○
参考人(
大沢章君) 私は、この問題につきまして、
国際法及び
フランス憲法の上からの
ベトナムの
法的性格と申しますか、ことに、その
条約締結権、それも
平和条約締結権を
フランス憲法の上において持っておったのであるかどうかの問題、これを
一つの論点として考えてみたいと思います。
私は、実は昨日こういう席に
出席しまして
国際法上の
意見を述べるようにという御
交渉を受けましたので、全く
準備が足りません。平生、
国際法学者、また
法哲学者として考えておりまするところを、まとまりませんかもしれませんけれども申し上げまして問題の真実をつかむについての学者としての努力を尽くしますことが、
皆様方に対して何らかのお役に立つことになるのではないかと思いまして、
十分準備が足りませんままの、講義をいたす案の、またそのメモのようなものをもちましてそれからお話を申し上げたいと思います。その点、あらかじめお
断わりを申し上げて、まとまった
意見を申し上げることができずに、むしろ、根本的の疑問の問題を提出させていただきたい、こう思います。
第二の点は、今も
大平教授がお述べになりました点の
一つで、
国家の
国際法においての承継の問題、この問題についての原理的の考察とともに、具体的に
ベトナムの
賠償協定についてそれはどういうような展開を予想させるかという問題につきまして、法的に少しく申し上げてみたいと存じます。
で、御
承知のことと思いますが、
ベトナムが
サンフランシスコ条約に
署名調印上、続いて
批准いたしましたときのその法的の
地位は、今日はもはやなくなりましたけれども、第四
共和制と申されるその
憲法で
規定されていると思います。すなわち、一九四六年の十月二十七日の
フランス共和国憲法、その中に
フランス連合、いわゆる
ユニオン・フランセーズについての
規定がございます。この
規定は六十条から八十二条に至る二十数条の
規定でありまして、それは
憲法といたしましては、
ティトル・ユイット━━第八章とでも訳しますが、
ユニオン・フランセーズ━━フランス連合について、という
規定、その中におきまして、この
フランス連合を構成いたしまする
要素、
形成要素と申しますか、もし、それが
連邦的であれば
支分国家的な
地位を持つともいわれるような、おのおののその
結合において違いますけれども、それは、他の一方においては、
フランス共和国、その
共和国というのが本国である
フランス、すなわち
フランス・メトロ・ポリテーヌを含み、それからこの海外のデパルトマンとテリィトアール諸
領域ということになる。これが一方にラ・レピュブリク・フランセーズ、
フランス共和国を構成するものであります。他の一方にはテリトアール・エ・エタ・ザンシェすなわち、それに加入する諸
地域あるいは
領域といわゆる
エタ・ザンシェル加入または
結合国家、それに入っている
国家、それらが御
承知の
通り三つ、もとのまあ古い、いわゆる
フランス、インドシナといわれるもとの
三つがエタザッソシァーとして、
ラオス、
ベトナムそれから
カンボジアこの
三つになっておりますから、この
フランス憲法の、第四
共和制の
憲法の六十条でその
地位が
規定されておるわけであります。
それから今日なお
ドゴールのいわゆる第五
共和制という
憲法ができまして、これは一九五八年九月二十八日、昨年の九月二十八日に
レフェレンダムで
承認されましてその年の十月の九日に官報いわゆるジェルナル・オフィシェルで公布されております。で、これにおいてはかなり前の
フランス連合と違いまして
フランス、今度の
憲法では第十二章と申しますか、しかもそれは
共同体についてド・ラコンミュイテという形になっております。その中において
構成要素、それから
共同体の諸
機関、その
共同体の諸
権限の行使、
共同体とこれを形成する諸
国家あるいは
領域との
関係、いろいろの
規定が七十七条から八十七条まで、大体十一条でございますか、
規定を設けております。その中に問題となりますのは、第八十六条に次のような
規定があるのであります。
ちょっとその前に、
順序といたしまして申し落としましたので、前の第四
共和制の
憲法の第六十一条の
規定、この
フランス連合、その中において
ユニオン・フランセーズ、
フランス連合に入っておるいわゆる
加入国のその
地位というもの、そのメンバーとなる
加入国、それに
結合しておる国のそのシチュアションという字を使っております。まあその
地位とでも訳しますか、法的のまあスタチュー、そのステータスですね、これはどういうふうになるかと申しますと、六十一条の
規定によりまして
フランス連合におけるその
加入諸国の
地位は、それぞれ
ベトナムなら
ベトナム、
ラオスなら
ラオス、
カンボジアなら
カンボジアこれらのそれぞれに
フランスとの
