○
江崎委員 ただいま
委員長からお話しのありました
通り、現在まだ
海岸締め切りが行なわれておらない、
堤防の
締め切りが行なわれておらない、この経過及び今後の
見通し等について、緊急の問題について
政府に
お尋ねを申し上げたいと思います。
いずれ
予算案が
予算委員会及び当
委員会で説明いたされますから、そのときにはもう一度いろいろな問題について根本的な
立場、また、全体的な
立場から
質問を申したいと思っておりますが、現在まだ
締め切りが行なわれておらない
場面は、一番その顕著なるものは
愛知県の
海部郡
地帯及び
長島の
北部、それから
三重県の
木曽岬、これらの
木曽川デルタ地帯の
一帯であることは御
承知の
通りであります。このうちでも一番
水没の激しい
地域は、いわゆる
愛知県
木曽川下流左岸に位するところの
海部地帯でございます。
海岸から二十キロも上流に位置いたします、四万五千の
都市津島市に至るまで、すっかり水浸しになっております。これは
海部地区だけを取り上げてみましても、現在、まだ
水没いたしております戸数は七千六百七十一戸の多きに上っております。その人数は、何と九万五千八百九十八人ということになっております。
世帯数は一万七千
世帯、これは大へんなことで、今
三重県の
木曽岬、
長島というような
地域の
諸君を含めますと、少なくとも十万からの
人々が
水上生活、あるいはやむを得ざる
政府指令によるところの
強制退避命令による
疎開生活をいたしておるというわけであります。しかも、
木曽川の
デルタ地帯というものは、だんだん干拓でできてきた田地、
田畑でありますから、二十キロさかのぼったこの奥地の方が逆にまたすりばちの底のようになって、水深が二メートル、深いところにあってはそれ以上もあるというようなことで、今日
政府が
自衛隊の
協力を得て、鋭意この潮どめにかかっておってもらうのでありますが、そこに住む
人々の不安というものは、はかり知れないものがあるのでございます。私も、この
水没地帯、
海岸からちょうど十五キロ
程度奥になります佐屋町のある
農家に一夜を明かしたのであります。これはもう完全な
水没地帯で、しかもこのごろの寒さは、夜がふけてくるに従いまして、
ほんとうにはだにしみるような寒さです。外をながめると、まっ暗な
——それまでは一反に十俵もとれるような
美田が、一面の海になってしまっておる。それに月影が砕けておるところへ、だんだん
さし潮のきざしが見えてくると、ひたひたと波が打ち寄せてきて、家のへいだとか、あるいは柱などに音を立ててこの水が押し寄せておるのであります。しかも、夜がふけてくると、まっ暗なところ、ろうそく一本でわずかな配給や
供与品によって
生活をしておるわけでありますが、
ヘビがばっこする。初めはカワズだとか、イナゴだとか、潮水に弱い動物が全部家にはい上ってきておった。ところが、これらはえさがありませんので、数日を出ずして全部死んでしまったのでありますが、ネズミだとか、
ヘビとかいうものがばっこしております。
ヘビと同居しておる裏二階の
生活というものが、この七千六百戸の毎日々々の
生活であるわけであります。
私
どもは、今ここでどうしても
一つ政府に
責任ある御
答弁を願わなければならぬことは、
政府は、
災害発生と同時に、いち早く
中部日本災害対策本部を作っていただいた。
建設大臣のごときは、まっ先に
被災地にかけつけて来て、
ゲートル姿のいでたちで、くまなく視察をしてもらった。しかも、この
建設大臣がわれわれに口を開かれた第一の
言葉は、何としても
一つ潮どめをしなければならぬ、何としても
堤防決壊個所を早くとめなければならぬ。このみおどめをいつやるかということがあなたの切なる念願であり、同時に、まっ先に言われた
言葉であったのであります。当時、一面の海になってしまった
自分たちの
美田、しかも家はない、あるいはまた家族は流されてしまったというような
人々が、非常な不安に襲われておったときに、いつ潮どめをするかということは、民心を安定させる、これはまさに、政治の一番勘どころを
建設大臣はつかれたものと私
どもは
感謝いたしておるものでございます。ところが、この
決壊がいかに激しいものであったかということは、もう御
承知の
通りであり、
委員各位も十分御認識しておられますから、さような話はこの際省略いたしますが、この潮ど
め工事、みおど
め工事がどうも一向進捗をしない。
自衛隊も初めの五百人を千人にし、千人から、今日では三千人を
海部郡
北部の
地域だけにでも投入しておってくれることについては
感謝にたえぬものがありますが、先ほど申し上げて参ったような
地元の痛切な声を聞き、
地元の
ほんとうに生きた心地のしない、
地獄さながらの
様子をながめるにつけましても、私
どもは、一日といわず、いっとき早いこの潮どめを
皆さん方に要請し、
政府の
責任ある
言明を承る
責任をひしひしと感ずるのでございます。
