○小林孝平君 私は、ただいま上程されましたベトナムに対する賠償並びに借款に関する
協定両件に対し、
日本社会党を代表して反対討論を行なわんとするものであります。
申すまでもなく、賠償の本質は、戦争と、それによってもたらされる損害に対する贖罪の意味を持つものでありますが、同時にまた、賠償は結局国民の税金によって支払われるものでありますから、何よりもまず、国民が心から納得し、協力するものでなければなりません。ところがベトナム賠償に関しては、かねてから数多くの疑問点が指摘され、論議されてきたのであります。従って、この国会の審議を通じ、これにまつわる数々の疑惑や暗い影を徹底的に解明し、国民を十分納得させることが
政府の当然の責任であり、義務であります。しかるに、審議にあたっての
政府の
態度はどうであったか。必要欠くべからざる資料をみずから準備もせず、また、国会への資料の提出を怠り、あるいは拒み、著しく審議を渋滞させたのであります。さらに
政府の答弁に至っては、ことさらに問題の論点をそらせ、ときに三百代言的言辞を弄し、終始混迷をきわめ、しどろもどろの醜態を見せてきた次第であります。(
拍手)かくしてこれらの疑義は、質疑応答を通じて解明されるどころか、むしろかえって深く濃くなっていくばかりでありました。それにもかかわらず、自民党の
諸君は、外務
委員会において
政府答弁の食い違いを直接
総理にただしている最中に、強引に質疑を打ち切り、今これを本会議に上程し、数を頼んで強行突破をはかろうとしているのであります。しかし、かかるやり方は、みずから議会政治を軽んじ、かつ、それを傷つけるものであると言わなければなりません。(
拍手)われわれは断固としてこの両件に反対し、
政府はこれを白紙還元すべきであると主張するものであります。
以下、
本件に対する反対の論点を具体的に詳細に申し述べます。
第一の問題点は、今
政府が賠償を払おうとしている南ベトナム
政府の正統性についてであります。一体、南ベトナム
政府が全ベトナムを代表し得る資格と能力を有する適法な正統
政府と称し得るでありましょうか。現在の南ベトナム
政府というものは、一九四九年三月八日の、いわゆるエリゼ
協定によってフランスから分離独立を認められたとされているものであります。
政府はこれを唯一の根拠として南ベトナム
政府の正統性を認めておるわけでありますが、これは、ベトナムの代表
政府について考慮しなければならない重大な事実を故意に見落とした議論であります。第二次世界大戦後のベトナム独立の過程を正確に史実に徴して
考えて参りますと、大要次のような
経過をたどっております。一九四五年八月、
日本がポツダム宣言を受諾して降伏するや、戦争中、
日本軍に対して抵抗を続けておりましたベトミンが、ベトナム民主共和国の独立宣言を発したのであります。続いてその翌年一月総選挙を行ない、ホー・チミン大統領を首班として国家の建設に邁進したのであります。そして同年春、すなわち一九四六年三月六日、フランス
政府はこのベトナム民主共和国の独立を
承認したのであります。この三月六日の、いわゆるハノイ
協定の第一条では、フランス
政府は、ベトナム民主共和国を「自由な国家として
承認する」と明らかに
規定しております。そしてこの
協定は、第三条によって、署名と同時に直ちに発効したのであります。フランスがベトナム民主共和国を新国家として
承認した何よりの証拠に、その年の九月十四日にはいわゆるフォンテンブロー
協定が結ばれております。フォンテンブロー
協定は、ハノイ
協定に基づいて、フランス
政府とベトナム民主共和国との間に、経済、文化、通貨、関税、交通通信、外交
関係、治安等についての細部を定めており、同年十月三十日には発効しております。特にその署名の欄を見ますと、一方は「フランス共和国臨時
政府のために、フランス海外領大臣マリュース・ムーテ」となっており、他方は「ベトナム民主共和国
政府のために、ベトナム
政府首席ホー・チミン」となっております。これらはりっぱな国際条約と言わなければなりません。何より大事な点は、この時期にベトナム民主共和国はフランスから分離独立して、母国
政府から独立国家として正式に
承認されていたという明らかな事実であります。外務
委員会における質疑に対して
政府は、「これはフランスがベトナム民主共和国を将来フランス連邦内のインドシナ連邦の中の一自治州として認めることを予約したにすぎないものである。」と答弁して参りましたが、これは全くの便宜主義による詭弁であると言わなければなりません。条約文上いずこに「
