○
田中参考人 まず陳述に先だちまして、私からも一言お礼のお言葉を申し上げたいと存じます。今回の
伊勢湾台風による
被害が
発生いたしまするや、空前の大
災害であることに深く考慮を払われまして、
政府におかれましては、いち早く
中部日本災害対策本部を設置して、
現地対策の完璧を期せられ、また、
国会におかれましても、さっそくいろいろの角度から
現地調査を実施せられ、その後、引き続き
政府、
国会両々相待って
災害対策の確立に非常な御
努力をいただいておりますことは、三十数万
罹災者はもとより、百五十万県民の深く感銘するところでありまして、この機会に衷心御礼のお言葉を申し上げたいと存じます。(拍手)なお、全国津々浦々から、また遠く諸外国からも、あたたかい御援助や御同情をいただいておりますので、あわせて
感謝の意を表したいと存じます。
おかげをもちまして、一カ月有余を経た今日、木曽三川下流の水没
地帯並びに中南勢の山間僻地、熊野灘沿岸等の一部
地域を除きまして、
決壊をいたしました
堤防、道路、橋梁等の
応急仮
工事も一段落をいたしまして、おおむね
応急復旧対策から
復興への段階に進んでおりますことを、まず御
報告申し上げたいと存じます。しかしながら、何分にも私
どもの経験をはるかに越えた空前の大
災害でありましたし、ここに至るまでの過程におきましては、幾多の隘路や問題がございましたし、また、私
ども地元の当局者といたしまして、いろいろ反省しなければならぬ点も多々あったことを率直に申し上げなければならないのでございます。また、何よりも最も重要な
被害激甚地の
復旧と
復興とは、むしろ今後に残された大きな政治の課題でありますばかりでなく、このような大
災害を再び繰り返したくない、そういう
現地住民の悲願に思いをいたしますとき、今後の
復興対策につきましては、この際国に思い切った政治の決断をお願いしなければならない時期が到来しておると存じますので、
格別の御理解、御協力を賜わりますよう、切にお願い申し上げる次第でございます。
まず、順序といたしまして、三重県の
被害の
状況について申し上げたいと存じますが、すでに
各位におかれましては、大体のことは御
承知願っておることと存じますので、
被害の要点だけを簡単に御
説明さしていただきたいと存じます。
お配りいたしました地図を
ごらんいただきますとおわかりになりまする
通り、またここに張ってもございますが、三重県の地形は、東北から西南に長く延びておりまして、中間で志摩半島によりまして北は
伊勢湾、南は熊野灘、こういうふうに相なっているのでありますが、西側は全部山脈を連ねて隣県と境を接しておる、こういう地形になっております。従いまして、
県下に大中小約五百本の
河川がございますが、伊賀水系を除きましては、全部東に流れて、あるいは
伊勢湾、あるいは熊野灘に注いでおる、こういう地形でございます。
今回の
伊勢湾台風は、九月二十六日午後六時二十分ごろ
紀伊半島南端に上陸いたしまして、奈良、三重の県境を縦断をいたしました。ちょうどあの地図で矢じるしの方向でございます。午後八時ごろには津の西方、午後十時ごろには
桑名市の西方を北々東に進んで、岐阜県へ
通り抜けたのでございますが、瞬間
最大風速は、志摩半島の大王崎——ちょうどここでございますが、この志摩半島の大王崎におきましては、実に六十一メートル、最後に
風速計が破壊されております。津市におきましても、五十一メートル三という記録を残しました。連続雨量は、北中勢
地区におきましては三百ミリないし四百ミリ、南勢、紀州方面におきましては五百ミリないし六百ミリ、最もはなはだしいのは大台原山系、ちょうどこの県境
地帯でございますが、ここは全国でも最多雨
地帯の一つでございまして、この
地域におきましては、実に七百ミリから八百ミリ、こういうレコードを示しまして、
昭和二十八年の
台風十三号はもとより、先ほど
愛知の
桑原知事からのお話もございましたが、
昭和九年の室戸
台風、二十年の
枕崎台風をはるかにしのぐ、文字
通り空前のものであったのでございます。このために、