関係を定めるところの
国内法上の行為によって、その
国内立法によってそのことが定まる。
アクトという字を使っております。おそらく
立法権の
立法機関の
アクト、
国家行動ということであろうと思います。これが今はなくなりました、
ドゴール、前の第四
共和制憲法下においてのこの
ベトナムの
地位が
規定されるについての
フランス共和国憲法の
規定であります。ところが今度の第五
共和制の
憲法におきましては、その第八十六条におきまして次のような
規定を設けております。
共同体の、つまり前の
フランス連合にかわるものであります。それを相続してくるわけでありまして、承継してくる。
ユニオン・フランセーズに対してラ・
コンミュノーテ、この
共同体の
構成国の
地位の
変更というものを、その
地位がどのように
変更するか、
完全独立国家になるか、それとも
コンミュノーテ内のいわゆる古い、われわれが
国法学で学びましたグリード・シターテン、
支分国家的のものでありますが、その
地位の
変更というものはどういうふうに定めるか、それをラ・トランスフォルマッション・デュ・スタチュー、その
法的地位の
変更と申しております。その
変更は、
共和国によって、すなわち
フランス共和国によってこれが
一つの
変更の主体として動いて来得る力、またもう
一つは、その
地域の
住民の
投票によって、
ベトナムなら
ベトナムのその
地域の
住民投票によって
承認されたことに
関係のある、それが
国民投票的に
住民投票でそれをこの
承認しなければならない、
レフェレンダム・ロカールといっております。その
地域の
ベトナムならば
ベトナム地域の
レフェレンダムによって
承認されたそのことに
関係のある
構成国、だから
地位を
変更するというならば、
ベトナムの
フランス憲法上の
地位が
変更するならば、その
ベトナムという
地域に
関係のある
住民の
レフェレンダム・ロカールによってそれによって、しかもまたその
構成国のその問題となる、今ならば
ベトナムの
構成国の
立法議会の決議によって要求することができる。その
地域の
住民投票の組織及びその管理は、
共同体の諸
機関によってそれを確保されます。この
変更の
大要というものは、
フランス憲法上の
変更の
大要は、
共和国の
国会と
フランス共和国の
国会とその
地位の
変更に
関係のある国、
ベトナムなら
ベトナムの
立法議会とによって
承認された
協定、その
両方が
承認したところのアコールという字を使っております。それによって
フランス共和国の
パールマント、その
関係のある
立法議会の
承認、これによって定められます。これが第八十六条の第一項であります。第一項におきまして、さらに同一の
条件に従って
共同体の
構成国は
ベトナム、
ラオス、
カンボジアその他の諸
領域もあります。そういうものは、
独立することができる。八十六条の第二項で将来
独立することができる。そうして
構成国は、この事実によってすなわち
独立したという事実によって
共同体に属することをやめる。「
共同体に属することをやめる」という言葉を使っております。その
共同体に帰属することを、この
独立の事実によって停止してしまう、やめてしまう、だからほんとうの意味の
独立国家になるということを八十六条の第二項において
独立国家となる
憲法上の諸
条件及びその
共同体の
構成国の
一つである国がどういうふうに
独立国になるかという態様について
規定を設けております。これが今日の
ベトナムが
ユニオン・フランセーズから
コンミュノーテに移りまして、どのように
フランス国法上取り扱われているかということが、
国際法とも非常に重大な
関係がある点だと存じます。もし
ベトナムが第四
共和制の
憲法の
施行期間中に
連合の内部にとどまった
国家であり、エタ・アソシエであり、
構成国であり、なお今日も第五
共和制の中においてこの八十六条の
規定に基づいての
独立に必要な
条件を充足して
フランス憲法上その
条件に従って
独立したのでありますれば、いわゆる完全なわれわれと平等の
国際法上の資格においての
独立国と申されましょう。もしそうでないとすれば、多くの
連合国家である、あるいは
連邦とも俗に申されます。たとえばヘルベティッシェ・アイドゲノッセンシャフト(
スイス盟邦または
スイス連邦)いろいろまあそういう
連邦形体を
国際法上あげることができます。それらの国の
構成国家である、いわゆる
支分国家も、ある
事柄については
条約締結権を持っております。しかし、そういう
組成国家が、
連邦を形成しておる
部分国家が、
平和条約を
締結する
権限を
憲法上持つかというと、私の乏しい
比較憲法学の研究の上からは、あまりどうも例はないように思います。ことに
フランスにおきましては、
平和条約の
