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1959-11-21 第33回国会 衆議院 外務委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年十一月二十一日(土曜日)     午前十時五十四分開議  出席委員    委員長 小澤佐重喜君    理事 岩本 信行君 理事 菅家 喜六君    理事 佐々木盛雄君 理事 椎熊 三郎君    理事 床次 徳二君 理事 小林  進君    理事 田中織之進君 理事 松本 七郎君    理事 堤 ツルヨ君       加藤 精三君    菊池 義郎君       小泉 純也君    福家 俊一君       森下 國男君    山村新治郎君       岡田 春夫君    柏  正男君       勝間田清一君    田中 稔男君       帆足  計君    穗積 七郎君  委員外出席者         法務事務局         (入国管理局         長)      勝野 康助君         参  考  人         (元近東アフリ         カ貿易会会長) 横山 正幸君         参  考  人         (日越貿易会専         務理事)    中川 武保君         参  考  人         (NHK解説員         室非常勤嘱託) 福永 英二君         参  考  人     (著述業) グエン・リン・ニエップ君         参  考  人         (東京大学名誉         教授)     横田喜三郎君         参  考  人         (日本学術会議         会員国際民主法         律家協会副会         長)      平野義太郎君         通     訳 藤田 茂男君         専  門  員 佐藤 敏人君     ――――――――――――― 十一月二十一日  委員戸叶里子辞任につき、その補欠として帆  足計君が議長の指名で委員に選任された。 同日  理事戸叶里子君同日理事辞任につき、その補欠  として松本七郎君が理事に当選した。 同日  理事西村榮一君同月十八日委員辞任につき、そ  の補欠として堤ツルヨ君が理事に当選した。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  理事の互選  日本国ヴィエトナム共和国との間の賠償協定  の締結について承認を求めるの件(条約第一  号)  日本国ヴィエトナム共和国との間の借款に関  する協定締結について承認を求めるの件(条  約第二号)      ――――◇―――――
  2. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これより会議を開きます。  お諮りいたします。理事戸叶里子君より理事辞任の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 小澤佐重喜

    小澤委員長 御異議がなければさよう取り計らいます。  この結果、理事が一名欠員となりますので、その補欠選任を行なわねばなりませんが、これは慣例に従い委員長より指名するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 小澤佐重喜

    小澤委員長 御異議がなければ、松本七郎君を理事に指命いたします。      ――――◇―――――
  5. 小澤佐重喜

    小澤委員長 日本国ヴィェトナム共和国との間の賠償協定締結について承認を求めるの件及び日本国ヴィエトナム共和国との間の借款に関する協定締結について承認を求めるの件を議題として、両件について参考人より意見を聴取いたします。  まず参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本委員会は、両件について十一月四日提案理由を聴取して以来、本日まで慎重に審議を進めて参ったのであります。本日は特に両件について、横山正幸君、中川武保君、福永英二君、グエン・リン・ニエップ君、横田喜三郎君、平野義太郎君の六参考人のおいでを願い、忌憚のない御意見を拝聴し、もって両件に対する審議に万全を期して参りたいと思います。本日は、御多忙のところ、本委員会のため御出席を下さいまして、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼を申し上げる次第であります。  なお、本日御出席グエン・リン・ニエップ君につきましては、藤田茂男君を通訳として御依頼申し上げておりますので、御了承を願います。また平野参考人は、都合により午後一時に出席予定でございますから、念のため申し上げます。なお、議事の順序について申し上げますと、まず参考人各位からおのおの御意見を開陳していただき、そのあとに委員から質疑がある予定でございます。なお、御意見の開陳は一人十五分程度でお願いをいたします。それでは順次参考人の御意見を承ります。  それでは参考人としてまず横山正幸君にお願いいたします。
  6. 横山正幸

    横山参考人 十五分間に、私が戦争前の仏印、今のベトナムについて直接に見聞いたしましたことを御参考までに申し上げ、また私が当時働いていました立場から、どういう気持で仕事をしておったかということもつけ加えさせていただきます。そしてそれが今の情勢の御判断に御参考になれば幸いだと存じます。  私が最初当時の仏印に参りましたのは、昭和十七年九月に資源調査団長を拝命いたしましたので、十月十八日に先発隊十数名とともにハノイに到着いたしました。ハノイは当時北部仏印首府でありまして、そこに仏印総督府もありましたので、そこにわれわれの調査団の本部を設けて仏印全土資源調査をいたしました。これは政府が、すでにほぼきまっておった戦争突入を前にして、どうしても南方における資源開発増産をはかって、わが軍力の維持に努めなければならない立場にありましたので、調査団の人数は御承知かと思いますが、百四十数名の日本が相当優秀な民間及び官界の技術家を中心として組織されて、これが農林資源その他十四班に分かれて行ったわけであります。  そこでまず私がおりましたときのことだけ申し上げますと、まる六カ月間現地調査をやり、一カ月間で報告をまとめて日本へ帰りまして、その帰った十八年の十月に、すぐその報告の結果に基づいて、できることは開発及び増産を実施するために、当時の仏印政庁交渉仕事を進めるために、私は当時の仏印特派大使府の経済顧問として行くようにというお話でありまして、その通りにいたしました。また時世がいろいろ変わり、その当時すでに戦争が始まっておりましたから、日本は破竹の勢いで南方に進出しましたが、そのときの軍事基地はもちろん仏印でありましたし、私もその当時非常に愉快な思いをしましたのは、サイゴン基地として、レパルスとか大きな戦闘艦をタイの先の湾で撃ち沈めた。あれらはすべてサイゴンから出発しておったわけでありますが、その戦争中のことでありまして、なお日本と十分に協力してもらうために、仏印において日本文化会館というものを作ることになりました。これは今ベトナムといっておりますけれども、その当時アンナンですね。アンナン人日本人と仲よくするというのですが、同時にフランス政庁総督府の協力も得なければなりませんから、やはりフランスとの文化も交換する、要するに三角関係をうまくやっていこうというのです。一方ではおどかしたり、すかしたり、なだめたり、激励したり、あらゆる仕事をやるために、一種の外郭団体のような形で文化会館を作りました。その文化会館長を私が兼任させられましたので、両方やっておりました。  それから二十年の三月に御承知明号事件、これは私がハノイにおりましたときに、軍から呼び出されてサイゴンまで持っていかれて、そこで初めて話を聞かされて、家族も何にも知らないうちに黙ってユエというところ、それは京都のような昔の首府ですが、ユエに行きまして、夜中の二時ごろに領事館に着いて、二階にじっと泊まり込んだ。そして翌一日待機して、晩に撃ち合いが始まりました。もちろん寝ているところへ方々からたまが当たったっり、大砲のたまが上を通っていくわけです。それで翌日になりまして、午後四時ごろにやっと済んだ。そうすると、私のところに副官が来まして、横山さん一つバオダイ皇帝のところに行って、なぜこういうことをやったかという説明をしてくれというわけで、説明をしました。つまり日本領土的野心があるのじゃないけれども、仏印軍が寝返りを打つと困るから、早くわが統帥のもとに服せと頼んだが、言うことを聞かないから実力を行使しただけで、アンナンの民衆及び政府に対しては、友だちづき合いでお互いに仲よくしましょうと言ったわけです。そうすると皇帝及びその当時の総理大臣は――これは非常に小さな政府でしたけれども、その方々と会いましたところが、日本軍がすでに実力をもってアンナン保護して下さるなら、フランスが今までのように実力をもってアンナン保護するという資格がなくなったんだから、あの保護条約というものは事実上消滅するでしょう。僕らはこれから宣言して独立します。よろしいか。と言うから、それはまことにけっこうです、こう言ったわけです。それで今までアンナン王国としてフランス保護国であったものが、フランス保護が自然に消滅したから、日本軍と仲よく手を握ってこれから独立国となる、昔のままに今度はベトナム帝国と称するというわけです。ベトナムというのはアンナンが、あたかも日本がやまとといわれたようなもので、それがベトナムに変わったわけです。それで私は柄にもなくベトナム帝国最高顧問というものになった。ところがその後、日本がわずか五カ月で没落しましたから、無条件降伏で八月十五日に、私は邯鄲夢の枕のごとく、捕虜になっちゃったわけです。そうして翌年の四月四日に同じくユエから、シナ軍の最後の軍団長の引き揚げと同時に引き揚げて参りました。  それでちょうど戦争直前からと、戦争中と、戦争後の八カ月、しかしその八カ月間はほとんどつんぼさじきでした。つまり軟禁されておりましたから……。しかしそのシナ司令官と非常に仲よくしておったものですから、その司令官は、大体蒋介石総統意向をけんけん服膺しておりまして、日本の軍閥のやったことは不都合である、おれもここに銃創を帯びているけれども、これは兵隊が義務を尽くしただけだ。おれは総統意向のごとく、日本の君らのような平腰の人たちとは今後協力していくべきだ。ちょっとここだけで申し上げるが、シナ勝ち日本は負けたというけれども、結局東洋民族が白人の前に下手にして負けたことになるのだ。今後はシナ日本とが仲よくして、そしてシナの六億の民と大きな領土資源と、日本技術資本組織力その他と合作をやって、だんだんとヨーロッパ、アメリカに対抗していかなければならない。だから君は名前捕虜だけれども、結局優遇してやるからというわけでありました。これは余談でありましたけれども、大へん私喜んで帰ってきたのですが、その間仲よくしておりましたけれども、ラジオも取り上げられてしまったし、全然外の様子がわからず、ことに十六度線で分割して、北の方シナ軍、南の方はイギリス軍日本軍を武装解除しましたので、北の方様子がわからなかった。私は大体南の方におったのです。  ただ戦争後の状況として私が知っておりますのは、これは昭和三十年、今から四年前の八月の中旬から翌年の五月の中旬まで約九カ月、全然個人資格で、これはちょっとおかしいのですが、東亜企業株式会社というものを便宜上組織しまして、その社長という肩書きで向こうへ飛び込んだわけです。それは何かと申しますと、仏印資源調査団長として習わぬ経を読んだというばかりでなく、私は夢中になって勉強しました。夜の夜中皆さん意見を聞いて筆記して、大学のノートのようなふうに、こんなにノートを書いたわけですから、鉱物資源も、森林資源も、農林資源も、水の資源も、いろいろ研究してたたき込んでいました。ことにその当時の印象といたしまして、日本のような小さい、資源の少ない領土に、今後八千万、九千万の人口が生きていくためには、どうしても東南ア地方に発展せざるを得ない。だから、大東亜共栄圏という思想は言葉が悪いし、やり方が非常に悪かったけれども、今後これを平腰で、つまり華僑ななんかが伸展していったように、日本が武器を捨てて、ほんとう技術資本とわれわれの組織力というものを用いて、これを開発していって仲よくしていくと、日本の品物、日本工業品を売り、向こうの生産する原料及び食糧等日本へ持ってくることもできるから、ぜひそういうことをやらなければならない。しかしただうっちゃっておくと、向こう人たちだけじゃ、戦争中の経験からいっても、とても資源開発増産もできない。そこでどうしても早くこれは手を握りたい。サンフランシスコ条約もできたのだし、行って様子を見てこようというわけで飛び込んだわけです。  そのときには、実は向こう社会党の招きに応じて行ったという格好なんです。もちろん社会党といったって、こちらの社会党の千分の一の薄弱な組織ですけれども、しかしこれはベルギーに自由労連とか何とかいうのがありましたが、そこのメンバーですよ。その連中が、来ないか、とにかく日本から農機具なんかも買いたい、自分の方の農業購買組合なんかとも話してやる。ところが行ってみると、その農業購買組合というものはできていなかった。これからこしらえるから、そうしたら日本と手を握って、農機具の非常にいいのを買ってやるから、こういうことで、少しこっちも甘く見過ぎたのですが、行ってみますと、賠償問題がそのときすでにあったわけです。  そうして向こうが二十億とか何とかとても大きなことを言っておるので、私はあまり大げさでこっけいだ、そんなばかなことを言うな。社会党ばかりじゃなく、実は向こう政府部内のゴ・ディンシェムは、そのときまだ大統領になっていない、首相であったのですが、総理大臣にも一面識がありますし、その弟さんであそこの黒幕をやっているゴ・ディン・ニューさん、あまり人名前をあげたくないですけれども、一応申し上げますと、そういう人たちもよく知っていますし、ニューさんの義弟のニュー・ゲン・チャウという人がおります。これは内務大臣、副総理みたいなことをやっていました。若い人でして、私が最初にいばって仏印におったころに、その人はまだ結婚したての若い子供だったのです。そういう連中がそのときみんな非常にえらくなっているのですから、それで私が行ったら非常に歓迎してくれましたから、この人たちなら言いたいこと言ってもいいと思いまして、賠償なんかもう請求するのをやめたらどうか。それは私個人――政府関係ない、これは私個人考えだ、なぜかというと、もうすでに隣のカンボジアも、それからラオスも投げたんだ。投げれば、日本という国はわれわれ初め非常に感情にもろい人間なんだから、賠償をやめるんならばこっちも一つ手伝おう。そう言うのは、僕の理想としては、やはりあなたの国が富んでくれないとこっちも困る、だからお互いに仲よくやるには早く賠償ぐらいやめちゃってやらぬか、こういうふうに話しました。賠償やめたらどのくらいなことを何をやってくれるんだと言いますから、それは、何しろしろうとなんだから僕にはわからない。けれどもそういう大体論をして聞かせたわけです。しかし、そのときに私はうんと値切ってやろう思いましたから、まあ二千五百万ドルぐらいなら出すかもしれないよと、こう言った。しかしそれじゃ何をやるのかと言いますから、私は資源調査をやって、南方資源というものを考えてみると、電源開発をやらなければとてもだめだ、それは北の方はどこにあり、南の方はどこにあるというようなとを私はすっかり知っているのですから、南の方ならばダニムというのが、これはもう世界の学者の通説なんですね。サイゴン地方をよくしようと思ったらダニムの建設をやらなきゃいかぬ。だから向こうも知っているんですから、あれをやったらいい。日本にはどんな人がいてやってくれるといったことから、それは久保田という人がいるよ、こう言った。これは私はなぜ知っているか、僕は久保田さんとちっとも縁故も何もないんだけれども、満韓国境の大きなダムを作ったという経験があるということを聞いていたし、それからアフガニスタン仕事を、私はちょっとアフガニスタン大臣に頼まれてやろうと思ったときにその話が出たこともあったりして、だから久保田さんといういい学者実行家がいるんだから、日本を信頼しなさいというような話をしたのです。それはまことにけっこうだがというような話をしていました。しかし賠償放棄の問題はそのままうやむやになりました。私はしかしそのためには賠償を放棄すると得だぞという議論を盛んにやったものです。しかし向こうの中でも今の私の知っておるニュー・ゲン・チャウ君とか、ゴ・ディン・ニューさんとか、大統領自身とか、それから当時チャン・バン・メオという人が経済大臣をやっていましたが、今のトウさんの前任者ですが、その人なんか大体賛成してくれて、主義上おもしろいな、考えてみようと言っておりましたのですけれども、やはり大臣の中には、閣僚の中にはいろいろなのがいますから、実はフランスと非常に仲のいいのもいるんですよ、それやこれやでそう簡単にいかぬ。それから世論に対しても工合が悪いし、まあいろいろな関係で欲が出まして、結局二千五百万ぽっちじゃしょうがない、なるほどそれは談判の仕方によっては五千万ドルくらい日本が出してくれるかもしれないというような考えを持ったかもしれませんけれども、しかし投げてしまうというと、ほんとうに約束をよくしておかないとあぶないと思ったんでしょう、それははなはだ残念ながらやめになったんです。  それで従って私の仕事も、いろいろやってみたいと思ったこともできずに帰ってきましたけれども、結局この私が戦争前に見たあの辺と、戦争後に見た現状と比べると、戦争影響でだいぶ疲労しちゃったんですね。はなはだ残念ながら、戦争中に私が手伝って資源開発増産をやったときよりも、もっとむずかしくなつちゃっているんですよ。それはやはりあの国土全体が、あの戦争影響で疲弊したのですね。これは日本軍が直接アンナン人と鉄砲を撃ち合ったのではないのですから、フィリピン、インドネシアに入り込んだのとは違って、一応は平和進駐で行っておったのですけれども、それが長引き、先ほど申し上げたように、レパルスその他をやるときにもあそこを使っておったり、南方進出基地としてはあそこは唯の拠点であり、また軍需品補給地でもあったのですから、そこで敵側にしてみれば、イギリスにしても、アメリカにしても、あそこにおける日本基地をやっつけようというので、どんどんたたきましたからどうにもしようがない。ですから鉄道は全部こわされ――私がこんなことを申し上げなくても、この間からたくさん資料をお持ちで皆さん承知通りですが、結局私の申し上げたいことは、私が行って、この賠償を放棄してまでも日本と提携してやらぬかと言ったのは、何しろ日本が生きていくために、東南アとどうしても経済協力をやっていくというのには、いよいよ放棄しなければ仕方がないから賠償をやったらいいでしょうと、こういうことを帰ってきて――向こう友達同士で、向こう政府の人と話したように、私帰ってきて、当時重光さんが外務大臣をしていましたから、重光さんに話すとかその他いろいろな方に実は内々にお話をした。やってみたけれども、ちょっと筋を引いてみたけれども、なかなかうまくいきそうにもない、やはり賠償を払うことを覚悟しないといけないかもしれない。しかし、できればなるだけ安く片づけて、しかし向こうが二十億ということだから、そう簡単にもいかないだろうけれども、まあ適当におやり下すったらどうか。そしてこれは結局北ベトナムは大体鉱物資源工業資源に富んでいますけれども、南の方は農林資源がおもなんですね。しかし農林資源でも、今はあまり日本でも要らなくなったのですけれども、その当時にしてみれば、塩業開発増産、その他あすこにはガラスの材料の珪砂があるとかいろいろおもしろいものもあったのですが、しかし日本工業が発達したために、珪砂も必ずしもあそこの珪砂を使わなくてもいいとか、いろいろあるようですから、まあいいようですけれども とにかくあそこの国がだんだんと経済的に裕福になれば、日本のものも買いますし、それから日本の必要とする物資、食料品等を売ってくれることになりますから便利だ。  それから今は南と北と不幸にして分かれておりますけれども、私の考えによりますと、そんなに長くあそこが分かれているわけにいかない。これは東西ドイツとか南北朝鮮と同じように、ある時期がくれば必ず統一されるに違いない。それが五年先であるか、十年先であるかは神ならぬ身のどなたにもわからないと思いますが、しかし国家生活の間、百年の計を考えますと、五年、十年の先はもう夢のごとく過ぎます。私が今お話している仏印事情も、その当時は非常に真剣にいろいろやっておったのが、もうすでに引き揚げてきてからも楽々と十年たってしまっています。そういうことを考えますと、今のうちに日本でできる部分をまずやっていく。それからできるようになったら北の方にも同じく日本が手をどんどん差し伸べていくということはけっこうだと思うのです。ですからできる部分から解決していただいて、日本経済協力、それは言葉を言いかえれば日本経済進出にもなりますし、まあけっこうなことじゃないかと思うわけです。  また御質問がありましたら……。五分をちょっと過ぎましたけれども、これで私の一応の御説明を終ります。
  7. 小澤佐重喜

    小澤委員長 ありがとうございました。  次に中川武保さんにお願いいたします。
  8. 中川武保

    中川参考人 私は日本業者立場といたしまして、日本ベトナム経済事情、特に日本ベトナム貿易に関しまして御報告申し上げたいと思います。  まず最初に、日本北ベトナム貿易経過から申し上げます。  日本北ベトナム貿易は、一九五六年の五月に第一回の貿易協定締結されました。自来二年間民間の手によりまして日本北ベトナムの間の貿易実績を重ねて参りましたのですが、その当時におきましては、日本政府といたしましては、ベトナム民主共和国との貿易を認めておらず、人の往来すらも許可されておりませんので、日本業者は非常な苦労と努力を重ねて、実績の上にこの貿易を進めて参ったのでございますが、一九五八年の六月に至りまして、日本政府ベトナム民主共和国との直接貿易を正式に許可される段階に立ち至りました。また、人の往来も正式に許可を受けるに至りまして、従来の非常に困難な貿易も、ようやく決済の面におきましても、香港あるいはロンドンの第三国の銀行経由決済が可能になりました。ここに日本北ベトナムの間の貿易の長期安定の基礎が確立されるというように私たち考えました。このように、一九五六年から五八年、ことしの初めに至ります貿易は、民間団体の血のにじむような努力と、また直接貿易に踏み切っていただきましたにつきましては、日本の通産省、外務省の方々のなみなみならぬ御援助というものに対しまして、日本の業界といたしまして、心から感謝しておる次第でございます。  以上のような日越貿易経過実績の積み重ねの上に、第三次の貿易協定締結ということで、ことしの二月、ベトナム側日本との貿易交渉が始められました。この当時におきましては、ベトナム国家計画の中の経済三カ年計画飛躍的発展に伴いまして、日本との貿易もまた飛躍的に発展するであろうという大きな期待と希望を持って交渉を始めました。ベトナム側といたしましても、日本との今回の貿易は四千三百万ドルの額に達するであろうという準備を貿易協定の中に織り込んで、交渉を進めたいという態度をとって参りました。  ところが、ことしの二月――その当時は二月ごろでございましたですが、二月、三月、交渉のさ中におきまして、植村氏の南ベトナム賠償に関する交渉、さらに五月に至りまして、藤山外相サイゴンにおいて南ベトナム賠償協定の調印を行なわれるに至りまして、がぜん私たち希望は、過去四年間の努力は、ここに踏みにじられて、無協定時代に突入いたしました。ベトナム側は、今までの努力の積み重ね、それは認めるけれども、日本政府のこうした態度に対しては、貿易をこれ以上継続することはできないということで、日本ベトナム貿易は断絶の状態になり、協定は結ばれることができませんでした。  しかしながら、日本業者といたしましては、過去四十年間引き続いて入って参りましたホンゲイの無煙炭、これは日本のカーバイド業界、石灰窒素業界、あるいはガス業界、練豆炭業界が必要欠くべからざる原料でございますので、これがなくては、急に他に市場を転換し、他のものをもって充てることができないというような、非常に困難な事態になりますので、業者といたしましては、再三ベトナム側交渉いたしました結果、ようやく、協定は結ばれませんでしたが、わずかな商品に限り、日本の業界の切なる要望によって、貿易を暫定的に継続していこうということになりまして、どうにか今貿易が続けられておる現状でございますけれども、何分協定が結ばれておりませんために、ベトナム側にとりましては、日本との貿易は国家の計画外になっておりまして、いわゆるスポット貿易になっておりますために、日本の業界にとって必要な品物が必要な時期に入ってこないという不安定な状況になっております。また日本から輸出するものも、契約はできておりましても、積み出し期限の延長あるいはキャンセルされるものがある等、この南ベトナム賠償協定の調印によりまして、非常に困難な状態に立ち至っておるのであります。まさにこの南ベトナム賠償というものによって、日本北ベトナム貿易にとりましては非常に重大な危機に当面しておるのであります。  次に根本的に日本ベトナム南北両方の経済事情貿易という点について申し上げますと、今申し上げましたように北の方は、たとえばかりに石炭の例をとって申し上げたのですが、日本工業に必要な資源が非常にたくさんあるということは、今横山先生もおっしゃいましたのですが、石炭、燐灰石、鉄鉱石、クローム、マンガン、錫鉱、そのほかトウモロコシ、ウルシ等がありまして、これらは日本工業にとって必要な重要な資源でございます。これがまた日本に輸出される条件が現在備わっておるのでございます。その反対にベトナム側日本の鋼材、非鉄、繊維、肥料、化学品、機械類等を要望しておりますので、これらも日本の業界にとっては非常に得意な品物でございまして、こうした日本側の要望とベトナム側の要望と相通ずるところに、日本北ベトナム貿易の発展性の条件が根本的に備わっておる、このように私たちは解釈しております。現在かりに日本政府北ベトナムと長期安定の貿易を保障してくれるならば、直ちに七千万ドル以上の取引は可能であるのでございます。  南ベトナムの方の経済状況を見まするに、南ベトナムの方には、かつてのフランス植民地のあとでありますフランスの在外資産が現在三千億フランございまして、三千人のフランス人が現在南ベトナムにおきまして――電気、水道、たばこ工場、ビール工場、アルコール工場、ゴム園等はほとんどフランスの在外資産によって運営されております。さらに一方、アメリカのICAの援助資金というものが一九五四年、要するにジュネーブの会議以後一九五八年までに十一億五千三百万ドル南ベトナムに投ぜられております。このように見ますと、南ベトナム経済は、フランスの在外資産とアメリカのICA資金によってまかなわれておりまして、日本の進出の余地がどこにあるかということを発見するのに非常に苦しい状態でございます。しかしながら現在の状況におきましては、このアメリカのICA資金というものによって、南ベトナムに輸出できる状況というものもまた無視し得ない状況でございますが、しかしながら一九五七年からアメリカの援助資金がだんだんと減少しております。またその質においても変わってきております。といいますのは、従来はアメリカの援助資金によって、南ベトナムにおいては消費物資をおもに購入しておりましたが、最近に至りましては建設資材、機械類等の購入になり、日本商品を購入しておったものが、アメリカの商品をICA資金によって南ベトナムに送り込むというような状況に変わってきております。これはアメリカ貿易の赤字が四十億ドルある、この四十億ドルの赤字を南ベトナムに対するICAの資金の方に振り向けて穴埋めにしようとする一つの現われであるのであります。日本に対してもICAの援助がだんだんと減ってきておりますが、ベトナムに対しても減ってきております。また送り込まれておるものが、アメリカの商品を南ベトナムに送り込んでおるというような状況になっております。ここにICA資金というものに対するところの量的、質的変化というものに対しまして、私たち業界といたしましては、特に注意を払っておる次第でございます。さらにそればかりではなく、南ベトナムに送り込まれるICAの資金というものが、南ベトナムにあります軍隊と警察三十万に対して約五〇%以上に使われておる。あと残ったものがフランスアメリカの商品買い入れに使われて、日本の買い入れはほとんど少ない量になっておるのでございます。さらにこうした南ベトナムにおきますアメリカの軍事政策の結果、南ベトナムの従来の発展しておりました農業の生産がだんだん減ってくる。工業も減少の一途をたどる、中には倒産するものも現在でてきております。そういう状況によりまして、国民の所得も減っていく、購買力が減少しておるという実態の上に、現在南ベトナムには各国からの輸入の在庫品が非常に余っておりまして、過剰を来たしておるという様相を呈しまして、輸入を停止しなければならないという状態に立ち至っておるのであります。南ベトナム自体といたしましては、ここに自給自足の体制を整えなくてはならないという状況に変化しております。このような南ベトナム経済状況でありまして、根本は米とゴム、ゴムも多くはフランスの資産に押えられておるのですが、米とゴム、今言いました林産物というもの以外にはないのでありますが、根本的にはフランスアメリカ経済が根を張っておるために、日本の進出の余地がないという点におきまして、この事実は、南ベトナム賠償によりまして、業界が期待を持っておりました南ベトナムに対するところの貿易の最恵国待遇、通商条約によって貿易の安定化をはかろうという日本の申し出を断わられた、受け入れられなかったという事実を見ましても、賠償を支払ってはたして貿易が発展するかどうかということは、この最恵国待遇の通商条約が断わられたという事実と、そしてフランスアメリカ経済の勢力の中に、日本が入り込む余地がないということを物語っておるものと思っております。  しかし、私たち業者といたしましては、北が大切とかあるいは南が大切とか、そういうことは全然考えておりません。現在ベトナムが二つに分かれておるという状況におきまして、この南ベトナムに対しての賠償を払うということが、日本の業界にとっても、東南アジアに対する経済の進出においても、悪い結果を及ぼすということがわかっておるのにもかかわらず、あわててなぜ今南ベトナムに対して賠償を払わなくてはならないかという点、この点に大きな不満を持っておるのであります。どうして一定のある時期まで待てないのだろうか。さらにいま一歩、この南ベトナム賠償ベトナム日本との貿易にとどまらず、東南アジアに対してどういうような影響を与えるであろうかという点を非常に心配しております。自民党の石橋先生あるいは勝間田先生が中国に参られまして、そうして中国との関係を好転し、貿易の再開ということに対して、業界は非常に大きな期待を持っております。これに対して非常に感謝しておるのでございますが、この南ベトナム賠償によりまして、また中国との関係も一つ困難な条件がまた加わるのではないかということを非常に心配しております。このように考えますとき、日本の業界といたしまして、中国との関係がこれによってさらに一つの困難な条件が加わり、南ベトナムに対しては貿易の発展性がなく、北に対しては貿易が完全に中断されるであろう。さらにアメリカのICA資金も、日本に対しても、ベトナムに対しても、だんだんと減少していくときに、日本の業界としてはどうしたらよいのか。なぜこういうような時期にあわてて岸さんが賠償を払わねばならぬのか、何とかして時期を待っていただきたい、何とか延期していただきたいというのが業界の切なる要望でございます。(拍手)
  9. 小澤佐重喜

