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1959-10-30 第33回国会 衆議院 災害地対策特別委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年十月三十日(金曜日)     午後三時五十四分開議  出席委員    委員長 南條 徳男君    理事 江崎 真澄君 理事 田村  元君    理事 綱島 正興君 理事 三田村武夫君    理事 角屋堅次郎君 理事 佐藤觀次郎君    理事 辻原 弘市君 理事 塚本 三郎君       今井  耕君    岡本  茂君       木村 俊夫君    久野 忠治君       河野 孝子君    佐々木盛雄君       世耕 弘一君    田中 正巳君       辻  寛一君    徳安 實藏君       中垣 國男君    二階堂 進君       服部 安司君    伊藤よし子君       太田 一夫君    岡本 隆一君       金丸 徳重君    田中幾三郎君       館  俊三君    八木 一男君       横山 利秋君    加藤 鐐造君  出席国務大臣         建 設 大 臣 村上  勇君  出席政府委員         建設政務次官  大沢 雄一君         建設事務官         (大臣官房長) 鬼丸 勝之君         建設事務官         (計画局長)  關盛 吉雄君         建設事務官         (河川局長)  山本 三郎君         建 設 技 官         (住宅局長)  稗田  治君  委員外出席者         農 林 技 官         (農地局建設部         長)      清野  保君         運輸事務官         (鉄道監督局民         営鉄道部長)  石井  健君         日本国有鉄道常         務理事     中村  卓君     ————————————— 十月二十九日  委員楯兼次郎君辞任につき、その補欠として大  野幸一君が議長指名委員に選任された。 同月三十日  委員小島徹三君及び穗積七郎辞任につき、そ  の補欠として佐々木盛雄君及び館俊三君が議長  の指名委員に選任された。 同日  委員佐々木盛雄辞任につき、その補欠として  小島徹三君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 十月三十日  昭和三十四年九月の暴風雨により塩害を受けた  農地除塩事業の助成に関する特別措置法案(  内閣提出第二号)  昭和三十四年七月及び八月の豪雨、同年八月及  び九月の暴風雨又は同年九月の降ひようによる  被害農家に対する米穀の売渡の特例に関する法  律案内閣提出第三号)  昭和三十四年九月の風水害を受けた漁業者の共  同利用に供する小型の漁船の建造に関する特別  措置法案内閣提出第四号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  災害地対策に関する件      ————◇—————
  2. 南條徳男

    南條委員長 これから会議を開きます。  質疑に入る前に皆さんにお諮りいたしたいことがございます。それは、ただいま名古屋の市長からも陳情がありましたが、かようなことは各地被害地から陳情に今後もたくさん見えると思うのです。それでこの取り扱いにつきまして、先ほど理事会で一応話し合いをいたしましたが、皆さん一つお諮りを願って御承認を得たいと思います。それは、近いうちに各地被害地委員会から通知を出しまして、代表者にこの委員会出席を願って、そうして実情を聴取し、その詳細を速記録に残しておこう、それが一番効果があるのじゃなかろうか、ばらばら実情を聞いてもかえって効果は薄いと思いますので、そういう取り扱いをすることといたしまして、これらの方を参考人として当委員会に御出席を願い、その日取り及び人選等理事会できめたいと思いますが、いかがでございましょうか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 南條徳男

    南條委員長 御異議なしと認め、さようにいたします。      ————◇—————
  4. 南條徳男

    南條委員長 それでは、伊勢湾台風による被害応急対策、特に堤防締め切り及び排水工事の促進の問題、並びに国鉄線不通個所復旧の問題を取り上げて調査を進めてみたいと思います。  これに関して質疑の通告がございますので、順次これを許します。
  5. 田中幾三郎

    田中(幾)委員 その前に——委員長伊勢湾台風という言葉を使ったのですが、これは十五号台風、十七号台風というふうにちゃんときまっておるのですから、今後審議をやる上において、正確な呼び方をしていただきたいと思います。
  6. 南條徳男

    南條委員長 この委員会は、もちろんそういうふうなことで審議の対象にしたいと思いますが、きょうは便宜こういう言葉で申し上げることを御了解願います。  江崎真澄君。
  7. 江崎真澄