承認の予約である」と書いてあるのか。決してそうではなく、「自由な国家として
承認する」と明らかに書いてあるのであります。
政府は何がゆえにこのような曲げた解釈をするのか、はなはだ理解に苦しむものであります。フォンテンブロー
協定は、その名称は確かに「暫定
協定」という名称であります。しかしそのことは、ホー・チミン
政府の
承認の暫定性を意味するものでは決してないのであります。以上は
法律上の議論でありますが、実際問題としても、ホー・チミンを首班とするベトナム民主共和国は独立以来今日まで引き続いて
存在していることは、何人も否定し得ない事実であります。この厳然たる事実に目をおおって、ことさらに曲げた
法律解釈を試みようとすることは、明らかに不自然であり不当であります。
再びベトナムの歴史に戻りますが、一九四六年十二月、フランスはすでに独立国となったベトナムに対し武力攻撃を開始したのであります。これがインドシナ戦争の発端であることは御
承知の
通りであります。インドシナ戦争の最中に、フランスはフランス軍が占領した地域にかいらい政権を作ったのであります。これがバオダイ政権であり、このかいらい政権を作るための処置がエリゼ
協定であります。この当時フランス
政府が「ホー・チミン政権を相手にせず」と声明し、バオダイ政権を作った経緯は、あたかも戦争中、
日本が「蒋介石政権を相手にせず」と声明して、汪精衛政権を
日本軍占領地内に作ったことと全く似ていると言わなければならないでありましょう。蒋政権を相手にせずと声明した当時の
内閣の岸商工大臣が、今日、中国の実態を全く無視して、蒋介石のみを相手にし続けていることもまことに皮肉なことであります。(
拍手)新国家なり新
政府を一たび
承認をすれば、
承認は撤回できないというのは、
国際法の原則として一般に認められているところであります。フランスのこの声明は
法律的に全く意味をなしません。かいらい政権を作るために行なわれたエリゼ
協定は、すでに独立国となったベトナム民主共和国に対する重大な内政干渉であったか、あるいは同一国家に対する二重
承認であったわけであります。内政干渉も二重
承認も、ともに
国際法規の認めないところであります。
日本政府が、このような
国際法無視の結果できた、かいらい政権を、ベトナム唯一の正統
政府として認めるということは、不見識もはなはだしいと言わなければなりません。と同時に、現実に
存在を続けているベトナム民主共和国を全く無視するその
態度は、文字
通り耳をおおって鈴を盗むという
態度にほかなりません。バオダイ政権がかいらいにすぎないという点は、一九五二年わが外務省発行の書類にすら次のように明らかに書いてあります。「フランスのかいらい政権、これがバオダイ政権に対するべトナム人の偽らざる声である。」また「ベトナム大衆の支持を受けているところにホー政権の絶対的な強みがあるわけだが、この点、対蹠的なのはバオダイ政権である」と断定しているのであります。これはわが外務省の発表であります。これによって明らかなことは、この資料の出ました前年のサンフランシスコ会議の当時、バオダイ政権の実体がかいらい政権であったことは何人も否定し得なかったという点であります。さらにそれに加えて、外務
委員会の審議の過程で、参考人学習院大学教授大沢博士によって明らかにされた
通り、サンフランシスコ会議当時において、バオダイ政権は、条約、なかんずく平和条約の
締結権を持っていなかったという重大な事実があることであります。この点はフランス第四共和国憲法を見れば明らかなことであります。このたびの賠償支払いの根拠は、サンフランシスコ条約第十四条であるという
態度を
政府はとっているのでありますが、南ベトナムのかいらい政権は実体を伴わないのみならず、平和条約
締結権を持たない
存在であったのであります。サンフランシスコ会議のときには、
わが国は敗戦国として、いわば被告の座にあったわけであります。ですから、数多い連合国の一つ一つについてその適否を吟味する
立場になかったとも言えましょうが、今日において、なおその惰性によって、正当な判断もできずに、相手かまわず国民の血税を流出するということは、
わが国政府の自主性いずこにありやと反問せざるを得ないのであります。(
拍手)今かりに百歩を譲って、フランスのかいらいであったバオダイ政権並びにその後継者である現在のゴー・ディン・ジェム政権が、何らかの実体と形式とを整えていると仮定しても、それが全ベトナムを代表し得るものとは決して言えないのであります。一九五四年七月のジュネーブにおける休戦
