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1959-10-09 第32回国会 参議院 法務委員会 閉会後第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十四年十月九日(金曜日)    午前十時四十五分開会   ―――――――――――――   委員異動 九月二十六日委員杉原荒太辞任につ き、その補欠として林田正治君を議長 において指名した。 十月二日委員江田三郎辞任につき、 その補欠として久保等君を議長におい て指名した。 十月八日委員横山フク辞任につき、 その補欠として前田佳都男君を議長に おいて指名した。 本日委員前田佳都男君、林田正治君及 び椿繁夫辞任につき、その補欠とし て横山フク君、大谷藤之助君及び加藤 シヅエ君を議長において指名した。   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     大川 光三君    理事            古池 信三君            後藤 義隆君            高田なほ子君    委員            大谷藤之助君            横山 フク君            赤松 常子君            加藤シヅエ君            亀田 得治君            辻  武壽君   事務局側    常任委員会専門    員       西村 高兄君   参考人    明治大学教授  安平 政吉君    評  論  家 神崎  清君    朝日新聞論説委    員       伊藤  昇君    法務総合研究所    研究第二部長  小川 太郎君    岐阜地方検察庁    検事正     平出  禾君    大分家庭裁判所    長       白石 雅義君    有明高原寮長  栗山 誠司君   ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○検察及び裁判運営等に関する調査  の件  (少年犯罪対策に関する件)   ―――――――――――――
  2. 大川光三

    委員長大川光三君) ただいまから法務委員会を開会いたします。  本日は検察及び裁判運営等に関する調査といたしまして、少年犯罪対策に関し、参考人方々から御意見を伺いたいと存じます。  御承知通り、最近少年犯罪の数が年々激増の傾向にあるばかりではなく、犯罪の態様も、年少者において、粗暴犯性犯凶暴犯等の、より悪質の事犯が特に増加するなど、まことに憂慮すべきものがあります。このような事態に対処いたしまして、法務省におきましても、現在少年法の全面的な再検討を進めているとのことでございますが、当委員会におきましても、少年非行防止のため早急に総合的対策を樹立することの緊要なことを認め、その基本的重要諸問題についてすでに数次にわたり調査を行なった次第でございます。  本日は少年法の改正問題のみならず、少年犯罪誘発原因とその対策非行少年矯正、補導に関する諸問題、諸外国における実情、その他の一般問題につきましても、権威者方々から十分な意見を伺いまして、少年犯罪対策法制の確立のため当委員会の審査の資とすることにいたしたいと存じます。  なお、参考人の各位におかれましては、日ごろ御多忙中にもかかわりませず、当委員会の意を了とせられまして御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。  それでは、これより御意見を伺いたいと存じますが、お手元にお配りしてございまする調査項目は一応の御参考のためでございまするので、これにこだわらず御自由に少年犯罪対策について御意見をお述べ願いたいと存じます。  なお、時間の関係もございまするので、お一人様大よそ三十分程度お願いいたしたいと存じます。  また、委員方々に申し上げますが、質疑は参考人方々お話が全部終りましてからお願いすることにいたしたいと存じまするので、この点御了承を願いたいと存じます。  それでは、最初に、明治大学教授安平政吉氏からお願いをいたします。
  3. 安平政吉

    参考人安平政吉君) 安平でございます。  それでは第一問の、少年犯罪に対する一般問題、この方から少し意見を述べさせていただきます。  大体ただいまも委員長からお話がありました通り、いろいろ統計資料によりますと、昭和二十六年ごろから青少年犯罪は急に減っておったのでありますが、去る三十一年、ころから翌三十二年、引き続いて現存に至りますまで再び増加傾向を示しておるのであります。その特徴は、御承知通り凶悪粗暴及び性欲的な非行増加が目立つのでありまして、なかんずく十八才以上二十才の年令段階、まあ年長少年と称するものの間に特に犯罪増加の率が著しいのであります。世の中がだんだんと安定してくるのにかかわらず、この青少年の階層が逆に犯罪数を強めて参ったというところに私は少し考えてみなければならぬものがあるじゃないかと思う次第であります。大体、最近の様相は、青少年犯罪は、全刑法犯――おとなも含めました全刑法犯の一八%ないし二一%を示しておるのが最近二、二年の統計の推移でございます。翻って、現在青少年犯罪鎮圧防止策といたしまして一般に実施されつつあります日本国のいろいろの施策を考えてみまするに、その活動はきわめて多種多様でありますが、これを大きく分けまして二つグループに分けることができるのではないかと思うのであります。そのうちの一つ少年法に基く家庭裁判所、この家庭裁判所中心といたしましたいろいろの施策でありまして一つ少年警察二つ少年検察、それから家庭裁判所少年審判部活動それ自体、そのうちには少年鑑別所活動も含まれておるのでありますが、それからその延長といたしまして、少年院活動救護院または養護院施設活動、それからして保護観察所によるところの保護観察等がそのうちに含まれておる次第でございます。これに並行いたしまして普通の刑事裁判所の刑の執行としての少年刑務所による少年矯正、こういう活動相当の場面を占めております。次にその二は別段に法律的に根拠を持たないいわば社会的なる青少年犯罪予防策とも称せられるものでありまして、これは大きく分けまして第一に一般社会中心として行うものと、第二に家庭中心として行うもの、第三に学校教育中心とするもの、それから第四は年少労働者保護を目標とするものとに分ち得るのであります。大体以上の方向の線に従って微に入り組に入り今までの日本青少年に対する対策相当にこまかく敏活に動いておるのでありまして、なかんずく大体におきまして、少年鑑別所におきましては現在約二千五百人、それから少年院におきましては大体一万人程度教護院養護院におきましては去る五月ごろにおきましては四千五百六十何人ばかり、それから保護観察所に入れております者が、これはちょっと統計は古いのでありますが、三十二年には約二万人、少年刑務所におきましては大体約五千人、こういうふうに入れておのおのの角度からその悪性改善、これに努力されておるのでありますが、どうもその効果ということに至りましては、はなはだ芳ばしくない点もございますように思うのでありまして、私は率直に申しますが、日本青少年に対する対策その他施設が非常にこまかく行われておるにもかかわらず、その効果に至りまして必ずしも芳ばしいものがない。それはどういうわけかという点につきましては、平素から多少考えておるのでありますが、私のきわめて浅薄なところから見た大ざっぱな結論でございますが、あまりにこの組織の細胞化いたしまして、微に入り細に入り末梢に移りますに従って全体的の青少年に対する強力なる、有効適切なる太い線を出していくのにいろいろの支障を生じてくる、そういうのが結局のところ全体としての青少年犯罪鎮圧防止ということにかえって効果を上げ得ない、そういう結果に至っておるのではないかと思うのでありまして、これは世の中でしばしば見受けられる現象でありますが、困難なことでございましょうが、何とかしてもう少し太い線でその代りに強力に青少年対策に打つ手はないものであろうか。試みにわが国のこの細かい規定とそれからして制度並びにドイツのそれなんかと比較してみますと、なるほど外国相当にデリケートでありますけれども、なおかつドイツなんかの例をとりますと、もう少し大ざっぱでありますか、その代り筋がはっきりと通って青少年対策に敏活な力強い手を打つことができるような組織になっておるように私は見受けるのであります。その点を特に冒頭に指摘したく思うのであります。つまり、ある何らかの角度から中枢的のしかも第一線の青少年実践に敏活に手を打つことができるように、そういうようにもう少し機構を再検討する余地が残されておるのであろうと、こう申し上げる次第であります。  ついでに申し上げておきたいのでありますが、ただいまわが国青少年対策は、何と申しましても少年法中心とし、家庭裁判所中心として行われておるのでありますけれども、これは、人権を擁護するとか自由を不法に侵害されないようにでき得る限り青少年の自由を擁護するという点から申しましても、裁判所に及ぶものはないのでありますから、その点につきましてはもちろん今後といえども裁判所中心になっていいのでありますけれども、しかし、この青少年問題は一人一人個性に対応しまして直接その青少年に対して何らかの手を打っていかなければならんのでありますが、そういうような方面から申しまして、机の上と言うと語弊がありますが、いろいろの書類その他のものを通していく裁判所、結局、末端のほうにおきましては、保護司とかあるいは保護観察官とかそういう実際の人を網羅するだけでありまして、みずから接触することのない機関中心ということは、青少年に対して最も有効適切な指導とそれから生活を共にして非を改めていくというそういう面から申しまして、どうも高い所から下のほうをなにしていくような心地がいたしまして、これがやはり青少年がついてこない、こういうことから結局青少年対策に対する効力がはっきり生まれてこないのではないかと、こう思うのであります。私の率直な考えを申しますと、これは、どういたしましても、やはり保護司の方とかあるいは保護観察官とかいう実際青少年と手をつないで彼らと一緒に生活を共にしつつ働かれる方を何とかしていま少しく人員をふやしまして、そうしてまたそれら優秀な人物の方が集まられますように、国の当局の方におきましてこの際急速にひとつ考えていただく必要があるのじゃないかと思うのであります。なかんずく、保護司の現在員が、ただいまちょうだいしました資料によりますというと四万九千百四十六人ばかりありますが、これは相当の人数のように思うのでありますが、私の一つ不思議に思いましたのは、もう一つ保護御寮官の数並びに人的ウエートでありますが、私の間違いかも存じませんが、保護観察官の本年三十四年七月一日現在員はわずか五百五十二人で、これはどうもあまりに少いのではないかと思うのであります。現に統計資料によりますと、保護観察に付されております者は約二万人。そうしますと、二万人に対して五百五十人と申しますと、一人当り平均四十人ということになるのでありますが、これはいやしくも、実践にいたしますと、ほんとのことを申せば、現在一人当てに一人、これが原則なんであります。いわんや、一人でたくさんの人間をなにするということは、これは実践としてできない。こういう点がやはり現実に、青少年犯罪悪性改善して効果を上げていくというところに実践が伴っていないということになるのではないかと思うのであります。私はそういう意味におきまして、少くとも、実際青少年と手をつないで、そうして、かれらを指導していく保護観察官のごときは、何と申しましても青少年対策の実体であります。これは何と申しましてもこの方面はもう少し強力に推進していく必要があるんじゃないかと、こう思っておる次第であります。  次に、第二の少年法改正の問題について一点だけ指摘したいと思います。主として年令の問題であります。現在、わが国少年法が十四才以上二十才ということになっておりますが、ところが、いわゆる年長少年、十八才以上二十才のところが非常に悪性が最近出ておりまして、ここのところは往々にしておとなにおいてさえもそんなことはできないというようなことをどしどしやるような事例が見受けられるのであります。私も実際におきまして、こういうことは、人間としてどうしてこういう犯罪が行われるかという気がいたすのでありますが、一説によりますと、やはりもとの十八才に少年を低下せしめて、あとの方はもと制度に直したらいい、こういう説があるようであります。実際のところ、諸国少年法を見ますというと、大体におきまして、やはり平均は十四才以上十八才ぐらいなところに、今までは、そういうようなところが少年でありましたので、こういうようなもと日本制度に、相当考えたから、この際、やはりそういう線が出てくるならば、もと通りにしたらいいんじゃないか、こういう意見相当あるようでありますが、私といたしましては、この点だいぶ平素から考えてみたのでありますが、世の中がやはり刑事政策という面から見まして進んでいった。そこのところを、逆コースをたどって、もう一度もとへ戻すということは、これはどうもにわかに承服できない。のみならず、最近、諸国少年法の新しい歩み方を見まするというと、大体におきまして、少年年令を下げるよりかも上げまして、やはり少年保護、あるいはそういう刑事政策がはるかに展開されますように、むしろ少年年令をだんだんと上げつつあるというような傾向も見受けられますので、ここのところは、なかなか判断のむずかしい点でありまして、私もはっきりした見解を持っていないのでありますけれども、今、お前はどう考えるかという御質問でありましたならば、私は、少年年令はしばらくこのままにいたしましてそのかわりに――どうも非常に悪性のところが少年裁判所に回る。少年裁判所があまりに理論的にとらわれて、こういうものに対する治安維持という点から見て、必ずしも万全と言えない、こういうことでありますならば、私はむしろ、中間説を持ち出すようでありますが、十八才以上二十才までの犯罪のうちで、殺人あるいは強盗、そういうような殺傷の犯罪を犯した者もしくは凶悪なる粗暴犯、こういうものに対する先議権は、何といっても治安のことを一番よく知っている警察なり検察の方の意見を主導的にいたしまして、そのうちに、起訴したいものは起訴するし、それから保安処分にしたい、ものは保安処分にするというように、ここのところは、いわゆるイニシアチブの処置をとるのは、これは警察関係機関である。こういうふうに少年法年令はそのままにしておきまして、年長少年のところは特に制限を設けまして、殺人強盗とか凶悪な犯罪に限って、警察その他に先議権を与える、これも一策ではないかと、こう思っておる次第でございます。  それから、その次に、第四は少年犯罪に対する対策についてでありますが、やはり申し上げるまでもなく、この少年対策の問題は、原因がどこにあるか、どこに最近の青少年犯罪悪性、これのよって来たる原因はどこにあるかということを科学的にはっきりと突きとめていくということが先決問題である。ある社会学者その他の学者の指摘しておりますところによりますと、その原因といたしましては、一つは、伝統的な家族制度の破壊、それから子供に対する親の統制力が喪失されてしまったこと、二は、不良仲間集団化していく傾向、それから三は、困難な生活条件、第四は、何と申しましても、軍占領もとにおける一種の植民地的気分、それがまだ温存されている、そういうようなことを指摘されているのでありますが、なかんずく、私はこの間に思いますのは、やはり家庭、家におきます母親その他の家庭のしつけというものが、これは自由を抑圧するとかなんとか申しますけれども人間おとなの中におきましても自由のみを保護しておりますと、どうしても奔放になりまして、いわんや、成長の過程の青少年につきましては、和音に訓育、保育ということが世界どこへ行っても行われているのでありますが、この点はもう一度一つ考え直す必要があるのじゃないかと思うのであります。  それから、その次に一言したいと思います点は、今の青少年自殺者が案外多いのであります。これは統計に数字が出ておりますが、それから家出の青少年の問題、要するに、いなかにおっては何とも仕方がない、さればといって都会へ出ていっても就職もできないということで、前途希望を失って自殺をするという青年が多いということは軽々に付することができない問題であります。  次に、青少年犯罪グループを見ますると、意外にも精神障害精神に異常を来たした精神薄弱の者とか精神病質の者とか精神病者というものが案外多いのでありますから、これを何とかして国家社会政策を展開していただきまして、根本的に病気を一つ治療するということが先決問題ではなかろうかと思うのであります。  ついでに申し上げておきますが、文化と申しますものは、必然的に弊害を来たすのでありまして、多くの人が指摘している点でありますが、終戦後、わが国の映画とか、そういう不良文化財、これに対する対策をいま一度社会方面から、必ずしも法律的に規制するという意味じゃなしに、社会一般の協同、あるいは、そういうような点からして、これを社会的に是正していく方法、手段が、すみやかに確立せんければならぬかと思うのでありますが、なかんずく、私、この青少年犯罪の永久の対策としてふだんから主張しております点は、青少年カード表というものを科学的に一つ作りまして、ちょうど病院が入院患者診療簿を作成しまして、その診療簿によって、やはり新しい入院患者治療法をそれによって判断をつけていくと同じように、青少年犯罪は、国家といたしまして永久的に有効適切にするにつきましては、どうしてもカードの作成、これが先決であろうと思うのであります。  最後に一言申し上げておきますが、五番目の点でありますが、ちょうだいいたしました資料を拝見いたしまして大へん私、おもしろく興味深く感じましたのは、西ドイツ制度であります。大体西ドイツ青少年に対する策は、ただいま私の申しましたような、同じ少年でも十八才以下の者と、それから十八才以上二十才の者と少し区別いたしまして、そこのところに手心を加えるというような制度ができておるのであります。この点どうか一つ日立法のときに十分御参照あらんことを十分にお願いする次第であります。
  4. 大川光三

    委員長大川光三君) どうもありがとうございました。   ―――――――――――――
  5. 大川光三

    委員長大川光三君) この際委員異動について御報告いたします。  十月九日付、椿繁夫辞任加藤シヅエ君選任、以上であります。   ―――――――――――――
  6. 大川光三