    江崎委員 ただいま委員長からお話しのありました通り、現在まだ海岸締め切りが行なわれておらない、堤防締め切りが行なわれておらない、この経過及び今後の見通し等について、緊急の問題について政府お尋ねを申し上げたいと思います。  いずれ予算案予算委員会及び当委員会で説明いたされますから、そのときにはもう一度いろいろな問題について根本的な立場、また、全体的な立場から質問を申したいと思っておりますが、現在まだ締め切りが行なわれておらない場面は、一番その顕著なるものは愛知県の海部地帯及び長島北部、それから三重県の木曽岬、これらの木曽川デルタ地帯一帯であることは御承知通りであります。このうちでも一番水没の激しい地域は、いわゆる愛知木曽川下流左岸に位するところの海部地帯でございます。海岸から二十キロも上流に位置いたします、四万五千の都市津島市に至るまで、すっかり水浸しになっております。これは海部地区だけを取り上げてみましても、現在、まだ水没いたしております戸数は七千六百七十一戸の多きに上っております。その人数は、何と九万五千八百九十八人ということになっております。世帯数は一万七千世帯、これは大へんなことで、今三重県の木曽岬長島というような地域諸君を含めますと、少なくとも十万からの人々水上生活、あるいはやむを得ざる政府指令によるところの強制退避命令による疎開生活をいたしておるというわけであります。しかも、木曽川デルタ地帯というものは、だんだん干拓でできてきた田地、田畑でありますから、二十キロさかのぼったこの奥地の方が逆にまたすりばちの底のようになって、水深が二メートル、深いところにあってはそれ以上もあるというようなことで、今日政府自衛隊協力を得て、鋭意この潮どめにかかっておってもらうのでありますが、そこに住む人々の不安というものは、はかり知れないものがあるのでございます。私も、この水没地帯海岸からちょうど十五キロ程度奥になります佐屋町のある農家に一夜を明かしたのであります。これはもう完全な水没地帯で、しかもこのごろの寒さは、夜がふけてくるに従いまして、ほんとうにはだにしみるような寒さです。外をながめると、まっ暗な——それまでは一反に十俵もとれるような美田が、一面の海になってしまっておる。それに月影が砕けておるところへ、だんだんさし潮のきざしが見えてくると、ひたひたと波が打ち寄せてきて、家のへいだとか、あるいは柱などに音を立ててこの水が押し寄せておるのであります。しかも、夜がふけてくると、まっ暗なところ、ろうそく一本でわずかな配給や供与品によって生活をしておるわけでありますが、ヘビがばっこする。初めはカワズだとか、イナゴだとか、潮水に弱い動物が全部家にはい上ってきておった。ところが、これらはえさがありませんので、数日を出ずして全部死んでしまったのでありますが、ネズミだとか、ヘビとかいうものがばっこしております。ヘビと同居しておる裏二階の生活というものが、この七千六百戸の毎日々々の生活であるわけであります。  私どもは、今ここでどうしても一つ政府責任ある御答弁を願わなければならぬことは、政府は、災害発生と同時に、いち早く中部日本災害対策本部を作っていただいた。建設大臣のごときは、まっ先に被災地にかけつけて来て、ゲートル姿のいでたちで、くまなく視察をしてもらった。しかも、この建設大臣がわれわれに口を開かれた第一の言葉は、何としても一つ潮どめをしなければならぬ、何としても堤防決壊個所を早くとめなければならぬ。このみおどめをいつやるかということがあなたの切なる念願であり、同時に、まっ先に言われた言葉であったのであります。当時、一面の海になってしまった自分たち美田、しかも家はない、あるいはまた家族は流されてしまったというような人々が、非常な不安に襲われておったときに、いつ潮どめをするかということは、民心を安定させる、これはまさに、政治の一番勘どころを建設大臣はつかれたものと私ども感謝いたしておるものでございます。ところが、この決壊がいかに激しいものであったかということは、もう御承知通りであり、委員各位も十分御認識しておられますから、さような話はこの際省略いたしますが、この潮どめ工事、みおどめ工事がどうも一向進捗をしない。自衛隊も初めの五百人を千人にし、千人から、今日では三千人を海部北部地域だけにでも投入しておってくれることについては感謝にたえぬものがありますが、先ほど申し上げて参ったような地元の痛切な声を聞き、地元ほんとうに生きた心地のしない、地獄さながらの様子をながめるにつけましても、私どもは、一日といわず、いっとき早いこの潮どめを皆さん方に要請し、政府責任ある言明を承る責任をひしひしと感ずるのでございます。  われわれが非常に心配をいたしますのは、海部郡の海岸地帯をまず復旧するということは、これはなかなか至難なわざである。そこで建設大臣の発意によって、とりあえず数百年前に作られておったところのいわゆる東海道街道、この道を堰堤がわりにして締め切ることによって、海部郡のこの二十キロ奥までさかのぼった地帯水没からまず救う、そして海岸地帯に残される飛島村、いま一つは弥富町地内の旧鍋田というところのみおを深くしてはならぬ、早く北部地帯を締め、南部地帯も浚渫船の到着を待って、これも同時解決で締め切っていこう、こういうことである。そうして中部日本災害対策本部は、十月一日の正式発表において、北部地帯は三週間でとめるんだ、すなわち、十月の二十一日にはこのみおどめを完成してみせる、なおまた、南部といっておりまする海岸地帯海岸堤防決壊個所、これについては四十五日間でとめてみせる、すなわち、日数から換算をいたしまするならば、十一月の十五日ごろまでには南部地帯においても必ずとめるんだ、こういう言明であったわけであります。十月一日から三週間、二十一日にはこれがとめられるというので、地元は欣喜雀躍した。それにはもう身を粉にしてでも、すり減らしてでも労力を提供して、自分たち田畑自分たちの屋敷は自分たちの手で守るんだ、こういう気持でどんな仕事にでも挺進するという決意で、勢いよく立ち上がった。ところが、その後十月の十日、約二週間を経過いたしましたときに、中部日本災害対策本部協議会において、自衛隊側から、工事予定計画というものを、いわゆる技術者諸君から示されたのであるが、これは非常な難工事である、どうしても、なお一カ月を要するという表明があったのであります。私ども地元の者としては、これが中部日本災害対策本部として技術最高の権威を網羅し、日本の今日の第一級の技術者諸君によって割り出された正式の三週間の表明というものは、もろくもくずれ去って、もう一カ月かかると聞かされたときには、ほんとうに激怒した。しかし、現地の事情を知っておる私どもは、怒るばかりがいわゆる仕事を進捗させることではない、やはりこの際、ほんとう政府も一生懸命になってやっておってくれるのだし、また、地元もこの潮どめを一日も早くとこいねがっておるのであるから、怒るよりもこれを一日でも、半日でも早くしてもらおう。これには村上建設大臣はもちろんのこと、中部日本災害対策本部益谷副総理も非常な誠意を示されまして、自衛隊全力をあげさせることによって、何としても一つ、一カ月とはいうけれども、この一カ月を二日でも、三日でも、一時間でも早くとめようという強い決意を示してもらったのであります。そうして、その後だんだん現地様子をながめておりますと、十月の十日で向う一カ月というならば、十一月の十日までにはこの北部地帯を締め切る、十一月の十五日までという南部海岸堤防締め切りは、これが十五日後退をして十一月一ぱいには締め切るということになった。そうして地元官民一体協力態勢というものが実って、十一月の大体五日ごろには、この津島という都市にまでさかのぼっておる水没地帯を救うべく、いわゆる北部の旧街道締め切りはでき上るであろうという中間報告が、これまた新聞に大々的に発表せられたのであります。ところが、昨日の現地からの報道によりますると、工事はいよいよ難航をきわめておる。自衛隊も三千人投入をしておるけれども、なお五日と言ったけれども、これは当初の訂正した発表通り十一月の十日というものが目標であって、ひょっとすると、これからまた一、二日おくれることがあるかもしれないというような話が出て参ったのであります。これはとんだ不安を地元民にもたらしました。今月の二十一日には北部の潮どめができると言ったものが、来月の十日になり、それが官民一体協力によって来月の五日に狭まったというものが、また、いわゆる資材運搬をするために、この笹之郷という地帯から自衛隊運輸船を入れるために、相当の破堤個所をそのままに残しておかなければならぬ。あるいはまた、それをもっともっと広げて、この運搬に供せしめなければならぬ。話というものは、聞けば理屈はよくわかります。なるほど、あの仕事に対して、もう政府側も全身全霊をあげて、全力をこれに注いでおってくれるということは、これはもう私どもよく理解をし、感謝をいたしております。しかし、感謝ばかりしておれないということは、それは地元民の日々の生活、だんだん寒さに向かって、それこそこれで流感でも起こってきたら、この十万人の人々というものが全部流感の患者になってしまうのではないか。それ以上に、毎日毎日、だんだん単価は引き上げられたといっても、給与生活で日々が送れるものではございません。これはほんとうに、水没地帯に朝夕を迎える者でなければ、真に追った感じというものはわからない。それほど悲惨なものだ。しかも、健全な子供たちちりぢばらばらになって、遠いところに疎開をさせられておる。そこへ行くには、運輸省は運賃はただだと言ってくれて、やれうれしやと思ったのもつかの間、それははるかに遠い、十キロも二十キロも離れた名古屋駅裏へ行って一々証明書を受けなければ、かわいい子供には会えない。またそんないとまはない。子供たちは、たまには自分の、水没したうちであっても、おとうさんは元気であろうかと、行こうと思っても行けない。また妻が、夫の疲れた姿を慰めて、何とか再建にふるい立ってもらいたいと思ってそこへ行きたいと思っても、なかなかそれも思うにまかせない。災害場面に、思うにまかせる場があったら不思議であります。しかしながら、そういうふうにだんだん延びるということはどういうことか。ほんとうにいつ締め切れるのか。これは建設大臣の口から、もう絶対に延びないという、また何が何でもこれはその日までにやり抜いて見せる、もう日本最高技術とあらゆる努力をこれに集中してでもやるのだという、はっきりした御言明を承りたいのであります。  同時にまた、これは自衛隊におきましても、やっぱり尾西作戦であるとか、何々作戦という言葉を使っておやりになっておられるのであります。自衛隊兵員諸君が、この寒いときに、首まで水につかって重労働に服する。中には、たくさんの病人まで出たということは、私どもは聞いております。前線人たち努力に対して、私ども一つも申し分や異議のあろうはずがありません。感謝いちずであります。ところが、何々作戦といったものが、当初の三週間がまた一カ月の後退となり、また五日間狭まったといったものが、また五日間延びると言い、いやそれは十日が目標であって、十二日になるか、十三日になるか知らないというならば、自衛隊の何々作戦というのは、言いかえれば敵陣地へ無辜の良民をそのままにしておいて、後退をするということなんだ。敵陣の奪取がおくれるということなのだ。そういうふうに考えるならば、前線兵員各位にわれわれは全幅の感謝をささげるけれども、全体計画の上からいったら、計画なり、その作戦行動なりに何かそごがあったのではないか。もっともっとこれに自衛隊を投入することによって、当初の決定通りの線でこれを締め切ることが一体できなかったのであるかどうか、この点についても承りたいのであります。  なお、いろいろ関連質問もあるようでございまするから、あわせてお尋ねを申し上げておきたいのでありますが、現在、いまだに国道一号線が不通であります。日本国道一号線というからには、これは御承知通り、いわゆる旧東海道であります。東京を発して、名古屋を迂回して、いわゆる今度の水没地帯愛知海部地帯、また三重県の木曽岬長島桑名地帯通りまして、そうして伊勢神宮に行っておる、この一号線という一番日本としての代表的な道路が、災害発生以来一カ月になるというのにこれが不通であるということは、いかにも天災であるとはいいながら、日本技術日本の総合された力というものに対して、これは国民全体が非常な不安を思うものではなかろうか。この国道一号線につきましても、十月の十日——十月の十日といえば、もう今日から言うならば二十日も前でありまするが、十月の十日ごろには何とか一つ開通してみせるということであった。何とかこれだけは、上をトラックが少々の水につかっても、通れるようにしてみせるという発表であったのであります。ところが、これがまたもろくもこわれまして、これは二十日ごろになるであろうということであった。ところが二十日にならない途中において、とてもじゃないが、水が深過ぎて、これはとまるものではない。そこで、日本では初めての工法と称せられるドラムカン工法というものによって、ドラムカンを並べ立ててそれに水を入れ、その上に土砂を盛るという、何か新工法をめぐらされることによって、これも今の予定ならば、来月の初めにならなければ復旧をしないというお話でございます。この国道一号線が復旧しないということは、日本全体の非常な不安であります。この間、野党の質問にもありましたけれども日本の代表的な国道というものが、災害から一カ月たっても水没状況そのままというようなだらしのないことで、一体平和国家といえるか、文化国家といえるかという言葉があったのでありまするが、この一点につきましては十分政府において謙虚に耳を傾け、同時にまた、技術陣においては、次から次へこうくずれ去っていくこの計画の不備については、謙虚な反省を願わなければならぬのではあるまいか。なぜそんなにおくれるのであるか。また、ほんとうに、一体日本代表的国道一号線というものはいつ開通するのであるか、これもこの機会にはっきり承っておきたいのであります。これは予算とは全然関係のない緊急の問題であります。  なお、いま一点。それは関西線であります。国鉄の方はおられますか。——関西線も同様にこれが放置されておる。しかも、今断線地域というものは、御承知通り、いわゆる桑名までは通っておるわけだから、桑名から名古屋寄り、濃尾大橋を通って、そうして今水没しておる海部地帯、これであります。これが日本関西線というからには、東海道線に比べれば、いわゆる枝葉線に属するものであるかもしれぬが、これは重要幹線であることには間違いございません。この関西線復旧、これもおくれておる。これも潮どめ、いわゆる海部北部の潮どめということと並行するわけでありましょうが、一体運輸省当局においては、この復旧見通しについてもどう考えておられるのか。これは三重県側に、いわゆる罹災者に対するいろいろな救援物資その他のいろいろな援助を施していくためにも、どうしても開かなければならぬ国道第一号線と同じような比重度の高い鉄道であることは、もう申すまでもございません。これも一体いつ、ほんとう責任を持ってここで申されること——もちろん中部日本災害対策本部で申されることも、これは全責任の上に立った言明でありましょうが、それが延びてきたのにはいろいろ理由がありましょう。けれどもほんとうにここで御答弁をいただくのなら、一体いつ必ずどうするという、一つのはっきりした見通しを聞かせていただきたいのであります。  なお、また、同僚の田村君等からも御質問があるかと思いまするが、三重地域長島北部は十月二十四日に潮どめを完了いたし、今排水ポンプをかけて排水をいたしておるまっ最中でありまするが、長島南部地帯、これは、やはり水没をいたしておる。また、この三重木曽岬一帯、これも同様に水没をいたしております海部郡の場面と同様であります。これらについての見通し等についても、はっきり承りたいのであります。  なお、重ねてつけ加えておきますが、海部地域は、何々作戦という以上は、建設省のあらゆる技術の粋を尽くされた上に、自衛隊の必死の努力で、敵地奪還ぐらいの勢いでもってこれが潮どめ実現を、必ず一つ建設大臣言明の日までにはやってもらいたいのであります。二十キロ奥に上りました津島市というところは、全国でも有名な毛織生産地帯であります。洋服地を作っておるところでありまして、その地帯一帯は全部水没いたしております。もう織機もあるいは紡績の機械も、あらゆるものが、精密機械ばかりでありまするが、これが浸水と同時にさびてしまった。この損害だけでも百三十億を優に上回るであろうといわれておるのであります。こういったところの不安は、女工が引き抜かれるということで、労働省においては、さっそくそれらの工員に対しては一時離職という方法をとられた。これは地元では非常に機宜を得た措置であるというので感謝をされた。これはいい面でありまして、六割の失業手当がこれらの女工には与えられる、非常に地獄で仏に会ったような気持がしたと、ある罹災工場工場主は私どもに語っておったのであります。そういういい面も確かにございましたが、一方におきましては、この女工が一時離職したことによって、今、毛織物業界、すべての繊維業界というものが非常に好況を続けておりまするために、女工の引き抜きがある。これにも厳罰をもって臨むというので、防止対策をしていただいた。ただ、防止対策がとれない一つの問題があります。それは戦時中と違いまして、水没地帯地獄絵図さながらの悲惨な場面でありまするが、一歩離れますると、よそのどこそこの工場というものは完全操業をしておるし、この好況の波によってどんどん仕事を続けておる。そうすると、取り返しもつかぬ問題は、好況であればあるほど、その水没地帯工場というものは、被害額百三十億だけでなしに、その工場のお得意というものも全部よその地帯にとられてしまうということであります。これは、今日の事態においてせきとめようがありません。これを抑制しようがないのであります。これらの目に見えざる損害というものは、幾ばくとも知れざるものでありまするが、こういった問題については、あらためて予算案が正式に提示せられましたあとにおいて御質問をいたすことにいたしたいと思います。しかし、そういった水没地帯の現状というものは、農家はもちろんのこと、中小商工業者、あらゆる階層の人々十万人が今日非常な不安にさらされておる。この不安を救う人はだれであるか、これはまさに建設大臣を初めとする政府各位の御努力であります。御尽力であります。この機会に、以上お尋ねをいたしました数点について明確なる御答弁を承りたいのであります。
  8. 村上勇