われわれが非常に心配をいたしますのは、
海部郡の
海岸地帯をまず
復旧するということは、これはなかなか至難なわざである。そこで
建設大臣の発意によって、とりあえず数百年前に作られておったところのいわゆる
東海道旧
街道、この道を
堰堤がわりにして締め切ることによって、
海部郡のこの二十キロ奥までさかのぼった
地帯を
水没からまず救う、そして
海岸地帯に残される飛島村、いま
一つは弥富町地内の旧鍋田というところのみおを深くしてはならぬ、早く
北部地帯を締め、
南部の
地帯も浚渫船の到着を待って、これも
同時解決で締め切っていこう、こういうことである。そうして
中部日本災害対策本部は、十月一日の
正式発表において、
北部地帯は三週間でとめるんだ、すなわち、十月の二十一日にはこのみおどめを完成してみせる、なおまた、
南部といっておりまする
海岸地帯の
海岸堤防の
決壊個所、これについては四十五日間でとめてみせる、すなわち、日数から換算をいたしまするならば、十一月の十五日ごろまでには
南部地帯においても必ずとめるんだ、こういう
言明であったわけであります。十月一日から三週間、二十一日にはこれがとめられるというので、
地元は欣喜雀躍した。それにはもう身を粉にしてでも、すり減らしてでも労力を提供して、
自分たちの
田畑、
自分たちの屋敷は
自分たちの手で守るんだ、こういう
気持でどんな
仕事にでも挺進するという
決意で、勢いよく立ち上がった。ところが、その後十月の十日、約二週間を経過いたしましたときに、
中部日本災害対策本部の
協議会において、
自衛隊側から、
工事予定計画というものを、いわゆる
技術者諸君から示されたのであるが、これは非常な難
工事である、どうしても、なお一カ月を要するという
表明があったのであります。私
ども地元の者としては、これが
中部日本災害対策本部として
技術の
最高の権威を網羅し、
日本の今日の第一級の
技術者諸君によって割り出された正式の三週間の
表明というものは、もろくもくずれ去って、もう一カ月かかると聞かされたときには、
ほんとうに激怒した。しかし、
現地の事情を知っておる私
どもは、怒るばかりがいわゆる
仕事を進捗させることではない、やはりこの際、
ほんとうに
政府も一生懸命になってやっておってくれるのだし、また、
地元もこの潮どめを一日も早くとこいねがっておるのであるから、怒るよりもこれを一日でも、半日でも早くしてもらおう。これには
村上建設大臣はもちろんのこと、
中部日本災害対策本部の
益谷副総理も非常な誠意を示されまして、
自衛隊に
全力をあげさせることによって、何としても
一つ、一カ月とはいうけれ
ども、この一カ月を二日でも、三日でも、一時間でも早くとめようという強い
決意を示してもらったのであります。そうして、その後だんだん
現地の
様子をながめておりますと、十月の十日で向う一カ月というならば、十一月の十日までにはこの
北部の
地帯を締め切る、十一月の十五日までという
南部の
海岸堤防の
締め切りは、これが十五日
後退をして十一月一ぱいには締め切るということになった。そうして
地元の
官民一体の
協力態勢というものが実って、十一月の大体五日ごろには、この
津島という
都市にまでさかのぼっておる
水没地帯を救うべく、いわゆる
北部の旧
街道の
締め切りはでき上るであろうという
中間報告が、これまた新聞に大々的に
発表せられたのであります。ところが、昨日の
現地からの報道によりますると、
工事はいよいよ難航をきわめておる。
自衛隊も三千人投入をしておるけれ
ども、なお五日と言ったけれ
ども、これは当初の訂正した
発表通り十一月の十日というものが
目標であって、ひょっとすると、これからまた一、二日おくれることがあるかもしれないというような話が出て参ったのであります。これはとんだ不安を
地元民にもたらしました。今月の二十一日には
北部の潮どめができると言ったものが、来月の十日になり、それが
官民一体の
協力によって来月の五日に狭まったというものが、また、いわゆる
資材運搬をするために、この笹之郷という
地帯から
自衛隊の
運輸船を入れるために、相当の破
堤個所をそのままに残しておかなければならぬ。あるいはまた、それをもっともっと広げて、この
運搬に供せしめなければならぬ。話というものは、聞けば理屈はよくわかります。なるほど、あの
仕事に対して、もう
政府側も全身全霊をあげて、
全力をこれに注いでおってくれるということは、これはもう私
どもよく理解をし、
感謝をいたしております。しかし、
感謝ばかりしておれないということは、それは
地元民の日々の
生活、だんだん寒さに向かって、それこそこれで
流感でも起こってきたら、この十万人の
人々というものが全部
流感の患者になってしまうのではないか。それ以上に、毎日毎日、だんだん単価は引き上げられたといっても、
給与生活で日々が送れるものではございません。これは