    委員長大川光三君) それでは引き続きまして評論家神崎清氏にお願いをいたします。
  7. 神崎清

    参考人神崎清君) 私社会病理研究所神崎でございます。当参議院が昭和二十四年に不良化防止の決議をなさいまして、まあ大へん大きな効果をお上げになったんでありますが、ここで再び少年犯罪対策を大きくお取り上げになったのは全く時宜を得た御計画として深く敬意を表したいと思います。  私どものちょうだいいたしました統計表少年犯罪の現状がびっしり出ておるわけでございますが、その後警察庁の調査によりますと、ことしに入ってから、三十四年度上半期の犯罪少年犯罪実数は前年度に対して一五%増加している。このままの状態が続くならば、おそらく昭和三十四年度において戦後最高の記録になるんじゃないかと憂慮されておるわけで深刻な事態に直面いたしております。これは今までの対策や努力が失敗というのが言い過ぎであるとすれば、成功していなかった証拠でございまして、どうしても新しい観点、新しい角度から少年犯罪とその対策を再検討する必要に迫られておるわけでございます。最近の少年犯罪傾向を一口に言いますならば、性、暴、集、累、速、低の漢字の六字に表現されるんではないか。性はわいせつとか強姦などの性犯罪、暴と申しますのは、暴行傷害などの粗暴犯、集は共犯がふえております。犯罪集団化傾向が強まっております。累は累犯、再犯行の傾向が目立っております。速というのは非行犯罪化のテンポが非常に早くなっている。低は年令低下、きのうまで高校生の犯罪を取り上げた、今は中学生が登場してきておるというように年令が低下しておりますが、その中を貫く基本線として目立ちますことは、従来の財産犯少年犯罪の主力であった財産犯から生命犯身体犯への移行形態が見られる。つまり生命身体に攻撃を加えるところの犯罪がふえて参っておる。その底流には生命軽視という危険な事実と思想が増大してきておるわけでございます。終戦直後の少年犯罪戦災弧児、街頭に投げ出された浮浪児中心として敗戦の社会的混乱とか家庭環境の急激な激変というような、いわば外部条件的なものでございましたが、現在社会が安定しているといわれるにもかかわらず少年犯罪がふえて参る。これはむしろ社会悪少年の内部をむしばんできた、ニヒルな感情が発生してきているんじゃないか、原因理想なき社会理想なき家庭、頽廃的な植民地文化で、従って、日本社会を根本的に建て直して健全化方向へ進めなければ少々の改善では追っつかない段階にきている。少年犯罪は自己を破壊し社会を破壊する愚かな行為でありまするけれども、その愚行の意味を裏から読み取るならば、もっと自分を大切にしてくれという訴えでございます。抗議でございます。少年犯罪をなくしようと思えば、どうしても少年を大切にし、少年前途希望を与える明るい社会少年安定感を与える豊かな家庭少年の目の前に現実に存在しているということが絶対必要な条件になってくるわけで、政府及び政治家方々の責任がきわめて重いわけでございます。この本日の題目の中で、少年犯罪対策として保護処分優先主義について考慮すべき事項が出ておりますが、これは、この際刑事処分の範囲を拡大する必要性の有無についてというものでございますが、どうもこれは検察庁的な問題の提出の仕方で、ちょっとどうかと思われるのでありますが、私は、社会防衛児童防衛という形でこの問題を考えてみたいのであります。  犯罪少年、これは社会に対する加害者である。そういう狂暴な少年犯罪から社会の安全と秩序を守る必要があるという考え方が社会防衛基本思想でございまして、二度と悪いことをしないようにこらしめる、懲罰思想応報主義とこれは必然的に結びついてくるわけでございます。一方の児童防衛思想は罪を犯し、あやまちを犯した少年社会悪犠牲者である、この社会悪から少年を守らねばならんという思想児童防衛でございまして、過去において十分保護をされず、教育もされなかった少年が多いのでありまして、処理に当たりまして、その原因にまでさかのぼって少年の幸福のための処置を第一に考えるのが保護処分精神になっておりますが、現在でも刑事処分は行われておりますが、家庭裁判所検察庁刑事処分相当として逆送した少年事件は普通の裁判所にかかりますが、しかし、この判決を見ておりますと、執行猶予になる者が七〇%もございまして、結局刑事処分がかえって犯罪少年の抜け穴になり、野放し同様の状態に置かれている。そういう現実を考えるとこれは一考を要する問題でございます。私はこの刑事処分の拡大ということが少年犯罪に対する社会、不安を利用した検察側権限拡張でなければ幸いだと存じております。  少年法そのものの改正問題に入りまして特にやかましくなっておりますのが年令低下でございます。しかし私どもは、これはいろいろ議論の分かれるところでございますが、実際問題として考えてみて、プラスになるかマイナスになるかと申しますと、年令を十八才まで引き下げてみて少年犯罪が減るとは絶対に思われないのでございます。というのは、少年の激情的な凶行や常習的な非行に対して刑罰の威嚇というものは役にたっていないのが事実でございます。特に十八才まで引き下げますと、十八才以上の年長少年は刑罰だけであって保護処分がもうできなくなる。少年非行の実態を見ておりますと、非行進行と言いまして、火事で言えば燃えさかるのが大体十六、七才でございます。しかし、それが二十才ごろになりますと落ちつきまして、いつまでもこんなばかなことをしていたんじゃしょうがない、なんとか立ち直ろうといってまじめになる者が多い。これを私は自然鎮火と言っておるのでありますが、この更生年令といいますか、そういうのが二十才ごろの者が多いのであります。そういう更生化の落ちついてまじめになろうという年長少年に対して刑罰だけが待っておるということは残酷ではないかと思われるわけでございます。さらに突っ込んで見ますと、十八才以上の虞犯少年、これは犯罪に陥るまでは放任するという矛盾も生まれて参ります。まあ現在は年令をいじる段階でなくて、むしろ少年法を完全に実施するのが急務であると考えております。検察官の先議権でございますが、現在の少年法は家裁の保護処分中心になっておりまして、犯罪の事実よりもむしろ少年が非を犯した原因、動機、性向、環境に重きを置いて、人間救済を行う、人間回復をはかるわけでございます。ところが検察活動の基本は犯罪の事実に重きを置く。犯罪の構成要件に基いて刑事処分を決定していくということで、基本的な立場、仕事のセンスが違うわけでございます。旧少年法に検事の先議権があったからその失地回復ということであっては困ると思うのでございます。従いまして、立会権、異議申立権、それから抗告権は同じ理由で必要のないものと思います。ただし、刑事処分相当てあって、逆送しようかどうかというような事件の処理決定については検察側の立会は認められるのではないか、最近検察庁少年問題専門の少年検察官を置く方針のようですから、人間洞察の深い、教育力の強い、よく訓練された少年検察官の出現を期待しておるわけでございます。執行猶予になった犯罪少年に重い保護処分をかける、これは私必要かと思います。現状におきましては、犯罪をそそのかした年長の少年、自責分の方が刑事処分執行猶予で野放し同様の状態になる、そそのかされた年少少年の方が少年院送致になって長い間拘束されるというアンバランスが出てきたのでは物事がおさまらないと思います。  その他家庭裁判所少年審判について私の希望いたしますことは、国選つき添い人の制度を考えていただきたいということでございます。現在少年審判においては家庭裁判所の判事がオールマイティでございます。生殺与奪の権を握っておるのでございます。判事としては最善の措置をなされるでありましょうけれども、神様でないから間違いがないとは言えない。それで少年の中には偉い人の前では緊張し過ぎてろくに口がきけない、思うことが十分言えない、自分の考えや、利益を主張できない、そういう少年がおるのでございます。そういう少年のために私は国選つき添い人の制度を考えていただきたい。現在でもつき添い人の制度はございまするけれども、金持のうちの少年でなければ弁護士はつけられないのでございまして、貧乏な少年は一体どうなるのかという問題が出て参ります。昨年大きな社会問題になりました東京の足立区のバタ屋部落におきまして酒乱の父親を殺した少女の審判には特に参議院社会労働委員会の山下義信、中山福藏の両氏がつき添い人として審判に参加しておられますけれども、そういう特例でなくて、常時少年問題に理解の深い弁護士、議員、学校教師、宗教家、民間有志にお願いして、国選つき添い人になっていただいて家裁判事の最善の決定に協力するという意味合いをもって少年の利益、人権を守っていく。少年及び保護者から申請があれば本人には無料で、国費負担でこの国選つき添い人制度が配置できるような仕組がぜひとも、私、実現さしていただきたいと思うのでございます。  それで、いろいろ実情を調べて参りますと、家裁判事の仕事の負担量というものが想像以上に大きいということでございます。東京家裁を例に申し上げますと、年間に受け付ける少年事件が約十万でございます。そのうち道路交通法違反、これが八万でございまして、普通の刑法犯が約二方。それを八部十人の判事でさばいておるわけでございます。まあ道路交通をのけまして判事一人の負担量が月平均二百五十件ぐらいになります。ですから、日曜は休みますから、一日十件ずつさばいていくということで、少年調査官がついてはおりまするけれども、あまりにも負担が多過ぎる。で、家裁はちょうど二部教授、いや三部教授をやっているような状況で、どうしても仕事に無理が出てくるのじゃないかと、行き届いた少年審判を望みますとすれば、どうしてもこの際少年判事を増員するか、あるいはすべての少年事件を家裁に持ち込むという今のやり方を変えて、ぐっと仕事の量を減らすか、その点も十分御検討いただきたいと思うわけでございます。  家庭裁判所は法律の上では児童相談所とつながっております。少年法と児童福祉法とはつながっておるのでございますが、この警察から児童相談所へ送ったいわゆる触法少年と申しますが、十四才以下の子供でも、これが、家裁へ回した方が適当と思われるものもあるのでございますが、これが回ってこないわけでございます。それから、逆に家裁が受け付けた事件でも、これは教護施設へいれた方がいいと思われる子供がおりまして、それで教護施設へいれるのが相当という意見をつけて児童相談所に送致いたしましても、どうもこの擁護施設の方で受け取らないという現状でございます。特に東京などの場合は他府県のものはいれないというようなことで、その間に子供は野放しになってしまう。法律はパイプが通っているのにこのパイプがつまっておるという実情でございまして、これも一つ御点検いただきまして、子供の福祉が、児童福祉が保障されるように御措置いただきたいと思うわけでございます。特に最近少年年令が低下しておる現状におきまして特にこの児童相談所と家庭裁判所の連絡というものは重要かと思うわけでございます。  最後に、この少年法の改正のときの調査リスト項目に少年警察の問題が出ておりませんけれども少年法で一番心労をしておるのは第一線を守る現場の警察官でございます。少年法改正の問題点を総合的に検討なさる場合には警察庁の意見も聞いていただく必要があるんじゃないかと思うのでございまするが、この現在の少年警察の立場からいたしますと、非行少年、罪を犯した少年それから捜査過程で発見されたところの虞犯少年、これは刑事訴訟法の手続に基いて送致することははっきりしておるわけでございますが、しかしながら、この少年相談とか街頭補導で発見された、虞犯少年それから家出少年、これは家裁に通告するだけであって、その場で必要な保護措置をとることができないことになっております。任意同行といいましても、なかなか中には応じてくれない子供がおります。仕方がないので児福法の一時保護とか少年法の緊急同行を利用して擬制執行という言葉を使っておりますが、無理を、承知で強制保護の措置をしております。また少年が凶器を持っていても、あいくち類似品つまり医者の使うメスなり出刃ぼうちょう、それから飛び出しナイフでも五・五センチ以下のものを持っていてはこれは危ないなと思っても今の法律では取り上げるわけにはいかないという話でございます。これは早い段階に処理すれば間違いを起さないで済む、少年犯罪の行為の発生を未然に防げるわけでございます。また十四才未満の触法少年の取扱い、少年審判のこれは対象になるわけでございますが、警察としては犯罪捜査小に十四才未満であることがわかると法規上刑事手続を打ち切って任意調査に切りかえなければならないのであります。現在の少年法にはその事後の手続が書いてないのであります。今のところは児童福祉法の要保護児童として児童相談所へ送っておるのでありますが、家裁へ送った方がいい子供もいるわけでありまして、そういう条文の追加、義務規定が必要である。せんだって警職法改正に当りまして、第三条の中にこういう警察少年法の規定をつなぐ条項を入れたのでございますが、これは第五条のあおりを食って流産いたしたわけでございます。これは私ども警職法の復活は絶対希望するところではございませんが、少年法改正の中で一つ検討改正していただきたいと思うのでございます。  少年の立場から申しますと、先ほど安平参考人からお話がございましたように、あまりに専門機関が分立しているためにたらい回しにされるという少年としては実感を持つ。一番少い場合、簡単な場合で警察少年係、家裁の調査官、判事、それから鑑別所の保護観察官この四人の人に同じことを聞かれるわけでございます。最も極端な場合を申しますと、警察側――捜査と少年、これが二人であります。それから検察庁検察事務官と検事、これで四人になります。それから家裁で処分の鑑別で調査官、五人、鑑別所へ参りまして技官、六人、家裁へ参りますと調査官、技官、判事というふうに九人になるわけですが、これがまた家裁から逆送されて、刑事処分相当ということで地検に逆送されますと、また検事、事務官、それからそこでは証拠収集のために、大てい警察から捜査がまた入って参ります。そうして今度は裁判所の判事、ところが判事からまた逆送される場合もあるわけで、そうすると、また家裁の判事、保護観察というふうに大体十六人の人に会って同じことを聞かれるわけです。少年としてはまた同じことを聞くということで不満を持つわけで、せっかくの保護処分効果を失う場合もあるわけです。どうもあまり分業になり過ぎて、しかもそのリレーのバトン・タッチがうまくいかない、トンネル機関が多過ぎる、子供が結果においていじり回されるという場合があるようで、これはどうしても少年に対する措置の簡素化ということ、これは実務家の意見もとにして検討、実現していただきたいと思うのでございます。  少年犯罪を犯してつかまる場合は留置場へ入れられる、この留置場の空気というものは御承知通りのものでございまして、警察庁としては同じ留置場でも監房は別になっているということでございますが、雰囲気はもう同じことでございますし、それから触法少年とか家出少年の場合は保護室がある、保護室のないところでは小使室とか少年係の部屋にとめるというようなことでございますが、こういう少年警察段階における施設、これは検討して改善の余地があるのではないかと思うわけでございます。  まだいろいろマスコミの問題とか、外国の事例、申しあげたいことがございますが、ちょうど時間がきたようでとざいますから、後ほど御質問がございましたら、また公述させていただきたいと存じます。
  8. 大川光三

    委員長大川光三君) ありがとうご己いました。   ―――――――――――――
  9. 大川光三

    委員長大川光三君) 次に、朝日新聞論説委員の伊藤昇氏にお願いをいたします。
  10. 伊藤昇

    参考人(伊藤昇君) 前のお二人の方から、いろいろ専門の立場からお話があったわけですが、私はその方面にほとんど専門的な知識も持っておりませんので、むしろ新聞記者として、新聞中では特に教育の問題などを考えていくと言う立場から二、三意を述べさしていただきます。  一番目に私が考えたいことは、青少年を悪者扱いにしてはならないということです。これは家庭においてもまた社会においても青少年は何か悪いことをするものだというような考え方が一般化するということに対して、私は非常に心配をするものです。その点、神崎さんもちょっとお触れになったのですが、確かに今日青少年犯罪というものが憂慮しなければならないほど増加しているということは、いろいろの統計その他で私たちも承知せざるを得ないのですが、果してその統計青少年犯罪増加そのものとして受け取っていいかどうか、私には多少の疑問があるわけです。これにはいろいろ専門の方も意見を述べておられますけれども、戦後の人口の増加というような点を考え、さらに少くとも戦後の混乱から立ち直って青少年の補導に対する手がかなり行きわたってきた、そのことが数だけの点においては非行少年の数が増加したという結果を呼んでおるのではないか、もう少し立ち入って考えますと、性的犯罪の裏にいろいろ社会条件があることは申すまでもないのですけれども、非常に悪質な性犯罪というものの場合に、これが親告罪ということになっている限り、戦前はあまりこれが親告されなかった。しかし今日の社会では犯された方の側の、何と申しますか、人権の自覚と申しますかあるいは権利の主張と申しますか、そういった意味で非常に大胆に親告されてくる。それが数が統計の上でむしろ激増したという結果を思わせているような点もありはしないか、私がそういうことを申しますのは、何か社会的に今の青少年というものはなっちゃいないんだ、いつでもとんでもないことをしでかす子供たちだというふうに考え、そしてそれに対する対策としてすぐ法律を作って取り締ろう、あるいは極端に申しますならば、監獄にでもぶち込んでしまえというような考え方が出ることを私は心配しているわけです。そういう意味で今からもう五、六年前になるかと思いますが、中央青少年問題協議会で専門委員会を作りまして、不良文化財に対する検討を約一年間したことがございます。私もその委員の一人として加わったのですけれども、その専門委員会では青少年不良化防止のためにという理由で、今日の不良文化財に対して法的規制はする必要なしというふうな結論を出して諮問に答えた記憶がございます。何かというとすぐ法律によって取り締るという考え方、これは特に青少年、人格形成の途中にある青少年の問題としてはよほど考えなければならないことだと、こういうふうに考えるのです。私たち、自分の家庭を考えてみましても、自分の子供がいつでも何か悪いことをしやしないかというような不安を親が持っている限り、私は子供との人間関係はすなおにいかないのではないか、これは社会においてもまた現在の青少年はいつでも悪いことをする人同だというふうな目で扱うということと同じ意味で私は今日の状態を眺めておりまして一番心配している点です。その点に関しまして、戦後日本の混乱の最中に参りまして、日本家庭生活をよく見て回りましたアメリカのニューヨーク・ポストのベリガンという新聞記者がございますが、これが日本家庭を見た結果として、日本の親は子供を信用していないということをきびしく指摘しております。いつでも自分の子供が何か外へ出ると悪いことをしやしないかと一日中しりを追っかけ回して、結局自分で生きていくという人間を作っていないということを言っておりますけれども、この点は社会青少年を見るものとしても私は教えられるところがあるのではないかと、こういうふうに考えます。そこでこの問題をやはり家庭という問題と社会という問題に分けて第二の点として私は青少年問題、今日の青少年の不良化という問題について一番先に考えなければならないのはやはり家庭における人間関係という問題だと思います。これは先ほど安平さんからもお話があった点ですけれども、何といっても家庭における人間関係では、戦後の先ほどお触れになりました家族制度というものが廃止された、その後に新しい民主的な親子関係、夫婦関係、その道徳と申しますか、秩序と申しますか、あるいはその間の新しい結びつきというものがまだできていないように思うわけです。ここからくる親と子供との対立あるいは夫と妻との対立、そして離婚というようなことがいわゆる欠損家庭、ブロークン・ホームというものを作ってきて、その中にはさまって子供たちが欲求不満も持ちますでしょうし、あるいは極端な反抗的な考え方を生み出すという場となることが往々にしてあるように思います。さらにそこへもって参りまして、これも当然考えられることですけれども、貧困という問題、貧困のために子供を見てやることはもちろんできませんし、夫婦の愛情あるいは人間関係というものに破損を来たしている、その中でやはり子供が最も痛めつけられているという現状があるかと思います。そのほかの点でこういうことも含めまして、私たちが家庭の問題として考えなければならないのは、家庭において子供が育っていく間のいわゆる幼児期、これは私が申すまでもなく人間としての成長で一番大切な幼児期の情緒的訓育という点において欠損家庭が最も子供たちを破損させるということではないかと思います。そらに、そのことは大切な思春期の問題に入りまして、思春期の少年、少女に一番不安な影響を与えるのがこの家庭における人間関係の破損、欠損ということだろうと思うわけです。もう一つこの思春期の問題では、これはまだ学問的にもちろん結論の出ている点ではないと思うのですけれども、最近ようやく考え出されて参りましたアクセラレーション、成熟加速度、これは日本語として非常になまでございますが、昔の特に日本の場合ですと、戦前の子供に比べまして今の子供たちが肉体的におとなになるのが早いという点です。これも世界的な問題でして、世界の学会などもあったわけですけれども日本では今大阪大学の教育学部と医学部と心理学部、そういった人たちの学者たちが共同研究をしておりますが、最近大体戦前に比べまして、いわゆる生理的におとなになるのが三年ないし四年早くなっているという統計を出しております。このことは、当然性的目覚めが早くなる、それに伴って精神的な、あるいは理性的な面がついてこないという形で大きな問題を投げておるのじゃないか。青少年の性的犯罪とか、あるいは向うみずの瞬間的な犯罪というようなことにもこれが関係しておるのではないか。その点はまだ十分な研究ができていないかと思いますけれども、私たちが子供を見る場合に、一番大切な点のようにも考えるわけです。  それからもう一つ家庭における子供の扱い方という点で忘れてならないことは、戦前の日本家庭に比べまして今の家庭は多少でもゆとりができてきた。それは経済的なゆとりという点よりも、むしろ時間的に余裕ができてきたことだと思うのです。母親の生活、これは子供の数がかなり目立って一つ家庭で減ってきたということが大きな原因かと思いますけれども、主婦の生活に時間の余裕ができて、これは結果としては大へんけっこうなんですけれども学校教育というようなことに、これはPTAあるいは婦人会の組織を通じて非常に関心を深くした結果、今度は逆に家庭の中に教育過剰を持ち込んできたという点がありはしないかと思うのです。これは貧困で子供のことを見てやれないという場合とは逆に、今度は子供に干渉をし過ぎる。むしろ両親そろったりあるいは富裕な家庭においてそういう形が出て子供の実力以上の教育をあせると申しますか、そのために子供がかえって反抗をして参る、こういう問題も私たちは家庭人間関係において考えなければならないと思うわけです。結局家族制度の廃止に伴う家庭における人間関係の混乱から、その混乱の犠牲に子供がなっている点を私は指摘しておきたいわけです。  第三番目に、ただいまのは家庭というものを中心にして考えた場合ですが、社会というものを考える場合に、やはり家庭と同じく子供に対する愛情の間違いとかあるいは愛情の欠損、社会が子供を、青少年を見る眼を失っているという点を少しあげてみたいのです。言いかえますと、青少年の問題というのは結局はおとなの問題であるということです。たとえば青少年に対して不良文化財を与えてはならない、不良文化財を作っているのはだれかといえば、これはとりもなおさずおとなです。子供が自分たちで作っておるわけではないのでして、この点社会というものが子供に対する愛情を持たなければならないという点をあげておきたいと思います。  その点では私自身がその一部に、片すみに身を置いておるのですけれども、たとえばマス・コミュニケーション、先ほど神崎さんもちょっとお触れなりましたですけれども、新聞も含めまして映画、ラジオ、テレビ、そういったものの子供に対する影響というものは、これはおとなたちが、われわれが真剣に考えなければならない問題だと思います。しかしながら、虞犯少年あるいは非行少年警察に連れてきて、映画は何を見たか、そうすると何々を見た、従ってこれは映画の影響というふうに書き込むという、そのふうの式の私はマス・コミに対する考え方というものには疑問を持っております。しかし、社会の問題としては当然今日文化環境としてのマス・コミの問題、いわゆる不良文化財といったようなものはおとなが考えなければならないということです。しかし、現実非行を犯した犯罪青少年というものについて考えますならば、私は言葉は過ぎるかもしれませんけれども、やはり政治の貧困というものを考えざるを得ないのです。先ほど来いろいろお話もございましたですけれども、私自身保護司の方たちの集まりに顔を出すことがございますが、非常に大切な仕事をしておられる人たちに対する待遇なり処遇というものは非常にみじめだということです、ほとんど策がない。社会的にあるいは政治的に、保護司は虞犯少年を二人も三人も頂かって身銭を切って走り回っているという人たちに対する社会の感謝なり愛情というものが足りないということを痛切に私は感じております、と同じように、民生委員で児童委員をしておられるわけですが、その児童委員たちに対する施策というものが私の眼には見られない、そういった点から、先ほど神崎さんも言われました末端の第一線で青少年問題と真剣に取り組んでいる人たちに対してもう少し具体的に仕事のしやすい環境とあるいは経済的な援助、補助というようなものが考えられなければならないと思います。さらに私はブロークン・ホーム、破損家庭のことを申し上げたのですが、母子福祉、母子家庭に対する政策としても私は今日のものでは非常に不十分でしかない。すなわち、政治全体をひっくるめまして、社会政策として弱いものが生きていけるという、そのことに対する私は政策の貧困というものをこの青少年の不良化、非行青少年の問題としていつでも考えさせられるようなわけでございます。  そのほか文化的な問題として社会のアンバランス、たとえば青少年がほうり出されている環境を見ましても、おとなはパチンコをやるけれども子供はやってはいけない、あるいは競輪、競馬によって貧しい家庭がこわれていく、そういったことを一方では公認しておいて、子供たちだけにまじめになってくれということは、少しおとなの私はわがままではないかという気がこの問題に関してするわけです。  最後に少年法の改正の問題ということでございますが、私は具体的に法律的にこの問題を研究したこともございませんので、非常に常識的なことしか申し上げられないのですけれども、私はやはり一番初めにも申し上げましたように、この問題は法律や刑罰だけで解決しようということには私は賛成できない、のみならず、法律いじりよりも、今まで申し上げましたようなことに力を入れることによって、さらに今日持っている法律を実際に運営するという意欲と熱情によって私はやっていけるのではないかという気がするわけです。その間にはいろいろ役所間の、それから先ほど触れられましたいろいろこまかい問題、欠点がございますでしょうが、それは当然直すといたしまして、やはり戦後の、あるいは今日国際的にも一つの進歩しつつある少年関係の法律なり制度なり規則なりはこれをしっかり守るという確信をもってこの運営をしっかりやるという以外に私はないように思います。その点今日、昨年来ですか、いろいろいわれております少年法の年齢といったような問題にしましても、改正の主要な点については私は個人といたしまして消極的な態度をとっております。それよりも私が考えます当面あるいは継続的にやらなければならない問題としては、やはり青少年品題に対する総合的な、そして学問的な研究を統一してやっていくということだと思うわけです。ただいま警視庁あるいは法務省あるいは厚生省にいたしましても、それぞれの立場で研究機関を持ち、研究所を持っておられるかに聞いておりますけれども、そういうお役所間でおれの方はこれまでといったようセクショナリズム的な考えではなくして、総合的に、これは当然文部省の教育の問題も入ってくるのですけれども、そういった機関で統一的に考えていく、そうして青少年問題に対してはこれはあるいは広い意味刑事政策ということにもなるかもしれませんが、どこまでも近代的な治療と教育とでやっていく、虞犯青少年あるいはすでに犯した非行青少年に対してはそれを再教育するようなまず環境のよい学校設備を作ってやるということ、もちろん能力のある専門教師というものを養成することも必要なわけですけれども、一方では教育をしつつ一方では環境のすぐれた病院というような設備によって治療をしてやる、決して私は監獄とか刑務所に入れるということが非行青少年に対する対策ではなくして、どこまでも学校と病院において治療と教育で進んでいく、こういった方向に対して私は当面必要なことが先ほど申しました学問的研究を総合的にやっていく、大へん手おくれのようでありますが、私はこの方法が最も効果を上げ得るのではないか、しろうとなりにそういうことを考えております。  以上私の意見を申し上げさしていただきます。
  11. 大川光三

