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森元治郎君 私は
日本社会党を代表して、ただいま本
委員会にかかっております
ベトナムとの
賠償協定及び
借款協定に関して
反対の
討論をいたします。
その前に、ただいまの
藤山外務大臣の御
見解は、一九四四年八月二十五日以降、
政府の言う
特別円に関する
戦時債務をその清算において認めたことを
意味するものでありまして、
戦争開始日に対する
政府の従来の
答弁を全く無
意味にするとともに、
戦費調達に使った
特別円債務と
賠償の二重払いを認めたものでありまして、きわめて重大でありますることをここに申し上げておきます。
続きまして、
賠償二
協定についてのわれわれの
反対の論拠を申し上げます。
この二つの
協定が今
国会にかかってから約二ヵ月近く
審議を重ねましたけれ
ども、その経過を見ますると、いよいよもって
疑惑は深まるばかりでありまして、わずかにはっきりしているのは、この
ベトナムに払う
理由は、
平和条約十四条に言うわが国の義務であるという一点だけであります。その他は、つけばつくほどどうも
疑惑が深まって、これでは、われわれ
日本人の税金を払って、しかも
ベトナム人に喜ばれないような
協定に
賛成するわけには参りません。
まず、
交渉の
態度でありまするが、どうも
商売のような感じを持って臨んでおるということは、インドネシア、ビルマあるいはフィリピンの場合にも強く感ぜられるところであります。もうかる
商売である、国費をもってやる
商売のような印象を全般的に
国民に与えておる点が、われわれの納得のいかない点であります。
その次には、
正統性、いわゆるわれわれが支払う対象である
ベトナム国が、真にわれわれが常識的に見る
ベトナムという国の
正統政権であるかということであります。しかしこれは私
たちの
見解は、やはり一九五四年の
ジュネーブ協定にも、この国は、暫定的、
行政管理的性格を持った
政府であって、やがては
北ベトナム民主共和国との間に
選挙が行なわれて、
統一国家ができるんだ、それまでの
暫定的性格を持ったものであると断ぜざるを得ません。(「その
通り」と呼ぶ者あり)従って、これに
賠償を払うというのは尚早であり、間違いであるということであります。
次に、
戦争の
損害と
賠償額の算定であります。この
賠償はどのくらい払うか。
政府は二百億円を
ベトナム側と
協定をいたしましたが、
衆議院でも、われわれ
参議院でも、この点は特にどこに
損害があったんだろうか、
条約で御承知のように、第十四条において、
戦争中に与えた
損害と
苦痛に対して
賠償は支払われる。しからばどこにその
損害があって、どういう
苦痛があったんだろうかと、われわれはお尋ねをいたしましたけれ
ども、この点についてはついに明確なる御
答弁がありません。たとえば地域的には北のこの辺、
トンキン地域ではこのくらい、アンナンではこのくらい、カンボジアではこのくらい、あるいは人間に対してはどう、物件に対してはどう、あるいは一九四一年と
——昭和十六年ですね
——起算して、あるいは
政府の言う
戦争開始日である十九年八月二十五日をとってみても、年度々々にどのくらいというふうな精密なものが用意され、研究さるべきでありますが、これがなされていない。その
理由として、なかなかつかみにくい、しかしわれわれはいろいろな人からお話を伺って、まあこの辺でよかろうという腹づもりで
交渉したと言う。それはけっこうではありまするが、
交渉に臨むにあたっての、せめても
国民に対しての
説明のためには、これこれの人、これこれの
時代にこういう
資料を集めた結果、この辺が妥当と思うのだという
資料が提示さるべきでありまするが、全然これがなされていないで、ただ単に
金額で
交渉したというところに間違いがあります。向こうでは初め二十億ドルと言い、二億五千万ドルと言う。それを何でも安ければいいんだというところへ話を持っていってしまって、私
たちが
条約で、
戦敗国として残念ながら支払う、
賠償を払う
態度としては、きわめて不謹慎、軽卒、無準備で、
国民に対しては相済まないことを
政府はやっているのであります。従って、
戦争の
損害もわからない、
苦痛あるいは
損害というもののあれがないのですから、幾らということもできない。ただ単に
金額が安ければいいというところに話を持っていってしまったということを、私
たちは認めざるを得ません。とうとう御回答がありませんでした。この点が、一番
国民に、庶民にわかりやすい
賠償支払いの
理由であるのでありまするが、とうとうなかったということは遺憾であります。
それから
戦争の
開始日、これはいつからいつまでに与えたものかということで、当然問題になると思うのでありまするが、
政府はこの問題を、
昭和十九年の八月二十五日、この日をもって
フランスとの間に
