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米田勲君 私は、
警察長官の
先ほどの
答弁の中から、二、三の問題について
質問をいたします。
今、
占部委員から
質問のあったことでお答えがありましたが、そのお答えを聞いても、なおかつ私は、あなたの見解をはっきりさしたいと思うのですが、
先ほど新しい法律によって
デモ等の規制を行なわなければならぬのではないかという
西郷委員の
質問に対して、
国民の良識が高まらぬ限り云々という
言葉を使っておられる。一体良識が高まらないという、良識とは、あなたはどういうことをお考えになっておるかどうか、こういうことであります。さらに敷衍して申しますと、この間の、二十七日に起こった安保改定を
阻止する
デモ的な現象になった
請願の
行動の発生は、単なる過激思想を持った過激分子がまじっていたから起こったのであるというふうにのみ考えておるかどうかということが
一つ。
それから第二には、
警察の現在の定員では、どうも負担が重過ぎて
警備が十分でないと、こういう
お話でありました。ところが、その前提に将来起こり得る
事態を予想しておられるわけです。ところが、将来起こり得る
事態というのは、だれしもわからないことであります。もっと膨大な問題が、
事件が起こるか起こらないかということは予想つかない。そういう
状態でありますから、起こるとか起こらないとかいう予想は、あくまでも主観的であります。そういう主観的な立場に立たざるを得ないような将来の問題を見通して、
警察官の現在の定員では
警備が十分でないという言い方をされるのは、一体ここ近来
警察官の現定員では
警備が十分でなかった、そういう
事態が具体的にあるのかどうか。そういうものなしに、ただ印象的に、主観的に、現定員では
警備が十分ではないと言われるならば、はなはだ不見識なことだと思うのです。それをお聞きいたします。
第三番目には、結論的に言えば、良識が高まらなければとか、急速に期待ができなければという、いろいろな前提がありましたけれ
ども、結局、あなたの
言葉は、少なくともニュアンスは、
現行法以外に新しい法の規定を期待をしているような、そういう印象的な、速記録を見れば
言葉がはっきりしますが、そういう印象を私は強く受けました。そこであなたは、現在の
警察官の定員をいかほどふやせば
警備が十分になると
判断をされるのか。
それからもう
一つは、あなたは
先ほど、
警備態勢はもっぱら
防御態勢であった。その理由に、
事態を混乱に陥れないためにという配慮をされたことを前提にされているわけです。
現行法規があって、その
現行法規で最善を尽くして十分な取り締まりをやって、なおかつ問題が残ったというのであれば、私は、別な問題になるのであるが、
現行法規で、この岡の二十七日の問題を百パーセントその法規を適用して、十分に
警備に当たり、取り締まりに当たったというふうには考えられない、私の立場から見ると。しかも、
現行法規がどのようにあろうと、新しく法親を作ろうと、あなた言ってるように、
事態を混乱に陥れないためにということを常に考えるなら、それはどんなに、
警察官の定員を百万にしても同じことであります。
事態を混乱に陥れないためにというのは言いわけであって、十分に
現行法規を発動して取り締まり
態勢をしがなかったあなたの
責任をこの
言葉によってすりかえようとしているように私は考えるわけです。新しい法規の制定を期待しておるらしいあなたの見解は一体どういうものなのか、再度お尋ねをしたい。
それから、あなたに最後に一言お聞きしたいのですが、
憲法の問題であります。
憲法の
国民の権利義務の問題のところには、いろいろ慎重に書かれてあります。取り締まればいいとか、法律を作ればいいとかいうような簡単な扱いには、
憲法の中でこの
国民の権利義務の問題は取り扱われておらない。
憲法の十一条には、「
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この
憲法が
国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の
国民に与へられる。」ということをまずうたって、次の第十二条には、「この
憲法が
国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の
努力によって、これを保持しなければならない。」ということを強く前にうたって、「又、
国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する
責任を負ふ。」というふうに消極的に押えているわけです。十王条には、このことをさらに、「すべて
国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する
国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」というふうにちゃんと規定してあるわけです。これは、取り締まりを急ぐのあまり、重大な
国民の基本的人権をむやみに抑圧してはならないという
憲法の精神であります。さらに、この
憲法から生まれてきている刑事訴訟法の問題についても、第一条には、「この法律は、刑事
事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ」、こういうことを前段で強くうたって、「事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。」というふうに、びしっと押えているのです。この「公共の福祉の維持」ということがかりに侵されるか侵される危険があるからという見解で、直ちに法をもって
憲法に保障せられておる個人の権利を押えようとするような考え方は、この刑訴法の第一条に定められた、「個人の基本的人権の保障とを全うしつつ」という精神にも反することにもなるわけです。さらに、
警察官職務執行法の
現行法の中にも、わざわざ第一条に、その行き過ぎをしないようにうたってある。「この法律に規定する手段は、前項の目的のため必要な最小の限度において用いるべきものであって、いやしくもその濫用にわたるようなことがあってはならない。」
国民の権利に対する規制を加えようとするときには、非常に慎重に、最大限の
努力を払って、人権を守ろうとする
憲法の精神から、これらの法律は発してできている。あなたの言うように、この間の二十七日のあの
事件を、しかも、私に言わせれば、
現行法規を百パーセントに発揮して取り締まりをやったというふうには見られない。
先ほど警視
総監は、私の言ったことについてあいまいなことを言っておるが、私は、
警察官の
うしろから、初めから終わりまで立って見ておった、だから、私のこの目に狂いはない。百パーセントに
努力して、それを
阻止するというあなた方の方針をやってはいないということは、私はこの目で見ている。そういうふうに実際の活動をやりながら、また新しい法律の規定を期待しているというような考え方は、
憲法やその他の法規の精神から見ても、どうも
警察庁長官としては不穏当な考え方であり、行き過ぎな考え方であると私は思うのです。あなたは、こういう私の見解に対して、どういうふうにお考えになっているか、慎重にはっきりお答えをいただきたい。