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平野参考人 ただいま
委員長から私の肩書きについて
報告していただきましたが、国際民主法
律家協会というのはまだ耳に熟しておられませんでしょうから、ちょっと一言だけつけ加えますと、ベルギーに本部がありまして、会長はクリットという
イギリスの王室裁判所の顧問で、戦後四六年に初めて成立いたしましたが、人権を守り、ことに
戦争以後は平和共存すなわち東と西とがけんかするようでなく、しないようにする、法律家の役割としてそういう役割もあるだろうというので、自来ずっと今日まで東と西との法律家を集めて
組織されているものでございますが、その副会長をしております。
もう一つは、私はきょうは法律家としてここに
出席しておりますが、ただ、平和
委員会の
理事長といたしましては、五四年のストックホルムの
会議のときに、
日本政府は
ベトナムに在留する
日本人についてはまだ何らの
交渉をしていただいておりませんでしたが、七十三名の在
ベトナム日本人が御帰国になれるように
協定を結びまして、今平和
委員会と
日本ヴェトナム友好協会、
日本赤十字の三団体が集まって、第一回七十数名、その次九名、婦人の方も含めまして第三回というふうに、今日まで北と普通いわれております
ベトナム民主共和国から
日本人をお返しすることにも
関係をしてきたものであるということを申し上げます。
それで、きょうはお尋ねの
賠償に関する法律問題でございますが、大きく二つに分けられると思います。一つは、やはりサンフランシスコ
会議、
サンフランシスコ条約が調印されたときにおけるバオダイ政権のステータス、国内法上及び国際法上のステータスの問題、一九五四年のジュネーブ
協定成立の前後にわたる法律
関係、これが二つ大きい問題だろうと思いますので、それに集中いたしまして申し上げてみたいと思います。五月十三日
日本政府が
南ベトナム当局を全
ベトナムの代表ある権限あるものとして、
日本から
南ベトナムに対する
賠償をもって全
ベトナムに対する
賠償とみなすという表明をされたことについて、特に今の二つのサンフランシスコ
会議とジュネーブ
会議の
協定ということに関連して申し上げるわけであります。
その趣旨を
最初に申し上げますと、サンフランシスコ
会議のときにおきますいわゆるバオダイ政権が、当時、後に述べますいろいろな理由によって調印をする
資格と権限を欠いておったということにおいて、サンラランシスコ
会議の調印ということが違法であり、かつ無効である。第二の方は、また後に述べますジュネーブ
協定の内容及び精神に違反をする、統一を目ざしたファイナル・デクラレーションというものを非常に重要視するという場合でございます。
第一の問題の方は、もうすでに御
承知の
通りだと思いますけれども、一九四五年の九月二日、われわれの方がミズリー号の調印をやっておりますその日にホー・チミン主席を中心として臨時
政府ができ、かつ独立の宣言をいたしまして、民主共和国という形で打ち出して参りました。しかもそれが翌年の四六年の一月一日、特に一月六日に総選挙をやりまして、民主的な手続によって南北一緒に南の方からも代議員が選ばれて、そしてここに国会が成立し、憲法が制定されて、従って
ベトナム民主共和国はそういう憲法に従い、国会に基づいて正式に全
領土を統一したものとしてすでに発足しておった事実がある。この点は重要であると思う。なぜかというと、朝鮮の場合とやや違います。朝鮮の場合は、八月十五日の後に、九月の八日にロッジ中将が朝鮮に飛びます間だけ、わずかの半カ月だけは
日本の敗戦後に全然いなくなったわけであります。しかし、もう九月の八日にロッジ中将が沖縄から飛びまして、半カ月でしたけれども、この場合にはずっとそれ以来厳然たる存在をもって両南北、中部
ベトナムを通じて
ベトナム民主共和国というものが成立してきた。四九年以後またバオダイ政権の問題がありますけれども、ともかくそれだけでももう四年間の厳然たる存在をもって成立してきた。これは今の朝鮮とも違う点でございます。従いまして、今のを要約して申しますと、国内法的に見ても、国会の選挙をやり、南北統一の選挙をやりまして、南からも代表者が出、そしてバオダイ氏自身も迎えられてこの
政府の顧問になった。そしてあらゆる政党が代表されておったような形での
ベトナム民主共和国になった、こういう点が第一であります。
その後
ハノイやフォンテンブローの
協定のことは、もうここで時間がないから申し上げる必要はなかろうと思います。ともかくホー・チミンは
ベトナム民主共和国の主席としてフォンテンブローのときにも主席として待遇されて
フランスに行きまして、
フランスの連合内の自由国家という形で、なお
フランスの連合内という制限が四六年にはありましたけれども、しかしともかく
ベトナム民主共和国の主席であるという待遇を受けて、内容は
意見が合わない
部分もあって、全くホー・チミン主席の
考えるような
協定はできなかったにしても、ともかく主席として待遇されたということも、今申し上げた全
