○草葉隆圓君 私は、自由民主党を代表いたしまして、以下数点について
総理大臣初め
関係大臣に
質問いたしたいと存じます。
まず第一に、
風水害対策についてであります。去る七、八月の水害に引き続いて、九月二十六日、三重、
愛知、岐阜を中心として襲来いたしました
伊勢湾台風は、その
被害の甚大なる点におきまして、わが国
台風災害史上空前のものでありました。その風速は、過去の二大
台風である室戸
台風、枕崎
台風にも比すべきものでありまするが、その
被害の甚大なる点におきましては、はるかにこれを上回っておる未曾有の
災害をもたらしたのであります。この惨状が伝わりまするや、天皇陛下の御名代として、皇太子殿下には親しく現地を視察、激励せられ、また
政府におきましては、いち早く
中部災害対策本部を
愛知県庁内に設け、
岸総理初め各
大臣がつぶさに現地を視察、指導されまする等、
応急対策の実施に全幅の努力を払われましたことは、
被害地の選出議員といたしまして深く感謝を申し上げるところであります。また、国会の皆様方から、いち早く義援金を拠出せられ、海外を初め、全
国民からあたたかい義援金品を送られまして心からお札を申し上げる次第であります。
地元被害地におきましては、この御支援に感激し、これに呼応して、
全力をあげて
復旧に努力をいたしておる次第であります。
そこで、第一にお
伺いいたしたいことは、このような
政府、
国民の御支援にもかかわらず、
台風襲来後月余を経ました今日、
浸水地域の四分の一に当たる
地域がいまだ
浸水しており、なお相当な日時を要するという点であります。その間、ただいま成瀬君の
お話にもありましたように、わずか一枚の毛布にくるまって寒さをしのいでおるところすらある
状態であります。また、
学校などの
避難所に収容されておりまする罹災者は、現在、
愛知、三重両県だけでも約二万にも及んでおりまして、
学校での授業は一応全部始められましたが、学用品は依然十分とは申しにくい
状態であります。寒さに向っておる今日、さらに夜具、毛布等、救援を要するものが多いのでありまするが、これに対する
政府の
対策を
伺いたいのであります。さらに、今回の
災害の経験にかんがみまして、
災害救助法を再
検討する必要があると存じまするが、これに対する
政府の御見解を
伺いたいのであります。
第二は、
災害に対する
特別措置についてであります。
災害関係の
特別措置といたしまして
被害諸県が切に要望いたしておりまする事項は、広範多岐にわたっておりまするが、その中におきまして、次の諸点について
関係大臣の御
所見を
伺いたいのであります。
応急対策及び
地方税の収入減をカバーするための特例債について。社会福祉
施設等の
復旧のための高率の国庫
負担の増額について。個人医療機関たる診療所、病院、薬局等の
災害に対する融資のワクの確保及びその増額について。
学校、社会教育
施設の
復旧及び鉄筋建築のための国庫補助の増額について。宗教団体の
被害に対する融資、各種
学校に対する補助及び融資について。組合立簡易水道終末処理場、交通機関等公営
企業の
復旧のための国庫補助の増額について。農林漁
業者に対する融資の
特別措置について。
被害立木の売却に対する所得税の減免について。中小商工
業者に対する融資の増額について。商工団体共同
施設の
災害についての補助等であります。
次に、今回の
災害対策に対しまして、
大蔵大臣はまことに熱烈なる御努力をいただき、この点は感謝を申し上げまするが、
補正予算において、現在
被害諸県の要望を、直ちに、かつ十分に取り入れていない点、また、今後になさるべき点も多々あると思いまするので、これらの点については次年度
予算等において十分御考慮をいただきたいと存じまするが、この点につきまする
大蔵大臣の御
所見を
伺いたいのであります。
第三は、
災害復旧に当たって、原形
復旧にとどまらず、
災害の再発を防止するために必要な改良を十分加味した
復旧を促進する意思があるかどうか。この点について
地元は大
へん大きい関心を持っておりまするから
伺いたいのであります。
第四は、今回の
