院で、いろいろの品物の買い方が高かった、安かったという指摘があるでしょう。そういう指摘を次の予算の編成のときの資料にして、再びそういうことをなからしめようという場合に、これはどういうふうに扱っていくのですか。たとえば防衛庁でルーズな金使いをしたときに、防衛庁のルーズな金づかいに対して、実際的にはどういうふうな処置をとるか。予算の減額とかなんとかいうことをやるのか。あるいは、ずっと決算報告書を見ますと、ずいぶん用途不要になった不用額というものが、方々に出てきます。そういう不用額を見て、その各省の要求の中から、お前のところはこれだけ不用額を出しておるのだから、次の年度はこれだけ減らすというような処置をとっておられるのですか。決算書及び会計検査院決算報告書などを予算参考にして是正していくという大蔵省の実際の取り扱い方は、どういうふうにやるのですか。具体的に一つ話してもらいたいと思います。
  31. 中尾博之

    中尾説明員 今の点は、いろいろございます。これはけしからぬということで、検査院からも指摘され、あるいは国会からも御指摘を受け、議決になる分もありますし、議決ということにならぬまでも、この決算委員会の場でいろいろ論議を招くというような問題は、全部心得ておるわけですが、これを第一段に取り上げてけんけん服膺すべきものは、その所管省になるわけで、実行の面でまずそれをやっていくということが第一段であろうと存じます。予算は、それに即応して組んで参ります。従って、単価あたりで高過ぎる、もう少し締めて実行すべきであるというようなものは、当然これを予定いたして組みます。ただ予算は、あくまで支出権限契約権限でありまして、それ自身の実行の問題になりますと、予算で組んだからといって、それをまた少なく高く買えば同じことになってしまいますので、予算の統制には、そこに一つ限界がございます。しかし予算の編成の際というのは、各省と財政当局と相当交渉があるものです。話し合いが詰められ、こういう批判があるじゃないか、こういう点にさらに努力すれば、ここが詰まるのじゃないかということを議論して、そういう前提で、最後に予算政府原案ができ上がります。その段階に至るまでにおきましては、その論議を尽くしまして、そういうことで、この予算で承知しようというので、これが織り込まれる場合は、防衛庁あたりの場合に非常にございます。ほとんど連年ございます。その結果、非常に締まってきたという面もあるし、まだ足りない分もございましょうけれども、相当な効果はあるものと存じます。  それから今の不用額あるいは繰越額というものが多量に出るということにつきましては、第一段に、やはり予算が悪かったという点の非難を免れないと思います。これらにつきましては、決算書国会提出いたしましても、財務当局としては、そういうものが多額に上りますことについては、実は非常に憂慮いたしております。これは予算批判を免れないものであるという面が多分に考えられるわけですから、こういう点は、私ども自身として非常に心を使います。それから、そうは申しましても、予算を編成いたしました場合と実行いたします場合とは、やはり時点のズレがあります。いろいろ事情の変わる場合がございます。新しい必要が出てきて、そっちに向けるという場合もありますし、必要があるのだが、何とも手だての方法がない、契約に至らないというような場合もございます。そういうような場合に、不完全な契約をされたり、あわてて無理な契約をして国損を招くということでは、かえって逆効果になりますので、予算がすでにできました以上は、今度は不用額なり繰越額は、むしろもう出た方がいい場合もございます。しかも、それがまた妙なことでございまして、そうあからさまに申すわけにもいかないのでありますが、繰越額が多いじゃないか、不用額が多いじゃないかということを財務当局があまりたてにとって責めますと、年度末にいって無理に使い切るという弊害が、また出て参ります。それから繰り越しあたりも、むしろ寛大に認める方針で、私は今やっております。無理に繰り越しをだめだといいますと、それであきらめてくれるといいのでありますが、あと一息というのが、若干経理上の無理をいたすような事例も、相当指摘されます。それが緩急はなはだむずかしいところでございます。ただ、今御質問のような御懸念の気持というものは、私どもも相共通するものがあるわけでございまして、そういう弊害を招かないように、十二分に決算の面、あるいは会計検査院検査報告、あるいは国会の御論議、御議決というようなものを活用しておるわけでございます。
  32. 鈴木正吾

    鈴木委員長 山田長司君。
  33. 山田長司

    ○山田(長)委員 今の問題ではいいです。
  34. 鈴木正吾

    鈴木委員長 次に、小川豊明君。
  35. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 今中尾さんの御意見を承っておりますと、大体こういうことは好ましいとか、こういうことは望ましいことであるとか、こういうことで、こうであるという点が二つ出てきておる。この点についてお尋ねしたいと思います。  一つは、国会提出するのは報告であるということが一点。それから確定確認、これは国会には関係がない、国会はあくまでも批判である。この二点がはっきりしたわけであります。そこで、私がお尋ねする前にお断わりしておきたいのは、憲法やあるいは財政法やあるいは国会法、いろいろからやってみて、今の決算のあり方というものに対して疑義があるのです。あるから、こういう問題が起こってきているので、あるなら、これをどう直そうか、直すならどうやったら直せるかということが焦点になってきているのですから、あなたの言葉じりをつかまえてどうこうしようという意味ではない。従って、あなたもその点は率直に、こういう点は直したい、直すなら、こうできるんじゃないかという点があれば、非常にけっこうなんです。だから、そうかたくならずにお答え願いたいと思うのです。  そこで、私は、この確定というものには段階があると思う。たとえば、検査院に回す前に、閣議が一たん行なわれるだろう。この閣議のときに確定がされるのか、それとも検査院検査確認されたときに確定するのか。検査を了したものをさらに国会へこれを提出するときに、また閣議が開かれる。そのときに確定するのか。あなたは報告説をとっているから、国会では関係ないと思いますが、この三つの段階のいつの段階で、これは確定がされるわけですか。
  36. 中尾博之

    中尾説明員 確定という言葉でございますが、これは実定法上はございません。従って、法律的な意味解釈の余地がないわけでございます。従って、その意味からは、御質問趣旨は、最初承りました、建設的な考え方を述べろというお話でございます。その御趣旨は私もよく体しておるつもりでございますが、確定段階があるとか、確定とかということが、私どもとしては実はつかまえようがない次第です。むしろ作成ということが一つ、明瞭にございます。それから次の段階として、提出をいたしますので、現実に閣議決定を経ております。それからこれを検査院に送付をいたします。検査院がこれについて検査をいたしまして、報告書とともに国会提出いたしております。それだけのことでございまして、それの限りで私が申し上げられますることは、確定というのは、法律的な意味の側面からは私は追及することができませんけれども、すでに政府といたしましては、内閣というものがとにかく中心になりまして、これが責任を持って検査院に送付するわけであります。検査院は、これに対して意見を固めて、あるいは留保して、報告書を出すわけですから、その検査院検査を経たものを出すのが当然であって、経た後に、これに何かを付加したり、あるいは削ったういうこと——これは決算書についてのことなのですが、これは穏当を欠くんじゃないかという感じがいたします。そうしないと、意味をなさぬことになりますから。ただ、事柄があくまで意思表示的なものではございませんから、途中で気持を変えるというような筋合いで変えるということは、あり得ないわけです。一番困る問題は、事実がすでに先行しているわけですから、その事実の記述が間違っておったというようなことになりますと、非常に重大なことになると存じます。これはあらゆる場合にあることでしょうが、いわゆる錯誤があった場合ですと——幸い私どもの承知しておりまする限りでは、そういう意味の錯誤は、現在までにございません、発見されておりませんので、従って、それほどの意味におけるところの確定ということは申し上げられるかと存じます。それ以上、今もお話がございましたような、あるいはこのメモにございまするような確定ということそのものについては、私どもとしては取り扱いようがちょっとないというのが、ただいまの私の感じでございます。
  37. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 決算を作成するのは、大蔵大臣の役目だと思う。ただ、ここで決算確定するのは、私は今一応四段階を置いてみたのですが、あなたの御見解によると、国会報告だから、三段階で、三段階のうちいつの段階確定されるのかというと、これは決定的なものはないと思う、こういうことでいいですね。繰り返しますが、たとえば検査院の方に回す前に、閣議で一応決定します、このときが確定になるのか。検査院検査をし、確認したときが確定になるのか。さらに検査院から検査を了したものを国会提出するときに開かれる閣議確定になるのか。この三つの段階があると思う。今の御答弁では、この段階のいつ、どこかということは明確でないというような御答弁だと思うのですが、そういうふうに了承していいですか。
  38. 中尾博之

