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松前委員 災害の問題に
政府が非常に関心を寄せられておるのはけっこうだと思いますが、一言、長官の御意見も承り、それから
災害に関する考え方について、今までの考え方と少し違った考え方をもって臨んだらどうかと私は思うものでありますから、
一つ御意見を承ってみたいと思います。と申しますのは、私は、
災害は
——災害というよりも
台風というものは、
一つの偉大な資源だという見方をしておるのです。
台風をこわがるなんという考え方は間違いだ、こういうふうに私は考えております。もし
日本に
台風がないならば、
日本の水力というものは
相当に減殺されてくる、私はこういうふうに見ております。
台風のおかげで、
日本はいわゆる世界有数の水力国として数えられておる、こういう見方をして、言いかえると、
台風資源論の立場から、大自然をいかに克服するかという考え方に立たなければならぬ、こういうふうに私は見ておる。でありますから、ただいま長官のいろいろな御
説明がありましたように、いわゆる学者たちがいろいろなことを考えておられる考え方と多少
方向を変えまして、むしろ
台風というものは
日本の特産品であり、しかも、これなくして
日本の資源はないというくらいの考え方で大自然を克服する必要がある、私は、そういうふうな考え方における、いわゆる
研究という問題を
一つ取り上げてもらいたい。これに対してどういう御意見をお持ちであるか、これが第一の
質問であります。
まとめて申し上げますが、第二の問題は、従来、
災害というものが起こりますのは、
台風それ自身の風の力、あるいは雨による被害ということになりますけれども、これは単にそれだけでもって考えてはならないのであって、国土計画、あるいはまた、河川の計画等が合理的に行なわれておるならば、そういう
災害は起こらない場合が非常に多いのです。これはいろいろ建設省その他農林省等に関連のあることでありまして、これこそ、総合的に調整をとっていかないと、
災害の原因を起こす場合が非常に多い。私どもの経験したところによると、例をもって申しますれば、たとえば、阿蘇山の北側と南側から流れてきた白川と黒川という川が、立野で白川という川に合流しまして、それが熊本市に流れて有明海に注いでおる。あれは、かつてえらい洪水を起こしまして、熊本市が泥沼になってしまって非常な人命が失われたことがあります。私は、あれを考えてみると、昔はああいうことはなかった。いまだかつて白川の洪水というものが堤防を越して熊本市に浸入するなんということはなかった。川の底が非常に上がってきたとか、そういうことも多少はございましょうが、いまだかつてそういうことはありませんでした。それがどうして起こったかということを私は非常に疑問に思って、調べたというわけじゃないが、ぼんやり考えてみた。ところが、その原因は阿蘇自体にあった。言いかえると、阿蘇総合開発という美名のもとに隠れて、北の方の、いわゆる阿蘇谷というところの河川を改修なすった、そこに問題があると私は見ております。まだ
政府はそういうことは言っておりません。
責任問題になりまするから、お役人さん、なかなかシャッポを脱ぎません。けれども、そうなんでありまして、かつて加藤清正は、非常に治水の名人でありましたが、あそこの河川を、非常にえんえん長蛇のごとき曲線で水を流した。それをまっすぐに河川改修をやってしまったものですから、その水が非常にハイ・スピードで立野の合流点にやってくる。南郷という南の方は非常に急流でありますから、すぐやってくる。昔は、えんえん長蛇のごとき黒川の水は、ずいぶんおそく立野にやってきた。その立野にやってくる前に、南郷の急流がぐんぐん流れてしまって、その
あとでもってお留守を引き受けて流れていくというのですから、水かさはあまり上がらない。こういうことで調節をされておったのが、河川改修によって、これが一緒にあそこへ集まってくるものですから、そこで従来の水かさの倍近いところの水かさになって、オーバーフローして、下流においてはああいうふうなむざんな
災害を与える。こういうふうなことが総合的に考えられなければならないのであります。先ほど
お話がありましたように、人命というもの、あるいは、また個人の
災害に対しては、早く
事前予知いたしますれば避難その他によってこれは救うことができることは申すまでもない。そのときでも、実は水かさがここまできたならば、熊本市がめちゃくちゃになるだろうということはわかっておった。それを、だれも
