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久保委員 ただいま議題になりました十一月二十五日に
銚子港において、
漁船の
遭難がありました。これについて
政務次官並びに
関係の
局長にお尋ねをしたいと思います。
まず第一に、この十一月二十五日の
事故でありますが、これは波崎町の
漁船、いわゆる揚繰船三十二トン、これは木船でしょうが、第五
幸辰丸というのがございます。当時の
乗組員は
船長ほか三十三名、合計三十四名の
乗組員であります。それで
銚子港の
川口付近の
一ノ島灯台の
付近で
波浪のためこれは
転覆したわけです。
転覆した結果、
生存者が六名、死亡確認された者が三名、行方不明が二十五名、こういう大きな
事故があったわけです。当日のこの
漁船の
行動は、二十五日五時ごろ出港いたしまして、イワシの漁に出たわけであります。出港当時の
天気状況は良好であったということであります。ところが八時半になりまして、
銚子測候所でございましょうが、
銚子測候所から
海上注意報が出されております。もちろん
漁業無線局はこれを各
漁船に通達をいたしておりまして、これは各
漁船とも承知をしておるはずだと思います。当時の予報は北な
いし北東の風で十メートルな
いし十五メートルに達する見込みというようなことであったようであります。それでこの船は、
漁業無線局に対して漁を終えてから十一時三十分に間もなく
川口に入るという
連絡をして、そのまま
川口に入ってきて実は
波浪によって
転覆をした、こういうことでございます。
当時のこの
遭難に対する
連絡状況を各
方面から見ますると、大体十一時四十分な
いし五十分ごろ
漁船である第三
妙見丸がこれを目認した。そこでこの船から短波によって各
漁船に
連絡した。そこで入港中の第七大清丸がこれをキャッチいたしまして、
銚子港内に入っておった
海上保安庁の
巡視艇「
なみちどり」に
連絡したわけであります。これはこの
連絡した方の
言い分でありますが、当時「
なみちどり」に
連絡したところが、
当直は今ほかの者がいないから
出動はだめだ、こういうふうなことを言っていたそうであります。一方
保安部関係はどうかというと、零時五分ごろ
保安部は眼鏡によってこの
遭難を目認して、直ちに
巡視艇の「
なみちどり」に
出動命令を出した。この
出動命令は二分後で零時七分、こういうことになっておるようであります。その後
保安部関係の
出動はどういうことになっているかというのに、零時四十分ごろだと思いますが、四十分あるいは五十分になったかもしれません。これは
向こうの
言い分でありますが、
保安部自体から
救護課長あるいは
係長等数名が
自転車で
一ノ島灯台付近に
出動していったそうであります。これは何も
救命道具とかそういうものは一切持っていかなかったそうであります。ところがその当時すでに
転覆をした
漁船の
船員は全部船とかあるいは網、こういうものにつかまって泳いでいたそうであります。大体
一ノ島灯台から五、六十メートルのところで
遭難したらしくて、その後風浪によって
一ノ島灯台の
突堤付近に押されてきたということがあるようであります。そこでこの間、
保安部の
係官が来るまでの間にそこに居合わせた、
民間人が集まって参りました中に一人
自動車の
運転手とかがおったそうでありますが、
自動車のロープをとって
自分の着ていた
カッパを
おもしにつけて投げてこれを
救助したというようなことでありますが、やっているうちに
自分のズボンあるいは
カッパが全部流されてしまった。そこで
保安部の
人間が着ていた
カッパを脱いでくれ、こういうことを言ったそうでありますが、これは脱いでくれなかった。あるいはそこに立ち会いというか、来たところの警官に対しても
カッパ等を
おもしにするのだからと言ったが、これも断わられた、こういうことを言っております。それでこれではしょうがないということで、
保安部その他に要求しまして、
もやい銃を届けてもらう。
もやい銃が来た時間はわかりません、聞いておりませんが、とにかく
もやい銃が届けられた。
もやい銃を発射したところが、一発は
火薬がしめって発射できなかった。もう一発は発射できたが、
もやい綱が途中で切れて用をなさなかったというようなこともございます。それで
自力によって泳いだ者、あるいは
民間人の手によって引き揚げられた者というのが、
生存者の六名のようでございます。
あとはいまだに死体がわからないものがある