    中尾説明員 まだ確定という言葉自身私がつかめませんので、その意味で明瞭でございません。私の方の考え方から申し上げますならば、検査院検査確認をされるというのは、決算書そのものの内容なり何なりというものに変更を加えるとか、そういうものではあり得ないと存じます。これは、あくまでこれがしかるべきものであるかどうかということの検査をなさるわけでございます。従って、それの前に、決算というものはできておるわけです。だれか作るかと申しますと、これは財政法規定大蔵大臣。ただしそのあとに閣議決定を経まして、国会提出をいたしております。提出の請議の形式を見ましても、検査院に送付をするのと閣議決定を求めます、あるいは国会提出いたしますので決定を求めますというので、請議しておりますのが失態でございます。従って、それ以後は、解釈の問題になるわけでございますが、少なくとも、先ほどお話がございましたし、私も少し口がすべっておりますが、国会決算書そのものの内容について関与しないという御指摘がありましたが、私もそう申し上げました。この点は、重ねて少し補足しておきますが、国会提出された以後の決算書というものの国家的な機能が、いかに重要なものであるかというような問題とは別でございます。同じ意味で、検査院検査確認というものも、決算書そのものには影響がない。ただ決算書というものがございますから、それを前提にいたしまして検査確認をされる、こういうふうに解しております。従って、もっとはっきり申し上げますと、大蔵大臣が作成した段階というのが一つ、御指摘がございました。それから閣議決定というのが、御指摘がございました。その辺にさらに検討すべき余地があるのではないか、そういうような感じがいたします。しかし、今実定法と現実の手続を申し上げることに大体とどまりまして、それ以後のことは、法律解釈の問題になりましょう。一般の政府部内の行政の内部管理的な行為の手続法の法律解釈の問題になると思いますので、これ以上、ちょっと私も答弁の用意がございません。先ほど申し上げましたように、法制局あたりとその辺打ち合わせておりませんので……。
  39. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 大蔵大臣は、作成するのだから、作成する責任はあるけれども閣議決定しなければ確定にならないと私は思う。作成したものは変更されるかされないかということは別として、大蔵大臣が作成したから、これで確定したのだとは言えないと思う。  そこで確定段階はどこかとお尋ねしておるのですが、この点については、御答弁はわからないわけじゃないのですけれども、私は、端的に、この段階のどの段階でということをお聞きできればよかったわけです。これはお聞きしなかったわけですが、これでおきましょう。  そこで次に、一時までですか、時間が非常にないので困るのですが、先ほど、未確認部分というのは、これは検査をやったんだ、やって、これに対して意見がまとまらないから、この分は未確認なんだ、しかし、検査をしたということだけは事実なんだから、検査は了したんだというのが、あなたの御意見であったと思うのです。そうすると、たとえば裁判なんかでいうならば、提訴されているとなれば、審理していることは事実ですけれども、判決がなければ、確定しないわけだと思うのです。この場合、中尾さんの御答弁でいくと、もう審理はしたんだから、それが確定してもしなくても——確認であろうと、審理したことは事実だから、それはそれでいいんだというような御説明に聞こえたのですが、これはどうなんでしょうか。
  40. 中尾博之

    中尾説明員 その点も、厳密に法律的な意味解釈については、私は、最初実は留保をちょうだいしておったつもりでございます。従って、今の御質問のような、この趣旨法律的にここに明確に御答弁申し上げるつもりは、私は初めからございませんでした。そり意味でお受け取り願いたいと思います。また、そう受け取って下さっているがゆえに、今のような質問を重ねてちょうだいしたんだと思いますけれども、その点は、ちょっと留保させていただきたいと思います。  ただ、現状を申し上げますならば、検査をいたします。そうして検査で事実をつかみまして、そうして照合して、その契約なりあるいはその支払いなりというものが、違法でもない、不当でもないということが確認できる部分と、それからまだ確認できない部分がある。これが、検査院検査報告と一緒に政府国会提出する、その時期が限定されておりまするから、検査院といたしましても、おのずから能力の限界もございましょうし、そういうようなことで、未確認というのが出てくるのでございましょうが、未確認と申しましても、法律に書いてあるような、決算書の内容が未確認ということは、ほぼないと存じます。たとえば、収入したのだか、しないのだかわからないとか、支払ったのかどうかわからないということは、ないわけでございまして、この分は確実に確認はされておるわけです。これは会計検査院としましては、各省からの計算証明の書類と、それから大蔵大臣からいろい予算関係の現状の情報をとっております。それから日本銀行の方からまた現金での勘定もとっておりますから、これは明瞭なんでございますが、それの今度は批評といいますか、批判と申しますか、しかるべきものかいなかということの実証ですね、検査院としてこれを検査する、それの結論をお立てになる場合に、相手の趣旨検査院としてまだ理解できないというものもございましょうし、趣旨はわかったが、それをいかに評価すべきかということについて、検査院としてにわかに結論を出しがたいというものがございまして、政府国会決算提出する時期に合わせようと思っても、それを待っておるわけにいかないというのが実情でございましょうから、それでこういうものが出て参るのだと思います。しかし、あくまで検査はいたしておる。収入・支出そのものの事実はつかんでおる。おればこそ、それがしかるべきかいなかということの判定の部分が、ペンディングになっておるということであると、私は理解いたしております。実態はそれでございますが、これが法律的にいかなる意味づけをもって今の御質疑にそのものずばりお答えできるのかどうか、その点は、なお法制局あたりとも相談をいたしまして、御意見も承りませんと、私としてちょっと御答弁いたしかねます。
  41. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 中尾さんの説明でいくと、未確認はあっても、検査は了したんだ、ただ、その中で判定が出ていないだけであって、了したんだ、こういう御意見になるわけですか。そう解釈してよろしゅうございますか。あまりこだわらないでお答え下すってけっこうであります。
  42. 中尾博之