    委員長大川光三君) ありがとうございました。  以上をもちまして、午前の参考人方々からの御意見開陳はこれにて終了いたしました。   ―――――――――――――
  12. 大川光三

    委員長大川光三君) これより質疑に入りたいと存じます。三君に対し御質疑のある方は順次御発言を願います。
  13. 高田なほ子

    高田なほ子君 安平参考人にお尋ねをいたしますが、ただいまいろいろ貴重な御意見を伺わしていただいて大へんありがとうございました。  お伺いしたいことは、先ほど家裁が中心になって青少年保護教養に当っていくということについてはもちろん御異議がないような御意見でありましたが、ただその中で、部分的に凶悪なものについてのみ検察陣の先議権を容認すべきではないか、こういうような御主張があったわけです。この先議権については相当やはり問題があると思いますが、検察庁では犯罪の捜査とかあるいは公訴以前にその全力を傾注しておるわけなので、それでもまだ力が足りない、それでも力が不足だと大騒ぎしているのに、さらにこの少年犯罪についてこれを検察当局にゆだねるというようなこと自体、果して効果が上るかどうかという問題と、犯罪捜査ということと少年保護処分ということについては、神崎さんも先ほど御指摘になったように、本質的に問題が違うわけですが、この場合にいろいろの人権じゅうりんのようなことが起りはしないか、こういうような疑問が持たれるわけです。そのことが一つと、それから法律の中で青少年を未然に悪の道から救うためには、どうしても青少年カード作成が必要だというお話なんです。そうすると、これは全部の青少年カードを作るということになれば、青少年の日常の行動や何かをカード作成するということになると、これはまあだれがそういうことするのかしりませんけれども、非常な問題が起る危険性があるのではないか。要するに伊藤先生の、また神崎先生のお話の中には、青少年は悪いことするものだという前提条件に立ってのカード作成ということになると、相当これは問題があるのじゃないかというような気がするわけなんですが、この二点について御意見を承わらしていただきたい。
  14. 安平政吉

    参考人安平政吉君) 先ほどの第一点でありますが、もちろん家庭裁判所中心になって、そして少年のことをやる、これは私も異議がない。また少年法もそうなっているのですから、これは変更しようとは思わないのですが、私の言わんとする意味は、裁判所は、もっとも裁判所と申しましても大陸型の裁判所と英米流のジャッジという人間さん的の、りっぱな常識の備わったああいう裁判型と二つありますが、わが国はどちらかと申せば英米型のジャッジという何もありますけれども、大陸型の裁判型が多いのであります。これは判断機関、こういうふうにしろといういろいろ材料を取り調べられまして、そうして判断、しかも主として人権をじゅうりんしないように、できる限り人権を擁護しようという見地からやられる何のように思うのです。ところが先ほど申します通り青少年犯罪というものは、これは一人一人のいわば性格ですが、境遇が下か、素質が下かわかりませんが、一種のだいぶこり固まった人柄が生んでくる事柄でありますから、そこでその人柄がすでに芽が出ている。そこのところを何とか育てて面していかなければならないということになりますと、コンスタントに始終それに接触して、いわば生活をともにしつつそこのところを面していく、少年にでき得る限り接触して、あたたかい手を伸べまして、悪の芽生えを刈り取っていくように仕向けていかなければならぬ、こういうことが何と申しましても大事なことであろうと思いまするので、私の申す意味は、裁判所は何と申しましても裁判機関としてある段階におられるのですから、この仕事は尊いのですが、それはそれといたしまして、この少年対策を強力に推進せられんがためには、第一線の保護観察方々が、保護司方々が、実際青少年に手を触れる方の、ここのところのお骨折りと何を格段とお願いしなければなりませんが、それにつきましても、どうも今のところは待遇がどれだけしてあるか、私なんかはお気の毒に思っている点もありますし、関係の事件も非常に多いですからしてそういう意味におきまして私が今後青少年問題ということを、ただいましばしばほかの神崎先生方も御意見を御指摘になりました通り、刑罰、制裁ということは第二の問題で、それよりかも実際犯人の危険性なりに処置していくというふうになりますと、どうしてもこの際重点を第一線的の方の御努力を待たなければならぬ。それにつきましては、国はもう少し待遇ということを考える。また能力を養成する機関を特別に考えていただきまして、なぜそういうことを申すかと申せば、例をアメリカ合衆国にとりますというと、大体保護観察員、プロベィション・オフィサー、そういうあたたかい手を差し伸べる第一線的の役割がこれがまずできまして、それができてその人を中心としていろいろの制度ができて社会活動を維持していく、またそれが一番大きな効果を維持しておるのでありますから、制度よりかも実際の教育の面から申すというと、そういう青少年を育成し、育てていく人材養成、私はここを強調したい第一間につきましては。そういう意味におきまして、プロベイションの高いところにおられるよりも、むしろ第一線に活躍する人材である。あわせて待遇の方法。これの一番明らかな典型的な場合は、アメリカ合衆国が独得の世界に誇っているプロベイション・オフィサー、保護観察員、これが何と申しましても青年犯罪中心的役割を将来演じていく機関ではないかと思っております。現に国際連合は保護観察制度というものを世界に回って主張しておるのであります。日本に対してもしきりと発展方を暗示して参っておる次第であります。  それから第二のカード表の作成という問題でありますが、これはなるほどあの高田先生のおっしゃいます通り犯罪の前歴を書き上げるという意味でのカード作成、これは危険性もあります。これはさようなことはおっしゃる通りです。普通のおとなでさえも、今の世の中におきましては、前歴を洗うということは逆効果で、むしろ抹消していく傾向にある。私の申す意味はそうでなしに、将来青少年を善導する保護処分ですが、これは一人々々の性格と、それからいろいろの環境とに応じまして、善導するについては、はっきりした具体策を立てていかなければなりませんが、そのために少年法では鑑別制度や何かを設けられまして、しさいは専門家にまかせておられるわけなんですが、ところがわれわれ見ておりますと、日本の役人の方はやはり年限がありまして、二年年ごとにあっちへ行ってしまう、判事さんにしましても、一生青少年と取り組むというような判事の方はむしろまれなんでありまして、警察におきましても同様です。せいぜい二年か三年かたつというと、そうしますと、さきの少年を扱った方針とかあるいは見通しをつけたのはどうなっているのか、全然立ち消えていく傾向が見える。これはどうしても、先ほど申しました通り青少年などという問題は、実は私の希望としては、この方面にタッチした人は一生その人がいやだということのない限りは、国の機関は一生その人に仕事をさせなければ効果は上らない。そこでどうしても青少年問題は人柄の問題ですから、永続性、継続性、計画性、積極性、具体性、こういうものがなくちゃならぬのでありますが、その永続性、積極性、具体性、具体的の妥当性、こういうものは、今のように役人がぱっぱと散らばっていく現在の日本状態もとにおいては大して期待を持てるかどうかわからない。そういう意味で私の申す意味は、積極的にほんとうのあたたかい保護、善導の手を、具体的に、迅速に、間違いないように永久的に昇進していくについては、どうしてもメモリーというものが必要になって参る。その意味で私は、これは何も私が言うわけじゃない。現にアメリカ合衆国のマック・キャッフレイという有名な人がそれを主張している。ちょうど先ほどもちょっと触れました病院で入院した患者についていろいろの診療をすればこういう効果がある。こういう薬を持っていけばこういう効果がある。こういう手術をすればこういういい効果がある、悪い効果を捨ててしまいまして、いい効果を出したという点の診療方法を後H新しい患者が来ましたときに、その診療を手がかりといたしまして、最もいい、最上の治療方法と対策を講じていかなければならない。それと同じように青少年の場合に前歴を暴露する。これは絶対に打ち切りまして、善導する具体的、適切な手段の方法、それをカードに記録していくということが今のような日本制度では比較的安全なあれではないか、こう思っているのであります。
  15. 高田なほ子

    高田なほ子君 ちょっと私理解に苦しむのですが、今のカードお話は、たとえば少年鑑別所なら少年鑑別所に入ってきた子供を対象にしたカードを指しておられるのですか。
  16. 安平政吉

    参考人安平政吉君) それは私はなはだ僣越ですが、青少年対策協議会が内閣にできましたときに、はじめからそれを主張し、アメリカの典型によりましてそれをやらなければ日本青少年対策の永久性のなにはできないのじゃないか、ところがなるほど今高田先生がおっしゃいました通り、そのときにもそういう危険があるからという御注意は受けました。それは考え方によってははなはだ危険だ、その注意を受けましてある程度今日まで、ある面は実施されておりますが、私の思った通り実施されない面が、高田先生がおっしゃった通り、そういう危険性があるから、あるいはチェックされておるのかもしれませんが、これは私は今なお計画的な青少年対策としてはいい意味のそういう点は必要だと私はそういうふうに思っているのです。
  17. 高田なほ子

    高田なほ子君 それでは鑑別所に入っているような子供には、私も一々は見せていただきませんでしたが、それ相当カードができておるようでございます。そのカードをもっと整備をするということでしたら、それは一応わかるのですが、実はこういう事件があったわけですが、つい最近のことですが、兵庫県の教育委員会ですか、これの名をもって全学童に対していわゆる素行調査というものがひそかにされたわけですよ。たとえば親に口ごたえするとか、反抗的な気分がないかどうかとか全部調査されかかったんです。こういうことについては私は大へん疑問を持ちましてこういうカードを一々作って、果して子供がよくなるのかということについて疑問を持ちまして、当時御当局にも御注意を喚起したので、今あなたのおっしゃるカードが、また全国の青少年にその式のカードを作られたのではこれは大へんだと思って今お聞きしたのですが、御趣旨はわかりましたが……それで今の先議権の問題がちょっと私の質問とはずれちゃったんですが、あなたの御趣旨――家裁が小心になってそのことのために一そう優秀な人材を増員し、また整備しなければならないと今重ねて御主張があったわけですが、ただその一部の凶悪な者だけ検察先議権を与えるべきであるという御主張でありましたね。ところが検察の方に先議権を与えるということについては一応理屈としてはわかるのですが、青少年犯罪を決定する場合には、その少年精神状態とかあるいは家庭環境とかあるいはその子供の置かれておる社会的な環境、そういうものの事前調査を十分にして、その事前調査に基いて起訴し、または不起訴にするということが適正に行われなければならないわけなんです。ところが現今の検察庁は、検察陣はこういうような青少年犯罪について特に緻密な特に親切な事前に調査をするということについてはなかなか力不足ではないか、余力がないのではないかということが第一点と、かりに余力があったにしても家庭環境調査とか精神状態調査というものを検察陣に任せるとしたならば、これは警察権が家庭環境の中に入り込んでしまうことになって時としては人権じゅうりんというような事態も起りかねないのではないかという危惧を持つ、つまり検察陣が青少年犯罪に対する先議権を持つことは必ずしも現在適当ではないという気持を持ってお尋ねしているのですが、その点にだけお答え願いたい。
  18. 安平政吉

    参考人安平政吉君) これは前提といたしましてはやはりエキスパート――検察庁に青少年検察とでも申しましょうか、専門的に、ふだんから青少年の問題と取り組んで用意周到にその方面調査をして、その検察があるということを前提といたしておるのであります。それなら何も検察庁がしなくても裁判所が十分心配されるのだということになるのですが、一つ考えさせられることはイタリーのコルシカ島で有名な青少年対策で非常に成績をあげました何とかいう所長でありましたが、この人は収容している一千人ばかりの青少年の名前を片っ端から暗記している。それからまたその少年の性格、経歴、一切がっさいその所長が知っているのです。これにはさすがの不良少年も参ってしまいましてそこへ入れば期せずして所長の権威に威圧を受けまして改俊している。こういうことから見ますと、先ほどから繰り返している、直接に青少年にタッチしているということが一つと、それからその背後に、悪い意味ではなしに、いい意味の権威、ある一つの権威というものがぴかりと光っておらなければならない。これは権力を乱用するということとは違うのであります。と申しますのは、最近私のアメリカから手にしましたところでは、これははなはだ過激な言論でありますから恐縮いたしますが、御参考までに申し上げるのですが、マック・キャッフレイという牧師が最近にアメリカ、ことにニューヨーク市の青少年対策のなにについて言っている言葉ですが、こういうことをおっしゃっている。これは私だけのなにですから、おそれ多いので、誤解されると困るのですが、こういうことをマック・キャッフレイ牧師は申しておられる。青少年悪化の風潮を助長した者は、慈善深い判事、それから同情的過ぎる少年関係官、それから空想的な社会改良を職業とする者、それからお涙ちょうだいのものを喜んで書き立てる記者、こういうものが結局一つのきっかけになっている。これははなはだ言い過ぎられた言葉でもあるの、でありますが、しかし私先ほど申しました通り人間というものはお互いおとなのものでも、自由一点張りということになりますと、とかくわがままになってしまう。正しく自由を行使するということはなかなか困難です。よほど聖人君子でないとできない。いわんや青少年のごときは甘やかし過ぎて、そうして本能的に任せておくほど危険性のあることはない。私はその意味におきまして今の、むちを倹約すれば子供を汚してしまう。そういう意味で私なんかの独断でありますけれども青少年の今日すさむ大きな原因は、やはり家庭のしつけというものです。子供というものは悪くしつけすると縮み上ってしまいまして、昔の封建的な家族的戸長主義になってこれはいけませんけれども、さればと申しまして、全然野放しにしまして、何らの家庭のしつけもないということになれば、これが私は一番今日青少年というものが悪化しつつある直接の大きい原因であろうと思う。どうしてもやはりこれは家庭のお母さんに青少年はお任せしなければならぬ。法律制裁というものは、その意味においては少しも必要ないのであります。そういうふうで、とかく実践に即して少年をめんどう見ておって、ぴかりと一つの権威がなければ、不良的なものはくっついてこない。その権威というものはどっちがよく見ておるか。裁判所がよく見ておるか、検察がよく見ておるか、警察がよく見ておるか。これは私が申さなくても、不良少年は第一線のぴかりと光らす権威のある者の顔つき、目つきを見ている。そういう意味におきまして先ほど神崎先生でしたか、伊藤先生でしたか、御指摘になりました、第一線的な少年警察、これはぜひ必要だと思う。権力を乱用して、そうして、ということでなくして、ある一つ国家的権威をぴかりと光らしている者が、ほんとうにあたたかい心で第一線の青少年を指導していかなければ、ぴかりとして裁判所がおられるということではくっついてこない。現に牧師さんなんか、私の経験では、青少年は言うことを聞かなければ実に手荒い手段に出られる。そういう意味におきまして、私はこれから少年警察というのを、エキスパートを養成しまして、いろいろ修練を積み、青少年を善導するという仕組みで、少年警察というものが運営せられて、少年警察が育っていきますというと、これは裁判所におまかせするか第一線におまかせするかということになれば、妥当論としまして、これはやはり善意の警察、ここに信頼するほかはない、こう思っております。そういう意味からして私は凶悪な犯罪につきましては、まあ実践国家的権威を持っておられる方に一応処置を認めて、決して不都合じゃないんじゃないか、こう思っております。
  19. 高田なほ子

    高田なほ子君 神崎先生、それから伊藤先生お二人からやはりこの問題で御意見伺いたいわけです。つまり今の少年犯罪事件について、検察官に先議権を認める、安平先生の場合には、一部のものに先議権を認めるということで御主張になっておるわけですが、世論の中では一部ではなくて全面的にでも先議権を認めよというような六見もあるわけなんです。私はこのことについて、自分でもわかりませんですけれども、かりにその先議権を認めさした場合に、少年犯罪の事件解決のためには今申し上げたように、その少年自体のいろいろの精神的な条件とか家庭環境、それからあるいは社会的な条件、そういうものが事前約に十分に調査されて、そして起訴するとか不起訴にするとかいうことを適正にきめていかなければならないわけですが、この場合にそのような周密な事前調査というものが果してその検察官に現在の力でできるかできないかということと、それからそのような非常にデリケートな問題を検察陣にまかした場合に、相当やはりこれは立ち入った調査というものが事前に行われる場合に、いうところの人権の侵害になるような事件も起りかねないのではないかというようなことから、大へん私疑問を持っているわけです。前に少年法が改正になったときには、家裁が中心になって少年のすべての問題を取り扱うというのは、こういうような杞憂があればこそ家裁中心になったのではないかと思うのですが、それが今逆転するような形勢の中にあるわけです。私はこの逆転が果して是か非かという問題について、非常に疑問を持っておりますので、この点について御意見をいただきたいと思っております。
  20. 神崎清

