○五島委員 この予算の問題ですけれ
ども、連絡協議会あるいは
厚生省関係で検討したのがその程度で、これからは予算を獲得するためには大蔵省との
関係があろうと思います。きょう大蔵省が出てきているだろうと思ったのですけれ
ども、出てきておりませんから、大蔵省
関係にその所信を聞くわけにいきませんので、他日質問をすることにいたしますけれ
ども、せっかく
厚生省関係が窓口となって
水俣病対のために努力をされておったのが、今度は総合的なこれが
対策を行なわれるわけですから、企画庁が中心になられまして——私たちは九百万円とか千八百万円程度ではとうていだめだと思いますけれ
ども、あなたたちが計画されたことを一応信ずるとしましても、これは完全にとれる自信があるんですね。あるんですねと言ったって、それはわからぬでしょうが、そういうような気持で一つ大蔵省と折衝されることを期待します。
それから、私たち実は
熊本から
水俣まで三時間程度自動車で案内をされたわけです。その理由は、
熊本県の配慮があっただろうと思うのです。不知火海に面した道路を自動車で行ってみまして、海上には一そうの漁船も出ていないのです。不知火海に入ってから一時間程度の道のりでしたが、至るところに小さい漁港あるいは港がある。その港の外の海には一そうの漁船も見えなかったわけです。そうして
水俣に至ったわけですけれ
ども、数千名の漁民の方たちがわれわれに陳情をされました。当日は新
日本窒素工場とのいささかの紛争が行なわれたわけです。われわれは
水俣市民病院に至りまして病人の
状況を見せてもらったのです。見せてもらったと言うと語弊がありますけれ
ども、その実情について私たちは外見上見たわけです。全く、盲であり、おしであり、つんぼでありました。それから、死ぬ前の重病
患者が二名くらいおられましたけれ
ども、目があいたまま動きがとれない。あるいは非常に激しいけいれんをもって、私たちしろうとから言わせると、リウマチのひどい、関節は曲がり、足は曲がり手は曲がるというようなことで、この
患者はあしたかあさってにはもうだめだとお医者さんが言っておられました。そこで、私たちが
熊本大学の教授にこの病気の予防法はないかと聞いたら、予防法は現在ないというように言われました。予防法というのは何かというと、
魚介類を食べないことが予防法ですと言われました。私たちが
調査書、陳情書などをずっと見てみましたところが、現在生存している
患者が四十五名あるわけですけれ
ども、四十五名の中に治癒したという
患者が三名ある。そうして、ある者は工場に通勤をしているし、ある者は学校に通学をしていると言われたものですから、この病気にかかっても治癒するのですかと質問をいたしましたところ、
熊本大学の教授の方はこう言われました。治癒は全然ないんだ、治癒するということは近代医学ではとうてい考えられません、治癒というような診断は、ある程度歩行ができる、ある程度目が見える、ある程度ものが言えるということで、この病気にかかった以上は後遺症は残るのだということを言われたわけです。しかも三八%程度の死亡率があるということで、この病気は大へんな病気である。従って、病気になったところの
患者の
対策は
一体どうだというようなことを
調査いたしましたところが、
患者はなお今二十九名入院しているということです。ところが、実際その
患者の出たところの村に行ったわけですけれ
ども、歩行困難、目があいていても視力がない、耳が聞こえない、ものが一声えないという
患者をまのあたり見たのです。どうしてこの人たちは病院に入ってないのだというふうに聞いてみたら、病院に入ると金がかかると言うのです。それが、病院に入ると、あの付近の通念としてですか知りませんけれ
ども、必ずだれかつき添いが行かなければならぬ。そうすると、家庭ではつき添いに行く者がいない。つき添いに行ったらさっそく家の生活が困ってくる。病院に行ったら金がかかるから、居宅療養をしているんだというようなことで、全く気の毒なことだと思いました。まだ病院には数ベット残っているような
状態ですけれ
ども、そういうような
患者が入院をしていないということも考えられたわけです。ところが、病院の話に戻りますけれ
ども、病院では病人に必ず家族の人がついておるわけです。そうすると、完全看護が行なわれていないんじゃないか、こういうふうに思ってきたわけです。これは
厚生省関係のここにいらっしゃる人々にこういう問題を聞いても具体的な答弁は得られないと思います。たとえば医務局あたりに来てもらってそういう質問をしたらいいのですけれ
ども、これもまたの機会にいたしますが、病院
対策等々について、あなたたち、連絡協議会では、今後これらの問題な
どもひっくるめて
対策をされていかれるのですか。