    中尾説明員 どういうものを未確認事項に取り扱うかという問題は、昔から未確認というものはあったわけでしょうが、検査院の方の取り扱いも、若干変わってきつつあるやに承っております。しかし、詳しいことは、私当事者でございませんので、明瞭でございません。しかし、先ほど申し上げましたようなのが実情であるというふうに、私どもは承知いたしております。
  43. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 これは中尾さんに御答弁いただこうとしても無理かもしれぬのですけれども、あなたのお説によれば、国会に対するものは報告だ、こういうことになるわけです。しかし、憲法規定に「提出しなければならない」ということになっております。提出しなければならないとするならば、これに対しては、何らかの行為を求めなければならぬと思う。たとえば、承認するとか承認されないとか。また、事実国会——国会というよりも、衆議院でも参議院でも、それぞれこれを審査し、議決しているわけです。単なる報告ならば、これは国会側としては、報告を受けたのだから、聞きおけばいいということになる。あなたの方では、どんな審査をしようと、どんな議決をしようと、それは勝手だ、それはわれわれに対して何ら拘束力はないのだ、こういうことになって、先ほど淡谷さんが言われたように、決算委員会というものが、一つの盲腸みたいな存在になってしまうのではないか。これを盲腸みたいな存在でなくて、もっと権威のある存在にしなければならない。するのにはどうしたらいいか、こういうことで、われわれは、今までいろいろ参考人に来ていただいてお聞きし、あなたにもお聞きしているわけです。そこで、これが単に報告であるとするならば、ここではその報告審査をし、議決しているが、この審査し、議決するということは、全くむだなことをしているということになるわけで、あなたは、これに対して、これは批判だ、国会批判をするのだ、その批判に対しては尊重する、こう先ほどの御意見に述べられているわけですが、これは尊重するといっても、尊重しなければならない何らの規制はないわけです。ただ良心の問題であり、良識の問題にしかすぎないわけです。そこで、こうした国会決算に対して持つ権限というものを確立していかなければならない。そこで、せんじ詰めていけば、単なる報告でいいのか、これは議案とすべきではないのかという意見が出てくるわけなんです。今の批判を尊重するということに対しては、これは意見が分かれてきて、十分に尊重しておりますといえばそれまでのことで、尊重していないではないか。ただあなた方が来て、そのときだけ各省が来て頭を下げていけば、それで通ってしまうから、言葉では尊重しているけれども、実際にはこれは軽視しているとしかいえないのです。こういうことになれば、これはもう意見になってくるので、この点での議論はやめて、時間がありませんから、次に私はあなたにもう少し具体的にお尋ねしたいと思うのは、財政法の四十一条には、「毎会計年度において、歳入歳出決算上剰余を生じたときは、これをその翌年度の歳入に繰り入れるものとする。」こう規定されております。そうすると、たとえば三十四年度に剰余を生じたときは、その翌年度の三十五年度の予算にこれは繰り入れるのであるか、それとも翌々年度の三十六年度の予算にこれは繰り入れるのであるか。なお、財政法の第六条には、「各会計年度において歳入歳出決算上剰余を生じた場合においては、当該剰余金のうち、二分の一を下らない金額は、他の法律によるものの外、これを剰余金を生じた年度の翌翌年度までに、公債又は借入金の償還財源に充てなければならない。」こう規定されています。「翌翌年度までに」とあるが、この六条と四十一条との関係は、あなたの方でどういうふうに解釈してお仕事なすっているのか。
  44. 中尾博之

    中尾説明員 最後の点だけの御質問でございましたから、それにお答えすればよいのでありますが、ちょっと私補足いたしたいのは、決算本質報告であるということを先ほど申し上げましたが、私は、国会に対する報告であると申し上げたつもりはないのです。これが法規範であるか、事実の記述であるかということを明瞭にするために、その本質を申し上げたにすぎません。これは報告という言葉は、国会に対するというものでは決してないのでありまして、本質が、その事柄そのものが、それである。ただ、その取り扱いとしては、これは報告的内容のものではあるが、憲法国会提出すべきものになっておる。それで憲法上当然提出が予定されておりまして、これに対して国会が御審議になる。それでこれを御批判なさる。財政運営のみならず、ひいては国政一般の御批判というものにこれが通ずるということ、それがゆえに、財政制度としても、また国政運営上としての方から見ましても、決算は大事なものであるということを、私は申し上げておるのでありまして、国会に対しての報告であるということは、ちょっと私の真意ではございません。財政報告あたりとはまるで違うものであるということは、非常に認識いたしておるつもりであります。  それから今の剰余金の問題でございますが、これは決算書提出した場合の決算という意味と、ここにある決算という意味と、ちょっと違うようでありますが、いずれにしましても、年度を了しまして、数字を締めてみるというほどの意味でございましょう。具体的には、主計簿の締め切りという手続がございます。それによって具体的な数字が出て参り、これによって剰余金が出て参るわけでございます。そうすると、今度は、これだけ余ったということが決算書に記載されるわけですが、これは会計検査院にも送られます。そうしまして、検査院でもこれを検査される、こういうことになります。その段階におきまして、これを歳入にとります。歳計剰余金は、歳入金でもありませんし、歳出金でもございません。歳入歳出外の現金として、種の資金的なものに、決算上はなるわけであります。決算をしますと、そういう金がとにかく出てきます。これは十一月から十二月にかけて、大蔵大臣が納入告知を発しまして、それでとるのでございます。従って、翌年度の歳入に載ります。それで翌年度の決算をごらんになりますと、その金額歳入に入っておるわけでございます。ただ、この翌年度の予算を編成いたします際には、前年度剰余金、すなわち剰余金は毎年ございますが、翌年度の予算を作るときには、その金額がまだわかりません。従って翌年度の予算には、その予算を組みます年度の前の年度に新規に発生いたしました分は、わかっていませんから計上をいたしません。その前々年度に発生したという分が決算確定しますから、その分だけを予算に計上いたしております。従って、予算に計上するのは一年おくれになる。これは一般会計の場合でございます。それから特別会計の場合には、今回の年度で申し上げますならば、三十五年度予算を編成する際には、三十四年度はまだ終わっていないわけであります。従って、その額は明確でありませんが、その見込み額は、実際に入るのでございますから、それに応じて計上する例になっております。これは比較的経理が簡単でございまして、その見積もりが立てやすい関係でございましょう。それから一般会計の方は、前年度の分を予定することは非常に危険でございますので、すでに確定いたしました前々年度の分だけを予算に組むということをいたしておるわけであります。従って、予算では見ておりませんが、その前年度の歳計剰余金だけは、決算上必ず予算超過になって入ってくるという形になるわけであります。その点、決算予算とが食い違っております。なお六条との関係は、予算に財源として計上いたします分に即応して規定しておりますので、翌々年度になっておるということであります。
  45. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 質問は、またちょっと前に戻りますが、未確認部分について、検査は終わっているが、批判結論が出ていないのだ、こう言われたわけです。会計検査院法の第二十一条には、「検査の結果により、国の収入支出決算確認する。」と、ここでは「検査の結果により」ということをうたってあります。検査は終わっているが、結論がまだ出ないのだというのは、やはり検査は終わっていないことになるのではないか、こう思われるわけです。会計検査院の当、不当の批判確認という意味であるならば、国会の当、不当の批判も、これは確認とはならないのか、こういう問題が疑問として出てきます。それから検査報告は、報告である、議決の対象になる性質ではないということを言われておりますけれども、地方自治法を見ますと、決算報告を認定するというふうに、予算決算とは並列的に取り扱われているわけです。従って、この場合には、議案として取り扱っているわけです。こういう点に対する中尾さんの見解は、どういう見解でしょう。
  46. 中尾博之