ベトナムの代表国としての
ベトナム民主共和国というものが成立しておったということを証明することはできると思う。これはまだ四九年以前の話であります。
第二は今当面問題になっておりますバオダイ政権自体の要素、性格であります。後に
承認の問題に入りますときには要件が自立性と、そして永続性、継続性ということが、
政府なり国家の
承認の場合には重要な要件になることは御
承知の
通りであります。その自立性であります。自立性とは、ことに第二次
戦争以後においては、やはり民族自決の原則によって、その国の
人たちが他の正規の手続を経ないで、すなわち、この場合は、
フランス側の連合の中の一員という形でなくて、
ほんとうに独立になったということで初めてアジアにおける民族の
独立国家が成立するという意味において自立性ということは特にこの際重要であります。にもかかわらず、バオダイ政権の場合には、あの当時四九年――今は特に五〇年、五一年のサンフランシスコ
会議に集中しておりますが、その場合には
フランス連合のらち外ということにステータスはきめられているわけでありますから、これは自立政権あるいは独立政権というものではない。だからこそ、また前国防相のスワンは今に至りますまで
フランスの軍隊の将軍をやっております。アルジェリア
戦争にかかっておる。それ以外に大ぜいの首相はみな
フランス国籍を持っておったというのはわかるわけであって、まだ
フランスの連合の中の国家である以上は、
フランスの国籍を持ち、パリのソルボンヌ大学に行って勉強して帰ってきた
人たちが政権を持っているわけでありますから、
フランス国籍であるのがむしろあたりまえであり、その逆を申せば、この種の政権が、すなわち
ベトナム人民全体からいってやはりかいらい政権である。
ほんとうに自立していない、
フランスによって左右される政権であると
ベトナム人が
考えているというわけもありまして、そこでステータスの問題と性格が、本来民族独立の中から選挙されて出てきたものでない。今までの
経過の上において
フランスが任命してきたグループだということになります。そのトラン・ヴァン・フーが桑港
会議に
出席をいたしたわけであります。従いまして、委任状を渡せば、そのトラン・ヴァン・フーでも、
フランス国籍を持っている者でも行けると申される
意見があるそうでありますけれども、その委任状を渡すそのもの自体、バオダイ政権自体が
フランスならいざ知らず、
フランスの連合の中の外交団の首席は
フランスが任命するという規定になっているそのトラン・ヴァン・フーは実は権限がないわけで、
フランスは権限がありましょうけれども、
フランスの連合の中のメンバーとしてのステータスしか当時の
南ベトナムは持っておらないわけでありますから、その意味においてトラン・ヴァン・フー自身が
フランス国籍を持っているというだけじゃなくて、それに委任状を渡すその
政府自体もなお権限を持っておらない。独立していない。
フランスの連合の中の外交
関係は一切やはり
フランスに相談しなければならない
関係にあるわけでありますから、その意味において、トラン・ヴァン・フー自体は権限はない。そのもとも権限がない。つけ加えますが、軍事上の制限も受けております。司法上、つまり裁判上、
フランスに
関係のある裁判事件はやはり
フランス人と
ベトナム人との合同の管轄になるわけであって、裁判権すら持っておらないときのそのときの外交権ももちろん
ベトナム国になかったわけでありますから、そういう意味において、サンフランシスコ
会議に出てこれに調印するという権限及び
資格がなかったものである。
第二は、四九年の七月一日政令第一号が出ましたが、これによりますと、国会はないわけである。批准
会議、コンスチチューエント・アセンブリー、諮問
会議がある。諮問
会議のメンバーはどういう人かというと、結局これは元首が任命するのでありますから、全国的に選ばれてでき上った国会とは違います。これはただ任命制の諮問
会議、しかも権限は諮問でありますから、これがありましたところで国会とは申されません。憲法も当時はもちろんなかった。そういたしますと、結局サンフランシスコ
会議の
条約に調印いたしましたが、その調印いたしました後においても国会で批准されておらない、国会がないわけですか……。かりに諮問
会議に出ましたところで、また元首が調印したところで、その元首自体が、今申しましたように自立性もないわけでありますからして、国内的な手続を民主的な原則に照らしますれば、調印したところでやはり批准はされておりません。批准するところもなかったわけですから……。国会では批准されておらないわけです。その意味で、国内法的にも欠缺がある、こういうふうに
考えなければなるまいと思います。これを要しますのに、サンフランシスコ
会議に
出席する権限と機能とそして
資格がなくて、そして帰ってきてもこれを国会で批准したという手続がないのでありますからして、これは同時に無効でありかつ違法である、こういうふうに
考えるわけであります。
