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岡田委員 それでは時間をとりますので、事実として、事実があるんだということはさっき
総理大臣がはっきり言いましたから、これは
速記録に残っておりますから、続いて話を進めます。
そこで私は
総理大臣に見解を述べておきますが、林さん、よく聞いておきなさいよ。相手にせず声明というものは法的効果はありません。これははっきりしております。近衛声明、相手にせず声明に法的効果がありましたか、ないでしょう。蒋介石を現在認めておるじゃありませんか、
日本政府は。相手にせず声明は今は無効だということは明らかです。あなたはよく知らないなら聞いておいた方がいいですよ。ラマディエ首相の相手にせず声明というものは、文書をもって閣議の
承認で正式に言ったものではありません。新聞記者団の会見で
発言したものであります、正武のものではありません。しかもその後において——立証を具体的にあげますから、高橋さんもよくお聞きなさい。その後
フランスと
ベトナム民主共和国は、その相手にせず声明後において、何度も
交渉をやっております。これは事実ですよ。立証するのは幾らでもあります。
フランスの
速記録もありますから、
速記録で幾らでも立証いたしましょう。これはきょうはよしておきましょう。あなた方も勉強してないようだから、もっと勉強した方がいいですよ。そこで、相手にせず声明などというものは、効力がない。わからないから首を振るのだろうけれ
ども、振ってもしようがないですよ。しかも
ベトナム、いわゆるステート・オブ・
ベトナムというものは桑港条約
調印当時においては、国家として、正統
政府としての要件を整えていますか。整えてないという理由を私は具体的に今ここで言いましょう。一九四九年、あるいは一歩譲って、
藤山さんよく聞いておきなさい、一年前のアロン湾
協定にしても、
戦争が始まってから二年後であります。二年後に占領地域内に作られた
政権である、
かいらい政権ですよ。その証拠に、ごらんなさい、
ベトナムの国というものに領土の画定がないですよ。バオダイの
ベトナム国というものは領土の画定がない。その証拠に、あなたが立証したエリゼ
協定の前文をごらんなさい。あなたは見てないだろうと思いますが、エリゼ
協定の中には領土の画定が書いてありません。エリゼ
協定は、
ベトナムの統一という第一項の中でコーチシナとトンキン、アンナン、この三つの結合は
国民の意思によって
あとできめると書いてある。統一はそのとききまってないですよ。領土の画定というものはエリゼ
協定によってきまってない。もう一歩はっきりしている点は、大体
ベトナム国には憲法がないですよ。憲法にかわる政令第一号を見て下さい。政令の中に領土、領域の範囲というものは全然書いてない。どうです。その証拠に、岸さん、よく聞いておきなさい、これもまた
外務省の本の「一九五四年のインドシナ」の中に、それから
昭和三十四年の「ヴィエトナム便覧」の中に、
昭和二十七年の「戦後におけるインドシナの政治情勢」の中にはっきり書いてある。
ベトナムのバオダイの国であるステート・オブ・
ベトナムの国というものは点であると書いてある。点とは何だ。
フランス連合の占領した地域であると書いてある。どうです。点である。これで領土ですか。点が領土ですか。その例をはっきり言いましょう。
昭和三十四年、ことしの便覧にこう書いてある。「バオダイ
政権は形式的には全ヴィエトナム領域における主権を主張したが、事実は北ヴィエトナムに主権はほとんど及ばず、南ヴィエトナムすらも完全には把握していなかった。カオダイ教団、ホアハオ教団、ビンシェン団らの封建勢力はそれぞれの領地を持ち、バオダイ
政権の権力はこれらの領地に及ばず、バオダイ
政権は仏連合の武力と、これら封建勢力との妥協により、」初めてその権力を維持することができた。どうですか。領土なんかないじゃないですか。点だけです。これは私が言っているのではない。
外務省の本に書いてある。この事実が
一つ。
その次に、自立した
政府がない。これは領土が不画定である。自立した
政権ではない。どうですか。その理由として、憲法がないでしょう。議会がないでしょう。
政府というものも暫定的な
政府であるとはっきり書いてある。それは政令第一号をごらんなさい。いわゆる一九四九年七月一日付のバオダイの
ベトナム国の政令第一号の前文の中にはっきりと書いてある。この
政府は暫定
政府であると書いてある。これは自立した
政府ではないです。しかも授権作用——
フランスとステート・オブ・
ベトナムとの権限継承
関係、授権作用においてこれは明らかである。
外務省の本に書いてある。この授権作用というものは完全独立ではない。これははっきりしております。たとえば軍事の面、司法の面、外交の面においても
フランスの
承認なしには行動できないことになっている。この点を申し上げると時間が長くなりますから私は省略いたしますが、この点は自立した
政府じゃない。そればかりではない、もう一歩重要な点がある。
国民も
ベトナム国なんか、バオダイなんか信用していない。これははっきりしている。バオダイをはっきり信用していない。(「
外務省発表か」と呼ぶ者あり)
外務省発表だ。
昭和二十九年三月、「インドシナ三国の政情」、ここにはっきり書いてあります。読んで聞かせましょう。岸さん、よく聞いておいた方がいいですよ。「(七)バオダイ
政権の性格、『
フランスの
かいらい政権』、これがバオダイ
政権に対するヴィエトナム人の偽らざる声である」はっきり言っているじゃないですか。「上流階級の特殊のヴィエトナム人を除いては、ヴィエトナム人の反仏感情はきわめて猛烈で、
フランスに対する反感は転じて親仏者であるバオダイヘの反感となり、皇帝在位時代から彼の評判はきわめて悪かった。その彼が
フランスのうしろだてで返り咲いたのである。ヴィエトナム人がバオダイ
政権を親仏
政権の烙印を押し、非協力的な
態度に出たのは当然であった。」こう書いてあるじゃないですか。
外務省は、当然であると書いている。「しかもバオダイ
政権の要人が、バオダイ側近の親仏者で固められたことは、バオダイ
政権に対する前記の
印象をますますヴィエトナム人に強くさせた。」「バオダイ元首以下のこうした顔ぶれ、さらに前述の独立の内容がバオダイ
政権に対する
かいらい政権の風評を高くさせたことはいなめない事実で、これが、国内的にも国際的にもバオダイ
政権の地位を不安定にさせた
根本的な原因だった。」
かいらい政権だとあなたの方が言っているのですよ。
かいらい政権でないのですか、バオダィは。どうなんです、岸さんはっきりお答え下さい。あなたの方の本に書いてある。