    小澤委員長 御苦労さまでした。なお、ただいまの参考人中川さんは日越貿易会専務理事をやられておる方でありますから申し添えておきます。  次に福永英二さんにお願いいたします。福永英三さんは、NHK解説員室非常勤嘱託でございます。この点も申し添えておきます。
  10. 福永英二

    福永参考人 私はインドシナ、今のベトナムに参りましたのは昭和十七年の一月から昭和十七年の十二月に第一回に参りまして、その後昭和十九年の十一月から終戦翌年の六月まで朝日新聞の特派員としまして、サイゴンを中心にハノイと、両地区にわたって報道取材活動をしておりました。この約三年しばらくの間の、私が当時インドシナにおりまして、新聞記者として見聞しましたことをかいつまんで御説明申し上げます。  御承知のように、南ベトナム、つまり今のコーチシナ日本軍が進駐しましたのは一九四一年の七月でありますが、それから約一年前の一九四〇年の九月に、日本軍は北に進駐したのであります。そうしまして、この時期から一九四五年の八月の終戦まで、文字通りインドシナ、現在のベトナム南北は、日本軍南方アジア作戦の軍事基地としまして、そしてまた重大な兵站基地としまして確保されていたのであります。その間、最も私が印象深く感じましたことは、この約五年間における現地人、ベトナム人の対日友好感情というものは、終始変わらなかったのであります。終戦後翌年の四月、五月、六月と、それぞれ南北から日本一般市民並びに軍は引き揚げて参りましたけれども、これがきわめて円満に円滑に参りましたのも、ベトナム人の対日感情というものが非常に友好的で、最後までその感情を消していなかったということであります。これは今日もほとんど変わらないことだと思います。御承知のように、先ほど横山正幸氏が申されましたが、明号作戦というものが四十四年の三月九日に始まりました。これは一言に申しますと、全ベトナムフランスの勢力を日本軍が一掃するために企てた作戦でありまして、これは彼我の戦闘は大したことなく、日本軍の作戦目的は達成されました。この明号作戦で、日本軍は全ベトナムの公も私も一切の重要施設、産業施設を接収したのであります。たとえばサイゴンにおきましても、大きな製氷会社、あるいはたばこ会社とか、製材工場とか、一切のこういう施設は日本軍の管理下に置かれまして、これが民間の商社の経営にまかされておったのであります。  また、行政面といたしますと、フランスの官吏、行政官は一掃されまして、日本の官吏がうしろだてになりまして、一応名目的に現地人が全ベトナムの行政官に任命されておりました。しかし、実権は日本の官吏が握っておりまして、行政は、たとえば非常に末端までも日本の官吏が進出しまして、市庁の課長、部長クラスまでも日本の官吏が掌握しまして、そして終戦まで、わずかの間でしたが行政をやっておりました。そういうようにやって参りましたけれども、一応フランスの男子は、これを日本軍が収容しまして、そうして自由活動を与えない。婦女子だけを一カ所に集めまして、終戦までやっておりました。しかしこういうような三月中旬から終戦までのわずかな期間ではありましたが、軍の方としましては、兵力補給の意味から、兵補というような形で、一般ベトナム青年から多数の青年を徴集しまして、これは志願組織にしておりましたけれども、非常に日本の軍事活動、基地整備の活動に協力しておりました。  次に被害の状況を申し上げますが、明号作戦を境としまして、米空軍の爆撃というものは連日定期便のごとくインドシナの全土に集中しておったのでありまして、この目標はもっぱら橋梁とか、港湾施設、鉄道というものに集中されておりました。そのために、たまたまこの被害が市中の一般市民にも非常に甚大なものがありました。たとえば、サイゴンの、われわれ朝日の支局の数軒隣にも直撃弾が落ちまして、あるいは、われわれの支局の前の公園にも被害がありましたし、そういうようなときには、多数の一般現地人から死傷を出しておりました。また、当時のサイゴン日本人会長である三井物産の支店長もその被害者の一人であります。  なお、この四五年の、終戦の年の北ベトナムのトンキン地区の飢饉というか、ベトナム側では、これを百万あるいは二百万というような非常な数字を出しておりますが、当時私は、明号作戦の始まります一月前の二月の初めにサイゴンから、ハノイに参りましたが、そのときは、毎日餓死する者がハノイ市だけで平均五人から十人ということを仲間の連中が言っておりました。毎朝餓死の死者が出ておりました。それが約四カ月か五カ月続いたと思います。大体この飢饉の原因は、その前の年の暮れからの冷害と水害が最大原因でありまして、そのために農村の人々が食べものをあさりまして都会へみんな集中していったのでありまして、それを救済する手段がなかったのであります。当時の爆撃によりまして、ユエの南の方のツーロンということろからなお南にかけて約七、八十キロにわたって鉄道が破壊されておりますために、南の米を北に持っていくことができませんでした。これはまた海路でも、ジャンクを使いまして北の方へ米の輸送を計画しておりましたけれども、これも潜水艦の襲撃にあい、あるいは空襲にあいまして思うようにならなかったのであります。そういうような関係から、当時北における餓死というものは相当数になっておりました。しかし、その数字は確かでございません。われわれからしますと、おそらく十万前後のものじゃないかというようなことを当時言っておりました。私が見ましたこういう飢餓のり状態は、ハノイにプチイ・ラック、グラン・ラックという湖水がございますが、この湖水の中に現地人が入っておりますから、見ますと、この湖水のモをとっておりまして、みんなそのモを煮て、ある者はそれにネズミなんかを入れて食べておりました。こういうのを見聞したことがございます。  御存じのようにコーチシナの南部の方は米とゴムが中心でございますが、当時年間百七十万トンの米を南は出しておりました。なおゴムと米が輸出の大宗でありまして、南部の方では――南部のみならずインドシナ連中はこれで食っていたのでありますが、これが結局日本が進駐して以後は、貿易が中断されまして、全般的にインドシナ人の生活は非常に逼迫しておることがわかりました。もう一つは、例の五百ピアストルの紙幣発行でありますが、これも当時南ベトナムサイゴンには日本の寺内総司令官のもとに南方総司令部がありまして、南方総軍の本拠がありましたために、日本車はコーチシナ全土にわたりまして、家畜類あるいは米とか、そういうものの買付をこの五百ピアストル紙幣でやっておりまして、これが終戦後一挙に不換紙幣になりました。このときの現地人の状態というものをれわれわつぶさに見まして、かなり同情したものであります。  人的被害と申しますと、終戦後トンキン地区の方では、日本協力した現地人が、共産党の勢力によってコラボラトールとして迫害を受けておりました。南の方は、この日本とのコラボラトールは、フランス官憲の手によって非常に迫害を受けておりました。当時私がいました川から海岸にかけての木造船には――当時南方総軍は非常に必死になりまして、木造船の建造を現地人にやらしておりました。これは終戦の近づくに従いまして、われわれが南方総軍に参りますと、木造船をできるだけ早く作って、それに乗って広西から広東の沿岸沿いに軍隊を移動するという計画を立てておりまして、そのために木造船の造船の努力は、非常に激しいものでありました。これに向かってアメリカ空軍は集中爆撃しておりました。そのためにまた現地人の傷害も相当出たとわれわれは見ております。またこの木造船を作りましたために、かなり無計画に山林の伐採をやったということは、われわれは自動車なんかでよくそれを見ました。そういうような意味で、私は私の見聞しました当時の日本占領下におけるインドシナ人の大体の被害状況というものを申し上げます。  ただ、そういうような被害を与えましても、ベトナム人がきわめてわれわれに友好的な感情を、最後まで持ってくれたということを申し上げます。
  11. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次にグエン・リン・ニエップ君にお願いいたします。ニエップ君は著述業をやっておられますから申し添えておきます。
  12. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳つき) 今日私がこちらに参り、委員長及び委員会方々の前で意見を述べられるということは、非常に光栄と思っております。ベトナム人の意見を述べさしていただきます。  私はこれから十五分与えられているそうでございますけれども、その前にちょっと申し述べたいことがございます。昨晩こちらに意見を述べるように頼まれまして、いろいろと考えましたけれども、非常に一つ不安に思っていることがございます。それは国内のこの問題に対する無関心及び誤解等でございます。  この際、委員長さんにお伺いしたいのでございますけれども、今ニエップさんがいろいろと述べますことが、今後誤解、間違って伝えられ、また彼を攻撃する材料と、彼が国内問題に干渉したというふうにとられはしないかということであります。(岡田委員「通訳はもっと高い声で正確に言って下さい。われわれだって英語はわかるんだから、直訳でいいから正確に言ってもらいたい。文章をもう少し短く言って、短く通訳して下さい。」と呼ぶ)  これから述べますことが今後内政問題に干渉――彼としては内政問題に干渉するつもりは全然ございませんけれども、それがそういうふうにとられないようにしていただきたい。
  13. 小澤佐重喜

    小澤委員長 それはもちろんであります。御心配なくどうぞありのままをお話下さい。
  14. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳つき) これから私はベトナム人としてこの重大な問題に関して、ベトナム人全体の考えを述べたいと思います。  委員長さん、委員会皆さん方、ベトナム人はこのベトナム戦争賠償問題に特に重大な関心を持っております。さらにこの問題が単に国内的なものでなく、国際的な規模の紛争に発展してきましたので、ベトナム人の関心はますます深くなってきました。私個人としましては、道義的、精神的な傷というものは、物質的な方法によって治療しようとする考え方に同調しかねるものでありますから、この問題は最初から取り上げられるべきものでなかったと信じております。  しかし問題がこの委員会で取り上げられました以上は、また私がこちらに呼ばれて意見を述べます以上は、日本政府、特に通産省が、報道によりますと、きのう賠償金の一部が、ベトナム人がベトナム人を殺すための銃及び弾薬を実際に生産している工場を建てるために使用されたことを認めましたから、またダニム計画は擬装された大規模な戦略計画の一部であることが知られておりますから、また特にベトナム自体は現在一致した権威ある意見を述べる立場にないという基本的な理由のために、この問題は事情が変わるまで延期されるべきだというのが私のかたい信念であります。言いかえますと、情勢が安定し、ベトナムが再び一つになるまで延期されるべきだと思います。  その方が関係しているすべてのものにとって有利であります。直接の被害者、戦争のことを忘れ、許そうとしているベトナム人全部のために、特にそうであります。またそれは伝統的な日本ベトナム親善関係のためにもなります。さらにこれはアジアばかりでなく、世界至るところの平和一般に寄与するものだと私は思います。どうもありがとうございました。  私は歴史の学生としまして、いかなる質問にも、自分のできる限り答えますから……。(拍手)
  15. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に横田喜三郎君にお願いをいたします。横田君は御承知通り東京大学名誉教授をしていらっしゃいます。
  16. 横田喜三郎

    ○横田参考人 私は今度のベトナム賠償の問題を、主として国際法の立場から申し上げたいと思います。私の専攻上それが当然でありますし、主として国際法の立場から、そうして私自身国際法学者としての立場から申し上げたいと思います。  この問題につきましてまず第一に考えなければならないことは、日本がサンフランシスコ講和条約によりまして、すみやかに賠償問題を解決しなければならないという義務を負っておることであります。御承知通りサンフランシスコ講和条約第十四条によりまして、日本は損害を与えた連合国に対して賠償を支払う義務がある、支払うべきことがまず規定されまして、そうして損害を与えられた連合国が希望するときは、すみやかに交渉を開始するものとするという規定があるわけであります。この結果日本が損害を与えた連合国には賠償する義務がある。その連合国が希望する場合にはすみやかに交渉を開始する義務がある。交渉を開始しますれば、もちろん誠意をもってそれが妥結するように努力することは信義の問題であります。従って日本としましては、損害を受けた連合国が要求するならばすみやかに交渉に入り、誠意をもって妥結に到達すべき義務があるわけであります。講和条約ができましてからでもすでに七年半、戦争が済んでからは十四年半たっているのでありますから、できるだけ早く賠償問題を解決することは日本の義務であり、国際信義の問題と思うのであります。しかも特に申し上げたいことは、この国際義務と国際信義は、単にベトナム国だけに対する問題ではないのであります。この講和条約には五十ヵ国前後の国が入っておるわけで、国全体に対して日本はこういう義務を負ったわけであります。ベトナムとの具体的な交渉ベトナムに対するものでありますが、すべての損害を受けた連合国が要求するならば交渉にすみやかに入る。そして信義をもって妥結するということは、全連合国に対して負う義務であります。従って日本としましては、一般的にいえば講和条約を結んだ五十ヵ国前後の国に対して、またベトナム賠償の具体的な問題につきましてはベトナムに対してすみやかに賠償交渉に入り、誠意をもって妥結するという国際法上の義務と国際信義を持っておるわけであります。この点から見まして、私はすみやかにこの問題を解決すべきことは当然であると思うのであります。ただこれにつきまして、御承知通り事実関係が法律関係と食い違っておる。つまりベトナムが南北二つに分かれておるという事態からくる非常な困難があるということは、言うまでもないのであります。この事実関係が法律関係と非常に食い違っておりますので、こういう問題を解決するにあたって、幾らかのすっきりしない点、割り切れない点があることはやむを得ないと思うのであります。もし理想的な方法を考えれば、もちろんベトナムが統一した後に統一したときの政府に対して賠償交渉を行ない、賠償を支払うのが理想的な方法であり、最善な方法であることは、だれも疑いがないと思うのであります。しかしそういう理想的な最善の方法は事実において不可能である。南北が統一するということは、おそらく何人もそれを予言することはできないし、近い将来においても私の見るところではまず不可能だと思うのであります。これは南北ベトナムの問題だけならば、あるいはやさしいかもしれませんが、しかしその原因は非常に深い。いわゆる東西対立からきておりまして、ベトナムの統一が困難なことは、ちょうどドイツの統一が困難なこと、朝鮮の統一が困難なことと同じだと思います。ですから、ベトナムの統一まで待てということは、ドイツの統一ができるまで待てということと同じで、これがそう早急にできるとはとうてい考えられない。しかも先ほど申しましたように、日本としましては講和条約によって賠償交渉を直ちに行なうべき――英語ではプロンプトリーという言葉が使ってありますが、即時に行なうべき義務があり、そして交渉を開始したならば、誠意を持って妥結するように努力する信義の問題がありますから、なおこの後何年したら統一ができるかわからない日まで延ばすということは、この講和条約条約上の義務や国際信義に反するものと私は思うのであります。従って最善の理想的な方法がとれないとすれば次善の方策を講ずるよりほかにない。そしてその次善の方策は、日本として当然行なうべき義務を国際法上持っていると思うのであります。そこで次善の方法として、今の賠償協定のことが具体的に問題になるわけでありますが、その次善の方法にしましても、南ベトナム交渉して賠償を払うのだから、南ベトナムの分だけをやったらいいではないかという議論もあるだろうと思います。しかし御承知通りベトナムは事実上二つに分かれておりますけれども、本質上、あるいは法律上これは一つの国家と考えられているのであります。ベトナム人たちも、南北に分かれておりますけれども、決して二つの国になることを望んではいないので、北ベトナム南ベトナムもその人民としては一つの国家であることを切望していると考えます。今ベトナムの方も統一することを切望していると言われましたが、従ってベトナム国民の意思は、国家は一つであるという考え方に立っている。政府自身としましても、現在十七度線を境にして南北に分かれていますけれども、これら二つの政府は、それぞれ半分だけの政府であるという建前に立っているのではないのであります。南ベトナムベトナム共和国は南のベトナムだけの政府だとはみずから言っていないし、そういうふうに見られることを拒否して、そうしてベトナム全体の政府であるという立場をとっているわけであります。北ベトナムベトナム人民共和国も同じで、これは北ベトナムだけの政府だという立場はとらないし、また他のものがそういう態度をとることを是認しない、拒否しているわけであります。これによりましても、政府としましても一つの国家という建前をとり、そうして自分がその全体の代表者であるという建前をとっているのであります。  さらに第三に国際的に見ましても、ベトナムは一つの国家として観念されている。御承知の一九五四年のジュネーブ協定で、十七度線をもって軍事的境界線として休戦を行なうということになりましたが、これはあくまで軍事的境界線であり、かつ暫定的なものである。ベトナム協定にはっきりとこの軍事的境界線はそのいかなる点においても領土的もしくは政治的境界線と解釈することを許さない暫定的なものであると書いてあります。つまり政治的な境界線とみなさないということは、二つの政治的な単位、つまり二つの国家とみなさない、領土的境界線とみなさないということも、領土が二つで二つの国家であるという解釈は許さない。つまり国際的に見ましても、ベトナムは一つの国家として取り扱うというのがジュネーブ協定に参加したすべての国、従ってまた他の諸国の態度でもあるのであります。こういうふうにしてベトナム国民も政府も、国際関係におきましても、すべて一つの国として取り扱っているのでありますから、一つの国として他の国としても取り扱わざるを得ないのであります。実際現在南ベトナムの共和国を承認している国は四十九ヵ国、北ベトナムベトナム人民共和国を承認している国は十二万国と言われますが、いずれにしましても……。(「おかしいぞ、その数字は違うぞ」と呼ぶ者あり)この数字は、あるいは多少違うかもしれませんが、しかし大体そういう数字であることは疑いを入れない。いずれにしましても、これらの国は、いずれもどちらかの政府承認し、その政府ベトナム全体の政府であるという立場をとっているのであります。ですからベトナム共和国を承認している国は、そのベトナム共和国政府ベトナム全体の政府であると見て、そう取り扱って、そういう立場交渉している。北ベトナム承認している国は共産主義諸国でありますが、これらも北ベトナムの人民共和国政府をもってベトナム全体の政府であると見て取り扱っている。どこの国も半分としては取り扱っていないのであります。そうしますと現在の国際通念と申しますか、そういうものから見てベトナムは一つの国として取り扱う。それではどちらを取り扱うかということは、それぞれの国の立場からこちらが適当であると見てそうするのであります。つまり現在五十ヵ国前後が南を、十ヵ国前後が北をということになりますと、国際社会の全般的な通念としては南を正統政府として見られているということが言えると思うのであります。それでは日本はどういう立場をとっているかという問題でありますが、これはもう言うまでもなくサンフランシスコ講和条約を――南ベトナムの現在の共和国の前の政府でありますが、それが合法的に憲法改正によって今の政府ができたわけでありますが、これには政府継承あるいは国家継承のことからいって結局同一、法的には同じに見ていいと思うのでありますが、その政府がサンフランシスコ講和条約を批准し、これを正当に寄託しまして、それによって一九五二年六月に日本南ベトナム共和国との間に正常の国家関係、国交関係と申しますか、国家間の関係が成立したわけであります。そうしてその翌年に、日本は在外事務所をサイゴンに再開し、次いで公使館を設け、外交関係ベトナム共和国政府をもってベトナム全体の代表者として承認し、この国と国交関係を維持し、外交関係を維持しておるのであります。そうしますれば日本としましては、ベトナム共和国政府をもってベトナム全体を正当に代表する政府として認めているわけであります。これは講和条約関係からいって、もちろん正当と認められると思うのであります。それから国際社会全体から見ましても、さっき申しましたように、五十カ国と十カ国前後とがそれぞれ一方を承認しておるところから見ますと、多数が承認している南ベトナム政府が、まず国際通念として正統政府と認められる。従って日本南ベトナム政府ベトナム全体の政府として承認し、これと外交関係を保っているということは、法律的に見て十分正当なものと考えるわけであります。そうだとしますと、日本が講和条約に基づいて賠償問題をすみやかに交渉し、妥結する義務を負っているから、この義務を果たす相手としては当然ベトナム共和国政府を相手にすべきでありまして、その結果まとまった賠償協定は、国際法上から見ますれば正当に筋が通っていると思うのであります。  なお、最後に、この協定によってベトナム全体に対する賠償が完了するかどうかという問題であります。御承知通り、もし将来ベトナムが統一して統一政府ができた場合に、日本はさらに賠償を支払う必要はないかという問題でありますが、純粋に法律的に見ますれば、現在のベトナム共和国政府ベトナム全体を代表する政府でありますから、この政府の負った国際法上の権利義務は、ベトナム全体としての国家の権利義務であります。そうしますれば、その後にできたベトナム政府は、当然その権利義務を承継すべき筋合いにある。国際法上、これは政府の変更からくる当然の事柄であります。従って純粋の法律上から見ますれば、後にできるベトナム政府は、今の政府の負った権利義務を承継すべき関係にあって、その今の政府が得た権利は後の政府が自分の権利とし、義務はまたもとの政府のものを自分の義務とするのでありますから、当然現在の賠償協定は、後の政府に対しても効力がある。従って再びこの問題を持ち出されるということは、純粋の法律上からいえばあり得ないわけであります。ただ、事実上の問題としましては、将来統一された場合にできる政府の性格によって、問題がおのずから異なってくると思うのであります。もし現在の南ベトナム政府あるいはベトナム共和国が北ベトナムをどういう形でかとにかく吸収するような形で統一が行なわれれば、これはもちろん事実上も何ら問題は起こらないと思います。これに反して北ベトナム南ベトナムを吸収するような形で統一ができる、あるいは両方がちょうど同じような割合で政府ができるということになりますと、日本との賠償問題について問題が起こり得る。必ず起こるかどうかわかりませんが、北ベトナムも、聞くところによりますれば、賠償を放棄したわけではないが留保しているというので、放棄するとかしないとか、留保するとかいうことで、積極的に賠償を要求するとは言っていませんが、この問題を留保しているわけでありますから、従って、そういう北ベトナム政府が重きをなしておるような政府があとでできれば、あるいは賠償問題について、前の賠償協定を否認するという形で問題が起こらないとは限らないと思うのであります。それではそういう政府ができた場合、日本としては当然その政府を新しく承認するかどうかという問題が起こってくると思います。つまり今の南ベトナム政府の憲法に基づいて、合法的に政府がかわった場合は、承認という問題は起こらない。ちょうど鳩山内閣が石橋内閣にかわり、それから岸内閣にかわった場合に承認という問題が起こらないと同じであります。しかしその憲法に基づいて合法的でなしに、あるいは革命的な方法、あるいは新しく南北統一によって別な憲法ができて、別な政府ができるということになりますと、承認の問題が起こるわけであります。そのときに日本としては当然この問題を――もし相手方が賠償を再び要求するような態度をとれば、そのときは当然この問題が話し合いになると思います。そしてそこで交渉が行なわれて、日本としましてはベトナム全体に対する賠償という形で支払ったから、もう支払う義務はないと主張するだろうと思います。あるいは相手はそうじゃないといって主張するかもしれない。そうしますれば、そこで交渉によって話し合いが行なわれて、話し合いができればこの問題はない、両方の合意で問題が解決すれば問題はないと思います。しかし相手があくまで賠償を再び要求するようなことになりまして、結局話し合いでは片がつかないとなると、まず他に残る方法としますれば、一番適切な方法は、国際司法裁判所に訴えるという行き方だろうと思います。日本としましては、去年国際司法裁判所の選択条項も受諾したわけでありまして、法律的な争い、法律的な紛争については外交交渉で解決がつかなければ裁判にかけるというきわめて公正な外交方針をとっておるわけでありますから、そこでもし外交交渉で片がつかなければ、裁判所に訴えようということになるだろうと思います。もっともこれはベトナムが承諾しなければだめであります。しかし、ベトナムが裁判所に訴えれば負けると考えて、どこまでも裁判を拒否すれば、日本はいつでも裁判に応ずるという公正な態度を世界に示すことによって日本立場は世界から是認されるだろうと思います。そこで裁判に訴えた場合にどうなるか、これはもちろん裁判所の判定を待たなければわかりませんが、しかし裁判所は国際法に従って法律的に問題を解決するのでありますから、今のように、日本が、法律的には確かにベトナム全体の代表者として正統な政府交渉をして賠償問題を解決したのでありますから、日本の主張は当然裁判所では認められると、私は国際法学者として確信を持っております。  こういうふうに見てみますと、ベトナムの問題を今すみやかに解決する義務が日本としてはあり、そうして法律上からいえば、それを解決するに十分筋が通り、これで将来に非常な禍根を残すことはないと思います。もちろんさっきから申しますように、これはあくまで法律的に問題を見た場合で、事実上から見ますれば、確かに南北二つに分かれておりますから、その点から幾らか割り切れないものがあることは前に申した通りであります。しかしそれを割り切ろうとしておれば、ほとんど半永久に賠償問題は解決しない。そうして日本サンフランシスコ条約の義務を誠実に実行しない、国際信義にも反するということになりますから、私は次善の方策ではあるが、現在これを解決することが、日本としては必要であるというふうに考えるわけであります。(発言する者あり)  これが私の意見であり、結論でありますから、これで一応話を終わります。
  17. 小澤佐重喜