協定によって、北緯十七度が暫定軍事境界線とされており、南ベトナム政権の支配権は十七度以北には全く及んでいないのであります。事実的にも
法律的にも南ベトナム政権は北ベトナム地域を支配していないし、支配できないのであります。このような天下公知の事実が現存するにもかかわらず、南ベトナム
政府が全ベトナムを代表するものであるという詭弁を弄する
政府の胸の中には、おそらく、うしろめたいものがあると存じます。ジュネーブ会議の結果によって、南北ベトナムは将来統一さるべきものとされているのであります。
わが国はジュネーブ
協定の当事国でこそはありませんが、世界の平和を達成することを目的として作られたこの
協定を尊重し、その達成に役立つように
努力することは当然であります。この点に関しては
政府側も、しかる旨を答弁されているのであります。しかしながら、真に答弁のごとくジュネーブ
協定の精神を尊重し、世界から国際緊張をなくしようとするならば、ベトナムの統一を促進する政策こそがとらるべきでありまして、ベトナムの統一を破壊する政策をとることは厳に慎まなければならないと
考えるものであります。現在のベトナムの政情からいって、南ベトナム
政府にのみ巨額の賠償を支払おうということは、実際には南ベトナムの軍事強化を意味し、このようなことは国際緊張を激化する方向にあるものであって、緊張を緩和する政策でないことを
考えなければなりません。われわれは太平洋戦争でアジア諸国の人民に与えた苦痛の償いを怠ろうというのではありません。ただ、最も遺憾なことは、かつての戦争の責任者の一人である岸首相が、再び国民の血税を投じてアジアにおける国際緊張を激化しようと試みているという事実であります。ベトナム賠償はベトナムの統一が実現してから支払っても決しておそ過ぎないのみならず、国際平和の観点からも統一後に支払われるべきものであります。現に北ベトナム
政府は、この南ベトナムに対する賠償に反対し、対日賠償請求権を留保すると述べておるのであります。
政府は、今回の賠償は統一
政府によって継承されると独断しておりますが、統一
政府よりあらためて賠償請求のあった場合、これを拒否する
国際法的正当性は根拠きわめて薄弱であります。
政府はよろしくこの
賠償協定を白紙に返し、南北統一後あらためて賠償
交渉を開始すべきであります。
第二の問題点は、いわゆる二重払いの問題であります。すでに
わが国は、
昭和二十五年に金塊三十三トンを、また、一昨
昭和三十二年三月十六億六千万円相当のドル及びポンド貨をフランス
政府に支払っております。そして、今回また、フランスから分離独立したベトナム賠償を支払おうとしております。
政府の説明では、すでに支払った金塊等は、戦前の日仏間の特別円に関する
協定に基づいて
日本が支払うべくイヤマークされていたものを引き渡したものであり、賠償とは無
関係の戦前債務と
考えているから、今回賠償を支払っても、二重に支払ったことにならないと申しております。しかし、これは問題の本質を逆転した説明にすぎません。この説明は、いかに説明すれば二重払いの非難を避けられるかということ、及びいかにして
日本政府の外交上の失態を国民の目からおおい隠そうとするかという目的のため
考えられた理屈であります。しかし、こうした無理な理屈には、必ず説明のつかない不合理な点が露出するのであります。その最も不合理な点の一つは、日仏開戦の時期の不明確なことであります。サンフランシスコ条約第十四条によると、賠償は、戦争中連合国に与えた損害及び苦痛に対して支払わるべきことになっております。また、特別円による支払いは戦前債務であると説明するならば、当然いつからいつまでが戦争の
存在した期間であるかが確定されなければなりません。なかんずく戦争開始の時期は最も合理的でかつ明瞭なものでなければならないわけであります。日仏開戦の時期に関しては、従来各方面でいろいろの論議がなされたところでありますが、大体次の五つの説があります。第一は一九四一年十二月八日、第二は一九四四年八月二十五日、第三は一九四四年十月二十三日、第四は一九四五年三月九日、第五は戦争
状態不
存在論、以上五つの説のうち、
政府は、一九四四年八月二十五日を開戦の日であると答弁しているのであります。結論から言えば、この
政府の説明は、五つの説の中で最も根拠薄弱な、最も合理性の乏しい説であります。今ここでは、日仏間に戦争
状態は
存在しなかったという議論はしばらくおくとしても、一九四五年三月九日には、現実に仏印で
日本軍は武力行使を行ない、仏印を初めアジア各地に散在していたフランス軍部隊を武装解除して、