——引き揚げられた直後に一人なくなりましたが、いずれにしても二十八名の
死亡者が出た、こういうことであります。
次に
状況を続けて一
通り申し上げますと、いわゆる
巡視艇の「
なみちどり」は、零時七分に
保安部から
出動命令を受けたようでありますが、ところが
出動にかかったのが十二時十五分であります。十二時十五分から動き出したのでありますが、
いかりが
付近にある船の
いかりとからみ合って、これがとれない。こういうようなことでごたごたしておりまして、やっと
自力で動き出したのは十二時四十八分、こういうふうになっているのです。十二時四十八分に
自力で
航行に移ったのでありますが、中間まで出て
——青砥というところです。ここで十二時五十五分に再び投錨した、
アンカーした。そしてめがねでもって一ノ高
灯台付近を探したのでありますが、
漁船の影がないというので、おそらくはその
航行路に沈没したのではなかろうか、こういうふうな認定もしていたようであります。いずれにしてもそのうちにいろいろな
救命ゴムボートの支度とかそういうものができたので、再び十三時二十九分に
いかりを揚げて
行動を起こしていったようでありますが、ちょうど
一ノ島灯台を通過したのは、この
巡視艇は十五時五十七分と言っております。
事故が起きたのは十一時四十五分な
いし五十分ころのようであります。そうしますと、これは約二時間以上たっている、こういうことで、とうとう
保安部の方の
救助というものは全然なされないままで今日に至った、こういうことであります。この
事故は今回が初めてではなくて、すでにことしになりましても最近の
事故としましては、十月の十五日には
船員が転落して、これがいまだに行方不明であります。それから十月十六日には第一
国丸が
——これは九トンの船で五名の乗り組みでありますが、一名が助かって四名が行方不明、こういうことになっております。この
種事故、
一ノ島灯台付近の
事故というのはずっと前からだんだん多くなっております。そういうところが
一つ問題点だと思う
なお前後いたしますが、「
なみちどり」の十一月二十五日の朝からの
行動について申し上げますと、「
なみちどり」は当日八時三十分に出港いたしまして、
鹿島灘付近を
巡視をしております。ところが九時十五分に天候が悪くなったのでこれが帰港をしてきた。
銚子港に入って停泊したのが十時三十分、これはもちろん
アンカーをしております。こういうことでありまして、十時三十分に帰港して、
荒天警戒に入ったというが、
アンカーをおろしたというような
状況であります。これが大体
事故の概況でございます。
そこでお尋ねしたいのは、先ほど申し上げました
漁船、いわゆる第三
妙見丸が十一時五十分ごろ
漁業無線で
遭難のことを知った、こういうのでありますが、
保安部で発見したのは、十二時五分であるということであります。この
漁船あるいは
漁業無線局から発信するそういった
通信が、
保安部あるいは
巡視艇には
受信装置がないのかどうか、それは電波が違うので受信できないのか、こういう点を
一つお伺
いしたい。
それから第二番目には、
巡視艇が
現場付近に到着するまでの間、約二時間かかっております。それからこれはついでに申し上げますが、去年の三月十九日に七面丸という五十七トンの船が、これもやはり同様の
場所で沈没しておりますが、このときはやはり
全員死亡であります。
全員四名でありますが、死亡しております。このときは、その
現場まで
出動するのに四時間かかっているそうであります。こういうふうな時間を経過していることについて、われわれ
自体はどうも納得がいかない。特に先ほど申し上げたように、
荒天警戒に入っておるにもかかわらず、
アンカーをしておかなければならぬということでは、先ほど言ったように、いざ
出動というときに、
いかりを揚げるときに、他の船の
いかりとからみつかるというような
事故が、これはもちろん出てくるわけです。こういうことを考えると、
アンカーをしておかなくてはいけないのか、
荒天警戒の場合に、そういう態度はいいのか。それから第二番目に、
いかりがからみつかるような
場所を
定着地に指定しておくこと
自体に問題がありはしないか。
巡視艇の
定着地について、特に
銚子港の場合は、どういう
対策をとっているのか。
それから先ほど申し上げたように、途中まで
出動してきたが、再び
アンカーして、そこで三十分な
いし四十分様子を見ていたということでありますが、これは大体私の
