○滝井
委員 大臣、今お聞きの
通りです。私が言いましたように、全
産業の発展の中において、だんだん
エネルギーの使用量がふえるという分については、これは
相当に重油の優位性というものが出てきておる。しかし依然としてイギリスにおいても一九五〇年に八五%のものが八〇%と、これは五%しか下がっていないのです。これは絶対量で見てみると必ずしもそうではない。パーセンテージではそうなるかもしれないけれ
ども、絶対量では減っておるとは言えない。西ドイツの方は、これは褐炭を入れると九割くらいになる。それからソビエトを見てみますと、ソビエトはあれだけ大きな油の産出国ですよ。これが六割です。ところが、これが七カ年
計画が終わったあとで四割ちょっと上回る
程度になるのです。ところがソビエトは、
石炭はだめだといっていない。どんどん増産をして、
石炭の新しい用途を開いていっております。こう見てきますと、イギリスそれから西ドイツ、フランス——ただアメリカとカナダだけが三〇%
程度です。他のヨーロッパの諸国というものはそういう
状態ではない。こういうことが今はっきりしてきたわけですね。そうしますと、こういう
状態がはっきりしておる中で、なぜ
日本だけが
エネルギー革命だ、革命だといって、ヨーロッパのイギリス、西ドイツ、フランスよりか後進国の
日本がなぜそんなにあわてなければならぬかということなんですね。この点、どうしても私は納得いかないのです。今の
大臣の御説明でも、世の中の人が
エネルギー革命だといっておるので、そういうことだろう、こういう
お話ですけれ
ども、そういう点ではどうも納得いかないのです。
そこでもう少し私は
大臣に
お尋ねをしたいのは、今までの
日本の
石炭産業の危機の問題についてわれわれが考える場合には、やはり
日本の資本主義がずっと
石炭をたくさん使っておって、そして今に至るまでの一応発展の経過というものをやはり考えてみる必要があると思うのです。そういう
意味では、
日本の資本主義のもとにおける
日本の
炭鉱というものの
状態を見ると、これは御
承知のように資本主義的な現在の水準に
炭鉱というものは達していない。しかも鉱区が独占をされておる。しかも休眠鉱区というものは三井とか三菱というものが持って、そして封鎖しておる。明治のときにだれかが行って旗を立てて、ここはおれの鉱区だといったものが、国民のものである鉱区が依然として独占されて眠っておる。こういう矛盾もあるわけであります。さらにそこに働いておる
労働者は低賃金、最近ガット三十五条の
関係で、
日本は低賃金でないということを
政府はこのごろの新聞で発表しておりましたが、しかしこれはまたこれで論議するとして、
炭鉱は低賃金、しかも資本主義特有の寄生的な腐敗現象というものが
日本の
石炭産業に結びついております。しかも
労働者の生産性は機械化されておらないからなるほど低い。それで生産を上げろ、
能率を上げろといっても、
日本の
炭鉱には上げるだけのポテンシャル・
エネルギーがない。こういう
状態ですから、景気がよくなれば人を増加するし、景気が悪くなれば首を切る、そして景気がよくなったときには
石炭の価格というものを投機的にやっていく。だから電力会社は、今われわれが行って聞きますと、とにかく
石炭業者くらい信用にならないものはない、あの
人たちから直接
石炭を買いたいのだけれ
ども、あの
人たちから直接
石炭を買っておったのでは、ちょっと景気がよくなると持ってこない、だからわれわれは
石炭を高いけれ
ども商社から買うということを電力会社は言います。そういう場合に、
石炭というものはその景気の変動によって価格がぱっとつり上げられるという投機的な要素というものを非常に持っておるということです。これが他の国に比べて異常な危機の
状態というもの、社会的な危機だという、そういうことを生み
出しておる第一の特徴だと私は思うのです。
それから第二の特徴は、この点、私は
大臣にどうしても
お尋ねをしておかなければならぬ点なんですが、今保守党でも、
日本経済の自立をはかるのだということをおっしゃってきておるわけです。そうするとこの燃料問題というものは、少なくとも保守党の
政策として
日本で自衛力を増強していくという
政策をとるとするならば、これは戦略的
意味においても、非常に大きな問題なんですね。そうすると、昔の
日本の帝国主義時代の
日本の戦略態勢を燃料問題だけに限ってみても、国内には石油の資源というものはない。あっても非常に少ない。しかも
石炭の生産というものは停滞をしておる。そして、水力発電というものが若干ある。こういう
状態で、軍事的な発展を
日本がずっとはかっていったときに、燃料問題というものが、軍事発展の、何と申しますか、重大なブレーキになっておったわけです。だからこそ、その結果、われわれの先人というものは——われわれの先人を外国人は帝国主義者と申しますが、そのわれわれの先人というものは、まず撫順炭に目をつけた。さらに撫順炭で足らずに大同炭、開らん炭と手を伸ばして、さらに仏領インドシナのホンゲー炭まで手を伸ばしていっておるのです。そしてそれが
一つの侵略のコースをたどっていくということは、やっぱり燃料
政策というものに結びついておったと私は思うのです。そして、それがさらに今度は油の方になると、人造石油を作ったり、あるいは戦争中は松根油というようなものを作ったり、いろいろ作ってみました。しかしそんなものは問題にならなかったので、今度はジャワ、スマトラ、ボルネオ、セレベスというようなところまで野心を起こし始めた。ところがそれは輸送
計画でどうにもならなくなったという、こういう問題があったというわけです。従って私は、そういう先人の道をずっとたどってみると、やはりこれは国内炭を増産しなければならぬということに、究極的に追い込まれていったと思うのです。そしてその結果、私もその当時
炭鉱に働いておりましたが、慶尚南道や慶尚北道から朝鮮人の諸君を連れてきて、外国の
労働者ではないけれ
ども、とにかく植民地の
労働者を無理やりに連れてきて、そして
石炭を掘らして、価格的にも補助金
政策というものをとって、昭和十五年だったと思いますが、とにかく五千万トンの金字塔を打ち立てた。これは一大記録ですよ。ところが、今になって自立を叫んでおるところの
日本の
石炭業者なり
政府というものは、手の裏を返したようなことを言い始めておるのですね。これは一体
大臣は、やはりそういうように、もう
石炭産業というものは、
エネルギー革命がきておるからどうにもならぬのだ、
日本の燃料国策の見地からも、もう外国のものに依存してもやむを得ない、こういう見地に立たれて問題を処理されていくのか、それとも、われわれの先人がとってきたような
政策というものを
石炭政策にとろうとするのか、この点を
一つはっきりしてもらいたいと思うのです。