    小澤委員長 この際午後一時まで休憩いたします。  御承知通り参考人の方に御迷惑をかけてはいけませんから、午後一時の時間はどうぞお守りを願いたいと思います。     午後零時二十九分休憩      ――――◇―――――     午後一時十七分開議
  18. 小澤佐重喜

    小澤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  理事補欠選任についてお諮りいたします。理事西村榮一君が去る十八日委員辞任いたしました結果、理事が一名欠員となっております。この際、理事補欠選任を行ないたいと存じますが、慣例によりまして委員長より指名するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  19. 小澤佐重喜

    小澤委員長 御異議がないようでありますから、さよう決定いたします。  委員長理事堤ツルヨ君を指名いたします。      ――――◇―――――
  20. 小澤佐重喜

    小澤委員長 ただいま平野参考人がお見えになっております。平野さんに申し上げますが、本日は御多忙のところ本委員会のため御出席下さいましてありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  まず、平野義太郎参考人がお見えになりましたので、これより平野参考人から両件について御意見を承りたいと存じます。なお平野参考人は、日本学術会議会員及び国際民主法律家協会副会長であることを申し添えておきます。どうぞ。
  21. 平野義太郎

    平野参考人 ただいま委員長から私の肩書きについて報告していただきましたが、国際民主法律家協会というのはまだ耳に熟しておられませんでしょうから、ちょっと一言だけつけ加えますと、ベルギーに本部がありまして、会長はクリットというイギリスの王室裁判所の顧問で、戦後四六年に初めて成立いたしましたが、人権を守り、ことに戦争以後は平和共存すなわち東と西とがけんかするようでなく、しないようにする、法律家の役割としてそういう役割もあるだろうというので、自来ずっと今日まで東と西との法律家を集めて組織されているものでございますが、その副会長をしております。  もう一つは、私はきょうは法律家としてここに出席しておりますが、ただ、平和委員会理事長といたしましては、五四年のストックホルムの会議のときに、日本政府ベトナムに在留する日本人についてはまだ何らの交渉をしていただいておりませんでしたが、七十三名の在ベトナム日本人が御帰国になれるように協定を結びまして、今平和委員会日本ヴェトナム友好協会、日本赤十字の三団体が集まって、第一回七十数名、その次九名、婦人の方も含めまして第三回というふうに、今日まで北と普通いわれておりますベトナム民主共和国から日本人をお返しすることにも関係をしてきたものであるということを申し上げます。  それで、きょうはお尋ねの賠償に関する法律問題でございますが、大きく二つに分けられると思います。一つは、やはりサンフランシスコ会議サンフランシスコ条約が調印されたときにおけるバオダイ政権のステータス、国内法上及び国際法上のステータスの問題、一九五四年のジュネーブ協定成立の前後にわたる法律関係、これが二つ大きい問題だろうと思いますので、それに集中いたしまして申し上げてみたいと思います。五月十三日日本政府南ベトナム当局を全ベトナムの代表ある権限あるものとして、日本から南ベトナムに対する賠償をもって全ベトナムに対する賠償とみなすという表明をされたことについて、特に今の二つのサンフランシスコ会議とジュネーブ会議協定ということに関連して申し上げるわけであります。  その趣旨を最初に申し上げますと、サンフランシスコ会議のときにおきますいわゆるバオダイ政権が、当時、後に述べますいろいろな理由によって調印をする資格と権限を欠いておったということにおいて、サンラランシスコ会議の調印ということが違法であり、かつ無効である。第二の方は、また後に述べますジュネーブ協定の内容及び精神に違反をする、統一を目ざしたファイナル・デクラレーションというものを非常に重要視するという場合でございます。  第一の問題の方は、もうすでに御承知通りだと思いますけれども、一九四五年の九月二日、われわれの方がミズリー号の調印をやっておりますその日にホー・チミン主席を中心として臨時政府ができ、かつ独立の宣言をいたしまして、民主共和国という形で打ち出して参りました。しかもそれが翌年の四六年の一月一日、特に一月六日に総選挙をやりまして、民主的な手続によって南北一緒に南の方からも代議員が選ばれて、そしてここに国会が成立し、憲法が制定されて、従ってベトナム民主共和国はそういう憲法に従い、国会に基づいて正式に全領土を統一したものとしてすでに発足しておった事実がある。この点は重要であると思う。なぜかというと、朝鮮の場合とやや違います。朝鮮の場合は、八月十五日の後に、九月の八日にロッジ中将が朝鮮に飛びます間だけ、わずかの半カ月だけは日本の敗戦後に全然いなくなったわけであります。しかし、もう九月の八日にロッジ中将が沖縄から飛びまして、半カ月でしたけれども、この場合にはずっとそれ以来厳然たる存在をもって両南北、中部ベトナムを通じてベトナム民主共和国というものが成立してきた。四九年以後またバオダイ政権の問題がありますけれども、ともかくそれだけでももう四年間の厳然たる存在をもって成立してきた。これは今の朝鮮とも違う点でございます。従いまして、今のを要約して申しますと、国内法的に見ても、国会の選挙をやり、南北統一の選挙をやりまして、南からも代表者が出、そしてバオダイ氏自身も迎えられてこの政府の顧問になった。そしてあらゆる政党が代表されておったような形でのベトナム民主共和国になった、こういう点が第一であります。  その後ハノイやフォンテンブローの協定のことは、もうここで時間がないから申し上げる必要はなかろうと思います。ともかくホー・チミンはベトナム民主共和国の主席としてフォンテンブローのときにも主席として待遇されてフランスに行きまして、フランスの連合内の自由国家という形で、なおフランスの連合内という制限が四六年にはありましたけれども、しかしともかくベトナム民主共和国の主席であるという待遇を受けて、内容は意見が合わない部分もあって、全くホー・チミン主席の考えるような協定はできなかったにしても、ともかく主席として待遇されたということも、今申し上げた全ベトナムの代表国としてのベトナム民主共和国というものが成立しておったということを証明することはできると思う。これはまだ四九年以前の話であります。  第二は今当面問題になっておりますバオダイ政権自体の要素、性格であります。後に承認の問題に入りますときには要件が自立性と、そして永続性、継続性ということが、政府なり国家の承認の場合には重要な要件になることは御承知通りであります。その自立性であります。自立性とは、ことに第二次戦争以後においては、やはり民族自決の原則によって、その国の人たちが他の正規の手続を経ないで、すなわち、この場合は、フランス側の連合の中の一員という形でなくて、ほんとうに独立になったということで初めてアジアにおける民族の独立国家が成立するという意味において自立性ということは特にこの際重要であります。にもかかわらず、バオダイ政権の場合には、あの当時四九年――今は特に五〇年、五一年のサンフランシスコ会議に集中しておりますが、その場合にはフランス連合のらち外ということにステータスはきめられているわけでありますから、これは自立政権あるいは独立政権というものではない。だからこそ、また前国防相のスワンは今に至りますまでフランスの軍隊の将軍をやっております。アルジェリア戦争にかかっておる。それ以外に大ぜいの首相はみなフランス国籍を持っておったというのはわかるわけであって、まだフランスの連合の中の国家である以上は、フランスの国籍を持ち、パリのソルボンヌ大学に行って勉強して帰ってきた人たちが政権を持っているわけでありますから、フランス国籍であるのがむしろあたりまえであり、その逆を申せば、この種の政権が、すなわちベトナム人民全体からいってやはりかいらい政権である。ほんとうに自立していない、フランスによって左右される政権であるとベトナム人が考えているというわけもありまして、そこでステータスの問題と性格が、本来民族独立の中から選挙されて出てきたものでない。今までの経過の上においてフランスが任命してきたグループだということになります。そのトラン・ヴァン・フーが桑港会議出席をいたしたわけであります。従いまして、委任状を渡せば、そのトラン・ヴァン・フーでも、フランス国籍を持っている者でも行けると申される意見があるそうでありますけれども、その委任状を渡すそのもの自体、バオダイ政権自体がフランスならいざ知らず、フランスの連合の中の外交団の首席はフランスが任命するという規定になっているそのトラン・ヴァン・フーは実は権限がないわけで、フランスは権限がありましょうけれども、フランスの連合の中のメンバーとしてのステータスしか当時の南ベトナムは持っておらないわけでありますから、その意味においてトラン・ヴァン・フー自身がフランス国籍を持っているというだけじゃなくて、それに委任状を渡すその政府自体もなお権限を持っておらない。独立していない。フランスの連合の中の外交関係は一切やはりフランスに相談しなければならない関係にあるわけでありますから、その意味において、トラン・ヴァン・フー自体は権限はない。そのもとも権限がない。つけ加えますが、軍事上の制限も受けております。司法上、つまり裁判上、フランス関係のある裁判事件はやはりフランス人とベトナム人との合同の管轄になるわけであって、裁判権すら持っておらないときのそのときの外交権ももちろんベトナム国になかったわけでありますから、そういう意味において、サンフランシスコ会議に出てこれに調印するという権限及び資格がなかったものである。  第二は、四九年の七月一日政令第一号が出ましたが、これによりますと、国会はないわけである。批准会議、コンスチチューエント・アセンブリー、諮問会議がある。諮問会議のメンバーはどういう人かというと、結局これは元首が任命するのでありますから、全国的に選ばれてでき上った国会とは違います。これはただ任命制の諮問会議、しかも権限は諮問でありますから、これがありましたところで国会とは申されません。憲法も当時はもちろんなかった。そういたしますと、結局サンフランシスコ会議条約に調印いたしましたが、その調印いたしました後においても国会で批准されておらない、国会がないわけですか……。かりに諮問会議に出ましたところで、また元首が調印したところで、その元首自体が、今申しましたように自立性もないわけでありますからして、国内的な手続を民主的な原則に照らしますれば、調印したところでやはり批准はされておりません。批准するところもなかったわけですから……。国会では批准されておらないわけです。その意味で、国内法的にも欠缺がある、こういうふうに考えなければなるまいと思います。これを要しますのに、サンフランシスコ会議出席する権限と機能とそして資格がなくて、そして帰ってきてもこれを国会で批准したという手続がないのでありますからして、これは同時に無効でありかつ違法である、こういうふうに考えるわけであります。  次の問題は、そういいましても、四十九万国批准しているではないかとよく御議論があるそうでありますけれども、その場合に、一体国家として承認をしたのか政府として承認をしたのかどうか、一体デ・ファクトあるいはデ・ユーレ、事実上の承認をしたのか法律上の承認をしたのか、これはさっぱり明らかになっておらない。事実上の承認というこはとありましょう。フランスのごとくベトナム共和国と貿易文化協定を結んでおる国もあるわけでありますから、承認と一口に言ったって、デ・ユーレ、法律上の承認をしたのかそれとも事実上の承認をしたのか、国家を承認したのか政府承認したのか、これを明らかにしなければ問題は進まないと思う。そこで要件といたしましては、どんな場合でも自立性及び継続性及び領土のインテグリティ、領土が全体として代表不可分のものでありますが、この三つが国家の承認の原則であります。自立性あるいは独立性、私の言葉でいえば、民族独立の戦後の要求に従って、やはり独立性を持っておる。第二は継続性であります。第三は領土的完全性といいますか、インテグリティ・オブ・テリトリー、この三つがなければ、国家の承認の相手方というものにはなるまいと思います。第一の点は自立性でありますが、これはバオダイ政権の場合、ずっと四九年以来のいろいろな抗争、戦争まで起こりまして、ディエンビエンフーの戦争の後にジュネーブ協定ができるところの経過を見ましても、自立性というものに欠けておるものがある。第二は継続性でありますが、ジュネーブ協定によって将来は一年たった五六年の七月に自由統一選挙をするというところまでは暫定的な政府であって、それが統一選挙をやりますれば、何らかの統一政府ができるでしょう。しかしそれまではどっちが全体を支配するというふうではない協定を結んでおるわけですから、継続性という点からいって、継続性は中断されておるわけです。統一選挙にかかっておるわけです。だから継続性もない。それからインテグリティ、完全、全部が不可分一体をなしておる。東も中も北もないということはベトナム憲法にある通りで、それでジュネーブ協定の場合でも、領土の完全性、不可分性ということを最終宣言でも述べておるわけであります。独立とそれから継続性、それから今の領土のインテグリティ、完全性、これがなければ国家の承認にはなるまいと思う。それなら政府承認かと申しますなら、政府承認である以上は、政府実力が及んでいる今の要件はもちろんあるといたしまして、どの辺の地域まで、ほんとう実力的な、政治的な支配が及んでおるかということなしには、政府というものは承認できない。日華条約にいたしましても問題がありますが、台湾との間の日華条約の場合でも、附属文書では、台湾及び澎湖島と、きっちり制限しております。何も日華条約を結んだからといって、大陸の方まで、あの条約が及ぶことのないように、ちゃんと附属文書で、台湾及び澎湖島という限定をしております通りであって、それよりほかに事実上の支配が及んでいないわけですから、その事実をもとにいたしまして、政府承認が行なわれると解するよりほかにはないわけである。すなわちこの場合には南ベトナム当局というものを相手としておるということにしかならないわけであって、それをもって全べトナムを代表するかのごとくにとることは非常な間違いである。ちょうどあたかも日華条約をもって中国全体のことをきめたものだということはできなよいように附属文書は出ておりますけれども、そういうふうに考えるのと同じように間違いである、かように承認に関しては思います。しかもこのとき以来五〇年当時アジアの国は承認しておりません。やはり一番大きい自由主義国家群、アンザス及びSEATOの国々だけであって、アジアのインド、ビルマの国などは――要するに韓国とフィリピンを除きますと、アジアが承認をいたさなかったということから見ましても、やはり民族独立というこのアジアの機運に沿うていないということをアジアの人々が考えていたからだと思うわけであります。  第二の大きい問題は、ジュネーブ協定に関する法律問題であります。この点もっと重要だろうと思います。ジュネーブ協定はジュネーブ・アグリーメントとしまして戦闘の停止及び最終の宣言とそんなに分けておりません。戦争をやっておったわけですから戦闘の停止はもちろん第一のことでありますけれども、同時にそれが今後は南北ベトナムがあの戦闘の停止部分をもって軍事境界線さらに国境、国の領土の国境線にすることのないように注意し、十四条の第六項、そうしてやがて統一と独立と民主主義、それから今言いました領土の完全性を作るまでみなでお互い努力しようという趣旨になっているのがジュネーブ協定であります。この点はファイナル・デクラレーション、おしまいのデクラレーションで、中身は戦闘行為だからこれについて触れないというようなお考えがあるとすれば、これは不可分一体をなしておる文書である。それから政治的部分をこめて述べている点が重要なことでありまして、単なる戦闘行為の中止だけの文書でないという点は特に強調いたしたいと思います。この原文をちょっとお開きになれば、むろんそんなに分けてはないわけです。それから結論部分であります。政治的な結論部分であります。戦闘停止は停止でありますけれども、政治的に申せば北と南とが統一のために、お互い同士妨げとなるような軍事基地を作ったり、軍事同盟に入るというようなことはしないようにしたいということが述べられてある通りであって、そこでなるべくなるべく、統一の万に統一の方に、向かおうとする政治的結論部分を持っておって、これが協定でありますから、南ベトナムはこれに従わなければならない。従わなければジュネーブ協定違反になります。日本の場合もし従わないで、それに賠償を支払うということになれば、南ベトナムにジュネーブ協定違反をさせるようにするのであり、およそ国際法上、自分の国が関係しておりませんでも、他国が結んだ協定が理由ある協定であるならば、これを尊重するのが信義であり、信義のみならず、国際法の原則であって、自分が関与していないからといって、それを破らせるように仕向けるということは、信義に反するばかりでなく、国際法の原則に反するものだと思いますので、やはりジュネーブ協定というものは、この場合決定的なものであると考えます。  それから賠償の支払いが南ベトナム当局になされた場合に、国際法の違反であるという形式的法律的な点を申しましたが、実質的に考えましても、賠償が全ベトナムに行くんだといたしますれば、政府当局の言われる通りだといたしますれば、どうしてもその賠償北の方にいけるようにしなければ、全ベトナム賠償を支払うという趣旨にはならないだろう。ところがその場合には、今の場合南ベトナムに支払ったことだけで全ベトナムに払ったとみなすというだけでありますから、もっと南の方の賠償北の方にも行き渡らせるんだとしますれば、真意がそうだとしますれば、これは統一ができるのを待って、それに支払っていけば、南の方のでも北の方へいくわけでありますけれども、何も今急いで、南だけに支払えば南だけにしかいかないことが明らかでありますから、かりにもし賠償が全ベトナムに払われるべきものであるというお考えであるとするならば、やはり統一されるのを待つべきだと思います。  それから賠償を目的としていながら、その中身は実は水力発電どころでなく、軍需産業を作るプラント輸出だということになりますと、やはりこれは言っていることと行為とが違います。とすれば、民法の九十六条にあります相手方と通謀してなしたる虚偽の意思表示じゃないか。正真正銘賠償賠償だ。これは払うべきである。ところが相手方と通謀してなしたる意思表示でも虚偽の意思表示である。これは無効であって――これは私は今ここで民法的に解釈しろと言っているのではないのであります。けれども、法律関係はそういう関係であって、善意の第三者に対抗できませんから、統一を待たないでもし支払ったといたしますれば、北の方がもう一ぺん自分の方が全体を代表するものだといって日本賠償を要求してきたときには、善意の第三者に対して対抗できない。もう一ぺんまた支払わなければならない。ですから、急ぐ必要もないし、統一をむしろ進めていって賠償の義務を支払う。これは賠償を講和条約十四条できめたからといいますけれども、それは全ベトナムに支払うということをきめたのであって、南ベトナムに払わなければならぬということではないのでありますから、その点を指摘したいと思います。  最後に、何も私が言ったのは、ばかに遠い将来のことで統一の見込みがないとかあるとかおっしゃることは、法律論ではありませんから、私はここで触れませんけれども、もう全世界は大体平和共存に参ってきておりますので、われわれも努力いたしますならば、軍事基地なり軍事同盟に入らなくて、東と西とあるいは北と南とが接近して、なるべく歩み寄るように外のものがすればできるわけであって、それをしいて分けて敵味方にしていくという、こういう緊張激化の方向でバンドン精神をないがしろにされるのだとすれば、それは時代に逆行しているのみならず、非常に私は現実の問題としても見通しがきかな過ぎると思います。これはしかし法律論ではありませんから、私はわざと避けますが、大事な点でありますから触れました。  そして最後に、バンドン会議には高碕さんもおいでになったわけです。そしてやはりベトナム統一ということをあのバンドン会議の共同コミュニケではいたしました。やはり統一の方向へみんなで少しずついくようにさせようじゃないか。バンドン会議の共同コミュニケにおいて統一の方向へ進めたわけです。これは日本政府の代表者が御出席になっているわけでありますから、この政府の代表の御出席になっておる方向へ進めていくべきであり、かつまた法律の解釈といたしましても、平和共存という大きい問題になりますと、どうしてもこういう点まで込めてお考えをいただかないと、間違ってくるということを述べて終わります。(拍手)
  22. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて各参考人の御意見の陳述は終わりました。  これより各参考人に対する質疑に入るのでありますが、福永参考人は所用のため二時に退席のお申し出がございますので、まず福永参考人に対するだけの質疑を許します。岩本信行君。
  23. 岩本信行

    ○岩本委員 参考人方々には御繁多の中を大へんありがとうございました。  私は福永さんにお尋ねをしたいと存じます。今回の賠償問題を考える場合において、われわれは全ベトナムの被害というものを対象に考えるわけでございますから、どこの地帯でどういう被害があった、こういうことよりは全ベトナムということで考えるわけでございますが、巷間に伝えられるところによれば、きわめて北が多くて南が少ない、こういうことが論議されております。そこでお尋ねを申し上げたいと存ずるのでございますが、先ほどお話の中に、三月中旬から終戦までの間に多数の青年を日本軍が徴用した。これらも相当の被害を受けておる、こういうことでございますが、この多数の青年というものは南北を問わず全ベトナムから徴用されたものだと思いますが、まずこの点を一つお伺いしたいと存じます。
  24. 福永英二

    福永参考人 日本軍の兵力不足をカバーするという意味から、大体においてわれわれが知った範囲によりますと、後方の輜重輸送の方へ若い青年を志願させまして、それを地域の別なく、北の方は大体三国兵団であります、南は南方総軍の司令下で、数はわかりませんが、徴用しました。それからまた明号作戦が始まります前から、やはり若干の兵補として若い青年が非常に元気よく日本軍協力しておりました。これが先ほど申しましたように、北の方では終戦後共産党の手で非常に迫害されました。南の方はフランス官憲の手でこれが迫害されました。いろいろの例がありますが、かなり協力者としてひどい目にあっていたわけであります。  それから先ほどの北と南の損害の相違ということでございますが、南の方は、大体米とゴムの生産地でございまして、これが数年にわたって輸出がストップしまして、この方の被害というものは相当なものだと思います。それからまた北の方はやはり地下資源の鉱物の方の操業がほとんどストップしておりました。これをどういうふうに差をつけるかということは、かなり困難ではないかと思います。
  25. 岩本信行

