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1960-04-06 第34回国会 衆議院 決算委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年四月六日(水曜日)     午前十時三十八分開議  出席委員    委員長 鈴木 正吾君    理事 押谷 富三君 理事 鹿野 彦吉君    理事 高橋 禎一君 理事 小川 豊明君    理事 高田 富之君 理事 田中幾三郎君       愛知 揆一君    大倉 三郎君       小山 長規君    淡谷 悠藏君       久保 三郎君    山田 長司君  委員外出席者         参  考  人         (行政審議会会         長代理)    今井 一男君         参  考  人         (京都大学教         授)      大石 義雄君         専  門  員 黒田 久太君     ————————————— 四月五日  委員久保三郎辞任につき、その補欠として河  野正君が議長指名委員に選任された。 同月六日  委員河野正辞任につき、その補欠として久保  三郎君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国会決算審査について参考人より意見聴取      ————◇—————
  2. 鈴木正吾

    鈴木委員長 これより決算委員会を開きます。  前会に引き続き、国会決算審査に関し、参考人より御意見を伺うことにいたします。  本日御出席いただきました参考人は、行政審議会会長代理今井一男君、京都大学教授大石義雄君のお二人であります。参考人各位には、お忙しい中を御出席をいただき、特に大石参考人には遠路のところお時間をさいていだだきまことにありがとうございました。  国会決算審査に関しましては、新憲法となりましてからも、第一回及び第七回国会において取り上げられ、参考人の方々より意見を聴取するなど、種々検討を加えられたのでありますが、いまだその結論を得ておりません。  当委員会といたしましては、国会国権最高機関となり、特に財政に関しては、国会中心財政原則をとっている新憲法下におきまして、国会決算審査が、旧憲法下と同様でよいかどうかについて根本的に検討を加え、もって国会決算審査を権威あらしめたいと、党派を越えて鋭意問題の究明に努力いたしておる次第であります。  参考人各位におきましては、それぞれのお立場より、国会決算審査に関し、決算確定に関する問題、内閣国会への提出に関する問題、会計検査院検査報告中心審査方法に関する問題、決算議決に関する問題、及び決算公開継続に関する問題などについて、忌憚ない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、今井参考人には、大蔵省御勤務当時の御経験のほか、今日までの広範にわたる豊富な御体験から、決算制度並びに国会における会計検査院検査報告中心決算審査方法などについて、縦横の御批判、御意見をいただければ幸いに存じます。また、大石参考人には、第七回国会において、同様の問題について参考人として御意見を伺っておりますが、現在の決算委員は、当時の決算委員と全く異なっておりますので、重複や繰り返しなどについてお気がねなく、率直な御意見をいただきたいと存じます。  それでは、これより両参考人より御意見開陳を願うわけでありますが、大体お一人三十分程度の御意見の御開陳を願い、その後に両参考人に対し委員よりの質疑があれば、これを許したいと存じます。  それでは、まず、行政審議会会長代理今井一夫参考人より御意見をお伺いすることにいたします。今井君。
  3. 今井一男

