○淺沼
議員 先日、
議長が本
会議において私
どもを
懲罰委員会に付するという宣告をしたのでありまするが、実は、私、その際に自己
弁明の
発言を求めまして、自己
弁明をしたいと
考えておったのであります。しかし、議事の都合上より、そういう
機会が与えられなかったのでありまして、そのときに申し上げようと思いましたことも含めまして、申し上げるのでありまして、この点を一つ御了承を願いたいと思うのであります。
まず、
最初に、私は、
議長がどういうような
理由でこの
懲罰委員会に付したのか、全く理解に実は苦しんでおるものであります。これは、何も私一人でもなく、
国民もまた、ひとしく
議長のやり方に対しては憤激しておるものと信じておるのであります。
現在私の立場は、個人
淺沼稻次郎、
衆議院議員としての立場がございます。同時に、鈴木
委員長とともに、いやしくも
日本社会党を
代表する書記長の役割にあるのであります。その私を、何ら明らかなる
理由なく
懲罰に付するということは、単に私個人に対してでなく、党全体に対する侮辱である、また、わが党に対する明らかなる挑戦であると思いまして、非常に遺憾に
考えておるわけであります。それのみならず、今日まで曲がりなりにも二大政党政治を誇ってきたわが国の議会政治において、その一方の政党の
代表者を、軽々しく
懲罰するということは、政党そのものを軽んじ、ひいては政党政治の権威をそこない、議会政治そのものの権威を
議長がじゅうりんする結果になりはしないかということを感ずるものであります。(「その
通り」と呼ぶ者あり)
この問題の経緯からいっても、
自民党では七役
会議で相談した結果、
議長一任という手段をとったのでありますが、
議長は、何らなすことなく、三週間余りも放置しておったのであります。そのことは、私に対して何ら
懲罰に値する
理由が発見できなかった証拠であるとともに、
自民党が
議長に圧力をかけ、
議長またこれに屈して、
議長が
与党の走狗となり果てた姿の現われにほかならないと思うのであります。昨年、警職法改悪問題の起きた
あとを受けて、
議長、副
議長はその党籍を抜き、不偏不党なる立場だったものが、一党の圧力に押された
議長となったものでありまして、まことに遺憾といわなければなりません。また、われわれが憤慨にたえないのは、この問題の取り扱いにあたって、
与党たる
自民党並びに
議長は、私への
懲罰を
デモ規制の立法とからみ合わせて、ひいては、ますます大きくなりつつある
ベトナム賠償やロッキード戦闘機の問題等の
疑惑を
国民から隠蔽するために利用し、さらには、会期延長の口実を作る道具としょうとしたことであります。すなわち、不純にして、かつ、卑怯きわまる態度であるといわなければならぬと思うのであります。
そもそも、新憲法のもとにおいて
国会が始まって以来今日まで、
議長職権による
懲罰事犯は前後三回あったと思います。それらは、いずれも明らかに
国会法の規定による
議院の
品位を汚したり、
院内の
秩序を乱したるものでありますが、このたびの問題は、そういう
理由は何らなく、全く政治的意図によって行なわれたことに重大な問題がひそんでいることを指摘せざるを得ないのであります。私は、むしろこの際、いやしくも
議長の地位にある人は、
国会正常化のあり方の本質的な解決について深刻にお
考えになり、大所高所から国の政治のあり方について思いをいたすべきが至当であると
考えるのであります。
与党の言うなりになって
議員を
懲罰に付したり、あるいは一片の
デモ規制法によって、憲法により
国民に与えられた正当な
請願権を奪うことによって
国会の正常化ができるなどと
考えることは笑うべきところの態度であり、真の政治家のとるべき態度ではないと私は思うのであります。
思い起こせば、
加藤議長は、あのいまわしいクーデターの第三十回
国会の
あとを受けて第三十一回
国会が召集された後の四日目、かろうじて妥協の結果選挙されたのであります。そのとき
加藤議長は、今一番重大なことは、
国会が
国民から信頼を得ることだ、
国民から
国会が軽視され、軽侮されることのないよう最善の努力をすると、初の新聞記者会見で語っておるのであります。まさに、その
通りであろうと思うのであります。
国民が今何を
考え、
国会に対して何を望んでいるかを、今こそ真剣に考うべきときだと思うのであります。
ベトナム賠償の
審議の
状況といい、ロッキード戦闘機の
政府の態度といい、民族の運命に関する
安保改定の問題といい、
国民の憤激の声は、議会の厚い壁を通してわれわれの耳にひしひしと感じてくるのであります。
また、最近の警職法を
審議した第三十