戦争状態が発生したと見る、
法律的立場をとる、その日をもって
状態発生の日だという建前、
心組みでおりますと、こういう
答弁であります。しかしながら、
戦争開始日というものをいやしくもきめる場合に、そのような
心組みとか、
立場というこの御
説明では不十分であります。
政府としては、何月何日をもって
フランスと
戦争状態に入ったのだと、
確定的態度をもって臨まないということの
疑惑は、とうとうきのうの日まではっきりさせられないで終わってしまいました。
フランス側は十二月八日と言う。私
たちは、もし
国際法でいうところの、宣戦は一方
的宣言によって効力があるのだから、すなわち宣言を発した側の
フランスの言う十二月八日という日であろうかとも一応は考えまするが、しかしながら、
ペタン政府が倒れ
——日本政府と
中立関係を持っていた
ペタン政府が倒れ、ドゴールになり、その
植民地である
仏印というものは、
日本との間には
共同防衛の
議定書があり、いろいろ複雑な
関係はありましたがもしこの日が
一般国際法でいうところの一方
的宣言でなくて、勝手に動かせるというならば、私は
昭和二十年の三月九日、すなわち
最高戦争指導会議が
松本俊一全権大使に訓令を発して、
ドクー総督に
最後通牒を突きつけた日が最も法律的に、かつ現実的に妥当した日ではなかろうかと思う。
政府は八月二十五日と言い、あるいは二十年三月九日、あるいは十六年の十二月八日、もしこの日をとったなら
損害はどうだというその区別すらもとうとう明らかにしなかった。また、われわれは、去る八日、
工業所有権の戦後
措置令に関する
通産省告示で、
昭和十六年の十二月八日が
フランスの
戦争開始百だとなっているではないかと御
質問申し上げましたが、これは
工業所有権だけの適用に関する
告示であって、
一般国際関係を律するものではないという御
答弁が、私が退場した
あと速記録に載っております。そうではありますけれ
ども、私も研究してみて、そうではありまするが、同時に、当時の情勢は、
日本の
経済再建に
工業所有権という問題をはっきりしなければならぬという
要請と、
連合国側の
要請が二つ合致しまして、当時の
SCAP——最高司令部から覚書をもらって、二十五年の九月に出したということは、これはやがて
平和条約の中に当然織り込まれるべきものであるという
意味であります。織り込まれたならば、これは
フランスとの
戦争開始日は何条かと多分十五条の方の
関係に入るかと思いまするが、そこで、
フランスとの
戦争開始日は十二月八日と明記されたはずであったという事情も、これはよくお考えにならなければならぬ。われわれは、
政府は三枚舌を使って、
戦争開始日が三つも四つもあるようなことでこの
国会をお済ましになったという責任を、われわれは追及しなければならぬ。いつ始まったかわからなくては、
起算日がわからなくては、
戦争損害も、その額も、算定することはできないということであります。
それから
特別円の問題。これは非常にむずかしい問題で、両院とも必死になって、われわれは研究もし、
質問も申し上げましたが、まず最初に申し上げなければならぬことは、
政府の
答弁、
政府の御
説明は、世論を
ミス・リードしたということであります。
ミス・リードした。問題の所在をごまかしている。われわれをさんざん引きずり込ましたということを、私はこの数日来しみじみと理解ができたのであります。そこで、きのうの本
委員会においてその
質問をやろうとした瞬間、
打ち切りの
動議が出たわけであります。どういう
ミス・リードをしたか。私
たちの
質問の重点は、
戦争開始日は
昭和十九年の八月二十五日としたならば、
戦前債務だけ払えばよくて、それ以後の
特別円は払わなくてもいいんじゃないかと。三月九日だったらどうだろう。
昭和十六年十二月八日だったならば、おそらく
政府が言うように、九千万円で
フランスとさよならができたんじゃないか。こういうふうなことをわれわれは必死になって
質問をしたけれ
ども、問題はそこではなかった。どういう点かというと、
フランスは
平和条約の第七条も、十四条も、あるいは十八条も、そんなことは問題じゃない。自分がサインしておきながら、問題にしない。あるいは
日本政府が言うところの
戦前だ戦後だというような
法律的見解と実際の問題とは戦ってもこれは取り上げない。ただ、われわれ
フランスが、あなたにお貸しした
戦前、戦中、特に昔から、
ビシー時代から、
日本にさんざん頼まれてお貸しした、融通してあげたあの百数十億、あるいは五十億とか、はっきりしませんが、とにかくその金を返してくれればいいんだ、とこういう
交渉であります。そこで、
政府としては、それはできないというので、いろいろな法律論で戦って押し負けてしまって、結論は、とうとう先ほど
外務大臣からお話のあったように、四十八万ドル、十五億円というところで手を打ったのだ、こういうことになって、きのう総理大臣にお伺いしますと、君は、森君は、