ほんとうに、
水没地帯に朝夕を迎える者でなければ、真に追った感じというものはわからない。それほど悲惨なものだ。しかも、健全な
子供たちは
ちりぢり
ばらばらになって、遠いところに
疎開をさせられておる。そこへ行くには、
運輸省は運賃はただだと言ってくれて、やれうれしやと思ったのもつかの間、それははるかに遠い、十キロも二十キロも離れた
名古屋駅裏へ行って一々
証明書を受けなければ、かわいい
子供には会えない。またそんないとまはない。
子供たちは、たまには
自分の、
水没したうちであっても、おとうさんは元気であろうかと、行こうと思っても行けない。また妻が、夫の疲れた姿を慰めて、何とか再建にふるい立ってもらいたいと思ってそこへ行きたいと思っても、なかなかそれも思うにまかせない。
災害の
場面に、思うにまかせる場があったら不思議であります。しかしながら、そういうふうにだんだん延びるということはどういうことか。
ほんとうにいつ締め切れるのか。これは
建設大臣の口から、もう絶対に延びないという、また何が何でもこれはその日までにやり抜いて見せる、もう
日本の
最高の
技術とあらゆる
努力をこれに集中してでもやるのだという、はっきりした御
言明を承りたいのであります。
同時にまた、これは
自衛隊におきましても、やっぱり
尾西作戦であるとか、何々
作戦という
言葉を使っておやりになっておられるのであります。
自衛隊の
兵員諸君が、この寒いときに、首まで水につかって重労働に服する。中には、たくさんの病人まで出たということは、私
どもは聞いております。
前線の
人たちの
努力に対して、私
どもは
一つも申し分や
異議のあろうはずがありません。
感謝いちずであります。ところが、何々
作戦といったものが、当初の三週間がまた一カ月の
後退となり、また五日間狭まったといったものが、また五日間延びると言い、いやそれは十日が
目標であって、十二日になるか、十三日になるか知らないというならば、
自衛隊の何々
作戦というのは、言いかえれば
敵陣地へ無辜の良民をそのままにしておいて、
後退をするということなんだ。
敵陣の奪取がおくれるということなのだ。そういうふうに考えるならば、
前線の
兵員各位にわれわれは全幅の
感謝をささげるけれ
ども、全体
計画の上からいったら、
計画なり、その
作戦行動なりに何かそごがあったのではないか。もっともっとこれに
自衛隊を投入することによって、当初の
決定通りの線でこれを締め切ることが一体できなかったのであるかどうか、この点についても承りたいのであります。
なお、いろいろ
関連質問もあるようでございまするから、あわせて
お尋ねを申し上げておきたいのでありますが、現在、いまだに
国道一号線が
不通であります。
日本の
国道一号線というからには、これは御
承知の
通り、いわゆる旧
東海道であります。東京を発して、
名古屋を迂回して、いわゆる今度の
水没地帯の
愛知県
海部地帯、また
三重県の
木曽岬、
長島、
桑名地帯を
通りまして、そうして伊勢神宮に行っておる、この一号線という一番
日本としての代表的な道路が、
災害発生以来一カ月になるというのにこれが
不通であるということは、いかにも天災であるとはいいながら、
日本の
技術、
日本の総合された力というものに対して、これは国民全体が非常な不安を思うものではなかろうか。この
国道一号線につきましても、十月の十日
——十月の十日といえば、もう今日から言うならば二十日も前でありまするが、十月の十日ごろには何とか
一つ開通してみせるということであった。何とかこれだけは、上をトラックが少々の水につかっても、通れるようにしてみせるという
発表であったのであります。ところが、これがまたもろくもこわれまして、これは二十日ごろになるであろうということであった。ところが二十日にならない途中において、とてもじゃないが、水が深過ぎて、これはとまるものではない。そこで、
日本では初めての
工法と称せられる
ドラムカン工法というものによって、
ドラムカンを並べ立ててそれに水を入れ、その上に土砂を盛るという、何か新
工法をめぐらされることによって、これも今の
予定ならば、来月の初めにならなければ
復旧をしないというお話でございます。この
国道一号線が
復旧しないということは、
日本全体の非常な不安であります。この間、野党の
質問にもありましたけれ
ども、
日本の代表的な
国道というものが、
災害から一カ月たっても
水没状況そのままというようなだらしのないことで、一体
平和国家といえるか、
文化国家といえるかという
言葉があったのでありまするが、この一点につきましては
十分政府において謙虚に耳を傾け、同時にまた、
技術陣においては、次から次へこうくずれ去っていくこの
計画の不備については、謙虚な反省を願わなければならぬのではあるまいか。なぜそんなにおくれるのであるか。また、
ほんとうに、一体
日本の