    ○村上国務大臣 お答え申し上げます。今回の各種台風によりまして多数の人命を損傷いたしましたことは、まことに遺憾千万でありまして、つつしんでこの方々の御冥福を祈る次第であります。  国会におきましては、特にこの災害地対策のために特別委員会を設置されましてこの災害復旧に対するいろいろな御指導を賜わりますことに対しましては、私ども衷心より感謝いたしておる次第であります。  ただいま江崎さんから、切々として罹災者気持になっての御質疑でありますが、私、全く江崎さん同様に、私どもも、一刻も早くあの肉親を失った人たちが、その苦痛な、いわゆる悲惨な中に、なおかつ今日あの水没地帯に住んでおられるという現状は全く忍びないものがあるのでありまして、私は、あの災害直後、ただいま御指摘の通り、まず何をおいても水を引かすこと、これをおいて他にわれわれはやるべき道はない、こういうことを痛感いたしまして、それに向かってあらゆる努力をいたして今日に至っている次第でございます。私といたしましては、まことに、これは言い過ぎかもしれませんが、これ以上の私には方法はなかった、こう申し上げても、あえて過言でないほどの努力をいたして参ったのでありますが、御承知のように、あの強力な力をもっておる自衛隊すら尾西作戦とか、何作戦とかいうようなものが、ことごとく予定通りにいかないほど、詳細にあの被害地がわかってくればわかってくるほど、その被害、傷が深かったのであります。決して私は弁明するわけでもございません。当初、私が四十五日ないし五十日と申し上げましたのは、まだあの決壊個所の深さも何もわからない、いわゆる一般的な海岸堤防復旧であるならば、大体四、五十日かかれば、どんなことでもできるであろうというような、だれも、まだ何日でこれがりっぱに締め切りを完了するということを考えていないときに、私は地建の職員並びに本省から連行しました専門技官らと徹宵してあの日にちを示したのでありまして、大体、これが私どもの当初想定したものと十日ぐらいの違いはありますけれども、大した違いもないようにも思っております。地元の被災者並びに地元を代表する先生方からお考えになれば、ほんとうに、何をぐずぐずしているのだというようなお気持であることは、よく私にはわかるのであります。しかし、私どもも同じ気持で、一刻もすみやかにあの人たちをお救いしなければならぬという気持でありますので、私は、あえて何も申し上げません。あくまでも、今後も一刻も、一日も、一時間も早く排水の完了いたしますように努力いたしたいと思っております。なお、個々の詳細につきましては、河川局長からお答えいたさせます。
  9. 山本三郎

    ○山本政府委員 ただいまの御質問に対しまして、現在までの締め切りの状況並びに現在自衛隊等によりまして応援をいただいておりますが、それらの状況等につきまして御説明申し上げたいと思います。  まず、愛知県の部分でございますが、通称海部北部と言っておる地域がございます。この地域は、先ほどお話がございましたように、大体旧東海道の線によりまして、まず、中間の地域におきまして締め切りまして、国道線並びに関西線、あるいは津島方面の重要地域をまず守ろう、まず、第一段として、この地域排水させようというそことで始めたわけでございますが、の部分におきまして十八カ所の切れ個所がございます。そのうち、現在までに九カ所を締め切り完了いたしまして、現在まだ九カ所を残しております。これにつきましては、先ほどお話がございましたように、自衛隊の強力なる応援をいただいておるわけでございまして、約二千名の陸上自衛隊がおります。そのほかに海上自衛隊が約八百名、それから上陸用の舟艇が八十隻、それから一般の材料を運ぶ船等が四十六隻、約五十隻ございまして、全力をあげてこれに努力をいたしております。先ほどお話がございましたように、ただいまの見通しといたしましては、十一月の十日、これまでには絶対にこの区域を締め切ろうということで努力をいたしておる次第でございます。  次に、先ほどお話のございました堤防被害の最も甚大でございまする海部南部地域でございますが、この地域につきましては、堤防決壊した分が——小さな島が一つございますが、これらも含めまして二十七カ所ございます、そのうち、本日までに二十一カ所締め切りを完了しておりまして、一番難工事でありまする六カ所が、現在のところまだ締め切れないという状況に相なっておりまして、この地区におきましては、ポンプ船はもちろんのこと、自衛隊の応援もいただいております。また、運送船は約二百隻集めまして、材料の運搬等をいたしておるわけでございます。これにつきましては、本日の中部災害対策本部の報告によりますと、十一月末までには絶対にやりたい、こういうことで、決心を述べてきております。その部分が、あとで申し述べまする長島木曽岬の部分と合わせまして、一番おそく残る部分でございます。  次に、木曽川の下流地帯の、三重県の管内になるわけでございますが、まず、木曽川と揖斐川の間にはさまれておりまする長島町の区域の問題でございます。この地区におきましても、鉄道橋あるいは国道の下流に当たりまする一番狭い部分で中間の締め切り、中仕切りを作ろうということに方針を決定されまして、この部分につきましては、切れ個所が四カ所、それから中仕切り一カ所あるわけでございますが、これらにつきましてはすでに完了、締め切り並びに中仕切りを完了いたしまして、排水をしておるわけでございます。  次は、長島南部の地区でございますが、この地区も、先ほどの海部南部地区と同様に、海岸に面する地域でございまして、決壊が非常にひどいところでございます。この地域には、堤防の切れたところが十二カ所ございまして、現在のところ二カ所完成いたしまして、九カ所がまだ残っておるという実情でございますが、いずれも準備を完了いたし、ポンプ船も現地に到着いたしまして、極力その工事を進捗させております。この地区も、十一月一ぱいを目途に締め切りを完了いたしたい、それよりもなお早くやりたいということで、努力を集中いたしておる次第でございます。  それから、次は、桑名の地区でございますが、桑名の地区には二つ場所がございまして、桑名の市街地を対象とする分が三カ所切れておりましたけれども、これらは、すでに完了いたしまして、排水も完了いたしております。  それから、同じ桑名でございますが、一番南のところに城南干拓というところがございまして、この部分が一カ所破堤いたしております。これについては、目下その締め切りを極力二はいの浚渫船をもって努力中でございます。  次は、最後に木曽岬の地区でございますが、これは、先ほどのお話の木曽川の本流と鍋田川の間にはさまれておる地域でございまして、この個所におきましては、六カ所の切れておるところがございますが、すでに二十九日に一カ所締め切りを完了いたしまして、その他のところにつきましても、すべて下部工事をいたし、ポンプ船も現地に到着いたしておりますので、この部分につきましても、十一月末を目途に絶対にやろうということで、全員努力をいたしておる次第でございます。  国道一号線の問題は道路局長の所管でございますけれども、当初の予定は来月の五日でございましたが、明後一日には開通の見込みでございます。
  10. 江崎真澄