被害地域は中部経済圏の中心的な
工業地帯を含んでおり、しかも、この地帯の工業生産額は全国の約一三%を占めておるのであります。その
復興のいかんは、わが国産業の消長に影響するところきわめて大なるものがあります。従って、この地帯の
復興のためには、単なる
災害復興対策にとどまらず、より広い視野に立って総合的になさるべきであると、中部
地方では強く要望し、
復興開発庁というような、そういう機関を設けられたいという要望が強く出ておりますが、これに対する御
所見を
伺いたいのであります。
第五は、海岸提防、
河川提防、
護岸等、土木工事の基準に再
検討を加え、新しい、より高い、高度の基準によりまして、海岸と河口とを一つにした、いわゆる海岸
対策を強力に推し進める必要があると思いまするが、これに対する御
所見を
伺いたい。ことに、海岸法による保全区域の指定は、いかような基準によってなされておるか。さらに、今後これを拡大される点につきまして、いかようなお
考えをお持ちになっておるか。
関係大臣の御
所見を
伺いたいのであります。
第六は、
治山治水対策の強化についてであります。
政府は、
昭和二十八年、
治山治水十カ年
計画を立て、さらに
昭和三十三年には、この
計画から緊要なものを特に取り上げて、新しい五カ年
計画が立てられましたが、果して
計画通りに実行されておるかどうか疑念なきを得ないのであります。そこで、
治山治水のための基本法を制定し、将来の財政的な裏づけをも確保しておくことが、この際必要ではないかと思われまするが、
政府の御
所見を
伺いたいのであります。
第七は、
災害のたびごとに行われまする臨時立法の
特別措置を、可能な
範囲において恒久立法化していく用意があるかどうか、また一歩進めてこれらを総合して一本の
災害基本法を作る意思はないかどうかという点であります。この点につきましては、
地方財政がだんだん健全化しておるから、その必要は認められない、必要ではないという意見もあり、確かに
地方公共団体の
赤字が急速に減少し、健全化の傾向を示しておりますることは事実であります。しかし、これは再建債の発行その他のいわゆる
赤字たな上げの
措置に負うところが多いのでありまして、特に注目に値いいたしますることは、数字は省きまして、
昭和三十二年以来、
地方財政健全化の傾向は鈍化し、あるいは停滞しておることであります。
災害は
地方財政を著しく窮乏化するのでありまするから、恒久立法化は
地方財政に資するところがきわめて大なるものがあると存じます。これに対しまして
大蔵大臣並びに自治庁長官の御
所見を
伺いたいのであります。
第八は、気象庁予報の精密度の向上、
防災体制強化の
措置についてであります。精密度の強化につきましては、成瀬君もお触れになりました
通りでありまするが、さらに
災害防止体制の強化については、平常時におきまして気象予報を周知徹底させるだけの体制を十分整えておくことが、今回の経験から切望されております。従って、主要
地域におきましては、
防災要員の制度を設ける等の
措置が必要であると思いまするが、これに対しまする御
所見を
伺いたいのであります。また、
水防団体の現状は果して満足すべきものであるかどうか、水防法につきましても、この際、根本的な
検討を加える必要があろうと存じます。さらに、
台風襲来時におきましてしばしば起る通信機関の麻痺は、
災害の防止を非常に困難にいたしております。現に今回は、
台風上陸以前にすでに電話線は多数の個所で破壊され、こうした
災害時に対する通信機関はきわめて不満足と思われまするが、これに対する
対策について郵政
大臣の御
所見を
伺いたいのであります。
最後に、
自衛隊についてであります。今回の
伊勢湾台風の
災害救助と
応急措置に当たって、
自衛隊の活動は真にめざましいものがあり、そのなした役割りはきわめて高く評価さるべきものでありまして、
自衛隊の活動によって初めて
罹災地は愁眉を開いたのであります。従って
自衛隊に対しましては
災害地の人々は心から喜んでおるのであります。この
実情にかんがみ、しかも現在の
災害地の情勢にかんがみて、