県下全域が
台風進路の東側に置かれまして、全県的に大きな
被害を受けることと相なりました。
その
被害の二、三について申し上げまするならば、まず
海岸地帯でございます。
昭和二十八年の
台風十三号以来作られて参りました長大なコンクリートの
海岸堤防も、今回は全面的に
高潮、高波に洗われまして、海水の浸入を許し、漁港、漁船、漁網、水産加工
施設、真珠いかだ等、水産
施設に莫大なる
被害をもたらしましたるばかりでなく、随所に浸水田を作り、沿岸住家、沿海工場等は、細大漏らさず大きな
被害を受けたのでございます。幸い、鈴鹿
海岸以南の伊勢
海岸、大体この辺からずっと伊勢へかけてのこの
地帯の
海岸堤防につきましては、
堤防の
決壊がほとんどなかったために、
被害は比較的少額にとどまったのでございますが、四日市以北の北勢の沿岸
地帯、また南の方の熊野灘沿岸におきましては、随所にコンクリート
堤防が、あたかもせんべいを割ったように、またある場合にはようかんをころがしたような形をもちまして、
決壊をいたしております。熊野灘
地域は、たまたま山が急に海に迫っておりまして、平地が少なく、陸地が海面より一般的に高いという地形であります
関係上、
湛水だけは免れたのでございます。しかしながら、三十数メートルに及ぶ大波が打ち上げられまして、
海岸堤防を乗り越えたというふうななまやさしいことではなく、至るところで
海岸に迫るところの奇岩、怪石、すなわちみさきそのもの、山そのものを乗り越えて、一部落全部、全山茶褐色の枯木と化すという現象を見せております。熊野市の楯カ崎、この
地域のごときはその適例でございまして、三十数メートルの大波が山を越えて入りまして、甫母という部落を全滅さしております。これはその一例でございます。このように想像を絶するような高波を受けながら、しかも、人的
被害が南の方に比較的少なかったのは、この
地方を
台風の
中心が通過いたしましたのは、日没前後でありまして、まだ幾らか明るかった。また、いわゆる
台風常襲
地帯として早い目に避難をしたということによるものではないかと考えられるのでございます。これに反しまして、北勢
地方におきましては、
台風通過のときはすでに停電をいたしておりまして、暗黒の夜であり、しかも、通過の直後が満潮時と合致しまして、烈風、高波、満潮と二重にも三重にも悪条件が重なったばかりでなく、木曽三川下流のデルタ
地帯や干拓
地帯は、海面より平均七十センチ低い
関係上、
堤防の
決壊即水没と相なった次第でございまして、今なお
湛水しておる
状況でございます。
次に、
河川の
被害も、集中豪雨のため、一、二の例外を除くほかはことごとくはんらんをいたしまして、これが山くずれと相待って、至るところで、道路、橋梁、住宅を流しております。代表的な
河川について実例を申し上げまするならば、まず北部の揖斐川、これは木曽三川の一つでございますが、この揖斐川は、私が、
災害の直後に、今水没いたしておりまする長島町、この長島町の揖斐川沿いの
堤防を通過いたしましたところ、数カ所で漏水防止のために土のうを積んでおりました。もしこれが
決壊をしておりましたら、長島町北部は海水とはさみ撃ちで、おそらく一物をも残さなかったのではないかという感じがいたしまして、全く身の毛のよだつ思いがいたしたのであります。次に、鈴鹿川、これも直轄
河川で、大きな
河川でございますが、この鈴鹿川の長大木橋は、ほとんど流失をいたしております。次は、雲出川、これはちょうど津の近くを流れておる川でございますが、これも、支流とともに、上流部におきましては随所ではんらんをいたしまして、山くずれとともに、道路、国鉄名松線を寸断いたしました。ようやく、自衛隊のおかげで、昨今トラックが入り得る
状況に相なった次第でございます。また、松阪の近くに櫛田川という
河川がございます。もちろん中小