    江崎委員 ついでに皆やってもらいましょう。関西線……。
  11. 中村卓

    ○中村説明員 それでは、私から国鉄関西線復旧状況を簡単に御説明いたしたいと思います。  御承知のように、関西線は八田と桑名の間が長いこと、とめられておりまして、非常に御迷惑をかけておるのでございますが、今朝八田から蟹江までは一応開通いたしました。それから、あと永和の手前に、蟹江寄りに仮ホームを作りまして、十一月一日にそこまでディーゼル・カーを入れようと計画いたしております。それから南の方は、長島の構内がやられておりますので、これが大体明日一応下り線が開通いたします。そういたしますと、長島までは列車で入るわけであります。残りますところは、永和と弥富の間でございますが、これは、先ほど建設省の方からお話がございました十一月十日に締め切りができますということを前提といたしますと、十一月下旬にぜひ開通させたいというふうに考えております。同じ水没地帯でありますので、詳しい調査ができませんので、締め切りができましてから大体二週間くらいはかかるだろうということを推定いたしております。
  12. 江崎真澄

    江崎委員 それぞれ御説明がございました通りだと私どもも思います。思いますが、今お話のありましたように、村上建設大臣の強い誠意のほどはわれわれ十分わかります。しかし、たまたま鉄道当局でも言われましたように、関西線そのものが水没地帯であるから、どの程度の被害であるかわからぬ、排水を完了してみなければこの工事完了は何とも言えない、その通りだろうと思う。そういうことは、とりもなおさず、この地方一帯農家の心境であるわけでございます。今、潮どめをどうしてくれるかということが、まずまっ先のこいねがいであって、被害がどうであろうと、あとの立ち直りがとうなっていくであろうと、こういうことには、今まだ思いも及ばぬというのが水没地帯農家の心境である。いみじくも、国鉄当局の言い放たれた通り立場に、農家や、あるいは先ほど申し上げた機業家があるわけでございまするから、この潮どめこそは、文字通り一つ真剣に、自衛隊作戦と名づけられる以上は、それが一日延びた、二日延びたということを、技術上やむを得なかった、人力の及ぶところではなかったなどという、なまやさしい言葉でこれを思っていただいてはならぬと思う。やはり、あくまで作戦である以上は所期の計画通り必ずやってのける、これは何が何でもやるのだという気持で、とめていただきたいのであります。それこそ、皆さんにはもっと——私は、たまたま地元でありまするので感謝を申し上げつつ申し上げなければならぬ立場かもしれぬが、しかし、水没地帯十万人になんなんとする人々の心境に思いをいたせば、やはり、皆さんに激励叱咤するような言葉を吐かざるを得ないわけであります。同時に、御了解を願っておきたいのは、来月の十日には北部を締め切ってやろう、南部は十一月一ぱいで必ず締め切る、こうおっしゃられるが、それから排水ポンプをかけて、ほんとうに水が引くのはやはり一週間か十日ぐらいかかる。特に海部地帯というものは奥行きが深い。今申し上げた二十キロの奥まで水が浸水し、しかも、二十キロの奥こそが、すりばちの底のようになっておるわけでありますから、この水を引かせる排水の作業も、これは並み大ていのものじゃないと思います。そういうことを思いますと、十一月十日に北部が完了するといっても、ほんとうに水の流れから免れることができるのは十一月の二十日ごろになる、こういうことが言えます。だから、おくれればおくれるほど、深刻な不安動揺を、それぞれそれらの罹災者に与えているわけでありまして、どうぞ一つ、今、誠心誠意、もう言い過ぎかもしれないが、自分のありったけの力をふるっておると言われたその村上さんの御決意を一そう固めていただきまして、これが救済にお当たりをいただきたいと思います。いろいろ関係者から切実な御質問があるようでございますから、私の質問はこの程度で打ち切らせていただきます。
  13. 南條徳男

    南條委員長 江崎君の発言に関連して、田村君から発言を求められております。田村元君。
  14. 田村元

    田村委員 それでは、私は、ただいまの江崎委員の御質問に関連いたして御質問申し上げたいと思います。  まず、第一にお尋ねをしたいことは、今の国鉄関西線復旧に関連してでありますが、運輸省として、近鉄の復旧状況をどういうふうに見ておられるのか、そういう点をお答え願いたいと思います。  それから、いま一つ、私は、特に建設大臣初め関係各省の方々がお見えでありますからお伺いをいたしたい、と申しますよりも、強く申し上げたいことは、今度の災害は、伊勢湾台風といって、三重県の北部から愛知県の海岸線が非常に強くやられた。特に行方不明をまぜて死者五千人を上回る被害があった。今もって水が引かないというような悲惨な状況でございます。でありますから、政府がこのような地帯全力を傾注されることは、もちろん、もっともであろうと思いますけれども、しかしながら、先ほど社会党の田中幾三郎委員からの御発言もあったように、この伊勢湾台風という台風の名前に、非常な悲しみをすら感じておるような他の忘れられた災害地が非常に多いということを御認識願わなければならないと思うのであります。たとえば、三重県にしても、あるいは岐阜県にしても、あるいは和歌山にしても、奈良にしても、あるいはその他この台風がずっと関係いたしました地域は、非常に大きな災害各地でもたらされております。たとえば、三重県の南部に志摩郡という郡がありますが、ここの波切大王崎というみさきの風速計は、六十一メートルで故障をいたしておるのであります。六十一メートルで故障するということは、いかに強い風が吹いたかということを如実に物語るものである。そして、各沿岸漁村はほとんど壊滅状況になっておるのであります。一つの町の六割が、家屋流失しておる部落もあるのであります。もっとも、この南部地域あるいはその他の地域においても、台風が常にやってきておる地域におきましては、いわば台風銀座でありまして、台風に対する訓練が行き届いておりますから、人命死傷は非常に少なかった。けれども、その他の物的な被害というものは、実にはかり知ることのできないほど大きいのであります。そういうわけで、私どもは、この地域人々の人心動揺するさまを見て、政府当局が、この地域に対しても、平等性をもって十分なる対策を講じていただきたいと考えるのであります。先般、政府の高官がどんどんとこの中部地区にお越しになって、つぶさに災害地をごらんになったということを私は知っておりますけれども、しかしながら、それは、あくまでも一つ地域にのみ集中せられたのであって、それ以外の地域政府高官がお見えになったことは、私どもは、遺憾ながらあまり承知をいたしておりません。そういう点で、どうか一つ、この災害対策特別委員会を設置せられて御審議を願うのでありますから、政府関係各位も、あるいは、また、この委員各位においても、十分そういう点を察知せられて、あたたかい施策をお願いいたしたいのであります。こういう点に関して、政府の代表と言うと恐縮でありますが、建設大臣は今度は非常によくやっていただいて、各地の絶賛の的といいますか、感謝の的になっておるのでありますが、この際、最も深い関係を有する担当大臣として、村上建設大臣の御所見をお伺いいたしたいと思うのであります。
  15. 村上勇

    ○村上国務大臣 災害がただ単に海岸方面のみにしぼられて、従来あった七号台風とか、あるいはその他の台風による非常な激甚な被害地域を忘れているのじゃないかというような御質問でありますが、私どもといたしましては、今回の十五号台風も、また、その以前にあった台風による被害も、これみな激甚な地帯については、十分その手当をするように考えておる次第であります。
  16. 石井健

    ○石井説明員 今次の災害の私鉄関係の不通個所は、近鉄の名古屋線の桑名—蟹江間十四キロでございます。それから、名古屋鉄道が常滑線の柴田—聚楽園間三・一キロで、尾西線津島—弥富間八・二キロが現在不通になっております。開通の見込みを申し上げますと、これも、結局国鉄が申しましたと同じようなことでございますが、名古屋鉄道の常滑線の方は、天白川の南の上野地区という地区の締め切りと関係がございまして、大体これは締め切りが終わり、排水が終わってから一週間足らずにできる、こういうふうに会社では申しておりますし、私どもも、そのつもりで指導していきたいと思っております。近鉄の方は、これも締め切りが終わり、排水が終わりましてから、一週間ないし十日というふうに考えております。結局国鉄が申されましたように、十一月の末あるいは十二月の初めに若干かかるかもしれぬと思っております。なお、名古屋鉄道の尾西線、先ほど申しました津島—弥富間は、それよりも若干日にちがおくれるのじゃないかと思います。これは、護岸が一番低い路線でございます関係で、それより若干おくれるのじゃないか、こういうふうに考えております。  以上であります。
  17. 南條徳男

