○久保
委員 今回の
運賃法改正が微温的だとか積極的だとかいうことにはまだ判断がつきかねているのです。この
前提の
お尋ねがはっきりしなければ――
性格が変わったのであるということになりますれば、なるほどこれは微温的だと言える、そうでないと言えるならまた別というふうに機械的に割り切ります。まだその
結論はいっていませんから、
一つこれから
お尋ねすることをそういう
前提でお答えをいただきたいと思います。
それで
独占性が失われたから、トラック、ハスとの競争をやらなければならぬ、それに耐える力をまず
運賃体系の中でも
相当考えていきたい、こういう
お話のようであります。これは運輸省自体の責任かと思うのでありますが、しかし実際いうと、国では無理かもしれません。あなたも御案内の
通り、
運賃の
性格というのは
収入目的のみをもってやるものではないでしょう。しかも
国鉄運賃の
性格でもう一面忘れてならないのは、結局
輸送用役の適正配分ということだと思うのです。ところが、
独占性が失われて、
国鉄の
運賃の
性格だけでそういうことが可能かどうかというと、これは御
指摘の
通りなかなかむずかしい。むしろ現在あるいは将来の展望に立って
輸送分野というものをやはりある程度調整していくという規制がなくてはならぬ。現在は早くいえば、
輸送力を非常にむだにしておる、ロスが多いという面はあるわけですね。これは将来も多くなっていく。それから、たとえば内航船と石炭
輸送の
問題等も最近はやや回復したかと思うのでありますが、内航船が
貨物運賃に押されて手をあげていくというような傾向も今日まで続いておる。そういう一重
投資なりロスというものをどういうふうに適正に配分していくかというようなものがまず
前提にならなければならぬと私は思う。それは
国鉄の
運賃法だけで考えていくのではできないということでありましょうが、少なくとも国の動脈としての
国鉄はその
使命はあるわけです。それをやはり考えてもらわなければならぬ。ところが
運賃法の提案理由を見ておると、そういうものが一切おかまいなしで、さっき言ったように
企業性に徹するということは、いわゆる
企業財政を確立するということに一歩でも半歩でも前進するのだ、こういう空気といいますか
意見にずっと支配されてきておる。これでは
性格はもう変えるほかはないじゃないか。
公共性というのはいろいろありましょう。そこに社会に対して
輸送用役を提供するというのも
一つの
公共性、商店を開く、商品販売も広範にいえば
公共性ですよ。そういう意味の公益性はある特定のもの以外はどういう事業でも達成しておるわけです。ところが
国鉄が従来
使命としてやらねばならぬ公益性というのはそうじゃない、もっと狭められた公益性だと思う。
先ほど御質問がありましたたとえば
枕崎線の問題は、あなたが御答弁になったように、これは地方
開発のため、これは公益性です。これをやるというのです。やらなければならぬ
使命だと思う。ところが、実際はそうは言うが、
性格は変えていきたい、変えていかなければならぬという気持が濃厚に出てきておる。だから現在ある公益性を自分から放棄して、いわゆる過当競争の渦巻の中に入っていこうという傾向があると私は思う。たとえば集約
輸送の問題が
一つ。自分がレールに乗って集めてきておる、今日の窓口を閉鎖して他に追いやってしまう、これは
輸送の事実の問題にもなりましょうが、極端な言い方をすればそういうことが言える。あるいは閑散線の
合理化もそういう傾向がある。これはどれ
一つとっても
合理化という名のもとのいわゆる
公共性発揮、いわゆる誤った
企業性の発揮、こういうようにも見られる部面が多いわけです。
そこで私が言いたいのは、今回の
運賃法改正は、これは
運賃法の第一条の四つの
原則があるわけです。この
原則の中に、その二番目に、「原価を償うものであること。」ということになっておる。今回の提案も原価を償うという
原価主義に置きかえてきたでしょう。これはいなめない事業です。そうだとすれば
先ほどからの
お話の
通り、ここで運輸省、いわゆる
政府は、あるいは
国鉄は、その
性格を変える、変えなければならぬ
状態にある。なるほど
運輸大臣が今答弁されたように
政府も思っておるというが、今年三十五
年度の予算を見ても、なるほど財政投融資はあったでしょう。ところが
利子補給の三億足らずの金、あるいは
新線建設の百億の出資はびた一文持ってこない。この現実は、しかも三十五
年度の予算は、この
運賃法改正が通らぬければ、特に
貨物収入の面においては予定
収入には近づけない。これは予算
審議の際にも申し上げた。
貨物の列車キロはふえないのに
貨物の
運賃収入は七二%の
増加になっておる。列車キロは二%くらいの
増加になっておる。当時貨車の運用効率を向上するからというのだが、私もしろうとだからよくわかりませんが、運用効率向上でか
運賃収入が上がるはずがない。列車キロにまず土台を置く。だから、そういうことを考えるというと、どうもこの四つの
原則のうちの
一つだけである。しかもこの
運賃制度調査会は、この
原則は現状には即さない、ここで修正するのが正しい。この四つの
条件のうちの三つはもう現状に適さないから修正すべきであるという御
意見。これもいろいろな情勢を見られて、学者その他権威者がお集まりになったのであります。特にその中で
指摘されておるのは、そういいながらも、
国鉄の
努力だけでこの
企業は持っていけない、
国鉄の
使命は達成できないから、
政府はめんどう見ろということをいっているのです。それは、わずかに一縷の望みをかけていっている。だから権威者も学者もあなたたちも、全部が客観的な
条件を、いわゆる壁をぶち破るということは不可能だという
前提に立った
運賃法の改正、こういうふうにわれわれは見ている。これではわれわれは困る。というのは、なるほど今度の
運賃法改正では、見ようによれば大した影響もないかもしれません。しかし、見ようによれば、これは大へんな要素を含んでおる、こう思います。これはあとで、まあ各論というか、そっちの方でやります。そういう要素ばかりでなくて、この調査会から出てきた答申、これで今度の
運賃法改正に乗らない部面が
相当ある。乗らない部面は
運輸大臣の認可事項であり、
国鉄総裁の権限にまかされている。これは一連の傾向として、いわゆる一連の
方法としてやっていかざるを得ないのじゃないか。
そこで
お尋ねしたいのは――そういう
性格論はもうやってもしようがないですから――この答申に盛られたものは、今後これに引き続いてやっていくことになるのか、これをまず
お尋ねしたい。