    今井参考人 申し上げます。国民全体を通じまして、予算には御承知のようにあれほど強い関心が持たれておりますのに、決算につきましては非常に関心が薄い。これは、政府当局、あるいは公務員、あるいは新聞紙等においても、そういう感じがいたします。しかしながら、予算は、使うために、いかに税金が有効に使われるかというために設けられたものでありますから、その実績検討することは、予算の編成以上に重要な問題とも言えるわけでありまして、今の日本の片寄った風潮というものは、確かに改める必要があろうかと存じます。国民といたしましては、自分たちの納めた税金がいかに右効に使われておるかということにつきましては、もちろん知る権利を持っておるわけでありまして、こういった点につきまして、決算委員会が再度検討されようとすることに対しまして、衷心から敬意を表したいと思います。  まず、ごく大ざっぱな常識論から出発いたしますれば、申すまでもなく、国会国権最高機関でありますし、国政全般に対する監督権も持っておられますし、また、申すまでもなく国民代表機関でございます。他のいろいろの場合にも例がございますように、予算に対しまして最大発言権を持つものがある以上は、その結果であります決算につきましても、最大発言権を持つべきものというふうには当然なってくると思います。しかしながら、これを現行憲法その他の法律と取っ組む段階になりますというとやはり相当問題が出てくるように感ずるのであります。私は、法律につきましてはいわばしろうと立場にございますが、この決算委員会で従来から言われております例の議案説報告説、この二つ対立点につきまして、しろうと立場でありますが、一言最初にこの点の意見を申し上げさせていただきたいと思います。  議案説は、憲法八十三条の財政原則を根拠にしておられるようでありますが、しかし、決算財政処理、こういうふうに言うことは無理であろうと思うのです。財政処理とはやはり事前関係をさすというふうに解するのが、すなおではなかろうかと考えます。特に憲法におきましてのこの種の条文書き方を考えますというと、八十六条の予算に関する条文、あるいは八十七条第二項の予備費の承諾に関する条文、また九十条の決算提出に関する条文、あるいは九十一条の財政状況報告に関する条文、これらの条文を並べて読んでみますと、やはり書き方がかなり書き分けられております。従いまして、憲法解釈論としてすなおに読みますれば、この九十条から議決ということを持ってくることも、無理なようであります。いわば八十七条の予備費と九十一条の財政状況報告のまん中くらいの場所に置かれておる。これは委員部から御送付いただきました資料検討しておったうちに、前の法制局長官であった佐藤達夫君が言っておった意見でありますが、私も、そういう行き方が憲法解釈としてはすなおではないかと思います。特に憲法上の字句は、よほど尊重してみませんというと、ほかの方に影響してくるということもある。その意味からも、この点は一つ条文を切り離して考えることは問題だろうと思っております。憲法八十三条の財政処理原則から、その精神を援用して議案説を言われておる方もおられるようでありますが、しかし、これもやはり同じように考えられるのであります。これは決算確定という立場から考えましても、そういうことになってくるのではなかろうかと思われます。結論的に申し上げますれば、私は、やはり決算閣議決定によって数字的に確定される、会計検査院がそれを確認いたしました上で、報告書を添えまして国会の御審議を仰ぐ、こういう順序になると解すべきだと思うのであります。国会におきまして決算数字を動かすことができないということは、これは通説になっておるようでありますが、民間会社等の場合におきましては、決算株主総会において確定する、こういうことがいわれておりますけれども、国の決算の場合におきましては、原則といたしまして、一定の時点までの現金収支であります。従いまして、そこで数字確定いたしますと、やはり動かすことができないという通説が生まれてくるわけでありますが、ところが一般会社決算の場合には、決算の織り込む数字の中に、現金収支に属さないものも入っております。たとえばいろいろの引当金でありますとか、あるいは準備金でありますとか——貸し倒れ準備金価格変動準備金退職引当金、そういうような現金収支影響のない数字会社決算の中には計上されるわけでありまして、こういう数字につきましては、時と場合によっては修正という問題も起こり得ると思います。また、それによりましてあと利益処分という問題も出て参るわけでありまして、そういう意味から、民間の例をここに持ってくることも適当でないような気がするのであります。すなわち、数字的に確定したもの、それを国会で御批判を受け、御検討を願う、こういうふうに考えるのが、どうもすなおなような気がするのであります。前の二十五年の討論の場合に、衆議院法制局長をしておって入江君は、国会審議決算確定するというようなことを述べておられるようでありますが、これは確定という文字使い方だと思います。数字的にはやはり閣議決定確定する。しかしながら、その後検査院確認を経ましてさらに国会において御審議を仰がなければならぬ、そういう手続を経ないと決算手続は完了しない、国会審議の終了によってその手続が済む、そこを確定という、こういうふうに確定という文字を解するならば、入江君の言うような説も立つでありましょうが、数字的に動かせないということになりますと、やはり数字の点におきましては、閣議決定によって確定すると解する方が、私はすなおなように考えるのであります。  結局、議案説をとるか、報告説をとるかというと、私は議案説をとるようになることに少しも反対するものではないのでありますが、ただ、そのためには憲法改正ということが必要になってこよう、今の形では無理じゃないか。とにかく前例をとうとぶ国会が、すでに七十年間の慣行を経ておられますので、そういう意味からも、その点は考えなければならぬかと思うのであります。特にこれを明文化したといたしましても、その意味は、法律的に政府責任を解除するという意味になるかと思うのでありまして、現在の行き方では、政治的に政府責任を解除するというようなことになるかと思います。法律的に責任を解除する方が明白であり、望ましいといえるでありましょうが、しかし、その実際の効果は、政治的に責任を解除することにいたしましても、そう大きな隔たりはないのじゃないか。現に一院不信任案によりまして、大臣の首もすっ飛ばせるのでありますからして、私は、その点は大きな開きではないように考えるのであります。結局、現行の九十条を中心とする憲法を私なりに解釈いたしますれば、国会議決によりまして成立した予算内閣が執行いたしまして、その結果を、国民代表である、あるいは国権最高機関である国会にお目にかける、そうして御自由に一つ批判、御検討、御注意賜わりたい、こういうふうな形のものが、今の九十条の条文から出てくるすなおな線のような気がするのであります。  また、立場を変えまして、もしこれを議案といたしますと、議決の場合には、法律的には、結局突き詰めれば諾否、イエス、ノー二つに分かれてしまいますが、もちろんこれはやり方でいろいろの方法もございましょうが、むしろ縦横批判を加えるという意味、またその方が決算というものを国会審議される一番望ましいあり方だ、こういうように理解いたしますれば、かえって今のような扱いも都合のいい面がその方には考えられる、こういう気もいたすのであります。  しかしながら、現状のように両院が別々に議決をされますと、国会意思が那辺にあるかということは、確かに困る問題であります。現に、従来も、両院におきまして変わった御見解が示された場合があるようであります。政府といたしましても、違った場合には、一体どちらの御意見を尊重したらいいか、結局において無視される、こういうことになりやすいかと思います。もちろん一部には、かえって両院が自由にそれぞれ批判を加えていただいた方が、批判の場が広くなる、また、役人としては、一院からおしかりをこうむりましても十分こたえるのであって、国会議決という形にならなければ敬意を表さないわけでもないという見方もあるようでありますが、しかし、これは一致に越したことはないと思います。