    中尾説明員 どうも非常に法律的な御質問最初から私は留保申し上げておるわけでございますから、そういう問題は、適確な御答弁はできません。ただ以下申し上げるところは、そういう技術上の問題で、法律的な厳密な意味を持たない、留保された発言としてお聞き取り下さるように、まことに御迷惑でございますが、お断わりしておきまして、多少御参考になるかと思いますので、せいぜい率直に申し上げさせていただくならば、検査は弁済というものと似ておりまして、一つの事実行為であろうと存じます。これを了してから、提出せよ、こういうことになっておるかと思います。検査をいたしまして、今度は検査の締めくくりといたしまして、検査した結果どうだったのかという結論が当然必要でございます。それが未確認というのは、結論がまだ留保されている。それから片一方確認された方は、留保されていない、割り切られておる、結論に達しておる、こういうことだと思います。この場合に、検査というものの範囲は、事実上の行為としての検査をするほかに、その検査の結果に基づいて、さらに検査院としての価値判断を下す、そういう意思表示をやるところまで含むのかどうかということの法律的な解釈については、私はここでもって明確にお答えすることはできません。しかし、実際の運用から、それから事の性質から考えまして、今申し上げましたように、検査というものは一応了せねばならぬ。これは確かに決算である。しかし、それがしかるべきやいなやということの点についての評価については、未確認部分については、検査院としての結論を出しておらぬ、こういうことでございます。そういうようなことでございますから、国会の御審議におきましても、未確認事項があるというのは、大へん御不便な話で、迷惑な話だとは存じますが、検査は了しておるというふうに、私ども考えております。
  47. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 さらにその点についてもう少し掘り下げてお尋ねしたいと思うのですが、財政法の四十一条にいう「決算上剰余を生じたとき」の「決算上」というのは、一体いつをさしていうのか。さっきあなたは主計簿の締め切りと言われたが、主計簿の締め切りのときなのか、それとも会計検査院検査に付する前の閣議決定のときなのか、あるいは検査後の、国会提出する場合の閣議決定のときなのか、または会計検査院確認したときなのか、あなたの場合、報告と言われておりますが、国会議決したときなのか、これをお尋ねしたいが、やめます。  そこで、主計簿の締め切りのときとすれば、決算がまだ確定していないのに繰り入れをきめるということはおかしいではないか、こういう疑問が出てきます。また、会計検査院確認のときとするならば、未確認部分がある以上は、決算全部の確認がなされていないならば、確定というものは数年先になってしまうのではないか、こういうことになるわけです。そこで、この確認部分だけを確定と考えて、その部分についてのみこれは繰り入れを決定するのか、未確認部分も繰り入れするのか、これはどういう取り扱いになっておりますか。
  48. 中尾博之

    中尾説明員 その辺は、私も先ほど事実を申し上げておるので、その法律意味づけについては、明確にすることをしいて避けたわけです。私、今回御答弁するのも、それの繰り返しになりますが、四十一条には「毎会計年度において、歳入歳出決算上剰余を生じたとき」と書いてありますが、この「とき」というのは、場合というような意味で、時間的な意味は、この条文自体には希薄なように存じます。論理的な順序として、決算上の剰余であるということを示しておるものでございまして、それだけの規定であると存じます。  取り扱いといたしましては、主計簿の締め切りによって事実上数字はつかめます。それを先ほど申し上げたわけです。しかしながら、いわゆる決算上の剰余ということになりますと、「決算上」という言葉がございますので、大蔵大臣決算を作成いたしました後に、これを現実に歳入徴収するという手続をとっております。それが実情でございます。
  49. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 憲法の九一十条には「国会提出しなければならない」と規定しているわけですが、今のように各院別々に提出しているのでは、「国会提出」ということにはならない、こう考えるわけですが、これはやはり国会提出しているとお考えになっておるのか。それともこれは、今までの慣行がそうであったから、慣行によってそうなっておるのか。この点、中尾さんの答弁するあれではないかもしれませんが、御意見を承りたいと思います。
  50. 中尾博之

    中尾説明員 まことに申し上げかねますが、この点についての法律的な答弁は、留保させていただきたいのでおります。一切お答えの用意がございません。いずれ法制局と打ち合わせまして、お答えいたしたいと思います。御理解願いたいと思います。  ただ、慣行であるか、あるいは法律解釈であるかという点につきましては、慣行としては私は承っておりません。法律解釈として、旧憲法時代も、現在も、国会提出している。国会と申しますと、両院ございますので、両院に御提出申し上げておる、こういうふうに承知いたしております。
  51. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 両院に別々に提出されておる。先ほどあなたは、国会批判を求める。その批判予算の編成上に十分に反映するように努力するということをおっしゃられたのですが、両院が異なった議決をした場合に、これは国会の意思としては出てきません。そういった場合、あなたは今度財政当局として、どう具体的に——そういう場合に直面することはあるだろうと思いますが、そういうときには、どういうふうに取り扱いますか。衆議院と参議院と異なった議決をした場合に、国会の意思を尊重するとおっしゃっておられるけれども、尊重のしょうがないじゃないか。ここに私は、国政上の一つの疑点が出てくるのです。あなたの方は、そういう中におられて、これをどういうふうに尊重し、取り扱っておられるか。この点をお尋ねしたい。
  52. 中尾博之