国会においては、
自民党は星島
議長を軟禁し、椎熊副
議長をして抜き打ちの会期延長を行なわしめたのであります。これは明らかに
国会法、
衆議院規則に違反し、法律的には明らかに無効であり、政治的には、およそ
民主主義とは縁のないものといわなければなりません。
さらに、警察法の
審議をしたとき、過ぐる第十九回
国会においては、
自民党は四度目の会期延長を行ない、その最後の
機会に、当時の堤
議長は、警察官を外部から導入し、その力をかりて会期が終わる午前零時の数秒前に、
議長入口のと
びらの外で指二本を上げて、それで二日間の会期延長が宣言されたのであります。わが党はこれを認めず、会期は終了したとして、その以後の議事には参加を拒み、
自民党だけで五度目の会期延長を行なって、警察法を可決いたしました。そうして他方、わが党
議員四十五名を
懲罰に付したのであります。
およそ、これらのことは、議会の議事として異常きわまるものでありますが、今ここで立ち入って批評はいたしません。問題は、どうしてこのような
事態が、国権の最高機関である
国会の
会議に生じたかということであるのであります。これは多数党が、まさに多数党であるということのために、その欲する立法なり、その他の案件を、十分な討議を経ず、法律に認められている
国民の利益や権利も
考えず、それらに対する反対党のなぜ激しく反対するかということを省みず、多数で可決すればよいという観念が原因であるのであって、これは
民主主義の憲法の精神とは全く無縁のものであります。それは事実上、多数党がきめたことはすなわち法律であるという観念であって、かりにもこのようなことが
国会正常化という言葉で言われるならば、それは
国民を欺くもはなはだしいといわなければなりません。はなはだ遺憾でありまするが、こういうことから、
国民の多くは、今日の議会について、
自分を
代表する機関であるという満足や信頼を抱き得ないものがあります。そして、議会がますます形骸化していけば、
国民をして、より直接的に
自分の意思を政治に反映しようという気持にするのは当然であります。少なくとも、わが国における労働者階級、勤労者大衆が、
国会に対して全幅の信頼を抱かず、不断に議会外の大衆運動を通じて、みずからの経済的要求のみならず、高度の政治的目的を達成しようとする
事態に対しては、単に多数決の論理や形式的な法治国観念の主張をもって対するだけでは、何事も解決しないのであります。
国民は、今韓国の議会がそうであったように、
安保改定や警職法や、民主的警察制度といったようなものが一度制定されると、次々に憲法で保障された基本権や個人の生活は、全く無に帰せしめられていく過程を
日本において最も憂えておるのであります。私は、さきにあげた
日本の
国会の変革の原因の多くは、この種の
民主主義の本質である基本権についての法案であるとか、民族の運命に関するような条約の
審議等にあったことを、重ねて力説せざるを得ないのであります。
議会政治のもとで、確かに多数党が自己の正当と
考える政策を、
政府をして実行せしむることは多数党の権利であり、義務でありましょう。しかし同時に、常に
政府を批判し、攻撃し、
政府の立法を修正し、あるいはこれを葬ろうとするのも、反対党が
国民から与えられたる権利であり、義務であると思うのであります。反対党が
政府の立法や予算その他の政策に真剣に反対することがなければ、それこそ、まさに議会政治の機能は喪失するといわねばなりません。すなわち、朝野両党切薩琢磨の中に憲政の前進はあると思うのであります。いやしくも
議長たる者は、私が以上述べたごとき議会政治の本質に真剣に思いをいたすべきであって、今回とった小児病的態度は、
議長みずから議会政治の墓穴を掘る墓掘り人と化し、後世にその恥をさらすゆえんであるといっても過言ではないと思うのであります。
かつて満洲事変の前夜、美濃部達吉博士は、当時の議会において、政党政治の崩壊を憂えて、時の
政府に警告を発したのでありますが、静かなその主張は軍部に汚され、当時の
政府によってむざんにも圧殺されたのであります。今日われわれは、また議会政治が次第に行政権優位の態勢にとってかわられ、多数
与党またこれに追従して、反対党を無視し、政党政治を否定せんとする態度が顕著に見られることは、はなはだ憂うべきであって、今こそお互いに新憲法の精神に基づく民主的議会政治、政党政治を守り抜いていかねばならぬと信じているものであります。われわれは、今日の段階においては、保守党こそ、真の
民主主義、議会政治をじゃまものとし、われわれ革新政党こそ、彼らの捨て去った