やはり国会一つ意思決定という形で批判が生まれます方が、より有効であることは、申すまでもないと思うのであります。しかし、国会意思決定一つにするというためには、そういう憲法に触れるような道をとりませんでも、私これはよく知りませんが、国会法改正によりましてできることではなかろうかと存じます。もっとも、これも必ずできるとも申しにくいのでありましょうが、承るところによりますと、会期延長等につきましては、すでに前例もあるそうでありますから、できるのではないかと考えるのであります。しかしながら、もし話のまとまらない場合における衆議院優位性という問題、すなおにまとまりませんと、これはやはり憲法の明文が要るというふうな議論まで発展するおそれは含んでおりますが、そうなりますと、前にも言われましたように、合同審査会の活用というようなことしか方法もないようになって参ると思いますが、しろうと法律論はそのくらいに差し控えたいと思うのであります。  議案説報告説というものは、憲法解釈論としては確かに大きな問題であり、また非常に興味のある問題でありますが、私のような立場から率直に申し上げさせていただけば、決算審査の権威あるいは効果が、もちろんこれにも若干の影響はありますけれども、この決算審査地位を権威あらしめるための方法としては、一つの手段にしかすぎないのではないか。やはり決算審査やり方につきましていろいろ御工夫をされるということによりまして、こういう若干のマイナス面はカバーできるのではないか、そういう気がするのであります。  そういう見地から少しく申し上げさせていただきたいのでありますが、九十条の条文からは、会計検査院検査報告中心にして国会審議されるような感じになっておりますけれども、しかしながら、国会というものは、この検査報告中心主義がむしろいけないのじゃないか。もっと自由な、変な言葉でありますが、もっと国民的センスと申しますか、そういう立場に立つ御批判が、国会常任委員会である決算委員会審議中心であってしかるべきじゃないか。もちろん憲法にもございますから、検査報告というものを一通り聞きおかれることは必要でありまするし、それを省けという意味ではございませんけれども、ただいま検査院がやっておりますような不法、不当、予算目的外流用とか、こういうような問題をチェックするためには、やはり検査院のような機構が適当でもあり、機構によらなければできないのでありまして、この面に徹底いたしますと、憲法を変えまして、検査院決算委員会下部機構か何かに持ってこない限り、無理ではないか。むしろ、それ以外の面におきまして、決算委員会がやる、国会らしいと申しますか、国会の構成にふさわしい立場におきまして、大局的に御批判いただいてしかるべき部面が相当ありやしないか。その意味から、検査院の未確認事項等にも、そうこだわられる必要はないのじゃないかという気も実はするのであります。これは一つの思いつきでありますが、たとえばある省の予算使い方が非常によろしくなくて、検査院から絶えず毎年大きく批難事項があげられておるが、一向に改善の実績もない、こういうふうな場合には、私は、決算委員会決定によりまして、ある省の予算でもいいですが、一定の範囲に対しまして、事前監査制度を設けるというふうなことも考えたら、おもしろいんじゃないかという気がするのであります。要するに、ある省の予算使い方が非常になっておらぬということになりましたら、二、三年なら二、三年、一定の期間を限りまして—これは深く検討しておりませんけれども、法律上もできそうに思うのでありますが、会計検査院からある検査官なり何なりを派遣いたしまして、そうして事前監査事前のチェックがなければ支出できない、こういうようなことを一定期間行なわせる、こうなりますと、これはいわば準禁治産ですか、そういうところに置かれるわけでありまして、その省としては非常な侮辱でありますから、いやでもおうでも改善されるのではないか。形式的にしかられたのでは、おおむねしかられるときには当事者はいないということになりますので、いずれかというと、軽視される可能性がありますが、累年続きまして不成績のところには、そんなことをこれは政令をいじくるくらいでできるのではないかと、深く検討しておりませんけれども、そういう感じもいたします。また、検査院検査は、申すまでもなく不法、不当ということになりますので、どうしても形式的な検査に重点が置かれてしまいます。しかし、むしろ決算委員会は、いい意味におけるといいますか、政治的な審査が加わってよろしいんじゃないか。すなわち、いわゆる国民的センスにおいて税金がいかに有効に使われたか、こういうことを大局的に追及される面がもっと中心となっていいんじゃないか。たとえば、決算の形におきましても、検査院検査におきましても、この金がいつ出たか、時間的な問題は、ほとんど取り上げられておりません。私かつて地方財政全般的に検討させられる経験を持ったことがあるのでありますが、国の補助金などは、その点非常に妙なことになっておりまして、時期を失する例が非常に多いのであります。そのために金が死んでしまう。こういう問題などは、やはり国会でお取り上げになるのが一番適当だろうと思うのであります。また、予算総則なりあるいは財政法なりによりまして、現在の予算は相当移流用が認められておりますが、そのために、いろいろ当初の予想とは変わった形で金が出されてしまう実態も少なくないと思うのであります。これはもちろん不法でも不当でもありませんけれども、しかしながら、そういう面も、やはり金を経済的に使うという意味からは、追及さるべき一つのポイントではないかと考えます。またさらに、ちょうど農業改良法には、さすがにアメリカさんの指示のせいですか、決算に必ず経済的効果をくっつけて出せ、こういう条文がくっついているようでありますが、こういったことなども、もっともっと全般に広めてよろしいのではないか。決算は、どうも二、三年おくれますので、その意味から励みがないという声も承りますけれども、たとえば災害復旧であるとか、食糧増産であるとか、その他いろいろ重要な費目につきまして、ここ二、三年を並べて判断する。結局金の使い方が大きくなったが、効果がそれに正比例しているか、失業者の数は減ったか、ふえたか、輸出の振興はどうなったか、こういった大局的な立場から批判を加えるためには、二、三年おくれている方が、実績をつかんだ上で現在の状態を押える意味で、かえって効果的なような気もするのであります。さらに一般行政面におきましても、消防にしても、警察にしても、税務にいたしましても、そういうふうな際における役人の数、あるいは庁費、こういったものが、この何年間に一体どうなっておって、そのために行政の成績、効果はどうなっているか、こういったような問題こそ、決算委員会で強く取り上げられまして、政府に対して警告を発せられ、結局それがその後における予算を組む一つの最も有力な資料になる、こういうためには、私は、今行政管理庁がやっております行政監察の結果なども、十分御活用いただいていいのではないか。また、行政監察の上に、そういう意味における御注文をつけられることも、一つ方法じゃなかろうかと思うのであります。予算執行後のことはすべて決算委員会の御担当でありますから、そういう点につきまして、必要に応じまして、随時現地も視察されまして、大局的に私は、会計検査院検査報告というものはむしろたなにしておいて、そういうような経済効果行政効果、国費というものがどのくらい有効に使われているか、要するに、古い時代と比べ、また戦後における何年間と比べ、それが年々能率的に向上しているか、低下しているかということにつきまして、各省に強い警告なり御注文なりを発せられ、またそれによりまして、そういう不成績なところは、あと予算をふやさぬ、こういうことまではっきり言われますれば、これは、いやでもおうでも、各省ともハッパをかけられると思うのであります。妙なふうに発展いたしましたが、国民的な考えから、国民の一人として決算委員会にお願いするとすれば、そういう点に、むしろ、大きく問題をお取り上げいただくことをお願いしたいように存じます。  以上、口述を終わります。
  4. 鈴木正吾

