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足鹿小
委員 最後に、ちょっと御注意申し上げておきたいのですが、この
災害補償制度によって、このたびの
災害を受けた人々が共済金をこれからもらいます。そうすると、あまりにもその金額が少ないのに、もらった者が不満を起こす、もらはない地帯はますますもって不満が高ずる、こういう事態に必ずなると思うのです。従来からあるこの制度そのものをつぶしてしまえという
意見を持った政党もあります。その人々が農民に迎合して、この制度をつぶす運動を起こしております。私は、そういう地帯にも行って、少なくとも、
政府も、今までの経過から見て、通常国会にこの問題に対する改正案を出さなければ、この制度が崩壊寸前の危機にあるということは知っておるはずだし、これは与野党の問題ではなく、必ずそういうふうに持っていって、この制度がほんとうに農民のためになるようにしなければならぬから、不満があっても、やはり、そういうやめてしまうということは
考え直す必要があるということを私は説いて回った。たまたま耕作細目書も出さぬ、掛金も払わぬという地帯を私は二日がかりで講演をしました。ところが、その地帯が今度ばっさりやられ、収穫皆無の大洪水にたまたま襲われたというようなめぐり合わせになっておるわけであります。そういう点から見まして、もらってももらわなくても、この制度には不満がうっせきしておるのです。これをじんぜん日を延ばすということでは、おそらく各地に崩壊現象が現われて参りますし、私
どもも、いつのことやらわからぬということで、この制度が立ちぐされになることは忍びません。従って、われわれも大きな
決意をもって
政府にその
決意をせしめるだけの行動をとりたい、かようにも思っております。で、これは今日まで煮詰まってきた問題だから、ただいまの大臣の誠意ある御答弁によって、私も一応これ以上は申し上げませんが、非常に重大な段階にきておるということだけは肝に銘じていただいて、今御答弁になった点を、ぜひもう少し強く事務当局を勉励され、あなた自身も決断をされて、御善処願いたい。このことだけを申し上げて、
農林大臣への質問は、
災害補償制度の問題については一応これで終わりますが、あとで、法務大臣にこれからお尋ねして、その
関係でちょっとお尋ねします。
この間、今月の七日に、この
委員会の全体会議の際に、私は総理大臣にお尋ねをしたのです。それは、すでに御存じでしょうけれ
ども、国家賠償法の適用の問題です。その際、
天災と国家の責任の問題、それの具体的な問題としまして、このたびの干拓堤防等の大決壊によってなくなられた犠牲者に対して、国家が賠償法を発動してこれを救済し、死者に対して若干の慰めをすべきではないか。それができなければ、他に見舞金をそれに準じて出すとか、とにかく、もう少しこの問題に対して検討すべきではないか。すでに名古屋におきまして訴訟を提起しておる者もあるし、また東京都内にあっても、ある区役所におきましては、水門流失の責任を問われて、書類送検を受けておる公務員もある。こういうような情勢から見て、終戦後、
昭和二十二年に初めてこの
法律ができてから、いまだ一ぺんも適用された事例がなく、従来は、
災害等によっては、お上の御慈悲によって、あるいは恩恵的に見舞金とかその他の点で解決しておった。ところが、当然今度は、国の
施設あるいは管理に瑕疵があったときには国は賠償の責めに任じなければならぬという立法の
趣旨に従って、恩恵的ではなくして、堂々と国家賠償が受けられる、こういう民主立法ができておる以上、これを少なくとも今回のごとき異常な
災害に際しては適用すべきではないか。特に干拓堤防等の決損、あるいは海岸堤防等の決壊によって貴重な人命を失ったはっきりした人々に対しては、特にこの問題の適用が必要であるし、また流木その他によって、名古屋地帯おいては、思わざる犠牲者がたくさん出ておる。こういう点からも、当
委員会においては、他の
委員からも、この問題が提起されて、
政府の決断を迫っておるのでありますが、何しろ、この
委員会は寄り合い世帯と申すと語弊がありますが、各
委員会から出ておりまして、深く掘り下げていくことはできぬ。私は、学者なり、また
現地の生存者の中から、実情を知っている者を当
委員会に招致して、参考人としてその
意見を聞き、この
法律によれば、その当事者が瑕疵あることを立証して訴訟を提起しなければならぬことになっておりますが、しかし瑕疵があったかなかったか、堤防決壊に立ち会っておった
——特にこの鍋田干拓の場合は、青年隊が堤防を守るために堤防に寄ったために、全部やられてしまっておる。こういう気の毒な実情等もありますが、だれもその現場のそのときの瞬間の実情というものを知っておる者はない。こういう経過から見て、立証の
方法がつかぬままに、あるいは訴訟をしていく手続等が繁雑、その他めんどうくさいというような点もあって、そのままうやむやになる傾向があるのではないか。
法律の建前が、被害者、当事者が瑕疵あることを立証して訴訟提起するという立場になっておりますから、なければ
法律上いたし方がないということになる。しかしそれでは済まされないものがあるのではないか。たとえば
昭和二十六年に京都の平和池が決壊をして、その当時は初めてのケースだそうでありますが、三十一戸が流され、十二戸が半壊をし、田畑三十
町歩が流失をした。そのときに訴訟が提起された。そこで京都府は、まあまあということで調停の労をとって、示談が成立をして、総額二千万円の見舞金といいますか、弔慰金が出されておる。これは明らかであり、きのうあなた方の法務省の民事局長でありますかからの御答弁でも、私のこの事例を御承認になっております。そういう事例等から見まして、これは提訴があったから京都府が動いた。しかし、このたびの場合は、名古屋その他に二、三の提訴があるのみである。それは、そういう被害者が広
地域にまたがり、そういうことよりも、当面どうして生きていくか、どうして当面この生計のめどを立てるか、飢えと寒さにどう対処するかということに没頭しておりますから、まだその余裕がありません。これはもっと人道上の問題からいっても、人権擁護の面からいいましても、こういうときには何らかの
措置がとられて、そして恩恵的ではなくして、堂々と被災者に、
——命のかわりに金をもらって命が戻るわけではありませんが、やはりそこに国がある程度のお見舞をする、こういう
考え方から、
法律そのものの適用とは
関連はございませんが、むしろ、あなたが訴えられておる当面の責任者なのでありますから、あなた自身が政治家としての立場から、この問題に対して善処せられる責任もあり、私は必要があると思うのです。
法律上の適用では二、三件しか出ておりません。出ないものには、
法律の建前からは出ないのであります。しかし、瑕疵があったか、なかったかということについては、私も調べたものがあります。しかし、その立証の
方法はありません。ですから、干拓堤防の中に無底管が入るべきところに五百メートルも入っておらなかったとか、あるいは干拓堤防の上部にも基部にも亀裂があったとか、いろいろ
現地で生き残った人々が申してきております。しかし、その立証
方法は何らありません。そういう点から見まして、ないままにほおかぶりするということはないのではなかろうか。従来、法務大臣がこういう問題の中に入られるという事例はないと思いますが、少なくとも、史上最大の
災害において出た犠牲者に対して、何らかの御善処をされる必要があるように私は思うのであります。あまりこまかいことは申し上げません。今まで何べんも言っておりますし、報告も聞いておられると思いますので、この際、大臣から、私が今述べたことに対して何か善処せられる御意思があるかないか、どういうふうに
考えておられるか、御
所信を承っておきたい。