締結ということは、第四
共和国の
憲法におきましては、その三十一条の
規定がございまして、
共和国大統領の
権限になっております。
共和国大統領が
条約に署名し、かつこれを
批准するということになっております。
署名調印の権と
批准権が
大統領にある。しかも
平和条約については前の第四
共和制憲法のいわゆる
外交条約、トレテ・ディプロマティク(
外交条約)についての
規定が第二十六条から第二十八条まで三条ございます。そのうちの二十七条におきましては、次のような
規定がございます。国際組織に関する
条約、
平和条約、通商
条約、
国家財政を拘束する
条約、外国における
フランス人の身分並びに所有権に関する
条約、
フランス国の
国内法を
変更する
条約、及び
フランス領土の譲渡、交換、添加を内容とする
条約は、法律によって
批准されたあとでなければ確定しない。そういたしますると、
フランスの第四
共和制下の
憲法におきましては、
平和条約の
締結権については
規定があり、その中で
ユニオン・フランセーズ、
フランス連合を構成しておる
部分秩序とも申しますか、法的には。その
部分国家的なものに、
条約としても重大な
政治条約、
平和条約を
締結する
権限が
フランス憲法上あるかどうかということは、私にはどうもはっきりいたさないのであります。ただ、
フランスの法律によって
批准を行なわなければならないということは、これはまず
フランス共和国が第一には拘束される
規定に違いないけれども、この
フランス共和国の
憲法の中に
フランス連合の
規定があってその
フランス連合のエタ・ザソシエの
一つとして
ベトナムがあがっており、
サンフランシスコ条約を一九五一年九月八日に調印いたしました
ベトナムは、
フランス憲法の上からは、どの条文に基づいておるかの点は、わからないのであります。おそらくこれは、その当時の
ベトナムの
憲法の第何条かの
規定に基づいて、
平和条約を
締結する
権限が授権せられ、それが
全権委任状をもって、委任状の
権限の合法であることを審査する資格審査
委員会を通過して、そして調印されたことであろうと思います。これは私が事案を詳しく存じませんので、全く想像の域を脱しません。法理的には、
フランス国の
平和条約締結の
権限とその態様というものは、
憲法の明文がございます。これが
一つの点であります。
それからもう
一つ考えてわかりませぬ点は、これも
皆様方にお尋ねを申し上げてお教えを受けたいと申すくらいな、私未知な、よく存じておらないのでありまして、昨日から本日にかけていろいろなものを拝見しておるようなことで、一九四六年の九月十四日のジュネーヴ
協定、
フランスと
ベトナムの暫定的の
協定というものが、いわゆる休戦
条約であるか。それは
平和条約的なものではないというようなお考えも一部にはあるかと思いますが、この
条約を
協定を
締結いたしましたいわゆるフォンテンブローの
協定は、パリにおいて、一九四六年九月十四日、締約
当事国の一方は
フランス共和国臨時
政府のために
フランス海外
フランス領相マリュス・ムーテ、それから
ベトナム民主
共和国政府のためにとなっており、その
共和国の
政府主席ホーチミン、こうなっておりまして、この
協定の全文は十一条でなっております。で、その中において軍事的の内容を持つ、いわゆるもしそれを
戦時規約と申しますならば、休戦
条約としての
戦時規約的な
性格の条文は、第九条の一条だけといってよかろうと思います。この十条は将来発生し得るあらゆる問題について、友好的関を固める見地から、個別的
協定の
締結を共同して考究し、最終的な一般的
条約への道を用意することを約するとあります。あとはその発効
規定であります。また第九条がいわゆる休戦
協定で、広く申してそれを
戦時規約の
一つと申しますならば、そういう意味の
戦争法上の、
国際法的に申せば
戦時協定になっております。この国際的な合意は、一条から八条までの中で、たとえば第一条はい通商航海
条約の中に普通
規定すべきような条項が入っております。
ベトナム在住の
フランス国民は、本国
国民と同一の居住の自由並びに教育、商業、交通の自由さらに一般的にはあらゆる民主的自由を享有する。これはまず
国際法の常識といたしましては、通商航海
条約に含まれてくるのが慣例であろうと思いますけれども、それから第二条では、
ベトナムにおける
フランスの財産及び企業についての
規定があり、第三条におきましては、文化
関係についての協力の
規定があります。ことに科学研究、諸科学
機関の設立及び活動、これは
ベトナムの全領土において、
フランス国民に対して自由に認められております。それから
ベトナム国民も
フランスにおいて同一の特権を有するようになっています。いわゆるレシプロシティ(相互主義)の原則をとっております。相互主義と平等主義とで