    中尾説明員 国会提出するところまでが実定法の規定でありますが、国会に関する規定では、単なる報告ではないということを先ほど申し上げました。そこで、国会がこれを御審議になりまして、これに対して結論をおつけになるという場合に、各院別々におつけになるというのが実情でございまして、この場合、両院の御意見が矛盾した場合はどうか、こういうことのようでございますが、しかし、矛盾すると申しましても、いろいろございましょう。一院で取り上げた問題を一院では取り上げなかったということもございましょうし、あるいは結論的には同じ方向なんだが、その緩急の追跡の度合いが違うという場合もございましょうし、あるいはその見方の観点が違うという場合もございましょう。しかしながら、そのいずれの場合におきましても、これは国会政府提出いたしまして、その結果における国会の御審議結論といたしまして、これはすべてそのまま意見のあるものとしてちょうだいいたすべきものである、こういうふうに考えております。立法論といたしまして、両院意見が一致した方がより有力なものになるのではないか。それから各院ばらばらでは、その点で権威がないというような御意見もあるやに承りますが、そういう面もあるかと存じます。しかしまた、予算の内容は、非常に広範でございます。しかも、検査院検査報告は、先ほど来たびたび申し上げましたように、技術的な意味において、あるいは経済的な意味において、不当であるというようなもの、あるいは手続的な意味において違法であるというようなものについて、きわめて明確になるのでございますが、政策の面の批判を含む国会の御批判といたしましては、当然いろいろな側面からする御批判があろうと思います。従って、国会における御論議並びにその結論というものは、私どもは、これを全体として承るべきものと考えております。それがまたきわめて内容の充実した、適切なものになるのではないかと考えておる面もあるわけでございます。ただこれは完全にいいとか悪いとかいうことの一言ではない。いろいろ事情もあろうが、これはいかぬ、今回はそういうことがあろうが、この次はよした方がいい、あるいはこれは絶対にいかぬというような、いろいろ事を分けた御議論をいただけることが、私どもとしては、非常に好ましいような感じがいたします。御質問趣旨に沿い得ましたかどうか、それに関係いたしまして、このようになっておるということを申し上げておきます。
  53. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 あなたは、決算というものは、その性質上、本質上は、報告なんだ。国会には報告ではない。今、国会の方にはちゃんと提出するんだ、こうおっしゃったように承りました。そこで提出するというからには、これは国会に対して、何らかの行為を求めるわけです。そこで国会としては、これを審議し、議決をする。審議し、議決するとするなら、先ほどから言っているように、国会の意思というものは、両院別々であってはならないわけです。国会の意思ならば、両院が一致しなければならない。そこでわれわれは、決算本質報告かもしらぬけれども国会提出される場合には、議案として提案されるべきではないのか、こういうふう考えておる。あなたの御意見を承っておると、国会の意思は十分に尊重するのだ、これに対する批判も十分にいただかなければならない、そこに効果があるのだ、こう言われているんだから、御意見としては、議案でいいじゃないか。取り扱い上も、議案の方がすっきりしていいではないか。ただ、今まではこれを慣行上報告としてやっておる。別にこれに対しては、そう不自由はなかった。ことにあなたの方では、特に不自由がなかった。これでいいじゃないかということになるのですけれども、しかし、今までの御意見なり、われわれの質問なりを通じ、またここへ参られたいろいろな学者の意見を聞いても、これはやはり議案とすべきだ。ただ、議案とするのには、憲法を改正しなければ議案とはならないではないかという意見と、憲法は改正しなくても、法律の改正によってできるのだという意見の分かれはあったけれども議案とすべきであるという意見では、私は大体みな一致しておったと思う。あなたは、当然財政当局として、報告説をとられた。われわれも、先入観としてそう考えておった。そこで今お聞きしておると、本質報告だけれども国会の十分な批判を受け、それを尊重していかなければならぬとするなら、これはやはり両院別々に出して、ばらばらな議決をしていくよりも、議案として一本のすっきりした姿で議決された方が、尊重するのにきわめて尊重しいいではないか、こう思うのです。これに対して、あなたはどうお考えになりますか。
  54. 中尾博之

    中尾説明員 私が報告説をとっておるということでございましたが、報告というのは、繰り返しますが、事の、決算書というものの性質が、そういうものであるということで、国会には提出をする。提出れさたそういう報告的内容の文書なるものが、非常に重大な意味を持っておるということを、憲法も期待しておるということを、私どもは信じて疑っておらぬわけです。これのお取り扱いでございますが、これを議案としてお取り扱いになるかどうかという点は、私ども、実は議案というものがどういうものであり得るかということを、よく理解いたしておりません。その点は、法制局あたりとも打ち合わせてもおりませんし、また、政府部内であまり類例のない法律問題だものでございますから、不案内でありまして、その点については、何とも申し上げようがございません。なお実定法の上から、提出以後の手続について憲法上どういう制約があるのだろうかという問題につきましては、そういう規定のあるものについては明瞭でありますが、ないものについては、当然疑いを残すことになろうかと思います。しかし、これは憲法以下の法律解釈の問題になるかと存じますので、それらの点も、本日は私、大蔵当局としては留保せざるを得ないところでございます。ただ、その御批判という意味における国会の御議決というものが、イエスとかノーとか、可決とかあるいは否決とかいう形では、私どもは少しどうかという感じもいたします。これは手続とか法律関係を抜きにいたしまして、やはり事柄に即して——全部が全部悪いことでもございますまいし、相当悪い場合もございましょうし、少し悪い場合もございましょう、全体を通じての病弊もありましょうし、通弊もございましょう、また、個々に見のがすべからざるものもあり、また今後放置しておくと繰り返すおそれがあるという、いろいろのものもあるわけでございましょうから、個々について、いろいろな角度からの的確な御批判がいただけることが、やはり今後の財政運営、国政運営の正常化という意味から、非常に有益であろうと考えます。私どもが財政の仕事をいたしていく上におきましても、そういうような御意思が示されますならば、非常に幸いであるというふうに考えております。
  55. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 いま一点お尋ねしますが、あなたは、大蔵省の財政担当官としての立場から、これはお答えできない、それはいいです。しかし、あなた個人として、議案説か報告説か。単なる報告でいいのか、あるいは議案として審議し、議決すべきか、今までのいろいろな問題を煮つめていけば、ここに落ちつくのですが、これに対して、あなたはどうお考えでしょうか。
  56. 中尾博之

    中尾説明員 決して問題を避ける意味ではございませんが、私は、本日大蔵省立場で来ておりますので、その限りのことで実は御答弁を申し上げているのです。しかも、こういう問題は、常日ごろそう始終議論しておりませんので、いささか従来の取り扱いを早急に調べまして、政府で申し上げることを整えようと思いまして、準備はいたして参っておりますが、せいぜいこの程度であります。一番弱いのは法律関係でございまして、これはやはり政府の部内の者でございますから、これ以上申し上げるわけにいきません。  それから私の個人的というお話でございますが、御指名をいただいたことは光栄の至りでございますが、そういう関係は、私も予算関係等は相当いたしておりますが、とうてい個人的にその任にたえるものではございませんし、場合が場合で、国会の最も重要なファンクションを今論じている場でございますから、一つ御了解を得まして、御遠慮さしていただきたいとお願いする次第であります。
  57. 鈴木正吾

    鈴木委員長 山田長司君。
  58. 山田長司

    ○山田(長)委員 実は今小川委員の質問をしておった問題について、私も伺おうと思ったのですが、大蔵当局として、別に議案の説と報告の説とについて、明確な区別をあなたの立場で出せぬということですが、報告だけならば、これはちっともはっきりしていないので、長年の間決算に籍を置いていながら、私は何だかさびしくなってしまいます。そこで決算報告書について、期限の問題について先ほど委員長が伺ったら、会計年度の問題については、財政法十一条、それから決算会計検査院への送付についても、やはり財政法三十九条、みんな期限が付してあるにもかかわらず、決算報告書のことについては、期限が付されていない。私も、決算報告書についての期限を付せずにあるということの真意が、理解できないのです。この点について、やはりあってしかるべきものだと思うのですけれでも、どうお考えですか、伺っておきたいと思います。
  59. 中尾博之

