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参考人(
久保田豊君) ただいま御紹介をいただきました
日本工営の
社長久保田豊でございます。
私が
ベトナム国との問におきまして
ダニムその他につきましていたしました今日までの
経過と、問題になっております
ダニム・ダムというものはいかなるものであるということについて御
説明を申し上げたいと思います。この
ベトナム国につきましては、私は
戦争前及び
戦争中、海南島を主にして南方で
仕事をいたしておりました
関係上、私その土地を存じており、また、私
どもの
従業員を派遣をいたしまして
調査をいたさせ、
調査事務所も持ち、
調査の資料も持っております。たまたま一九五五年
——昭和三十年になりましょうか、の二月、私この
東南アジアを、
経済協力関係で、ことに
技術協力関係と、ずいぶん
方々を回っておりましたのでありますが、その途中一回立ち寄りましてございます。そのとき
先方の
関係のいろいろの方にお目にかかって、ことに私のはっきり
お話をいたしましたのは、当時の
公共事業大臣チャン・バン・メオさんでございます。そのほか数人の役所の方にお目にかかったのでございます。そうして私の申しますことは、どこの国においても同じことでございますが、
日本はたくさんの人がおって、ことに
技術の
人間が多い。ことに
外地から引き揚げた
技術の
人間などにおいてはあまりにたくさんおるので
仕事がない。
外地においての
仕事は彼らはなれてもおる。そういうような意味で
技術協力をすることができないかという趣旨を申し述べております。そうしてそれについて、私の
知識におきましては、
ダニム・ダムな
どもおそらくおやりになることが適当ではないかと
考えるがどうなっておるかということを申し上げましたら、
ダニム・ダムについては、すでに
フランスの
経済助力によって
調査を進めております、今日進めておるが、時間が少しかかっておるということでございました。しかしながら、すでに頼んでおるのでということでございました。それじゃ私
どものお手伝いする余裕はございませんね、しかしせっかく参りましたから、私の
意見を申し上げましょうと言って、私の
考えております
一つの
開発方式について当時申し述べております。そうしましたら、この申し上げました人は、
技術出身の
大臣でもございますので、非常に
関心を示されたのでありますが、しかしながら、もうすでに
フランスに頼んでおるからそれはだめだが、この
電気が少し余分に出るように思うが、これを
電力を使って産業に充てるというようなことに私の
考えはないかということでございましたので、私は、多年
北鮮において、たくさんの
電気とたくさんのそれを利用する
工業に関して
経験と
知識を持っておりますので、さようなことはできると思いますから、そういうことについてもなお将来御
希望があればお手伝いすることができましょうと言って帰っております。その後、
向こうの
政府から一ぺん来てみてくれぬか、お前はよく
東南アジアを歩くようであるが、一ぺん途中に立ち寄って
ダニム・ダムを見てくれぬかという
お話がございまして、三十年の九月、私
東南アジアの諸国を回りますついでに訪問をいたしましたが、大
へん喜ばれまして、
ダニム・ダムを見てくれというので、
先方が
関係の人をつけて案内をいたしております。そこで私の構想を
レポートにいたしまして、もしこれが私
どもの手によって行なわれるならば、短い時間においてこれは
調査が完了する。なおまた、これが
日本の
協力においてこの
仕事を御
依頼になるならば、短い時間においてこの
仕事は完了いたすであろう、こういう
意見もつけ加えましたところ、大
へんいいお
考えである、実は
フランス側の
設計がどうも
遅延ぎみであるから、
一つ幾らでやってくれるか
見積りを出してくれということでございましたので、当時
見積りも出しております。当時におきましてはその
見積り——その金は
日本側において出してくれることはできないかという話でございましたので、私は、とうてい
日本政府の金などはこういうものには、私の
経験によりますと、出ないと思いますということをはっきり申しております。何とか方法はないかということでございましたが、私はお
