○柳谷
委員 熊本県水俣市周辺におけるいわゆる水俣病に関する
調査について御報告申し上げます。
今回の
調査は、去る十月三十日から十一月四日まで五日間にわたって、農林、商工の各
委員会と共同でわれわれ社会労働
委員会もこれに参加し
調査いたしたのでありまして、本
委員会からは
五島委員、堤
委員、それに私が参加いたしました。以下
調査結果の概要について御報告申し上げます。
まず水俣病といわれている病気についてでありますが、熊本県の南、鹿児島県との県境にほど近い水俣市を中心とした一定の地域に発生する奇病であって、中枢神経疾患を主症とする脳病であります。手足の麻痺、言語障害、視聴力障害、歩行障害、運動失調及び流涎等、特異的かつ激烈な病状を呈し、気違いと中風とが併発した症状といわれるゆえんであります。私
どもは水俣市立病院に入院しておる二十九名の
患者及び自宅療養
患者について視察したのでありますが、それぞれ長期にわたって、いつ治癒するともわからぬ果てなき療養生活を送っており、また重症者においては意識すらない者、あるいは発作的に激烈なけいれんを起す者等、正視するにたえない悲惨きわまりない症状を有する病気であります。
しかも本病は水俣湾周辺に産する魚介類を相当量摂取することにより発病し、性別、老幼の別なく、その上一般に貧困な漁民部落に多発し、家族、姻族発生が濃厚であるという実情であります。
現在これが治療
方法としては、ビタミン及び栄養の補給等、一応の手だてはあるとはいえ、一たん発病するときは、完全治癒することはなく、幸いにして死を免れた者も、悲惨な後遺症のため廃人同様となる、まことに憂慮にたえない疾病であります。この種の病気が
昭和二十八年末一名の初発
患者を見て以来、現在までの
患者総数七十六名の多きに達し、中でも
昭和三十一年は最も多く、四十三名の
患者の発生を見ておるのであります。しかも従来水俣市の地域に限られていたものが、去る九月に至って、同市の北方約五キロの芦北郡津奈木村に親子二名の新
患者が発生し、
患者発生地域がさらに拡大されて参った次第であります。しかして
昭和三十年以来すでに二十九名が死亡しており、その死亡率は四〇%近い高率を示しておるのであります。
水俣病の原因究明については
昭和三十一年から始められており、当初にねいては濾過性病原体によるものとの疑いが持たれ、次に重金属による中毒と
考えられ、毒性物質として、マンガン、セレン、タリウムが有力視され、かつ魚介類による媒介とされていたのであります。しかしこれらの物質は、いずれも単独では水俣病と全く一致する病変を起こさしめることができなかったのであります。
その後、政府においても原因究明のための
調査委託費等を支出し、熊本大学医学部を中心として研究を進め、引き続き本年においては、
厚生大臣の諮問機関である食品衛生
調査会に水俣食中毒部会を設け、さらに
調査研究の結果、毒性因子として新たに水銀説が有力となり、去る七月十四日、中間報告として魚介類を汚染している毒物として、水銀がきわめて重要視される旨、発表されたのであります。
その根拠としては、各種障害の臨床的観察か有機水銀中毒ときわめて一致すること、あるいは病理学的所見において神経細胞及び循環器障害が有機水銀中毒に認められること、また動物実験においても、ムラサキイガイをネコに与えた場合と自然発生ネコとは全く同様の変化を起こし、さらにエチール燐酸水銀をネコに経口的に投与するときも、貝類投与の場合と同様であり、かつ
患者及び罹患動物の臓器中から異常量の水銀が検出される点等をあげいるのであります。
なお、水俣湾の泥土中に含まれる多量の水銀が魚介類を通じ有毒化されるメカニズムはまだ明白でなく、今後究明すべき点としているのであります。この食中毒部会の中間発表に対し、新日本窒素肥料株式会社においては、水銀については研究に着手したばかりで、実験に基くデータは発表の
段階に至らないが、科学的常識上及び食中毒部会のデータの不備な点について、次の
通りの見解を発表し、有機水銀説は納得できないとしているのであります。すなわち、水俣工場は
昭和七年以来今日まで二十七年間、酢酸の製造に水銀を使い、また
昭和十六年以降においては塩化ビニールの製造にも水銀を使っており、これら水銀の損失の一部として工場排水とともに水俣湾内に流入しているのは事実である。しかもその量は操業以来酢酸の生産量十九万トン、塩化ビニール三万トン程度であるところから、六十トン、最高の場合において百二十トンということであります。しかるに
昭和二十九年になって、突然水俣病が発生した事実は無視できない。また水俣病は
昭和二十八年以前には全くなく、二十九年から突発したことは、
昭和二十八年、同二十九年を境として、水俣湾に異変が起こったと