河川でございます。本来、この櫛田川は、谷の深い川であるにもかかわりませず、はんらんをいたしまして、木橋といわず、永久橋といわず、橋という橋はほとんど流失せしめましたばかりでなく、下流におきましては、国鉄の参宮線の鉄橋を橋げたとも流してしまったというふうな、非常な大きな惨害を呈したのでございます。幸い宮川——これは先ほど申し上げました大台原に水源を発して、伊勢市の近くに流れる川でございますが、この宮川は、
建設省の補助を得まして、県営で総合開発のダムといたしまして宮川ダムを
建設しておりました。これは、堰堤事務所長が情勢判断をいたしまして、いち早く
湛水の無効放流をいたしまして、からっぽにいたしておりましたために、十分洪水調節の役割を果たしまして、おかげで、沿岸におきましてはほとんど
被害を見なかったことは、特筆大書さるべき事実ではないかと考えておる次第でございます。
次に、伊賀
地方。先ほどこの水系が西に流れておると申しましたが、上野、名張を
中心にいたしましたこの
地区でございます。この伊賀
地方は、従来からも治水上の大きな問題を持っておったところでございますが、今回も、長田川、名張川等は至るところではんらんをいたしまして、名張川のごときは、川底の汚泥を市街地や住家に堆積をいたしたのでございます。これも自衛隊によりまして、ようやくその一部を除去することができたような次第でございます。また、烈風が吹きすさんだ
関係上、建物、立木の
被害もきわめて大きく、伊勢神宮のあの数百年を経ました杉、ヒノキの巨木が、あるいは根こそぎ倒れ、あるいは中途から折損をいたしまして、まことにむざんな
被害を受けましたことは、その端的な一例でございます。
以上申し上げましたところは、今次
災害の一局面を例証的に御
説明したわけでございますが、今日までに判明いたしました
被害は、お
手元に多分こういう一枚刷りの「
伊勢湾台風被害状況、
昭和三十四年十一月四日午後八時現在、三重県第二十六報」という
資料がお配りしてあると存じますが、これを
ごらんいただきますと御了承いただけると存じます。かつて
昭和二十八年の
台風十三号の
被害は、当時空前といわれました。事実、
海岸堤防の全面的
決壊や、伊賀
地方の山地の崩壊は、まことに目をおおわしめるものがあったのでございます。その当時の
被害は、
死者四十四名、行方不明六名、物的
被害は六百一億円でありました。しかるに、今回の
伊勢湾台風は、この
資料によっておわかりの
通り、
死者千百九十二名、行方不明八十一名、負傷者四千六百二十五名、物的
被害は千六百九十億円をこえておるという
状況でございまして、これだけの数字の比較をもってしても、今回の
災害が、本県にとっていかに大きなものであるかは十分お察しいただけると存じます。
次に、このような大
災害に当面いたしまして、県として、国の指導、援助のもとに、あるいは独自の判断のもとにとって参りました
措置の概要の二、三について申し上げたいと存じます。
まず第一は、警報発令に伴う
状況把握、避難連絡等の態勢整備の問題でございます。県といたしましては、
災害当日、午前十一時、
暴風警報を発令と同時に
災害対策本部を設置し、正午には、全警察署員に非常招集をかけ、警戒態勢を固めたのでございます。午後五時ごろ、紀伊半島南岸上陸が確実となるや、県水防本部からは直ちに洪水警報を発令し、それぞれ出先
機関に伝達をいたしております。
県下の
交通機関は、早くも
台風上陸前、午後四時ごろから運行を休止いたしましたが、幸いにして学校、工場、商店等は、すでに警備人員を残して早びき
措置を講じておりましたので、
交通機関の休止に伴う当面の支障、混乱はほとんどなかったものと認めます。しかしながら、
名古屋と本県を直結するところの国鉄、近鉄、また、わが国でも幹線中の幹線である国道一号線が、水没のため途絶し、また、先ほど申し上げましたように、参宮線の鉄橋が流失いたしましたために、これまた不通となり、また、奥地
各地が、道路、橋梁の流失のために
交通を長い間途絶いたしておりましたことは、
災害対策の推進上大きな支障となったのでございます。
しかしながら、問題はむしろ電気、通信
関係でございまして、当日午後六時には、早くも電灯線は全
県下一斉に停電となり、暗黒の中に