断わりをいたしまして、これはおそらく民間の
事業者やメーカーや請負人というような
業者関係において、こういうような金を集めてやるということがあれば、あるいはできるかもしれませんが、さようなことはあなたの国のために御不利益であります。これはもし御
希望であれば、こういう
費用をぜひあなたの国の
予算においてお出しを願うということが適当であるということを
関係の
大臣その他に
お話しております。そのとき
最後において、非常に興味ある話であるから、
一つこの話を聞こうということで、ただいま申し上げました
メオ大臣の取り計らいで、私
ゴ・ディン・ジェム大統領にお目にかかっております。その席においては、
政府の
関係の
大臣及び
局長並びに
専門家、ことに
中央銀行の
総裁等の
人たちが七、八人
出席されたと思っております。同時に、私はこの問題は
日本としても非常に重要なことであるように思うし、また
大統領にお目にかかることであるから、私が個人で行くということは適当でないと
考えましたので、当時の旧
ベトナム日本大使に御連絡いたしましてお立ち会いを願っております。私と
大使だけでございます。そうしましていろいろ御
質問がございましたので、私は今まで
レポートに出したこと、その他について御
説明を申し上げましたところが、非常に
大統領においては
関心を示され、また列席した
人たちも大
へん関心を持たれて、その席上において、非常におもしろいが、私の国はこの
予算その他において非常に困難ではあるが、
一つ予算として
考えてみましょう。従って、その結果さようなことになれば、
一つ大使を通じてあなたにお願いするというようなことが起こると思うから、数日私
どもの
相談を待っていただきたいという
お話を受けまして、私帰っております。九月か十月か、その辺の期日は精細に取り調べませんとわかりませんが
——ということでございました。
日本に帰りまして十日か、二週間かした後、
外務省から御通知を受けました。
ベトナム国の
依頼である、お前の話はおもしろいから
予算の措置をとったから
契約をして
仕事を進めてもらいたい、従って、なるべく早い
機会に渡航して来てもらいたい、こういうことでございました。私直ちに参りまして、
契約についてこまかい
契約の条文を作りまして、着手をいたすようになったのでございますが、当時の
金額を御
参考までに申し上げますと、
米ドル——これは
米ドルにしてもらいたいということを申しておりまして、
米ドル三十二万五千ドル、それから
向こうの
現地通貨ピアストルを四百二十万
ピアストル、換算いたしまして四十四万五千ドルというような
金額でありました。
期間もごく短くて、たしか八カ月かそこらだったと思います。それから大ぜいの
人間をもちろんやる。
地質調査等は
十分念を入れるというようなこまかい
契約の条項を盛っております。それで、
契約は直ちに調印ができまして、
担当の
メオ大臣が
担当者であり、私が一方の
担当者でございました。そうして後日そちらの
大蔵大臣なり
大統領なりの
承認を得たという
しるし等のついておるのを私見かけております。この
契約を、私
日本に帰りまして、これは
為替管理法の
承認を得ることでありますので、直ちに
日本政府に提示いたしまして、もちろん
条件が、
日本政府のアプルーバルが要るという
条件のもとにこれは
契約いたしておりまして、従って、提出いたしましたところ、これは
日本政府の
承認を得まして、これはさっそく
仕事にかかりまして、当時二十数人の
技術屋を派遣いたしまして、非常に急激な
調査を、短い
期間で仕上げるという
調査をいたしております。
調査の内容といたしましては、
ダニム付近における
水力発電の全部の概念的の
調査をいたすこと、それからそれのうちの最も早く最も有利に開発される一部分の
仕事を
調査をいたす、こういうことを
土台にいたしておりますので、その方針で
仕事を進めたのであります。その
調査は、ずいぶん難儀もいたしたのでありますし、十分の私
どもとしては全力をあげて
期待にそむかぬよう、ことに外国における
技術協力でございますので、十分の入念の
調査を進めまして、
計画案を、翌年の三十一年の九月ごろだったと思いますが、
約束通りの