    鈴木委員長 次は、京都大学教授大石義雄参考人より御意見を伺うことにいたします。大石参考人
  5. 大石義雄

    大石参考人 実は、大へん恐縮ですけれども、こちらの方は、送って下さったということでしたけれども、私の手にはどういう連絡の関係か入っておりませんので、こちらのお手紙による決算に関する所見というので、私自身決算に関する問題として最も重要だと考える問題、憲法決算というものがいつ法的に確定するものであるか、この点について所見を申し上げようと思って来ましたので、その点御了承願いたいと思います。実は、この決算憲法上法的にいつ確定するかの問題は、数年前ここで所見を申し上げさしていただいたことがあるのですけれども、きょうは、それを補説するという意味で申し上げることにいたします。  御承知のように、前の憲法では、七十二条で、この点に関してどういう規定を設けておるかというと、「国家歳出歳入決算ハ会計検査院之ヲ検査確定シ政府ハ其検査報告ト倶二之帝国議会提出スヘシ」。旧憲法の七十二条は、こういうふうに定めております。それだものだから、憲法論としては、決算が法的にいつ確定するか、議論の余地はない。私の理解する限りでは、みんなそのように説明をしておったと思います。ところが、憲法が変わりましてからは、御承知のように、今の憲法の九十条を見ますると、「国の収入支出決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会提出しなければならない」、「検査し」とはいっているけれども、「検査確定シ」といっておらない。それとともに、国会憲法上の地位が変わりまして、今日の国会は、国権最高機関ということになっております。それからまた、財政に関する憲法規定といたしましても、八十三条に「国の財政を処理する権限は、国会議決に基いて、これを行使しなければならない。」こういうような規定が設けられるようになったものだから、学者の間でも、決算というものは法的にいつ確定するか、旧憲法と同日に論ずるわけにいかぬのじゃないか、そういう説明が相当強く行なわれてきておることは、御承知の通りであります。  それなら、私自身はこの点どういうふうに考えておるかと申しますると、憲法条文文字使い方はなるほど違っておりまするけれども、憲法論として、決算というものは法的にいつ確定するか、その点は変わらないというふうに考えております。だから、検査院検査によって法的に決算はきまるのだ、動かないのだ、そういうふうに考えております。  そこで、まず検査というものについて見ますると、言うまでもなく、検査ということは、政府決算歳入歳出についての違法性、あるいは不当性、あるいは内容からいえば、計算上の間違いを検査するということもあるでしょう。また歳出についていえば、歳出の仕方の違法、不当性の問題もありましょう。いずれにしましても、会計検査院は、自己の判断で、決算について違法があるか、不当があるかということを判断することなんでありますが、会計検査院が、決算について、何を標準にして違法であると判断し、不当であると判断するかといえば、それは会計検査院という国家機関判断標準なんです。だから、政府決算というものが間違っているか、間違ってないか、それのよるべき標準は、会計検査院判断標準だ。だれがそんなことをいっているか。私からいわせると、憲法がいっておるのじゃないか、こういうことなんです。だから、会計検査院という国家機関憲法が設けた、憲法上の国家機関であるという点に、非常に重大な意味があることになります。  元来、御承知のように、今の憲法でも三権分立主義を根本原則としております。それなら会計検査院というものは、一体立法権に入る性質のものか、行政権に入る性質のものか、司法権に入る性質のものかといえば、この点は、私は、何人も疑いもなく行政権に入ると判断されると思います。もっともこのごろでは、日本の憲法は三権分立じゃない、四権分立だというような説明をなさる方もあります。何でそんなことをいっているかというと、立法権は国会、司法権は裁判所、行政権は内閣、そうなるとこぼれるのが、天皇大権はどこに入るのかというような問題があるものだから、四権というようなことをいっております。けれども、そういう流儀で権力の分立を見ていくならば、四権分立でも足りない。会計検査院の権限は、司法権を行使する裁判所にも、内閣にも、国会にも、天皇にも属しない、第五権になりはせぬか、こういうことになるのでありますから、私自身は、四権分立主義に今の日本憲法は立っておる、そういうふうには考えておらぬのです。元来、御承知のように、三権分立主義というような政治原則の起こりを見ますと、モンテスキューの三権分立にその源を求め得るわけでありますけれども、モンテスキューがいっておる三権分立というのは、国家権力としては、立法権があるし、司法権がある、行政権がある、そのほかいろいろな権力があるかもしれぬ、そういう建前でいっているのじゃなくて、およそ国家権力というものを性質について区分すると、立法権か司法権か行政権か、その三つに分類し得る、こういう建前なんです。だから、あらゆる権力はこの三権のいずれかに入るという考え方が前提になって展開されておるのです。そうなりますと、立法にあらず、司法にあらざる国家権力は、すべて行政権だといわなければならぬのでありまして、この点からいっても、会計検査院の権限というものは、三権分立の建前からいえば、どこに入るかといえば、行政権に入る。そうなりますと、特別の憲法上の定めがなければ、会計検査権限はだれが持つべきものであるか、内閣が持つべきものなんです。けれども、そんなことをしたのでは、内閣が自分の財政処理を自分自身で監督する、そんなことで監督がうまく行なわれるはずはない。そこで行政権は一般内閣に属するものだ、こういう建前をとりながら、別に内閣から独立した会計検査院というものを設けることの立法論的必要があるわけなんですね。そういうようなところから、御承知のように、旧憲法でも今の憲法でも、会計検査院というものを最高法たる憲法が認めておるわけであります。  ところが、先ほども申しましたように、そんなことをいっても、今の憲法では、国会は単なる立法機関たるにすぎないのじゃない、国権最高機関じゃないか、こういう点から、あるいは先ほどの、およそ財政処理の権限というものは国会意思に基づくべきものだ、そういう原則は死んでしまうじゃないか、会計検査院は別だということなら死んでしまうじゃないか、こういうようなことで、人によっては、憲法が変わってからの決算の法的確定は、国会議決を待って初めてきまるものと理解すべきものだ、こういうふうに説明なさる方もあるわけなんです。しかし、私から言わせれば、今日の日本国憲法では、もちろん国会国権最高機関である。この点は、私などもその通り認めておりまするし、国会国権最高機関であるということと、国の唯一の立法機関であるということとは別のことだ。私などは、その点最も強調しておる方なんです。ところが、多くの人は、この点はどうもあまりはっきりされておらぬようにも思われます。国の唯一の立法機関といったって、国権最高機関といったって、大した違いはない。今日の国会というものは、単なる立法機関じゃない、国権最高機関である、そういう特徴をあまり強く認めない傾向の方もかなりあると、私は見ております。そこは違うのだ、国会国権最高機関、これはあたかも現憲法の一大特徴なのだ、そう私は考えております。そうは考えるけれども、国会国権最高機関であるということも、一体どこから来たことか。憲法がそう定めておるというところから来ておるのだ。だから、憲法が特別の規定を設けておれば、国権最高機関性は、その限りにおいて例外を受けるものと理解しなくてはいかぬ。これは、何も国会に限らず、裁判所でも、内閣についても、同じことじゃないか。立法について言えば、御承知のように、国会は国の唯一の立法機関だ、こういっておる。それなら、国会以外に法を制定する国家機関はないか。そうなると、御承知のように、憲法内閣に政令の制定権を認めております。政令には、もちろん法たるものもある。そうなると、内閣も立法を行なっているじゃないか。それなら、国会は国の唯一の立法機関ということは死んでしまうじゃないか、こういう理屈になる。それは死んではいない。それは例外だ。だから、政令の制定には、憲法が厳重なワクをはめておる。たとえば、憲法及び法律を執行するためにのみ政令というものは出せる、こんなふうにしておるわけであります。  このことは、会計検査の問題について見ましても、国会国権最高機関、あるいは国の財政処理の権限はすべて国会議決に基づかなければいけないといったって、それは原則だ。憲法で別に定めるところがあれば、それは例外として認むべきものだ。そうするというと、憲法は、内閣国会や裁判所に並んで、憲法上の機関として会計検査院というものを認めて、これに検査の権限を与えておる。そうなるというと、この検査については、特別の規定のない限りは、検査権限を持つものの検査権限の行使が終わったときをもって、検査される対象となっておる決算というものはきまるものと理解しなければならぬのではないか。憲法に、会計検査院検査を制限する特別の規定があるか。ない。そうなるというと、決算というものは、どこで、憲法論としては、法的にきまるかといえば、検査するもの、すなわち、会計検査院検査権限の行使が終わったときをもってきまるものと考えざるを得ないのではないか。それがすなわち三権分立主義の建前からいって、財政処理についての原則を貫いておることじゃないか。行政のことは行政機関がやる。しかし、一般行政内閣がやるのだけれども、決算検査という行政権については、内閣から独立した会計検査院をしてやらしめる。ここで権力の乱用を押える。それが、立法機関が何から何までやり、立法機関検査をして、それが終わったあとでなければ決算というものは法的に確定せぬということになると、立法機関たる国会判断によって財政処理というものは自由自在に動くことになりはせぬか、そう言うと、それを合理化する人は、それでいいのじゃないか、それがすなわち国会が国の最高機関、国の財政処理の権限は国会議決に基づかなければならぬという憲法の趣旨に合うのじゃないか、こういうことを言うのだけれども、その点私どもから言わせると、そうなると、三権分立主義はどういうことになるか、こういう反論をするわけであります。  けれども、そういうふうに決算の法的な確定というものは、会計検査院検査確定するとするならば、会計検査院検査報告とともに内閣決算国会提出することの意味は、一体どこにあるのか。それは私どもに言わせるというと、そこにこそ、国会国権最高機関性、それから先ほど申し上げた八十二条の財政処理の権限は国会議決に基づかなければならぬという一般原則が生きてくるのだ。すなわち、国会側としては、会計検査院検査した検査報告に基づいて、政府決算にはどのような違法があり、どのような不当があるということがわかる。それに基づいて、国会としていかなる態度をとるべきか、こういう問題が次に起こってくるわけですから、そうしますと、国会側から見れば、国会というものは、国権最高機関で、国家生活の全体の立場からものを考えなければならぬ性質のものであるから、会計検査院がその専門の立場から違法だと見、不当だと見ておるけれども、国会立場から見れば、その程度の違法は問題にしなくともいいじゃないか、そういうことがあり得る。あるいは会計検査院立場から不当と判断しておる。もうそれで法的には決算がきまるのだけれども、その会計検査院判断に基づいて、国会が、その程度の不当は不問に付していいものか、不問に付すべからざる程度のものか、そういうことの判断の材料を得るわけでありますから、それを材料として、場合によっては内閣責任を問うという問題が起こってくるのですから、検査院検査報告とともに内閣決算国会提出するということは、これは非常な意味があることなんです。ただ私が言いたいのは、法的に決算というものはいつ確定するかといえば、国会が違法、不当と判断したときなのか、会計検査院が違法、不当と判断したときなのか。会計検査院が違法、不当と判断したときをもって、法的には決算というものは確定の状態にあるのだ、そこを言うだけなんです。国会は何らの発言権決算についてはないのだということを、ちっとも言うのじゃないのです。この点については、たとえば日本の憲法規定に似たような外国法制などを見ますと、一九二〇年十一月三十日のプロイセンの憲法などにもあります。一九二〇年十一月三十日のプロイセン憲法六十八条を見ますと「決算は、会計検査院これを検査し及び確定する。毎年度の決算及び公債表は、会計検査院検査報告と共に大蔵大臣の責任を解除するためにこれを議会に提出すべし。」だから、こんなような制度になりますと、国会決算提出することの意味は、大蔵大臣の責任解除の手段であるということが非常にはっきりしておるのです。この点は一八五〇年、その前のプロイセンの憲法などにもあります。これは百四条二項の規定に出ておりますが、どういう規定になっているかといいますと「予算に対する決算は、会計検査院これを検査確定す。毎年の国家歳出歳入に対する総決算は、国債の一覧表とともに会計検査院意見を付し、政府これを両議院に提出してその責任解除を求むべし。」これなどでも、先ほどのは大蔵大臣の責任解除の手段ということになっておりますが、これは政府自体の責任解除の手段としてきめております。それから今日の西ドイツの連邦憲法の百十四条を見ますと、やはり似たような規定を設けております。どういう規定かと申しますと、「連邦財政大臣は、連邦議会及び連邦参事院に対して、総収入及び総支出並びに資産及び負債に関し、毎年決算提出しなければならない。」二項として、「決算は、裁判官的独立性を有する構成員を以て組織する会計検査院が、之を審査する。一般決算並びに資産及び負債の概要は、次の会計年度において、連邦政府責任解除に対する会計検査院意見書と共に、連邦議会及び連邦参事院に提出しなければならない。」こういうふうな規定になっております。この点は、日本の今の憲法はばく然としておるといえばばく然としておりまするけれども、しかし、私からいわせれば、特別の定めがなければ、決算検査権限はだれが持つと憲法が定めておるか、これによってきまる問題だ。そうしますと、疑いもなく、今の日本国憲法では、その権限を行使するために、憲法が直接会計検査院という国家機関を設けておる。  だから、特別の定めのない限りは、決算というものは、会計検査院検査権限の行使が終わったときをもって確定するものと見なければならぬ。これは検査というものの法律上の性質からくる問題だ。ほかの準備のためのものだとするならば、それを明らかにする特別の規定がなければならぬ。それがない。だから、この点は、意味、内容においては旧憲法と異にしなければならぬ理由はないのだ、こういうふうに私は考えております。それだから、先ほども申しましたように、それなら、会計検査院検査報告と一緒に内閣国会決算提出することの意味はどこにあるかといえば、国会は、会計検査院検査を根拠にして、内閣財政処理批判を行なう。場合によっては責任を問う。そういうことになるところに意味があるのだ。だから、国会としては、何年度の決算は、国会としては是認する、是認しない、そういう意思表示をするということの意味も、決算がいつ確定するかの問題と別に、政府財政処理国会として適当と認めるかどうか、それは先ほど申しましたように、法的に動かない違法、不当性というものは会計検査院検査で終わるけれども、国会立場からがまんのできないほどの不当、国会立場から見て無視することのできない程度の違法性かどうかということは、会計検査院の違法、不当の判断とは別にあるのですから、それこそはまさに国権最高機関判断すべきことなんだ、こういうふうに私自身は考えております。  はなはだ簡単なお話で恐縮ですけれども、私自身からのお話はこれで終わらしていただきます。
  6. 鈴木正吾

