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川崎(秀)
委員 こういう大
災害があった
あとでありますから、急増はもとより、増加ということに対しても大きく
考えなければならない。むしろ
国民が非常に要望しておるもの以外の経費というものは引き締めていくという
方針で、来年度
予算に私は当たっていただきたいと思うのです。もとより一部の論者の中には国防の努力というものは他とは
比較にならぬほど重大である。あるいは風水の害は局地的で、侵略の害は根こそぎだから防衛費を優先せよなどと言う者がある。これは
関係者はそうでしょうが、
国民の雰囲気は違う。外側の
情勢も非常に違う。現に今までの「力による平和」の
情勢から抜け出そうという努力が払われておることは、
世界各国の首脳者間において目ざましいものがある。現にアメリカは来年は七、八%
軍事費を減らそう、ロシヤも事実
数字の上では大きくはなっておらぬ。こういうときに、
日本の防衛費がふえるということだけでも非常に危険でありますから……。ある自由主義
政治家がこう言っておった。
軍事費というものは、もう一回ふえたら翌年度からとめることはできない。とめようとすると当局や軍備論者が「国賊だ」という
言葉を吐く。ここに非常な大きな問題があると言っておった。今日は
日本の防衛当局というものは昔の陸海軍のような野放図でない。しかしやはり外にはこれを業としておる防衛兵器の業者がある。なかなか油断はならぬです。そこでわれわれはこの際
軍事費と民生費あるいは
治山治水費の
関係は
総理大臣に非常に考慮を払っていただきたいと思うのです。私は二十五年前に牧野良三先生が軍人の
政治不関与という問題で、杉山陸軍大臣と渡り合っておった。そこでこれをこの
予算委員会の部屋で当時学生であったが傍聴しておった。そして
軍事費が多過ぎると非常に理論的に解明をされたけれ
ども、これは単に
予算委員会の議場における名論として葬られた。浜田国松さんでもあるいは齋藤隆夫氏でも、
予算委員会の席上あるいは本
会議の席上で
軍事費が多過ぎる、これを押える者はないかということを大蔵当局に迫って、大蔵当局の中には藤井真信氏のように
軍事費と渡り合った結果ついに命を縮めた
大蔵大臣もあったけれ
ども、
日本の歴史を振り返ってみると、みんなこの軍費の膨脹を押えようと試みた惜しい人が命を落としておる。斎藤先生の粛軍演説のときでも、議場から出てきた議員はいずれも興奮して、その演説がほんとうだと勇敢さと正義をたたえておったけれ
ども、一時間くらいすると軍の強硬申し入れ。
政党の幹部に申し入れると、幹部は、すぐ頭を下げて、そして総務会は齋藤隆夫氏除名を一時間の後に決議した。われわれはそんな歴史はもう二度と起こるとは思わないけれ
ども、ふやしていくといつの間にか第二の軍閥的なものができるし、防衛兵器産業者がこれをあおるような結果になるのだから、防衛費というものは何としてもとどめよう
——ある程度のものは必要です。私は社会党とは違うから防衛の必要は存じておる。存じておるが、一〇%、二〇%だんだん上がっていくと、国を滅ぼすもとになる。現にここにあるシナの格言集の中には、
相当戦争を謳歌したものもあるが、中には、小国と財力と軍備という
関係で、こういうことを言っておるのがある。老子は第一に「兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。己むを得ずして之を用う。」もう
一つ、これは
日本にとって一番いい
言葉は、「兵は民の残なり。財用の蠹なり。小国の大蓄なり。」と書いてある。この
通りなんです。ですからぜひともそういう
意味で、明年度
予算における
国土保全ということを第一に貫いていただいて、赤城防衛庁
長官、
——私の親友であるが、これはえらいところへはまったものだ、あなたも。仕方がない。仕方がないから、あまりふやさないように村長さんらしくやっていただきたい、こういうふうに思うのです。
次に
建設大臣は今回の
災害対策について、各国の例な
ども相当引いて
対策を立てられたと思うのです。やはり最近における……。いないのですか、いないものはしようがない。
そこで
総理大臣にもう一点お伺いしたいのは、一歩進んで現在
日本の沿岸
地域というものが水位の高さから、あるいは高まりや、あるいは地盤の沈没、その他あらゆる
影響からして非常に危険であると思う。現にこの
予算委員会でも
議論が出たのは、単に今回の
伊勢湾台風だけでない。
東京がやられたらどうするか。最も危険なのが大阪だ。
田中伊三次君から科学的な根拠を交えて御
質問があったことは御承知の
通り。私はやはり中曽根大臣の言うように
台風の目を上陸以前に撃砕する、彼の表現によれば撃砕というのですから、撃砕するのも
一つの
方針でしょう。しかしもう少し大きな構想に立って、たとえば臨海産業の開発
委員会というものを作られたらどうか。というのは工業地帯、
東京、横浜あるいは阪神、それから北九州、こういうところが危険な状態であるわけですから、これに
伊勢湾を入れて四つの工業地帯を守る
意味で恒久的な防災
委員会的なものを組織して、専任の大臣を任命されるということがいいのではないかと思う。現に大震災の後の
東京が
復興した。今日もこの自動車がひしめく
東京で、ようやく交通の核心を握っておるのは、あれは
昭和通りというものを後藤新平さんが大ぶろしきでやったからだ。そういう構想がやはりこれから先の臨海工業地帯には必要なのではないか、こう私は思うのですが、そういうことに考慮をめぐらされてはいかがかと思いますが、御
答弁を承りたい。