○相馬助治君 ただいま
議長から御
報告のありました通り、議員松沢靖介君は、去る六月八日病魔のため長逝されました。同僚議員としてまことに痛惜哀悼にたえないところでございます。ここに同君の生前を回想し、その功績をしのび、つつしんで哀悼の意を表したいと存じます。
松沢君は明治三十二年山形県に生まれ、
大正十五年北海道帝国大学医学部を卒業、同時に同大学付属病院に残り、ひたすら医学の研さんを積まれ、
昭和七年には「外科的結核における牛型結核菌の感染について」の論文をもって医学博士の学位を受けられ、その研究の成果は、
日本医学界において今日においても高く評価されておるものでございます。
昭和九年山形市の至誠堂病院長として就任、以来同病院の経営と医療に専念され、卓越した技術をもって高き声望に包まれたのであります。
戦後、国土の荒廃を目のあたりながめまして、国家再建の基盤は国民教育の振興にあることを痛感しておられましたところ、たまたま
昭和二十三年教育委員会制度が新たに発足いたしまするや、推されて県民の衆望をになって県教育委員に当選、同時に教育委員長の重責をになったのであります。白人引き続き、
昭和三十一年に本院議員に当選せられまするまで県教育委員長として
昭和二十五年からは全国教育委員会連絡協議会副会長として教育振興のために貢献されたのであります。一面、医師としては、
日本医師会の理事、中央
社会保険医療協議会委員、山形県医師会長、保険医指導委員会の委員長等、
日本の医学界におきましても常に指導的幹部としてその
立場を与えられて参りました。県内におきましても、行財政審議会、災害救助対策協議会、身体障害福祉審議会の委員を初め、多くの重要な役職についておられたのでございます。
本院議員として当選されて以来、特に文教委員あるいは
社会労働委員として、きわめて精励恪勤、その豊富な経験と卓越した識見をもって、各種の法案の審議に当られたのでありまするが、特に文教の面におきましては、僻地教育の振興と勤労青少年教育について御熱心でございました。昨年、僻地教育振興法の一部が、本院におきまして各派の共同提案によって画期的改正をみるに至りましたことは、もちろん、
自民党、
緑風会諸君を初めとする
良識ある御協力に待つところ多大ではありまするが、かかって松沢君の不退転なる熱意と積極的な
努力のたまものであることを、ここに申し上げることができると思うのでございます。委員会の席上、同君が切々として、教育の暗い谷間にある恵まれざる僻地に働く教師の苦労を訴え、政府が財政の面においても積極的にこれが振興をはかるべきことの急務を説いた、当時の真剣な言葉と、その謙虚な
態度は、長く私たちの胸に残っている貴重な
思い出でございます。君はまた、
昭和三十二年、
社会保障制度審議会委員に
選任されました。ちょうどその折、同君と同じく審議会へ委員であった私は、
社会保障制度確立のために非常なる
努力をする同君の活躍を目のあたり見たのでありまするが、特に国民年金制度、国民健康保険等に熱心に
努力されたのでありまして、その中正不偏、しかも学問的な
立場に立つ卓越せる意見は、この委員会においても貴重な存在であったのであります。
一昨年秋、君は直腸疾患によって倒れ、入院手術を受けられたのであります。仄聞いたしまするに、その後の症状は、現在の医学をもってしては、いまだ決定的治療の道がないところの難病であるとのことでございました。専門家でありまする同君は、この事情はすでに発病当時から熟知しておられたのでありまするが、同僚にはもちろん、家族に対してもこのことを固く秘め、静かに病魔と戦われながら、しかも本院議員としての責務を全うするために、病躯にむち打って、退院後は登院をいたし、
努力をされたのであります。今春来は特に容態が悪化し、病床につかれる日が多かったのでありまするが、みずから所属する文教委員会が開かれまする当日は、同君は必ず病床を蹴って登院されました。君のすぐれない顔色、弱々しい声音を、われわれ同僚は深い憂慮の念をもって見たのでありまするが、君自身は、莞爾としてほほえ
みつつ、法案の審議に当られたのであります。同僚議員が君に静養を勧めまするや、同君は、「私の病気は寝ていたからそれでなおるという性質のものではありません。やれるところまでやりましょう」と答えたとのことでありました。君の胸中すでに期するものがあったと思うのでございまして、今静かに君の胸中に
思いをいたすとき、粛然として私はここに言うべき言葉を知らないのであります。
松沢君は、人となり温厚篤実、事に当っては真摯、人に対しては常に温容をもって接せられ、まことにりっぱな国手として敬愛され、信頼される人柄であり、議員としては党派をこえて深き信頼に包まれ、その高き識見はすべて同僚議員によって認められるところでありました。
今や、こつ然として幽明境をここに隔て、もはや再び君の姿を親しくこの
議場に拝見することできないのでありまして、まことに痛恨哀惜にたえないところであります。
輓近内外の諸情勢ますます多事多難なる折から、
国会の責務いよいよ重きを加えんとするこのとき、同君のごとき円熟有能の士を失いましたことは、ひとり本院のためのみならず、国家のためにも大なる損失と申さなければなりません。
ここに同君の御逝去に対し、つつしんで哀悼の言葉をささげまするとともし、衷心よりその冥福をお祈りする次第でございます。(
拍手)
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