政府は今後、
施設隊等、必要部隊をさらに一そう現地に増強されたいという熱望がありまするが、ただいまも
お答えがありましたが、十分現地の情勢を御勘案になって、至急
措置をいただきたいと存じます。
次に、炭鉱離職者問題についてお
伺いいたします。石炭産業不況のあおりを受けまして発生いたしました炭鉱離職者は毎年
平均二万人に及び、
昭和三十四年には離職者七万六、七千人、新規就職者約五万人でありまするから、二万六、七千人の離職者と見られ、今後なお激増する傾向と見られます。こうした炭鉱離職者の生活はきわめてみじめなものがあり、その
対策はようやく大きな社会問題となって参ったのでありますが、こうした炭鉱労働事情の危機は、燃料界において固体燃料から液体燃料等に切りかえるという、いわばエネルギー革命によるものが多いのでありまして、この革命は、わが国だけではなく、主要工業国でも石炭危機
対策が重要な政治問題となって参ったのでありまして、従って、その
対策にはよほど徹底的かつまた合理的なものが必要だろうと存じまするが、これに対する通産
大臣の御
所見を
伺いたいのであります。また、石炭離職者は、他の産業労働者の場合とその趣をはなはだしく異にいたしております。ぜひとも合理化資金の供給なり、労働者の配置転換なり、他産業へのあっせんその他の
措置が当然実行されなければならないと存じます。
政府は、離職者の公共
事業への吸収、職業
訓練の実施、就職、転職のあっせん、自立自営の相談など、責任ある実行
措置をとるべきであると
考えまするが、差し当たって、すでに発生いたしておりまする炭鉱離職者への
応急策及び今後の恒久的、
計画的
対策につきまして、労働
大臣の御
所見を
伺いたいのであります。
最後に、ベトナム賠償問題についてお尋ねを申し上げます。
ベトナムは一九五一年九月のサンフランシスコ平和条約に署名、批准しておりまして、その結果、ベトナムは平和条約第十四条に基づいてわが国に対して賠償請求権を持っており、従って、条約の義務を誠実に履行することを建前といたしておりまするわが国といたしましては、この賠償支払い義務をいたずらに遷延させることは、はなはだ不適当であると存じます。しかるに、平和条約発効後すでに七年以上になりました今日、ようやくこの問題が解決するということになりましたことは、むしろ私はおそきに失する嫌いがあるのではないか。特に東南アジア諸国との賠償取りきめは、このベトナムを除きましては一応終了いたしており、今次のベトナムとの賠償協定の成立をもって、第二次大戦中の賠償は全部終了するわけでありまするから、すみやかにこれが実施に移さるべきであると存ずるのであります。岸
首相は、さきに東南アジア諸国歴訪の途次、ベトナム大統領との間に、この賠償問題を早期かつ最終的に解決する旨の共同声明を出されておるのでありまするが、その共同声明後すでに二年を過ぎたのであります。しかし数次にわたる交渉の結果、両国の大幅の歩み寄りによりまして、賠償及び経済協力に関する協定が調印されたのであります。よって
政府は、この賠償支払い義務を忠実に履行し、わが国の国際信用を高め、将来の東南アジア諸国との提携に一そうの努力を傾けるべきであると存じまするが、
首相の所信をこの点についてお
伺いいたしたいと存じます。
ベトナム賠償については、
国民の一部に相当の論議がなされており、しかも、これには相当の誤解の点もあると思われます。この際、
政府は進んでその誤解に対して明快に解明すべきであると存じます。従ってこの際、私は次の諸点について
政府の所信をただしたいと存じます。
第一は、賠償支払いの相手力となったいわゆる南ベトナム
政府の正統性についてであります。現在のベトナム
政府は一九四九年三月八日、フランスから分離独立が認められ、一九五五年十月、選挙によりまして、政体の変更によって共和制となったものでありまするが、今日までに、現ゴー・ジンジエム
政府を正統
政府とするベトナム国を正式に承認いたしておりまする国は、わが国を含めまして四十九カ国、その他実際上承認の形をとって領事、代表部を置いております国を加えますと、六十二カ国に及んでおります。これに反しまして、ホー・チミン
