○
世耕小
委員 私は総体的に簡単に質問いたします。
ただいま
辻委員から、いろいろ
災害の問題について、質問なり、御意見のありましたのを私は拝聴いたしまして、同感の意を表する点が非常に多かったと思うのですが、質問の内容の重複を避ける意味において、二、三点簡単に
根本問題に触れておきたいと思うのであります。それは、
災害対策の取り扱いに、ややともすれば、
政府側が機械的にものを扱うという非難が非常に多い。この点はよほど上手にやらないと、せっかくの官庁の親切がむだになるということがあるのであります。それで私は、今度の
災害、特に和歌山県方面の
災害については、これまでの
工事のやり方、あるいは
工事をする場合の役所の
査定の方法等において、
災害がどういう結果を生み出したかということを、私の方の大学の土木部の教授、助教授を帯同いたしまして、写真班を連れて
現地全部写真にとって、そうして地元の意見と、当時の建設事情を詳しく調査いたしてみましたところ、どうもその点において機械的な欠陥が、大きな
災害をかえって生み出したという結論が出たことを発見したのであります。その点についてごく簡単なことを申し上げたいと思うのは、今申し上げました機械的に扱わないで、むしろ人間的に扱っていただきたい。これは、今辻君から質問なさったところも、そこにあったと思うのであります。
ここで、突っ込んでもう
一つ申し上げたいことは、公私という問題を非常に区別して扱っておる。これも余談でありますが、最近政治と経済とは分離すべきであるとか、あるいは合一だとかいう議論が
世間にいわれておるが、しかし政治も経済も、国民生活というものが基本になって、政治なり経済として現われてきておるから、
根本は国民生活なんだ。だから、
災害対策も、いかにして
災害を急速に
復旧せしめ、あるいは
災害を防止するかという
根本問題に触れなければ、ほんとうの目的は達せられないのじゃないか、かように思うのであります。
私は極端な例を
一つここに申し上げてみたいと思うことは、一万円札と千円札と落ちていたら、どれを先に拾うか。人情として、目で見て一万円札の方へ手が先に行くということは、人情だろうと思う。ところが、一万円札と千円札との区別を形式的だけとらえて、ほんとうの価値というものを誤る場合が多いのです。この点が予算
措置の上に非常に誤りがあるということ、もう
一つ例を申しますなれば、今ここに橋の上から下を見ていると、官僚と民間人と二人おぼれている。どっちの方が個人で、どっちの方が公人かと見れば、官吏は公人で、一人の人は個人だということになる。どっちを先に助けるかということが、すぐに問題になる。官吏を先に助けるのが当たりまえじゃないか、これは公の仕事をしておる、こういう論議が出てくる。それは形式論で、官吏を先に助けるか、個人がおぼれているのを先に助けるか、どっちを先に助けなくちゃならぬかというところに、観点を置かなければならぬ。もし早く官吏を助けてやらなければおぼれて死んでしまうというなら、民間人のおぼれているのをあと回しにして、官吏を先に助ける。あるいはまた、民間人と官吏と
比較して、民間人はあと回しにする従来の慣例であるけれ
ども、この際は、ほうっておいたら先に私人の方がおぼれてしまうから、これは先に私人を救わなくてはならぬということは、常識だろうと思う。だから公私ということは、民主主義の時代にはあり得ないのだ。どちらを先に救うことが、国家、社会のため、国民のために満足するかというところに、
査定の
根本を置き、また国策の線がされるべきじゃないか。この点は私はもう少し掘り下げて
考えていただきたい。きょうは写真を持って参りませんけれ
ども、この間の例を見ますと、ここは
公共土木事業であり、こちらは民間の土手なんです。だから民間の土手は自分でやるけれ
ども、公共事業、ここは完全なものはでき上がっておりますけれ
ども、こちらの方は個人の方だからほっといたために、かえって個人の方の土手がくずれたがために、せっかくの
公共土木事業が根こそぎやられてしまったという例がある。これは常識で判断できることなんです。だからその点が
——今私の申しましたのは、はなはだ適当な例でないかもわかりませんが、官吏のおぼれているのと私人のおぼれているのと、どちらを先に助けるかというごくあっさりした観念が、往々にして、土木事業にせっかく使った金が効果を現わさないで、非難のまとになるということを、私は
考えていただきたいと思う。
それからもう
一つ申し上げたいことは、予算が足りなかったからこの
程度で置いておくというて、ここまで
工事をやっておいて、このあとのところを土岐で、こっちまでコンクリートで打っているけれ
ども、こっちは土岐で打っている。これがやはり、こちらのコンクリートも、こっちの上坂のために、こちらがくずれたために、こちらに水が入ってきて、そのままばっさり倒れ込んでいったという例があるのです。もしそれほど予算がないならば、私はむしろ基礎だけ置いて、あとの予算のない分は、この次の予算で作られるようにすればどうか。そうすればこわれても基礎が残る。予算がないからということで、いいかげんなコンクリートを打つものだから、このまま先にいってしまうから、今度はあらためてまた大きな
工事の費用を出さなくてはならぬというようなことが、至るところに発見される。これは常識ある技術者のすべきことじゃない。私は二十年前に
名古屋に二年ばかりおりましたから、
名古屋の築港が今日の
被害の起こり得ることは想像できる。この点についてはいろいろ議論がありますから、私はこの機会に申し上げることは避けますが、要は、いかにして
災害を防止するかという
根本に立ち至って
一つお
考えを願いたいということを、特にこの際強調しておきたいと思います。
大体そういう点で申し上げたいと思うのでありますが、結論を申し上げれば、機械的ではなしに、人間的に、
災害をいかに防止するかという
根本に触れていって、そこに個人と公ということはなくなるはずなんです。だから隣の個人のがけが落ちたために、かえって公の
被害が大きくなったという、先ほど申しました例もあることでありますから、どうぞそういうふうな常識的な処置をとっていただくことを、特に私はお願い申し上げて、これは質問じゃない、希望でありますから、この
程度で……。