    参考人神崎清君) その先議権の問題については、先ほども私はっきり否定的見解を述べたつもりですが、これは実際問題として、強盗とか殺人とか、凶悪な犯罪と、社会防衛を必要とするという少年につきましては、家裁の方から刑事処分相当ということで、地検に逆送して、普通裁判所にかけるわけでございますから、たとえ先議権がなくとも現在の運営で差しつかえないんじゃないか、さらに少年検察が実現いたしまして、よく訓練された陣容が整ったときに、またあらためて考えていいんじゃないかというふうに、現状では変更の必要なしということでございます。
  21. 高田なほ子

    高田なほ子君 続けてお尋ねしたいのですが、安平参考人から年少労働者保護の問題と、それから不良文化財社会的規制手段の確立の問題が出ておるわけなんです。年少労働者保護の問題はまことに大切な問題でありますけれども、実際のことを言うと、私ども国会でもこの問題はあまり問題にされておらない、こういう機会に、現在の年少労働者保護とそれから少年犯罪がこれを母体にしてどういう形でもって生れてきているか、そしてその保護のためにはどういうような対策が立てられなければならないか、こういうような点について大へんよい機会でありますので、専門家であられる神崎先生、また伊藤先生等からこの問題については特に御意見をいただいておきたいと思うわけです。  それからもう一つお伺いしておきたいことは、不良文化財の規制手段の問題でありますが、先般カナダの上院下院の婦人議員が国会にお見えになりましたときに、カナダでもずいぶん子供たちにふさわしくないような本がたくさん出ている、そこで私どもの国会でも、これの規制についてはどうもやはり出版、言論の自由を抑制するということになっては困るので、大へんな議論をした末に、特に漫画的なものであまりにも子供に凶悪な思想を植えつけるとか、残酷な思想を植えつけるとかいうようなものにだけ規制するような法律をこさえましたというようなお話をされたわけです。そのときも私どもいろいろ考えさせられましたのですが、最小阪限度の規制が必要ではないかという声もあるし、それからまたそういう規制はやがて広がっていくのではないかというような声もあるし、議論はまちまちでございますので、この際マスコミ対策についての御意見というものを十分に伺わしていただきたい、こういうふうに考えます。  それからもう一つ質問がございますが、これは神崎先生から伺いたいところでございますが……。
  22. 神崎清

    参考人神崎清君) 少年院の問題がまだ出ておりませんですね。
  23. 高田なほ子

    高田なほ子君 少年院少年留置の改善の方法はないかという先ほどのお話なんですが、現在の少年院の収容状態を見ると、どこの少年院もずっと定員よりもオーバーしちゃって、鑑別所だってとてもオーバーしちゃって、こんなところではとても保護善導なんというようなことの目的とは違うような方向にいくのではないか、これを直さないで、ほかのことばかりいじくるなんということは本本転倒ではないかという意見を持っております。この意見について御意見を伺いたいことと、……そのくらいにしてまたその次に伺わしていただきたいと思います。
  24. 神崎清

    参考人神崎清君) それでは要点だけお答えしたいと思います。  現在少年犯罪はこの学生の犯罪に世間の注目が集まって、おるのでありますが、実際は勤労少年の方が多いわけでございます。大体警視庁の統計などを見ましても、学生と勤労少年が半々、あと二割くらい無職というものがございます。これが大部分工具くずれ、店員くずれでございますから、それまで入れますと勤労少年の方がはるかに多い、それがおろそかにされているということを申し上げたい。特にこれは労働環境の問題で中小企業で酷使される、それから大企業の場合でもオートメーションになりまして、子供が非常に単調な労働、まるで……こんなことを自分は一生していかなければならぬかというふうに反抗心、疑問、懐疑的になって、仕事がおもしろくないというようなことから遊び始める。私は品川に住んでおりますが、大井の盛り場などに参りますと、そういう小さい少年工のようなものが、不良の卵、チンピラの卵のような形でうようよしております。いろいろ話してみますと、自分は昼間まつ黒になって働いているんだと、せめて夜だけでもいばっていたいという言い方をします。つまりこれは人間性の回復をしたい、もっともなことなんでありますが、ただあの環境が悪いのと、余暇善用の方法がないために、みすみす悪化していく、どうしてもこれは労働環境の改善と余暇善用が必要になって参りますし、特に青少年保護するための労働基準規則などの完全実施とか最低賃金法適用とか、さらにもう一つ進めて完全雇用の法の制定とかというようなところまで施策が進められるべきだと思うのであります。  次のマスコミでございますが、警察庁の犯罪統計件三十三年度分によりますと、犯罪原因調査で、出版物の影響というのが二百七十四ございます。それから映画、演劇、ダンスの影響六百五十九ございます。これをまずマスコミの影響と概算しますならば九百三十三人出ておりますが、これは全少年犯罪が十二万四千三百七十九でございますからその〇・八%、数字にしてはきわめて微々たるものでございます。しかしたとえこれはまあ微々たるものでもおろそかにはできないのでありますけれども、とにかくパーセンテージは低い。ところが三十四年の五月中に処理した刑法犯犯罪少年の中で、マスコミの影響によることが明らかに認められるものは二百四十四名。全体の一・七%というふうに倍増しておるわけでございます。これは果してマスコミの影響が拡大したのか、社会的に問題になったので警察官の注意が、フットライトが、照明をあてたために発見数が多くなったのか、その点よくわからないのでありますが、とにかくそういう数字が出ております。そしてその影響の現われ方は、年少少年に多いということ、やはり中学校あたりに特に出てくるようです。そうして出版物によっては、性犯罪はどちらかといえば出版物に多い。それから粗暴犯は、暴力犯罪はテレビ、映画が多い。ですからこれは厳密な分析ではございませんけれども、うっすらわかることは、映像文化によって刺激されるものは暴力、それから活字文化によって刺激されるものは性犯罪という傾向がありはしないかということが想像されるわけであります。しかしこれが果して犯罪原因になっているかどうか、これはよほど検討してみる必要がございます。一例を申しますと、昨年大きな社会問題になりました足立のパタヤ部落で酒乱の父を絞殺した少女の事件がございました。そのとき十三才になる妹の方がこういう申し立てをしております。私はそのとき前に「女囚とともに」という映画、これは和歌山婦人刑務所の三田庸子さんの書かれた原著です。それを映画化したもので、たしか法務省もこれを援助したと思うのでありますが、この「女囚とともに」という映画で、女がかやのつり手で男の首をしめて殺した場面があったことを思い出し、とうちゃんにはほんとうにもてあましていたので、とうちゃんはこんなふうではどうにもならないからやっつけてしまおうとお姉ちゃんに言うと、お姉ちゃんも困っていたとみえて云々と、こういう申し立てをしているわけであります。つまり弱い女が男を殺す場合に、ひょっとひもでしめるということを示唆を受けている。しかしこれを犯罪原因になっておるかというと、そうは思われないわけであります。その手口は教わっておるけれども原因はやはり父親の乱行圧迫というところにあった。そこでそういう場合どういうふうにこれを評価するかというと、これは相当敢密にやってみなくちゃならぬわけであります。そういう意味で慎重な態度を私どもはとっておるのでございますけれども、先ほど出ましたいわゆる不良週刊紙の問題、これに対してあれは法律で何とかならぬか、世論の反対が、ございました。警察庁から私ども関係しております厚生省の中央児童福祉審議会に対して児童福祉法第八条の勧告権を発動してもらえないかという申し入れがあったわけであります。そのときに委員がいろいろ向うの提出材料その他を調べまして結局原因という以上はよほど精密な態度をとらなければならないという話し合いをいたしまして週刊紙の編集者なども染まりまして給付犯罪原因になっているかどうかそれはよくわからないのだ、しかしながら週刊紙が不当過当競争のために、売らんかな主義のために性的記事あるいは暴力記事を出すということは児童の円満な良識の発達を阻害するおそれがあるので十分気をつけてもらいたいということに対しては一同承服になったのであります。もしこれを犯罪原因になっているからやめろという場合は、向うは必らずそれではその実証を示せというふうに反撃してくるに違いないわけであります。そういたしましてこれは結局結論を申しますと、出版業者に出版倫理綱領というものがございまして倫理化委員会がこれがちょうど映倫のように特別委員会を作って、そこで社会的非難を浴びた出版物は処理する。それで婦人会なりPTAなりからいろいろな内容の非難があって検討してみて、これは理由があると思った場合に内容の変更とか、発売の中止を勧告する。それを聞かなかった場合にはどうするか。第八条には勧告が無視されてもこれは制裁権はないのでありますが、しかしその場合は幸い今度は書籍出版のほかに雑誌協会が入りまして、それから大取次も入りまして、それから小売り商も入るわけです。それで特別委員会の勧告を無視した場合は発売を、つまり自発的に停止するという建前をとったわけで、単なる業者の自粛ということではなくて、実際の態勢ができ上ったということでございます。こういう自己規制によって文化の創造、出版の自由というものを阻害することなく、しかも良識に基いて世論の要求にこたえて出版物の内容を浄化していく。これは私民主社会を建設していく場合の基本的な態度ではないか。ですから私は法制化には反対、またその必要なしという考えを持っておりますし、逆にこの機会におきまして地方で青少年保証条例というものを制定しておりますが、これも一つ再検討していただき、必要がなければこれを廃止するような指導をしていただきたい。現在青少年保護条例がございますのは千葉県、岡山県、和歌山県、香川県、神奈川県、北海道、福岡、大阪、長崎、山口、兵庫、高知の十二県でございまして、宮城県が今制定するかしないかといってもめている段階でございます。この青少年保護条例は憲法違反の疑いがあるばかりでなく、その条例の内容を検討してみますと、大体法律の適用もしくは法改正でできることばかりでございます。たとえば有害玩具、危険物所持の禁止、これは食品衛生法とか、火薬取締法の爆発物取締規則その他の改善でできることですし、有害広告物の掲示の禁止、これだって広告条例の制定でできますし、それから風俗営業飲食店等の立ち入り禁止、これだって風俗常業法の改定でできることだし、全部がそういうことであります。で、この中に有害図書の販売の禁止というのがございますが、これを最も熱心にやっているのは神奈川県であります。しかし、これを実情を推してみますと、週刊誌など、これはいかぬというので、委員の間を持ち回って、知事の決裁のときには、もう一週間たってその雑誌がなくなっているということで、実効は全然ないということなわけでございます。残るのは、深夜外出の禁止ということでございますが、これは各県制定しておりますが、千葉県は二十三年に制定して、これは結局空文化しておるということでございまして、にもかかわらず、こういうものがありますために、法律でやるとか、条例で取り締るというような勢いが作り出されておる。宮城県などを見ますと、県警察本部よりも、むしろ県の教育委員会とか県の民生部あたりがこの百頭をとるような動きが感じられるので、これは一つこの際根本的に検討していただいて、廃止の命令はできなくても、勧告などをしていただければ、問題がもっとすっきりして、民主的な手段による自己規制というものがもっとはっきりするんじゃないかと思います。  最後に、少年院の問題でございますが、この少年院施設は、結論を先に申せば、改善の必要が著しくございます。家庭裁判所の措置決定を見ましても、少年院送致というのは非常に少いわけです。どんな親でも少年院送致を決定すると、判事さんに、少年院に入れれば必ず子供はよくなりますか、と聞く。非常にこれはつらいようでございます。で、少年院は、関係者のなみなみならぬ努力にもかかわらず、再犯率が非常に高い。ある場合には、犯罪学校のような働きをする場合もある。世間もよくは言わない。悪戦苦闘をしておられるわけですが、しかし、私どもの立場から申しますと、また少年法の立場から申しますと、われわれの税金を使って国家施設を設けてそこへ少年を預ければ必ずよくなるという状態、ちょうど病院に入れれば人部分の人が健康を回復するという状態を、ぜひともこれは実現さしていただく義務があるのじゃないかと思います。で、問題はどこにあるか。これは、先ほどお話の出ましたように、過剰収容、札幌のあたりではもう倍入っております。人体定員の七、八分というところがいいところなんですが、特に大部分の大施設に問題がございましてかえって地方の小さい施設、小じんまりした施設は、なかなかうまくいっているところがあるようでございますが、この過剰収容の問題、それから、少年院の内部に、やはりボス組織が残っておる。兄貴分というのがいて、まあリンチを加えないまでも圧迫をする。で、結局、教育にふさわしい場、行動観察の場所になっていない。これは、根本問題から言いますと、せっかくの保護機関でありながら、法務省の矯正局に所属しているために、どうしても刑務所的な運営のしわ寄せがくるわけでございます。早い話が、もう刑務所で何か問題になった人は、お前は少年院へ行けというような形で、少年院が刑務所的になってくる。で、結局、監視、逃走さしてはいかぬということで、数の少い教官の人たちの全神経が、保安ということ、逃げられては大へんだというところに集中しているという状態では、私十分な教育はできないと思うわけでございます。で、結局、とめておけばよいのだ、事故さえなければよいのだということで、教育的な意欲がだんだんなくなりつつあるのではないか。そこに現在の停滞現象が起っている。ですから、どうしてもこれは行刑と分離して、はっきりした保護機関として確立する。特に問題は、あの一夜の雑居でございます。日中の少年院教育活動が行われているが、夜は大部庫でざこ寝をするわけです。夜の少年院は、新宿の深夜喫茶のような猥雑な空気になってしまう。これの防ぎようがないわけでございまして、特に少年の中には、朝から晩まで兄貴分と興を突き合せているので、夜まで休まるひまがないと言って、いやがる理由にもなっている。個人的な収容ができなければ、せめてベッド式にでも改めれば、子供の独立性というものが幾らかでも出てくるのではないか。それから、少年院を仮退院する、あるいは退院するときには、裸虫で出て参ります。全然何も持っていないわけでございます。ですから、関東医療少年院では、橋の会というものを作りまして、私ども文化人が応援いたしまして、色紙、たんざくを書いたりいたしましてそれの利益で着物を買ってやったり、就職するときのふとんを買ってやったり、それを寄付でやっている。ですから、アフター・ケアに対してのめんどうをみる必要がある。そうでなければ、私は子供の保護を全うしたとは思えないのではないかと思うのであります。言葉が過ぎたかもしれませんが、少年院は、いろいろな角度から改善して、もっと明るい施設にし、子供があすこに預けられれば必ず大部分がよくなると、家裁の判事も安心して少年院送致ができる、世間も少年院に対して白い目を向けないというような状態の実現できるように、一つお骨折り願いたいと存じます。
  25. 大川光三

    委員長大川光三君) 伊藤参考人、御意見がございましたらお伺いいたします。
  26. 高田なほ子

    高田なほ子君 伊藤さん、今そのことについてお答えになる前に、もう一つつけ加えて下さいませんか。最近の青少年問題の対策が総合的でないというお話も出ているわけなんですが、中央庁少年問題協議会のあのやり方というものについては、あまり世間が批判していないのですが、三十四年度の予算でも一億九千万円もとってそれで地方の代表を海外へ派遣するというような派手なことだけがばかにやられて地道なことがさっぱりやられていないように私思うのです。ですから、……。つ評論家としての方面からきびしい批判を承わっておきたいと思うので、それもっけ加えていただきたいと思います。
  27. 伊藤昇

    参考人(伊藤昇君) それでは、私教育という面から少し考えている点があるので、その点から触れさしていただきたいと存じます。青少年の不良化という問題を考える場合に、やはり日本学校教育における問題点を少し考えてみなければならないと思うのです。その一心味では、正木の社会の問題ではありますけれども、子供たちに対する入学試験の制度と、就職が困難だということが、正本の子供たちを非常にある種の緊張感、――テンテンシヨンに導いているという点をあげたいわけです。この問題は、当然学校教育において劣等感を持たせるといった一つグループを作ることになる。それの代表と行うと過ぎるかもしれませんが、代表的な点として昨年から文部省が提言しております教育課程の改訂で、義務教育における中学校で第一百年で就職組と進学組に分けてしまうということやっておるわけです。こういうことになりますと、当然平等の機会が与えられなければならない義務教育においてあの子は上の学校にいけないのだよといって指さされるような子供ができたならば、それは当然頭のよしあしを別としまして一種の劣等感に陥るのはあたりまえだと思うわけです。そういう子供はそういう子供たちだけで、劣等感に襲われた子供たちだけで、グループを作っていって、そして常に反抗的な態度をとり、学校の中のみならず、社会的にこれが一つの悪の道に入っていくというおそれは十分にある。こういう意味で最近の文教政策においてこの問題に関連して考えなければならない点があるわけです。さらに問題は、高等学校にいった場合の定時制の扱い方が非常にみじめだということです。なるほど家庭に恵まれて順調に高等学校から大学にいける子供たちは一応の施設なり教育内容があるとしましても、働きながら勉強をするという子供たちが非常な向学心に燃えて、四年間を資格をとるために昼間働いて夜学ぶという子供たちのために、あの教室は使わせないとか、あのピアノは使わせないとかいったような、明かに学校の中で差別待遇をするというようなことがあっては、私は青少年の善導ということとはおよそ違った文教政策が行われておると思うのです。この点を強く指摘したいわけです。さらに周知のように、子供たちに対する就職の条件が、最近はよくなったとは申しますけれども、これもかなりむずかしい問題がある。特に一例をあげますならば、労働基準法というようなものを、中小企業の社長なり工場長が聞く。これをうまく言えると、こいつは危いからやめておけと、頭のよい子がかえって就職の門から閉ざされるというような現実があるとするならば、これは社会的な問題としてよほど考えなければならないことかと、こういうふうに考えるわけです。さらにさきほど神崎さんも触れられましたのですけれども、就職した子供たち、特に地方から都会へ出てくるといったような場合には、よほどこれを保護する、よくみてやるといったような商店主あるいは工場長といったようなものがない限り、かなり刺激の強い都会の真中で悪の道に人っていくということもあり得る。そのためには最近では労働省もかなりPRに乗り出しておりますけれども、雇い主たちに対する教育といったようなものを社会的に考えることが必要であると同時に、環境をよくするということと、さらに余暇善用、地方から出る子供は暇ができると、休みを一週間に一ぺんもらっても遊び方を知らないという問題が深刻な問題としてあると思うのです。二百円、三百円持ってすぐに映画館に飛び込んでいくということよりも、もっとほかに余暇の善用という問題を社会的に考えていく。これは青少年対策としてむしろ積極的に要望される点ではないかと、こういうふうに考えるわけです。教育の点ではまだまだ教育内容、教師の問題、いろいろあると思います。  次に御質問のありました中央青少年問題協議会、私先ほど四、五年前にこの専門委員会に加わったと申しましたのですけれども、そのときの印象から申しますならば、あの構成とあの仕事のかまえの協議会では私は期待するような仕事はできないのじゃないかと思います。第一には人的構成を見た場合に非常にお年得が多くて、今の世代の若い人たちの考え方というものがあそこの中に少しも入らないというようでは私は意味が薄らぐというふうに考えるわけです。さらに今も御意見がございましたのですけれども、あそこで一億九千万の予算をとっておる。私は予算の多いのに驚いたのですが、それが何をするかといいますと、最近では優秀な青年を海外に派遣する。このこと自体私は悪いことだとは申しませんけれども、そこに多少とも政治的なあるいは政党的な意図があって青年を懐柔するとか、あるいは青年団の組織に対して政党がくちばしをいれるということが考えられているとするならば、もちろん社会教育の立場から、自主的である、べき社会教育の立場から問題があるのではないか。そういうことは、かえって派手な仕事ばかりをさせて、地道にあるいは積極的にやらなければ、当面やらなければならないという問題があすこの中ではなかなか出にくいような結果になるのではないか、こういうふうに考えるわけです。少し行き過まかもしれませんけれども、私がかねて考えておりますのは、先ほども申し上げましたように、青少年問題は、科学的に、医学の上からも、教育の上からも、心理学の上からも、総合的な学問的、科学的研究が必要である。そうしてそれには各官庁がセクショナリズムを離れて互いに共同して総合的に研究をしなければならないということを申し上げたのですが、もう一歩進めますならば、日本のような、零細所得者の多い日本のような国の場合には、どうしても母子福祉もこの中に含めまして婦人少年省、これは少し大げさですけれども、そういった特別の政府機関ができてその中で総合的に研究なり対策を進めていくということがより具体的ではないかというようなことを漠然と考えております。
  28. 赤松常子