次の問題は、そういいましても、四十九万国批准しているではないかとよく御議論があるそうでありますけれども、その場合に、一体国家として
承認をしたのか
政府として
承認をしたのかどうか、一体デ・ファクトあるいはデ・ユーレ、事実上の
承認をしたのか法律上の
承認をしたのか、これはさっぱり明らかになっておらない。事実上の
承認というこはとありましょう。
フランスのごとく
ベトナム共和国と
貿易文化協定を結んでおる国もあるわけでありますから、
承認と一口に言ったって、デ・ユーレ、法律上の
承認をしたのかそれとも事実上の
承認をしたのか、国家を
承認したのか
政府を
承認したのか、これを明らかにしなければ問題は進まないと思う。そこで要件といたしましては、どんな場合でも自立性及び継続性及び
領土のインテグリティ、
領土が全体として代表不可分のものでありますが、この三つが国家の
承認の原則であります。自立性あるいは独立性、私の
言葉でいえば、民族独立の戦後の要求に従って、やはり独立性を持っておる。第二は継続性であります。第三は
領土的完全性といいますか、インテグリティ・オブ・テリトリー、この三つがなければ、国家の
承認の相手方というものにはなるまいと思います。第一の点は自立性でありますが、これはバオダイ政権の場合、ずっと四九年以来のいろいろな抗争、
戦争まで起こりまして、ディエンビエンフーの
戦争の後にジュネーブ
協定ができるところの
経過を見ましても、自立性というものに欠けておるものがある。第二は継続性でありますが、ジュネーブ
協定によって将来は一年たった五六年の七月に自由統一選挙をするというところまでは暫定的な
政府であって、それが統一選挙をやりますれば、何らかの統一
政府ができるでしょう。しかしそれまではどっちが全体を支配するというふうではない
協定を結んでおるわけですから、継続性という点からいって、継続性は中断されておるわけです。統一選挙にかかっておるわけです。だから継続性もない。それからインテグリティ、完全、全部が不可分一体をなしておる。東も中も北もないということは
ベトナム憲法にある
通りで、それでジュネーブ
協定の場合でも、
領土の完全性、不可分性ということを最終宣言でも述べておるわけであります。独立とそれから継続性、それから今の
領土のインテグリティ、完全性、これがなければ国家の
承認にはなるまいと思う。それなら
政府の
承認かと申しますなら、
政府の
承認である以上は、
政府の
実力が及んでいる今の要件はもちろんあるといたしまして、どの辺の地域まで、
ほんとうの
実力的な、政治的な支配が及んでおるかということなしには、
政府というものは
承認できない。日華
条約にいたしましても問題がありますが、台湾との間の日華
条約の場合でも、附属文書では、台湾及び澎湖島と、きっちり制限しております。何も日華
条約を結んだからといって、大陸の方まで、あの
条約が及ぶことのないように、ちゃんと附属文書で、台湾及び澎湖島という限定をしております
通りであって、それよりほかに事実上の支配が及んでいないわけですから、その事実をもとにいたしまして、
政府の
承認が行なわれると解するよりほかにはないわけである。すなわちこの場合には
南ベトナム当局というものを相手としておるということにしかならないわけであって、それをもって全べトナムを代表するかのごとくにとることは非常な間違いである。ちょうどあたかも日華
条約をもって中国全体のことをきめたものだということはできなよいように附属文書は出ておりますけれども、そういうふうに
考えるのと同じように間違いである、かように
承認に関しては思います。しかもこのとき以来五〇年当時アジアの国は
承認しておりません。やはり一番大きい自由主義国家群、アンザス及びSEATOの国々だけであって、アジアのインド、ビルマの国などは――要するに韓国とフィリピンを除きますと、アジアが
承認をいたさなかったということから見ましても、やはり民族独立というこのアジアの機運に沿うていないということをアジアの人々が
考えていたからだと思うわけであります。
第二の大きい問題は、ジュネーブ
協定に関する法律問題であります。この点もっと重要だろうと思います。ジュネーブ
協定はジュネーブ・アグリーメントとしまして戦闘の停止及び最終の宣言とそんなに分けておりません。
戦争をやっておったわけですから戦闘の停止はもちろん第一のことでありますけれども、同時にそれが今後は南
北ベトナムがあの戦闘の停止
部分をもって軍事境界線さらに国境、国の
領土の国境線にすることのないように注意し、十四条の第六項、そうしてやがて統一と独立と民主主義、それから今言いました
領土の完全性を作るまでみなで
お互いに
努力しようという趣旨になっているのがジュネーブ
協定であります。この点はファイナル・デクラレーション、おしまいのデクラレーションで、中身は戦闘行為だからこれについて触れないというようなお
考えがあるとすれば、これは不可分一体をなしておる文書である。それから政治的