台風の猛威を受ける結果となって、ラジオ、テレビ等による情報伝達機能は全く喪失される結果と相なりました。電話も、
台風通過直後にはほとんど不通となり、二十七日現在、松阪外八局の電話が通じていたのみで、遠隔地、山間部落等への不通は申すに及ばず、
名古屋以東の連絡は、大阪経由の一部操作は可能でございましたが、混雑をきわめておりました。十月三日から順次回復した
状態でございます。また、電信も、
名古屋以東中継をする四日市、
桑名外八局が不通となり、これは九月二十八日午後九時ごろにようやく一部回復いたしまして、東京方面への連絡はその後とり得た
状況でございます。警察無線は、
桑名、四日市、尾鷲方面では、浸水または送電線の故障により活動ができなかったのでありますが、可能な
地域におきましては、十分これを活用することができたのでございます。
このような
状況でありましたために、全県的な
被害の
状況の把握がはなはだ困難でありました。よって、二十七日早暁には、明野航空学校の航空機による偵察を要請いたした次第でございます。また、中央各所への連絡、
報告も、電信は打電いたしましたけれ
ども、不着または延着となっていることが判明いたしまして、ようやく二十七日の午後三時現在の
状況を同日午後十一時、東京事務所経由大阪回り電話をもちまして、
関係各所に連絡できた次第でございます。従いまして、今後電気通信
関係の急速なる整備強化を、特に
要望せざるを得ないのでございます。
次は、救援物資の輸送でございますが、水没のため孤立いたしました
桑名、長島、木曽岬
地区に対しましては二十七日から、また道路寸断のため輸送困難な飯南、飯高、美杉等の山間部落に対しましては二十八日以降、それぞれ自衛隊のヘリコプターをもちまして、乾パン、米、カン詰等の食糧を初め、いろいろの救援物資の輸送をいたしまして、おおむね
応急の用を果たし得たのでございます。なお、離島及び
南部沿岸
地帯には、県漁業取締船二隻によりまして救援物資の輸送に当たらせるほか、あわせて
被害状況の把握に努めたのでございます。
第三は、防疫活動でございますが、県内衛生
機関を総動員いたしましたのはもちろんのこと、大阪市、府、京都市、神戸市、岡山県からの積極的な応援や自衛隊の協力をいただきまして、給水班、救護班、防疫班を編成し、延べ千六百班を派遣して、医療、検病、飲料水の確保、井戸及び家屋の消毒等に当たりました結果、伝染病の集団
発生もなく、おおむね所期の効果を上げたのでございます。
第四は、緊急避難の問題でございます。水没
地帯の早急な
復旧の望みがたい
状況にかんがみまして、急遽十月一日、長島町及び木曽岬村の
罹災者に対しまして避難を勧告することといたしまして、翌二日から鈴鹿電通学園外八カ所に、老幼婦女子、学童を
中心に、最高三千人を収容いたしました。特に学童は、漸次学校別に再編成いたしまして、授業の実施に遺憾なきを期したのでございます。一方、
長期避難に伴う栄養管理、健康保持のために、医師、看護婦、栄養士等を配置するほか、冬季態勢を準備するため、救援被服の重点配分、ふとんの手当、
施設の整備等を実施して参りました。これらに要する費用は、現在の
災害救助法に基づく国庫補助をもってしてはとうてい支弁し得るものではございません。ことに、長島、木曽岬両
町村は、
町村政自体が事実上その機能を喪失しておる
関係上、全部これらの任務が県の責任と負担になっておる
状況でございますので、これらにつきましては、
政府に対し特別の
配慮を強く
要望いたしておる次第でございます。
第五は、仮
締め切り及び排水の問題でございます。水没
地帯の仮
締め切りと排水は、
罹災者の民心と生活安定のキー・ポイントであるばかりでなく、三重県と
名古屋を直結する陸上
交通機関の
復旧のためにも不可欠の要件でありますが、この
地域は川越村と長島、木曽岬の一部
海岸堤防を除くほかは、ほとんど
建設省の直轄区域でございますので、木曽三川下流
地域は、
県所管の分につきましても、中部地建に委託いたしまして、陸上、海上両自衛隊の協力を得、県との緊密な連絡のもとに、
堤防の仮