    鈴木委員長 以上をもって参考人各位の御発言は終わりました。     —————————————
  7. 鈴木正吾

    鈴木委員長 参考人の発言に対し、質疑の通告があります。順次これを許します。小川豊明君。
  8. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 まず大石先生にお尋ねしたいのですが、今お話を承っておって、決算確定するのは、検査院検査をもって確定するんだ、こういうことでわかったわけですが、そうしますと、旧憲法には「検査確定シ」とあるが、新憲法には「検査し」とだけしかうたってないのですが、なぜ新憲法では旧憲法にあった「確定」というものをとって、ただ「検査し」だけにしたのか、この点が私は疑問になってくるのですが、この点をお尋ねしたいと思います。
  9. 大石義雄

    大石参考人 今の御質問に対しては、何で確定という言葉をとったか、この憲法制定の事実からどう思うかとなりますと、今の日本国憲法制定に私は参加しておりませんので、もちろんその事実はわからぬけれども、理論的にはこういうふうに考えます。検査権限の中には確定ということは含むんだ、特別の定めがなければ、検査するということは、検査する者の判断で違法、不当を判断したならば、検査される対象は、それで違法か不当かということになる。検査というものの性質がそうなんだ。だから、実は極端に申しますれば、前の憲法確定という言葉を使わぬでも、そういうことになるんだ。ただ、それが確定という言葉があったものだから、学説の上でも異論がなかったのではないか、そういうふうに考えるものです。だから、今の憲法でも、確定という言葉はなくっても、理論的に検査というものの性質がそういうものだ。検査というものは、検査する者の判断標準になって、検査されるものの間違っているか間違ってないかということがきまるというのが検査というものの性質なんだから……。そういうふうに考えております。
  10. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それでその点はわかりました。そこで会計検査院検査をした。現実には未確認の部分が出てくるわけです。この未確認というのは、検査を了してないということにわれわれは解釈するわけですが……。
  11. 大石義雄

    大石参考人 その未確認については、先ほどこれを見せていただいていないからと申したのでありますが、今日の未確認の実体というものをよく知ってからでないと、実はこれは責任を持って判断できないのです。だから、その点は、私責任を持ってはちょっと今お答えできない。未確認決算事項というものの実体がどうなっておるか、これを見ておれば、そのこともよく調べて判断申し上げるんだけれども、しかし、ただ想像として、その未確認事項というのは、まだ会計検査院検査を経ていない事項ということを仮定すれば、その事項については確定しておらぬと、私は考えております。
  12. 山田長司

    ○山田(長)委員 関連して。今の問題ですが、未確認事項というのは、大体会計検査院当局の毎年の報告などを聞きますと、十分の一くらいしか検査を受けてないということを言われているのです。そうすると、十分の九というものは検査が不完全な状態に置かれているので、ただいまのお答えによりますと、この未確認のものに対して、あとで調査をする期間ですね。期間は、どのくらいな年限にまでさかのぼれるか。一応年度別の期間の範囲があるものか。常識的には、われわれも、何年もたったものはしようがないというような考えを持ちますけれども、法的な期間の限度は、どのくらいなのか、伺いたいと思います。
  13. 大石義雄

    大石参考人 この点は、私から申し上げさしていただくというと、憲法論とは直接関係ないわけでありますが、こういう問題を一体どうしたらいいか。立法政策問題としては、あらゆる財政事項について、会計検査院の権限というものが短期間に行なわれるような制度を確立することが、ぜひ必要じゃないか。もっとも、短期間といったって、事実、可能、不可能の問題があるのですから、可能を前提として、未確認事項はなるべくないようにする立法が確立されなければいかぬじゃないか、そういうように考えています。
  14. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 今お聞きしておって、私ども実際にこれを取り扱っていって、未確認部分が出てくるわけです。そうすると、国会としては、これに対して承認するかしないかということになってきます。未確認部分は除いて承認すべきなのか、未確認部分も合わせて——承認というのは、あわせて承認したことになるのか。この点は疑義が出てくるのですが、限界はどうなのでしょう。
  15. 大石義雄

    大石参考人 その点は、私は先ほども申しましたように、憲法論としては、国会としては、未確認事項を承認する、承認しない、この意味が、決算を法的に確定するという意味の承認ということではないと思います。それは憲法外のことだ。憲法的には、決算というものは会計検査院検査によって確定する、私どもはそういうふうに理解しておるわけですから、会計検査院検査を経ないものが法的に確定するということはないのだ。そうなると、先ほどのお話のように、未確認事項が非常に多い場合は一体どういうことになるのかという問題がありますから、非常に極端な場合にいけば、未確認事項というものについては、継続審査を認めてでも、結局は国会によって政治的な立場から是認するとか、是認しないとかの根拠となる、会計検査院検査権限が及ぶようにする制度が確立されなければいかぬじゃないか、そういう意味で申し上げておるのです。
  16. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 お説によりますと、会計検査院検査によって決算確定したのだ。そうすると、国会はそれとは別に、政府の政治的な責任の追及、こういうことが国会のなさるべき決算の段階だ、こういうふうに理解したわけですが、そうだとすれば、確定した検査に対して、国会がその検査院検査とは別に、その政治的責任をたとえば議決しても、政府として何ら法的には政治的責任を負わねばならない拘束はないのではないか、こういう疑義が出てくるわけですが、いかがでしょう。
  17. 大石義雄

    大石参考人 今の御質問は、いかなる種類の責任を負うかという問題ですね。それはしかし、憲法論としては、憲法自身は、いかなる責任かということは、何も種類的には列挙しておらぬわけですから、場合によっては不信任の方法をとることもあるだろうし、それから財政処理についての注意を勧告する程度とか、具体的な非難の方法といえば、そういう責任の形で現われてくることもありましょうね。
  18. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると、これは仮定ですけれども、決算は、検査院の方では確定して出てきているわけですけれども、こういう決算国会としては承認し得ない、こういう議決がされた場合に、政府の政治的責任は一体どういうふうになってくるのでしょうか。
  19. 大石義雄

    大石参考人 その点は、今も申し上げましたように、極端にいえば政府を信任しない、不信任の形で現われて参りましょう。そういう国会が是認することができないほどの違法、不当な財政処理をやった政府は、国会としてはその存在を認めない、こういう形で現われてきましょう。
  20. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると、こういう決算は承認し得ないというのは、政治的には不信任と同様な形である、こう御答弁によって理解できるのですが、そう理解してよろしゅうございますか。
  21. 大石義雄