日本軍の管理下に入れております。従って、第四番目に申し述べた一九四五年三月九日を開戦日とするという説には相当の論拠があるのであります。ところが、ドゴール政権は、一九四〇年六月ロンドンに亡命してから自由フランス
委員会を作り、一九四一年十二月八日には対日宣戦を布告しているのであります。このドゴール政権が、その後ビシー政権の滅亡とともにフランス本国に帰り、今日のフランス
政府を形成しており、平和条約に署名したのもこの
政府であります。ところで、現在のフランス
政府をフランスの正統
政府として
日本が
承認した以上、一九四一年十二月八日の宣戦布告の効果は、
法律的にはさかのぼって認めなければならないとする有力な意見があります。この点は、私がここで詳細に申し述べるまでもなく、本年八月二十日の官報に掲載されておりますサンタフェ号捕獲審検の再審査決定書の中で、最も有力な専門学者が、多数の国際先例をあげて意見を述べております。これらの問題については
委員会において論議をしたかったのでございますが、自由民主党の強引なる審議打ち切りのため、この重要な問題がついに質疑できなかったわけであります。それはともかくといたしまして、これらの
国際法の専門家の意見によれば、日仏開戦の時期は一九四一年十二月八日であると断定しているのであります。
政府は、フランス
政府承認の効果についての遡及効は認めながらも、開戦日を一九四四年八月二十五日としております。八月二十五日はドゴールのパリ入城の日であります。この日は、ドゴール政権にとっての歴史物語上の記念日であるかもしれませんが、
法律的には何ら意味を持たない目であります。パリに入城したというものの、フランス全土に支配権が及んだわけでもなく、連合国がドゴール政権を
承認した日でもありません。連合国の
承認したのはその年の十月二十三日であります。現実に政権ができて、外国からも認められた時期といえば、むしろ十月二十三日説の方が根拠が強いわけであります。
政府は、この賠償問題に関しては四四年八月二十五日説をとりながら、
昭和二十五年九月十五日に官報に掲載した「連合国人工業所有権戦後
措置令第二条に基く通産大臣告示」では、日仏開戦の時期を
昭和十六年十二月八日としており、それ以後この官報告示が変更されていません。また、極東裁判においても、日仏開戦の目は一九四一年十二月八日とされております。もしも、ただいま申し述べた専門家その他の見解
通りに、四一年十二月八日が開戦日であるとするならば、金塊三十三トンと十六億六千万円は誤って支払われたものであります。なぜならば、平和条約第十四条(b)項で、連合国はこのような請求権を放棄しているからであります。また、もし四五年三月九日を開戦日とするならば、今次の賠償は理論上半減されなければならないのであります、このように見て参りますと、なぜ
政府が根拠のない八月二十五日説に固執しているかという
理由が明らかになって参るのであります。すなわち、対仏外交の失態を、
政府承認の遡及効という、はなはだ、しろうとわかりの困難な理屈を用いておおい隠そうとしているにほかなりません。ドゴール政権は、一九四四年八月九日の、オルドナンスでビシー政権が行なった一切の寸法行為を、その名称のいかんにかかわらず無効としているのであります。ころが、ビシー
政府の
日本と結んだ特別円
協定に基づく勘定は、
日本政府からあらためて
協定を結んで受け取っているのであります。一昨年三月末、国会の
承認も得ずして支払いを行なったのは、当時の
外務大臣岸信介氏であります。そして今回は、フランスから分離独立したベトナムに、なぜかあわてて賠償を支払おうとしているのも、また
岸信介氏であります。一九四四年八月二十五日を開戦日と
考えるというのは、このような不手ぎわの言いのがれのために
考えついた、まことに苦しい弁解にほかなりません。
問題の第三点は、賠償算定の根拠についてであります。総額五千五百六十万ドルの数字は一体どうして算出されたのか、
委員会における質疑でもついに一向明らかにならず、それのみならず、ますます疑惑を深める一方であったわけであります。平和条約第十四条によって連合国に賠償を支払う場合は、戦争中生じた損害及び苦痛に対して支払われるべきものであります。ベトナム国民にいかなる損害、苦痛を与えたかということが確定されなければ、賠償額はきまらないはずであります。伝えられるところによりますと、自由民主党の川島幹事長は、賠償とは別れた女に出す手切れ金のようなものであると言ったそうでありますが、心事まことに俗悪なことと言わなければなりません。一体賠償を何と心得ているのか、不謹慎もはなはだしいと申さなければなりません。