政府を正統
政府と認めておりまする国は、ソ連及び東欧の若干の共産国にすぎません。もちろん、これらはわが国の平和条約当事国でもありません。従って、ホー・チミン政権をベトナムの正統
政府としてこれと賠償協定を結ぶべきであるという議論は根拠のないものであり、また、今後ホー・チミン
政府からあらためて賠償要求があっても、支払うべき義務がないと思いまするが、これに対する
政府の
所見を
伺いたいのであります。
第二は、この賠償支払いは二重払いではないかという点であります。この点については二つの点を明瞭にする必要があると存じます。
その一つは、戦前債務の支払い問題と賠償との問題であります。フランスは
昭和二十五年にわが国から三十三トンの金塊を受け取り、さらに三十二年三月三十一日に十六億六千万円に相当するドル及びポンド貨を
日本から受け取っております。その上、今度さらに賠償を支払うことは、いかにも二重、三軍払いのように思われます。しかし、すでにフランスに支払いました金塊及び十六億六千万円は、
昭和十六年五月の日仏間の協定によりまして、日仏開戦以前の特別円制度に基く決済、つまり平和条約第十八条に申しまする戦前債務であります。今度の賠償は同条約第十四条に基づくものでありまして、この両者は全然別のものであるのみならず、平和条約第十八条(a)項は、その最後の項目におきまして、「この項の規定は、第十四条によって与えられる権利を害するものではない。」と定め、戦前債務を履行しても戦時賠償を免れ得ないことを明示しているのであります。従って、さきのフランスに対する支払いと今度の賠償とは決して重複したものではないと思います。しかし、二重払いではないかという
国民感情が一部にあります以上、
政府はこの際明快にこの
関係を説明して、その誤解を解くべきであると思いますが、これに対する外相の
所見をただしたいのであります。
その二は、日仏開戦の時期についてであります。第二次大戦の初期は、
日本とフランス間には戦争
状態はなかったのであります。従って、平時の特別円制度があり得たわけでありまするが、当時のフランス
政府であるビシー
政府は、ドイツ軍が敗れまして退却いたしまするにつれて瓦解し、それまでロンドンに亡命しておりましたドゴール政権がこれにかわったことは周知の
通りであります。しかして、理論上は
日本とフランス間の開戦時期は幾つか
考えられると存じます。一つは、ドゴールが大東亜戦争勃発の日、すなわち
昭和十六年十二月八日、自由フランス委員会の名において対日宣戦を布告した時、第二は、一九四四年八月末、すなわちドゴールが連合軍とともにフランスの首都パリを奪還した時期、第三は、ドゴールの組織した
政府が連合国から承認されました一九四四年十月二十五日、第四は、
日本がフランスに対しまして戦時国際法を
適用して、フランス人を敵国人として取り扱いを開始した一九四五年三月九日、以上の四つがあると
考えます。ところが、
政府はドゴールがパリに帰った
昭和十九年八月をとっておられるようでありまするが、
政府がこれをとられた根拠を承りたいのであります。何
ゆえと申しまするならば、開戦の時期によって、対外支払いが戦前債務か戦時賠償かの分かれるところであるからであります。戦前債務であれば平和条約第十八条で支払い義務が生じまするが、一たん戦争となったあと、戦争
遂行中
日本がとった行動から生ずる連合国の請求権は、平和条約第十四条(b)項によりまして連合国が放棄しているから、支払い義務がないのであります。他面、賠償は平和条約第十四条(a)項によりまして戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して」支払うべきこととなっておりまするから、戦前の問題については賠償は支払う義務がないと思うのであります。従って、一面、開戦の時期いかんが二重払いの疑義を解く一つのかぎと思われるのでありまするから、この点につきまして
政府の所信を明快にお願いを申し上げたいのであります。
以上をもちまして私の
質問を終わります。(
拍手)
〔
国務大臣岸信介君
登壇、
拍手〕