    ○岩本委員 タイ、仏印、ビルマこの三国は世界における有名な米産地であります。そこで今もお話がありましたが、米はベトナム中における南、こういうことであり、さらに南にゴムが多い、こういうものが、この戦争中に貿易の途絶によってこの輸出の大宗たる米、ゴムというものが非常な被害と申しますか、損害を受けた、こういうように承知するわけでございますが、輸出が不可能になったその米やゴムというようなものは当時どういうふうに処理されたかというこの点をちょっと伺いたい。
  26. 福永英二

    福永参考人 これは御存知じのように当時外務省の内山公使並びに大使府が設置されまして、日本の軍への米の買付ばかりでなく、日本国内への買付を交渉して、特に内山公使はそのお米のことで駐在しておったということであります。しかし御存じのように私は軍人でありませんからよく知りませんですが、日本軍南方作戦というものの南ベトナムの重要性というものは、大体兵站基地としてこれを非常に重視しておったのだと思います。そのために軍はこの南ベトナムの米を現地においてたくわえるのみならず、これを他の地域の日本軍に向かって補給しておったというようにも見ております。
  27. 岩本信行

    ○岩本委員 船がなくなったので木造船を多数作って、それらもみんな損害を受けた、こういうことでありますが、木造船の材料であるところの樹木、これはベトナムにおけるところの南方地帯、いわゆる南ベトナム地帯に山林がある、こういうことから推定いたしますというと、これに要しました樹木というものは主として南方面から徴発あるいは伐採使用された、こういうふうに解しますが、その点いかがでありますか。
  28. 福永英二

    福永参考人 軍の命令を受けました木造船の製造場の中心は、サイゴンのメコン川の中流から下流にかけまして中心になっておりました。またサイゴンから少し離れましてダラトという避暑地がございますが、その海岸をつなぐところにニャトランというところがございます。この辺がやはり木造船の製造の中心でございまして、われわれとしますとアメリカ空軍の爆撃がどうしてそういうところへ集中されるかというのでいろいろ聞いたのでございますが、また見たのでございますが、大体そういう方面が木造船の中心であった。それで材料は、大体サイゴンからダラトにかけまして非常な森林地帯でございます。その辺がずっとその方の資材の共給地になっていたと思います。
  29. 岩本信行

    ○岩本委員 ただいまの福永さんの御説明を聞きまして、従来虚偽的に宣伝されておったと思います鶏三羽説は完全に払拭いたしまして、南方が相当の被害を受けたということがわかりまして、大変参考になりました。ありがとうございました。
  30. 小澤佐重喜

    小澤委員長 柏正男君。
  31. 柏正男

    ○柏委員 福永さんに私は一点だけお尋ねしたい点がございます。福永さんはちょうど一九四一年の三月九日のあのときの様子を、横山さんもお話しになりましたが、福永さんもいろいろとお話しをいただいておりますので、その中から私どもが特に知りたいと思いますことは、日本の力によってフランスの主権が払拭されて、三月九日をもって全インドシナに対する主権が日本の手に帰したものであるかどうか、この点をお聞きしておきたいのでございます。と申しますことは、九月二日のホー・チミンの独立宣言の中に、やはり同じように、日本から主権を回復したのであって、フランスから主権をとったのではないのだ、ホー・チミンの作っておりますベトナム民主共和国はその主権を日本から伝承したのだ、その点は非常に私どもは考えさせられる点でございますので、その点についてお答えを願いたいと思います。
  32. 福永英二

    福永参考人 当時私もサイゴンにおりまして、松本大使のドクーとの交渉にタッチしておったのであります。松本大使は軍の要請から外交交渉をドクーとやっておったのでありますが、明号作戦をするということはひた隠しに隠しまして、作戦の遂行のために外交折衝を三月の九日に深夜やっておりました、いろいろその後の情勢から判断しますと、一応みなフランスの当局者は軟禁状態に置かれまして、これが一カ所に集められまして、終戦後まで保護されておりましたし、当時、明号作戦が終わると同時に、カンボジア、ラオス、ベトナムの独立をそれぞれ宣言させまして、日本人の官吏がそれぞれのみな顧問、並びに行政官となって赴任しました。現地人はそれぞれ諮問委員会のごときあるいは議会のごときものを作っておりましたけれども、実際において日本軍日本人の完全な支配下にあったと認めております。
  33. 小澤佐重喜

    小澤委員長 田中織之進君。
  34. 田中織之進

    ○田中(織)委員 福永参考人に二点ばかりお伺いいたします。先ほど述べられました一九四一年当時の南北ベトナムにおける日本軍の現地調達、それがどういうような状況であったか。先ほどいわゆる五百ピアストルの新円、特別円の関係の問題を述べられたわけなのですが、もう少し具体的に、ことに南の方では米の産地でありますから、食糧等も軍が現地調達をしたのではないかということは考えられるわけですけれども、その点につきましては現地調達であります関係から、やはり先ほど御指摘になりましたような特別円をもって一応支払った。それが終戦と同時にその処理ができないために、現地に非常な迷惑をかけたということは事実として考えられるわけです。そのために、この特別円処理はフランス政府との間で日本がすでに行なっておる事実もあるわけです。当時の軍の調達関係が南北ベトナムにおいてどういう状況であったかということについて、もう少し詳しくお聞かせを願いたい。  それからお急ぎのようでありますから、第二問日を一緒に申し上げますが、先ほど、これは一九四五年当時のことだろうと思うのでありますけれども、ハノイ市で毎日五名から十名くらいの餓死が出ておるということを聞いたことがある、あるいは見聞されたという意味だろうと思います。しかしそれは主として冷害なり水害等の関係から、食糧難のために、農村方面で食うことができない者が都会へ出て食をあさって、求められないために餓死した、こういうような状況だというふうにお述べになったわけであります。一日にかりに五人といたしましても、これが毎日そういう状況が続いたかどうかということによって相当の数になると思うのでありますけれども、私、別に持っておるアジア協会から出ておるいろいろ資料等――これはまあ当時から十年も経過した後の状況でありますけれども、ベトナム全体としまして、平時のときにおいても、出生率も非常に高い割合に死亡率も非常に高い。そういうような状況がある反面、今度の賠償の問題にあたりましては、南ベトナム側からいわゆる餓死を中心とした人的な被害百万ということを申してこられたようであります。それに対して日本政府の方では、交渉の過程ではもっと少ないのじゃないか、きのうも三十万とかあるいは二、三十万とかいうようなあいまいな問題になってきているのでありますけれども、われわれが、向こう側が述べておる餓死者の数、人的被害というものを押える意味から参考になりますので、はたしてそれが戦争によるところの――間接的にはそういうこともいわれるだろうと思いますけれども、お述べになったようないわゆる当時における冷害なり水害なりというような天災、自然的な災害によるものだといたしますならば、この点はやはり賠償額の算定の問題とも関連して参りますので、この点についてもう少し詳しく事情をお述べいただきたいと思います。
  35. 福永英二

    福永参考人 特別円、ピアストルの問題でありますが、だいぶ記憶も薄らいで参りましたからはっきり数字を申し上げることはできません。しかしフランス側と日本側がピアストルの特別円の問題が一応解決したことは皆さん承知通りでありますが、ただ現地人が特別円の損害を補償されているかどうかということは私は多大の疑問を持ちます。と申しますのは、当時の現地の空気あるいはフランス人の植民政策、現地人に対する政策というようなことを考えまして、はたして現地人の特別円の損害が補てんされたかどうかということには多大の疑問を持ちます。  第二の御質問の、北部の餓死、飢饉の状態でありますが、これは、原因が、申しました平時においても北は南から米の補給を受けまして食べております。しかしトンキン平地にも米が相当量できます。それでトンキン・デルタだけの米ではトンキン地区の住民は十分でありませんので、その不足分を常に南部から送っておったのでありますが、一九四五年の飢饉はその前の年の暮れから始まりました冷害と水害によりましてトンキン・デルタがすっかり水びたしになりまして、全くの不作だったのであります。それをカバーするために南から米を補給するように日本の行政当局も、軍も努力したのでありますが、何分にも――海路からジャンクで積んでいくという方法もずいぶんとっておりましたが、途中でみなアメリカの潜水艦に追われ、空襲を受けまして、ほとんどそれが十分でなかった。それで北部の農地を出ました避難民が南の都会へ都会へと流れていったのであります。特にハノイはその中心になったのでありますが、当時バオダイ政権がハノイにありましたが、そのバオダイ政府も極力それを収容しておりまして、ハノイの郊外の学校とか兵舎なんかにはこの避難民を収容しておりました。その当時はチフスが非常に住民に蔓延しまして、キニーネが不足をしましたので、チフス、マラリアでもずいぶん死者が出たと思います。私がハノイに参りましたのは二月の初旬でしたが、当時平均五人から多いときは十人というのがハノイ市内で発見できたのであります。さらに南の地区では、自動車で南から北上したある同僚の報告によりますと、ステーションにたくさんの餓死者を発見したということを言っておりました。それでよろしゅうございますか。
  36. 田中織之進

    ○田中(織)委員 そういたしますと、今賠償の批准にあたって問題になっておる人的被害の点で、南ベトナム側が言っておる人的被害百万、あるいは日本側が二、三十万ではないかと言っておるような関係のものは、直接戦争によるところの人的被害であるとは断定できない要素が多分にあるのではないかというふうに感じられますけれども、そういう点は現地におられた当時の感じとしては福永さんいかがでしょう。
  37. 福永英二

    福永参考人 人的被害が戦争の直接であったか間接であったかということは、その辺の定義はなかなかむずかしいものだと思います。もし輸送が円滑にいっておったならば、あるいはそれだけの餓死者は出なかったかもしれませんし、輸送が円滑にいかなかったのは、やはり鉄道を破壊されたことが原因でありますし、海上輸送も十分にできませんし、この辺から直接だったか間接だったかと分けることはいささか私はむずかしいのではないかと思います。しかし巷間伝えられておる百万あるいは二百万というような数字は少しシナ的ではないかと思います。大体において常識的には二十万をこえない程度の損害じゃなかったかとわれわれは思っております。
  38. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて福永参考人に対する質疑は終了いたしました。福永さんに申し上げますが、長時間にわたりまして御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。(拍手)  次に、五参考人に対する質疑に入ります。通告がありますので順次これを許します。佐々木盛雄君。
  39. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 私は、ただいま六人の参考人の御意見を拝聴いたしまして、そのうち横山正幸さん、福永英二さん、横田喜三郎さん、この三人の参考人の御意見には私たちも全く同感でございます。ただ、中川武保さん、グエン・リン・ニエップさん、平野義太郎さん、この三人の参考人方々の御意見とは、私は見解を異にいたしておりますから、従って、私と見解を異にした後者の三人のお方についてのみ御質問を申し上げたい考えます。  私は、時間の割当も非常に短いので簡単に要点だけを申し上げます。非常に失礼なようでありますが、私は、民主政治のもとにおいて、その方がいかなる政党を支持なさるかとか、あるいはどういう政党に所属するかということをお聞きすることは決して礼を失することではなかろうと思います。さような観点から承りますが、中川さんは政党には何か御関係があるのでございますか。私は、この基本的な立場から承っておいて参考にいたしたいと思うのでありますが……。     〔「それはいけない」「そういうことをやっていたら参考人が自由な意見を言えなくなる」「そんな前例はない」「答えなければいいじゃないか」と呼び、その他発言する者多し〕
  40. 小澤佐重喜

    小澤委員長 参考人方々に申し上げますが、委員の中からあるいはいろいろな質問が出るかもしれませんが、答える必要のないことは決してそれに応じなくてもけっこうなのでありますから、どうぞそのおつもりでお答えを願いたいと思います。
  41. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 何もこうやかましく騒がれるほどのことはないのであります。参考人には……。
  42. 小澤佐重喜

    小澤委員長 今の問題は済みました。まっすぐ質問して下さい。
  43. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 私はいささか見解を異にするのだから異にすると言っていいでしょう。(「質問するならあっちに向かってやれ」と呼ぶ者あり)私たちは、民主政治のもとにおいてはこれはあたりまえじゃないですか。私は、参考人の御意見を承るにあたって、民主政治の今日のもとにおいて、政党政治が行なわれておるときに、いかなる政党に所属するとかあるいはそれに対して協力をするかとか、どういうお立場をとっておるかということを承ることは、決して非民主的なことではなかろう、非紳士的なことではなかろうという前提に立っておる。しかしながら、これに対してあなた方がお答えがあるかどうかということは、参考人には参考人の規定、ルールというものがあるわけでありますから、あなた方がこれに対して答弁したくないなら答弁されなくても文句は言わない。私の承ることがこれは非常に非礼であるというような考え方に対して、私は賛成することはできません。  それでは中川さんにこの一点だけ承っておきます。見解を異にするのですから、南ベトナム地域に対する賠償にしかならないので、従ってこのベトナム共和国と日本との間の賠償問題を解決することは、南方地域その他の地域に対して非常な悪影響があるということをあなたはおっしゃいました。あなたのお説によりますると、北ベトナムに対して悪影響があるという点につきましては、ある程度私も、あなた方の立場からおっしゃいますならば了解できないわけじゃございません。これにつきましても私たちは見解を異にいたしております。しかしながら、南と北が対立しておりますときに、南に対するところの賠償問題の解決が、ことによると、あるいは何らかの反感を与えるということにもならないとも限らないと思いますが、あなたが特に声を大にして強調されましたこのベトナム共和国との賠償問題の解決が、日本南方諸地域に対する経済発展をじゃまするのだ、悪影響があるとおっしゃいましたが、その具体的な根拠を明白にしていただきたいと思います。
  44. 中川武保

    中川参考人 お答えいたします。私は日本の国の将来、日本の国民の利益になることであるならば、自民党に対しましても、社会党に対しましても、社会クラブに対しましても共産党に対しましても、絶大の援助と協力を惜しみません。党利党派にとらわれるようなことに関しましては、私は絶対にこれを拒否いたします。これが私の答弁であります。次に……。     〔発言する者多し〕
  45. 小澤佐重喜

    小澤委員長 中川さん、あれだけに答えて下さい。――静粛に願います。静粛に願います。
  46. 中川武保

    中川参考人 次に南ベトナム賠償がアジア全般に対して不利益をもたらすであろうということにつきましては、南ベトナム賠償ということにつきましては、私たちは南、北というのではなく、現在南と北が統一されておらないときに、日本がこの統一をさくような、ベトナム全民族の念願である統一をさくような行為に加担する南ベトナム賠償ということに対して反対するのでありまして、このことは中国においても声明を出しておりまするし、またインド、インドネシアにおきましてもこれには協力しておりません。南ベトナムに対しては承認しておりませんし、事実ハノイにおきましても、イギリスフランスその他の各国もやはり同じように北に対して領事館を置いていろいろやっておるときに、日本だけがなぜ南にだけこういうようにやらなくてはならないか。北に対してはそういうこととができなかったかということ。このことがアジアに対して非常に大きな影響を与える。バンドン会議の精神というものも、日本政府出席しておるという点において、大きな違反であるという点において、私はこの南ベトナム賠償というものが、日本の常道として特に日本の将来にとって、日本経済が今後どこに伸びていくかという点、この点は東南アジアに伸びるより日本の将来の経済の進出は期せられない、ヨーロッパ方面は日本の進出は求められない、東南アジアだけであるというときに、この東南アジアにおける統一をさくような行為をするということは、非常に日本経済の進出に悪影響を及ぼす、こういうように考えております。
  47. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 経済的な立場から終始あなたはお話しになったのですが、具体的に承ります。この南ベトナムとの賠償の解決が、あなたのただいまのお説を聞くと、中共とインドネシアに対して悪影響ということでございました。東南アジアの各国を比較なさいまして、どちらの地域の方が好影響と悪影響とが多いでありましょうか。あなたの立場からおっしゃいまするならば、中共に対して申訳ないというようなお考えがあるかわかりませんけれども、私は、賠償問題の解決は、これによって日本のしょっておるところの国際的な義務を履行することによって、かえって経済的には進出の基盤を作るんだ、こういう立場に立っておるわけですが、あなたのおっしゃいます悪影響を及ぼす国はどこですか。具体的に悪影響を及ぼす国をあげて下さい。
  48. 中川武保

    中川参考人 今の質問が、あなたの立場、あなたの立場と言われますが、私の立場日本国民の立場であり、日本国立場であります。その点ははっきりしておきます。具体的にあなたの質問に対しまして、この南ベトナム賠償ということが、――今私たち日本の業界にとりまして、中国の貿易も停止しておる、朝鮮の貿易も停止しておるという状態におきまして、ただ残こされておるのは、現在細々続いておるベトナムだけでございます。積極的にこれを打開していかなくてはならない、いずれの国に対してもやっていかなくてはならないというときに、この北の貿易をとめるというようなことは、あえてなさる必要はない。これをむしろ打開していかなくてはならない。これが皆様方の使命でなくてはならないと思います。
  49. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 あなたは少しも私の質問に答えてないじゃないですか。北ベトナムに対しては、事によったら、あなた方の立場というものは、あなた御商売の立場でしょう。それから日越友好協会の何か世話役をしておられるでしょう。そういう立場だったなれば、北との親善関係を強調する立場にあることは、明らかじゃありませんか。その立場からいえば、北の方の方から言うなれば、悪影響だということをおっしゃることは、立場は違うが、そうでしょうということを前提に申し上げたでしょう。あなたはそうではなくして、これが東南アジア一帯にきわめて経済的な悪影響を及ぼすということを声を大にしておっしゃったから、しからば一体どこの地域にそういう悪影響を及ぼすかということを具体的に教えていただきたい。
  50. 小澤佐重喜

    小澤委員長 中川さん、無理に答えなくても、わからぬことはわからぬでしょうが、答えられないことは答えないで自由ですから、承知して……。
  51. 中川武保

    中川参考人 私はバンドン会議とアジア・アフリカ会議会議に違反するということが、必ずしも日本の利益になるということは考えておりません。その点が一点。ベトナム賠償が起こりまして、書類には表われておりませんが、ビルマの賠償もこのベトナム関係が大いにあると私は考えております。
  52. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 私の質問にはお答えになっていないようであります。具体的に業者立場であるという点を非常に強調なさいまするから、貿易業者として常に数字と取っ組み、具体的な取引と取っ組んでおられるあなたでありますから、この南ベトナムとの賠償が解決したならば、現にこういう悪影響が起こってくるというふうなことを、具体的な現象をもってお話しになると思ったが、まあしかしそれでよろしい。これを続けて承りません。     〔発言する者多し〕
  53. 小澤佐重喜

    小澤委員長 静粛に願います。
  54. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 次に私はニエップさんに承りますが、私は、先ほど政党問題を持ち出しまして非常に野党の諸君のお怒りを買ったようでありますが、この際承っておきまするが、私は国会の権威にかけて承っておくのですが、ニエップさんの国籍はどちらの方でいらっしゃいます。
  55. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳つき) 私の国籍はベトナムです。ただベトナムです。
  56. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 あなたがベトナムと言うのは、先刻のあなたのお説によりますと、北の方にホー・チミンのベトナム民主共和国という国と、南の方にベトナム共和国という国と二つあるという前提にお立ちになってのお話であったと私は考えますが、しかりとするならば、あなたの国籍はそのいずれを選んでおられるのですか。
  57. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳つき) 私のこれから申し上げることは宣伝ではありません。問題は非常に簡単でございます。もし私が日本人であれば、その質問に対して非常に怒るでありましょうけれども、私は日本政府のお客さんとしてここにおります以上は、その質問に対してお答えします。  私が二十年前に日本に来ましたのは、日本政府の招待により来たわけでありまして、私の国籍及び私の資格に関しては、日本政府が知っております。私が自分の国におりましたら非常に怒るのでありますが、ここではそれはできませんけれども、私は日本に来て二十年になりますけれども、その間日本人及び日本の国に対して失礼なことをしたことは一度もございません。その間日本に対する内政干渉もしたことはございませんけれども、今の質問は、私の国に対する内政干渉だと受け取ります。
  58. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 本日のこの参考人の御意見は、北に払えとか南に払えとかいうことが問題になっておるのです。そのときに参考人としてお立ちになったニエップさんの、その立っておる基盤がどこであるかということをお聞きますることは、決して失礼なことではないと私は思う。     〔発言する者多し〕
  59. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳なし) ……
  60. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 それでは承りまするが、そうするとあなたのパスポートはどこが発給しておるのですか。     〔グエン・リン・ニエップ参考人書面を示す〕
  61. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 それはパスポートですか。     〔発言する者多し〕
  62. 小澤佐重喜

    小澤委員長 佐々木君、案件に直接関係することだけ質問して下さい。
  63. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 今南北の重大問題が論じられておるときに、いかなる立場にお立ちになっておるかという、そのお立ちになっておる立場をはっきりする意味において、その国籍を明確にすることが必要であろうと考えたのです。しかしながら、それを聞くことに対して、非常にこの辺で反対の御意見がございまするし、私はそうこだわりません。(「礼儀を失するじゃないか」と呼ぶ者あり)礼儀を失するならば、全権委任状を持ったトラン・ヴァン・フーに対しても、君たちはずいぶんこだわっているじゃないか。     〔「委員長注意しろ」「どこに質問していのるだ」と呼び、その他発言する者多し〕
  64. 小澤佐重喜

    小澤委員長 静粛に願います。――佐々木君、そっちに話さないで、直接参考人に質問して下さい。
  65. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 今の国籍問題を打ち切ります。  ニエップさんにお伺いしますが、あなたはただいまのあなたのステートメントにおいて、南との賠償を解決すると、南が北の人間を殺すんだ、ダニムの発電所は軍事目的だ、こういうことにあなたは言及されたことを私は聞いたのでありますが、間違いなかったと思いまするが、もし私の言うことに間違いがなければ、どうして北の人を殺すことになるのでしょうか。あるいはそれが軍事的な目的であるということの、何か具体的な根拠があっておっしゃっておられることでございますか、あなたは向こうの現地の事情がよくおわかりの方でありまするから、南ベトナムとの賠償問題を解決したならば、北の人を殺すことになるのだというのですが、この根拠を一つ明らかにしていただきたいと思います。国会で放言は許しませんよ。
  66. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳つき) 十一月二十一日の英文毎日新聞によりますと、通産省重工業局長の小出さんが答弁しまして、昭和三十二年五月に、この輸出が機械だけであるということを思い、通産省の方でその輸出を許可しましたけれども、後ほど、この輸出品の中に、銃砲及び弾薬を生産する設備が含まれていたということを知りました。銃及び砲というものは、鶏を殺すために作るものじゃありません。
  67. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 今のニエップさんのお話では、南が北ベトナムの人を殺すとおっしゃいました。北ベトナムをどうして殺すのですか。
  68. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳つき) 先ほどのステートメントをもう一度繰り返して申しますけれども、日本政府特に通産省が、賠償金の一部が、ベトナム人がベトナム人を殺すための銃及び弾薬を実際に生産している工場を建てるために使用されたことを認めましたから、とありまして、北及び南という言葉は入っておりません。
  69. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 だれが認めた。そういう怪文書を持ってきては困る、国会に……。
  70. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳なし) ……。     〔「自分がさっき言った原稿なんだから」「原稿によって言っているのだ」「はっきりしている」「そんな原稿はあてにならぬ」と呼び、その他発言する者多し〕
  71. 小澤佐重喜

    小澤委員長 佐々木君、どうですか、時間の関係がありますから……。
  72. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 ニエップさんはよろしい、けっこうです。  平野義太郎さんに承りますが、あなたは法律家の立場からおっしゃいましたが、それでサンフランシスコの講和条約というものが無効である、あなたはこうおっしゃいました。サンフランシスコ条約は無効である、つまり先ほどもトラン・ヴァン・フーの国籍問題に言及したり、あるいはバオダイ政権の合法性、正当性の問題に言及されまして、あなたはサンフランシスコ条約は無効だとおっしゃったじゃないですか。従って、しかりとするならば、あなたのおっしゃるのはどこか、このサンフランシスコ条約によって……。(「調印が無効だと言ったのだ」と呼び、その他発言する者多し)調印が無効なら、従って条約は無効じゃありませんか。それでは承りますが、あなたはこの日本ベトナムとの賠償協定が無効であるとおっしゃるのですか。サンフランシスコ条約において、正当に代表するものではないのだから、従ってこれは調印が無効だ、調印が無効だったら、条約は無効でございましょう。そうしたら、それは日本ベトナムとの関係だけでございますか。
  73. 平野義太郎