政府が今次の賠償算定の基礎を明確にし得ない
理由は、思うに次の三つの
理由が存するからであります。その一つは、戦争中のベトナム人に与えた損害や苦痛のほとんどすべては、いわゆる北ベトナム地域におけるものであるということであります。南ベトナム政権は、北緯十七度以北には何らの支配権も及んでおらないから、先方でも実際こうむった損害を算定することは不可能でありましょう。それにもまして損害額に触れたくないのは
日本政府であります。それは、正確に発表すれば、与えた被害のほとんどすべてが北ベトナム地域にあることを暴露することになるからであります。実害をはっきりさせればさせるほど、賠償を南ベトナム
政府に支払えばこれで全ベトナムに対する賠償は終了するというそらぞらしい説明が、ますますそらぞらしくなるばかりであるからであります。(
拍手)このことは、鶏三羽二百億円という
言葉が最も雄弁にこれを語っております。第二の
理由は、賠償金額は、与えた損害や苦痛を換算してきめられたものではなく、実は土建業者の机の上でセメントや鉄筋の量を積算することによって決定されたものであります。外務省
調査員、
日本工営株式会社社長久保田豊氏が請け負って設計したダニム・ダムの建設見積り金額と賠償金額とは、完全に一致して、びた一文の違いもないのであります。第三の
理由は、沈船引揚
協定の際の額とあまりに大きな隔たりがあるからであります。一九五三年の沈船引揚
協定交渉においては、総額を二百二十五万ドルとし、これがベトナムの賠償の主要部分を占めることとなっていたわけであります。わずか数年の間に、この金額が二十数倍の五千五百六十万ドルにはね上がったことは、説明がつかないのであります。かくして賠償額算定の根拠は、全くあいまいであります。国民に対して支払い金額の根拠を納得するまで説明するのが
政府の重大な義務であります。国民にとって、その血税を、たとえ一円たりとも納得のいかない支払いに充てられるということは、たえがたいところであります。いわんや、二百億円に上る巨額の賠償、どんぶり勘定で支払われるということは、絶対に
承知できないのであります。(
拍手)
第四の問題は、
政府の秘密外交と国会軽視についてであります。御
承知の
通り、先般の外務
委員会で、わが党
委員の追及によって、この
賠償協定には付属の秘密文書があったことが初めて明らかにされました。この秘密交換公文の内容についても問題とすべき幾多の点があるところでありますが、何よりも問題なのは、参議院での追及を受けるまで交換公文を国会に対して秘密にしていたという
政府の
態度であります。外交の秘密に籍口して、従来も国会を軽視する風潮があったことは事実でありますが、条約に重大な
関係のある交換公文を作成しておきながら、国会の追及を受けなければ発表しないという
態度は、はなはだけしからぬと申さなければなりません。かくのごとき秘密外交は、われわれは絶対にこれを許すことができません。外交は
政府や一部の外交官僚の独占物ではありません。
第五の問題は、岸
内閣が国民の大多数の疑惑や反対を押し切ってベトナム賠償を強行しようとしている真の意図はどこにあるかという問題であります。結論を先に言えば、第一は、岸
内閣が、
アメリカの東南アジア政策、なかんずくその軍事政策のお先棒をかついでいるということであります。第二は、岸
内閣が国内の土建業者や兵器産業の擁護者となっているということであります。この賠償が南ベトナムの軍事強化と密接不可分の
関係があることは、
委員会における審議において明らかにされたところであります。今次の賠償は、緊張激化のために用意された、かいらい政権の補強工作である以外何ものでもありません。こうした下心がない限り、ベトナム
政府の
承認についての選択の問題や、日仏開戦の時期についての見え透いたからくりは、決して出てくるべきはずがないのであります。このベトナム賠償問題は、率直にものを
考える国民にとっては全く不可解千万な問題の一つであります。それは問題の性質が相当に複雑であり、これを十分理解するためには、過去の経緯や専門的知識を必要とするという面が多いということもさることながら、全体として岸
内閣の持っている外交の方向に対する深い疑惑がつきまとっているからであります。特に、この賠償
交渉の経緯を
考えますに、正常な外交
交渉が行なわれたのではなくして
日本側で主要な役割を果たしましたのは実に土建屋と兵器製造業者であります。