ベトナム国民も同一の特権を持つ。こういうふうにして、
ベトナム国民、そしてそれが
ベトナム民主
共和国政府のためにとしてホーチミンが調印しています。さらにアンスティテュー・パスツールについても
規定を設けております。これは私も
フランス留学中にその近くに住んでおりましたので、非常に親しいもので、またパスツールは私ども宗教的には同じ信仰を持っておる人として非常に尊敬している人でありますが、そのパスツール研究所、このアンスティテュー・パスツールについてもその財産及び
権利を回復すると
規定しております。また混合
委員会によって、
フランスのアカデミー・ド・レキストレーム・オリアン極東学院が、これは一種の学問の研究所、大学的なものであります。これも
権利を回復する
条件が定められます。それから後、四条、五条以下、すべては、文化的な活動、あるいは通貨の発券銀行、アンスティテュー・デミッションというような発券銀行の
規定まであるし、通貨、為替の調節、関税同盟、交通通信調整などあらゆる
国家の活動、
政治的、文化的、
経済的活動、学問、科学のこと、そういうものまでが、フォンテンブロー
協定の中に
規定されておりますので、この暫定的にせよ、
協定というものを
戦時規約と見ることは、私は、
国際法学者としては、それを認めるのに少し勇気はないのでございまして、これはやや、
平和条約、少なくとも
平和条約の予備
条約的な、プレリミナリーになるような、そういう
性格をもって、一般
政治条項、文化条項、
経済条項、財政条項などを
規定しております。こう見なければならないかと思います。
これを
締結いたしましたのが、そのときも今日も、
ベトナム民主
共和国というものになって、いわゆる北になっている国であります。今、二つに、
ベトナム共和国とそれから
ベトナム民主
共和国と、二つに分かれておりますが、その
フランス憲法上の
地位というものについて、むしろ疑問を提出させていただいたことになりまして、はなはだ不完全なことを申し上げて恐縮であります。
時間がはなはだ過ぎて申しわけありませんが、第二の点は簡単に申し上げます。
国際法上の
国家の承継の問題でございます。で、この点につきましては、私は、
比較憲法学の上から、
国際法学としても非常に私の学問的の研究にはいろいろ有益な、またわからない問題もございますので、
一つ例をとって申し上げますと、このビシー
政権の
フランス憲法上においての行為、あるいは
国家行動が、法的に
フランスの
憲法の上でどのように取り扱われたかということについてであります。この
フランスの
憲法と申しましても、その当時は、まだほんとうの意味に確定はいたしておりません。この一九四四年の八月四日のオルドナンスという形で、大陸
領域においてのレガリテ・レプブリケーンの再建、つまり、ビシー
政府が
共和国としてエタ・フランセの否定となります。ビシーによって
共和国がエタ・フランセつまり
フランス国家となり、レピュブリック・フランセーズでなくなったのであります。その後の一九四〇年七月十日の
憲法たる法律でペタンに
全権を与えましたから、ちょうどまあ
全権をもって、
国会、パルルマン、ことにアッサンブレ・ナシォナール(
国民議会)は、ほとんど動きがとれなくなるようになった。それらの
フランス国の行動、ビシー
政権のある期間内の行動が、
フランス憲法の上でどういう取り扱いを受けておるかということにつきましては、このオルドナンスがまあ形は法規命令でありますけれども、内容は
憲法であります。その中において、この
フランスのフォルムがレピュブリックであるということはずっと続いているのであるという
規定を、一条に設けております。そうして、次のようなもの、すなわち一九四
○年の六月十六日より後に、このヨーロッパ
地域、テリトアールコンティネンタールとかいってありますから、ラ・
フランス・メトロポリテーン(
フランス本国)においてなされたそのすべての立法的もしくは法規設定的の行為というものについて、それは全く無効であると第一条でニェル・エ・ド・ニュル・エッフェという字を使っております。それは全く無効だ。そのニュリテ、無効性が明らかに確認されました。そして第三条では、次のような
規定を設けておるのであります。第三条では、次のような、次に述べる
国家行動というものは、すべてニュリテである、無効であるということが確認されたとありますので、そのまず最初に、ラ
アクトディ・ロア・コンスティテュショネル、一九四〇年七月十日のいわゆる
━━いわゆる
憲法として書いてあります。
アクトとしてカッコしまして、ロア・コンスティテュショネル
憲法たる法律というのをあげております。これは全くニュルテ(無効)であるとしております。
フランスの
憲法の上で、一九四〇年の、今あげました七月十日の