    ○赤松常子君 私は神崎先生に御意見を伺いたいのですけれども、最近あのマスコミの被害というものは、相当社会の世論に上っておるわけですけれども、今、出版倫理協議会ですか、できておりましてその人的構成、その委員ですね。それが今のでよろしいとお思いでございましょうか。出版社の代表とそれからその売りさばくルートの代表とでできておる。それでよろしいのでございましょうか。もっと社会の要望あるいは社会の声を代表する人々が入っていく必要があるのではございませんでしょうか。新聞をちょっと拝見したのでは、私はまだ不満のように思うのですが……。
  29. 神崎清

    参考人神崎清君) その点は、学識経験者にも入ってもらうということを公表をしておりましたのです。ですからおそらく年内にそういう機関が整備して苦情を処理といいますか、いろいろ問題の出版物を分析したり、解剖したり、それをどういう処置をするか、決定するときに、学識経験者の意見を聞くということをはっきり言っておりますから、これは約束を果すのではないかと思います。
  30. 赤松常子

    ○赤松常子君 同じく映倫も私そうだと思うのですけれども、今まで映画製作についてもずいぶんいかがわしい映画ができておる。けれども映倫のこの委員の構成が映画会社の代表が主であったり、そういうところから自分の会社の作った映画をそういうふうにはじき出したり禁止されるということにはもちろん強く反対することは必然だと思っておるわけです。こういう映倫あるいはいろいろ委員会がございますけれども、その委員の構成に非常に問題があると私は思うのでございまして、もちろんその委員の構成も問題ですけれども、その権威と申しましょうか、そのただ勧告をするというくらいではなかなかこの商業主義、売らんかな主義に対抗することはできないと思うのでありまして、もう少し強い力、私は法律化するのは反対であるけれども、もう少しそれに服するような権威を持たせるというところに私はもっと考える余地があると思うのでございますが、今行われておる程度のあれでいいとお思いでございましょうか。いかがでございますか。
  31. 神崎清

    参考人神崎清君) 映倫の場合は、現在は、赤松さんのおっしゃるように解組されまして、第三者の委員会、これはたしか高橋誠一郎さんが委員長で、大浜英子さんとか、そういう第三者の文化人の団体あるいは婦人団体の代表で構成されているわけでございます。ただ映倫で問題になりますのは、あれは国民道徳の水準を破壊する危険なるものという最低線で押えているわけです。映画をもっとよくしようという力はあれにはない。そのためには日本映画制作者連盟というのがございまして、これは各社のたとえば松竹の城戸四郎氏とか、大映の永田雅一氏、そういう人たちが集まって製作者連盟を作っております。ここへ私はほこを向けて製作方針の問題を注文をつけていく。われわれの希望を実現さしていく、そういう新しい対策が必要になっていると思います。今のままではおっしゃるように何だかあまり弱いので頼りない。  もう一つは興行館の問題でございますが、たとえば宣伝物なんかも本社から送ったものを大体映倫でスタンプを押しますので、まあそうひどいものはないと思います。しかしながら各地の興行館がめいめい自分の自由で出すポスターとか立看板それにきわどい、どきついものが出てくる。その規制の方法をどうするか、これは地方による広告条例の制定もございますが、私は一番いいと思うのは、先年できました環境衛生法――環境衛生の組織と運営に関する法律でございますが、この環境衛生法によりますと、興行場法では時間とかその他……。時間の規制はできないですけれども、これは組合で決議したことが拘束力を、法的組合がありまして拘束力を持つわけです。アウトサイダーに対しては、組合が決議したのと同じことを大臣もしくは知事が命令することができるということになっております。ですからこの法律をうまく利用、運営していけばこういういかがわしい映画は写さないとか、こういういかがわしい広告は出さないということをその組合で決議したならば、それが組織的に規制されるという道が開かれるわけですが、これはまだ手がつけられていない状態です。今後の課題になっております。
  32. 大川光三

    委員長大川光三君) ほかに御発言もないようでございまするから、これにて午前の部は終了することとし、委員会は休憩することにいたしたいと存じます。  参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は長時間にわたりまして、貴重な御意見など詳細にお聞かせいただきましてまことにありがとうございました。当委員会の審査のため、きわめて有益な御意見を伺いましたることを厚く深く御礼を申し上げます。  それではこれにて休憩いたします。    午後一時五分休憩    ―――――・―――――    午後一時五十八分開会
  33. 大川光三

    委員長大川光三君) ただいまから委員会を再開いたします。  最初に参考人各位にごあいさつを申し上げます。  御承知通り、最近少年犯罪の数が年々激増の傾向にあるばかりでなく、犯罪の態様も年少者において、粗暴犯性犯凶暴犯等の悪質の事犯がことに増加するなど、まことに憂慮すべきものがございます。このような事態に対処いたしまして、当委員会におきまして、少年非行防止のため、早急に総合的対策を樹立することの緊要なことを認め、その基本的重要諸問題について、すでに数次にわたって調査を行なって参った次第でございます。  本日は、特に少年法改正問題のみならず、少年犯罪誘発原因とその対策非行少年矯正補導に関する諸問題、諸外国における実情その他の一般問題につきまして、権威者方々から十分な御意見を伺いまして少年犯罪対策法制樹立のため、当委員会の審査の資とすることにいたしたいと存じます。参考人の各位におかれましては、日ごろ御多忙中にもかかわりませず、当委員会の意を了とせられまして御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  それではこれより御意見を伺いたいと存じますが、少年犯罪対策につきましては、お手元の調査項目にかかわらず御自由にお述べを願いたいと存じます。  なお、時間の関係上、お一人様二十分程度お願いいたしたいと存じます。  それでは初めに、法務総合研究所研究第二部長の小川太郎氏にお願いいたします。
  34. 小川太郎

    参考人(小川太郎君) 小川でございます。  平素考え、また煩悶なぞしておりましたところをお聞き下さいます機会をお与え下さいました点、厚く感謝をいたします。時間の制限がございますので、若干覚書程度のものをここにしたためて参りましたので、これによって意見を申し上げたいと思っております。  まず第一に、少年犯罪に対する一般問題でございますが、そのうち少年犯罪、特に少年粗暴犯、凶悪犯、集団犯の増加について考慮すべき事項の問題でありますが、私考えまするのに、犯罪というものは、非常に大ざっぱに分けますと、攻撃犯と逃避犯というふうに分けることができると思います。むろん、これは混合形もあるわけでありますけれども、そのうち、攻撃犯というものは、今までは、戦争が起きますると減少いたします。そしてそのことは、戦争が起きることによって、攻撃的な国民の精神が特に解消されるのだというふうに考えられるわけでございまするが、現在の戦争のない状況というものによりまして、攻撃犯というものの増加が特に顕著に目につくようになったことだと思うのであります。そして、この問題は、決して犯罪問題というばかりでなくて、戦争防止という問題の一環、あるいは重要なる場面として、特に真剣に研究しなければならない問題、考慮しなければならない問題であろうというふうに考える点が一つございます。  それから犯罪というものが増加するということをいわれておりますが、これは今までは人口との対比によって、増加したかしないかということを検討してきたのが常であったのでありますが、最近の情勢では、むろん犯罪は行為でありますから、行為の増加というものと対比することによって、初めて犯罪がどのように増加したかということがいえるわけではないかと思うわけでありますが、行為の増加ということを考えて見たいと思うのです。  これはインフレーションでありますると、犯罪増加するということは、インフレになりますと、交換行為が増加する。それに伴って犯罪増加するというわけで、行為の増加犯罪増加を伴うわけであります。今日の状況は、この行為の増加というものがとみに増加してきている。むろん、よい行為もふえるのでありますけれども、悪い行為もふえる。それは広い意味の余暇時間というものが各個人に非常に増大してきたということであろうと思うのでございます。ことに少年についての余暇時間というものは、いろいろな意味増加しておるのでありまして、大衆社会に、大衆的な大量消費社会というようなものができますると、そこに生活の余裕ができまして、上、中流少年非行増加という点が表われますし、また、義務教育の年限が増加したということは、今まで学校に行かないで働いていたというような者も、働かないで教育だけ受けるというようなことで余暇が増加し、あるいは福祉制度が非常に進展してきたために、今までかつかつな生活をしてきた者も、これも福祉制度によって、ある程度の余暇が得られる状況になってきた。これはみなそれぞれけっこうなことでございますが、さらにまた失業という余暇、強制的な余暇というものがある。余暇は大体人格を進展させる方向と、それからこれを退行させる方向とがあるわけでございますが、これはどういたしましても、余暇を積極的に人格を発達させる方向施策が講ぜられなければならないということが考えられるわけであります。これにつきましては、ワーク・キャンプということがあるわけでありますけれども、そういう方面の注意が必要なのではないかと思います。ここに書いてありますニューヨークなどでも最近の情報によりますと、ユース・コンサーべーション、これは前にニュー・ディール等でやっておりましたシビル・コンサーべーション・コアーズという市民の保護団というようなものの構想で、そのまま少年保護団というものをこしらえて、そういう方向に推進するかのような情報があるのでありますが、これはやはりこういう方向の一歩前進であるというように考えられるわけであります。わが国におきましても、こういう点が考慮せらるべきではないかと考えます。  それから第二の対少年犯罪対策として保護処分優先主義について考慮すべき事項(少年犯罪増加にかんがみこの際刑事処分の範囲を拡大する必要性の有無について)、こういう問題でありますが、この点につきましては、現在の少年法は幼年者から二十才まで、また、いわゆる虞犯というものと犯罪というものと全く一律的な扱いをしておるのでありまして、この点について十分な考慮を加える必要があるのではないかと考えられます。虞犯処理の問題につきましては、十六才または十七才までを上限とすべきではないか、二十才まで虞犯処理をすることは各国においても立法例がないのであります。おそらく少年法制定の当時、軽率というと語弊があるかもわかりませんが、二十才までを虞犯処理ができるようなことになったのではないか。このことは非常に現状にそぐわない立法ではないかと考えます。  次に、十七才以上の者の犯罪につきましては、保護処分の審判につきましても、いろいろ少年関係者、つまり検察官でありますとか、鑑別所技官でありますとか、そういうような少年について非常に関係の深い面があるわけでありますから、そういう面の人々がやはりある程度審判前に寄り合って、公式であろうと非公式であろうと、それは事実はどういうふうにやりますか、これは検討を要するでありましょうが、そういう何といいますか、ケース・コンファレンスといいますか、そういうものを持たなければならないのではないか。ドイツ少年法では別にそういう規定はございませんが、向うから帰ってきた人の意見を聞きますと、事実はさようなケース・コンファレンスというものをやっておるということを聞いておるので、ドイツらしいやり方であるということを考えておるわけです。  さらにまた、今保護処分刑事処分とが全く乖離している状況でありますが、大体保安処分というものができました本来の筋から見て、保安処分と刑罰というものは代替的に考えられるのが本来でありますので、家庭裁判所刑事処分もやれるというようなことにすべきではないかというふうな意見を常々持っているわけでございます。  次に、現在の保護処分の種類でございますが、これは御承知通り保護観察教護院収容、少年院送致というような三つしかないのでありますが、これは非常に個別審理というものを徹底させるためには足りないのでありまして、各国の立法例でも処分の内容は非常に多純な弾力性のあるそれぞれの処置を講じておるのでありますが、その保護処分の種類を多くする必要がありはしないか、たとえば里親委託であるとか、あるいは職親の委託であるとか、あるいは福祉機関に対する委託であるとか、短期訓練所に置くとか、前の少年法ではございましたように、少年保護団体に委託するとか、イギリスなどでやっております出頭所出頭制度ドイツなどでやっております自由拘禁というようなもの、こういうようなものが、何もまねをするわけではなくて、現実に私ども実際の仕事をしておる間に、その人間に応じてかようなものがとれればいいなというようなことを常々考えておった次第でございます。  次に第一の問題の(ハ)でございますが、非行少年の早期発見対策であります。非行少年を1期に発見して適切な処置を講ずるということは、これはむろんきわめて重要なことでございまして、それでは早期発見の方法としてはいろいろございましょうが、現在ありまする児童相談所、鑑別所、あるいは精神衛生相談所というようなものがあるわけでありますが、これらの利用をさらにさらに促進すべきではないか、むろんこれらの機関は、御承知通りそれぞれ不足がちであり、決して、一般国民の利用が徹底すれば、もうすぐにも困るほど、機関の充実がないわけでありますから、この充実がむろん必要でございます。  さらにしかし、早期発見をいたしましても、発見したということだけでは意味がないのでありまして、その少年をそれではどういうように処遇するかという問題があるわけでありますが、それについてはほとんど今日においては何らの措置が講ぜられていないというと語弊がございまするが、それに近い状況であろうかと思うのでございます。この意味では次のような措置が必要であろうかと思います。まず、学校にカウンセラーを置かなければならない、これは諸先生の熟知されておることと思うのでありますが、さらに警察署には警察署なりにケース・ワーカーを置くとか、あるいは少年警察官というようなものを特定いたしまして、それを置くとかというような措置が必要である、あるいは児童相談所やその他の診断施設のところに、精神医学の知識を持ったケース・ワーカーを配置する必要があるのではないか、かように通観して参りますると、最も緊要なことは、こういう非行少年の診断、処置技術に習熟するところの専門家が全くないということであります。従いましてこれらに対するカウンセラー、セラピスト、精神医学的ケース・ワーカーの養成がすこぶる急務を要するということになります。  (ニ)の非行少年に対する科学的調査研究機関充実という点につきましては、大いに今これらの専門家の教習というものが必要であるという点で、これらの機関充実にも求めたいのでございます。  私は品の方は関係がございませんので、(三)の方を申し上げますが、(三)は非行少年矯正、補導に関する問題でございまするが、これのうちの(イ)は、少年院少年鑑別所、児童福祉施設等、少年収容施設の強化充実につき考慮すべき事項、これはむろん第一にわれわれ口を開けば、設備がだめなんだ、こういうことを言うわけでありますが、これは明らかにそうなのでありまして、諸先生もすでに御承知のことと思っておりますが、設備の充実ということがきわめて必要である、次には、職員の増員というものがこれは必要である。われわれも口を開けば、職員の増員というようなことを言っておるわけでありますが、事実私が前におりました関東医療少年院におきましては五十七人の職員がおるわけでありますが、それからいろいろ事務職員あるいは医療担当というようなものを除いて考えますると、わずかに十九名しかこの百七十名程度人間に当ることができないのであります。これはこの中には休暇もありまするし、出張もありますし、一日まあ十四、五名という者が当れる程度でございます。ところが、ほんとうに少年を見ていこうというためには、少くとも七人か八人に一人の教官というものが要るわけであります。これは夜の指導まで見れば一人五分というものが必要でありまするが、そういう計算でいきますと、関東医療少年院のごときは、少くとも教官十四、五名のところに三十七名、少くともその点については事務職員等は別として、二・五倍というようなものがどうしても必要である。そうでなければほんとうなことはやれないということがまず考えられます。  それから第三番目には、現在の少年院が百五十とか二百とか三百とかいう大きな施設中心に運営されているわけでありますが、小さな施設を作らなければならないのではないか。それの方がより、いろいろな意味で経済なのではないか。ちょっと考えますと、小さな施設の方が非常に不経済のように思われるのでありますが、私最近秋田県にあります秋田仙北寮という、これは二十人くらいの少年を入れておるところでありますが、職員を八名かかえております。これで年間の費用というものが一百五十万円、一方三百人を収容しておりまする少年院、これの本院の東北少年院は三百人ばかり入れておるところでございますが、それの方は三千四百万円という金がかかっておるのでありますが、そういたしますると、それでその入れた効果というものは、むんろ仙北寮の方は、いい子だけ集めておるからといってしまえば、それまででありますが、それにしても開設以来八、九年たっておるわけでありますが、その間、百二十名出しておりますが、わずかに十名程度の再犯しかないのであります。一方一般の少年院は、これはなかなか推定がむずかしいのでありまするけれども、二五%から、多いところで三〇%、三五%というようなところの再犯率を見ているわけであります。そういたしますると、これは少しばかりの、ほとんど費用も増加しないで済むわけですし、再犯を防止するという点についても非常にいいわけでありますので、小施設主義の採用ということが必要かと考えられるわけであります。  それからその他の点、(ロ)の点、(ハ)の点ございまするが、だんだん時間が切迫いたしますので、特別に申し上げたい点は、(ハ)の方の矯正教育、補導教育の実態とその効果につき考慮すべき事項という点でございますが、現在の少年院という施設は二重の意味において不正常な環境なのでございまして、そこで単に形式的にいろいろな学科教育とか職業訓練をやっても、これは上すべりするだけなのでございまして、やはり何らかの手法を持ってこなければならない。人格形成に強い影響を与える手法といいますか、やり方というものをやらなければならない。少年が自発的に積極的に人格発達に関心を持つような手法が必要なわけでありまして、それにつきまして世界の少年問題研究家は、集団心理療法であるとか、指導的和合作用法であるとか、あるいは集団補導とかいうようなものを持って参りまして、非常に実効を上げておると言われております。その点の資料は最初の資料で説明するのを忘れましたが、攻撃犯のところは何か書いたものがありますが、それが資料であります。  その次の資料でありますが、それは二つ施設を見ますと、ウイルトウイックとニュー・イングランドと二つ施設を比較したものでありますが、一方は今申し上げましたような手法をとっておる、一方はその手法をとっていない。その二つ施設がいかに効果が違っておるかという点が非常におわかりになると思うのであります。  それからその次に、これは関東医療少年院におきまして実験的にやりました集団補導に関する資料というのをおわかちいたしておきましたが、それを見ましても、この集団補導を受けました者につきましては、やはり予後の良好な者が多くなっておるということ、普通なら四一%ぐらいが良好なのが、これが五四%になっておるというようなこともございます。のみならず少年院全体の雰囲気が非常に明るくなるとか、あるいは収容少年がよく話を聞くようになる、あるいは信頼関係というようなものが強くなってくるとか、あるいは事故が少くなってくるとかいうようないろいろな点が現われておりまするし、特に教官自身が一つの人生の意義というようなものを、あらためて見直すというようなことにもなってきているかのように思われるわけであります。さようなわけで、この方法は非常にやりがいのあるものであろうかと思うのであります。で、むろんこの方法を推進しまするためには、先ほど申しましたように、専門家、ケース・ワーカーとかセラピストであるとか、カウンセラーと同じような、こういう方面の専門家も養成するのが急務であります。このごろ自動車の無免許運転がはやっておりますけれども、免許というほどのものではないのですが、やっぱり専門家というものが非常に必要であるということを申し上げたいと思います。  その他の点につきましては、そこに書いてありますから、御批判をいただきたいと思います。
  35. 大川光三

    委員長大川光三君) どうもありがとうございました。   ―――――――――――――
  36. 大川光三

    委員長大川光三君) この際、委員異動について御報告いたします。  十月九日付、前田佳都男君辞任横山フク君選任、林田正治辞任大谷藤之助君選任。  以上であります。   ―――――――――――――
  37. 大川光三