    大石参考人 必ず不信任の形で出なければいかぬということを言っておるのではなく、その責任を問う極端な場合をいえば、今の憲法から判断すれば、そういうこともあろうということを言っておるのです。単なる戒告程度で済むこともありましょう。
  22. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それからもう一点お尋ねしておきたいのは、先生の御意見によりますと、会計検査院検査によって確定したのだから、そのときに、政府決算に対する責任というものは免除されるわけですか。それとも国会議決、承認されて初めて免除されるわけですか。この点、政府責任の免除の時期、段階はいつですか。
  23. 大石義雄

    大石参考人 憲法論としては、国会政府提出した決算を承認した場合は、その承認したときが標準になると思います。
  24. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 関連して。私おくれてきたので、御説明があったかどうかはわかりませんが、会計検査院検査、これに基づく政府の報告に基づいて、国会決算委員会検討するわけですが、決算委員会における報告を審査する限界というものは、会計検査院のやった内容にまで立ち入って審議ができるのですか。決算委員会審議の限界というものは、その検査という、いわゆる確定した検査を限度にしてやるのか。というのは、これは民事の会社におきましては、株主総会は、国会に相当する最高の私法人の総会ですけれども、もし会計について監査役の監査に不服があれば、さらに検査役というものを設けて、この監査役の調査報告を内容に立ち至って検討することができる。ところが、最高機関でありますけれども、国会審議する限度は、会計検査院検査確定した報告、それより奥に深入りをして審査ができるのか、できないのか。
  25. 大石義雄

    大石参考人 今のお話の民間会社の件は、それはそれ自身の制度に基づいてやっているわけですが、国会についての今の検査の問題は、私の申し上げているのは、法的な確定は一体どこで確定するのかという点を問題として言っておるわけです。見るのはどこを見ていいかという点は、これは何を見てもいいわけです。その意味においては限界はないわけなんです。けれどもその見るという意味が、国会が調査をして、国会判断会計検査院判断とが食い違うようなことがあり得る、そのときはどっちの判断決算確定する意思になるのかという意味においては、これは常に会計検査院判断が違法、不当の判断のもとになる、そういう意味で言っておるのです。その調査の限界としてどこまで見ることができるか。単に見る、見ないという問題は、限界がないと思います。そうでなしに、国会がどこまでも見てもいいというのだったら、国会が見て判断したその判断会計検査院と違っているときには、国会の方の意思決算確定することになりはせぬかという意味ならば、それは違う。そういう意味においては、限界ははっきりしておる。そういう意味の調査権はない。だから、私から言わせると、もし決算というものは国会確定する  のだということになりますと、会計検査院検査で違法、不当ということがあっても、その違法、不当は、実はまだきまらぬということなんです。国会側が承認するまでは法的にきまらぬことになる。しかし、私のような説明になりますと、会計検査院が違法として、たとえばその違法に基づいて弁償を要求したりしておる場合がもしあるとすれば、そのことは、あと国会側  の判断が、あれはおかしいんじゃないかといったって、もう確定して動かぬものだ、私の言っておる法的確定というのは、そういう意味確定なんです。
  26. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 私のお聞きしておるのは、裏を返せば、会計検査院検査、それに基づく政府の報告、これが議案になるのか、単に報告を受けて、それに基づいてイエス、ノー、承認、不承認をきめるのかということに関連してくると思うのです。先生もおっしゃるように、計数並びに正当性、不正当性というものが、すでに会計検査院検査によって確定しておるのだとするならば、これはもう議案としての性質はちっとも持っていないので、報告を受けて、それを国会審議するだけなんです。こういうことになるわけですね。あなたの今のお説によると、収支の計数的なこと、あるいは正当、不正当ということは、会計検査院検査によってもう確定するのだ、国会が承認、不承認ということをやっても、それは国会が独自の意思でやるのであって、実質的には会計検査院検査によって確定しておる、こうおっしゃるのでしょう。そうしますと、もうこれは文字通りに、会計検査院検査に基づく政府の報告によって、国会は計数等にまで立ち至って審査はできない。できても、それは国会だけの意思であって、すでに会計検査院検査によって確定したものなんだ、こういうふうに承ってよろしいのですか。
  27. 大石義雄

    大石参考人 今の御質問ですが、どうも私の説明が徹底しないように思うのですが、議案かどうかというお言葉がありましたけれども、議案という意味をどういう意味でお使いになったのか、私自身はっきりしないけれども、そのことが単なる報告でなければいかぬとか、憲法自身としては直接には何も明示しておらぬのです。ただ私から言わせれば、憲法自身は何にも明示していないが、憲法国会提出せよといっておる。そうなると、国会としては、提出されたものをいかなる扱いをもって処理すべきかという問題が起こるのです。そのときに、政治的責任解除の意味で、議案として出すこともあり得ると思うのです。そのことは、今の憲法では何も否定しておらぬと思うのです。  そこで、決算が法的に確定するか、確定しないかという問題と、政府財政処理が、会計検査院立場からでなしに、国会立場から——法的な確定会計検査院立場からの判断できまるのでありますけれども、国会立場から見て、適当か、不適当かという政治的な問題は依然として残る。だから、この点は、先ほども申しましたように、会計検査院立場から見て違法、会計検査院立場から見て不当といったって、国会立場から見て国家全体の幸福の立場から見て、この程度の違法は是認してもいい、この程度の不当は是認してもいいという問題はあろうと思います。そういう意味国会側の意思決定というところに、国会政府決算書を提出せしめることの意味があるのだ。だから、議案か単なる報告か、そのこと自体は、今の問題とはすぐには結びついてこないのではないかと思いますが、それだけではおわかりになりませんでしょうか。
  28. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 先生のおっしゃることはよくわかるのですよ。今の国会の承認、不承認の意味もよくわかるのですが、先生のお説によれば、会計検査院検査によって確定するのだ、検査はそれ自体に確定意味も含めておるのだ、こうおっしゃるから、国会に持ち出されたときは、その限界は、会計検査院検査して持ってきた報告が限界であって、それ以上に掘り下げていくことができるかできないかという問題を、私は聞いておる。裏を返せばということは、もし議案ならば、修正もできます、反対はもちろん、承認しない、否決をするということもできるし、議案ならば、内容に立ち至ってその条項の変更もできる。議案にはそういう性質があるわけです。ところが、今の決算確定した報告ということになって、その限界は会計検査院から来た検査の結果に基づくということになりますと、会計検査院がやった内容に立ち至って、この数字が少し違っておるじゃないか。この支出が少し間違っておるじゃないかという報告をさらに裏返して、私法人の会社における検査役の役目のようなことは、国会ではできないのかということを伺っておるわけです。
  29. 大石義雄

    大石参考人 それはできませんと思います。会計検査院の数量の判断、それから支出の仕方の判断をひっくり返していくことはできるか。できないことははっきりしておると思います。
  30. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 さらに会計検査院検査報告の多くは、決算額は、未確認額を除いて検査確認した、こう記述して報告されるわけです。その結果、財政法の四十条では、政府国会提出する決算を、会計検査院検査を経た決算、こういっておるわけです。そうすると、全部は検査確認を経ていないということになるのです。従って、現行の未確認部分を含めた議決というものは、明らかに財政法の四十条の趣旨には反してくるんではないかという疑問をわれわれは持っておるが、この点はいかがですか。
  31. 大石義雄

    大石参考人 憲法違反の問題じゃなしに、財政法違反の問題ですが、その点は、私自身、先ほど申し上げましたように、財政法上の見地から、違法、合法性がどの点にあるかという点については、よく調べてからでないと、きょうはちょっと責任を持ってはお答えできません。ただ、憲法論立場からは、これだけははっきりしていると思うのです。未確認の部分について、検査のあったものとして処理することはできないと思います。
  32. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 国会決算委員会における、あるいは国会における任務は、会計検査院とは別に、政府の政治的責任の追及にある、こうおつしゃられたわけですが、決算報告というものは、両院別々に出てきます。従って、両院がこれに対する見解を異にして別々の議決をした場合に、国会議決を重んじなければならない政府としては、非常に困るのではないか。参議院と衆議院議決が違った場合があったとした場合に、一体これはどう解釈したらいいか、この点をお尋ねしたいわけです。
  33. 大石義雄