状況判断でありますが、この船の
船長以下
乗組員が、船に
自信がないのではないか。結局船に
自信がないから、どうもまごまごしていた。逡巡、ためらっていたということだと思う。船の
構造にももちろんそういうことで問題がある、こういうことだと思うのでありますが、言うまでもなく、
海上保安庁法の第四条を見ますれば、
海上保安庁の
船艇及び航空機は、
海難に際し
人命及び
財産を保護するのに適当な
構造でなければならないと規定しておる。ところが今言うように、
船長以下
乗組員が
自信が持てないような船を配置すること
自体は、だれが
責任を負うか、
運輸大臣あるいは
海上保安庁長官いずれかがこれは負うべきである。こういうこと
自体を長年繰り返しておること
自体に問題があろうと思うのだが、この見解。それから、あわせて早急にこれが
船艇の
改善をはかる要があると思う。もちろん、
海上保安庁自体の全体の
保有船艇はいずれも老朽であるし、さらに近年は大体
建造も思うようにいっていないように思う総体の船の数も減っている、こういう事態に対して
政務次官はどういうふうにお考えであるか、これをお尋ねします。
それから具体的な
方法として、来年度の
予算要求を今日やっているようでありますが、三十四年度は
船艇の
建造は四隻となっている。この四隻の配置はどこへやるのか、あるいは来年度の
予算要求の中身は、どういうところに
巡視艇あるいは
船艇の
建造を考えているか。
次に、問題は、
保安部長以下
船長も全体に、
銚子港の
川口における
遭難に対して、全然
自信を持っておりません。半ば投げております。そうしますと、
海上保安の仕事の半分である特に重大な
人命、
財産の
救助ということが全然やれない。法規による取り締まりというようなことに重点が置かれるようでありますが、こういうことでは完全な
保安行政とは私は言えないと思う。しかもここで考えてみてもらわなければならぬのは、大体
銚子の
保安部自体の
職務態勢そのものが、どうも一般的ではなさそうに思われる。俗な言葉でいえば、大体
気合いがない。
気合いがない
原因は、
一つは船に全然
自信がない。もう
一つは、
勤務環境が整頓されていない、整備されていない。これは
あとから申し上げますが、そういうこと。もう
一つは、あまり言いたくありませんが、これからくるいわゆる廃頽的な気分かありはしないか、こういうふうに考えます。これについてどういうふうに考えているか。とにかく
職務に対する
熱意の喪失はおおうべくもない事実だと私は見てきた。
それから、今までの例も、先ほど言ったように、これはたくさんな例がございます。
一ノ島灯台付近の
遭難事故は数限りなくある。ところが、今までそういう
巡視艇そのものが役に立たないということを認めているようなんだが、
海自体から、
海上から
救難ができないとすれば、陸海空全体をあわせて考えるべきだと思うところが今まで何にもやっておらぬ。これは非常に
職務怠慢ではないかと私は思うのです。特に
一ノ島灯台付近にこれらに対する何かの
対策があってしかるべきだが、いまだにない。
それからいま
一つは、救命具にしても先ほど申し上げたように、
もやい銃そのものが危急存亡のときに使いものにならなかった。操作も悪かったのかもしれません、
火薬がしめったというのですが、
波浪の中ですから、これもまたやむを得ないと言えそうでしょう。ところが
もやい綱が途中でまた切れるということでは、全然問題になりません。この陸上よりするところの
救難態勢を整備拡充する必要があると思いますが、どのように考えておるか。これからどのようにやろうとするのか、それをお尋ねしたい。
質問がずっと長くなりますが、一括して申し上げたい。
それからもう
一つは、船の
構造からして、この
一ノ島灯台付近の
海難を救済することができないということに考えているならば、それ以外の
方法をこの
巡視艇で考え得なかったのかどうか。ということは、
荒天警戒に入ってから
港内に入ってきて、
アンカーして、ひっそりしていたのでは、
巡視艇の役目は残念ながらできないと思う。同じ
保安部の管轄だと思いますが、
那珂湊保安署の
巡視艇は、
荒天警戒になれば、
港外に出て、入港するところの
漁船に対して一々注意をし、
指導をし、誘導している、これが
銚子港におけるところの
巡視艇はなぜできないのか、できない
原因はどこにあるのか、これを聞きたい。
それから
巡視艇そのものの
乗組員でありますが、これも定員そのままであります。現在一名欠員があるようであります。もちろん