    南條委員長 それでは関連質問を終わりまして、佐藤觀次郎君から質問通告が出ております。  佐藤觀次郎君。
  18. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 私が、建設大臣名古屋に来られたとき、宿屋においでになったときに、一番初めにおたずねしたら、何といっても水が引くことが第一だと言って、村上建設大臣は非常に深刻な顔で実は私に説明されました。しかし、現在私どもの蟹江町を中心として——蟹江町は大部分が水が引きましたけれども、まだ約二割が水が入っております。御承知のように、津島地区は海岸から約二十キロの奥にあります。しかも、ただいま江崎代議士からも話がありましたが、今なお水没しておりまして、政府の宣伝では、二十日くらいで水が引く、こういうようなことで、一般の罹災者は非常に安心をしておりましたが、いまだにその曙光が見えません。いろいろ政府の都合もあったと思うのでありますが、何がゆえにこんなにおくれたのか、建設大臣自分が一生懸命やったと言われますけれども、ほかに方法がなかったかということについて、いろいろ地元でも不平があるわけです。これは建設大臣努力はわかりますけれども、現実には、まだ海部郡は、わずか私の方の蟹江町の一地区だけが水が引いて、あとは全部水びたしになっております。少なくとも一市五カ町村が実は水びたしになっておりますが、それについてもう一度はっきりとした、私どもに納得のいくように、こうこういう理由で実は水が引かなかったのだ、こういう理由で自分たちの思うようにいかなかったというような説明をしていただかなければ、私たちは納得して帰るわけに参りません。どういうわけで二十日間のものが——今日もうすでに三十六日間たっておりますのに、今なお水が引かないわけでありますが、この点について私たちに納得のいくような説明をここでしていただきたいと思います。
  19. 村上勇

    ○村上国務大臣 先ほど江崎委員にお答えいたしましたように、私どもとしては最善の努力をいたしたのであります。ちょうどあの災害の翌々日、佐藤委員と会いまして、私はあの際に、いつできるということを発表したくなかったのです。と申しますのは、これが河川の堤防でありましたならば、何百メートル破堤個所がありましても、大体ブルドーザーの十台も持っていけば、一週間か、どんなに長くても十日くらいで締め切りが完了するのでありますが、しかし海岸堤防は、毎日々々が大洪水でありまして、しかもその破堤個所は、ひどいところは十メートル以上堤防が掘れておる。そこへその作業をするのには、ブルドーザーやなんかではその作業をすることはできない。どうしてもポンプ船を集める以上にない。サンド・ポンプによってその掘れた個所を埋め戻していって、そしてそれを埋め戻ししながらまた高く上げていく。そうしますと、とにかくポンプを集めることが第一です。御承知のように、ちょうどあの日これの対策会議をやった際に、愛知県ではどうだ、愛知県では八千馬力のポンプ船を集めている、そういう用意をしているということを愛知県の土木部長が言っておりましたが、しかし、その後二週間たっても、なかなか——日本で、大体サンド・ポンプの数というものは知れております。それからまた、東京湾や、あるいは九州の若松築港や、あるいはどこやという、全国各地に点在しているものを集めて参りましても、これが修理を要するとか、あるいはまた、電線がすっかり——承知のように、コンクリートの電柱がみな倒れている、それから高圧線の鉄塔までみな折れている、こういうことで、あの地区にはとうてい動力線がいかない。そうしますと、電気モーターによる、いわゆる電力によるポンプ船というものは、たとい千馬力のものが何台行ってもとうてい役に立たない、そういうようなことで、一万八千馬力——当初私は、一万二千くらいあれば大丈夫いけると思いましたが、とうていこれではいけないというので、一万八千、最後には、ついに二万一千七百馬力というポンプ船をあすこに集中させたのであります。しかし、それが必ずしも全部が能率よく働いておるかと申しますと、今申し上げましたように、あるいは修繕しなければならぬ、あるいはまた、動力線がないために、自衛隊の、いわゆるもとの駆逐艦でございますか、そういうものを持っていって、沖で動力を起こして、それによってこのポンプ船のモーターを動かそうというような、あらゆることを検討いたしました。そういうようなことで、機動力に遺憾な点があったということ、今日の日本におけるポンプ船の力というものが、われわれの想像以上に非常に貧弱であったということも言い得るでありましょう。それからまた、一面には、あの地域には、ぐり石というものがちっともない、そのために、遠いところから石を運んでくる。現在でも、ただいま山本河川局長から報告いたしましたように、四百隻という、作業用の艦船とでも申しますか、舟艇がある。それがまるで昔のどこかの戦争の上陸作戦のような工合に働いておりますが、それも、大きな船で積んでくれば、あの地区は非常に浅いですから、沖でもう一ぺん積みかえていく、そんなことやら何やら、あらゆるものがとにかく——しかし、それは私はあらゆるものがすべてうまくいっていると思います。と申しますことは、あの締め切りを私が大体四、五十日でできるということを言明いたしましたのは、あなたも御承知のように、私がもしもこれは二カ月もかかるのだということを言ったならば、あの人たちが失望してしまって、とんでもないことになりはせぬかということをほんとうに憂慮した結果、まあ大体四、五十日ならばできるであろうということを発表いたしたのでありまして、それが十日か十五日狂っておりますけれども、ともかく最後の日をそこに与えて、その日に向かってみんなが集中攻撃をするということでなければ、いつできるかわからぬ、まあしっかりやれというようなことでは、これは半年たっても——締め切り区域が十九キロからあります。これは河川と違いまして、いわゆる海洋と地続きになって、毎日々々、一日に一回ずつ大出水があると同じような状態でありますので、私どもとしても被災者の方々の気持になって今日もやっておりますが、あれ以来ほんとうに不眠不休で現地で十分督戦してやっておるのでありますけれども、まあこのような状態、まことに私ども、一日でもという気持から申しますと、相済まないと思っておりますが、ともかくも私どもは、たといどういうような非難を受けようとも、最善を尽くして、これ以上のことは、だれがやってもできないのだというような確信を持って今日まで参っておりますので、御了承願いたいと思います。
  20. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 村上さんは人情的にも非常に豊かな人でありまして、私はそれを追及しようとは思いません。ただ一点ここに山本河川局長にお願いしたいのでございますが、実はこの問題は、私が代議士に出ましてから十年来、山本さんが治水課長をしておられたとき以来、海部地帯あるいは木曽岬長島等は、オランダと同じように、大曽川のデルタ地帯でできた土地でありまして、海水面よりも三メートル、四メートル低いところで農業をやっておる状態であります。そういう危険があったので、実は今まで十年間の間、絶えず海岸堤防の問題については陳情をし、こういう災害の起こらないように、たびたび陳情をいたしたわけであります。不幸にしてこういう結果になりましたけれども、それがために世間では、人災だというような非難もあるわけです。こういう点について、山本さんは河川局長としていろいろ努力されておりますが、一体予算がなかったからこうなったのか、あるいは、こういうような大災害は不可抗力であったのかどうか、これは将来のために重要な問題でありますので、この際、専門家の河川局長の山本さんに、一つはっきりとした、ほんとうに正直な意見を聞かしていただいて参考にしたいと思いますから、お願いします。
  21. 山本三郎

    ○山本政府委員 ただいまの御質問でございますが、主として海部海岸の問題でございまして、この点につきましては、佐藤先生からもお話しの海岸堤防の補強の問題、あるいは日光川の水門の問題、いずれも、今回の高潮にかんがみまして、早くやっておけば、しかももっと強くしておくならば、非常に被害を減少できたではないかというふうに考えられるわけでございます。従いまして、これができ上がっていなかったということは、まことに残念なことでございます。しかし、今回の台風による高潮というものは、われわれが調べておりまする記録から見ますと、従来参りました高潮の記録よりも、さらに一メートル以上も高いというようなものでございまして、ほかの地区が十三年にやられましたわけでございますが、あのときは、幸か不幸か、今回の海部地区等は災害を免れた。しかし、ここが一番弱くなったのだという点は、先生からもこれを言われまして、私もその通りだと思っておりました。従いまして、これは早く何とか補強しなければならぬ、あるいは日光川の水門も作って、潮どめもやらなければならぬということで、われわれもいろいろ努力して参ったわけでございますが、あれらの計画ができておりましても、あれだけの計画では、今回の災害に対しましては、完全に持ちこたえられたとは、私は自信がないような次第でございます。従いまして、今後の計画におきましては、今回のような高潮に対しましても、たとい越すことがあっても、切れないようなものを作らなければならぬというふうに決心いたしまして、努力をしたいというのが、偽らざるわれわれの心境でございます。
  22. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 実は先ほど建設大臣から、大体期日は十一月の十日、あとの方は言明がありませんでしたが、今の海部地区作戦が終わりましても、なおかつ、長島とか鍋田の方がはっきりしないわけでございますが、先日赤城防衛庁長官に会いましたときにも、自衛隊は出すというような意見を言っておられました。自衛隊をこれ以上補強して、そうして実際にもう少し早くできないものかどうか。何といっても、暮れに迫っておりまして、冷たい水がどんどんきておりますし、同時に、家は、風の吹くたびに土台がゆれてきまして、下手すると、水が上がったときには全部使いものにならぬ家になるのじゃないか、こういう現状でございまして、土台の下が潮でございますから、水が通るたびに壁が落ちて、みじめな姿になっておるわけです。そういう点で、何らかの方法で、せめて潮どめだけは何とか尽力できないものか。実は先日も土建業者の話によると、四十五日にやれと言われても、建設省からも県からも材料がもらえない、あるいは船も貸してくれないから、なかなか思うように参りませんというような不平もございました。そこで、何といってもやはりこの際は、この水没地帯人々の衛生上の見地から、あるいは現に学校にたくさんの者が疎開しておりますが、疎開しておる人々と、疎開してない人々の問題とか、いろいろ問題がございまして、こういう点で、早く家へ帰りたいという者もあるわけですが、そういう点について、何らかの方法でもう少し時間を早くやるわけに参らないのかどうか、自衛隊を使ってもどうにもならぬものかどうかということを、この際もう一言だけ建設大臣からお伺いしておきたいと思います。
  23. 村上勇