    中尾説明員 私、だいぶ長いことしゃべっておりますので、最初の方で実はお断わりいたしたのでございますが、報告でさびしくなってしまうというお話なんですが、この報告ということを、国会に対する報告とは私は申し上げておらぬわけです。ただ、これは法規範の定立を含むものでない、これは事実の記述であるというものが、決算の現在の制度でございます、ということを申し上げておるわけです。諸外国で法律なんかになっておる場合には、そういう規範的なものの定立を含んでおるということを、先ほど来私も承知したというようなことを申し上げておるわけでございます。従って、報告と申し上げましたが、事実の記述であるという意味であります。国会に対しましては、もちろんこれは提出をいたすということに、憲法上書いてあるわけであります。ただ、これが法の定立のための手続ではございませんで、提出ということになって、以後規定上はブランクになっておるわけですが、これのお取り扱いというものは、いずれにいたしましても、すでに行なわれた事実に対する御批判であります。従って、過去に行なわれた行為に効力を及ぼすというものでは、あり得ないわけでございます。従いまして、行政上の手続に技術的につながるものでないという意味において、そういう関係規定が、期間という観念になじまないのかという感じもいたしております。しかしながら、事柄は、そういうところから来ておるのでございましょう。先ほど委員長からもお話がございましたような点につきましては、私も大いに考えるべき点があるというふうに考えております。御批判は、なるべく早い機会に、実際に役立ち得るような形でもってちょうだいいたしたいということについては、これは私どもも非常にそういうことを切望いたします。ただ、だからと申しまして、期限、さらに議案であるというような技術的な論議の演繹がきくものであるかどうかという点が、私には多大の疑問がございます。それは、決算そのものが法の定立ではないという意味におきまして、そこに独特の考え方が必要になってくるのかと考えますが、これから先は、法律技術的にいろいろ論議をしなければならぬ問題がありますので、私は、きょう、こういう場所でお話を申し上げる用意をいたしておりません。いずれ、法制局あたりも検討いたしておるようでございますから、そういうような機会の問題にお譲り願いたいと存じます。
  60. 山田長司

    ○山田(長)委員 決算の仕事が、事実の記述であって、間接的なものでないという点は、これはわかるのですが、今の期日の問題等が出されておらないと、せっかく決算審議をした問題が生きてこないと思うのです。先ほど委員長がやはりこの問題についても触れておるのですが、もし決算審議をされたことが予算に反映してくるというようなことになれば、これは、数年前にもあったことなんですけれども、たとえば防衛庁の問題で、奈良の井上工業所からくつを何万足も買っている。また、それが二、三年してから何万足も買った。前のときに非常に不良品がたくさんあった。これを決算で指摘されながら、さらにまた二、三年後に井上工業所からくつを購入した。しかも、これがまた不良品だった。こういうばかばかしいことがあった。事実を審議した形において、決算予算とが相互関連を持った形でこれがなされるとするならば、必ず予算の上に反映してこなければならぬはずなんです。全然反映がなされないでいるのじゃないか。こういうことから、何かばかばかしい印象を持つわけなんですけれども、先ほど関連質問で伺おうと思ったのですが、あなたの答弁を伺っておりますと、決算関係予算の上に反映しているというようなことだったけれども、どうも私には、今日反映していないのではないかと思える。今ボロぐつの事例を話したのですけれども、そういった事例は、決算審議をしている事項の中から、あなた方に幾多指摘をして申し上げられることがあるのですけれども、こういう点について、大蔵当局がもう少し決算に目を注いでくれるならば、必ずこれが反映されるのじゃないかと思うのですけれども、期限等が付されていない。決算審議の過程から見ますると、やはり決算を軽視されて、こういうことが予算の上に反映されていないのじゃないかという気がするのですが、もう一度、先ほど予算に反映されているということを言われたことについての、何か一つの事例を言っていただくならば、幸いだと思うのですが……。
  61. 中尾博之

    中尾説明員 今のくつの事件そのものは、こちらでもって問題になったことは承知しておりますが、どういういきさつにその後なっておりますか、その後のことを聞いておりませんので、その問題についてはちょっと留保さしていただきますが、今の予算に反映しておるか、しないかという問題につきましては、予算には、私どもといたしましては、できるだけ反映さしております。そして防衛庁関係あたりは、特に御指摘が多いわけでありますから、そういう点について心を使いまして、予算の編成をいたしておるつもりでございます。ただし、予算では、どこそこからくつを買えということの指示は無理なことでございまして、どういうくつが必要であるかどうか、必要ならば買うべきかどうか、買うのならば、その規格がどういうものでという、そのスペシフィケーションが、どうせきまる。それに対して単価を積算いたしまして、それで予算を組んでいくというまでしか、予算としてはいきません。それ以上の問題になりますと、今度は会計法の問題になります。決算は、予算の御批判ももちろんでございますが、政府予算執行したアクションの御批判になるわけです。それが、現在の会計法では不適当であるという問題に、むしろ近い問題かと思います。予算に基因いたしましてそういうことが行なわれたということを頭に置きまして、予算の面として、できるだけのそれの対策を講じなければならぬことはもちろんでございますが、今の問題は、契約そのものの行為の問題でございますので、そういう点は、予算だけではむずかしゅうございます。補助金あたりも同様でございまして、行政的には必要であるということになりまして、それで予算は組む。そしてその単価もちゃんと組むわけでありますが、実行上において、これを薄く広くばらまくと、零細になるということになります。また、補助金を交付する場合の条件を不明確にして渡すために、あとでもってそれの追及ができないということをやっておるというようなことになるわけです。こういう面は、予算だけではなかなかむずかしいわけでございます。そういうような点につきましては、過去、すべてこれは決算委員会の御指摘によりまして、補助金の適正化法、それから債権の管理法、物品の管理法といったようなものを作って参ったわけでございます。今のお話もまさに契約関係なんですが、契約関係は、やはり会計法関係でございます。現在の会計法関係につきまして、この契約関係が、今の御指摘のような事例が相当多いということから、そういうことのないように、適正な手続を、もう少し精細に、ことを分けて発展させるべきである、こういう御意見を、当委員会からもいただいておると思いますし、参議院の方からもいただいておるわけです。そういうようなことにつきましては、ただいま鋭意検討中でございます。そういうようなことは、しばしば国会で御答弁をいたしております。そういうような過程で解決すべき問題であろうと思います。決算委員会の御指摘というものが、そういう面で実を結んだという実績は、最近相当顕著なものがむしろあると、私は考えております。何分にも、こういうようなものは、統制の強化でありますから、なかなか実際業務をやっております人たちとの妥協というものはむずかしいのでございますけれども、こういうところで御指摘をいただきますと、そういう点がだんだん整って参るという実情にあるわけでございます。私どもも、そういう線に沿って、いわば御協力といいますか、御指摘といいますか、御鞭撻を受けまして、そういう面にも努力いたしておるわけであります。今後もなお努力を続けていく所存でございます。
  62. 山田長司

    ○山田(長)委員 報告書の作成にあたって、大臣が作成し、閣議決定をして、さらに会計検査院に回る、それが国会報告される、こういう順序のようでありますが、私は、最近の報告を見ておりまして、大きな事件というのは、閣議決定等で協議をしている期間中に、ほとんど示談になってしまっているのじゃないかと思うのです。そして検査院報告書として出てくるものは、示談になる政治力の欠けるものだけが報告書の中に載ってくるのじゃないかという印象を強くしているのです。この報告書に載せるにあたって、会計検査院検査官の検査官会議なるものが三人で持たれておるそうですが、大蔵当局で作成する当時から会計検査院報告書が作成されるまでの過程において、大蔵当局は、そういうことがあるように感ずるか、それとも全然ないのか。その点一つ伺います。
  63. 中尾博之