    平野参考人 お答えいたします。私が申しておるのは、サンフランシスコ条約において、ベトナム日本との関係においてそれを調印したバオダイ政権のトラン・ヴァン・フー、当時ベトナム国はフランス連合の一員であって、自体ベトナム国を代表する権限が制限されておる、外交使節の主張は自体権限を持っておりませんから、その限りにおいてのサンフランシスコ条約の調印の資格がなく、従って権限がない。だからその限りにおいて無効である、これだけを今中心に申し上げておるわけであります。
  74. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 しからば、有効であるとか無効であるとかということを断定する機関はどこであるのでございますか。
  75. 平野義太郎

    平野参考人 国際問題についてはいろいろ機関はあるでありましょうが、権限がなければ無効であるということははっきり言えると思います。それをどう審査する機関があるかどうかは別問題であります。
  76. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 そうしてあなた自身もお認めのように、世界の大多数の国々がこの有効性を認めておるのですが、それが無効であるとあなたが断定なされるのだったら断定なさるだけの――あなただけの独断という意味ではないのでございましょう。独断でなければ、法的根拠に従って、どういうところで、それが有効か無効かということを判定するのでございますか。あなたは学者として当然無責任な放言をなさると思いませんから、その点について正確な御答弁を願いたいと思います。
  77. 平野義太郎

    平野参考人 今日の世界の各国が友好関係を結んでいるとおっしゃいましたから、それで先ほど申し上げました。国家として承認しておるのか、政府として承認しておるのか、デ・ユーレ、デ・ファクト、事実上の承認をしておるのか、法律上の承認をしておるのか、そういうような点について明らかでありません。
  78. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 その点は私の見解と異にしておりますから仕方がありません。  それからあなたが、アメリカが軍事的な援助を非常にやっておるんだ、こういうことを非常に強調なさいました。これは法律論とは離れて事実の認定の問題でありますが、あなたは中共やソ連が北の方に対して軍事援助をしていないという観点に立っての御議論でございますか。
  79. 平野義太郎

    平野参考人 私は別に観点とかいうものはありません。事実に基づいて申し上げております。現在、今の瞬間において中華人民共和国が武器とかあるいは顧問団とか、そういうものを送っておる事実を知りません。しかしアメリカの場合には、軍事顧問団が二千名おります。そして軍事基地も構築しております。それを申し上げたわけであります。
  80. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 私は質問を打ち切るに当たって、ここにいわゆる「進歩的文化人」というのがあり、「学者、先生の戦前戦後の言質集」というのがありますが、あなたの今までおっしゃったことと最近おっしゃることとは、根本から大体立っておられますところの思想、観念というものがずいぶん異なっておるようであります。そこで承りますが、先ほどのあなたのお話の中で、この平和の時代に、非常に時代に逆行することだ、こういうようにおっしゃいましたが、あなたはたくさんの文献がここに一ぱいありますが、レファーしてもけっこうでありますが、あなたは大東亜戦争を非常に謳歌なさっておった方です。それが今日この期に及んで全く一変して、考え方を異にされたということは、あなたが一般の市井の人ならば私は問題にいたしませんけれども、少くとも学者として、学者的良心に立ってお考えになりますなれば、あまりにも牽強付会の、曲学阿世の議論だと考えます。最近の考え方のように考え方が変わってきたという心境の変化でもありましたら、伺ってみたいと思います。
  81. 平野義太郎

    平野参考人 重要な点だけ二点言います。一点は、世界情勢に逆行しているということを申し上げました。すなわち第二次戦争以後ともかくとして、今日ほとんど世界は全面軍縮、お互い同士平和共存、冷たい戦争をやめよう、北も南も西も東も一緒に話し合いでやろう、アイゼンハワーとフルシチョフ、この共同声明でも、国際紛争は武力でなくて、話し合いでいこう、こういうふうに共同声明すら出している時代でございますから、その際に新しく戦争の原因を作るようなことは慎しむべきである、こういう意見を述べたわけであります。  さらにずっと古くからのことを申し上げれば、こういう点はわれわれ日本人が誤った点であり、今日率直に誤りは誤りとして、新しく平和共存への道に邁進することが日本人として正しいと思います。
  82. 佐々木盛雄

    ○佐々木(盛)委員 過去において非常に軍国主義に協力したことが間違いであったという前提にお立ちになっての御議論ならば、それもそれでよろしいでしょう。私はこれで打ち切っておきます。
  83. 小澤佐重喜

  84. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 私は質問をいたします前に、ニエップさんに一言ごあいさつを申し上げておきたいと思います。これはあなたがおっしゃいますように、戦争の傷というものは金銭や物質でいえるものではございません。私たちもさよう存じておりますけれども、できるだけの誠意を示すべきが日本人の立場であるという誠を持っておりますので、御了承していただきたいと思います。  そこで私は、一番先に御意見をいただきました横山さんに一点お尋ねをいたします。御意見を拝聴いたしまして、後進国の開発といいますか援助と申しますか、失礼でございますけれども、日本の方が高度な科学水準を持っていると申しますか、実力を後進国の開発に対しては安南の人たちよりも持っている、こういう現実の上に立って後進国の開発を援助し、協力することによって、あの前のような戦争をし、侵略をし、人を殺し、他民族を殺してわが民族が栄えようという行き方は間違いであるけれども、これをやることによって相ともに栄えるという建前は、おっしゃることがよくわかると思うのです。そこで、私は御同感でございます。しかし今回のベトナム賠償と後進国の開発援助とをいたずらに私は混同すべきではない、かように考えるのでございますが、賠償と後進国の開発援助という両者に対して、あなたはどういうお考えをお持ちであるか。根本的に私の考えを申しますならば、賠償賠償としての誠意を示すけれども、後進国の開発援助は、純粋の援助の立場から、協力立場から、別途に経済的な面から考えるべきである、こう考えているのでございますが、そこのところはあなたと少し違うように思いますので、この際少し答えていただきたい。
  85. 横山正幸

    横山参考人 主義上は私も同じように考えるのですけれども、ただ実際問題として日本があまり今裕福ではありませんから、義務として履行すべき賠償を履行するなら、それを同時に後進国援助に利用した方がよかろうと思うわけです。それで二つのことを、つまり主義上の理想の問題と、現実の具体性のある解決とを両立せしむる意味において、今の程度の賠償ならばまあいいんじゃないか、こう思うわけです。それはなぜかと申しますと、私若そうに見えますけれどもあとじき七十に近いので、外務省に入りまして満四十四年になります。その間いろいろと国際問題を真剣に研究し、日本が今度のように敗れるに至ったことをはなはだ遺憾としておるわけであります。本来ならば私もこんなところに出ないで隠居しておっていいのを、一生懸命働いておって戦後にあんなところまで出ていったおかげで、こんなところまで引っぱり出されることになったのであります。それは実際に誠意をもってお国の復興に尽力したいと心から思っておるからなんです。その意味において今の御質問に同感であると同時にこの賠償を利用されていいんじゃないかということを申し上げます。
  86. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 賠償が合理的であって、かつ日本にとっても全ベトナム人たちにとっても害あって利なきものになってはいかぬ、お互いに利がなければいけない、これは同じ理念だと思う。しかもあなたがおっしゃいます通り、できるならば経済開発援助が賠償と合理的にミックスされてもいいのじゃないか、こういう主張もある程度私は了解いたします、現実の問題として。ただし、たびたび論じられておりますように、この南ベトナム賠償の問題に関しましては非常に後進国の開発援助と純粋に解釈できない国内情勢が、南ベトナムの上にあります。それは何かと言えば、南ベトナム全体の経済機構というものが御存じの通りここ二、三年の間はアメリカのICA援助によってその骨組みが立てられておりまして、そのICA援助というものが第三者の目から見て、公平に後進国の開発援助に向けられておりますならば、日本賠償がこの中に合流していくということには批判の余地がないと思うのでございますけれども、このICA援助のほとんどが軍事施設にそそがれておるというところに、私はこの南ベトナム経済問題全体に大きな一つの問題があると思うのです。従ってこのアメリカのICA援助に加うるに日本賠償が加わって、そして微妙な関係にあるところの南北ベトナムに好まざる結果を生むような、日本が刺激となり、現実に片方に加担するということにこの賠償を通じてなるという懸念が、今の南ベトナム経済情勢においてはあるということはおわかりになると思いますがどうでございますか。そこに危険性をお感じにならないかどうか。
  87. 横山正幸

    横山参考人 私は政府の人間でない、全然中立の人間でありますから、多少理想論を述べますと、それは日本賠償実施の方式いかんによると思うのです。なるほどおっしゃる通りアメリカのICA資金が軍事的に利用されていることが多いならば、日本賠償ができ得る限り平和的施設に利用されるように指導していかれたらいいと思うのでありまして、政府がこれを実施されるときに、多分社会党のお方と思いますが、社会党的にも御研究になって指導されたらいいのじゃないかと思うのです。それで根本問題といたしまして、私はやはりできるだけ早く、賠償問題が今平和条約によって課せられた義務として残っている限り、解決を急がれた方がお国のためになる、というのは、今の全体の問題として今あやしい、つまりそういう不便が起こりやしないかというような御心配は、実はフィリピンに対してもインドネシアに対してもどこに対してもあると思うのですよ。なぜかというと、これらの諸国は結局自由主義陣営の国々でしょう。それをソビエト式の方から見ますと、何だ日本アメリカと一緒になってむやみにああいうところに賠償を払って、払わなくてもいいじゃないかという議論も立つわけですね。しかしながら、われわれにしてみれば、何もフィリピン側は日本賠償を受け取ってそれで軍備をやって、ソビエトなり台湾なり、そういうところにけんかしかけることとも思わない。むしろ私にしてみれば、やはりフィリピンに払った賠償の金で向こうがよくなれば、やはり日本と提携して日本のものを買うようになるし、日本日本の必要なものを売るようになるというふうに思いますから、今後インドネシアでもビルマでもみんな同じだと思うのです。ただその賠償の実施というものについてはやはり慎重に御検討下さったらいいのだと思う。
  88. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 ここで国会議員があなたと討論するのじゃございませんから、承りまして……。私は社会党でなしに社会クラブでございます。(笑声)  それでは私は東京大学名誉教授の横田先生に伺います。先生の御意見を承りまして、私たちしろうとから見まして、法的に推していったらなるほどそういうふうになるだろうという御意見よくわかりました。  そこで私がお聞きしたいのは、法的にはこうだけれども、現実問題も無視できないという意見も差しはさまれまして、その中に南北――これは南と北が問題になっておりますから、私はこれをお尋ねするのですけれども、南北の統一は当分不可能だと思うというお言葉がございました。これは非常にむずかしい問題でございまして、三年先か、五年先か、十年先か、いや一年先かという結論は、これは他の地球の上にあります同じような悲劇と比較しまして、その原因を、先生がおっしゃるように深く探求してみますときに、これは結論が出ないというのが常識だと思う。その常識の、出ない上に立って岸内閣がやっているのだから少し同情もしてやれという言葉も出てくるかもしれないけれども、私は半永久に解決しないかもしれないというこの先生のお言葉、私もこういう意見を持って政府に質問をしてきたのですが、半永久的に不可能だということをひっくり返してみますと、私はこういうことも生まれてくると思うのです。全地球の人々はこうした民族の悲劇の一日も早からぬ解決を願って統一を願望としているけれども、不幸にして統一がならないときがある、こういう場合を想定しなければならぬと思います。これは統一ができなかったら、北は北、南は南と独立いたします。先生も御存じの通りベトナム民主共和国と、ベトナム共和国とはそれぞれ憲法を持ちまして、そうして自分たちは一つの国家であるというところの主張をいたしまして、安保理事会でも国連加盟をせり合ってきているのです。いつでも両方ながら却下され、拒否権を使われて、一国と両方公平にみなされておらないというのが安保理事会の取り扱いだと見ておりますが、自分たちでは一人前だと言うけれども、二つながら一人前に認めておられない現状、しかし将来これが地球の上に一つずつ一人前として認められる可能性が出てこないとも限らない。なぜこういうことを言うかと申しますと、アメリカとソビエトの両陣営の動きを見ますとときに、いわゆる雪解けに入ったと言われる。共産主義オールの地球もあり得ない、世界もあり得ない。かと言って共産主義を無視して資本主義アメリカ陣営だけの世界もあり得ない。そうすると、お互いに平和共存して話し合いの中に栄えていこうという妥協点を見出そうという機運が生まれてきているのでございますから、この前提に立ったときにお互いの現状を認め合おうという意見が出てきたとき、ソ連圏はソ連圏をアメリカ圏はアメリカ圏を、一傘下の小国といえども現状において認めるという話し合いができたときに、世界の大勢は二つのベトナムを認めるようなことが私は生まれてくると思う。そうしたときに、北と南というものはサンフランシスコの義務云々は解消するとおっしゃいますけれども、一独立国家として新たに私たち北ベトナムから賠償権が、今までの声明などいろいろなあり方を見ましたときに生まれてくると思う。私はこれはベトナムだけの問題を取り上げて言うておるのではなしに、次の国会で問題になりますでありましょうところの安保条約というものをずっと見てきましたときに、ソ連側は現状においては日本アメリカの仲を認める。逆に、だから日米間においても中ソ友好同盟の現状を認めてくれ、そうしてお互いにこれに触れないで、お互いに積極的に敵視しなければならぬような方向に行かぬようにして、ここで立ちどまって、両方が一つものを話し合おうじゃないかということをここ数年ソ連、中共側が提唱してきている。そういうことになりますと、現状を認めるという話し合いは、雪解けの中に出てくると思う。そのときに固定化してしまって南北が統一できないときに、北というものが一つの国家として正当に認められるときが来たときに、一体どういうことになるか、こういう場合を横田先生はお考えになったことがあるかどうか、御意見を拝聴いたします。
  89. 横田喜三郎

    ○横田参考人 ベトナムが将来統一するか二つに分かれるかということは、統一するとしたらいつ統一するだろうかということと同じように、全くわからないことだと思います。私が統一することが非常にむずかしいだろうと申しましたのは、たとえば同じような問題がドイツの場合にも起こりますが、ドイツの問題を見ましても、ドイツの統一ということのみならず、ベルリン問題さえもほとんど解決の見込みがない。今度フルシチョフがアメリカを訪問しましたとき御承知通りいろいろ話し合ったらしいのですが、まあむずかしい問題として、ベルリン問題、ドイツ統一の問題、中共問題がありますが、一番やさしいのがベルリン問題ですが、そのベルリン問題についても、全然何らの具体的な成果もない。ただベルリン問題をなるべく早く話し合おうということと、話し合いについて期限をつけないということだけがきまっただけでありまして、従って話し合いがどういう方向に解決するかということは、全然方向さえもきまっていないと思います。ベルリン問題すらそうだとしますと、ドイツの統一というものはなお一そうむずかしいと見なければならない。ドイツ統一と同じような事態にあるベトナムの統一も、非常にむずかしいと思います。こういう意味で、私が申しましたのは、つまり、一部にベトナムの統一を待ってから賠償問題をやればいいじゃないか、そういう議論がありますので、そういうことを待っているといつまで待っていいかわからないという意味を申し上げたのであります。しかし、必ずしも長く待ったら統一されるとも限らない、二つになるということも十分考えられるのであります。しかしそうなるためには、これを国際的にも、二つにしようという考え方について話し合いがつかなければなりませんし、それからベトナム自身が、今のところ御承知通り、南も北も自分が全体の代表者だということを言っていますから、ベトナム自身もそれじゃもう仕方がないからあきらめて半分ずつにしよう、自分たちは半分だけでいいという、そこまで観念してこないとこの問題は解決しないと思います。それには私はやはりまだ相当な時間がかかるんじゃないか、そういうふうに考えてみますと、日本賠償問題をそこまで待っていいというなら別としまして、これを早く解決することが条約上からいっても、また日本東南アジアとの関係からいっても、なるべく早く解決する方がいいということになりますと、やはりそういう、事態がどっちかに片づくまでということを待っていることも困難だと思います。それから最後に、そういうふうに二つに分かれた場合に、今賠償協定を済ましておいてどうなるかという問題でありますが、これは一つつの国が二つに――今はどちらにしても一つという建前をしておりますから、それが南北二つに分かれると、一つの国が二つに分離した場合になります。そうしますと、その一つの国として解決された問題は、分離した場合には二つともそのときの権利義務を承継するということになりますから、今一つの国として解決してしまえば、あとでできた二つの国はその解決を承認するのが国際法上の原則であります。で、つまり日本としましては、一つという建前で今交渉をしておりますし、そうして世界も大体一つという建前でやっておるのでありますから、私は、これを一つとしてやることは法律上は筋が通っていると思います。従って法律上通っていますれば、二つに分裂すれば、そのときの二つの国は前の一つの時代の法律関係をそのまま認めるというのが国際法上の原則でありますから、純法律的にいえば、二つができても一つのときできた法律関係承認すべきだと思います。しかしこれは純法律的に申しましたことで、実際問題となりますと、それは北がその場合に賠償を放棄すれば別として、放棄しなければその問題が起こると思います。それは今申しますように、そのときに交渉するほかない。交渉がまとまればいいし、まとまらなければ国際裁判所でも解決するほかはない。国際裁判所に行って解決すればどうなるかということは、先ほど申し上げた通りであります。
  90. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 そこで今少しはっきりしませんが、時間がかかりますから、私これでやめておきますが、同じことについて平野先生御意見をいただきたい。
  91. 平野義太郎

    平野参考人 今同じ問題についてお尋ねがありましたが、私はこの席上でもすでに国際的に締結されているジュネーブ協定というものが尊重されなければならないという観点から申し上げるべきだと思います。これは厳然たる条約であります。日本が入っていないからといっても、南ベトナムは入っておるわけです。従って南ベトナムは単独には賠償を受けられないわけであります。やはり統一した暁、すなわち五六年の七月までに統一選挙をしようではないかということを協定をしたわけですから、その義務があるわけです。それをしない場合には、事実問題ではございません。これは協定に違反をいたします。その違反するように日本がしむけるわけですから、日本協定の違反をさせるような、信義にもとること、従って協定を尊重しないこと、すなわちやはり国際法の原則に違反することになるわけであります。そこで今の二つの法律論と同時に二つの問題が入りますが、せっかくジュネーブの協定ができて統一と独立と領土の完全性、インテグリティ・オブ・テリトリーということが協定の中にメンションされておるわけですね。そうとしますれば、各国ともこの協定が実現されるようにみなして考えるべきである。言いかえると、やはり統一です。二つに分けて国境線ではないと言っておる、あの条項は結局領土のインテグリティ、完全性というものを作り出すように、統一するように各国とも努めれば統一ができる。今お話はほとんど何か客観的に統一するかどうかというふうにおっしゃっておられますが、そうじゃなくて、各国が統一の方に向けるようにすれば、統一はそんなに遠くなく私はできる。ことに今言われましたような世界は根本的に変化してきておるわけでありますから、そこでやはりこれはできる。そんなに遠い将来でなくできる。要するに統一するまでこれは待つべきである、こういうことになるわけです。  要約いたします。事実問題ではありません。ジュネーブ協定の違反、義務違反をするようなことになる。それから同町に実際上の問題はジュネーブ協定を実行するように日本が努めれば、各国も努めれば統一は決して遠いときではないということを申し上げます。
  92. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 御意見を承りましたが、いかに全人類が統一に努力してみても二つになったときということで私は聞いているのです。同じ意見なんです。  そこでもう一つお尋ねをいたしたいと思いますが、横田先生とまたお二人にお尋ねいたします。私が質問をいたしますと、藤山外務大臣は北のホー・チミン政権は交戦中の政治団体あるいは民間団体にひとしいものであって、一つの国家でないということをお答えになるのでございますが、この答弁に対するお二人の先生方の御意見をちょっと聞かせていただきたいと思います。
  93. 横田喜三郎

    ○横田参考人 その根拠としてはおそらく国家だという根拠ですね。これはハノイ協定、四六年のハノイ協定を根拠としておられると思いますが、このハノイ協定そのものを見ましてもベトナム民主共和国を自身の政府、議会、軍隊、財政を有する自由国、自由州といいますか、エタ・リーブルとして認めるというのでありますが、しかし単にそうではなくて、フランス連合及びインドシナ連邦を構成するエタ・リーブルとして認めるというのでありまして、完全な独立国でないことは明らかであります。そうしてつまりフランス連合というものの一つの構成国、その構成国がこのときにはインドシナ連邦がその構成国になるという形であります。そのインドシナ連邦というのはカンボジアとラオスとそれからベトナム、それからコーチシナというもので構成されることになっていたのでありますから、完全な独立国でないフランス連合のもう一つその下のインドシナ、またその一部分ですからこのインドシナだけが独立国ではないということは明らかであります。ですからこの場合エタという言葉を使っていますが、これを国家と解すれば非常な誤りで、むしろアメリカのステート、アメリカでもステート・オブ・カリフォルニアをカリフォルニア州と訳しておりますが、あのステートと同じで、むしろ州と見るべきであります。ですから、これは国際法上の国家ではない、そしていわゆる自治州として将来こういうふうな地位を持たせるというのがこの協定であります。  ところが、一応こういう協定ができましたが、その協定を実施して今のような完全なフランス連合の一部とするような交渉を続けているときに、話し合いがつかなくて交渉が決裂し、そしてトンキンで武力衝突が起こったのであります。その結果フランスは、ホー・チミン側でこの諸協定の実施について十分な保障を与えない、つまりこの協定をホー・チミンの方で守らないという理由で交渉を決裂して、ホー・チミンを相手にしないというのでありますから、これでこの協定は効力を失い、ホー・チミンは、認められた自由州としても法律上効力を失ったと私は思うのであります。ただ事実上の政府が残っている、そういう関係でありますから、これを普通の独立国のように解釈することは、法律上ハノイ協定自身としても誤りでありますが、その後の事態の推移によってそういう事態が解消したものと思っております。
  94. 平野義太郎

    平野参考人 今の点についてお答えいたします。新聞紙上で拝見いたしますと、藤山外相も交戦団体とか民間団体とかおっしゃったようでありますけれども、交戦団体といえば、交戦しているわけですけれども、今交戦いたしておりません。民間といってもこれは国家あるいは政府としては領土政府と、一定の領土のインテグリティ、完全性を持っておる限りは、これは別に民間団体でないことははっきりしております。  そこで今の点はやはり一九四六年の、先ほど私が申し上げましたが、民主的な手続によって南北ともに選挙によって国会を開いて大臣を選び、そこで大統領も選んだという国内法的な手続を踏んでおるという点において、正式な、正当性ある合法的な国家である。それが朝鮮の場合と違って――朝鮮の場合は九月八日までだけであったようでありますけれども、ずっと引き続いてきておるという点で継続性があるという点を特に申し上げたわけであります。
  95. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 それではお二人の意見が違いますので、またお二人の先生方に聞きますが、国際連合に加盟を申し出ますときに、一つの国家でなくても、民間団体でも政党団体でも、安全保障理事会で取り上げてもらって、これを加入さすべきか加入さすべきでないかという賛否の票を入れてもらう資格があるのでしょうか。なぜ私がこういうことを申し上げるかと申しますると、毎年両ベトナムが国連の加盟国として理事会のまないたの上に載せてもらって、却下されないで加盟国にするかしないかの投票をしてもらっておるわけです。日本の自由民主党が国連加盟を申し込みに行かれたときに、安保理事会がこれを受け付けてくれるかどうか。ですから、ホー・チミン政権が交戦中の交戦団体であるならば、安保理事会は、国連加盟国として審議すべきであるかどうかという点について、北だけをはねて南だけを取り上げるべきだと思うのですが、藤山さんの言われる正統政府である南と同様に北も取り上げて、まないたの上に載せて、両方とも賛否を問うておるわけですから、一つお二人の先生方に、国際連合加盟には民間団体でも受け付けるかどうか、これを教えていただきたい。
  96. 横田喜三郎

    ○横田参考人 これは堤さんも十分御承知だと思いますが、もちろん民間団体は国連に加盟する資格はございません。国家でなければならない。ただホー・チミン政権が国家であるかどうかということは、つまり国家というのは何か、政府と議会があれば国家であるというふうに考えられるかもしれませんが、国際法上の国家というのはそういうものではない。国際法上は、他の国から承認を受けなければ国家ではない。ホー・チミンに軍隊があるとか、領土があるということは事実上の政府にはなるかもしれませんが、国際法上の国家ではない。それは他の国から承認をされなければならない。そこでホー・チミンの方は共産主義の十二ヵ国から承認されておりますから、そういう限られた範囲の国家と認められておるが、世界の他の大多数の国からは国家として認められない。だから大多数の国から見れば国家ではないが、共産主義国家から見れば国家だというのが実際の状態であります。
  97. 平野義太郎