民主主義、議会政治の旗を守っていくものであることを信じて疑わないのであります。本来人類解放の武器である議会を、人民圧迫の武器に転化せんとするものこそ、まさに保守反動の岸内閣並びに
自民党といわなければなりません。
さて、当日の私の
行動については、
国民の圧倒的な安保阻止運動の
請願行動について、
チャペル・
センター前の集合者に対し、党を
代表してあいさつを行ないました。また、この問題に関しましては、ちょうど十月二十二日のころだと思いますが、川島幹事長とNHKのテレビ及びラジオにおいて対談をやったことがございます。その際に川島幹事長から、「今度
社会党では十万人ばかり人を動員して、その
陳情運動をやるそうだが」、こういうことを言われたのでありまして、その際にも私は申し上げたのでありますが、「われわれ
社会党としては、
院内に多くの議席を持っておるのがわれわれの大きな務めであって、従って、
陳情・
請願の媒介はやるが、その
任務を全うするつもりだ」、こういうことを話しました。その
あと中央執行
委員会が開かれた際に、私は川島幹事長の言われた言葉を中央執行
委員会に通じまして、「はたにおいては、今度の大衆的な
請願運動について大きな疑問を持っておるように
考えられるから、党の態度を明白にしておくべきである」、そういうことを申し上げまして、私は、この大衆的な
請願運動の主体は、それは
安保改定阻止国民会議であることには間違いはない、しかしその場合において、
社会党の持つ
任務はどこに置くかといえば、それは
社会党が多数の
議員を持っておるということが大きな誇りでもあり、それがまた一つの
任務になるから、その
陳情者、
請願者を衆参両院の
議長、総理大臣あるいは官房長官、これらの者に会わせる媒介体の役割をすべきではないか、これを私が提案をいたしまして、それが確認をされまして、しかし、また
あとで新聞にも何か書くようなことがございましたから、それも私
どもはまた確認をいたしまして、
社会党の態度ということは明白にして参ったのであります。従いまして、私に対していろいろ総指揮者だとか、あるいは
責任者のようなことを言われておるのでありますが、私
ども社会党代議士の
任務、
責任はどこにあったかといえば、いわば
陳情及び
請願を媒介いたしまするところの役割ということにきめたのでありまして、この点は明白にしておきたいと思うのであります。
さらに、このことにつきましては、執行
委員会できめるばかりでなく、執行
委員会できめたことを
議長とも
連絡、すなわち、表門から入るというような場合におきましては、あるいはマークを持つか、あるいは許可を得た者ということで制限になっておるのでありまして、この点を明白にしなければならぬと思いまして、下平議運
理事をして
議長と交渉をせしめまして、表から入るという一つの交渉をいたしまして、承認を得たという結果になっておるのであります。従いまして、その日に、私
どもといたしましては、なるほど大勢集まっておるところであいさつをいたしました。それからその席上において、三十名の
代表者を選んで、議会に行って
議長に会うということが言われたのでありまして、その三十名という宣言がせられたときに、私は車からおりまして、この
人たちと
一緒に参ったのであります。そうして参りまして、門がそのとき一たん締まりました。締まったのでありますが、これは話がついておるのに、締まるのもどうかと思いましたところが、自然また話がついたと見えまして、あきましたから、私も中へ
一緒に入りまして、入りましてから、一たん議会の中へ入ったのでありますが、しかし表の
状況を
考えてみますと、いろいろ問題があるようでありまして、一たん私は表へ出まして、いわゆる集まるところに指定した場所をみな視察しました。すなわち、特許局前、さらには人事院前、そこに
請願者が集まることになっておりまするから、どういうことだろうと思いまして参ったのでありますが、私が参るときには、総理大臣前の門の中には多数の人がおりまして、そこから下がることができずして、私はずっと遠回りをして特許局の前まで下がって参ったのであります。ところが
請願者はおりませんでした。さらに加えて、人事院のところへ参りましたところが、おらぬ。おらないで、こちらに帰って参りますと、多くの人が
院内に入っておるのでありまして、それを見たときに、この状態はいけない。それで、私は声を大にいたしまして、実行
委員会の
各位に、すなわち、
国民会議の実行
委員の
諸君に、「これは一刻も早く帰してもらいたい」、こういうことを要望しました。まあ、私
どもの要望もあり、実行