考えるのが常識的と思われるというのであります。
また、有機水銀であるメチール水銀及びエチール水銀は有機溶剤に溶けやすく、エチール燐酸水銀は水にも可溶である。
有機水銀のこのような性質にもかかわらず、熊本大学における既往の動物実験結果においては、貝類を有機溶剤で処理した場合、抽出された部分からは発病を見ず、抽出残渣の方から発病する。このことは工場における実験とも全く同様結果であって、この結果、毒物はアルキル水銀化合物ではない等反証しているのであります。なお、新日本窒素肥料株式会社は、資本金二十七億円で、水俣工場を主たる工場とし、同工場においては、年間硫安、硫燐安等約三十万トン、塩化ビニール、酢酸等三万トン、その他十二万トン、計四十五万トンを製造し、現在一時間約三千六百トンの排水を水俣湾に放出しているのであります。
しかし、会社の
資料によると、この排水は機器の冷却用が主体であって、直接製造工程から出る排水は一時間約五百トン程度であり、その水質は問題にならないということであります。すなわち、去る七月における分析表を見ると、水俣湾流入排水及び八幡排水は、それぞれペーハー六・三、一一・九、水銀一リットル当たり〇・〇一、〇・〇八ミリグラム、マンガン〇・二二、〇・〇五ミリグラム、過マンガン酸カリ消費量二四一等となっております。
私
どもは、工場における排水処理状況を視察するとともに、明神崎、恋路島及び柳崎に囲まれた水俣湾及びさらに天草あるいは長島、獅子島等の島に囲まれた不知火海の二重の袋湾になっている現地の状況を視察したのであります。水俣湾においては、過去における排水による堆積物と思われるどろが三メートル以上にも及び悪臭を放っている実情であります。
また、終戦時海軍所有の爆弾を投入したと称されていた湾についても、その現地において当時の責任者であったという元海軍少尉甲斐氏から当時の実情を聴取したのでありますが、すべて水俣駅に搬出し、一発も投棄していないということでありました。
以上の
通り、水俣病は水俣市周辺に産する魚介類を摂取することにより発病する
関係から、水俣市鮮魚小売商組合は、すでに八月一日水俣市丸島魚市場に水揚げされる魚介類のうち、水俣近海でとれたものは、たとい湾外のものであっても絶対買わぬとの不買決議を行ない、以後漁民は全面的に操業を停止するのやむなきに至り、収入の道は全く断たれている次第であります。また近隣の漁村においても、これが連鎖反応のため甚大な悪影響をこうむり、日々の食生活にも事欠くに至り社会問題となっている次第であります。
かかる事情のもとにおいて、去る八月三十日には、水俣市長を初めとする九名の漁業補償あっせん
委員のあっせんにより、会社から水俣市漁業協同組合に対して、水俣病
関係を除く工場排水による漁業被害補償として毎年二百万円を支払うことを約定するとともに、
昭和二十九年以降の追加補償金二千万円及び漁業振興資金一千五百万円、計三千五百万円を支払っておるのであります。
このようにともかく水俣市漁協に対しては補償措置がとられているものの、日奈久と姫戸を結ぶ線以南の二十三漁協、
関係漁民四千名余はすべて操業不能に陥り、他の海域に漁場を求めなければ生活できない状態に立ち至っている次第であります。これがため、私
どもが参りまとた十一月一直においても、熊本県漁連が中心となる不知火海水質汚濁防止
対策委員会の
関係漁民数千人が参集しており、切実な陳情を受けたのであります。その後これら
関係漁民の一部が工場に押し入り、
事務所を損傷する等、暴挙に出たことは遺憾に存ずる次第であります。
最後に本問題の
対策について申し上げます。帰京後
調査団一行が相寄り現地の実情及び要望事項を中心として協議の結果、次の事項をすみやかに実施すべきである趣旨の申し合わせをいたした次第であります。
一、早期に原因を究明するため、厚生、農林、通産等
関係各省庁がそれぞれ分担して
調査研究を実施するよう協力態勢を確立すること。
二、
調査海域を定めること。
三、水俣湾内の浚渫を行ない、過去の沈澱物を除去すること。これがためには袋湾の埋め立てを考慮する。
四、生活保護法による各種扶助及び社会保険各法の給付について万全を期すること。
五、入院
患者の増加に伴い、水俣食中毒
患者台療費補助金の増額をはかるとともに、現行補助率三分の一についてもその引き上げを
考えること。
六、家庭療養
患者に対しても見舞金の支給等救済措置を講ずること。
七、水俣食中毒部会研究費の増額をはかること。
八、
医療機関の拡充を考慮すること。
九、生活保護法の特例法
制定につき検討すること。
十、失業保険の実施について検討すること。
以上私の御報告を終ります。(拍子)
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