    平野参考人 今の点について申し上げます。  申すまでもなく、国家でない交戦団体とか民間団体が国連に入るということは、およそ考えられないわけです。ただ今ここで御議論になっておる点がきわめて機械的でぎこちなくて、共産主義か資本主義かで終わらせるような観点から見ることが、いかに今日の事実に反し、実際問題を解決する上に大へん不都合なことであるか。だから私はバンドン会議の共同コミュニケ――今後は南北が統一された暁、一つのベトナムとして国連に加入するようにみんなで骨を折ろうじゃないかとアジア、アフリカ二十九万国が決議して、高碕さんも藤山さんもそれに参加しておられた。従いましてやはり南北のベトナムが統一して、全体としてのベトナムを代表して国連に入るということにおいて国連問題の関係があるということを申し上げます。
  98. 小澤佐重喜

  99. 穗積七郎

    穗積委員 時間がおそくなって御迷惑でございますし、他の委員も質問の通告があるようですから、しごく簡潔にお尋ねをいたしたいと思います。従って御答弁も、説明は多くを要しないで、結論を御説明いただければけっこうですから、あらかじめ御了承を願います。最初にお尋ねいたしたいのは、横田先生と平野先生に質問が数点ございますれけども、時間の節約上一括して質問をいたしますから、おそれ入りますが簡単にメモしていただいて、両先生から一括して御答弁をいただきたいと思います。それが済みましてからグエン・リン・ニエップさんに同様に二点だけ一括してお尋ねしておきますから、あとで御答弁をいただきたいと思います。  まず第一にお尋ねいたしたいのは、先ほど来横田先生から今度の賠償協定の正当性、義務性の問題についてサンフランシスコ条約十四条が大本であるという御説明でございました。今岸内閣のとっております態度もその通りでございます。われわれは実はサンフランシスコ条約に調印をいたしました南ベトナム政府の独立性について多くの疑点を残しておる。しかしその問題は、ここで両先生を相手にして質問をしたり議論をしようとは考えておりません。これは政府とわれわれ国会との間であとで審議を進めたいと思っております。  そこで一応サンフランシスコ条約ベトナムの調印が正当性の仮定に立ってお尋ねをいたします。その場合に、日本側がすみやかに相手の交渉に応じて、そして円満に賠償の義務を履行すべきであるという点については、条約上これが正当でありますならば当然でございますが、その場合に、その後生じております南ベトナムの政治情勢並に国際法上に現われて参りました情勢の変化によって、この南ベトナム政府だけに対してこれを全ベトナムを代表する正統政府として日本が相手の要求に応じてすみやかにかつ円満に賠償義務を履行すべき一方的義務があるのだ、もしそれが延びたならば義務に対する懈怠の責件は日本側にのみあるのだという論調でございますが、その点について私はお尋ねしたいのでございます。すなわち、われわれはもとよりサンフランシスコ条約に対しましては、これが比准されておりまする以上は、責任を持たなければなりません。ところがその後このベトナムの問題につきましては、ここで重要な問題は何といいましても四六年のジュネーブ協定だと思うのです。これには言うまでもなく日本は調印をいたしておりません。しかしながら相手国である南ベトナムは、北並びに南両政権を対等の政権としてこれを認めて、両政府がこれに参加いたしまして、このジュネーブ協定には当事国である相手国は義務を負っておるわけですね。私どもの解釈では、この場合における南ベトナム政府というのは四九年のフランス政府との間における協定または独立宣言、これらをみずから否定いたしまして――境界線は必ずしも十七度線を私は国境線とは申しません、これは軍事停戦協定の線であって、政治的ライン、または国境のラインではないといっておりますから、それにはとらわれませんけれども、少なくともベトナム領域全体におきまして、北の政権、ホー・チミンによって代表されておる政権も対等のものとして同じ条件のもとで認めて、そして統一政権ができるまでみずからもやはり限定かつ暫定政権である。ジュネーブ協定は、先ほど平野先生のお話にありましたように単に停線協定ではなくて、統一のためのはっきりした独立並びに領土保全の確約をしておる条約でございますから、従ってそれも五六年国際委員会の監視のもとに民主的なる選挙が行なわれて統一政権ができる、これこそが最終的かつ継続性のあるベトナム政権であるということを、南ベトナム政府フランスアメリカもその他の国も加わってこれを確認しておるわけでございます。従ってこの場合における南ベトナム政府というのは四九年の後の五四年のジュネーブ協定をみずから承認することによりまして、みずからを限定かつ暫定政権であるということを確認しておる、そういうふうに私どもは考えるわけです。この相手国と今度賠償協定をやるわけですから、ジュネーブ協定において日本が調印をいたしておりませんでも、これはもとよりこのジュネーブ協定関係国、相手ベトナムに対しましてはこの精神を尊重し、この精神の実現に協力すべき国際法上または国際政治における義務があると考えられるわけでございます。しかもこのジュネーブ協定につきましては形式的に申しますならば、その後におきますバンドン会議におきまして日本を代表する政府全権がこのジュネーブ協定を認め、かつ尊重し、そして結論としてはジュネーブ協定の確約をいたしておるのであります。平和的な統一政権の実現と、その統一政権を唯一の政権として初めてこの国連加盟を確約することをバンドン・コミュニケの中で認めておるわけですね。そういうことになりますと、私がここで言いたいことは、ベトナムとの賠償協定の義務を行なうという場合においては、サンフランシスコ条約が先ほど先生のお話のように合法性があり、正当性があり、われわれが一方的に義務を負っているというふうな解釈が成り立ったといたしましても、その後におけるジュネーブ協定並びにバンドン会議におけるわれわれの共同宣言の責任からいたしまして、もし統一政権がでるまで、すなわち日本側の一方的なる異議やあるいは日本側の事情によってサンフランシスコ条約十四条のベトナムに対する賠償義務の履行ができないのではなくて、相手の事情によって、相手の情勢の変化によって、それを原因として賠償協定の実施が延期されていることになりますと、先ほど先生が御説明になりましたように、サンフランシスコ条約に対する義務の一方的懈怠であるという解釈はいささか法理解釈からいたしましても、国際政治の常識からいたしましても、必ずしもわれわれは一方的にのみ賠償義務懈怠の責任を負う必要はないんじゃないかという点が一点でございます。すなわち第一点私がお尋ねいたしたいのは、われわれ日本国家はサンフランシスコ条約十四条に対する義務を負うと同様に、ジュネーブ協定に対しても尊重する義務を負い、しかもその条約を、精神をわれわれは無視することはできない。そして同時に関連いたしまして、それが理由によって、情勢の変化が原因になって日本の対ベトナム賠償協定の実施がおくれましても、日本側の一方的義務懈怠ではないと国際上解釈すべきであると私は考えるわけでございますが、この第一問の二点に関連いたしまして、お教えをいただきたいと思うのでございます。  それからその次に問題になりますのは、先ほどもちょっと話が出ましたので、もうすでに質問しなくてもおわかりだと思いますから結論だけ第二点に申し上げますと、その政府が存続するかの事実承認の問題ですね。北ベトナム政府南ベトナム政府との国際法上における客観的な正当性の問題につきましては、ジュネーブ協定によりますと、同様両方が参加して、両方ともみずからの意思によって限定かつ暫定政府であるということを承認しておるわけでございますから、従って一方は十数ヵ国、一方は四十何ヵ国、そういう数によってその政府の国際法上の基礎における強弱または上下優劣につきまして差別すべき理由は、少なくとも法律的にはない。多数である方が政治的に云々であるということも言えるかもわかりません。しかしそういうことを言うならば、最近の国際連合を中心にいたします政治の考え方というものは、もうすでに拒否権の問題を中心にいたしまして、これを解決するためには、やはり人民一人々々の意思を尊重する世論政治、すなわち人民の直接選挙による国連の代表権を確立したらどうかという意見が出ておるごとく、特にこの賠償問題ということになりますと、特殊の政府または首相に対して賠償の義務を負うのではなくて、戦時中に与えましたその人民に対して賠償を負い、しかもそれは平和的に福祉のために役立つという条件で人民に対して賠償を負うということでございますから、そういう最近の国際法上における人権と国際政治機構との直接のつながりが一つの傾向であると思う。そういうことからいたしますならば、これを承認している国の数が何ヵ国以上であるならば、その国は政府として存立する客観性がある、何ヵ国以下であるならばその客観性はないという国際法上における条理は立つまいと私は思いますが、その点について第二点にお尋ねをいたします。  第三点は、今の南べトナム政府に変更が生じました場合に、後に全ベトナム地域においてできましたいかなる政府に対しても、また再び日本賠償の義務を負うものではないという問題でございます。それにつきましては、私どもの理解は次の通りでございますが、これに誤りがあるならば、両先生から御教示を仰ぎたい。  と申しますのは、その問題についてAの質問は何かというと、先生は先ほど南ベトナムにおきまして憲法に従った選挙が行なわれて政府が変わった、たとえば鳩山内閣から岸内閣に変わった、あるいはまた石橋内閣に変わったという場合と同様の方法が行なわれた場合においては、この権利義務の継承性があるし、承認の問題は新たに出てこない。すなわちその場合においては南ベトナム政府の合憲性の問題として指摘されましたが、それはちょっと間違いではないかというふうに思うのです。この場合において南ベトナムの恒久的なる、しかも全ベトナム人民が要望し、アジア・アフリカの全人民、全政府が要望いたしておりますのは、今まで先生のおっしゃった通り統一政府です。その場合に、その合憲性をもって権利義務が継承さるべき政府というのは、南べトナムの憲法に従って選挙が行なわれた場合でなくて、ジュネーブ協定のポーランドを議長とする国際委員会の監視のもとに民主的かつ平和的なる選挙が行なわれて統一政府ができた場合に、私はこの法の継承性が生じてくるのではないかというふうに考えるわけですが、これがAです。  それからBにつきましてお尋ねいたしたいのは、南においてもまた北においても、もしここで国内の憲法にも従わず、またジュネーブ協定に従う国際委員会の監視のもとにあの協定に従った民主的かつ平和的な選挙が行なわれないで、革命が行なわれた、またそれが統一された、その場合におきましてのこの法の国際条約における権利義務の継承性についてお尋ねいたしたいのでございます。その場合においては、先ほど先生のおっしゃった通りに、私もまたその新たに生じました政府、国家に対して、日本その他の国が承認をするかしないか。南ベトナム政府に対しては承認をしておったけれども、そういう新たに生じた革命という方法またはジュネーブ協定に従う平和的選挙によらずして革命的方法によって新たな政府ができた場合に、それを必ずしも継続的に承認すべき義務はない。また従って承認の問題は新たに検討されるという場合が出てくると思うのです。そうなりますと、裏返してみて、前の南ベトナム政府賠償協定を結びましたその権利義務ははたしてそのまま合法的に継承されたものとして、日本が新たなる賠償交渉に応じないという理由になるかならないか、その点でございます。これがBです。  Cは、先ほど平野先生が御指摘になりましたように、今度の賠償の実施というものの内容は、平和的なものでなければならない。軍事援助を含む内容とする賠償実施というものは、ジュネーブ協定にも反しますし、賠償の根本精神にも反するということでございます。表面は平和的ということですが、実際は軍事的な賠償実施が行なわれたといたしました場合に、先ほど言いましたように、その協定はすなわち虚偽の協定になるわけですね。そのことを理由として、北または新たにできた統一政府が重ねて前の賠償を内容的に認めるわけにいかぬ、それはすなわち協定の虚偽を理由にして認めなかった場合に、日本は新たに賠償交渉に応ずる義務を負うのではないかとわれわれには考えられるわけですが、これについていかがでございますか、お尋ねいたしたいわけでございます。  最後にお尋ねいたしたいと思いますのは、先ほど堤委員も御指摘になりましたが、北ベトナム政府は一九四五年、終戦の年から直ちに独立宣言をいたしまして、フランスも認めた。その後翌年になりましてフランス協定違反を理由にして一方的にこれを廃棄して、戦争状態になったわけです。そして四九年に今のバオダイ政府を一方的にまた認めて、そしてサンフランシスコ条約の調印をなさしめて今日に至りましたが、その後に今申しましたジュネーブ協定でこれをまた限定かつ暫定政府としてフランスも加わって認めておる。こういう一連のベトナムにおきます政治的事実、この事実は、今後の条約解釈上この法の解釈における事実関係を検討してみますと、北ベトナム政府というものを今おっしゃいましたように政府としては認めがたいということは、法の単なるフィクションにすぎないのではないかという疑問を私は持つわけですが、これに対する両先生の御見解を伺っておきたい。  両先生に対する質問は以上四点でございます。  最後にグエン・リン・二エップさんに二点だけお尋ねいたしますが、第一点は、現在の南のゴ・ディンジェム政民に対する南ベトナムの一千百万の人民の支持の状態、これをお尋ねいたしたいと思うのです。  それからそれに関連いたしまして、南ベトナムの人民の諸君も南ベトナム政府を相手として日本賠償実施をすることを好まない、そして統一政府ができた後に全ベトナム人民を対象にする平和的な賠償実施を願っておるのではないかとわれわれは推測いたしておりますが、その点はいかがでございますか。これが質問の一点です。  第二点は、ジュネーブ協定によりまして現在の政権は暫定、限定政府だということになって、これを最終的に統一政府とすべき約束ができておりますが、この統一選挙が行なわれない理由は一体どこにあるとお考えになっておるか。われわれは、一九五五年以後この南ベトナムに対しまして非常な軍事的、経済的援助を行なっておるアメリカ、それを受けて非常な軍事力強化を行なっておる、こういう力の外交政策をとっておる南ベトナム政府のこの一貫いたしました戦争政策が統一を阻害しておる政治的理由である、従ってその点についてのあなたのベトナム人としての観測を伺いたいし、東西雪解け状態で、そしてこれが軍事的な対立の必要がなくなれば統一の可能性は立ちどころに出てくる。従って半永久的にまたは永久的に二つの政府が分立固定しなければならない情勢は私ども見てないわけですが、原因はそこにあると思うから、そういう意味でニエップさんの見ておられます南北統一の困難なる原因は一体どこにあるか、そしてその原因は永久的なものと見ておられるかどうか、そういうことについてのあなたの御判断を伺いたいと思うのです。  以上一括して質問を終わります。
  100. 横田喜三郎

    ○横田参考人 第一点はベトナムの南北政府が限定、暫定政府と認めていて、向こう条約義務履行の責任があるのだから、日本賠償をしなくても不履行にはならないじゃないかという御議論でありますが、しかし、政府は、南も北も自分が限定された政府だとか、暫定政府だとは決して認めていない。ただ十七度線がそうだと認めているだけで、南北政府は、自分は全体の永続的な政府だと認めている、そして主張しておるわけであります。その点、日本も、そういう立場で問題にしておるのでございますから、日本から見れば、ベトナムは決して暫定、限定したものではなくて、全体を代表している。従って、日本としては、講和条約上履行する義務があると思います。  それから第二の、数で優劣をきめることはよくないとおっしゃいますが、確かに数で優劣をきめるのは、多数決ではありませんから適当でないと思いますが、要するに、二つあって、どちらかを一つの政府として認めなければならない必要に迫られていますから、各国がどちらかを認めているわけであります。従って、その認めた方からいえば、その一つの政府が全体の代表者ということになる。そうして日本は講和条約以来の外交関係で、南ベトナム政府をもってベトナム全体の代表者と認めているのでありますから、日本から見る限り、これは南ベトナムをもってベトナム全体の代表と見なければならないのであります。ただそういう日本の見方が国際的に非常に不都合な場合は、これは問題だろうと思います。ちょうど満州国を日本承認したような場合で、あのときは日本だけが承認した。もっとも中南米のグァテマラでしたが、サルヴァドルかが承認したということはありますが、六十何ヵ国のうちで、日本を除くとその一つの国だけが承認した、こういうのは、承認した国から見ればそれで一つの国家だと見ますけれども、国際的に見て、はなはだ適当でないといわなければならないと思います。従って、日本が認めておることが適当かどうかという判断になりますと、五十万国前後が認めておりますから、これは国際間の常識、通念として、そういうことが少なくとも不当でない。従って、日本としては、不当でなく正当に認めているのでありますから、日本に関する限りは、これが全体の政府と見るべきだと思います。  それから将来統一されたような場合の継承の問題でありますが、今申しますように、日本南ベトナムベトナム全体の正統政府として取り扱っているのであります。そして国家の正統政府が他の国との間に負った権利義務は、それはその国家の権利義務になるわけであります。その政府だけではない。たとえば岸内閣が権利義務を負えば、それは岸内閣がつぶれるとその権利義務はなくなるわけではなくて、日本国家の権利義務として残る。従って、ベトナム政府の正統政府日本から認められるものが、日本との間に負った権利義務は、ベトナム国家の権利義務になる。従って、将来統一された政府ベトナム国家を代表すれば、その政府がそれに拘束されることは当然だと思います。  それから軍事的賠償は、将来そういうものは賠償の意思に反するから無効になるのではないかということになりますが、これは一体、たとえば一番問題になるダニムの水力発電所は一体軍事的目的かどうかということですが、この水力電気がそうだというのは常識上考えられると思いますが、その電気の一部分が軍需工場に使われたからといって、それでその水力発電所が全部軍事的目的だなどということは、私は少し常識に反すると思います。従って、この問題は軍事的賠償になるかならないかという問題で、これはむしろ法律問題でありませんから、私ははっきりした回答は差し控えたいと思います。  それから最後に、北ベトナム政府を認めないのはフィクションではないかということでありますが、これは北ベトナム政府が事実権力を北ベトナムで行使していることは事実でありますが、法律関係から見ますれば、日本はそれを認めていないから、法律上はこれをもって政府とは認めない。こういう事実と法律との食い違いということは常にあることでありまして、そこに私がさっき申しましたように、違っているから幾らか割り切れないものがあると申したわけであります。そのもう一つの例は、たとえば千島と樺太であります。あれはまだ日本とソ連との間には、日本が割譲するという正式な条約はない。従って、日本としては、あれはまだ日本領土であるという法律上は建前をとっているわけであります。しかし事実はソ連が占領しているから、こういう事実と法律との食い違いはざらにあります。従って、事実に違うから法律がすっかり意味がないかという議論をしますれば、ソ連が樺太と千島を占領しておるから、もうあれが日本領土だという主張は全然意味がないといわなければならないと思います。しかし正式に領土割譲がされない限りは、たとい日本領土の一部が他国に占領されていても、それはまだ日本領土権のうちにあるという主張は、決して無意味ではない。そういうように事実関係と法律関係が違った場合、事実関係だけが正当で法律関係がフイクションだというふうに考えることは、いささか行き過ぎだろうと思います。
  101. 平野義太郎

    平野参考人 第一点からお答えをいたしますが、第一点は、サンフランシスコ条約でもってきめられた義務を、かなりの程度延期しておって、今日まで支払っていないのは懈怠ではないかということについてですが、懈怠ではないのであって、第一に、一九五〇年ごろに、南ベトナム政権を承認するかどうかということでさえ、なかなか各国はよう踏み切れなかったわけでありますし、そこで私は一つの文書を御紹介いたします。トラン・ヴァン・フーがサンフランシスコ会議に行ったときに、彼が言うには、アメリカが結局南ベトナムをなかなか呼ばなかったわけです。あの会議の始まる直前に呼んだときに、呼んでもらって初めて自分の国の独立の運命がきまったというほど喜んだわけであります。すなわち前の承認というものは、逆に申すと、事実上ただ承認するという程度であって、なかなか承認しなかったほどのいろいろな今複雑した状況があるのでありますから、結局は、統一したベトナムというものができたときに、ほんとうに正式に合法的な賠償を支払うというようにわれわれがするのであって、決して義務の懈怠ではない、何も急ぐ必要はない、こういうことが第一点。  それから第二点は、数でもってきまる問題ではありませんが、そこで特に御注意を申し上げたいので申しますが、日華条約の場合であっても、このべトナム条約の場合でも、ダレスがフランスに飛んで、そうしてやり出しましたが、それがアメリカの責任だけではなくて、日本がこの賠償をすることによって、南ベトナムの共和国を非常に国際的に高くするかどうかという分かれ道になってきている。問題は日本にあるという点が重要であると思います。承認の要件については先ほど申しましたから、繰り返しません。  それから第三番目の継承性の問題でございますが、皆様方はすでに御承知通り日本の参議院並びに衆議院の議長あてに、ベトナム民主共和国の国会の常任委員会委員長から手紙がきております。この手紙によりますと、決して南に払うとか、北に払うとかいう問題ではなくして、南に払うということは、違法であり無効であるということを明書してあります。従いまして、継承性が生じた場合に、もうすでに無効であり、違法であるということを発言しておるわけでありますから、無効であると考えている以上は、やはり無効であるというふうにおそらく主張するだろうと思います。  それから次の問題は、革命があった場合、どういう革命か知りませんけれども、おそらくどんな革命であるにせよ、ベトナムで起こります革命は、必ず民主共和国の憲法第二条に書いてある通り、あるいはバンドン・コミュニケで書いてあります通りに、やはり民主主義と統一と領土の完全性と平和と、これを基礎にした、何も必ずしも労働党というふうに私は思いません。そう思わなくても、ここでいいわけであります。そういう政権であるに違いない場合に、もうすでに北べトナム、すなわち民主共和国の方は、この賠償をもって違法であり、無効であると宣言しておるわでありますから、どうせこれは無効であると主張するに違いないといたしますと、最後の問題は、結局無効であるのであるから、従って新しくできた国家が、あるいは革命ができたとして、あるいは継承性が統一されたような場合におきましては、新しく日本に請求するという権利を保留するものと見て差しつかえないと思います。
  102. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳つき) さっきの質問にお答えします。一番に対しては、すべてのベトナム人は、自分個人の利益より国家の利益を尊重している者は、先ほど私の発言に申しました通り、同じ意見を持っていると思います。  第二番の問題に関しましては、アメリカの軍事及び経済援助及び南ベトナムの軍事政策等に関しましては、図書館一つほどの本がなければ説明できませんから、日本にもそういう出版物は多量にございますから、そちらの方をお調べになって下さい。もし委員会方々希望でございましたら、私はそれを書面によって全部御提出します。  先ほどの質問の中に、ゼネヴァ協定に関して、南ベトナム政府の一時的な性格に関して発言がございましたけれども、私はゼネヴァ協定から引用しますけれども、南ベトナムは軍事再編成地域における民間政府であります。(「民間政府じゃない、行政管理機関だ」と呼ぶ者あり)失礼しました。行政管理機関であります。この字句はゼネヴァ協定にはっきりと明記されてあります。  いつベトナムが統一されるかということに関しましては、私の意見ではそれはごく近い将来に成立すると思います。
  103. 穗積七郎

    穗積委員 ありがとうございました。
  104. 小澤佐重喜

    小澤委員長 床次徳二君。
  105. 床次徳二

    ○床次委員 中川参考人に伺いますが、先ほど中川参考人賠償は適当な統一を待ってやったらどうかということを言われました。損害あること自体は認識しておられるようでありますが、全ベトナムに対する損害というものはどれくらいあるということをお考えになっておるか、伺いたい。
  106. 中川武保

    中川参考人 私は一九四四年から四五年にわたりまして、仏印地区におきますところの特殊工作隊長をやっておりました。その任務は、軍の軍需物資の収集、特に米の収集並びに輸送の任に当たっておりました。当時の状況といたしまして、先ほどからも言っておられますように、南の方に米がたくさん、農産物がたくさんございます。北の方は鉱産物が多い。鉄道はただ一本南から北に走っておる。この鉄道がアメリカの爆撃によって、橋梁あるいは鉄道が破壊されて運行ができません。これがために輸送ができません。海上の方面におきましては、南の方から米をたくさんよそへ送らなくてはならない。送らなくてはならないけれどもども、やはりカムランの沖でアメリカの潜水艦のために日本の艦船はほとんど襲撃されまして、船舶すらも運航が困難で、ほとんど輸送はできないような状態にありました。そのような状況下におきまして、従来から北部の方におきましては米が不足で、南の方から毎年十五万トンから二十万トン送って、そうして北の方の人々はそれによって食うておったというような実情でございます。これが北の方には全然その十五万トンの米が送れないという状態にあるところへもってきて、当時日本の情勢が非常に悪く、アメリカに対するところの抵抗線をラオスの山岳地帯に築いて、相当長期の抵抗を試みるために、ざんごうを掘り糧食をかき集めました。さらにフランスも、そのときに相当期間籠城しなくてはならないというので、フランス軍もまた糧食をかき集めました。また一方……
  107. 床次徳二