    大石参考人 もちろん憲法論としては、決算というものは、衆参両院の、部分機関としての各院に提出するのと違って、国会提出することになっておる。だから、国会自身立場から何年度の決算をどう思うかという判断は、衆参両院の共同の議決がなければ、もちろんそれはきまらないと思います。
  34. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうなると、これは今の慣行による取り扱いでは非常に困ってきているわけです。これは衆議院に先議権があって、先に衆議院に出してくるならわかります。ところが、別々に出して、別々に審議していますから、意見も別々に出てきた場合に、これは国会提出とはならないじゃないか。この点の御解釈はどうなんですか。
  35. 大石義雄

    大石参考人 それは同感です。それは国会提出したことにならぬと思います。
  36. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そうすると、これは国会提出すべしということになっておるならば、憲法を重んずる建前からいっても、衆議院に先に出してきて、そうして両院意見が一致して初めて国会議決になるのだ、われわれは、こういう解釈を先生の意見に基づいて下すわけですが、それは差しつかえございませんか。
  37. 大石義雄

    大石参考人 それは同感ですね。
  38. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 それから財政処理というのは、われわれの考え方は、先生の意見とちょっと違うのじゃないか。財政というのは、やはり予算に始まって決算に終わる、ここまでが財政じゃないか、こう考えていますが、財政というのは、予算をきめてそれを執行するもので、決算の方は関係ないですか。
  39. 大石義雄

    大石参考人 その点は、百歩譲って決算もみな入るとしても、そのプロセスの決算検査の部分だけは、憲法がだれに権限を与えているかという問題がまさに今日の問題だから、たとい八十二条ですか、それが決算まで入るとしても、検査権限は、国会がやることか、会計検査院で終わりかということは、問題は別じゃないかと思います。
  40. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 私が言うのは、違うのです、決算の権限がある、ないということではなくて財政処理というのは、予算から決算までを財政処理というのではないか。財政というものは、予算から決算までいくのではないか。先生が百歩譲ってと言われるのは、先生には何か御異論があるようなので、この点を統一していただきたいと思います。
  41. 大石義雄

    大石参考人 私自身は、決算も入ると思います。ただ私が申し上げたのは、決算が入るとなれば、直ちに検査権限はどうかという問題が起こります。それは原則と特例の場合だ、こういうことを申し上げるために申し上げたのであります。
  42. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 国会では、今決算全部を議題としているわけですが、会計検査院の未確認部分については審査できないのかどうかという問題が出てくるわけです。この点どうでしょう。
  43. 大石義雄

    大石参考人 未確認部分について国会審査できるかできないかその意味がもし、先ほど申し上げましたように、法的に決算確定する審査という意味なら、その審査はできない。
  44. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 ただいまの先生の御意見で、やはり国会提出さるべきである、国会提出されるならば、両院が一致しなければ国会議決にならない、こういうような御意見だといたしますならば、国会提出するという意味は、まず一院に出して、それを他院に回すというのが、通例だと思うのです。そういう点からいうと、これは議案にならないとこういうことができないのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
  45. 大石義雄

    大石参考人 その点は、従来の慣行がいいかどうかという問題になると思います。私自身は、両院の一致した意思をもって国会意思とするという根本原則が生きるように慣行を改めたらいい、こういうふうに考えています。
  46. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 今までの慣行は、別別に出している。従って、これを今後一院に出すようにさせる。まず、衆議院なら衆議院に、あるいは参議院でもいいが、どっちかに先に出すようにすべきだ、こういう先生の御意見ですね。そういうふうに慣行を改めた方がいい、こういうことですね。
  47. 大石義雄

    大石参考人 決算提出は、単なる報告だ、これがそういう意味の慣行だとするならば、それは改むべきだ、そういう意味で言っているのです。内閣決算国会提出する。そうすると、国会としては、先ほど言った決算の法的確定の問題は別として、国会側の立場から見た是認、不是認の問題があるから、それの意思表示は、国会意思でなければならぬから、単なる報告をするといった提出の仕方が従来の慣行だというのであれば、そういう慣行は改めて、国会意思が出てくるような方法に改めなければならぬだろう、こういうことなんです。
  48. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 先生のお説は私理解できたのですけれども、会計検査院地位というものは、御承知のように、内閣に対して独立の権限を持っておる。しかし、国会との関係は、会計検査院法には何ら示されていない。ただ、内閣に対しては、検査という立場から、独立した機関としての性格を持たしてあるのだろうと思うのです。そこで会計検査院検査、それから二十  一条を見ますると、検査に基づいて確認するという条項が一つありますから、やはり検査をして確認するという権限が、会計検査院にはあろうと思うのです。しかし国会会計検査院検査確認の限度において審議するということでありまするならば、これは会計を受けることになるのじゃないか。会計検査院検査確定することを限度として、それを掘り下げていって国会で自由に内容に立ち入って審議をすることができないとするならば、会計検査院のやった検査確認ということに国会が制約を受ける。しかも、一面において、もし会計検査院検査が誤った検査であり、確認であるとしますならば、これに対する責任追及の方法がないのです。会計検査院内閣に対して独立しておって、その検査確定というものが絶対性を持って不離独立のものであるとするならば、もし会計検査院検査にあやまちがあった場合には、一体だれに対して責任を負うかということが起こるのであって、どうしても、私は、国会というものは、会計検査院検査確定いかんにかかわらず、もう少し政治的にも、さらに法律的にも、追及していっていいのではないかというふうに考えられてならないのですが……。
  49. 大石義雄

    大石参考人 今のお話の、会計検査院法には検査確認とあるがということでございますが、しかし、問題は、憲法論になりますと、検査院法でいっている確認とは何ぞやという問題が出てくるものだから、どうもそこからだけでは、法的にどこで決定するかということは、憲法論としてはどうかと思いますけれども、私自身は、会計検査院法で確認という文字を用いているからということを根底にして言ったのではないのです。  それからもう一点は、会計検査院というものの検査にそういう権威を認めるといったって、会計検査院が誤ったらどうするかということ、これはどんな制度を設けましても起こり得る問題で、今日は、司法権については三審制です。しかし、最高裁判所の判断が誤ったら、国会判断が誤ったら、という問題が起こるんですね。しかし、それはわれわれの観念としてはいろんなことを考えるわけでありまするけれども、われわれの考えがどうあろうと、今の憲法は、だれの判断をもって法的確定の権威を持つものと考えておるかの問題が、憲法論だと私は思うのです。そうすると、今の憲法としては、決算検査権限というものをだれに持たせるか。会計検査院に持たせる。それが誤ったら—誤りというものは多分にあり得る。だから、どうも会計検査院ではたよりないということになると、憲法を改めて、もっとしっかりした検査機関を設ける必要がありはせぬかという、憲法改正論の問題にはなると思いますけれども、現在の憲法の解釈としては、会計検査院判断した、その判断でおしまい。これは憲法の要求じゃないかということなんです。
  50. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 内閣に対する独立の点はいい。三権分立で、司法権と行政権と立法府とこれはやってあるのですから。しかし、会計検査院は、最高裁判所的最高の権威を持つものでなくして、それだからこそ、会計検査院は最終的な検査確認ではなくして、それをさらに内閣に報告し、これを国会に報告するということにきておるのですから、その報告を受けて国会審議するということには、やはり何らかの権限、もっと強い権限があるべきではないかという疑問が起こってくるわけなんです。
  51. 大石義雄