    委員長大川光三君) それでは、次に、岐阜地方検察庁の検事正であられます平出禾氏にお願いをいたします。
  38. 平出禾

    参考人(平出禾君) 平出でございます。  私に与えられました調査項目は、一の少年犯罪に対する一般問題と、二の少年法改正に関する問題となっておりますが、時間の関係もありますので、主として第二の問題について若干の意見を述べさせていただきたいと思います。申すまでもなく、私はこれは個人の意見を申し上げるのでありまして、検事を代表するとか、あるいは法務省の公的意見とかいうわけではございません。ただ、私は三十年近くも検事ばかりをやっておりますので、ものの考え方が検事的になっておることと存じます。つまり、検事である平出個人の意見ということで御了承願いたいと思います。  まず、少年犯罪に対する一般問題でありますが、ここにも提示されております通り、近時少年犯罪、特に粗暴犯、凶暴犯、集団犯が増加しておることは、おおうべくもない事実であります。何が青少年犯罪増加させておるかということになりますと、これは一言で申しますのはなかなか困難でございます。それは、原因が見つけにくいからではなくて、原因があまり多過ぎるからであります。極端な言い方を申します。と、この世の中でおよそ悪いことというものは、すべてもう青少年を悪くし、青少年犯罪原因になり、また、増加させることになると思うのであります。従いまして、青少年犯罪を防止するということになれば、何事によらず社会の悪いということを少しでもなくしていくということになってくるのであります。まあ少しでも世の中のことがよくなれば青少年の方もよくなるであろうと、こういうことになるので、まことにばく然としたことではありますが、どの問題でもよろしいと考えますので、一つ一つ世の中の悪いことをなくしていくというところに重点を置いたらいいのだと存じます。なお、この問題は四の問題として提示されておりますが、もし時間がございますようでしたら、また後ほど述べさせていただくことにいたしまして、次には、いわゆる保護処分優先主義ということについて、特にこの際刑事処分の範囲を拡大する必要性の有無という問題が提示されております。  この保証処分優先主義と申す言葉には、二つの面があると存じます。一つは、実質的に保護処分を刑罰よりも重要視するという考え方で、なるべく刑罰はやめて、そのかわりに保護処分を活用しようという考え方であります。もう一つは、この優先というところに力、アクセントがつきまして、手続の上で先に保護処分をするかしないかをきめて、あとから刑事処分をするかしないかをきめるという意味もとれるのであります。世の中には、大事なことは先にやれという考え方ももちろんございますが、しかし、そうとばかりも限らないと存じます。青少年に対しては刑罰を課するよりも、なるべく保護処分でいこうという考え方をとるとともに、そういう考え方を一方にとりながら、手続の順序は必ずしもどっちを先にしなければならぬというわけのものでもないと存じます。それよりも、役所の機構を複雑にいたしまして、少年をあちらへ連れて行ったり、こちらへ引き回したり、書類をあっちへ渡したり、こっちへ引き継いだり、そういうようなむだをすることによって、ほんとうの意味効果を上げ得ないようなことがあってはならない。手ぎわよく手続を運ぶということを考えなければならないと思います。また、実質的に保護処分を優先するという考え方をとるといたしまして、この保護処分に重きを置くということの行き過ぎということを戒める、まあ、刑事処分の範囲を拡大する必要があるかないかというような問題の取り上げ方があるわけでありますが、私は、これは、建前の問題ではなくて、やはり個々の事件につきましてその個々の行為をした少年に、その少年なり行為なりの個人的な意味社会的な意味、こういうことを総合的に考えてその少年に最もふさわしい処分をするということに尽きると思いますので、この際、刑事処分を多くする、つまり俗な言葉で申せば、点を辛くするというような建前をとるということには、ちょっと考えがなじまないのであります。しかし、従前の例を見ますと、どうやら保護処分優先主義という建前にとらわれておるかどうか存じませんが、幾らか少年を甘やかし過ぎてはいないか。もし少年を甘やかし過ぎているという結果になっておるとすれば、それは是正されなければならない。従いまして、結果において刑事処分の範囲が拡大されるということになると思います。また、保護処分の種類なども、従前のような考え方で限定し、従前のような考え方でやる限りにおきましては、年令的に申しましても、どうも十八才ぐらいが限度ではないかと考えます。もっと保護処分の種類なり、やり方なりを工夫することによって、二十才あるいは二十才をこえるような青少年に対しても、保護処分をするという余地が考えられ、工夫されなければならないと私は考えます。要するに、われわれ実際に事件を扱っておる者といたしましては、個々具体的な行為をした個々具体的な少年に対して、どういう処分をしたら一番いいかということに日夜苦心をしているのであります。この点についてどういう処置が妥当であるかどうかということを見きわめる、それが問題集点であります。そうしてそのためには、この(ニ)に掲げられておりますように、非行少年に対する科学的調査研究機関の充実、これが大事だと思うのであります。この機関が充実され、研究の結果が発表されまして、これは、検察官であれ、裁判機関であれ、保護機関であれ、どの機関におきましてもすべてその科学的な調査研究の成果に従いましてそれを尊重して、それに準拠して少年の処遇方針の決定、あるいは保護実践に当るべきものでありまして、その調査研究こそ、各方面の機能をそれぞれ十分発揮するように、総合的にそうしてまた一貫性をもって行われることが必要であろうと思いますし、また、われわれ実践に当る者は、めいめいその調査研究というものは、自分たちの調査研究であるということを虚心たんかいに受け入れまして、おのおのその分野に従って実践の指針とするという心がまえがなければならないと思うのであります。法務省におきましても、総合研究所が発足いたしましたし、いろいろの研究が今後とも展開されると思いますが、その際には、ぜひみんなのための調査研究ということにお願いいたしたいと思いますし、また、われわれも自分たちの調査研究であるという心がまえが必要かと存じます。  次に、この「少年法改正に関する問題」でございますが、(イ)から順々に並べてありますが、必ずしもこの順序によりませんので、御了承願いたいと思います。  私がまず申し述べたいことは、少年審判の本質の問題であります。つまり少年審判というものが、厳密な意味裁判であるかどうかということであります。この問題をはっきりいたすことによりまして、いろんな問題を考えるのに都合がいいことと思います。それとともに、先ほども申しましたように、少年の扱いに関する手続が、さまざま複雑になっておるためにいろいろなむだをする、時間的に、あるいは少年調査などにおきまして、むだをするというようなことをなくしなければいけないじゃないかということ、三番目には、少年保護の処分に関しましては、特にその処分の結果についてまで末の末まで見届けるということが必要であろうと思うのでございます。この点について順々に申し上げたいと思いますが、まあ、裁判とは何ぞやということになりますと、だいぶやかましい議論になりますが、ともかく少年審判手続におきましては、事実がすでに明らかになっておるということが前提で、その少年がどういうことをした、つまり非行があった、犯罪を犯したということが前提となっておるのであります。それがわからない場合には、ほかの手続でそれをはっきりさせなければならない。その点で裁判が事実の認定ということで行われるわけであります。それから少年の事件につきましては、審判も公開はされません。また、少年の処遇についていわゆる訴訟に類するような対立関係がありません。審判には検事が立ち会うかと、弁護人が立ち会うとかということもありませんし、検事の論告とか、弁護士の弁論とかというものも聞かれないで、家庭裁判所保護処分を決定するわけであります。そんなようなことから申しまして、これを裁判だと思ってしまうと、その裁判的なよさがあるとともに、裁判的な短所が随所に現われてくるのではないか、その点が心配なのであります。たとえばいろいろな問題が考えられますが、裁判官というものは、個々の事件につきましてその問題をはっきり見きわめて、確固たる信念のもと裁判を下されるのであります。これが裁判のまことにいいところでありますが、少年の審判につきまして、先ほど申しましたように、訴訟の形式はとらずに、みなの意見を聞かないで、裁判をするというようなことでは、それはいけないことであって、いろいろな人の意見が聞かれてしかるべきものであろうと思います。また、裁判の結果はもう動かしてはならないという既判力という問題はございますが、少年審判につきましてはそんなに厳格に考える必要はない。まずこれがよかろうと思ってやってみた処遇が、もしまずかったら、またみなが相談してやり直してもいいではないか、そういうような点も、あまりに裁判的に考えることはないと思いますし、さらに、この少年の処遇は、みんなで少年のためにどうすればいいかということを研究して意見を発表してやったらいいことなのでありまして、訴訟のように相争うとか、対立するとかいう立場で事を処してはまずいのではないか、さように考えるのであります。この項目の中にも、検察官が少年審判手続に関与する立会権、異議申立権などを認めてはどうか、あるいは家裁の決定に対して検察官の抗告権を認めることはいいかどうかという問題が提示されておりますが、私は少年審判の場というものを、訴訟とか争いの場というふうには考えたくないのであります。みんなが同じ方向に向って協力する場であると思うのでありまして、何もその立会権とか、抗告権であるとか、そういうような問題の取り上げ方はする必要はないと思います。しかし、これも私が申しますような建て方から言うのでありまして、現在の建て力をそのままにしておいて、部分的に修正するという段になりますれば、やはりこういう点は十分に考えなければならないことと思います。  それからやや見方を変えまして、少年犯罪事件というものが、どういう順序に取り扱われるかということは、まあ御案内でもございましょうが、一応申しておきますと、犯罪少年というものが、実は自分で自分は犯罪少年であるとレッテルを張ってここにいるわけではないのであります。まず犯罪が起きるわけです。それを警察その他の手で捜査を始めます。それで犯人をつかまえてみて少年だということがわかるわけであります。その少年をどうするかということになります。刑事訴訟法の建前に従いますと、それはみな検察官の手元に送られて参ります。これは少年に限らず、おとなでもみんな検察官の手元に送られて参ります。検察官はその中で犯罪の嫌疑はないということになりますれば、みなそれはドロップしてしまいまして、それからおとなの事件につきましては、起訴をしあるいは起訴猶予にするということにいたすのでありますが、少年事件はそういう判定をせずに、全部家庭裁判所に送ることになります。家庭裁判所の方といたしましては、保護処分相当か、あるいは刑事処分相当かということを見きわめまして、そうして刑事処分相当ということになりますと、検察官のもとに送致されます。逆送と俗に申すようにここで流れが逆流するわけであります。この流れが逆流するというところに、一つ問題があると思うのであります。これがおとな少年の共犯事件ということになりますと、検察官の手元で一ぺん分けて、また家庭裁判所の方へいってから成人の方のものも持っていって、また刑事処分相当ということになりますと、検察官のところへ持っていって逆送されて、そうして刑事裁判所へいくというようなことが、まあ処分の上でもいったりきたり、少年自身の身柄もまあ行ったり来たりというようなことになるので、こういうことはなるべく避けた方がいいと思うのであります。先ほども申しますように、事件というのは、元来犯罪があって検挙処分というような流れに従って検察官の手元に流れて参るわけでありますからして、そこで私が検事でありますからして、検事的な考え方になるのかもしれませんが、そこでできるだけのことは片づけて、しかも刑事処分相当であるということを検印が見届けたならば、そこで片づけてしまうというやり方をしたらば、逆流ということがなくなっていいのではないか。これは今現在の刑事訴訟の建前に合致するものであります。これが結局検察官の先議権の問題ということになるわけでありますけれども、私はこの先議権というような言葉でなしに、事件の取り扱いの流れというものを見きわめて、手続は手ぎわよく順序よくやるという観点からして、検察官の手元にせっかく事件が来るのでありますからして、そこでできるだけのことは処理してしまう。それから先は家庭裁判所の方へ回すということにしたらいいのかと思います。  しかしまた、先ほども三番目に申し上げましたように、保護処分というものは、末の末までその結論を見届けるということが必要であると思うのであります。どういう処分がよろしいということを決定しっぱなし、生みっぱなしというのは困るのだろうと思います。やはり決定をした方の気持が保護実践に当る方々に伝わって、同じ気持で少年に対処していく、少年を扱っていくということでないと、ほんとうの保護効果というのは上らないのじゃないか。現在は家庭裁判所が処分の決定をされますが、実施の面になりますと、法務省所管の保護機関がやる。これは私は少年保護の成績を上げるためには、好ましくない制度だと思うのであります。決定をする機関保護の実施をする機関とは、何とかして一貫した総合性のあるものにしていただいた方がいいと考えます。  私はそうかと申しまして裁判所保護のことに関与すべきではないというようなことを申し上げるつもりはないのであります。裁判所の所管事務でありましても、また裁判官が取り扱うといたしましても、保護の仕事は保護の仕事であります。これは私の考えによりますれば一つの行政事務でありますからして、行政事務として裁判所がお扱いになれば、何も弊害はないと思いますが、裁判所が所管し、裁判官が取り扱うことによって、あまりに裁判的な裁判所的なあるいは裁判官的なものになりますと、先ほどから申しますようないろいろな点で支障がくるのでは平ないか。また、裁判官が少年審判の決定、どういう処分にしたらいいかという決定をおやりになることは、これは大へん適切であると思うのであります。それは裁判官は公正な立場ということをいつでもお考えになっておりましてえこひいきというようなことをしません。人権擁護の感覚というようなものがしつかり身についておられるので、そういう点がやはり少年審判の決定には、大切な資格であると思うのであります。裁判官にやはり関与していただくのが必要だと思うのでありますが、ただ繰り返して申しますように、裁判官であるがゆえにというような、裁判所でやるからとか裁判だからというようなことに、あまりアクセントがかからないように、やはりこれは少年のためになされるみなが一致協力した行政事務であるという気持でおやりいただくことが肝心かと思うのであります。  時間も参りましたようでありますが、年令問題等も先ほどちょっと触れましたように、保護処分の種類を研究し工夫することによってそれに対応する年令層というものを考えたらいい。ただいま行われておるように満二十才あるいはそれを二十三才に延ばすことも考えてよろしいかと思いますが、さればといって二十二才、二十三才の者を少年院に入れるということをよいというわけには参らないと考えます。結局起訴をして、前科者にしてはならないし、さればといって野放しにはできない。やはり有力な保護観察などに付するという必要のある少年が、現実の問題として私たちが事件を扱っておると、思うのでありまして、そういうような保護処分ということになれば、年令問題にはそんなにこだわらずに、二十二でも二十三でもいいのじゃないかと考えます。
  39. 大川光三