期間に提示いたしました。そういたしましたところが
向こうは大
へん喜んでくれたのでありますが、そのころ並行的に
調査をいたしました
フランスの案が、これも
フランスとしては
フランスの金でやっておるのであります。それを
日本に頼んでやったということで、これもまた非常にスピーディに努力をいたしまして、私
どもの出します
期間におくれないように出すから、おれの答えもとってくれと申していたらしいので、これは私
どもより一カ月おくれたと思いますが、とにかく
向こうもまとめて
設計を出しております。同時に
フランスの
申し出は、この
設計においてやつてくれるならば
フランスは
経済協力としてこれを直ちにやる用意があるということを申しております。
日本側においてはそういう
資金的の
裏づけ等については、当時はございませんでした。それで、それと前後いたしまして後ほどになりますが、
資金的な問題がここに出て参りますのでございますが、この
二つの
設計について、
ベトナム当局は、とても
調査は自分の国の力ではなかなかこの判定は困難であるし、第一
フランスという強い相手方を
土台にしてはねつけるということが困難であったろうと思います。また実際いい
設計をとりたいということが
土台だったと思います。
ベトナム政府は
国連に
依頼いたしまして、
国連の
技術委員会というのに
依頼いたしまして、この
二つの
設計についてどちらがいいか適否を調べてくれということを
申し出ておりますが、
国連はこれを承諾いたしまして、三十一年の暮れ三人の
専門の土木、
電気並びに機械と、こういう三人の
専門の
技術者を送って
調査を始めたのでございます。当時
ベトナム政府から
要請がございまして、お前
説明のために出向いてこれらの者に十分
説明してくれ、
フランス側においても同じようなことがございまして、
フランスの技師な
ども参りまして、両方の
技術家が
説明に二ヵ月ほどいろんなことで当たっております。その後
調査の進行につれまして、なお不十分であるというので、この
国連の連中はインドの
ニューデリーにおいてこの結論を書いておりましたので、
ニューデリーまで行ってくれぬかという迷惑な
ベトナム政府の
依頼もございまして、私
どもニューデリーに二週間以上滞在いたしまして、
フランスももちろん参っております、十分の
説明をいたしております。その結果は、その後数カ月後に聞きますところによりますと、
日本側の
設計が正しい、よろしい、精細をきわめておる、十分これをお勧めするというようなことで、それからまた
値段等においてもこれは正確なものである、こういうようなことを
申し出て、
日本案をとることを勧めておられます。それにつきましては、この当時の
説明等においては、
日本案が単価の取り方等においては安いではないかということで、ずいぶん一体私の
予算は辛いのでございますが安いのではないかというような
質問等も受けたのでありますが、私はこういう程度でできるというようなことを
申し出て折衝した
記憶がございます。同時に、
幾ら日本案がよくても金がなくてはしようがないということでありましたので、後ほどお許しを得て
コンサルタントというものの御
説明も申し上げたいと思いますが、
コンサルタントの
仕事といたしましては
ワールド・
バンクその他に交渉をして、
資金を作ってあげるということもその職員の
一つでございますので、まあ
ワールド・
バンクに持って行ってもとうていこの話はできないが、
日本においてこういうようなことができないかということを
考えまして、
日本の輸銀当同等に
相談いたしましたら、
向こうの
政府がそういうことを
申し出れば、
向こうの
政府に貸すことになれば、そういうことの
可能性はある。それから、いつもこういう海外においては、こまかい
金利等が問題になるのでありまして、
金利が
日本が高いという、またどこでも高い
日本の
金利のことが非常に問題になりますので、
金利などの話もありましたので、
金利などはどうしたらいいかというような御
相談もいたしましたが、
ワールド・
バンクなみの
金利でいこうじゃないかというような
お話等もございましたので、
向こうの
関心を引きます
関係上、そういうことを申しております。もちろんこれらの点について
政府にも御連絡をいたして、