    ○村上国務大臣 先ほどちょっと触れましたが、御承知のように、もうああいう状態になりますと、サンド・ポンプ、それから、ぐり石と申しますか、石材、こういうようなものがその工程を左右してくるのでありまして、自衛隊の力だけで工期を左右するものではない状態になっておる次第であります。これがほかのところでありましたら、自衛隊も相当な機動力を持っておりますし、どんなことでもやれるでありましょうが、どうもああいう状態になりますと、自衛隊の力と申しますか、必要以上に自衛隊をそこへ投入しましても、さほどの効果は上がらないのではないかと思っております。もしも自衛隊をもう少し入れて、たとい千でも二千でも入れて、たとい三日でも五日でも早くなるような事態でありますならば、これはもう自衛隊は幾らでも私は要請することができるのでありますから、また、ただいまの御意見もありますので、中部日本災害対策本部の方と十分連絡して、そういう御要請のあったことも伝えまして、十分手配いたして参りたいと思っております。
  24. 佐藤觀次郎

    ○佐藤(觀)委員 同僚の議員もたくさん質問があるそうでありますから、最後に一点特にお願いしておきますが、岸総理も、その他、大臣がたくさん来られました。しかし、ヘリコプターの上から一時間、二時間見ただけでは、被災の現状はわからないわけです。村上さんは三日も四日もおられて現場を見ておりますけれども、上から見ては、それほど大したことはない。けれども、船に乗って現場を見ていただきますと、いかに悲惨であるかということは、大体御想像ができると思うのであります。私は関東大震災にあった経験がありますが、関東大震災以来の非常に大きな水害ではないか。私たちは地元のことでございますから、世間のことはさほど知らぬというようなそしりは受けるかもしれませんが、おそらく今度のこの水害こそは、私はかつて七年前にオランダで起ったところの大水害に匹敵するような大水害でないかということを考えておるわけです。そういう点で、今後われわれも委員としていろいろ国会審議をしたいと思うのでございますが、今後の対策として、やはり大蔵大臣などにももっと実際の認識を深めさせて、是が非でも今度のような災害だけは将来再び起こらないように——少なくとも数千人からの人が犠牲になりまして、そうしてそれがために、濃尾平野の穀倉といわれておる海部地帯がほとんど全くみじめな姿になりました。こういうようなことを考えていただきますならば、やはりわれわれと一緒になって、建設大臣も、わが愛知県の人々、あるいは三重県の方々、岐阜県の方々と同じように、災害地の人と同じような気持になってやっていただきたいと思うのでございます。そういう点について、今後の対策でございますが、再びこういうようなことの起こらないような予算措置ができるかどうか。私たちは、今後いろいろこれから交渉するわけでございますけれども、遺憾ながら今度のあれくらいの予算では、再び来年の風が吹けば、また同じような運命になるのではないかということを非常に憂えておるのでございますが、そういう点についての、われわれが安心できるだけの御説明を一つしていただきたいとお願いしまして、私の質疑を終わります。
  25. 村上勇

    ○村上国務大臣 今後の恒久対策と申しますか、恒久復旧につきましては、絶対に再びかかることのないよう、抜本的な措置を講じて参りたいと思います。そのためには、十分その目的のためにできるだけの予算を獲得いたしていくつもりでありますので、なおその点につきましてはまた御検討のほどをお願いいたしたいと思います。
  26. 南條徳男

    南條委員長 佐藤君の質問に関連して太田一夫君から申し出があります。これを許します。太田君。
  27. 太田一夫

    ○太田委員 具体的になりますと、浸水地帯排水の問題にしぼられるわけですが、先ほど来の建設省のお話にありました地区は、ほとんどが海部郡並びに伊勢湾北部に限られておりまして、その他のことに言及されておらないのです。実はこの大災害の非常に大きな浸水地帯のそばに、非常に小さな規模ではあるけれども、非常に大きな災害をこうむっておる地帯がある。たとえば碧南市の海岸寄りでありますところの干拓地帯、それから西尾市の矢作川左岸でありますところの南奥田新田地帯、これは今日いまだに水が引きませんし、これまた、この工事は、農林省と連絡の上、市町村におきまして請負工事にかけて工事が進んでおる。そこで、この締め切りはいつになるかということなんですが、やはり予定の日が次々とおくれておるのです。なお、そこは住民がないところじゃないのであって、それぞれお寺の庫裏やら、あるいは公民館やら、支所の二階というところに仮住まいをいたしておるわけであります。こういう人たちは、いつ水が引くのだろうかということを非常に心配いたしております。これに対する仮締め切りがいつできるかということについて、はっきり日程があったら御明示願いたいことと、もう一つは、当初どうして自衛隊が入らなかったかという事情でございます。この事情につきましては、市町村の申しますのには、頼みたかったけれども、どうも頼みにくかったというのです。頼みたかったけれども、頼みにくかったというのを、そのままにしておいたというところに、対策本部が実は何かしら軽視されたものがあったのじゃないだろうかと思いますけれども、そういうことがないにいたしましても、最近、名古屋管区の自衛隊の幹部の方が碧南市においでになって、いろいろと事情をお聞きになったようです。碧南市の方は、何とかして援助をしていただきたいという希望を表明された。ところが、実は隊員が非常に疲れておるのだからというので、二の足をお踏みになったと申しますか、辞退をされた。できるなら地元でやってくれというような意思表示があった。そのために、今日なお自衛隊にはどうしてもおいでいただけないものと思いまして、それぞれ関係市におきましては、自力でこれを締め切ろうといたしておるわけです。従って、それだけに、工事がおくれておるということについては残念だと思うのですが、どうしてそういうところは当時自衛隊の出動の対象にならなかったのか、あるいは市町村が申請しなかったから、そうであったのかどうかという事情をつまびらかにしていただきたい。  なお、これに関連するわけでありますが、先ほどの海部郡と伊勢湾北部のほかに、水が入っていて、これが締め切りの未完了の地区、たとえば上野町などがあると思うのですが、もしありましたら、これはいつごろかという、あなたの方の最終的な見通しについて、各個々の決壊個所について明確な御答弁をいただきたいと思うわけです。  なお、こういう答弁のできる方がいらっしゃるかどうか知りませんが、十月一ぱいたちますと、災害救助法によるところのたき出しというのが停止されて、本部長の許可がなければ、たき出しができないということに、市町村の方に通達がいっておるそうです。これに対しては、はなはだ不人情だと思うのですが、きょうは厚生省の災害関係の方がいらっしゃるとするならば、その点について引き続きやるということを明確に御答弁を願いたいと思います。
  28. 清野保

    ○清野説明員 碧南干拓は、現在潮どめ工事の約六九%を終わりまして、大体十一月の六日に仮どめが終わるところでございます。現在の工事に関する段取りは、すでに配電線の設備を終わりまして、第二羽田丸というポンプ船が現場にきております。これは十月三十日から運転を開始いたしまして、ただいま申し上げたように、十一月六日に終わるという予定でございます。  なお、自衛隊につきましての御質問でございますが、その当時、地元におおむね請負能力があって、これが所定の期間に完成するだろうという見通しもありまして、手配をしませんでしたが、今後、必要に応じまして自衛隊と交渉をして、急速に仮どめを終わりましたあとの応急復旧の竣工をはかって参りたいと考えております。
  29. 山本三郎

    ○山本政府委員 ただいま御質問がありましたあとの部分でございますが、上野、横須賀の地区がございます。これは、昨日の報告によりましては、今月中に仮締め切りを終わりまして、排水の日数が約一週間でできる、こういう報告が参っております。それから衣ケ浦というところがもう一つあるようでございますが、これも同じように十月末日に終わりまして、約一週間で排水ができるという報告が参っております。
  30. 太田一夫