締め切り工事をやっていただくことと相なった次第でございます。一方排水の方は、
農林省の援助を得まして、県営をもちまして実施することにいたしましたが、すでに川越、城南旧堤、長島北部の仮
締め切りが終りましたので、逐次排水作業を進め、目下長島北部を排水中でございますが、一両日中には終了の見込みでございます。木曽岬村は、目下いわゆる木曽岬作戦を展開中でございまして、本月十日ごろには仮
締め切りを終え得る見込みではないかと考えております。長島
南部も、十五日ごろには大体終了の見通しではないかと推察をいたしております。両
地区とも、仮
締め切りをいたし、約八日間の予定をもって排水を完了させるべく排水機の整備をいたしておる次第でございます。従いまして大体本月の二十日前後には、どうやら排水を終り得るのではないかと考えております。一時はどうなることかと憂慮いたしました水没
地帯の仮
締め切りと排水が、このように軌道に乗り、進捗いたしましたのは、何と申しましても、全国のポンプ船を総動員せられ、その直接の衝に当たられました
中部日本災害対策本部及び
建設省の御
努力によるものでございまして、この点は、
罹災者はもとより、県民一同深く
感謝いたしておるところでございます。しかしながら、十一月三日早朝、城南の旧
堤防の仮
締め切りが再
決壊いたしましたことは、はなはだ遺憾にたえない次第でございます。この点につきましては、後刻
桑名市長から直接御
説明があろうかと存じますが、今後は、市から県が委託を受けまして、サンド・ポンプ工法を実施することにいたしておりますので、準備の都合上、噴出開始は来たる七日以降になりまするけれ
ども、大体同日ごろには、
建設省でやっていただいております城南の外堤の
締め切りが完成する予定でございますので、両々相待って十三日ごろには
桑名市の排水も終わり得るのではないかと考えておる次第でございます。
そのほか、住宅の
建設でありまするとか、あるいは被災
中小企業者に対する金融の問題でありますとか、いろいろ打って参りました手もございますが、これらにつきましては省略をさせていただきたいと存じます。
最後に、当面及び今後の
災害対策につきまして、二、三の御
要望を申し上げまして、私の陳述を終わらせていただきたいと存じます。しかしながら、すでに
愛知の
桑原知事から相当詳細にわたりお話がございましたので、重複する点については、これを全部割愛させていただきたいと存じます。
御
要望を申し上げます前に、本県の財政につきまして一言触れさせていただきたいと存じます。三重県は、
昭和二十八年の大
災害によりまして、その当時の
災害復旧費は、改良費を含めまして約百五十億円に及んだのございますが、県財政は、そのころから急激に悪化の一途をたどりまして最高八億六千万円の赤字を残したのでございます。過去四年間は、全くこの過去の累積した赤字の解消に非常な苦心を払ってきたところでございます。それにもかかわらず、今なお三億五千万円の赤字を残し、自主再建の途上にあるばかりでなく、二十八年災当時から急激に増加いたしました起債が、ことしから来年にかけて償還のピークに差しかかるために、本年のごときは、職員の昇給のストップ、行政整理等、非常
措置までとらざるを得なかった次第でございます。そのやさきに、二十八年災に数倍する大
災害を受け、その
災害復旧費は、改良費などを含めますと、六百五十億をこえるものと推定をいたしております。従いまして、どれほど高率補助をいただきましても、なお後年度の県財政に及ぼす影響はまことに深刻であり、二十四億円
程度の標準税収入をもちましては、とうてい処理できない段階に来ておるのでございます。こういう
実情でありまするので、第一にお願いをいたしたいと思いますることは、高率補助の
地域指定の問題でございます。県は、何といたしましても御指定をいただきたい。また、県内各
市町村に対しましても適用をお願いをいたしたいのでございます。ことに、先ほど御
説明申し上げました
通り、全県的に大きな
被害を受けておるという点にかんがみましても、この点に対する深い御
配慮を賜わりたいのでございます。指定