    中尾説明員 実は会計検査院の方の仕事だものでございますから、私の方で特にそういう目で批判の目を光らしておるわけでもありませんしいたしますので、はなはだ不十分な状態にあるわけでございます。従って、的確にお答えはできません。むしろ、検査院の方を直接お調べ願った方が、これは明確になると存じます。ただ、私ども立場から申して、特に政府決算書を出した、出した結果、妙なことをしておったのが、そこへ全部はっきり出ておる、それで困って示談にして、これを批難事項から落としたというような話は、聞いておりませんでございます。検査院といたしましては、これは私の推測でありますが、あくまで批難をいたして、国会の御審議の際にも御注意を願うような気持もあり、それから会計検査院自体としても、批難したいというものもございましょうし、それからものによりましては、是正をさせまして、それで今回は批難は差し控えるという取り扱いによるものもあろうかと思います。それらの事例のどういう点で区切りをつけておるかということも、おそらくお取り扱いがあるかと思います。元来批難事項ということで報告しておるわけですが、その辺は、それに準ずるようなものもあることは、事実でございます。検査院も、それを明確にしておるようでございます。たとえば、この「不当事項および是正事項」という節におきましては、批難事項のほかに是正された事項というものも明らかにしておるわけでございますから、是正というような点は、当然行なわれておると思います。しかし、決算書を作りまして、検査院に送りまして、短期間のうちにあわてて何とかしたというような話は、私は全然聞いておりません。また、そういう短期間にそういうことができるものでもなし、またやるべきものでももちろんないわけでございます。そういうことを具体的に承ったことはございません。
  64. 山田長司

    ○山田(長)委員 あなたは聞いたことがないと言われるかもしれないけれども決算の仕事に当たってみて、どうも批難事項報告という中へ載って出てこないはずがないものが、出てこなかった事例をわれわれは感ずるわけです。そこで、今もおっしゃるように、是正されている事項はあったかもしらぬ、あるいは行なわれているかもしらぬ、こういうような御答弁でありますけれども会計検査院は、特別な法規で、独立していなければならぬにもかかわらず、閣議決定したものが検査院当局へ回るということになりますと、何かしら独立している印象をわれわれは持たぬわけです。そういうことで、そのときの権力者にまことに都合の悪い事件は、会計検査院当局へ回さずにあるのではないかという印象を持つわけなんです。過日の決算委員会で扱った食糧の問題なども、その一つの事例ですが、こういう点で、報告書に載せられてなかったのは、何かしらもみ消しさせられる状態にある。もみ消されなかったものは一応載っておるけれども、もみ消されたものは載らずにしまったのではないかという印象で、私は、決算委員会報告される事項というものは、会計検査院が印刷された事項を出されるだけではなくて、もっと広範なものが出てきてしかるべきじゃないかという気がするのです。その点がそうあれば、決算で指摘された事項の面が、予算にももっと強く浮かび出てくるのじゃないかという気がするのですけれども、その点ちょっと伺います。
  65. 中尾博之

    中尾説明員 決算書自体は、国の取り扱いを全部集計しませんと、決算書になりません。従って、何も漏れているものはございません。これが検査院に送られ、しかも、検査院におくられてどうこうあったということがありましても、検査院に送ったものが、そのまままた国会提出されておるわけであります。これに対して、検査院検査確認なさいます場合に、どういうものをお取り扱いになるかという問題は、検査院の問題でございまして、私の方からお答えいたすことはいかがかと存じます。もちろん、私どもといたしましては、検査院は、検査院としての御方針に従ってその報告をお作りになっておるところでありますから、それを信頼いたしてやっておるわけです。ただ実際は、検査と申しましても、実地検査あたりをするのは、件数が全部というわけにはなかなかいきませんから、的確につかみがたいものが出てくるという可能性は、私は始終感じております。たとえば補助金あたりでも、不適正だというような事例がよく出てくるのですが、よくよく見ますと、非常にデータが少ない抽出になっておるということで、重点的にこういうのをお願いしたいということで、私の方でお願いすることもございますが、何分にも向こうは独立の機関でございますから、こちらから言ってどうこうということは、雑談ではできますが、そういうこともできないという点はございます。ございますけれども検査院自体報告が、そういう意味で非常に不完全なものであるということを、私どもは認識いたしたことはございません。予算が膨張いたしましたり何かしまして、あるいは大災害等がありまして、財政活動が忙しい時期には、やはり批難事項も多く指摘されておりますし、比較的平穏な時期には、それが減って参っております。そういうようなことから合併を見ますと、六体われわれが予想したような形にはなっております。そういう意味で、従来の抽出的な実地検査は、実態に即したものになっておるであろうという推定は、私どもも持っておる次第であります。
  66. 神近市子

    ○神近委員 関連して。きのうかきょうの新聞で、私は県はちょっと今記憶にないのですが、こういう記事が載っていたのです。ある町村で議員手当を増額して、それが不当だから、これは返却すべきだという勧告が、県からいったわけです。それを実行しなかったら、県からの交付金とか補助金とかいうものを、村だか町だかに対して減額するとか、取り消すとかいうような勧告がいっていたのです。ああいうことを見ると、ほんとうのあり方、村税あるいは県税の正当な使い方で、ちょっと胸がすっとするような感じがするわけなんです。私ども決算委員会のあり方についてのいろいろな疑惑のもとは、そういうふうに行なわれていないという疑惑というか、不満というものが、今日の論議の的になって、いろいろ法律上あるいは憲法上の問題まで出てきたわけなんですけれども、あなた方は、そういうようなやり方が反映していると、さっきからしきりにおっしゃっておりますが、その反映の仕方が、間に合わせ的であまり効果が出ていないということで、山田委員もいろいろ言っていらっしゃる。私はいろいろ考えてみて、今の食糧の問題、船橋の米の問題、あるいは群馬の麦の問題、そういうふうなものが、決算書には出てこなくて、そしてほかから入ってくるのです。あそこの山の何万坪とか何十万坪とかが不当に払い下げられた。あるいはどこの材木が行当たり時価の三分の一くらいで払い下げられた。いろいろの問題がまだあるわけなんですよ。それを会計検査院が、なかなか手をつけないというか、御存じない。それで、今年度の不当、不正事項報告書なんか、こんな薄っぺらになって、大蔵省は、行政がうまくいっておりますというような感覚で、今ものをおっしゃっているでしょう。私は、もっと国民がどんどんこれを決算委員会なり、あるいは大蔵省なり、あるいは会計検査院なりに、自分たちが疑惑となるものを投書するか、あるいは調査を委託するような制度が、一体生まれることはできないものだかということが、この問題が起こってから頭にあるのですけれども、あなたは、それをどういうふうに考えられますか、中尾さん。町村の議員手当の問題、そういうふうなやり方が、国会にも行なえないかどうか。ある意味では、今の井上くつの問題などは、決算で問題になったのに、ちっとも実行にならぬ、翌年もそれを注文しているのじゃないかという山田委員のお話があったのですけれども一つだけ、なるほど差し控えたなと思うのは、あの中古エンジンの問題です。これは三個は買ったけれども、あとは買い入れなかった。それは反省されたのじゃないかと思うのです。ともかく、そういうような的確で、核心を突くような反省のやり方はできないものか。それが一つ。それからもう一つ、こんなに至るところに、あそこにこの問題がある、山の払い下げや立木の払い下げや、あるいは物の買い込み、あるいは変な米や麦の蓄蔵の問題、それがどこへ出ていったかわからぬというふうな問題、そういうのがたくさんあるのに、これを一々あなた方検察庁でないからできないけれども、この調査はおできになる。それを投書なりそういう制度を新しく作るとか、あるいは勧奨するということはどうでしょうと、今私はお尋ねしているわです。
  67. 中尾博之