    ○太田委員 農林省の方でしょうか、西尾市の南奥田新田の御答弁がないのですが、これはどうですか。
  31. 清野保

    ○清野説明員 御質問になりました部分は、おそらく平坂干拓と称する部分だろうと思います。それに関しましては、現在締め切りの進度は若干おくれておりまして、約二五%、これに関する配船も終わっております。おおむね十一月の下旬、二十日過ぎに潮どめを終わりたい、かように現在手配をいたしております。
  32. 南條徳男

    南條委員長 それでは、なお関連質問として申し出があります。河野孝子君。
  33. 河野孝子

    ○河野(孝)委員 先ほど江崎先生が触れられましたが、津島の毛織業界の叫びと申しますか、そういうことに関して関連質問をさしていただきたいと存じます。  被災直後、津島の毛織業界の責任者の方から、この毛織業界の復興についてよろしくという電報がございました。一応そういう業界の方からこういう陳情がくるのは、これはもちろんのことでございますが、一昨日の早朝、やはり責任者の方から電話が入りました。また、ほかの農林や厚生、いろいろの陳情と同じような、こまかい被害の状態やら、そういうことの頼みなどであるかと思ったのでございますが、それは意外な陳情でございました。と申しますのは、津島におきましては、先ほども申されましたように、いまだに水没の状態でありまして、あと十一月一ぱいという水没の状態では、あの大きな毛織の機械がもう二カ月以上も水浸しになって、たとい排水のあとでも、この機械は用を足さない。先ほども申しましたように、毛織業界も好況のときに、非常な痛手だ、こういうことに関しても、一刻も早く排水してくれ、こういう切実なお願いでありました。きょうは潮どめ工事のみの会議と聞いておりますが、これも究極は、一刻も早く潮どめ、排水をしていただきたい、こういうことと関連いたすと存じますが、重なることで恐縮では存じますが、五日の締め切りが十日になる。そうなれば十五日にもなるのではないかという非常に不安なお尋ねでございましたが、重ねて十日、この月末の排水が完了するかということの御確答をいただきとうございます。  それからもう一つ、これは厚生関係のようではございますが、究極はやはり排水が完了いたしまして、尾北、尾西あるいは長島郡に集団避難しておられる避難民の方々のことでございますけれども、お互いに人間でございますから、避難当初は、受け入れる方も、避難民の人も、助けてあげたい、感謝気持で一ぱいな状態でございましたが、その後いろいろなむずかしい問題が、受け入れの方にも避難民の間にも起こりまして、この後、日にちが長くなればなるほど、そういうむずかしい問題もたび重なるだろうと思います。また、この間帰りまして伺いますと、かぜ引きが大へん多い人数になっておるそうでございます。まだ流感にまでは及んでおらないそうではございますが、これも大へんな問題になると思います。これもやはり排水の時期の確答さえ得られますれば、避難している老人、子供、婦人、つまり弱い人たちがどんなに安心するかと存じますが、確実なる排水の完了する時期をお伺いできますればと存じます。
  34. 村上勇

    ○村上国務大臣 御趣旨はよく承知いたしております。河野さんの御配慮の点も十分わかっております。ただあの地区は比較的おそくなりまして、ただいまのところでは、十一月十日に締め切りを完了いたしまして締め切り完了後は約一週間くらいで水を全部くみ出すことができる、かように思っております。
  35. 河野孝子

    ○河野(孝)委員 十一月の十日に締め切り完了で、排水が二十日ですか。
  36. 村上勇

    ○村上国務大臣 大体一週間くらいに見ておりますが、大体七日くらいで排水を終わると思います。
  37. 南條徳男

    南條委員長 角屋君。
  38. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 台風十五号を中心にいたしました、特に本日は愛知県の南部海岸地帯三重県の北部海岸地帯等の湛水を中心にいたしまして、これを一刻も早く排除をしていく、こういう問題に議題の焦点をしぼっていろいろお尋ねが行なわれているわけでございますが、私も、実は災害発生後、国政調査の一環として愛知県、岐阜県に参り、愛知県では名古屋市の南部、あるいは知多半島方面にまで足を伸ばして災害の状況をつまびらかに視察をさしていただきました。そうして同時に、出身の県である三重県については、あるいはヘリコプターを通じ、あるいは現地視察等を通じて、そのなまなましい惨状をつぶさに視察をしたわけでございます。そこで、本日の中心議題である湛水問題の排除について、先ほど来、大臣あるいは河川局長等からいろいろ当面の目標についてお話があったわけでございます。三重県の関係の、たとえば木曽岬あるいは長島等では、災害発生後二カ月有余を経過する十一月の末にならなければ締め切りが完了しない、こういう状況に相なるわけでございますし、あるいは桑名の干拓地帯になっておりますところの城南においても、同様の状況になる。川越その他の地区においては、すでに完了の段階にきておりますけれども、こういうふうに長期にわたって湛水の生活をしなければならぬという現地住民の状況というものは、まことに悲惨な状況でございまして、たとえば木曽岬長島等においては、老幼婦女子等においては、御承知のように、鈴鹿、あるいは高田本山、伊勢等にいまだに集団疎開をして生活しなければならぬという状況にあるわけでございます。従って、ただいま河川局長あるいは建設大臣等から締め切り時期の目標について御報告がございましたけれども、本日の会議の焦点から申しますならば、この目標計画をたとい三日でも、五日でも、一週間でも早期に完成させる、そういう熱意のもとにおいての具体的な計画というものをお示し願わないと、私ども、これは自民党であると社会党であるとを問わず、地元の出身国会議員としては、このまま了承して帰るわけにいかないのじゃないか。従って、私の希望したいのは、やはり今大臣あるいは河川局長から申されたような目標は立てておるかもしれませんけれども、さらにこれの期間短縮という熱意を持って具体的にまた検討を進めてみるという熱意があるかどうかを、まず大臣からお伺いしたいと思います。
  39. 村上勇

    ○村上国務大臣 先ほどもお答え申しましたように、これから自衛隊を投入した場合に、そのためにたとい三日でも、一日でもその期日が短縮できるということであれば、その方法を講じて参ります、ということを私は申し上げたのであります。もとより、私どもは、計画のない事業をさせておりませんので、この点については一つ十分御了承をいただきたいと思います。最善を尽くしてなおかつこれくらいの日数を要するだろうということでありまして、毎日連絡をとっておりますが、名古屋における中部日本災害対策本部におきましても、いかなる手段でも、その手段によっては、たとい時間的にでも、一刻でも早くなればということを熱願して指揮をとっておるのでありますから、その点につきましては一つ十分御了解いただきたいと思います。
  40. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 次に、この機会に、基本問題について一点だけお尋ねしておきたいと思うわけでございます。私は、昭和二十八年の際のいわゆる台風十三号の被災状況、あるいは復興状況について、愛知県から「昭和二十八年十三号台風海岸復興誌」という実にりっぱな本を出しておられるのを最近発見したのでございます。それを見ますと、今度の災害の湛水状況と同じような惨状がやはり当時にございました。従いまして、そういう惨状の復興状況について、今度参られました皇太子殿下、あるいは清宮さん等もおいでになって、愛知県の知事等の御案内で災害復興状況等を視察された。再びこういう惨状を見るとは、おそらく地元愛知県知事その他も思っていなかっただろうと思う。その復興誌の序文の言葉の中でも、これを機会に再びこういう惨状を繰り返さないであろう、こういう期待を持っておった。ところが、現実に再び大惨状を来たしておる。私は、こういう経過からすると、これは単に有史以来の台風であったとか、史上空前の大災害であるとかということで片づけることのできない問題を含んでおると思う。従来の経過的な堤防海岸等でこういうふうな画期的な台風を受けたということであれば、おのずから問題は別になると思うのですけれども、あの際にやはり一定の前提条件、一定の設計基準に基づいて、再び惨禍の起こらないような設計基準で自信のある改良復旧というものをやっておったならば、こういう大惨害は見なかったのじゃないかという感じがするわけです。そういう点に思いをいたしますと、これから本委員会を通じ、あるいは予算委員会を通じて、私どもは、真剣に検討しなければならない補正予算の問題あるいは特別立法等の問題については、昭和二十八災の相当に熱意を入れてやった改良主義というものがむざんに破壊をされた今日の現状から見て、今日の十五号台風に対するところの災害復旧にはどういう態度で当たるべきかということは、おのずから結論は明らかであろうと思う。そういう面から見て、先ほども佐藤委員からお尋ねがありましたけれども、私どもは、今度の台風の状況からいたしますならば、積極的な改良主義をとる、そうしてまた、必要な予算措置等もしなければならない、こういうふうに考えるわけでございますけれども、その点について、建設方面において自信を持ってそれに対処できるかどうかという点について、再びお伺いしたいと思います。
  41. 村上勇

    ○村上国務大臣 もとより、今回の海岸堤防の破堤個所が、昭和二十八年の十三号台風によって修復した、いわゆる新しく築造した海岸堤防個所とほとんど同じところでない。これは先ほど河川局長も触れておりましたが、あの際にあの破堤を免れたところが、今回めちゃくちゃにやられたということでありますから、私どもは、あの十三号台風の設計を基礎として、なお、高潮あるいは風速等も十分科学的に研究した上で、今回の災害復旧につきましては、これを抜本的に改良復旧いたしたい、かような考え方で今回の予算要求もいたしておりますし、また、来年度の予算要求にもそういうことを十分体してやって参りたい、こう思っております。
  42. 角屋堅次郎