    大石参考人 その点は、今三権分立の問題がまた出されましたけれども、私から申し上げさしていただけば、それなら司法権だって、人民の承認できないような裁判というものは、民主主義の建前からいえば許されぬ、こういうわけで、最高裁判所の判断でも、不当な裁判をしたならば、国会が文句をいうてもいいのじゃないか、これは立法論としてはあり得ると思うのです。けれども、今日はそうは考えないで、今もお説のように、最高裁判所に最高の権威を認めてもちっとも差しつかえないようにおっしゃっておりますが、それは今の憲法がそれを認めているからなんで、三権分立の建前からいえば、先ほども申しましたように、決算検査ということは、行政権ですから、司法権の独立ということを非常にやかましくいうならば、行政権の独立ということもあり得るのです。三権分立ということで、司法の立法に対する、行政に対する独立というなら、立法の司法、行政に対する独立、行政の立法、司法に対する独立もあり得る。しかし、そうはならぬ。そんなむちゃなことはないというのは、一体どこからくるか。今の日本国憲法では、一応三権分立の建前はとっておるけれども、一方において国権最高機関性を国会に認めておる。それだから、裁判所に国会が関与するといっても、憲法が特に認めた限りにおいてのみ司法権には関与し得る。ということは、たとえば国政調査権を発動して、調査の限界を越えない限りは、司法活動でも国会発言権を持つじゃないかという問題が出てくるわけです。だから、それは、憲法論になると、今の日本の憲法がどういうからくりをしているか、これによって判断せざるを得ぬのじゃないか。そういうようなわけで、一方において国権最高機関性を認めながら、他面において裁判所や内閣と同様に、会計検査院憲法上の機関として認めておる。その意味を没却してはいかぬのじゃないか、こういうことなんです。
  52. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 先ほど先生から、そういう慣行は改めた方がいいじゃないか、こういうお説がありまして、これは同感です。しかし、その慣行を改めるには、やはり法律的な規定を新たに作らなければならないのではないか、こう考えられるわけで、慣行だから、そういうものを作らずに改める方法が具体的にありましょうか。
  53. 大石義雄

    大石参考人 その慣行自体が、私自身こういうのをよく見ておれば、調べた上で責任のあるお答えが実はできたはずですけれども、これの連絡がうまく私の手に入らなかったものだから、調べないで、一つの仮定で、たとえばそういう慣行ありとすればという建前でお答えしているから、はなはだどうも無責任なことになっておりますが、今のような御質問になると、やはり現在の慣行の実態を私自身もよく調べた上でないと、責任のあるお答えはできないように思います。
  54. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 そこで、われわれが決算委員会委員として一番当面している問題は、今までの慣行は、われわれは一応重んじなければならぬと思って重んじてきているわけです。ところが、その慣行と、憲法上の解釈、財政法上の解釈、あるいは国会法上の解釈には、矛盾している点が多々出てくるわけなんです。そこでこれをもっとそうした法規に沿うように改める方法はないかというのが、前々から先生方にも御意見を承っている点でもあるし、またわれわれが当面している問題なんです。そこで、今の慣行を改めていくことが簡単なら、私どもはすぐにもこれを改めて、憲法の精神や財政法に基づいた決算に持っていきたい。しかし、せんじ詰めていけば、これは報告説議案説かになってくるとは思うのです。それで、今までの先生方の御意見を承ってきても、大体議案説をとられた方もあるし、議案説をとることが望ましいけれども、憲法改正しなければそれはできないのだという御意見もあったわけで、議案説に反対ではない、ただ今の形ではなし得ない、こういうことから、慣行でいったらどうか、大した支障はないじゃないか、煮詰めれば、こういう御意見であったと思う。そこでわれわれとしては、支障があるなしの問題ではなくて、この点をもう少し明確にして、今後の決算に当たるようにしたいというのが、われわれのきょう御質問する趣旨なんですが、そこで先生の御意見の中で、ちょっとこういう点がこの中に出てくるのですが、われわれもにわか勉強でやってみたわけです。やはり明治憲法の伊藤博文の帝国憲法義解というものを何回か繰り返して読んでみているわけですが、そういう点からいくと、ここには「会計検査院行政上ノ検査ハ議会ノ立法上ノ検査ノ為ニ準備ノ地ヲ為ス者ナリ故ニ議会ハ検査院ノ報告ト倶ニ政府決算書ヲ受ケテ其ノ正当ナルヲ承諾シ之ヲ決定スヘシ」、こういうふうになっておるので、そうなってくると、審議決定しなければならぬとするならば、単なる報告ではないはずだ。ここに国会としての意思決定をするわけだから、それで意思決定をするならば、これは両院が別々の意見を出すようなことなからしめ、統一した意見を出すためには、議案として出さなければそれはでき得ないじゃないかというのが、今までの慣行に対する疑義なんです。この点での先生の御見解を承りたい。
  55. 大石義雄

    大石参考人 その点は、先ほども申しましたように、決算を法的に確定するのはどこかという問題と別に、国会立場からの意思決定というのは、憲法は何も否定しているのではない。だから、国会意思決定をすることが従来の慣行上できないというならば、その慣行を変えることが違憲だという問題は起こらぬと思います。
  56. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 先ほどの会計検査院国会との関係ですね。三権分立のことを申しましたけれども、会計検査院は、憲法には根拠はありますけれども、これは独立した地位というものは、内閣に対してだけ独立しておると書いてあるのです。これは独立した権限を持たしておかないと、公平な検査ができないからだと思う。そこで、憲法第六十六条によりますと「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」これは会計検査院については、こういう連帯責任というようなことは何も書いてない。これは内閣、司法、国会、三つの関係のまだらち外にあるから、こういう規定がないのかと思うのです。ただ、会計検査院の義務としては、もしくは権限としては、会計の検査をし確認をして政府に報告をする、こういうことなんですね。政府がそれを報告書とともに提出をするということになっておる。ですから、私は、この内閣に対する独立の地位を持っておるということから、即時に会計検査院は最終の検査の権限を持っておるものとは断定できない。会計検査院は、終点ではない。一応会計検査確認をするけれども、これは国の財政検査する機関としては、最終的なものではない。さらに、その上に国会が、この会計検査院検査についての——私は単にこれに基づいた政府の政治的な批判だけでなしに、もっと突っ込んだ、財政関係から、会計検査院検査に対して国会がもう少し権威ある討議、そういうものができそうに思えるのですけれども、最後にその点だけ聞かしておいてもらいたい。
  57. 大石義雄

    大石参考人 そこまでくると、どうも見解の相違というようなことになりそうに思いますが、私が先ほど説明申し上げましたように、今の憲法としては、検査権限はだれに与えているかという問題、最終的な検査かどうかということは、憲法の問題である。憲法は、検査権限というものは会計検査院に与えておる。また、その上に検査をするもののあることを明らかにした憲法規定というものを見出し得るか、見出し得ないのじゃないかということなんで、そうなると、また同じように、そんなら、国会への提出の意義はどこにあるのかという問題になりますが、そこが、今の御質問では、提出が再審査の問題じゃないか、こういうことなんですが、決算というものは、法的な確定検査院できまる。それはしかし、政治的な立場から国会からの批判があるのだから、そこが国会への提出の意義の問題になってくるのだ。そういうふうに私は考えております。
  58. 鈴木正吾

    鈴木委員長 以上をもって質疑は終わります。  両参考人には、お忙しい中を御出席いただき、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。委員会といたしましては、拝聴いたしました御意見は、他の参考人の御意見などともともども参考といたしまして、本問題の検討の成果を上げたいと存じます。  委員会代表して委員長より厚く御礼申し上げます。  本日は、これにて散会いたします。     午後零時二十七分散会