    ○床次委員 いや、簡単でいいです。相当損害を受けたことがわかればいいのです。
  108. 中川武保

    中川参考人 一方、米がちょうどできる時期に、米の実が実る前に、その米のたんぼを枯らしまして、切ってしまって、そうして日本がジュートを植え付けさした。これは海軍では万利公司、陸軍では大南公司あるいは昭和通商等を使ってやらせたわけです。それで、米の実るところは切ってしまう、ジュートを植えさすというような状況と、それから北部に米がそういう状況で来ない。来ないところに持ってきて、フランスがとる、日本の陸軍がとる、そうして山岳地帯に運ぶ。さらに海軍がとって海南島及び香港方面に北部から持っていかなければならない。カムランは当分は通れない、そういう状態で、極度に北部に米がなくなったという状況であります。私たちがこの四四年から四五年にかけてハイフォン、フリー、ハノイ、ハイジュン、ナムデンというような方面を歩きましたときにも、道ばたに死骸が非常にたくさん、五人や六人じゃないです。死骸がたくさん、これは商社の方々向こうに行っておられましたのでみんな知っておられますが、道ばたに死骸がころがっておる。生きておるのもある。もう立ち上がることができない。家の軒の下にも木の下にも横たわっておる。ただ目だけ動かしておる。これが朝になると死んでしまう。死んだ人間を牛車に乗せて毎日朝運んでいくということが非常に長い間続いたわけであります。そういう状況で、北部の方の餓死者の数は非常に膨大に上っております。これが中部におきましては、中部からツーランあるいはビンの方から米を集めまして、これを海南島、香港方面に送ったのですが、そのときには餓死者というか、倒れている人はあまり私は実際に見ませんでした。しかしその米を運ぶ陸軍が、トラックとか鉄道あるいは船に乗せるときに竹やりを持てきて袋を突いて、それが道ばたにこぼれる。それをがきのようにかき集める。それに対して日本軍は発砲して、威嚇射撃をやって追っ払おうとしたのですが、追っ払えずにそれにかけ集まってくるというような状況で非常に逼迫しておる。南の方におきましては米は従来からフランスが植民地政策で、ベトナム人にはできるだけ与えないようにしておった。そうして貧乏にしておって、貧乏にすることによっていろいろな労働力の搾取ができるというような状態にあったところへ日本軍が来た。日本軍はそれを各地の作戦地域に使おうとした。これに対する障害が、アメリカの潜水艦あるいは爆撃によって起きて、作戦に対する軍需物資の調達の輸送の面においてはいろいろな損害があったけれども、実際に米が残った。それがために南の発電所では、この米を石炭のかわりにたいて、それで発電所を起こそうというような状態です。
  109. 床次徳二

    ○床次委員 それではただいまの全損害というものは三千九百万ドルと比べてはるかに大きいものか、少ないものか、簡単に伺います。
  110. 中川武保

    中川参考人 それは私はわかりません。それは南ベトナムから請求してきておるものを……
  111. 床次徳二

    ○床次委員 いや、そんなことは聞いてない。ただいまのところでもって損害額が相当あるという事実だけが明らかになったということだけで、とりあえず質問をやめます。  次は平野さんに伺いたいのでありますが、平野さんには、先ほど平和条約に対して、南ベトナムは正式な参加を認められる資格はないのだというお話でありましたが、その後日本南ベトナムとはいろいろと交渉いたしておりますが、特に最後的には賠償交渉をいたしておるのですが、これによりまして日本南ベトナムベトナム共和国との関係はどういう関係になったとお考えになりますか。
  112. 平野義太郎

    平野参考人 お答えをいたします。二つに問題を分けて申し上げますが、第一はサンフランシスコ会議当時のバオダイ政権の権限と資格、これは申し上げました。これは明らかであります。  その後の問題は、今お尋ねのことかもしれません。すなわち五四年七月にジュネーブ協定ができまして、その以後さらに新しくバオダイの方で共和国、ゴ・ディンジェムを立てて参りました。そこで問題は、やはりジュネーブ協定というものがすべての法律関係の基準になるものである……。
  113. 床次徳二

    ○床次委員 それでいいです。日本との関係は、ジュネーブ協定によって全部が基準になるとお考えになっておりますが、英国その他の国との関係はいかようになっておるか、やはりジュネーブ協定で一切を律するものというふうにお考えでありますか。
  114. 平野義太郎

    平野参考人 ジュネーブ協定は明確にそれらの国、ソビエトや中華人民共和国まで入れての会議であります。従いましてこれに拘束されます。
  115. 床次徳二

    ○床次委員 次に横田先生に伺いたいのでありますが、トラン・ヴァン・フーの国籍の問題、これはもちろん平和条約の効力に関係ないと思うのでありますが、見解を承りたい。
  116. 横田喜三郎

    ○横田参考人 これは要するに、政府から交渉及び署名の権限を与えられた場合、これを普通全権委任状を与えると申しますが、その全権、フル・パワースを与えられれば、その国の正統の代表者であることは、国内法上は問題ない。国際的にはその全権委任状が相手国もしくは会議承認されなければならない。普通国際会議ですと、全権委任状審査委員会を設けて、それを審査して、そしてそれが適当であるということを総会に報告して資格が確定するわけであります。サンフランシスコ会議もこういう手続をとりましたから、国際的に彼の資格ベトナムを代表するものであるということがはっきり認められたのであります。国籍のことが問題になったようでありますが、国籍はどこの国籍であろうと全然関係がない。実際今までもそういう例がたくさんございます。申し上げろと言えば幾らでもありますけれども、特に申し上げる必要はないと思います。
  117. 床次徳二

    ○床次委員 次に各国との関係でありますが、平和条約に関する効力につきましては伺ったのでありますが、なお各国との関係につきまして、平野参考人はジュネーブ協定というものを根拠に置かれまして、ジュネーブ協定というものがある以上各国との承認関係というものにつきましてもほとんどこれは無効であるという立場をとっておられると思うのでございまするが、この意見に対しまして反対の立場に立っての御議論をなさるのだと申してようございましょうか。横田先生はそういう御議論を持っておられると思いますが、長くなりますから個々の御議論を伺うことは省略させていただきまして、結論だけ伺いたい。
  118. 横田喜三郎

    ○横田参考人 ジュネーブ協定承認の問題とは全然関係ないことでありまして、すでにその前に五〇年に北ベトナム南ベトナムもそれぞれの国によって承認されていまして、その状態がそのまま続いているのであります。ジュネーブ協定はただ今の休戦協定を成立させたものだけで、承認の問題には関係がない。従って前からの承認状態がそのまま続いている。従って五十ヵ国ばかりに対しては南ベトナムが有効にベトナムを代表しているという事実には変わりはないと思います。
  119. 床次徳二

    ○床次委員 この点については両参考人が完全に反対の立場に立って意見を論じておられることが明らかになったようであります。  最後に平野参考人にもう一回伺いたいのでございますが、すでに正統政府として認められたものに対しまして賠償をいたします以上は、その後に統一せられました場合におきましては有効な関係になるのじゃないか、有効な賠償として認められると思いますが、これを国際法上の立場において論じていただきたいと思うのです。現実の問題としては別であります。国際法上いかにそれが取り扱われるべきかということについて、重ねて一つお答え願いたい。
  120. 平野義太郎

    平野参考人 今のお尋ねが一九五四年七月ジュネーブ協定の……
  121. 床次徳二

    ○床次委員 ちょっとお待ち下さい。南ベトナムが正統政府であるとか、あるいは北ベトナムが正統政府という論拠はすでに議論があったようでありますが、いやしくも正統政府として認められるものに対して賠償をいたしました以上は、その後統一せられました場合におきましては、その賠償条約の効果がどう及ぶかという立場、これは国際法上の立場に立って論じていただきたい。
  122. 平野義太郎

    平野参考人 でありますからジュネーブ協定を持ち出しているわけであります。承認ということと一応離れましても、五四年七月以降は南ベトナムも決して……
  123. 床次徳二

    ○床次委員 ベトナムの話でなしに、国際法上どうなるか……。
  124. 平野義太郎

    平野参考人 国際法上南ベトナムも当事者としてメンションされておるジュネーブ協定でありますから、南ベトナムもやはりジュネーブ協定を守る義務がある。それからそれ以外の関連した国はもちろんですが、関連しなかった国でも、その協定ができている以上は、その協定を尊重する義務を生じておる。だから五四年七月以降は新しい事態が生じてきているのであって、国際関係はこれについて規律されてくるものであると考えます。
  125. 小澤佐重喜

  126. 松本七郎

    松本(七)委員 私は大きく分けて四点について御質問したいと思います。第一の問題については横山さんと横田先生に御答弁を願いたい。最初横山さんの御答弁をお願いして、それから横田先生の方からお答え願いたい。それから第二点については横山さんからお願いしたい。それから第三間、第四問は中川さんにお願いしたいと思います。  最初の点は、さっき横山さんもちょっと触れましたが、一九四五年のバオダイ帝擁立による独立、これが一九四五年二月一日に、日本の最高戦争指導会議で、このバオダイ帝国に対する態度が協議され、決定されておりますね。これは当時公使をしておられて、また顧問に入られたのですから、一番関係の深い点だと思うのですが、この最高戦争指導会議できまった方針でバオダイ帝国に日本は対処しておる。これとの関係において、当時のバオダイ帝国というものは、フランスから完全に独立したものかどうか。同じ問題について横山さんのあと、横田先生から国際法的な立場からの御見解を明らかにしていただきたいと思います。
  127. 横山正幸

    横山参考人 簡単にお答えいたします。完全に独立したものだと、われわれ及びバオダイ帝並びにその政府考えたわけです。そしてそれに順応して一切の行政措置をやったわけです。それは今の北ベトナムのトンキン州がそのころバッキイ、北の州。それからチュンキイといってアンナン州が一つの大きな行政区画になっておりました。それからその南の方はナムキイであって、これは南の州でありまして、要するにコーチシナアンナン州の南の一部、これは今では南部山岳地帯州といっておりますが、その部分とコーチシナとが一緒になってナムキイを作ったわけです。そして三つの州が一緒になって、バオダイ皇帝の統治のもとに統一されたわけです。ただし先ほど来もお話通り、交通機関はないし、電信はとだえているし、非常に苦しみまして、そういうことで、政府で決定されたことが下までずっと浸透するのにかなり時間がかかったということはあります。しかし実際にそういうことは、確かに独立したに違いない。ただ日本が八月十五日に、五カ月の後におしまいになりましたから、その政府の状態もそのまま立ち消えになったわけです。それまで五カ月間は局地的に、その部分に関する限り、また彼と外交関係を維持し得たのは日本しかなかったのでありますから、それに関する限りは、一応フランスの手を全然離れたわけです。
  128. 横田喜三郎

    ○横田参考人 私はその当時の事情のことをよく存じませんから、事実関係はわかりませんが、国際法上から見れば、私はこれは独立ではないと考えます。というのは、一つの理由は、戦争中においては占領軍は領土の永久的変更を行なうことはできないという規則があります。従って日本国家が自分の占領下にある国の領土の永久的なステータスを変えるような処置はとれない。従ってかりにやっても、それは国際法上では占領軍の権限外でありますから、国際法上の効力はないということが一つ。もう一つは国家の独立は、一般の考え方では、政府ができて事実上支配すれば国家だとお考えのようでありますが、国内的の意味の国家ならばそれでいいかもしれませんが、国際法上国家と認められるためには、やはり国家の承認がなければならないのであります。事実上権力を樹立して永続的な政府を作るということのほかに、外国によって承認される、すべてでないにしても、大部分の国によって承認されるということが国際法上国家としての地位をとるについての要件であります。ところがおそらくこれはどこの国も認めなかった。日本は認めたでありましょうけれども、そのほかの国は認めなかった。そうしますと、国際法上では独立の国家ではないといわざるを得ないと思います。
  129. 松本七郎

    松本(七)委員 なるべく簡潔にしたいと思います。それに関連してなお横山さんにお伺いしたいのは、横山さんの御見解、また当時の日本の最高首脳からいえば、フランスとの関係はそこで断たれた、そうして完全な独立国家が生まれた、こういう見解ですね。そうすると御承知のように、バオダイ帝は退位宣言をしましたね。そうして今度は新たな政権がここに生まれているわけです。すると、バオダイの退位宣言との関係はどういうふうに理解されておりますか。
  130. 横山正幸

    横山参考人 八月十五日に日本無条件降伏しましたときで、私のバオダイ皇帝との関係がぽつんと突然切れてしまったわけです。橋一つ向こうにお城があって、彼は向こうにおり、私はこっちにおる。全然交通を遮断されたわけです。そうしてすぐに赤の旗を立てた、人民仮政府を作ろうという連中が、山岳地帯その他からずっと流れ込んできまして、われわれのおる場所は、そのまま出られなくなってしまったわけです。そういうわけで日本軍は、武装解除をするために入ってくるシナ軍が来るまで、みずから自発的に武器をおいて、ただ一般の秩序維持に当たるということにとどまっておったわけです。そうしている間にバオダイ皇帝はそういう赤旗の連中に押されて、まあ保身の関係もあるでしょう。とにかくすぐに――三日目です。ですから十八、九日ころだと思いますが、退位をみずから宣言して、そうして今度はしばらくしてから――私たちは交通がないから全然わからぬ。あとでだんだんわかってきたのですが、二十四、五日ころだと思います。北に向かって出発したらしい。何かというと、ホー・チミン政府と話し合って、つまりフランスにこのままこの国を手渡すのは困るので、やはり独立を維持したいから、それにはアメリカと話し合う必要があるから、ホー・チミン政府の外交顧問としてアメリカに行くのだと言って出ていったといううわさが流れたわけです。それ以来、私たちには杳として消息がわからなかった。実際には香港あたりに行かれて、それからアメリカに渡って、フランスに渡ったのか、いつの間にかフランスに現われたわけです。その詳しい事情は私は一切わかりません。何しろつんぼさじきに入れられて、そのままになったわけです。ですから、先ほど横田先生も言われた独立問題は、事実上独立して、フランス人はみな軟禁されてしまいましたから、あそこを保護していた立場はなくなったのだから、事実上おれたちが勝手にやる、日本協力しますからこれからお願いしますということで、彼らは独立政府として行政権を使って日本協力するという建前をとってくれたわけです。今考えると実に哀れな状態で、そのままなくなって四散のような格好になったのです。日本が負けたからです。そういう哀れな状況で悲劇が終わったわけです。
  131. 松本七郎

    松本(七)委員 問題はその事実に基づいて、哀れであったかどうかは別問題として、フランスとの関係を断ったバオダイ帝国が壊滅して、それからホー・チミン政権が一切を継承してできたというところの法的な解釈は、また横田先生のような解釈もある。これは非常に問題点が一つはっきり浮かび上がってきたと思います。非常に参考になる御意見を述べていただいて、これは今後の審議に非常に関係のある問題ですから、審議の材料にしたいと考えております。  次は、先ほど横山さんは、閣僚の中にも賠償は払わないでいいという意見と、それからやはりフランスびいきの者があって、賠償は取った方がいいという意見とがあった、こういうことを言われる。それから横山さん自身も、どちらかと言えば賠償はやめて経済協力をした方が、ベトナム国民のためにも日本国民のためにもいいのだ、こういう御立場であった。しかし閣僚の中で意見の一致を見ないので、結局こうなったのだということですけれども。そうしてできるところからやってだんだん北に及べばいいという御見解でしたが、御承知のように今北の方は非常に反対しておる。必ずしも一本にまとまっていない。閣議でもそういうふうに両者意見が分かれて、これを取捨選択する場合に、一本にまとまればいいのですけれども、まとまってない場合には、最初あなたのとっておられた無理な賠償をしないで経済協力にこれを切りかえた方がいいじゃないかという意見は、今でもやはりお持ちだろうと思う。ただ閣僚の中の意見の対立を考えてみると、あなたの当初考えられた理想案ではなかなかいきそうもないというお見通しがきっと出てきたのだろうと思いますけれども、そういう観点からすると、今問題になっている金額――御承知のように沈船引き揚げ仮協定ができたころは二百二十五万ドル、それが今日は五千五百六十万ドル、純賠償三千九百万ドルというところまではね上がっておる、この金額については、従来から考えておられたその考え方からして、一体賠償としての金額をどう今考えておられますか。
  132. 横山正幸

    横山参考人 結局私が最初に行ったのは全然個人資格で、せっかくベトナムがあれだけの資源を持っているから、何とかこれを開発したら日本のためにもなり、向こうのためにもなる。この点は東南ア各国との関係と同じような意味で私は考えておったわけです。ただあそこに知り人が非常に多い。実は北にも南にも知っている人がいますけれども。南の方へ行ってみると、南の方でやれることは、やれるならばやった方がいい。そこで話し合ったのですが、やはりかけ引きですから、しかもうまくいけば政府報告して、その通り正式のルートに乗せて固めてもらえばけっこうだと思っていたが、初めから高い賠償――二十億というのはもちろん笑って受け付けなかった。冗談じゃないと言ったけれども。結局私の考えでは、いろいろなことを考えてみて、戦争直前からあそこを見てきて、さっきも人が死んだ話をたくさん聞かれたのですが、私も実は目の前で見てほんとうにひどかったのですよ。私は三月九日にユエに行ってから、それから一月後ですから、四月の半ばに行ったのですが、やはり道ばたで――今中川さんが言われたのですが、あの通りなのですね。そのほかに目に見えないで家の中で死んでいるのもあるのですからね。それから腹が減ったために病気になってしまったり、腸チフスになったのがあって、これはどうも争えないと思うのです。実に気の毒だったですね。そういうようなことをいろいろ考えてみると――ここだけの話ですよ。(笑声)そういうことを言うのはいやなのですから。五千万ドルくらいは仕方がないだろうと私は思ったのです。あまりひどいから。けれども五千万ドルはこっちも困るのですから、二千万ドルか二千五百万ドルくらいで手を打たないかという話をしたら、それは全然問題にならないとひどくはねつけられたのです。そうなるとどうしても話がつきそうもない。もちろん私は個人資格で行って脈をとってみただけで、それで引き揚げてきたのですから。もちろん当時あそこにいました小長谷君などには、こう聞いてみたけれどもだめだったと話をしてきました。内地に帰ってきてからも、重光さんには言いましたよ。しかし向こうだってそんなに高いことは言わないだろうから、どうせ賠償の話をつけるなら早い方がいいだろう。実はこういう気持でその当時もおったし、今もおるのですよ、気分としましてね。そうしてまた、お話が出たから申し上げますけれども、私としてはやはり国際政治関係考えますと、南ベトナムは一応分国際政界の多数国と交際があって、AAグループにも仲間入りをしておりますし、国際連合においては、問題があってもとにかく一票を握っているのです。そうしてAA諸国のとうとき一票の中にあるので、票のとうとさは皆さん承知通りであります。国連においてもそうだと思うのです。そんなことまで考えて、やはり賠償は早くする、それから額は今くらい仕方がないだろうと思ったのが三千万くらいに減った、あとは経済援助の形ならまあいいだろう、こういうことを考えるわけです。よく一つお考え願います。
  133. 松本七郎

    松本(七)委員 ちょっと重要な事実関係で間違いがありますので、この点御訂正願いたい。国連には加盟しておりませんでしょう。そこが非常に大事な点です。
  134. 横山正幸

    横山参考人 いろいろな意味で彼がやはり日本びいきであって、国際関係日本に対し協力してくれるということは非常にいいと思うのです。
  135. 松本七郎

    松本(七)委員 そこで経済協力賠償関係でもう一つ重要な点があると思うのです。横山さん御自身は、できれば経済協力の方がいいという考えを持っておられた。しかし今日、商業べースを中心にしたいろいろな借款だとか、あるいはさらに経済協力というようなものと、それから国民の血税でもって払うところの純賠償というものとの間に、私どもが非常に関心を持っておる点は、今日の財界の一部によく聞かれるのですが、賠償々々というけれども、そう額の多いことを心配することはない、額は多くてもそれがまた利益で戻ってきさえすればいい。これはよく言われるので、いろいろな雑誌にも書いておられる。むしろ賠償促進論者にこれは多いのです。金額は少々多くても、それはまたそれだけよけい返ってくるのだから――金額は多ければ多いだけコミッションも多いわけですから、商売からいえば、それは血税だろうが何だろうがかまったことはない。とにかく多ければコミッションも多い。また戻ってくる額も多い。これは商売上からいえば一つの筋の通った考え方だと思うが、あなたの当初考えられた、両国民の利益のためには賠償よりも経済協力の方がいいという考え方からすると、最近の財界における賠償に対する考え方の風潮と申しますか、これに対してかなりの御批判があってしかるべきじゃないかと思いますが、どういうふうにお感じになりますか。
  136. 横山正幸

    横山参考人 それはやはり先ほどから申し上げておる通り、何か賠償の形で払わなければならないから、賠償賠償として払って――何も多いほどいいなどということはなくて、少ないほどけっこうなのですけれども、今政府がきめた程度のものならこれは仕方がないだろう、こういう考えなのです。どうも財界で言っておることに私は必ずしも賛成していないけれども、その程度ならばまあまあできそうなことだという考えなのです。
  137. 松本七郎

    松本(七)委員 ありがとうございました。  それでは中川さんに二点ばかりお伺いします。もうまとめて申し上げますから、適当に御説明をお願いしたい。一つは、最近のベトナムに対する資本主義諸国の貿易状態、それから第二点は、私どもは北ベトナムとの貿易額をいろいろ調査するわけですが、その場合に大体根拠にするのは通関統計です。ところが通関統計よりも実態の方が多いとよくいわれている。その理由は一体どこにあるだろうか。この二点について御説明願います。
  138. 中川武保

    中川参考人 北ベトナムに対しまして貿易を行っておるところの資本主義諸国の進出でございますが、これは私たち業者にとって非常にくやしいところでありまして、先ほどもちょっと申し上げたのでございますが、イギリスフランス、インド、インドネシア等はハノイに領事館、あるいは経済代表使節を置きまして、またフランスは相互に通商協定を結びまして、フランスのパリに北ベトナムの代表がおるというような状況で、これらがことごとく日本経済的な進出を非常にいやがりまして、事ごとに日本政府あるいは国会で発言されるいろいろな行動を、逐一東京からベトナム側の方に知らせておると見えまして、国会でいろいろなことがあるたびに、英国の大使館あるいはどこの大使館かわかりませんが、自由主義政府の方がベトナム政府の方に抗議を申し込んでいく、こういう日本とどうしてやらなければならぬかということを申しておるわけですが、現在自由主義諸国と北ベトナムの間で貿易をやって、通商協定を結んでおる国は十五、六ヵ国ございます。いつも業者たちはこの点で、各国は南に対しても北に対してもやっておるのに、どうして日本だけが北の方に領事館が置けないのか、あるいは通商代表使節団が置けないのかということに対して、非常に残念がっておるわけであります。  次に第二点の北ベトナム日本との貿易実績でございますが、この間藤山外相も言っておられるのですが、北の方貿易は栄えておる、あるいはこの前植村さんが言われたのですが、北の方貿易は取るに足りない少額だというふうに言われておるのですが、事実は違いまして、先ほど申しましたように、一九五六年の五月から五八年の六月までは香港中継による貿易でございましたので、大蔵省の通関統計には北ベトナム貿易としては、これは全然載っておらないのであります。しかし実際には北ベトナムの方にこれが行っておるわけであります。一九五八年の六月直接貿易になりましても、直接南ベトナムの方に輸出あるいは輸入が行なわれる場合と別なのが、香港と北ベトナムとの間に貿易をやっておりますので、香港に北ベトナムの通商代表部がありまして、そこにありますところの香港ドルをもって日本から買付をやって、特に繊維機械あるいは化学薬品等は香港を通じて、香港ドルで買われる場合が非常に多い。この額は実際の通関統計の三倍に達しているというような点から、事実上日本北ベトナム貿易は、藤山さんあるいは植村さんが言われたように少額ではなくて、非常に大きな金額に達しております。その統計に関しましては、必要があればいつでも私の方で提出いたします。
  139. 小澤佐重喜