委員会でもきめたようでありまして、中に岩井君が車に乗って入って参りまして、そうして、もう帰ってもらいたいという宣言をやっておりました。そう言って、みんな帰りますから、私は中へ入ったのでありますが、しかし、まだ帰らない全学連の
連中が、まだがんばっておるということであったのであります。しかも、先ほど
小林君が申されました
通りに、
議長も心配されておる。また私
どもが
院内に入って聞きますと、
警官五千名を入れて、そうして、これの
退去を命ずる、いわば、いろいろの都合で入ったとして、その入ったことに対していろいろ議論がありましても、これもやはり主人公であり、統治権者である、それに対して、また議会の方から
警官を出して、これで圧迫するということになると、議会政治そのものが
警官に守られ、さらに加えまして、その次に私
どもが聞きましたのは、非常
事態の宣言をして、そして自衛隊が出る、自衛隊に守られながら警戒をやるということになれば、もう議会政治ではございません。それは一つのフアッショの政治に変わる結果になるのでありまして、私
どもは、先ほど
小林君が申されました
通りに、
委員長を中心として集まっておりました代議士の
各位が、「これは一つ書記長、
先頭に立ってみんなに帰るようにしてもらいたい」、こう言いますから、私は出て参りまして、この集まっている
各位の中に入って、もう帰ってもらいたいということを私
どもは強く要望したのであります。なかなかいきり立っている者の前に出て、帰れと言うことは、非常に苦痛な点であり、また反撃も相当あったのでありますが、議会そのものを
考えて、一歩誤って議会の中に血を流すようなことがあっては、議会の権威は落ちるということになるのでありますから、実際議会の権威と
品位を保つためには、無理をしても帰ってもらわなければならないというので、おりました方々を説得して、約三十分ほどでみんな帰ってもらったのであります。従いまして、
自分のやりましたことを
考えてみますならば、まず議会の権威と
品位を維持するために、
秩序を維持するために
行動したのが、
懲罰委員会にかけられておるというのでありまして、この点が了解に苦しんでおるのであります。
そればかりではありません。これは法務
委員会において私
どもを召喚して何かやろうということで、まあ召喚があるようなことがいわれました。それで法務
委員会におきましては、いろいろなテレビを見、あるいは映画を持って参って見ました結果、私
どもの態度は明白になったということで、結局証人には呼ばぬということになったようであります。それが
懲罰委員会にかわるということになったのでありまして、この点につきましてはどうも私
どもは
納得がいかないのであります。すなわち、
納得のいかない反面においては、私は非常な政治的な意義があるということを
考えざるを得ないのであります。しかし宣告を受けたのでありますから、これはやむを得ません。従いまして本日ここに参りました後においては、まず私は
議長がなされた、いわば宣告文並びに
議長の言明、それについてわれわれに対する質疑応答が行なわれまして、その結果最後に、お前の
考えはということになるのが普通だと思っておったのでありますが、そうでなく、質疑応答が
あとになって、自己弁解といいますか、これが先になったようでありまして、この点はもう一ぺん私は最終的の場合においては、ここにおいて意見を述べさせる
機会を与えていただきたいと思うのであります。
そういうようなわけでありますが、最後に一言申し上げておきたいのは、この間起きた
事件は、まさに偶発
事件であろうと思います。これはやはりこの間その相手方、支配する側の方の議会における答弁におきましても、そのことを裏書きしておるようでありまして、この間起きたことは偶発
事件でありまして、この偶発
事件が起きたことは、まことに私は遺憾に
考えます。しかしながらこれが起きたからといって、院外においては
請願者に対して弾圧を加えておる、さらに加えて
院内においては
懲罰を加える、これだけによって問題は処理されるものじゃないと私は思うのであります。
ここで私は一言申し上げたいのは、こういうような
事態になったのは、どういうようなところからきておるか、この点をよくお
考えになって、ある意味においては
政府与党並びに
議長それ自体が、私は反省をしなければならぬ段階ではなかろうかと、こう
考えておるのであります。さらに
社会党の立場を申し上げますが、
社会党は
国会を通じて、平和的に、民主的に社会主義を実現する政党であります。
国会の権威と
秩序を尊重する立場に立っていることは明らかになっておるのでありまして、この点だけは明白にいたしておきます。
以上をもちまして自己
弁明を終わります。(拍手)