    ○角屋委員 ただいま建設大臣から、十三号のとき、海岸堤防には大した被災はなかったかのごとく言われましたけれども、現実に、たとえば三重県の海岸地域を見ましても、鈴鹿、白子方面から北勢方面は、これは十三号のとき災害を受けたところを改良主義を取り入れてやった。そこは私ども現地を見ましたけれども、やはりやられておる。あるいは北の方面にいきますと、長島方面でもやはり相当がんじょうな堤防を作ったつもりでございましたけれども、これが徹底的な破壊を受けておるという災害個所もあるわけであります。従いまして、設計の前提になったものが、今度の台風にやはり耐え得なかったというものもあるだろうと思います。同時に、御承知のように、三重県でも南部方面は、たまたま満潮期と台風の時期が合致しなかったために被害を受けなかったということになりましょうけれども、あれが満潮期と台風の襲来期と同じ歩調で来た場合には、南部地域といえども安全ではないという結論が出ておるのですが、これ以上私は議論しようとは思いません。台風十五号等のこの災害対策においては、十三号の経験、そういうものを生かしてやってもらいたい。  最後に私は、この機会建設大臣に申し上げたい。こういう広範囲にわたる湛水が数カ月続く災害の歴史というものは、いまだかつてないだろうと思う。そうして、今度の場合、大臣の方でも、現地にも行き、あるいは災害対策中央本部を設けて努力しておられるという熱意については敬意を表しますけれども、今度の台風を契機としてつらつら考えてみた場合に、こういう台風が伊勢湾に上がった。今度は大阪湾に上がるかもしれない。東京湾に上がるかもしれない。新聞紙上でもいっておりますように、東京湾に上がった場合には、もっとものすごいような惨禍を呈する。大阪湾に上がった場合も同様だ。こういうふうなこと等も報ぜられておるわけであります。そこで私は、一刻も早く湛水地帯の水を引くという当面の問題だけでなしに、今後毎年襲ってくるであろう台風の事前対策として、今度の災害の教訓というものを十分に生かした防災対策、そういうものを根本的に検討して、これからの災害対策の万全を期していく、こういう基本方針が確認されなければならぬし、災害の教訓というものは、毎年々々それが置き忘れられていくことなしに、そういう積み上げの上に立って、次の災害に対して万全の措置ができるという心がまえで為政者も当たってもらわなければならぬと思う。そういう面で、今度の災害の教訓というものについては、これは建設省といわず、農林省といわず、運輸省といわず、政府自身の行政機関においてつまびらかにし、これを他の地域に同一条件で当てはめた場合の措置をどうするか。これはサンド・ポンプの問題にとどまらない。いろいろの問題においてですが、事前に十分の態勢をとるという今後の教訓に生かすべきであろうと思います。この点について大臣の所見を承っておきたいと思います。
  43. 村上勇

    ○村上国務大臣 治山治水の対策につきましては、五カ年計画その他の方法で検討いたしておりますが、なお、この海岸堤防等につきましては、今回のあの高潮が、また、先ほど田村委員の触れられておりましたように、六十一メートルの風速というような、日本の今日までの記録にないような事態もあり得るのだということを十分科学的に検討いたしまして、今後の設計あるいは工法等につきまして、十分検討して参りたいと思っております。
  44. 南條徳男

    南條委員長 久野忠治君。
  45. 久野忠治

    ○久野委員 ただいま仮締め切りの時期等についていろいろ論議が繰り返えされたわけでございますが、しかし、私がお尋ねいたしたいことは、破堤個所、いわゆる仮締め切りをやっております個所の総数と、総延長は一体どれくらいになっておりましょうか。
  46. 山本三郎

    ○山本政府委員 ただいま詳しい数字は現地で調査中でございますが、三重県、愛知県を含めまして約十九キロ五百に達しております。
  47. 久野忠治

    ○久野委員 個所数は。
  48. 山本三郎

    ○山本政府委員 ただいま全体の資料がございませんですが……。
  49. 久野忠治

    ○久野委員 それでは、次の問題をお尋ねいたします。一体仮締め切り工事費の単価はどうなっておりましょうか。
  50. 山本三郎

    ○山本政府委員 海岸部におきまして、総延長平均二十万円ということで積算いたしております。
  51. 久野忠治

    ○久野委員 平均二十万円ということでしょうか。
  52. 山本三郎

    ○山本政府委員 その通りであります。
  53. 久野忠治

    ○久野委員 そうだといたしますと、金額にして約三十八億になりますが、その予算措置は、今回の補正予算においてなされておるということに了承してよろしゅうございましょうか。
  54. 山本三郎

    ○山本政府委員 その通りでございます。
  55. 久野忠治

    ○久野委員 しかし、この仮締め切りには、自衛隊延べ三十万人といわれておりますが、さらに、消防団相当数、さらに学生数万人が出動しているわけでございます。これらの人たちの請負工事その他に協力をいたしました経費は、どういうふうに算定をいたすのでございましょうか。
  56. 山本三郎

    ○山本政府委員 自衛隊、あるいは奉仕によりまして出ていただいた分等につきましては、もちろん請負にいたす場合は、それらを差し引きまして算定いたします。
  57. 久野忠治

    ○久野委員 その金額はどれぐらいになりましょうか。
  58. 山本三郎

    ○山本政府委員 これは個所別に現地で現在査定しておりまして、大体今まで済んだものにつきまして、もちろん自衛隊協力をしていただいた分は、労力費からそれを差し引いておりますし、それから、今後の問題につきましては、見通し上どのくらい応援をしていただくかという点に対しまして、労力費を算定しているという状況でございます。
  59. 久野忠治

    ○久野委員 そうだといたしますと、仮締め切り費として予定されている三十八億円の金額が減ることになりますが、その減る額はどのくらいになりますか。
  60. 山本三郎

    ○山本政府委員 現在までに査定を終わりまして、一部まだ三重県の方で査定が残っているといっておりますけれども、仮締め切りの費用は、約三十億余りになるということが報告されております。
  61. 久野忠治

    ○久野委員 いわゆる自衛隊あるいは消防団、学生等の労力奉仕によってなされました金額の算定の基準、方法等にいろいろ私は問題があろうと思うので、それは十分に検討をしていただいて、万遺漏なきを期していただきたいと思います。その算定をいたしまして、余剰となって参りました金額は、当然他の工事費に充当されると思いますが、災害復旧等の経費が、さらに、何といいますか、事業量がそれで伸びることになろうかと思いますが、この点どうでございましょうか。
  62. 山本三郎

    ○山本政府委員 もちろん仮締め切りの費用も、その個所々々の同じ災害復旧事業費の中に入っておりますから、災害復旧事業の仮締め切りの費用が余りますれば、本工事に充当するということになるわけでございます。
  63. 南條徳男

    南條委員長 資料の要求が三田村君から出されております。三田村君に発言を許します。
  64. 三田村武夫

    ○三田村委員 今回の災害対策に関して、いずれこの対策に関する諸法律案が当委員会に提出され、審議されることと思いますから、それに必要な資料を御提出願うよう要望いたします。この法案のほとんど全部が、おそらく補正予算に組まれておる、いわゆる予算措置を必要といたします。従って、各関係省の、建設省を初め農林省、自治庁、文部省、運輸省、厚生省、それぞれの立場から予算要求の裏づけとされました資料——災害計数ですが、これをできるだけ詳細にお出し願いたいと思います。しかもできるだけ早くこの資料を御提出願いたい。そういたしませんと、法律案をもらいましても、法律案の審査のために私たちは非常に不便を来たしますし、また、から回りしてしまいます。ぜひとも、この点は、もうすでに十分資料は御調製のことと思いますが、お出しを願いたい。特に委員長にお願いいたしますが、自治庁関係に関しては、災害激甚地の指定問題がありますから、この指定のために必要な資料、各府県並びに市町村の災害計数、つまり基準財政とにらみ合わせた災害計数というものは、どうしても必要になりますから、これをあわせて提出するように、委員長からそれぞれ御連絡願いたいと思います。  きょうの委員会は、主として緊急締め切りと緊急排水に関する問題でございましたから、私は質問は省略いたしておきます。岐阜県は、八月に続いて九月、同様な災害を受けまして、建設大臣も御承知通り、約三千町歩の浸水地帯があったのでございます。幸いにこれは締め切りが完了いたしまして、今排水も終わっております。でありますから、この基本的な対策、それに対する当局の御意見に対してはいずれ別な機会に譲りまして、きょうは、資料の提出の要望にのみとどめます。しかるべく委員長においてお取り計らいあらんことをお願いいたします。
  65. 南條徳男

    南條委員長 では、本日の質疑はこれで打ち切りまして、委員諸君にちょっとお諮りしたいことがございます。  この次の委員会を四日の午前十時というつもりでありましたが、当日は予算委員会の総括質問がある日で、各省の大臣がかち合いますので、特に午前九時にこの委員会を開きたいということでございますから、どうぞ。いずれ公報にも出しますけれども、御了承を願います。  では、この程度で散会いたします。     午後五時四十四分散会