    小澤委員長 田中織之進君。
  140. 田中織之進

    ○田中(織)委員 参考人皆さんには長時間出ていただきまして、非常に恐縮なんでありますけれども、私簡潔に横田先生に二問お伺いいたしたいと思うのであります。  一間はやはり南ベトナム政府承認に関する問題でございますけれども、横田先生は日本ベトナム政府――ベトナム共和国でありますけれども、ベトナム共和国の方は、いつ承認されたという事実を把握せられておるのか、この点をはっきりしていただきたいと思います。従来この委員会で外務当局から述べられておるところによりますと、賠償支払いの義務は、サンフランシスコ条約の十四条に基づいて出てきている。南ベトナムは、そのときのサンフランシスコ条約の調印国の一つであるということから賠償義務を主張しているようでございますが、外務省関係の別の文書によりますと、南ベトナム承認の問題は、先ほど平野参考人から述べられたように、ジュネーブ協定以後の問題に属するように外務省の意見にも実は出ておる関係がございますので、先ほどから事実上の政府があるということだけではだめなんだ、外国によるところの承認手続がなければ、国際法上の国家として認めがたいと言われるのでありますけれども、その事実を横田先生はいつと把握せられておるかという点が第一点であります。  それから第二点は、先ほど来わが党の委員並びに参考人のニエップさんからも述べられておるわけでありますけれども、またこの間からの委員会で、今度の賠償に関連しあるいは賠償に先行する関係において、日本南ベトナムの実質的な軍事援助に類する行為をやっているのではないかという事実が相当はっきりして参っておるわけであります。昨日の本委員会における通産省の小出重工業局長の答弁等によりますると、これまた銃弾工場等で日本からの輸出機械が現に動いておるという事実も言明しておるのであります。こういうようなことは、私らの聞いておるところによりますと、いわゆるジューネーブ協定に基づいてできておる国際監視委員会において、これらの問題について実情を調査してすでに取り上げているということを聞いております。外務省側の答弁によりますと、日本がジュネーブ協定に直接参加しておらないから、このジュネーブ協定には直接の拘束を受けないような見解を述べられておるのでありますが、これは私きわめて国際上の慣習なりそういう国際法秩序を無視した危険な考え方だと考えております。現に軍事援助をやっておるということが国際監視委員会で取り上げられた場合に、日本はジュネーブ協定には直接調印国として参加していないといたしましても、この監視委員会の何らかの決定には拘束をせられるべき国際法上の義務を負うておるものだと私は考えるのであります。この点は横田先生は国際法上どういう見解を持っておられるか、学者立場においてお答えを願いたいと思います。
  141. 横田喜三郎

    ○横田参考人 最初承認の時期の問題でありますが、承認には御承知通り明示的承認と黙示的承認とございまして、明示的承認には、どこの国もしくはどの政府承認するという形をとるのであります。たとえばベトナム国を独立国として承認するとか、あるいは今のベトナム政府ベトナム国の正統な政府として承認するとかいうように、はっきり承認するという意思を文書で宣言するのが、いわゆる明示的承認であります。これに対して黙示的承認というのがありまして、そういうはっきり承認するということを言わないで、黙示的に承認の意思が示される場合があるのでありまして、そういうのはどういう国かというと、相当議論があります。ありますが、少なくとも非常にはっきりしているのは、外交関係を樹立して正式の外交使節を交換した場合、大使、公使を交換した場合、それから基本的な条約を結んだ場合は黙示的な承認になることはこれはもう疑いをいれないことであります。領事の派遣が黙示的承認になるかどうかということについては争いがあって、これは領事を派遣することが、その国家が承認の意思をもってすれば、領事の派遣が承認になるけれども、単純に領事の派遣だけでは承認にならないというのが通説でありまして、実はこの点でちょうどジュネーブで開かれたことしの国際連合の国際法委員会で、これは二十一人の世界の国際法学者で構成されている委員会でありますが、これが領事関係の問題をやりまして、そのとき領事を派遣、接受することは承認になるという原案をチェコスロヴァキアのズーレックという人が出したのでありますが、非常に議論があって、領事の交換は当然には承認にはならないという意見が多数で、そしてこれはそういうことを削ったのであります。従って領事の場合は、必ずしもそうではない、そこで従って重要な条約を結んだ場合には、これは当然承認になる。ところで今の日本の講和条約でありますが、条約のうちでもこの講和条約というものは最も重要な条約の一つでありますから、これを結べばそのときに日本ベトナム承認する、ベトナム政府承認したことになります。日本承認の時期としましてはこのときをもって承認と見るべきだと思います。ただ御承知通り、五五年にそれまでのベトナム国が憲法が改正せられ、総選挙が行なわれてベトナム共和国になったときに、日本はこの新しい政府承認する、新しい政府と外交関係を維持するということを通告しているのでありますが、これはつまり憲法に従って合法的に成立すればこういう通告は必要ないのでありますが、憲法が変わって、政体といいますか、今までの政体、バオダイ帝政が変わって共和国になったのでありますから、そういう変化があれば承認をすることが普通で、従ってこれはつまり政府承認であります。ベトナム国家を承認したと申しますか、日本との間に正式の国際関係が成立したのは講話条約が結ばれ、両方の間に効力を発生したとき、厳密に申しますと一九五二年六月何日ですか、向こうが批准書を寄託した日をもって承認の日と見るべきだと思います。  それから第二点の、軍事援助もしくは軍事援助的な賠償がジュネーブ協定に違反しない、ジュネーブ協定日本は拘束されるかという御議論でありますが、法律的には日本は拘束されないのであります。これは条約というものはその当事国だけしか拘束しない、これはもう疑いをいれないことでありますから、純粋法律上いえば、日本はジュネーブ協定には拘束されない。ただ道義的といいますか、徳義的にはそういうものを尊重すべきである、尊重するのが至当である、国際道義というか、国際徳義の上からそうすべきである、しかし法律上からいえば、条約というものは当事国だけを拘束するものでありまして、条約に入っていない国は拘束しないというのが、これはもう疑いをいれないところの規則でありますから、ジュネーブ協定には日本は入っておりませんから、法律的には拘束されない、しかし道義上あるいは徳義的にはこれを尊重すべきであることは当然だと思います。
  142. 田中織之進

    ○田中(織)委員 重ねて質問は申し上げませんが、ここに私は一昨年南ベトナムへ参りましたときに、ベトナム大使館でいただいた書類がございますが、これの二番目に「ヴィエトナム独立の推移」という点に、やはり「一九五四年七月七日、バオ・ダイ国家主席の依嘱により、ゴ・ディン・ディエム総理を首班とする内閣が成立」をしておりますけれども、その翌年の一九五五年の、ただいま横田先生が述べられた共和制の宣言をしたときに、日本が独立の承認というものを正式に行なっておる。これは日本だけではないのでありまして、これによりますと米、英、仏、中華民国、タイ、豪州、これらの自由諸国群と日本が同日付で承認を与えておるのであります。しかもその次には「右は言わばヴィェトナム独立の第一段階であって、共和国の基礎は確立したとはいうものの、」まだ国家基本法であるところの憲法もない状態で、それから第二、第三段階を経て、初めてベトナム独立国家としての独立が、南ベトナムの国家としての独立が完成する。ことにその翌年の一九五六年の三月末の、いわゆるフランス南ベトナムとの間の議定書によって、初めてベトナムの軍事外交権というものが完全に南ベトナム側に移っておるのでありまして、その点にも先ほど松本委員からも、先生にも平野参考人にもお伺いをいたしましたように、やはりサンフランシスコ条約当時の南ベトナム代表というものが、はたして独立国家としての代表であるかどうかという点についても、私は幾多の疑念が残っておる。これは外務省が出しておる――現地の大使館が出しておる文献においてそういうことが記載されておるという事実は、これは法律論の問題というよりも、私も横田先生に伺ったように、事実認定の問題に関することでありますので、この点はせっかくでありますけれども、横田参考人と見解を異にするという点、事実についてのつかまえ方が違うという点を申し上げておきます。  なお軍事援助の問題について、国際監視委員会、これはジュネーブ協定日本が調印しておらないから、直接的に法律上の拘束は受けないといたしましても、私はこの国際監視安貞会の活動というものはこれはジュネーブ協定の調印国だけに拘束せらるべき性質のものではないと思うのであります。その意味で国際監視委員会において日本の軍事援助の具体的な事実が取り上げられている以上、今後この点が、私はやはり国連なりあるいはこの国際監視委員会日本の具体的な行動について指弾をされる時期が必ず現われると思う、こういう見解を持っていることだけを申し上げて、あとの質問は別の機会に譲ることにします。
  143. 小澤佐重喜

    小澤委員長 柏正男君。
  144. 柏正男

    ○柏委員 時間もだいぶ迫って参りましたので、私は簡単に御質問いたしたいと思います。まず横田先生にお願いしたいのでございますが、サンフランシスコ条約の中に、第一条に完全な主権という言葉が使ってございます。また条約の中には主権国家、主権国という言葉も使ってございます。それから前文の中には主権をひとしくするという言葉が使ってございます。この主権、完全な主権、主権国、こういう一連の主権という言葉が表わしております概念からしまして、サンフランシスコ条約の署名国は、完全な主権を持つ国家であるということが要件となっているのではないかと思いますが、その点について横田先生、いかがお考えでございますか。
  145. 横田喜三郎

    ○横田参考人 完全な主権ということの意味も問題になると思いますが、この講和条約で言っていることは、日本が主権国と今後認めるということを言っているので、ほかの連合国のことは、特に直接いっていないと考えます。  それから、完全なる主権国でなければ条約を結ぶことができないかとか、国際会議出席することが有効にできないかという議論がありますけれども、これは必ずしもそうではないのでありまして、制限的な主権を持っていても、その問題について国際会議出席する権利、その問題について条約を結ぶ権限が国内法上あれば、国際的には差しつかえないのでありまして、たとえば、連盟時代に、すでにいわゆるイギリスの自治領――カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどは、みな独立して連盟一員となり、従っていろいろな条約をこれらの国が独立して結んでいるのでありますが、しかし、あの当時の自治領というのは、完全な独立国ではないのでありまして、外交関係などは、たとえばカナダが外交権を完全に行使して、外交使節を初めて外国に派遣したのは、一九二六年だったと思います。二四年か二六年です。というのは、つまり連盟に入ったのは、すでに二〇年に入ったのでありまして、そのときにはすでに連盟の一員として、独立の一員を保っていたのでありますが、しかし、外交権は、まだその当時イギリスが一般的には持っていた。連盟関係では、外交権をカナダやオーストラリアが持って、一員になりましたけれども、その他の関係ではイギリスが持って、そうして、初めてカナダの公使を派遣したのは、一九二四年であったと思います。そういうわけでありますから、その当時カナダは完全な独立国ではない。しかし、国際連盟の関係では、他の国と同等の地位に立って、連盟規約の当事国でありますし、連盟に関しては他の国と同じ国際的な地位を持っていた。そういうわけでありますから、完全な国家でなくても、国際会議出席し、条約を結ぶことはあり得るのでありまして、この場合、ことにサンフランシスコ講和会議に出たころは、ベトナムフランス連合の一員として、ある程度の制約を持っていたことは明らかであります。しかしそれは、一般的にはある種の制約があっても、この日本との講和条約に関しては、ベトナムが独立に当事国となり、有効な条約を結ぶ権限を持っていたのでありますから、従って、日本との講和条約が有効であることは、変わりないと思います。
  146. 柏正男

    ○柏委員 横田先生に重ねて御質問いたしたいのでございますが、日本が講和条約締結して、その効力が発効するまでは、日本は完全なる主権国家ではございません。しかし、その意味において、第一条に、完全なる主権を得るということを規定したのでございます。なお、前文におきましては、日本の地位が、条約締結することによって、署名国と同じ主権を持つ国になるということが書いてあるのでございます。そうしますと、その主権を持つということは、日本が完全な主権国になる以上、これと同等であることが規定されておるということは、署名国が、いわゆる連合国が、完全なる主権を持つ国となるということが前提にならなければならないと私どもは解釈するのでございますが、そういう解釈は――国際連盟の時代と違って、サンフフンシスコ条約においては、そういう解釈はできないのでございましょうか。
  147. 横田喜三郎

    ○横田参考人 この平和条約の第一条では、日本国の完全な主権を認めるということになっていまして、主権のことが問題になっているのは、日本国についていっていることだと思います。ただ、日本国が完全な主権国であれば、相手の国も完全な主権国でなければならない……(柏委員「前文をちょっとごらん下さい。主権を有する対等のものとしてということが書いてあります。上と呼ぶ)主権を有する対等のものとしてというのは、主権国、大体この条約に入ったのは完全な主権国ですから、その意味で言っておるのですね。しかしそれではその他のものは講和条約を結ぶことができないかと申しますと、実はこれも、さっきは国際連盟のときの例で話しましたが、ごく最近の例を申しますと、ことし国際連合の国際法委員会で、条約法の起案をやったわけです。二十ヵ条ほど委員会では案ができたのでありますが、そのときに最初に原案では、主権国は条約締結する権利があるという原案があったのであります。ところが主権国でなくてもいわゆるこれは半主権国とよくいいますが、ハーフ・ソヴァレン・ステートといいますが、半主権国でも条約を結ぶ権利がある、これは疑いをいれず学者が言っておることであります。そこで原案を削って、主権国は条約を結ぶ権利があるという言葉を削ってしまったのであります。ということは、つまり主権国は完全な主権国でなくても、ハーフ・ソヴァレン・ステートでも、その国が、たとえばまだ完全に独立していない国が、政治的な条約は結べない、しかし通商条約は結べる、こういう例が少なくないのであります。そういう場合はその通商条約を結び得る範囲内では、半主権国であっても条約を結び得る、そういうわけでありますから、条約を結ぶ権能は必ずしも完全な独立国に限らない。要するにその国がその問題については、条約を結び得るという国内憲法上そういう権利があり、外国がそれを認めれば、有効に条約が結び得るわけであります。
  148. 柏正男

    ○柏委員 時間もおそいことでございますから、横田先生と主権論争をいたそうとは思いません。しかし先生が今お出しになったのは、なるほど通商条約の程度においては半主権国でも結べるかもしれません。しかしサンフランシスコ条約は決してそういう条約ではございません。政治的条約でございます。そういう面から見て、先生のお考えと私どもとは少し考えが違うところがあると思います。しかしもう時間もございませんので、先生とその論議をいたそうとは思いません。  次に横山先生にお願いいたしますが、いろいろ先ほどからバオダイ政権ができた当時のお話を承って、先にお帰りになった福永先生にも私お尋ねしたように、その当時の実際の状態において、私はやはり完全なる主権を持った国家を考えておったということが事実であって、たとい期間的に短くてもそういう状態であったものではないかということが考えられるのでございます。これは少なくもアンナン王国からベトナム帝国へ移って、バオダイは皇帝になったはずでございます。そうして八月十九日に皇帝を退位して、そのときの宣言は、かいらい政権の帝王となるよりも自由国家の市民になろう、そういう宣言をしてなったという、このときをもって私はバオダイ皇帝というものは、一切の生来の主権、人民に君臨する生来の特権を失ったものではないかと思いますが、横山先生、その当時の状態で、ほんとうに一市民になったのかどうであったかを一つお答えをいただきたい。
  149. 横山正幸

    横山参考人 これはちょっと私にはよくわかりません。というのは、バオダイの気持ですからね。バオダイは実は非常にオポチュニストでして、保身のためにそのたびに変わるのですよ。けれどもその後に向こうへ逃げて行って、そしてずっとあそこにおったために、一応その後ベトナムのまた国家代表となっていますけれども、結局はあとでゴ・ディンジェムが全国投票を行なって、バオダイの今度は退位を確認したわけですね。その中間の間がどういうふうにこれを認めていいのか、私にはこれはわかりません。簡単に申し上げます。
  150. 柏正男

    ○柏委員 ありがとうございました。  最後に、グエン・リン・ニエップさんにお聞きしたいのでございます。というのは、ベトナムの人として、かいらい政権といいますか、バオダイ政権というものに対して、ベトナムの人はどういうことをお考えになっておられたのでございましょうか。その点をお聞きいたしたいと思います。
  151. グエン・リン・ニエップ

    グエン・リン・ニエップ参考人(通訳つき) ベトナムの人々は、バオダイ政権はかいらい政権だと信じております。なぜならば、平和条約を結びに行ったチャン・ヴァン・フーについていった中将はフランス政府の将校でありました。そしてチャン・ヴァンフーの前の総理大臣及びその後の総理大臣、合計して三人はフランスの国籍を持っている者でありました。一人の、総理大臣の息子であり、参謀長である者もやはりフランスの国籍を持っております。外務大臣及びその他の者もやはりフランス国籍を持っておりますので、ベトナム人はバオダイ政権はかいらい政権だと思っております。  ちょっと御参考に申し上げますけれども、ブー・ロング皇太子はフランスの中尉でございますけれども、アルジェリア戦線で最近負傷しました。  もしバオダイ政権がかいらい政権と呼ばれなければ何がかいらい政権でしょう。
  152. 小澤佐重喜

    小澤委員長 岡田春夫君。参考人方々にはまことにお気の毒でありますが、岡田君一人で済みますから、どうぞもうしばらくごしんぼう願います。岡田君は簡単にやるそうですから……。
  153. 岡田春夫

    ○岡田委員 私は簡単にやります。私のお伺いしたいのは、横田先生だけでございますので、ほかの方はもしお急ぎならばお帰りいただいてもけっこうであります。  横田先生にまずお伺いをいたしたいのですが、横田先生は産経新聞の十一月十九日の夕刊に横田先生の御署名で、「思うこと」という欄に何かお書きになっているようですが、自筆であなたの責任においてお書きになったものでしょうか、どうでしょうか。簡単に……。
  154. 横田喜三郎

    ○横田参考人 そうです。
  155. 岡田春夫

    ○岡田委員 これは私、この機会にちょっと申し上げたいのでございますが、横田先生は、この「思うこと」という中で、率直に申し上げますが、きょうはお客さんでございますけれども、私は聞きのがし得ないので、はっきり申し上げますが、国会を侮辱されております。私個人を批判されるのはけっこうでございますが、国会全体を侮辱されているとするならば、われわれは許すことができません。(「その通り」と呼ぶ者あり)それははっきり申し上げますが、この中にこのように書いている。「こんなことで、何日も何日も国会が空転するのは、国民の血税を徒費するばかりでなく、日本国会の名誉のために遺憾である。」と、このように言われている。この点については、私はもう言いません。     〔「国会軽視の問題をやるのはいかぬ」、「別の機会にやればいいじゃないか」と呼び、その他発言する者、離席する者多し〕
  156. 小澤佐重喜

    小澤委員長 着席願います。――着席願います。
  157. 岡田春夫

    ○岡田委員 私は……。
  158. 小澤佐重喜

    小澤委員長 ちょっと岡田君、発言中ですが申し上げますが、これは先ほど佐々木君に注意したように、案件に関係のない事項は言及しないという趣旨ですから、従って参考人の横田さんの方でも答える必要のないことは全然答えなくてけっこうでありますから、案件に直接関係ある事案について、お答えを願いたいと思います。
  159. 岡田春夫

    ○岡田委員 継続いたします。私の今申し上げたのは、別に横田さんに答弁を求めているのではありません。私はこれについて話を進めます。
  160. 小澤佐重喜

    小澤委員長 岡田君、この問題は済んだんですから進めて下さい。
  161. 岡田春夫

    ○岡田委員 私の質問を求めるのは、あなたはきょう法学者としておいでになったんですから、法学者立場において私はお答えを願いたいのであります。  そこで第一点に伺いたいのでありますが、失礼でございますが、きょうお見えになる前に、ベトナム関係条約をおそらくいろいろ御研究になっておいでになっていると思いますけれども、横田さんは、一九四六年の三月六日の協定、これはいわゆるハノイ協定といっております。それから同年の九月十四日のフォンテンブローの協定、暫定協定であります。並びに一九四九年の三月八日エリゼにおいて行なわれました協定、これを略してエリゼ協定と申します。これらの協定をお調べになったことがございますか、どうですか、なおこれに関連して、この条約文は、それぞれ厳密に検討いたしてみますと、日本の外務省の訳文に誤りがございます。従ってこれはやはり原典によらなければ正確を期するわけにはいきません。私はここに原文を持ってきておりますが、横田先生は学者でございますので、おそらく原典によられてお調べになったのだろうと思いますが、この点はいかがでございますか。
  162. 横田喜三郎

    ○横田参考人 今のハノイ協定、それからいわゆるアロン湾宣言、それからベトナム協定、これは私も見ました。そして、私もここに原文を見て、日本の訳文は見ておりません。
  163. 岡田春夫

    ○岡田委員 私の質問にお答えしていただきたい。フォンテンブローの九月十四日の協定、アロン湾協定は私は質問をいたしておりません。エリゼ協定はごらんになっておりますか。
  164. 横田喜三郎

    ○横田参考人 ですからハノイベトナム協定と、それから四九年三月八日のエリゼ協定を見ております。フォンテンブローのは見ておりません。
  165. 岡田春夫

    ○岡田委員 フォンテンブローはごらんになっていない。アロン湾協定はごらんになった、エリゼ協定もごらんになったんでございますか。――それでは伺います。  エリゼ協定ではステート・オブ・ベトナムの法的地位はどのような形になっておりますか。フランスの中におけるステート・オブ・ベトナムの法的地位というものがそれによって確定されているわけでございますが、フランス憲法との関係においてどういう地位であるかをお聞かせいただきたいのでございます。
  166. 横田喜三郎

    ○横田参考人 この第一節ですか、第一節にありますように、コーチシナというものをベトナムの一部として見る、つまりベトナムというものをトンキンとアンナンとコーチシナとをもってベトナムと見て、そして、それがフランス連合の一員であるという形であります。
  167. 岡田春夫

    ○岡田委員 それではフランス憲法との関係ではどういうことになりますか。一員であるのはよくわかりますけれども、フランス憲法上のステートオブ・ベトナムというものの法的地位が確定されておるはずであります。それは、なぜならば、あなたは先ほどベトナム民主共和国政府に対して、ハノイ条約によれば、自由国という州――ステートの地位にあるということをお答えになりましたが、これとの関係においてはどういう関係になりますか。
  168. 横田喜三郎

    ○横田参考人 ハノイ協定の方では、さっき申しましたように、私は州としての地位だと思います。というのはフランス連合というものがありまして、その一員としてのインドシナ連邦というものが考えられていて、このインドシナ連邦というものがちょうどイギリス連合におけるカナダとかオーストラリアに大体当たるもの、それよりもちょっと地位は低いようでありますが、当たるものと思います。そのインドシナ連邦の一部をこのベトナムが作って、そしてそれがエタ・リーブルというのでありますから、これはまさにアメリカのステートと同じような地位にあるもので、完全な独立国でないことは言うまでもないと思います。
  169. 岡田春夫

    ○岡田委員 あとの点お答えがないのですが、ステート・オブ・ベトナムの方は、フランス憲法の規定によってどういう地位になりますか。
  170. 横田喜三郎

    ○横田参考人 フランス憲法はフランス共和国の憲法でありまして、従ってそのフランスというものがやはりフランス連合のユニオン・フランセーズの一部をなすもでありますから、その点から言うとフランスベトナムとは同等の資格を持つわけでありますが、しかし外交権、特に国家の独立に関係しまして非常に重要な外交権の問題につきましては、ベトナムの代表も加わるオ・コンセイユ・デュ・ユニオン――フランス連合の何といいますか高等理事会というようなもので外交関係が処理される。そのときにフランス政府のデレクシオンのもとにそれを行なうということになっていますから、フランス政府が主たる地位を占め、そのオ・コンセイユ・デュ・ユニオンの中のメンバーとしてベトナムが加わることになる。ちょうど、全く同じような形がイギリス――ブリティッシュ・コンモンウェルス・オブ・ネーションズで、カナダ、オーストラリアなどがユナイテッド・キングダムと同じような地位で一員に加わって、しかしながらユナイテッド・キングダムが主たる地位を行なうというのと大体同じ関係にあると思います。
  171. 岡田春夫

    ○岡田委員 もう少し簡単にお答えいただけませんか。私は法的地位というのは――そういう点は先ほどのことをただ横の面からお話しになっただけで、同じことを言っておられる。私はフランス憲法の中に、先ほどあなたがお話しになったが、フランス憲法ではフランス共和国とベトナムが対等の地位に立つなんというお話、それは完全な間違いです。フランス憲法の第六十条をごらん下さい。間違いです。それでは法的にはどういう関係があるのです。どういう地位に立っておるのです。これについては条約局長もはっきり答弁しているんですよ。だから私はこういう点についてはこれ以上は質問しません。私は失礼とは思いますが……。
  172. 小澤佐重喜

    小澤委員長 岡田君、参考人に対して礼儀を欠くような発言は慎んで下さい。
  173. 岡田春夫

    ○岡田委員 もう一点だけ伺いますが、あなたは南北の統一――ジュネーブ会議後において、南の方が吸収した場合においては、政府はこのまま継続されるだろう、北が吸収した場合には新たなる政府承認が必要である、こういうふうにお答えになりましたね。そうですね。新たな政府承認が必要である場合は、これは当然その政府としては請求権を留保しておるということをあなたはお認めになっておるからそうおっしゃるのでしょう。どうですか。
  174. 横田喜三郎

    ○横田参考人 北の方が吸収すれば請求権も留保しておりますから、そこでもちろんそういう問題は交渉に上ると思います。
  175. 岡田春夫

    ○岡田委員 請求権のあるということだけははっきりしておきましょう。私はこの他の問題については、大へんおそくなっておりますので、この程度でやめます。きょうはあなたはお客さんですから私はあと言いませんが、いずれあらためて私は法律の立場であなたと適当な機会において対決しますから、これで私は終わります。(拍手)
  176. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  各参考人方々には長時間にわたり御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  この際暫時休憩いたします。     午後五時二十九分休憩      ――――◇―――――     〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