基準につきましては、三重県の立場としてはっきりした考え方も持っております。しかしながら、多少意見にわたりますので、また別の機会に申し上げることにいたしまして、ここでは遠慮させていただきたいと存じます。
第二は、仮
締め切り後の
海岸堤防の本格的
建設の問題でございます。率直に申し上げまして、今回の
災害によりまして、沿岸住民は、今まで信頼し切っておりました
海岸堤防に大きな不安を感じております。これに対処するためには、
堤防のかさ上げその他
堤防の強化等、大幅の改良を必要とするのでございますが、
原形復旧につきましては、高率補助等高度の財政援助をしていただくといたしましても、
原形復旧をはるかに上回る大幅の改良費について、これと同等の財政の裏づけがなされない場合におきましては、今後
海岸堤防の改良
工事を実施することは全く不可能となるほかはございません。従いまして、
災害の再発を防止し、住民の生命と財産を守るという、必要最小限度の行政の目的すら確保することはできがたいことと相なるのでございます。よって、
海岸堤防の改良につきましては、十分の八の補助率は全
海岸線にわたって適用をせられるとともに、起債の充当につきましては、
原形復旧に準じた
措置を強く
要望する次第でございます。
第三は、山地荒廃
復旧のための緊急砂防、緊急治山等の
事業についての問題でございます。他の
災害対策につきましては、
国会の皆様方の力強い御推進によりまして、おおむね九割
程度の高率補助が採択せられたにもかかわらず、何ゆえにこの山地荒廃
復旧事業だけが三分の二の補助とせられたか、私はその理解に苦しむものでございまして、ぜひともこの
事業の九割にまで補助率を高めていただくとともに、残余の
地方負担につきましても、全額元利補給付の起債をお認め願いたいと存じます。なお、特別砂防
事業として、
復旧の完成までは財源
措置をはっきりと継続していただきたいと存じます。
第四は、水没
地帯、特に木曽岬、長島両
町村の今後の
復興の問題でございます。両
町村は、その全域が浸水、水没いたしまして、一切の生活手段を喪失いたしておりますばかりでなく、多数の犠牲者を出しております。従いまして、その
復興には全く新しい村作りが必要であり、将来の防災を考慮いたしました住宅の
建設ないしは住宅地の造成を初めとして、急速な立ち上りをはかるためには、作業及び
施設の共同化等、県の指導のもとになすべき多くのことが残されております。これらはいずれも財政支出を伴うものばかりでございますので、このような
復興計画の実施にあたりましては、国としても特別にあたたかい援助の手を差し伸べていただきたいのでございます。
最後に、
伊勢湾臨海工業
地帯の造成について一言お願い申し上げたいと存じます。私
どもは、今回大きな
災害は受けましたけれ
ども、
伊勢湾臨海工業
地帯の立地的な優位性や将来の発展性については、いささかも疑うものではございません。しかしながら、率直に申し上げまして、従来やって参りました条件整備につきまして、考えの甘いところのあったことを否定できないのでございます。この際、三県は、
災害を通じまして、運命共同体であることをはっきり認識いたしたのでございます。この機会に、私
ども県当局者は、県境にこだわらず、自県の利益のみに走らず、大きな視野から、
伊勢湾臨海工業
地帯の発展のために勇敢に取り組まなければならないと存じますが、何と申しましても、国の方でそういう趣旨で特別の御援助と御
配慮をいただかなければ、とうていその目的の達成を期しがたいのでございます。特に、昨年来取り上げていただきました名四国道の
建設につきましても、この際の
災害の実態を深く考慮せられまして、
計画の再検討をせられますとともに、
名古屋、四日市港のあり方等につきましても、
格別の御指導と御
配慮を賜わりたいのでございます。
そのほか申し上げたいことはたくさんございますが、時間も若干超過いたしましたので、この
程度にとどめさせていただきまして、私の陳述を終わらせていただきたいと存じます。大へんありがとうございました。(拍手)