責任者はないし、熊本市に知らそうにも、そんなことを知らせようもないし、また、市役所に知らせたって、市役所はそうかというだけで、何もすることはない、こういうふうなことで、非常な大きな、いわゆる人命被害があったことは言うまでもありませんし、これらの問題も残っております。それから、もう
一つは、河川の中で、最近は小さな河川の
災害が非常に多いのです。小さな河川の
災害というものは、河川の両岸を、盛んに護岸工事をやるということだけで私は解決するものではないと思うのです。というのは、小さな河川は、いろいろな灌漑用水その他に使っております。そうすると、その灌漑用水のせき、水門が方々に設けられてある。ところが、この水門の
管理者が何とか水利組合の組合長ということになっているらしい。組合長さんは、どこかその辺の非常な名望家でありまして、どうも水かさが増しそうだから、あそこの水門をあけなくちゃならぬという義務は負ってない、だれといって専従者はいない、たんぼに水が必要なときには適当に水門を締める、締めてほったらかしておいて、雨が降ったって別にあけに行く義務も何もない、こういう水門の
管理の姿である。それが実は大きな
災害を起こしている。水門を締めたまま、そして、上の方へまるで池を作ったようなものでありまして、それで大
災害が起こった例がございます。そういうような農地との問題にまた関連性があるのでありまして、技術的な問題もあると同時に、行政的な問題、行政機構の問題もありましょうし、あるいはまた、全体としての有機的な行政の結合ということが必要になってくる。こういうことでありますので、
災害というものは、決して科学者だけで解決がつくものでなく、農林省あるいは建設省等の、いわゆる治水工事、あるいはまた灌漑工事、これらのものが総合的に、もっと大局から見て計画されなければならないという面が非常に多いのです。私は、
伊勢湾台風の実情はあまりよく知りませんけれども、おそらく、そういう面があったろうと思います。また、ああいう高潮による堤防の決壊というものがどうして起こるか。もちろん、高潮ですからオーバーフローして起こるということはわかる。ところが、堤防がなぜあんなに弱いのであるかという問題になりますと、
伊勢湾や有明湾のようなところは非常に泥土が堆積いたしておりまして、下の方は、まるでのりの表面のようなことになっておる。下はぶわぶわの泥沼で、幾らでも中に入り込める。こういうところに、上の方にただ石や泥を積んで堤防ができたとおっしゃっておられるだけの話でありまして、これこそ、砂上の楼閣どころでなく、泥土の上の楼閣でありまして、重いやつがふわふわした上に載っかっているというだけのものが、あの辺の堤防であります。そういう堤防の作り方でもってやっておるものですから弱い。
下の方は浮動しておる、まるでゆらゆらしておりますから、表面に出たところの堤防というものは非常に弱いのであります。まるで決壊さして下さいというような堤防が、ことに干拓地などにはあるのであります。こういう基本的な問題が総合的に解決されなければならないと思うものですから、やはり科学が
中心にならなくてはなりませんけれども、それから派生いたしまする行政
措置その他の問題もこれによって解決しなければならぬ。そういう
意味において、
台風対策に関する
委員会でなく、常置
研究所を作りまして、これによって具体的な諸問題を摘発して、行政的にこれを各省の関連性において片づける、こういうのが早急に、こういう非常に大きな被害を受けたのを契機としてなされなければならないと思うのであります。これについて
一つ御意見を承りたいと思います。
せっかく新
大臣を迎えたのだから、
一つこの辺は特に御尽力願いたいと思うのでありますが、まず第一の問題は、例の
台風資源論という立場から、
台風というものは、これに打ち勝つことができるならば、何もこれを消さぬでもいい、かえって適当な
台風がきた方が私はいいと思う。こなければ
日本の水力資源は枯渇する、勝てば偉大なる資源だと思う。勝つためには、
あとで第二の問題として申し上げた治山治水というものが、どうも近ごろ部分的になってしまって、また、政治的な、つまらぬ選挙運動なんかのえさみたいになってしまって、あるところだけ河川改修をやる、そのために全体の
災害が大きくなるというようなことが非常に露骨に最近現われてきた、これらに対する科学的な、良心的な
措置を講ずる基本計画をなすためのしかるべき
研究機関を作る、あるいはまた調査機関を作る、常置機関を作る、こういう問題についてどういうお考えであるか、この
二つの問題について伺いたい。