憲法たる法律、ロア・コンスティテュショネルというのはどういう
規定かと申しますと、今申し上げましたように、一条しかない
規定であります。非常にこれは
国法学の研究といたしましては、ことに
比較憲法学の上では、
国際法とも
関係がござりますから、私どもには非常に学問的の興味の深いもので、その中でこういう
規定を持っています。これはアルティクル・ユニーク、単一条文、
一つしかない条文。それで、まだそのときには、
共和国で、その当時の
フランス共和国の
大統領はアルベール・ルブランという方で、アルベール・ルブラン氏がビシーで、一九四〇年の七月の十日に、そしてそれはプレシダン・ド・ラ・レプュブリック、それからマレシャール・ド・
フランスであるぺタンとが、すなわちぺタンはコンセーユ・デ・ミニスブランと、こういうことになります。
その中で、ペタンに授権をするのでありますが、このアッサンブレ・ナショナーレ、
国民議会が、すべてマレシャル・ペタンに
全権をあげて与えています。それはどういうプーボアール(権力)を与えたかというと、ユーン・ヌーベル・コンスティテュション(一の新しい
憲法)を作る権力を、エタ・フランセの、
フランス国家の、
一つの新しい
憲法を作る権力を、ペタン元帥の権威と署名とのもとに置かれる
共和国の
政府に作って、それを発布するということ、その
権限を授与するとあります。そしてこの
憲法、マレシャルペタンの権威と署名とのもとに
政府が作るべき
憲法は、この
フランスのドロア・デュ・トラバイユ、労働の諸
権利、それから家族の諸
権利、祖国の諸
権利というふうなものの諸
権利を保障しなければいけない。そしてそれはまだ二つのアッサンブレはありますが、
フランスのナッション、
国民によって
批准され、両議院によって適用されるとなっています。彼の権威のもとに後に作っていく
憲法は二つのアッサンブレによってアプリケされるだろう、適用されるだろう、こういうことで
規定を設け、つまり一八七五年の諸
憲法の
規定憲法たる法律というものをまあなくしてしまう、それらにかわってペタンに
全権を与えて、エタ・フランセの
憲法を作る、その
憲法ができるということになります。
これが、今述べました一九四四年の八月九日のオルドナンスによって否定されます。その中におきましても特に今、述べた一九四〇年の七月十日の
憲法法規、すなわちペタン
憲法は、無効である、という
規定を設けました。それから、長くなりますから申し上げませんけれども、その中でも、ある行為は認めても差しつかえないもの、たとえば裁判所において裁判した民事の裁判、それまで無効とする必要はない。カテゴリーをおよそ大きく申し上げますと、
三つに分けて、全く無効なもの、
部分的に無効なもの、そうでなくして効力を存続するもの、こういうふうなものを作って、
憲法たるオールドナンスが
規定をいたしましたから、この点から申しますと、
日本のいわゆる
仏印の共同の防衛議定書というようなものは、全く無効で、ニュル・エ・ノン・アベニューということになる。それは法的には、なかったということになる。こういう点を考えますと、後にもし単一的な
政権によって
ベトナムという
領域が、今日はジュネーブ
協定で十七度に分かたれておりますが、南北が、もしもかりに将来、いつの日にか
一つの
政権によって統一されるというような
可能性がもしあるといたしますれば、その場合には、
フランス憲法の歴史的な過程から考えまして、過去のある
政府のやった行為が、ことに
政治的
条約が、あるいは重大な新しいレジームと両立し得るかどうかというような、そういう
条約なり
協定というものが、そのまま無
条件にその新しい
政治権力によって
国際法の上で承継されるかどうかは、これは私ども、
政治の問題にもなりますので、はっきりしたことはわかりません。ただ新しいレジームと両立し得ないようなものであるとか、あるいはあらかじめその行為を
承認しないとか、あるいは、それに反対するというような明白な意思表示をもし現わしておるという事実がございますと、それが後の
政治権力によって、その両立しない点についての
条約というものが、ペタン
憲法について
フランスの後の
憲法上とられましたように、無効であるという、その統一した
国家の国内
憲法上の
規定に基づく措置が出てくる
可能性も、法的にはあると存じます。
政治のことにつきましては、私ども学者でございまして、全くその点に通じないこともたくさんござりますので、私はただ
国際法学及び比較法学的に、ことに承継の法理の底に横たわる安全性の保障の問題などから私としては疑問があるということが、むしろ一番に貫ぬいておる感じなのでございまして、皆様に御
参考になるようなお話が十分にできたとも存じません。これでもって、私の申し上げることを終わります。