    中尾説明員 国会あるいは国会議員と国民との間の干渉にどういう方法がよかろうかという問題でございまして、私は、特にその方の専門でもございませんので、御専門の先生方を前に置きまして申し上げるほどの実はなには持っておりません。しかし、結論的に、そういう疑惑といったようなものがすみやかに明るみに出まして、それが正当な評価を受けるということが的確に行なわれるような制度というものは、私どもとしても歓迎するところでございます。ただ、やはり全国で行なわれておりますから、うわさもうわさでございましょうし、事実もなかなか数が多いと存じます。全部が全部投書によるというわけにもいきますまいが、そういう点も若干考えるべき方策だとは思います。ただ、国税あたりで第三者通報とか、そういう制度が占領中若干輸入されたのでございますが、どうもその後の様子を見ておりますと、国情に合わぬといいますか、習慣に合わぬといいますか、それが必ずしもそう効果を上げておらないように見受けられます。従って、私どもといたしましては、そういうことに対しましては、きわめて微弱なる発言しかできないのでありますが、事柄はやはり全国でいろいろなことが行なわれておりますから、それが能率よく行なわれておりませんと、また国民の公益を非常に害します。しかし、それが公正に行なわれないと、またいろいろな疑惑を生んだり、不満を生んだりというようなことになるわけであります。ところが、この公正ということと能率的ということが、ある程度技術的には矛盾する面が少なくございません。その辺のかね合いがむずかしいところでございます。しかしながら、今のエンジンのお話あたりもございましたが、あのあたりが実は相当大きなプレッシャーになりまして、その後物品管理法という法律も立案されたわけであります。個々の事件が起きます前よりも、多少事務能率という面では煩項を加えるかもしれません。それから担当官の数もふえ、手続もふえ、その点において、多少国民負担もふえる面が出てくるかもしれませんが、そういう放置できない部分につきましては、その手続の面でそういうことが起こり得ないように整備していくという方向が、やはり基本的な方向の一つであろうということで、実は従来やって参りました。そして先ほどもお話に申し上げたのでありますが、もうもっぱら決算委員会方面の御推進を受けまして、各種の適正化法というものを設け、それによって、相当リアクションもございますけれども、とにかく国会の御指摘によって出てきたではないかということで、そういう疑惑の起こらないように、ガラス張りになるように、そういう手続を整えつつあるというのが、現在われわれのとっておりますところの努力の方向でございます。  それから、お尋ねのございました投書その他、国会議員と国民との間の干渉にかかわるような制度等につきましても、問題は多々あろうかということを私も十分御推察申し上げることができますけれども、その点につきまして、直接私は先生方を前に置きまして申し上げるべき所信は、今持ち合わせておりません。立場がやはり私ども片寄っているものでございますから、その点御理解を得たいと存じます。
  68. 神近市子

    ○神近委員 もう一問だけ。今あなたのお立場があまり政治的にわたる発言ができないとおっしゃるのはごもっともで、あまり申し上げませんが、今あなたの御説明を聞いていると、決算はアクションの調査でございますから、その調査報告予算にできるだけは取り入れていますけれども、ある限度がございますというようなお話に承ったのですけれども、私は、その点があなた方の認識が一番へこんでいるところだと思うのです。それならば、決算なんかしなければいいでしょう。なぜ決算をしなければならないかといえば、それが今度の予算に、たとえば一年間のブランクがあっても、それを反映するための決算委員会なんです。それをできるだけはいたしておりますけれども、それは会計法関係でございますからというふうに、あなた方がほっておおきになるから問題が起こってくるので、私は、予算にこれが反映しなければ、決算なんかする必要はないと思います。決算があるのは、予算を是正して、適当な、正当な使い方をしなければならぬというために、決算委員会というものはあるのでしょう。家計のことを考えてごらんなさい。光熱費が幾らだ、副食費が幾らだ、主食費が幾らだというのは、その次の月の、あるいは一月先の予算の増減をするための材料にあれはやるのですよ。私は、国の決算だって同じだと思うのです。その点、あなた御自身をいじめるのは悪いのですけれども、その点があなた方の認識が足りないと思う。あるいは努力が十分でないために、いろいろの問題——これは今後の論議になると思うのですけれども、これが一つ——お急ぎのようですから、それではこれでやめます。
  69. 中尾博之

    中尾説明員 大へん生活に即した御意見だと思います。私どもも、非常に参考になりますので、御指摘の点は、けんけん服膺したいと存じます。ただ申し上げますならば、決算審査ということは、予算というものがございまして、これは契約権限とそれから金額、それを一定の目的に結びつけた、予算執行者側に与えるという授権法にすぎません、これが的確に行なわれたかどうかということも、決算に反映いたしますと同時に、その予算実行の面におきまして、これは家計と異なりまして、公のものでございますから、これが公正に行なわれたかどうか、それから事情も、一年間でございますから、予算を編成したときには必要であったが、途中になったら、もうこういうものは要らないのじゃないか、なぜそういうものをやったのか、あるいはこれは考え方が予算自体すら間違っておったのではないかというように、いろいろな部分予算もあり、しかも、その予算実行もあり、しかも、実行する場合の手続の公正という、公の経済独得の面もあります、これがすべて御批判になるものと私どもは承知いたしております。今度御批判の結果処理いたすべきものは、予算にもちろんこれを反映させるということであります。それから予算では反映し切れない分がございます。今の革ぐつの類は、これはもう来年から革ぐつを買うのはやめようということで済めば簡単でございますが、やはり革ぐつが要るということになる。そうすると、適当な単価で適当な数量を予算に計上するということにとどまらざるを得ないわけでありまして、それで今度は実際その予算実行する場合、これは会計法規の適用の問題になります。その際に、実行が的確になるようにという措置が必要になってくるのであります。決算の結果を予算に反映しないということを、私は申し上げておるのではございません。予算に反映いたし得る限りのものは、予算に反映いたすべきであります。それから予算ばかりの問題でなくして、そういう手続の問題、予算で授権されておるが実行の面で、予算はあってもやっちゃいかなかったのだというような点そういうようないわゆる実行の面の御批判に、また重要な部分があるわけでございます。こういりような部分が、政府のほんとうの毎日の活動、予算執行の面の活動、それからその手続執行といったような息についての御批判になるわけでございます。予算に決して反映しないというわけではないので、予算に反映いたすべきものは十分予算に反映いたし、その執行の面においても、政府がそういう仕事をするわけですから、仕事のやりくりについても、今後注意させなければならぬ。それも法律で縛らないと、ただ黙って見ておったのではだめだという場合は、法律も作る。先ほど来数回申し上げておりまするが、もう実質的には四本くらいの特別の法律が、そのためにできております。それに新しいものも考えておる。そういうようなことで、その適正を期しておるわけであります。何か決算が何もならぬとか、あるいは予算に反映しておらなければ全然意味をなさぬということでは、決してございません。そのほかの実行の面について、むしろ決算としては御批判を受けるわけでありますから、予算の御批判もあるかと思いますけれども予算実行の御批判というところに、やはり重点、非常に大事な点があるわけでございます。
  70. 鈴木正吾

    鈴木委員長 次会は、四月十三日水曜日、会計検査院事務総長の出席を求めて、この問題に対する審議を進めたいと存じます。  本日はこれにて散会いたします。     午後一時五十六分散会