社会党は、損をしたのじゃないかと言うが、向こうが五十億と言うのを十五億まで下げたのだ、こういうことで、大へん値切った努力をしたようにおっしゃるが、そこは
フランスに払うべき
理由のないものを払ったのですから、むしろ、十五億円のマイナスであります。この金は当然
ベトナムにわれわれが支払うか、あるいは支払う努力をしなければならぬはずの性質であると思います。しかも、私
たちが尋ね得なかった点は、
打ち切りのためにですよ、
委員長、それは当時は国際司法裁判所に提訴しようかということが、
政府部内で問題になり、一万田大蔵大臣も、昨年二月の八日の
衆議院予算
委員会において、出せば負けるかもしれない、勝てる確信がないのだとおっしゃいましたが、一体、だれが集まって提訴しようとしたか、どの学者が、
外務省のだれが、
政府のだれがどういう検討をし、その経過はどうか、だれが勝てると言ったか。どの学者、どの局長があるいは負けると言ったか。その経過、こういうものが当然明らかにされなければならなかったが、これはとうとう明らかにされない。私が申し上げるのは、もっと大きい点は、それほど
フランスが無理じいしてくるならば、いかに今から二、三年前の話でありましても、なぜ、
日本の新聞、天下に公表して、
フランス側の言い分はこういうふうだ、
条約をお互いに
締結しておきながら、しかも、
条約の規定は
関係しない、
戦前も戦後もない、こんな無理じいをしてかかってきておるのだから、どうか
国民助けろと言えば、自民党も、
社会党も、あらゆるものがこぞって
フランスに向かって、その無理な言い分に戦ったであろうと思う。何にも隠さないで
——こっそりやった、しかも、
国会の
承認を得ないということは、これはけしからぬのであります。本
委員会で徹底的にやることはできませんでしたが、問題は長く残りますので、私はあくまでこれを追及するつもりであります。
社会党としても満足することはできないことを残念に思います。
それから
南ベトナムに払うということは、これは両国の親善と民生の福祉に貢献するところ多大であるんだ、こういうことをおっしゃっておりますが、
南ベトナムに対するアメリカあるいはその他の国の援助というものは軍事費が多い、従って、予算の、
政府の
説明によりますと、国で軍事費が五割以上出る国はソビエトと対立するアメリカを除いては韓国その他であります。しかもひよわい
ベトナムで、人口一千万ぐらいの
ベトナムで、その七割ぐらいを軍事費に使われて、そこへもってきて今度の二百億円の内容はダニム水力発電所とその他の工業センターその他となっている。ダニム水力発電所はやがてサイゴン付近の民衆にあかりを供給するであろうと言いますが、これはこの
軍事援助の状態と非常に国力のひよわい
ベトナムにおいて直接民衆の各家屋に電燈がつくことには利用されません。これは軍需的工業にこの電力が利用されることは当然であります。また工業力においても同じような形式のものが
日本の東洋精機の小銃弾のプラント輸出のごときはとうとう
政府も小銃弾としては知らなかったと御
答弁があったように、こういうものが出ている。二百億というものはこのようなダニムの水力発電所あるいは工業センターというものから逆算されたということは、決して
社会党が柄のないところに柄をすげた議論ではないのであります。
最後に、
賠償交渉はこれで終わるというのが
政府の
答弁でありますが、ビルマから早くも再検討要求がされてきて、裏の方ではビルマは氣の毒であったということもあり、この
ベトナムの
賠償が終わった暁には
——おそらく批准が終わったあとということでしょう。正式
交渉において五千万ドルの贈与、プレゼントをして、向こうの気分をやわらげようとかかっておるようであります。
ベトナム賠償二百億円がどのくらい高いかということは、このビルマ側のあのまじめなおとなしい申し出によっても想像がされる。それのみでない、債務というものはイギリスとの債務もまだ終わっていない。中共の対日
賠償請求権も無気味な沈黙を守っておる。不発で現在おりまするが、いつどうなるかわからない。韓国の
日本に対する請求権も残っておる。アメリカのガリオア、イロアも残っておる。これから
賠償が始まるのであります。このような不明朗な経過、何人をも納得させない
やり方、急いでやる、どうも一般業者のためにやむを得ずやった既成事実を正当化するための
賠償と断ぜざるを得ないのであります。この際はこれをやめて、
政府もおっしゃるように、
南北統一は希望するところであるというのでありまするならば、世界情勢にさおさして、今しばらく待って両
ベトナムの満足のいくような
賠償をすることが最も
日本の
国民のため、
ベトナムのため、東南アジアのためになるかと思うのであります。
こういう
意味において、本件に対しては絶対
反対をせざるを得ないのであります。