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国務大臣(
藤山愛一郎君) 佐多議員の御
質問に対して、総理が言われなかったところを補足して申し上げたいと思います。
南ベトナムを今日の
正統政府として認めるかどうかという先ほどの御
質問でございましたが、
戦争が終わりましたときに、
フランスが仏印三国をどういうふうにして
独立さしていくかということを
考えました。その際、むろん、一時ホー・チミンと
交渉したこともございますが、しかし、結局、一九四八年の六月五日に、全
ベトナムを代表する
政府としてこのバオダイを認めまして、そうして、それがアロン湾宣言ということになっております。翌一九四九年の三月六日にエリゼ宣言というものが発せられておりまして、明らかに全
ベトナムを代表する
政府としてバオダイを認めておるわけであります。当時、仏印三国を処理するわけでありますから、ラオス、カンボジアにつきましても国境を画定して、それを決定いたしたのでありまして、その
関係から見ましても、
ベトナムが当然全
ベトナムを代表する
政府として
フランスが認めたということは明らかだと存じております。今のエリゼ宣言につきましては、一九五〇年の二月に仏・
ベトナムの
協定が批准をいたされております。同時に、英米官等の各国がこれを
承認して参ったわけであります。その後、先ほど御指摘がありましたように、
国民投票によりまして政体が変わりまして、共和国になったわけであります。しかしながら、共和国はすべての権利
義務を引き継いで参っておるのでありまして、従って、最初に認められました
ベトナム国のすべての権益を承継しながらやって参りまして、その後、先ほど総理が言われましたように、逐次、
承認国がふえて参りまして、現在では四十九カ国が
承認をいたしております。従って、こういう点から見まして、私どもといたしましては、
ベトナム全域を代表する正統な
政府ということを認めておるわけであります。そうして、これに対して
賠償を
支払います
義務というものは、申すまでもなく、
サンフランシスコ条約の調印国でございまして、当時、
サンフランシスコに招請されて、これに調印し、われわれは、その結果としてこの
義務をしょって参っておるわけでございます。
そこで、それでは
賠償の額はどういうことであるか、また、
期間はどういうことであるか、こういうことでありますが、
日本といたしまして、
戦争の開始の時期というものを、交戦時期というものを定めるのには、一九四四年八月二十五日、いわゆる、ド・ゴールがパリに帰りまして、明らかに
フランスの主権者となった日をもって、
戦争開始日といたしております。従いまして、それから
戦争終結までの間の
期間における損害
賠償、戦時損害
賠償ということに相なるわけであります。その
期間に、御
承知のように、一九五五年の三月には、明号作戦という作戦をしておるわけであります。六月にはイ号作戦と申しまして、シナの方面から
北部に入ってきております。これによりまして、相当の餓死者も出、相当の損害を与えたことはもちろんでありまして、これらを含めて、全
ベトナムを代表する
政府として
賠償の
交渉をいたしておるわけでございます。そこで、今申し上げましたような
金額でございますけれども、
賠償につきましては、純
賠償が三千九百万ドルでありまして、七百五十万ドルが
借款協定でございます。この
借款協定は、世銀並みの利子をつけまして、三カ年据置で七年間で償還をするのでありますが、
政府といたしましては、移民に対して、この資金の手当をするという、これ以上の
責任は負っておりません。また、
経済開発借款の九百十万ドルと申しますものは、これは
インドネシア、
フィリピン等にもありましたように、純
民間の商業ベースによる
借款でございまして、
政府は何らの
責任を負っておりません。ただ、そういうことができていくことを望ましいと
考えておるということでございます。従いまして、純
賠償として三千九百万ドルであることは申すまでもないわけでございます。
なお、
ビルマの再
検討条項について今どういう状態にあるかというお話でございました。本年春、
ビルマの在京大使から、日緬
平和条約第五条一項による再
検討条項がございますが、これによりまして、
日本に対して再
検討を申し込んで参ったわけでございます。当時の文書によりますと、
インドネシアあるいは
フィリピンと比べて再
検討をしてもらいたいということで、この
ベトナムに関しては言及をいたしてきておりません。そこで、
日本といたしましては、ただいま
交渉をいたしておりますが、われわれといたしましては、
フィリピン、
インドネシアとの
賠償の振り合いから申しまして、