向こうに、こういうことをお
申し出になれば、かようなことができ得る
見込みがございますという正式の書面を出しております。これは
関係の
大臣——その当時
公共事業大臣はかわっておりましたが
——関係の
大臣、
大蔵大臣、
外務大臣それから
大統領にも、これはその当時
大使も御同伴願って、この書類を出しております。従って私
どもは、
日本側の案がよいというし、
日本側においてもこれは
資金ができ得る
見込みがあるというようなことで、この問題が取り上げられる問題であるということを
期待いたしておったのでございますが、その後どういうわけで
——おそらく
先方の
要求と思いますが
——これが
賠償に移ったかは、私の存じたことではございません。一切私はその問題に
関係をいたしておりません。
それが大体の
経過でございまして、今日といえ
ども、これが聞き込みますところによりますと、
賠償として用いられておるということでございますので、何らその後の進捗はいたしてないことになっております。
工事の
概要を申し上げますと、
最初私の申し上げて第一回提出いたしましたのは、第一期に七万二千キロワット
発電をいたして、そうしてこれを
海岸線回りに、
向こうの
要求でございましたが、
海岸線回りに
サイゴンに送る。それから一部の送電をすぐそこにあります
カムラン湾という大きないい港がありますが、
カムラン湾に送って、将来そこへ
電気を安く使う
工業の
中心地を作るというような示唆も私
どもいたしておりまして、そういう
計画になっております。ところが
国連の
技術者といたしましては、また
フランス側としても七万二千キロくらいで切ってやるのはどうかと思う。お前の
設計は大
へんいいから、もしこれを一期に十六万キロまでやるならば
幾らくらいになるか。その対案を出してくれぬかということでございましたが、私は、はなはだ
契約とは違ってよけいな
仕事でございましたが、しかしこの案も提示いたしてあげております。それによりますと、千メートルくらいの高台のある大きな地域の川の水をせきとめまして、大きな
貯水池を作りまして、約五キロほどのトンネルを掘りますと、これは流域が変わりまして
東海岸に落ちるわけであります。この
東海岸に急峻な斜面がありますので、それを鉄管で落としますと、約八百メートルの落差が得られるのであります。これによってこの
貯水池を一気に作れば、これは十六万キロになるのでございますので、さような
計画が今日
ベトナム政府が
考えておる
開発計画になっております。ただ、私の
意見として
先方に申しておりますのは、十六万キロ全部完成するまで多額の
資金を突っ込むのは非常に適当でないように思うので、
貯水池が半ば以上完成したとき若干の水をためて、八万キロまず作ったらよかろうという
意見を申しております。いずれ
ベトナム国政府が
仕事をするようになれば、さようなことになると
考えております。
それから、これを使いました結果のこの国の
利益等について、若干時間がございますようですから、申し上げますと、現在この国は、
サイゴンだけで五万キロ近くの
電気を使っておりますが、不十分でありますので、ときどき停電もいたすし、また、このために
火力発電をいたしておりますので、
燃料といたしましては、約四百万ドルぐらいの一カ年に
燃料の輸入をいたしております。これが全然なくなるという
外貨問題、従って、高い
燃料を使っております
関係上、
一般のこういう所で使います
電気料金は、一キロワットアワー当たり、
日本円に換算いたしまして、三十五円に近いのであります。
日本の三倍以上になっております。それから動力にいたしましても二倍以上になっております。これをもし切りかえることになれば、少なくとも半分、あるいは三分の一の
値段で
一般の供給ができる。つまり民生に対して非常に幸福を来たすという問題がございますのみならず、多くの
中小企業等がございますが、それはみな
電気で因っておりますので、そういうものに十分の安い
電気を供給することができるということになっております。そういう
期待をもってこの国は
最初からそういう問題を
考えておるというふうに了解いたしております。
なお、いずれ御
質問があると思いますから、この辺でとめまして、その先は御
質問によってお答えした方が適当かと思います。