    委員長大川光三君) どうもありがとうございました。   ―――――――――――――
  40. 大川光三

    委員長大川光三君) それでは次に、大分家庭裁判所所長白石雅義氏にお願いいたします。
  41. 白石雅義

    参考人(白石雅義君) 私が今御指名のありました白石でございます。  私は最初熊本の家庭裁判所の所長をしまして、それも創設当時でございましたが、その後佐賀と大分に参りまして、佐賀と大分は、地方裁判所の所長も実は兼務しているわけでございます。しかし、少くとも八年あまり家庭裁判所の仕事には幾らか関係したわけでございまして、本日実務家の一人としてお招きいただきまして、私の個人的な見解でございますけれども、申し上げる機会を与えて下さいましたことを、大へんありがたく存ずる次第でございます。  私に与えられました項目は、少年犯罪に対する一般問題と、少年法改正に関する問題、この二つの項目でございますが、ところで、最近粗暴犯それから凶悪犯、性犯罪、こういうふうないろいろな犯罪がだいぶ多くなってきて、そうしてしかも凶悪化してきておるというような、そういうふうな声がありますために、ちょいちょい少年法の改正問題が起っておるやに聞いておる次第でございます。ところで、この問題につきまして、私も幾らか関心を持っておりますけれども、ほんとうに深く研究した材料は、実は持ち合わせてないわけでございまして、先ほど来検察庁、法務省側の方々の御意見を拝聴していますと、別にそうひどい改正意見みたいなことも言われませんし、裁判所に対しても、かなり御理解のあるようなことを承わっているのでございます。だいぶ私も安堵した次第でございます。  要するに私は結論から言いますと、現行の少年法を、いろいろ不備な点もあるかもしれませんが、その不備な点を部分的に改正していかれるのは差しつかえありませんけれども、根本であるものは、なお残していただきたいということに帰するわけであります。  それで私、この与えられました項目について、少し時間の関係もありましたので、メモしたものを持参して参りましたので、それについて申し上げまして、あとで御批判を仰ぎたい、さように存じます。少しかた苦しいようなことを申し上げるかもしれませんけれども、いずれ後ほど御批判を仰ぐときに、またお答えする機会もあるかと思います。  とにかく少年犯罪、特に粗暴犯とか凶悪犯とか集団的な犯罪が多くなったことにつきまして申しますと、とにかくこういう犯罪増加傾向にあることは、これは間違いないことでございます。これは統計の示すところでございまして、しかし、すべての犯罪増加しているわけではなくて、そのうちでも最も大きいのは、道路交通取締法違反、それから傷害、恐喝、暴行、脅迫、こういうような粗暴犯、それから業務上過失致死傷、それから性犯罪、これは強姦とかわいせつ罪でございますが、こういうものが総数からいって増加したおもなものになっているようでございます。他の窃盗とか殺人とか放火というのは、大体横ばい状態でございまして、詐欺とか横領、失火というものは、大体減少している傾向でございます。ただ、少年犯罪総数増加の主要な原因にはなっておりませんけれども社会的に影響の大きいいわゆる殺人、放火、強盗、強姦、こういうものの総数が幾らか増加している関係から、非常にこういうふうなものが大きくクローズ・アップされたような形を呈してきているわけであります。  この粗暴犯とか、凶悪犯とか、性犯罪増加していることからしまして、一部の方々に、少年犯罪は非常に凶悪化してきている。現行の少年法が二十才というのは少し高い。まだ年長少年についても保護優先主義をとっておって、家庭裁判所少年法の運用が、あまり保護に傾き過ぎて、かえって最近の少年犯罪増加、それから凶悪犯の増加一つ原因になっている。少くともこれを助長していくんだというようなふうに言って、結局これが少年法の改正の原動力みたいなことになっているわけであります。それから適用年令が十八才に引き下げるのがいいのか、あるいは年長少年犯罪について検察官に先議権を与えるか、こういうような方がかなり出ているようでございます。しかし、この統計上から見ますと、凶悪犯、粗暴犯というのは、増加はしておりますけれども、これが必ずしも少年犯罪が凶悪化していると即断することはできないのじゃないかと思います。実態を見てみますと、とにかく恐喝とか傷害というような粗暴犯の数の増加というのは、これはやはり最近の暴力犯取締り、検挙が非常に強化されたということ、それからパトロールなんかが非常に整備されましてまた、警察官の素質なんかもだいぶ向上しているわけで、いわゆる検挙率が非常に多くなっているのも一つ原因だと思います。それから強姦の増加も、これは非常に従来体面上泣き寝入りになっておったようなものがあったわけでありますが、これがまあ地方の因襲といいますか、警察ざたにしないでおったのが明るみに出るようになったというのが、相当あるようなふうでございます。それから強姦では、成人の場合は親告罪で、告訴がなければどうもこうもできなかったのが、少年の場合には、告訴がなくても審判の対象にされる。特にこの少年の強姦には、大てい多数でやる輪姦が多いのでありまして、この輪姦は親告罪ではなくなったのでございまして、結局これが非常に増加したような形をとってきている。それから強姦といいましても、お祭りなんかで浮かれてルーズになってしまって、その結果、相手のまた女子の方もうかうかとついて行ってそしてそこで大ぜいの少年から輪姦に会うというような、そういうふうな事例もかなりあるようであります。それに似寄ったようなことが非常に多くて必ずしもそうこういう事件がもとに変って多くなったとは言えない状態のように私看取いたします。それから強盗といっても、これはほんの恐喝と紙一重というようなのが多いのでありまして、知り合いの者に対して面と向って、何か貸せ、貸さんと言ったので、貸さんかと言って、そしてそのわずか二、三十円とか、百円ばかりの金を取ったのが、強盗というようなことでよくやってくるわけであります。それから、とにかく現在家庭裁判所にきます統計では、とにかく警察から送致してきたときの罪名を基準にしているわけでございまして、とにかく刑事事件として検察庁から裁判所に送られます場合のように、罪名なんか非常に慎重にしていないわけでございます。それで警察なんかでは、ちょっとしたけんかでも、けがをちょっとしたならば傷害罪、それから暴行したのでも、何かひどい罪名がついてきます。ちょっとしたけんかをして短刀でちょっと刺したという場合でも、殺人未遂というような凶悪的な名前が警察からよくついてくるわけであります。それをそのままずっと最後までいきますと、統計では非常に凶悪的な犯罪が多いということになりまして、地方裁判所にきます成人の場合よりも、よけい凶悪的な印象を非常に持つわけであります。必ずしも統計にはこだわらぬ場合が多いのでございます。  なお、この傷害とか恐喝のような粗暴犯につきましても、これもほんの一時的な単純なけんかとか、それからちょっとした出来心によるたかり、それから偶発的な即行的なものがかなり多く取り扱われているようでございます。必ずしも凶悪とはいえない。それから粗暴犯の中でも、最近不良少年団の連中の一員となった少年が、一緒になっていろいろ集団的な暴力を振うとか、それから何か成人を頭目としたぐれん隊のような不良団体の一員となった少年が、何か尖兵的なそういうふうな役割を演じている、そういうのも目立っております。かような犯罪は、集団的な犯罪として、何か非常に凶悪な感じを世間一般には与えますし、また与えがちでありまして、個々の少年について検討してみますと、必ずしも凶悪とは言えないというようなのが多いのでございます。  特に粗暴化、凶悪犯、性犯罪、これが増加しておるのは、これは大体世界的な趨勢じゃないかと思います。根本的には、やはり経済生活の変化とか、それからたくさんの人に貧困の人が多いとか、あるいは家庭の人たちの無関心とか、住宅難とか、性道徳の非常な変化とか、それから表現の自由によりまするいわゆるマスコミのいろいろな印刷物とか、映画、ラジオ、テレビ、こういうものの不良なもののはんらんしているということ、いろいろその他たくさんあげると幾らもありますが、そういうふうなものの一般化しているのが、直接間接の原因になって、そういうものによることが多いのでございまして、少年もともとそういうふうなことをやる凶悪的なものだとは言えないんだと思います。要するに少年というのは、いわば児童期から青年期への成長過程にある、非常に不安定な過渡期にあるものでございまして、特に年長少年というのは、ちょうど年ごろが、終戦後一番人格形成をしなくちゃならぬ時代が、ちょうど非常な社会の混乱時代で、少年にしましても成人にしましても、いろいろ、不道徳なことがあった時代に大きくなった人たちでありますので、自然とやはりこういう犯罪に陥る危険性が多くなっておるわけでございます。これは御存じの通りであろうと思いますけれども、特に戦後は家庭とか、それから社会を含めて、成人の思想、それから生活態度が非常に混乱に陥っておりまして、まあ順法精神というものがだいぶなくなっている関係もあります。それから先ほど申しますようなマスコミのいわゆる商業主義の宣伝、こういうのが非常に広がっております。結局動揺しやすい青少年を迷わせて、やはりこういうようなことになったのでないかと思います。結局最近の犯罪増加しておるというのは、やはりここに原因があるんだと思います。そういうことでありますので、少年犯罪対策としては、私たちはやはり何よりも、まずこういう社会の風潮を是正する。そして少年に理解を持って、適切な助力と指導を与えていく。これがまず第一じゃないか。具体的にはいろいろありますけれども、時間の関係で略します。  なお、犯罪に陥った場合でも、やはりこれも、一般の人が、少年がそういうふうな影響を受けてきておるということをよく理解して、そしてやはりこれも十分助力指導を与えていく。そういう適切な措置がまず第一じゃないかと思います。こういう関係からいたしまして、家庭裁判所で今やっております保護主義というのは、私たちも非常にこれは合理的なものであるから維持していかなければならぬということを私痛感する次第であります。  ところで、この保護機関でありますいわば家庭裁判所が、どうも組織とか、機構とか、設備におきまして、また事務の運営におきましても、これを裏づけるに足るだけのものがどうも足りないわけなのです。私、当初申しましたように、家庭裁判所が発足当時に家庭裁判所に行ったわけなんでございますけれどももと少年審判所、それから家事審判所的なものに毛の生えたような状態で、職員もわずかでありますし、物的施設といっても、ほんとうのいなかの村役場の事務所みたいな設備でありまして、やっと今、十年たって軌道に乗ってきて、だいぶ現在いいものがございますけれども、事件が多くなった割には、人的、物的な設備というものが非常に少いわけでございますが、一番大事な調査官などが少い。これが非常にガンになっているわけでございます。いろいろな仕事が自然停滞する、あるいは十分にできないということもあります。これはあとにも申しますけれども、これと並んでいわゆる裁判所の出しました決定に基く執行機関が非常に不満足な状態にある。これはよく御存じかもしれませんけれども、そういうのが、いわゆる保護主義の完全に発揮できないということも悩みになっているわけでございます。私はとにかく現行の少年法の改正ということよりも、現行制度の長所というものをフルに発揮できるような体制を一日も早く充実しておく方が、一番目下の急務ではないかと私痛感する次第であります。  そこで、だんだんと時間もありませんが、少年犯が増加したからといいまして、刑事処分の範囲を拡大するということ、こういうふうなことは私考えるべきじゃないのじゃないかと思います。とにかく事件によっては、裁判所の方で、逆送と先ほども言われましたが、来た事件を検察庁の方にまた逆送して、そして検察庁の方で起訴をして、刑事処分をしてもらうことになっているので、その点において十分まかなっていけるのじゃないか。ただ、検察官の意見と、それから裁判所意見というのがだいぶい違いがあるようでございます。検察庁から送ってきます事件で起訴相当というような事件が相当ありますが、そのうちのほとんど大部分といっていいかもしれませんが、やはり逆送しないのがだいぶ多いのでございます。これはなぜかといいますと、裁判所にとにかく調査官がおって、いろいろその素質とか、環境とか、いろいろな事情を詳細に調べるわけでございます。これはあとで申し上げる機会があるかもしれませんけれども、いわゆる家庭裁判所における調査というものは、非常に綿密にやっているわけでございます。これもちょっと触れておきますけれども、いわゆる家庭裁判所における不開始不処分、これは非常に名前が適正でないために、いかにも裁判所が今度のこんな事件は持ってきて何になるかというようなふうなそういう印象を与える言葉でございますが、不開始不処分というのが、やはり相当調査をし、相当な手当をしている上の処分でございまして、決して事件が来たのを、そのままもうこれは審判を開始する必要がない、あるいは審判を開始しても、こんな事件はもう処分する必要はないといって簡単にやっているわけではないのでございまして、相当に手当を経た上のものである。この不開始不処分の実体をよく理解していただきますと、必ずしも検察庁に逆送する事件が少いことについての御不満は解消するのじゃないかと思います。たまにはいろいろありましょう。いずれにしましても地方裁判所の刑事事件にしましても、検察官が有罪であったのを無罪にする場合がありますし、また刑期にしても十年の刑期が二年になって執行猶予になるということもありましていろいろ具体的な場合においてはまた不満の点もありますので、これについてはまたそのことについての何か救済の規定なり、あるいは法律の改正なりされるのはいいでしょうけれども、必ずしも意見が違ったからといって、いかにも裁判所が甘い、野放しにするというようなそんな非難は私は当っていないのじゃないかと思います。この点は今私たちとしましても、不開始不処分という言葉の印象からくるそういうふうな気持を何とかなくする方法はないかどうかと思いまして、いろいろ考えていることもあります。しかしいずれにしましても、この内容はさようなことで決してなおざりにして、不開始不処分にしているのではないということを十分認識していただきたいと思います。  それで、この少年犯罪対策としまして、いわゆる保護処分優先主義について、そうするとどういうことを考慮したらいいかということでございますが、これには私列挙的に申し上げますと、審判の個別化、これには少年係り裁判官の専任制がほしい、これが現在裁判官が少いのと、いろいろな点からしまして、少年係りだけの裁判官というのがないわけであります。刑事事件もやる、また地方裁判所の民事事件もやるというのもあります。現在私の大分の裁判所では、少年係りの専門のは若い人がやっております。実はまだ裁判官になって一年ばかりしかたっていない人が少年係りの専任のなにであります。もう一人の人が少年事件と家事の事件をやっております。私が家事の事件を半分やっております。この方は元検事だったのですが、判事に転換されて、非常に熱心な方でございます。実は私こちらへ出ましてからあと追っかけて書類を、作って送ってきたのですが、それも私加味して申し上げているわけでございます。非常に熱心な方で昨年まで検事だった人が、やはり私と非常に相類似した見解を持って、私はその人の考え方にむしろおんぶしたようなことを申し上げている次第でございまして、少年係りと家事の事件をやっておられますけれども、とにかく少年事件について関心を持ってやっておられる人でございます。長い間検事の人ですけれども、そういうことで私非常にうれしく思って一生懸命やってもらっているわけでございますが、そういうことでありまして、大分の方は幾らか少年係り専任みたような人がおってやっておるものの、一人はそんな若い人でございまして、一人はもうやはり何か兼務的なこともやっているわけでございます。どうも少年係りだけの専任の裁判官が私やっぱりおった方がいいと、どうしても頭が、地方裁判所をやったり、家庭裁判所をやったりしますと、頭の切りかえがなかなかできない。そういうようなことからして、そういうのを私ども確立して参りたい。  それから、先ほど申しましたように、家庭裁判所調査官が非常に不足しておりますが、この増員がなかなかできないような状態でございまして、これは地方へ行きますと、家庭裁判所調査官というのは、本庁だけが甲号支部には少しおりますけれどほかの乙号支部なんかには全然いない。これもやはりぜひそういう方面に置く必要があるということが言われておるわけであります。それから科学調査室とか少年鑑別所、こういうものももう少しいろいろ科学的調査機構を充実してもらいたい。それから処遇の個別化ということが言われますけれども、これは保護処分の種別をもっと多くする。これは今の何では狭いので、これをもう少し広く、これは先ほどの法務省側の方から言われましたので省きます、それから保護処分にしますと、これを取り消しとか変更ができないようになっておりますが、これも時と場合には取り消し変更をできるようにする。それから環境調整をするについて、もっと強く環境の調査ができるような機構にするということ。これは簡単に申し上げます。  それからなお保護観察をした場合に、在宅の場合があるわけでありますが、この在宅の場合にどうも裁判所の決定と執行とが非常に截然と分れすぎておりますために、ほんとうの保護観察のプロベーション的な性格が薄くなっております。元来は裁判所条件を付しておりますが、条件に従わぬときにはいつでも裁判所にもどして決定をなされるという約束のもとに、家庭とか社会に本人を置いて処遇するというふうにしたのが、ほんとうのプロベーションでありますが、どうも現在の保護観察では、本人が条件に従わぬのでも、それは野放しにされているという例が多いのでございまして、どうも在宅の場合の保護観察というものが十分にいきわたっていない。これをもう少し十分に徹底させるということが必要じゃないかと思います。それから専門の保護観察官の増員、保穫観察所に行きますと、ほとんど保護観察官という方々は、仕事が忙がしいために、ほんとうの機能が発揮できとないで、もういわば事務をやっているような保護司との間の連絡機関みたいなことになってしまって、一向ほんとうの仕事ができていないように私思います。どうしても保護観察官の増員というものが、私たち家庭裁判所から見ますと必要じゃないかということを感じます。それから保護司に対しましても、いろいろな人がありまして大人の成人の保護司もやっているし、それから少年保護司もやるというようなことになって、どうも少年専門のやはり保護司というのが必要じゃないか、こういうものを置いてもらいたい。それから裁判所から順守すべき事項として参りました、そういうふうなことの順守事項違反の少年に対する措置をなお一そう考えてもらいたい。それから保護観察のための開放的な家庭的な施設を設置すること、これはイギリスなんかではプロベーション・ホームとかプロベーション・ホステルというような家庭的な施設を設けて、そこに少年を置いて保護観察が行われているそうであります。そういうものをやはり日本でも考えたら、どうかということを考える次第でございます。  それから先ほどからも言っておりますが、いわゆる収容保護の充実、これについてはやはりどうしても少年院の増設と、それからその設備の改善ということが言われるわけでございまして、どうも少年院に行ってみますと、まあ、新しい少年院は幾らかいいようでございますけれども、何分やはり職員が少かったりなんかしまして、非常に苦心しておられるようでございます。こういう点についてなお考慮の余地がありはしないかということを私は考える次第でございます。  それから、これも先ほど法務省側の方が言われたと思いますが、いわゆる非行少年の早期発見の対策、これもやはり考えておくべきことじゃないかと思います。これについてはやはり少年相談の充実強化、それから少年警察の充実強化、それから十六才未満の犯罪少年について警察から家庭裁判所へ直送してもらいたい。それから虞犯少年に対する警察調査とか身柄保護については、やはり何か法的な根拠を持ってもらいたい。これはただ徳義的に保護をしているような関係でありますので、やはりこれにも法的な何か根拠を裏づけしてもらいたい。それから非行少年に対する科学的な調査研究機関の具体的ないろいろな方策をいま少し考えてもらいたい。それから、やはり少年非行原因を徹底的に研究調査してもらう。これは現在法務省でそういうふうな機関、研究所ができているようでございまして、こういうところでなおやっていただくことを私非常に好ましいことだと、かように存じます。それにつきましてやはり窃盗犯とか、粗暴犯とか、性犯罪とか、集団犯罪の実体をよく調査してもらう。それから審判のための裁判予測表、こういうものを作って参考にする。それから科学調査室とか少年鑑別所の充実強化、これは何度も申しましたが、こういうものが必要じゃないか、こういうことを私考えて箇条的に申し上げた次第でございます。  次に私に与えられました第二項目のいわゆる少年法の改正問題、これは現在表面に出ているわけではなさそうでございますけれども、非常にいろいろ新聞等で見ますし、また、いろいろな方面からも耳に入ることがありますので申し上げますが、いわゆる年令の問題でございます。これを大体において、私たちの聞くところによりますと、とにかく少年法年令を十八才に引き下げるというような、そういうことと、それからうしろを二十三才まで引き上げる、こういうふうな二つの考え方があるように承わっております。ところが、どうも十八才に引き下げるということは大体において、まあ、多数説じゃないように私は見受けます。ところが、二十三才に引き上げるというふうになりますと、これもまた今のような施設、人的、物的の施設におきまして二十三才に引き上げるということについては、私はやはり難色がある。やはり二十才でやっている今のところでよくないか。ただ二十三才に引き上げるということが、ただ十八才から二十三才までのものについては、いわゆる保護主義にしないで、これをいわゆる警察主義とか検察官先議主義に改めようとする、そういう意図でありますならば、これまた私非常に賛成しがたいのでございます。そういうふうなことではないと思います。  それからいわゆる先議権の問題、これも現在法務省でそういう主張をしておられるわけではありますまいけれども、そういうふうな話もちょいちょい聞きます。そういうふうな疑問もありますので、御参考に私の考えだけ申し上げておきたいと思います。結論から言いますと、私、先議権もこれはいけないということなんでございますが、とにかく保護主義をとります以上は、保護処分を決定する機関が、やはり保護処分刑事処分かにふるい分けるというのが、これが保護処分であります。保護処分をとりながら検察官に先議権を認めるということになりますと、非常に保護処分というのは有名無実になってしまうんじゃないか。これはまあ外国のいろんな実例も私相当調べてきましたけれども、そのことは省くといたしまして、とにかく検察官の方でも最近少年検察について科学化を唱えられておるようでございます。そして、一部の人にはやはり先議権を有する方が、少年事件を科学的に処理することができるというようなことでありますが、これはまあ検察の科学化というものも私は非常にこれはけっこうなことでありますけれども保護処分の権限を持っておらない検察側において、家庭裁判所同様の科学的調査機構というものを設けられるとしますと、やはり少年とか関係人に対していろいろな徹底的な人格調査というものを行うわけでございます。これは先ほど不開始不処分の関係で申しましたように、いろんな点を調査するわけなんでございます。これは、そういうことが果して検察庁の機構においてやられるのがいいのかどうか。一面から言いますと、人権保障の点から見て一つの問題が出はしないかということも憂えられるわけであります。しかも、少年保護機構というものを非常に何か複雑化したようなことになりましていわゆる保護の一貫性というものが欠けてくる、やはり適当でないというようなことを私考えておる次第でございまして、家庭裁判所としましては、やはり検察官が非常に少年事件に関心を払われてきたことに対して私非常に感謝するわけでございますけれども、それがゆえに家庭裁判所のやったようなことをなさることになった場合口のことを考えますと、そこにいろいろ考えるべき点が出てくるんじゃないかということを考えるわけでございまして、この点一考を要するんじゃないかと思います。  それから、検察官の少年審判手続に関与する制度を設けてはどうかというふうなこともあります。これは先ほど岐阜の検事正の方が言われましたように、何も権利とかなんとか、そういうふうなかた苦しいものでなくてもいいというふうなことを言われましたが、これについてああいうふうな考え方でございますなら、私もちろん賛同してもいいんじゃないかと思います。しかし、岐阜の検事正の言われるようなことばかりでもないようなことを言う人がやはりかなりあるのでございまして、このことについては、やはり私も一言申し上げておきたいと思います。というのは、少年事件について保護処分をとります以上は、検察官に先議権を認めてはいかぬということは今まで申しましたが、他方、この検察官が治安の維持の責任者として公益を代表する地位にあることは、これは無視できないわけでございます。それでありまして、検察官をどの程度まで審判手続に関与させたらいいのか、これは非常に問題であります。大体が少年審判の形が先ほども言われましたように、裁判かどうかえたいの知れぬものだというふうな、そういうふうなことが言われます。とにかく少年審判というのが密行主義で、とにかく非形式的なもので、また非刑事性、非対立性と、こういうふうに、すべて普通の刑事裁判とは違った形を強調しているわけでございまして、結局検察官は事件を裁判所に送ってしまったら、あとはもうお手上げというようなことになっているようなこういう形は、検察側といたしましては、なるほど何とか裁判所に対してのある何かがなければいかぬと思われるのは、これは無理からぬことだと思います。それは、私が検察庁の側に立っても、そういうことは考える次第でございまして、この点については、何らかやはり検討する必要があることは、私も認めねばならぬだろうと思います。  まあ、とにかく、そういうふうなことでございまして、いろいろ検討すべき点はありますけれども、いずれにしましても、家庭裁判所保護主義をとっている現在の根本に触れることの改正には、これはよほど慎重に考えていただかぬと、かえって角をためて牛を殺すというような、そういうふうな結果を必ず来たすのじゃないかと思いましてその点、今後、立法上の問題が起りました場合には、十分の御検討をお願い申し上げて、私の陳述を終ることにいたします。
  42. 大川光三