部分をこめて述べている点が重要なことでありまして、単なる戦闘行為の中止だけの文書でないという点は特に強調いたしたいと思います。この原文をちょっとお開きになれば、むろんそんなに分けてはないわけです。それから結論
部分であります。政治的な結論
部分であります。戦闘停止は停止でありますけれども、政治的に申せば北と南とが統一のために、
お互い同士妨げとなるような
軍事基地を作ったり、軍事同盟に入るというようなことはしないようにしたいということが述べられてある
通りであって、そこでなるべくなるべく、統一の万に統一の方に、向かおうとする政治的結論
部分を持っておって、これが
協定でありますから、
南ベトナムはこれに従わなければならない。従わなければジュネーブ
協定違反になります。
日本の場合もし従わないで、それに
賠償を支払うということになれば、
南ベトナムにジュネーブ
協定違反をさせるようにするのであり、およそ国際法上、自分の国が
関係しておりませんでも、他国が結んだ
協定が理由ある
協定であるならば、これを尊重するのが信義であり、信義のみならず、国際法の原則であって、自分が関与していないからといって、それを破らせるように仕向けるということは、信義に反するばかりでなく、国際法の原則に反するものだと思いますので、やはりジュネーブ
協定というものは、この場合決定的なものであると
考えます。
それから
賠償の支払いが
南ベトナム当局になされた場合に、国際法の違反であるという形式的法律的な点を申しましたが、実質的に
考えましても、
賠償が全
ベトナムに行くんだといたしますれば、
政府当局の言われる
通りだといたしますれば、どうしてもその
賠償が
北の方にいけるようにしなければ、全
ベトナムに
賠償を支払うという趣旨にはならないだろう。ところがその場合には、今の場合
南ベトナムに支払ったことだけで全
ベトナムに払ったとみなすというだけでありますから、もっと南の方の
賠償を
北の方にも行き渡らせるんだとしますれば、真意がそうだとしますれば、これは統一ができるのを待って、それに支払っていけば、南の方のでも
北の方へいくわけでありますけれども、何も今急いで、南だけに支払えば南だけにしかいかないことが明らかでありますから、かりにもし
賠償が全
ベトナムに払われるべきものであるというお
考えであるとするならば、やはり統一されるのを待つべきだと思います。
それから
賠償を目的としていながら、その中身は実は水力発電どころでなく、軍需産業を作るプラント輸出だということになりますと、やはりこれは言っていることと行為とが違います。とすれば、民法の九十六条にあります相手方と通謀してなしたる虚偽の意思表示じゃないか。正真正銘
賠償は
賠償だ。これは払うべきである。ところが相手方と通謀してなしたる意思表示でも虚偽の意思表示である。これは無効であって――これは私は今ここで民法的に解釈しろと言っているのではないのであります。けれども、法律
関係はそういう
関係であって、善意の第三者に対抗できませんから、統一を待たないでもし支払ったといたしますれば、
北の方がもう一ぺん自分の方が全体を代表するものだといって
日本に
賠償を要求してきたときには、善意の第三者に対して対抗できない。もう一ぺんまた支払わなければならない。ですから、急ぐ必要もないし、統一をむしろ進めていって
賠償の義務を支払う。これは
賠償を講和
条約十四条できめたからといいますけれども、それは全
ベトナムに支払うということをきめたのであって、
南ベトナムに払わなければならぬということではないのでありますから、その点を指摘したいと思います。
最後に、何も私が言ったのは、ばかに遠い将来のことで統一の見込みがないとかあるとかおっしゃることは、法律論ではありませんから、私はここで触れませんけれども、もう全世界は大体平和共存に参ってきておりますので、われわれも
努力いたしますならば、
軍事基地なり軍事同盟に入らなくて、東と西とあるいは北と南とが接近して、なるべく歩み寄るように外のものがすればできるわけであって、それをしいて分けて敵味方にしていくという、こういう緊張激化の方向でバンドン精神をないがしろにされるのだとすれば、それは時代に逆行しているのみならず、非常に私は現実の問題としても見通しがきかな過ぎると思います。これはしかし法律論ではありませんから、私はわざと避けますが、大事な点でありますから触れました。
そして最後に、バンドン
会議には高碕さんもおいでになったわけです。そしてやはり
ベトナム統一ということをあのバンドン
会議の共同コミュニケではいたしました。やはり統一の方向へみんなで少しずついくようにさせようじゃないか。バンドン
会議の共同コミュニケにおいて統一の方向へ進めたわけです。これは
日本の
政府の代表者が御
出席になっているわけでありますから、この
政府の代表の御
出席になっておる方向へ進めていくべきであり、かつまた法律の解釈といたしましても、平和共存という大きい問題になりますと、どうしてもこういう点まで込めてお
考えをいただかないと、間違ってくるということを述べて終わります。(拍手)