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森中守義君 これは
見通しの問題でもあろうし、またそういう正確な
見通しなくして、
事業の経営も、あるいは
大臣の
大臣としての任務も私は勤まらぬと思うのですが、残念ながら、そういう見方からしても、あなたは
ほんとうに郵便が
完配できるという
自信をお持ちでない。また、そういう
答えはここから出てこない。そこで、さっき野上
委員も言われた
ようだけれども、今とにかく相手の方が屈服するのを待っておる。そこで、公労法四条三項の問題も、十一月二十五日に到着している事実を知っておりながら、知らないと言い、九十八号に違反しておるということを知っておりながら、これをほおかむりして、それでのっぴきならぬところまで立ちすくんでしまって、全逓が、
言葉は悪いのですが、妥協を申し込んでくるのをこの際待とうという、そういう
政府あるいは与党の
意向に押されて、
大臣が
大臣としての任務を果していない、私はそう率直に思うのです。そこで、ここ数年来、年末になって、いかにして年末の幾多の問題を解決するかということで、例年
国会の中でいろいろ私どもは審議を続けてきたのですが、歴代の
大臣は、
国会の中における
答弁の技術上の拙劣はあった。だけれども、法律をいじり、法律をたてにとって、一応の理屈の言い合いはしたけれども、やはり最後は
大臣らしい
答弁をした。閣議の中でたとえ孤立しても、あるいは与党の態勢がきわめて強くても、あくまでも
年賀を飛ばしてはいかぬ、非常勤三百万とか、いろいろ
計画はしても、これは実行不可能である、断じてできない、そういう事実を認識把握しながら、最終的には
郵政大臣が閣議の険悪な空気の中にまで飛び込んでいって孤立してまでも説得した。与党の中に行って孤立してまでも与党の諸君を説得したという事例を私は
幾つも知っておる。ところが、残念ながら、今の
植竹大臣になって、そういう
努力の跡が見えない。
政府与党の
意向をそのまま
国会の中に反映し、
郵政省のために、
国民のために、あなたが職務を果されておるとは私は思えません。これは、もはや八十七号批准の問題は時期の問題である。しかし、全逓の
政府が言う
ような違法
状態、これが来年の三月という時期に迫られていて、この際全逓を年末の苦境に落とし込んで勝負をつけ
よう、それで
政府の面子を立て
よう、これが実は私がしばしば指摘しておる在来のこだわりというものです。さっき野上
委員も言うた
ように、
新聞の論調や
国民の世論をどういう
ようにあなたは判断をしておりますか。もちろん、全逓もほめたたえられてはいない。だからといって
政府がとっておる措置が無条件によろしい、そのままの態勢で全逓を押しつぶせという世論はどこにもない。なぜに双方が話し合いをしないのかという意見が圧倒的に強い。公労法四条三項をたてにとっておるけれども、公労法四条三項では現実に郵便が届かないのです。これが私は率直な
国民の世論だと思う。そういう理屈の言い合いや国際条約の問題等はまた別に
論議をして、
年賀郵便はとにかく間違いない
ように届けてほしい。
政府と全逓の理屈の言い合いで
年賀郵便は届きませんよ。
年賀郵便は届けてほしい、これが
国民の現在の率直な世論です。もしも
大臣が、
政府の主張がより正しくて
国民の支持も、
年賀は届かぬでもよろしい、今の態勢で全逓を押しつぶせという世論があるならば、聞かしてもらいたい。一体
大臣は、
新聞の論調や
国民の世論をどういうふうにお
考えになっておられますか。まさに
大臣からぬ
大臣、今まで歴代の
大臣に、ずいぶんとむずかしい理屈の言い合いをしたり、けんけんがくがく言い合ってきましたけれども、最終的には、
政府与党の
意向がはなはだ
郵政省のためによくない、
年賀が飛ぶという態勢になったならば、ある時期には辞表をふところにしてでも、閣議の中で、これは
一つとにかく
郵政大臣にまかせてくれとか、こういうことでは困るということで説得した
大臣がたくさんおいでになる。それらの
大臣とあなたと比べた場合、問題にならぬじゃないですか。裁判所の判事か検察庁の検事と同じだ。法律をたてにとっておる。法律だけで
仕事をやるのが
大臣じゃありませんよ。法律の運用、運行その妙をいかにするかということが私は
大臣の
責任であると思う。一体五百七十といういわば
年賀郵便が届くか届かぬかという大事な局の中で、三六が結ばれないで非常勤の数をあげてみたり、七億という金高をあげてみて
年賀が完全に届くというならばお目にかかりたい。絶対にできない。そのうしろの方に並んでおいでになる事務当局はどういう
説明をしておるか知りませんが、おそらく内心は必ずしも
大臣が言われる
ようなことじゃないと思う、
郵政当局の皆さん方は。一体閣議の中やあるいは与党の中で少々全逓が思い上がっておるから、この際やっつけろという意見があることを私は聞いておる。しかしそういう
意向をそのままあなたが真に受けて、それで
年賀が届かぬのも仕方がないとするならば、これは
政府与党の郵便
事業である、
国民の郵便
事業じゃないということだ。その辺が一番大事なところですよ。自由民主党や岸内閣の郵便
事業でないということ、九千三百万の
国民の郵便
事業であるということを忘れちゃおりませんか。思いそこに至るならば、与党や閣議の中で、たとえあなたが孤立してもできないという現実の上に立ってあなたがさか立ちしてみても、八百円のアルファをつけて、風鈴をつけて三六を結んでくれといっても、現在の全逓は絶対にくずれない。
東京中央を初め、各地方
郵便局、
鉄道郵便局、それが機関の全体の率からいくならば、五%、一〇%程度になるかわからない。しかし残った最後の五%、一〇%によって断じて
年賀はおくれるということです。三六
協定が
幾つ結ばれたか、その締結された率によってきまるものではない。ここに数よりも質だという問題が出てくる。明確に
中央郵便局や鉄道郵便月が三六
協定を結ぶという
自信がありますか。十余年の長い運動の中から今日を得たる全逓が不合理な
政府与党の措置によって軍門にくだるということは
考えられない、できないということだ。だからもう少し私は
郵政大臣は
郵政大臣らしく
政府与党の
意向もあろうけれども、
政府与党の
事業でない、
国民の
事業である、
国民の郵便であるということに思いをいたしてもらって、大へん責める
ようでありますが、ぜひ私は四条三項とか、そういう法律よりも、
国民はそういう法律の論争を期待しておるのじゃないですから、率直に話し合いをおやりになるなり、団交の再開をやるなり、この年末の危機を回避してもらいたい。明日も
委員会が続きますから、また
一つそのときも少しくお尋ねしたいと思いますが、きょう私はその点
大臣の法律論あるいは法律の技術者の
ようなことでなくして、
大臣らしい、政治家らしいものの運びをお
考えになるかどうか、その点を
一つ承っておきたいと思うのです。