代表的国道一号線というものはいつ開通するのであるか、これもこの
機会にはっきり承っておきたいのであります。これは
予算とは全然関係のない緊急の問題であります。
なお、いま一点。それは
関西線であります。
国鉄の方はおられますか。
——関西線も同様にこれが放置されておる。しかも、今
断線地域というものは、御
承知の
通り、いわゆる
桑名までは通っておるわけだから、
桑名から
名古屋寄り、濃
尾大橋を通って、そうして今
水没しておる
海部地帯、これであります。これが
日本の
関西線というからには、
東海道線に比べれば、いわゆる
枝葉線に属するものであるかもしれぬが、これは
重要幹線であることには間違いございません。この
関西線の
復旧、これもおくれておる。これも潮どめ、いわゆる
海部郡
北部の潮どめということと並行するわけでありましょうが、
一体運輸省当局においては、この
復旧の
見通しについてもどう考えておられるのか。これは
三重県側に、いわゆる
罹災者に対するいろいろな
救援物資その他のいろいろな援助を施していくためにも、どうしても開かなければならぬ
国道第一号線と同じような比重度の高い
鉄道であることは、もう申すまでもございません。これも一体いつ、
ほんとうに
責任を持ってここで申されること
——もちろん
中部日本災害対策本部で申されることも、これは全
責任の上に立った
言明でありましょうが、それが延びてきたのにはいろいろ理由がありましょう。けれ
ども、
ほんとうにここで御
答弁をいただくのなら、一体いつ必ずどうするという、
一つのはっきりした
見通しを聞かせていただきたいのであります。
なお、また、同僚の
田村君等からも御
質問があるかと思いまするが、
三重県
地域の
長島の
北部は十月二十四日に潮どめを完了いたし、今
排水ポンプをかけて
排水をいたしておるまっ最中でありまするが、
長島の
南部地帯、これは、やはり
水没をいたしておる。また、この
三重県
木曽岬の
一帯、これも同様に
水没をいたしております
海部郡の
場面と同様であります。これらについての
見通し等についても、はっきり承りたいのであります。
なお、重ねてつけ加えておきますが、
海部郡
地域は、何々
作戦という以上は、建設省のあらゆる
技術の粋を尽くされた上に、
自衛隊の必死の
努力で、
敵地奪還ぐらいの勢いでもってこれが潮ど
め実現を、必ず
一つ建設大臣御
言明の日までにはやってもらいたいのであります。二十キロ奥に上りました
津島市というところは、全国でも有名な
毛織生産地帯であります。
洋服地を作っておるところでありまして、その
地帯一帯は全部
水没いたしております。もう織機もあるいは紡績の
機械も、あらゆるものが、
精密機械ばかりでありまするが、これが浸水と同時にさびてしまった。この
損害だけでも百三十億を優に上回るであろうといわれておるのであります。こういったところの不安は、
女工が引き抜かれるということで、労働省においては、さっそくそれらの工員に対しては一時離職という方法をとられた。これは
地元では非常に機宜を得た
措置であるというので
感謝をされた。これはいい面でありまして、六割の
失業手当がこれらの
女工には与えられる、非常に
地獄で仏に会ったような
気持がしたと、ある
罹災工場の
工場主は私
どもに語っておったのであります。そういういい面も確かにございましたが、一方におきましては、この
女工が一時離職したことによって、今、
毛織物業界、すべての
繊維業界というものが非常に
好況を続けておりまするために、
女工の引き抜きがある。これにも厳罰をもって臨むというので、
防止対策をしていただいた。ただ、
防止対策がとれない
一つの問題があります。それは戦時中と違いまして、
水没地帯は
地獄絵図さながらの悲惨な
場面でありまするが、一歩離れますると、よそのどこそこの
工場というものは
完全操業をしておるし、この
好況の波によってどんどん
仕事を続けておる。そうすると、取り返しもつかぬ問題は、
好況であればあるほど、その
水没地帯の
工場というものは、
被害額百三十億だけでなしに、その
工場のお得意というものも全部よその
地帯にとられてしまうということであります。これは、今日の事態においてせきとめようがありません。これを抑制しようがないのであります。これらの目に見えざる
損害というものは、幾ばくとも知れざるものでありまするが、こういった問題については、あらためて
予算案が正式に提示せられましたあとにおいて御
質問をいたすことにいたしたいと思います。しかし、そういった
水没地帯の現状というものは、
農家はもちろんのこと、
中小商工業者、あらゆる階層の
人々十万人が今日非常な不安にさらされておる。この不安を救う人はだれであるか、これはまさに
建設大臣を初めとする
政府各位の御
努力であります。御尽力であります。この
機会に、以上
お尋ねをいたしました数点について明確なる御
答弁を承りたいのであります。