高級士官といいますか、
船員は全部そろっておるようであります。ところが
交代要員が全然ないようであります。だからどうしても時間外の
出動という場合は無理だ。これは
官庁執務時間のみによって勤務している
巡視艇、朝は八時半から夕方は五時半まで、それ以外は
当直を残してみな丘へ上がってしまう、こういうことであります。こういうことでは一朝有事の場合に用をなさないのであります。これはしかるべく
人間をふやす必要があると思うのだが、これはどう考えるか。
それからもう
一つは、
船長を初め
高級士官は
定着地から約三・八キロの距離にある
官舎に居住しております。これは
船長以下四名の
士官です。
無線長とか
機関長とか、
航海士とか、そういう方であります。ところがここの
連絡は、
船長官舎にも
航海士にも
通信士にも全部、その
官舎全体には
電話一本引いておりません。
現場において
保安部長に聞いたら、
予算の
関係でつけられないという
お話です。そういう
予算は全然ないのかどうか。各人に引く必要はないと思うのだが、四、五人の
高級船員の
官舎に一本の
連絡するところの
電話もないということでは、残念ながら
救難態勢などには間に合いっこないだろう、こう思うのであります。これは早急に手配する必要があると思うが、これは考えているかどうか。
それからもう
一つ、
設備の面であります。先ほど申したように十二時四十分ごろに
一ノ島灯台に
保安部勤務の
課長あるいは
係長等が四、五名行ったそうでありますが、これは
自転車で行った。ところが
保安部には
ジープが常備されているようですが、当時
ジープは故障して使えなかった。しかも
出動した
そのものの
係官は全然
行動に
積極性がないというのが
一般住民の声であります。これらも
設備の面、
人間の面で即刻改めてもらわなければいかぬ、こう思うのです。
それから次には十一月一日から
波浪が激しいときにいわゆる
危険標識を立てるということになったようであります。ところがこの
危険標識も
小型船組合に全部おまかせであって、上げても下げても
小型船組合だけの
責任でやっている、
保安部その他からは全然
連絡も何もない、これは
向こうへまかせっぱなしだ。それでありますから、
事故の起きた当時も、その直後入ってきた船もございますが、これもこの
標識が上がったというのだが認識しておりません。もっとも最近
保安部においてはこの
事故直後ではあるようでありますが、
事故が起きたから来たのではなくて、
計画通りに来たようでありますが、二十六日かに本庁並びに管区からそれぞれ
課長等が行って、完全な
危険標識を立てろというふうに相談をぶったそうでありますが、残念ながらそのとき
保安部長の話によれば
地元の
熱意はさらになかった、こういうことであります。
地元の
熱意を云々する前に、なぜ
熱意がなかったかについて考える必要があると私は思うもちろんその全部が
保安部の
責任ではないにしても、とにかく
地元に
熱意がない
原因の一半は
銚子の
保安部に対する
関係者の
不信の念があるからではないかと私は考えている。
不信の念があるから
地元の
協力態勢も
熱意がないのではないか、こういうふうに思うわけです。これらもよほど考えてもらわなければならぬ点だと思う。
それから、たとえばこの
危険標識が
波浪計等を備えつけて、科学的にこれをやっていくという
態勢がこれからできたにしても、ただ単に
波浪計を見て
危険標識を上げるという程度では残念ながら万全ではない、
積極性がないと私は思う。
むしろ先ほど言ったように
標識を上げると同時に
関係漁船に対する
指導がまず必要だと思う。
指導とは
荒天時において
港外においてこれら危険を予防する
措置に出るべきだと思う。あるいは
標識を上げるだけではなくて、各
漁船に対して刻々これらの
状況について
連絡をする。ところが今の
態勢で
波浪計を備えつけ、
危険標識を設置するということをやりましても、ただそれだけだ。こういう行き方では実際に私は
危険防止にはならぬと思う。
積極性について、どういう考え方を持って今
危険標識、
波浪計を備えつけようとしているか、あるいは今後近い将来
波浪計と
危険標識を設置されるその際、
保安部の
責任をもってやるのかどうか、それとも今のように
関係漁業団体にだけまかしてやるのか、その点を明確にしてほしい。
以上がさしあたり御
質問する要点であります。一応お答えをいただいてから次の
質問に移りたいと思います。