ビルマの今日までの
賠償が不適当であるとは
考えておりません。従いまして、現在、そういうことを十分
説明をしながら、
他方、
経済協力その他を将来とも進めていくのだということで、今日
交渉の過程にございます。
次に、
賠償の
内容があらかじめ決定されておるので、どうも運びが逆ではないかというようなお話でございます。従来の
賠償から申しましても、御
承知の
通り、
賠償を要求する側から、損害あるいは要求額というものを出して参ります。
日本といたしましても、
賠償の実情から、また、
日本の
経済状況その他財政状況から推しましてこの
金額の問題につきましても、少額の問題から逐次
交渉を開始していくことは当然でございますが、同時に、
ビルマ、
インドネシアとの
賠償におきましても、どういうものを
賠償にしていくかということを、両
賠償の場合においても、専門家のコミッションができまして、事前に、どういうプロジェクト、どういう品物を
日本が出せるか、また、どういうことがやれるかということを、専門家
会議をやっておりまして、そこで、こういうものが現地側からはほしい、こういうものが、現地側としては順位をつけて、こういう順位をわれわれとして要求するのだ、そうして
考えてもらいたいということが言ってこられますのでありまして、従って、
賠償の決定につきましては、むろん、
金額の問題の
交渉と、また、
賠償内容の問題等につきましてどういうものをやることが相手国に適当であるか、しかも、それ自体が
日本の
生産物であり得るかどうか、多額のパテントその他を買わなければ、そういう製品の要求に応じられないようなものについては、これはできるだけ
日本としても避けて参らなければなりませんので、そういう点についての、一方には積み上げ
方式を作っておるわけでございます。従いまして、今回の
賠償におきましても、
ダニム・ダムの問題でありますとか、
機械工業センターでありますとか、そういう種類のものが、向こう側としては非常に優先的な順位をもってやってもらえれば大へんけっこうであるということを言っておるわけであります。むろん、この
ダニム・ダムの問題につきましては、国際入札によりまして、
日本工営が
フランスと競争をいたしまして、そうして、それを
両者比較いたしまして、国際連合の技術
委員会の人に
ベトナム側が委嘱いたしまして
検討いたしました結果、
日本の設計が非常によろしいということになったわけでございます。そういう状況でありますから、従って
ビルマ側としてもこういうものを一つやってみたいと申すのは当然だと思うのでありまして、そういう点について、われわれもできるだけそういう希望が少ない
金額の中で達成せられるということはむろん
考えて参りましたけれども、何か
業者の要請によってこういうものを入れるというようなことは、私ども
交渉にあたって全然
考えておりません。
また、ただいま三千七百万ドルと二百万ドル、
機械工業センターと言われましたが、この
機械工業センターその他と書いてあるわけでありまして、むしろそれらの三千九百万ドルの中からは
賠償コンミッション等の経費を出すようなこととにも相なりましょうし、これらのものは、
実施を進めて参ります上において、それらのものをどういうふうに割り振っていくかというようなことは、今後の
検討に待たなければならぬと思うのであります。
なお、
賠償借款の効果について言われました中に、特に私どもに対して、
通商航海
条約、将来のそういう問題、
最恵国待遇の問題等についての御
質問がございました。今日この
賠償をやりまして、
ベトナム側といたしましては、
日本に対して差別待遇をいたしてはおりません。また、われわれといたしましては、これを基本化するために
通商航海
条約を早期に
締結することを希望いたしておるのでありまして、
共同宣言等にこれをうたったわけであります。ただ、現在の事情におきまして、
ベトナム側は、あらゆる
他国からの要求、
フランスでも、
アメリカに対しても、実は
通商航海
条約はまだ作った経験がないので、非常にこわいような感じを持っております。しかし、今度の
共同宣言にもありますように、
通商航海
条約を作っていくという約束をいたしておりますので、これらのことは、今後の外交
交渉上において進めて参りたいと
考えておるわけであります。
で、今日この
賠償は、ただいま御
説明申し上げましたようなことでわれわれはやっておるのでありまして、従いまして、特に何か
アメリカの軍事的な手先になってやっているんだとか、そういうことは全然ございません。
なお、
東洋精機なり、あるいは
技術者の問題等については、通産大臣から御
答弁申し上げます。(
拍手)
〔
国務大臣池田勇人君
登壇、
拍手〕