    委員長大川光三君) ありがとうございました。   ―――――――――――――
  43. 大川光三

    委員長大川光三君) それでは、次に、有明高原寮長、栗山誠司氏にお願いをいたします。
  44. 栗山誠司

    参考人(栗山誠司君) 海抜七百メーターの信州の山奥にあります有明高原の寮長でございますが、山の中からお呼び出しをいただきまして、この席へはべることができまして、この熱意ある法務委員長会の御厚情に対して、心から感謝いたすとともに、敬意を表す次第でございます。どうか、こういう調査を気長く継続的に御審査下すって、よりよい対策を講じていただくことを、少年院の代表としてお願いする次第であります。  先ほどから大家のお説がございまして重複するところは割愛いたしまして、私の意見をさしていただきますが、何しろ山奥におりますので、系統立った話ではなくて、子供の心に、あるいは皮膚に触れた感じから申し上げる次第でありますので、言葉の足らない点、あるいは行き過ぎた点はごかんべん願って御批判をお願いしたいと思います。  まず第一に、「少年犯罪に対する一般問題」、(イ)の問題でございますが、これは一口にいいますと、成人社会の被害者として少年があるんだ、成人社会が腐敗し、あるいは希望を失ったときには、そこに少年もまたそういう形に出てくるんだ。だから、成人社会の責任として、国家の責任としてこの犯罪少年を救わなければならないと、こういう観点から、われわれ成人の社会の者は、何か一つでもいいから反省し、それを自粛して、国民運動として取り上げて、これの達成に努めるならば、おのずと少年は、こういう粗暴化することが少くなってくるのではないか、こんなように感ずるのであります。  なお、少年期のエネルギーに満ちた精力の発散の場所として健全な吐け口がない。これが勢いいろんな刺激を求めてだんだん粗暴化していくのではないか。また、学校教育においても、戦前でありますと、それぞれ職業教育、高等学校級でそれぞれ社会的な位置づけがあった。しかし、現在は、すべて大学の予備校化して、能力のない者はやはり途中で脱落して、誘惑に落ち、享楽に走るというような状態になってくるので、学校制度においても、高等学校において職業課程を踏む高等学校の増設がこのような犯罪を防止する一つの道ではないかと、こんなことを、まあ少年にじかに当って感じたことであります。そのほかは、大体小川先生の御意見に賛成であります。  (ロ)の「対少年犯罪対策として保護処分優先主義」については、これは現行制度をもう少し徹底してやらなければいけないのではないかと、今、十年たったところで、とやかく制度を変更するということには賛成ではありません。先ほどの小川先生のお説の一部を排して賛同いたします。ただ、ここで特にお願いしたいことは、家庭裁判所少年担当の専任判事を設けていただきたいと思います。とかく少年が、家庭裁判所においても、付属的な感じをもって、しばらく少年係りをおやりになると、すぐ民事、刑事の方におかわりになって、いつもおかわりになっている。こういうようなことでは、少年の問題の解決にはならないのではないかと、こんなことをまあ感ずる次第です。  (ハ)の非行少年の早期発見についてでありますが、少年非行は、大体小学校の後期、中学時代に芽ばえるのが多いのでありまして、仮称少年精神身体健康審査制というようなものを設けて、小学校を終了するときに、義務づけて健康の審査をすると、そうしてその中で精薄の少年、これをやはり早く発見する、それから非行少年になりそうな問題少年の発見をする、そういうふうにしてそれぞれの手当を加えるならば、これはもっともっと早期に手当が行われるのではないか。現在施設に入って参ります精薄の少年にとりますと、中学校へ行くこと自体が苦痛である。ひらがなしかわからない子供が、中学で代数とか幾何とか、あるいは物理、化学をやったところで、これは何にもならない。ただ学校に弁当を持って通っているというにすぎないのであって、そうして義務教育の修了でございますと、卒業証書をもらっても、これは結局少年社会で就職その他で困って脱落していく状態であります。  次に、非行少年に対する科学的調査研究機関の充実の問題でありますが、現在法務総合研究所が発足されたばかりでありますが、このうちの第二部の少年部門、これを調査研究費大幅に出して、そして人員も各大学の教授その他の御助力を仰いで、早くこの仕事に着手していただきたいと、こういうように考えます。なお、青少年対策協議会に対しても、近ごろ何か健全育成というようなきれい事に偏する傾向が見受けられるのでありますが、どうか、科学警察研究所とか、あるいは法務総合研究所、文部省、厚生省、裁判所等より少年関係の専門家を結集して真剣に犯罪少年の問題に取り組んでいただきたいことをお願いいたしまする  第二の、少年法改正に関する問題の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、これは担当ではございませんので、省きます。ただ(ホ)について、「執行猶予になった犯罪少年に対して、現行保護観察よりも暗い新たな保護処分を創設することの可否」について、これは少年院送致処分を受けた少年よりもさらに強い要保護性を持った者が執行猶予社会に放任されることは、これは社会防衛上、あるいは本人の更生上問題があると思われるので、仮称少年補導院、たとえば今の婦人補導院といったような形で何らかの収容の措置をとられることが必要ではないか。さらに、少年院に送致された少年及びその父兄からも不満の声があって、少年院における教育に乗ってこない、そういう点が見受けられます。  第三の、非行少年矯正、補導に関する問題でございますが、私少年院あるいは少年鑑別所関係のことしか携わっていないので、児童福祉関係は省略いたしますが、少年院においては、先ほど小川先生が述べられた通り、まず第一に、職員の増員が先決であると思います。その職員も、優秀な職員を広範囲に採用するという道を開くことであります。これには、職員の宿舎の整備が必要であると思います。いかに優秀な人であっても、山里あるいはその他僻遠の地に精舎もないところに就職するような人はだれもおりません。従って、勢い地元の職員が多くなる可能性があります。このような形を打破しない限り、少年院の前進はできないと、こういうように考えます。さらに、今後新設を予定される少年院がありとすれば、これは交通の便のよい立地条件を考慮されて設立されることを希望いたします。なお、既設の少年院については、宿舎のほかに、市等の配車をして、そこに住む職員及び家族の厚生福祉をはかっていただきたいと思います。その他待遇上の問題も、一般教育職以上の待遇をもってすれば、教育に熱心な方々は喜んでこの難事業に携わられるではないかと思います。現存の給与法では、教育職員からの道は封ぜられておる状態であります。  それから施設の内容といたしましては、僻遠の地、あるいは積雪の地その他にございますので、雨天体操場を必ず作っていただいて少年の体位休仁の向上を、冬期間においても、雨天の日もできるように、はかっていただきたいと思います。  そのほか、職業訓練法に基いて、今度技術者の国家試験を受ける資格が与えられることになるそうでありますが、この形になるためには、現在の職業訓練をする設備の充実を、それからその指導者について県の職業訓練所から協力していただけるとか、そういうような道を講じて、ただ法の上だけではなくて時宜にかなった施策をはかっていただきたいと、こういうように考えます。  次に、少年院の現行の種別、中等少年院、あるいは特少というような、そういう種別を全廃いたしまして、もっと科学的な分類、収容の細分化をはかって、これに少年を分類して入れる。そのためには、少年院をもう少し細分化して、大きな少年院の中に混合収容するようなことのないようにいたしたならば、もっと実績が上がるのではないか、こういうように考えます。  さらに、これは非常に私見でございますが、昔あったような保護団体ではなくてけっこうですが、私立の少年院グループ・セラピーというようなものを主眼とした少年院、あるいは宗教を一つの、よりどころとするような、そういう国家ではあるいはできないような私立の少年院、あるいはモデル少年院といったものの設立も考えてよいのではないかと、こういうように考えます。  次に、少年鑑別所でありますが、少年鑑別所は、これは現在心理あるいは精神医学のスタッフを集めておる日本でも指折りの一つの鑑別機能を持った技術官庁でありますが、これに家庭裁判所少年関係調査官を加えて、新たに少年調査鑑別所というようなものを設置されて、そこでそれぞれの科学者が独自の見解で独立して、科学的専門的知識と技術を、盛り込んだ審判の資料を提出したならば、現在のように離れ離れになっているために、少年の全体のプロフィルが明確にならないというような弊が防げるのではないかと思います。さらに力があるならば、少年交通違反事件等全少年事件について必ず少年調査鑑別所を通すというような形にするならば、種々の対策に非常に便利ではないかとこういうように考えます。  次に、収容少年の処遇特に保健衛生、厚生、栄養補給の実情とその改善についてでありますが、これは立地条件関係で専任の、医師のないところもありますので、そういうところには、ぜひ非常勤の制度でもけっこうですから必ず医師を配置していただきたい。  それから職業補導賞与金の額を上げて少年の自己の選択によって購売等から日用品を購入するような経済行為を行い、私生活の訓練を少年院でやれたならば、厚生とともに少年教育に資するところがあるのではないか、こういうように考えます。  次に、栄養補給の点についてでありますが、これはお手元にあるいは非常に少い部数で恐縮でございますが、この資料の法務省の少年院食料給与規程による基準量カロリー中労作で二七八〇カロリーでございます。そのうち主食が二四〇〇カロリー、米麦合せて七〇二グラム、五合九勺近く主食で取ることになります。これは一般家庭と違って非常に多い主食でありますので、胃拡張その他の弊も考えられますので、カロリーをつとめて副食で取れるように御配慮願いたい。それから全蛋白は大体基準に達しておりますが、その中で占める動物蛋白の量が非常に少くて、これも予算の関係で栄養士がいても、これを補給することのできない実情でありますので、これも御配慮、願いたいと思います。なお、今年の科学技術庁から出た日本人のカロリー及び蛋白所要量という表の中には、中等労作については三二〇〇カロリーを要するというように表が出ております。その量からすれば、まだ相当量足らないのではないか。これは少年院において農耕作業もやりますし、それからクラブ活動その他でバレー・ボール、バスケット・ボールも野球もその他運動競技もやりますので、そういうことを事実エネルギーの代謝率を勘案の上で、それを支給できるような弾力性のある栄養補給の規定を設けていただきたいと思います。これはむろん予算の伴うものでありますが、これについて特段の御配慮をわずらわしたいと思います。  次に、間食でございますが、これは少年院においては祝日と祭日のほか出すことは規定されておりませんが、少年の多くは土曜、日曜になって手紙を書いたり、あるいは理髪をしたりしているうちに、家庭におけるいろいろな間食例を思い起して施設を飛び出すというような原因にもなっておりますので、週一回程度は必ず間食が得られるように御配意願いたいと思います。それによって寮内の雰囲気が家庭化して、非常に安定した教育活動に応ぜられるようになるのではないかと思います。  その次に、施設内における矯正教育の実態とその効果についてでありますが、この施設内における活動の第一は、生活指導でございます。これは、全二十四時間の教育がすべて生活指導という形にもとられるわけでありますが、特にやはり夜間の指導ということが大切であると思いますが、宿舎等の関係、あるいは職員の不足の関係から、これが十分に行き届かない。これについてもぜひ職員の増加お願いしたいと思います。  それから教科教育でありますが、これは少年院の終了証書、証明書がそのままそれに対応する学校の卒業証書と同じ効力を持つということに規定されておりますが、少年院を卒業したということがいつも履歴に書かなければならないというような形になりますので、その籍のあった在籍校に依頼して出していただいておりますが、委員会によってはこれを拒否するところもありますので、これが少年の更生のために全面的にそういうことに協力を願えるようにおはかりを願いたいと思います。  それから職業教育については、先ほど触れた通り職業訓練法に基くような設備の御配意をわずらわしたいと思います。  それから体育レクリエーション活動でありますが、これは余暇の善用とからみ合せて、少年の精力の消化とそれから体位の向上、こういうこと、あるいは自信力をつけるという意味からもさらに活発にしたいと思いますが、これにもやはり基本的な訓練から始めて漸次ハード・トレーニングまで行わなければほんとうの効果は上がらないと思います。そういう意味でそういう指導者に対して謝金の増額をお願いしたいと思います。  なお、少年院は単にこの社会から隔離するような形だけではなくて、入った少年が静かに今までのことを考え、さらに人生の意義を考えて新しく再出発するいわばやはり社会へ入る予備校といいますか、あるいはそういった色彩とも考えられますので、そこには特殊、面接員あるいは宗教教誨師、そういう方々の御助力を得て、できるだけ人生観の確立をさせたいと、こういうように思いますので、この方々に自由に来ていただけるような形になるためには、せめて車馬賃の増額をしていただきたい、こういうように考えます。  こういうような教育をやった効果についてでありますが、これはまだ科学的にまあ、決定されたものは出ておりません。これは入院の初期群と退院の直前群の抽出対象の対比で、効果の測定を試みるのが一番正しいのではないかと思います。単に、帰ってから再犯がどうであったとか、あるいはどれくらいの更生率があったかというようなことは、これは受け入れの問題とか、その他諸種の条件で、どれだけの変化が少年院で行われたかということの証明にはならないのであります。従って現在そういうことを試みておりますが、まだ結論が出ておりません。いずれ結論が出た折には、また御報告をさしていただきたいと思います。  それから退院、仮退院の際における収容少年社会復帰再犯防止についてでございますが、これは観察所の少年部を充実強化していただいて、少年観察官あるいは少年専門の保護司を十分厳選していただいて、在院期間中にすでに面接をされ、リレータッチを十分にしていただいて御指導願えれば、まだまだ、更生率が上るのではないか。観察所へ行って初めて見るような顔の人にいろいろ相談するということもなかなかむずかしいのではないか、こういうように思います。  それから保護観察所活動の強化充実について少年院側から申しますと、これは支部を設けていただいて、少年観察官の数をふやしていただきたい。それから先ほど申し述べたように、少年関係保護司のケース・ワーカーとしての素質のある人選と、研修を実施していただきたい。  それから第四の問題は、もう時間がございませんので簡単に端折っていきますと、第一の「社会環境特に新聞雑誌等出版物、ラジオ、テレビ、映画、演劇等マスコミと少年犯罪との関連性」でございますが、これは種々説があるようでございますが、非常に関連が人ではないか、こういうふうに思うのであります。科学的に実証せよと言われると非常にむずかしいのでありますが、これは大阪の教育委員会で取り上げたと思いますが、映画をおとなと高校生と中学生に見せて、それを精神電流計でいろいろ興奮状態だとか、刺激の状態を測定したデータがありますが、これもやはり高校、中学生になりますと、映画館から出たあともなおその興奮状態が消えていない。だから映画館を出てすぐにそれと同じような行為が行われるのではないかと、こういうように考えます。それから東大の脳生理学の実験におきましても、脳の皮質に及ぼす影響というようなことについても、まだ確定しない頭脳に対して強力な刺激を与えた場合には、そういうものが無反応で修正することなく反応してくる。そのために少年犯罪というものがおとなも驚愕するような問題を起すのではないかというようなことを発表されておりますが、それも同感でございます。私のところに入った少年、これはずさんな調査でございますが、お手元にございますような、マスコミの影響を受けたいろいろな条件はあるわけですが、それが重なってこういう結果になったというものが約四〇%、三七%くらいを占めているはずでございます。こういうことを考えましても(ロ)の問題で何らかの特別立法措置を講じていただければ幸いだと思います。戦前の官僚統制というような弊もあるかもしれませんが、それにはもう民主主義の社会でございますので、学識経験者をもって構成されたそういうところで御審議下されば、非常にけっこうではないかと思います。  それから「家庭環境少年犯舞との関連性」でありますが、これは問題を述べるまでもなく、非常に大きな関係があって、すべてが家庭環境から出ているというように言っても過言ではないと思います。どうか社会政策的にこれを取り上げていただいて啓蒙運動を展開していただきたいと思います。  それから「学校教育少年犯罪対策」についてでございますが、これは先ほどちょっと触れたのでございますが、現在の中学校、高等学校の生徒の言葉では、学校でほんとうの相談相手に乗ってくれる先生が非常に少い。これがわれわれを不安と動揺に陥れるということを率直に言っております。どうか進学率の高いことだけを念頭としないで、そういう迷える少年に対して、ほんとうに人生の相談相手になっていただくように御指導を願いたいと思います。  「盛り場等不良環境の浄化について」は、これはこの盛り場における何々組、あるいは何々という徒党、そういうものが少年に対して害を加え、それがやがてその組の中に入って一人の犯罪者に成長していくのでありまして、こういう組織については、再三検察のメスを入れていただいて、そういうものが発生する余地のないほど一つ手入れを願いたい、こういうように思います。  大へん時間を超過したようでございますが端折って申し上げました。
  45. 大川光三

    委員長大川光三君) ありがとうございました。   ―――――――――――――
  46. 大川光三

    委員長大川光三君) 以上をもって参考人の方たからの御意見陳述は終了いたしました。これより質疑に入りたいと存じます。参考人に対し御質疑の方は順次御発言を願います。
  47. 赤松常子

    ○赤松常子君 ちょっと小川先生にお尋ねしたいのでございますけれども、今いただきましたこのあなたの御提出の一ページの裏でございますけれども、(ロ)のb項でございます。この「保護処分の審判についても、公益代表者としての検察官を何らかの方法で参与させ」これは具体的に申しますとどういうふうになるわけでございましょうか。
  48. 小川太郎

    参考人(小川太郎君) 私まだ具体的な法律の規定をどうするかというようなことは考えておりませんけれども、つまり保護主義と申しましても、保護主義には限度があるわけであります。十六才とか十七才というところまでは、いわゆる国が親としての考えというもので律して、悪い子を悪いということでなくて社会福祉的に考える。しかし、それ以上のものについては、ある程度責任というようなものを追及しなければならぬのじゃないか。それは保護主義、いわゆる刑罰主義ではないですが、防衛七義と申しますか、今何か争われておる点で非常に私どもがけげんにたえないのは、保護主義と刑罰主義との争いのように考えられておりますが、いわゆる保護主義と防衛主義というものは同じものじゃないか。そうすると二十才以下の年歯でも、ある程度ニュアンスを異にしまして、十七才以上についてはある程度の責任追及というようなものが必要なのではないか。まあこれは、普通の成人ではないけれども、たとえばイギリスなどではコンビクションというもの、有罪決定とは申しておりませんけれども、そういう程度のものがあるのであります。犯罪少年については、犯罪をしたのだか何だかわからぬ、ただ悪いからやったというのじゃなくて、事実その行為の内容が社会の法律に触れたのか触れないのかということをはっきりさせる必要がある。そういう意味では検事の参加し得る道があるのじゃないか。むろんそれを大がかりにやる必要はないわけでございますが、少くとも検事の意見ですね、社会を代表していろいろ社会の子供の悪さに困っている場面を代表して、いろいろ家庭裁判所と協議をして、納得した線が出るように、この点私非常にこのごろいい傾向だと思っておりますのは、検察庁少年調査表という調査表をこしらえることになって、研究のためでもありましょうし、いろいろなためでありましょうが、その表をこしらえますると、勢い関心が深くなって参ります。そうしてそれで少年について今までの犯罪捜査という点だけじゃなく、いろいろな社会的な背景とか人格というような点にも多少の、家庭裁判所でおやりになるほどのものではないにせよ、多少意見が出るように調査がなされるわけです。そうしますとそれができました結果、今までは単に家庭裁判所のやり方には、甘いとか辛いとかいうようなそういう感想だけであったのが、具体的なケースについて関心が払われるものですから、非常にそのことを契機にいたしまして、家庭裁判所検察庁との何と申しますか対立というようなものが解消されて、むしろ少年本位に考える。むろん何かこれは甘過ぎるなと思うときは、ケース、ケースについて連絡をされるというような点が出てきたということを聞いておるわけですが、そういうような意味で、審判の具体的な場面に立ち会うかどうかというようなことは別にいたしましても、事前にある程度非常に形式的でも協議をするというような場面があることが望ましいと、こういう意味でございました。
  49. 赤松常子

    ○赤松常子君 もちろん、こういう場合にあれでございますね、各参考人もおっしゃったように、特にこの少年問題に詳しいといいましょうか、少年係りの特定の方をはっきりきめて、先ほどからいろいろと伺っておりますと、ほんとうにこの少年問題と取っ組んでいらっしゃる方が、期間的にも短いように伺いまして、結局経験も薄いし、腰かけ的なやり方で終っているようにさっきからのお話では拝聴いたしまして、ほんとうにこういう点の改革と、うことが重要だとしみじみ教えられましたのですが、今のこの検察官も、もちろんそういう性格を持った人でなければいけないということですね。
  50. 小川太郎

    参考人(小川太郎君) 少年係り検察官というものを、私は先ほど検察官についても申し上げたのですが、やはり普通の検察官の場合とは全く異なった教養を要する。少年検察官の場合にはやはり異なった教養というものが基礎になると思います。ですから少年係り検察官というものはやはり特定せらるべきだというふうに考えます。
  51. 赤松常子

    ○赤松常子君 そういうふうに解釈いたしました。  それで今あなた様のところは、総合研究をなさっていらっしゃますが、皆様方の御要望では、今申しましたような問題も非常に含まれていると思うのでございまして、特にこの少年問題にたんのうな人が養成されてほしい。で、今どういうふうに養成されているのでございましょうか。特別にそういう係官の養成機関というものはどうなっているのでございますか。また将来どういうようにお考えでいらっしやいましようか。
  52. 小川太郎

    参考人(小川太郎君) 私の聞いた点だけで御了承願いたいと思いますが、実は法務省の研究所というのは研究部と研修部と二つに分れまして私は研究の方に所属しておりますので、研修の方にはつまりタッチしておらないわけですけれども、聞いたところを申し上げますと、来年度などはそういう専門家を養成する、少年について適切な教養があるような、そういう先ほども申した点などを申しますとケース・ワーカーとか、カウンセラ―、とか、そういうような少年処遇をする上に根本的な仮説になっているものがあるわけでありますが、その仮設を認めた、そしてその仮説の上に築き上げられたその技術をわきまえるようなそういう教養をやる予算を組んでいるようでございます。それから現在ではたとえば少年院などにつきましては、中央矯正研修所というようなところで若干やっております。これは非常に若干なんでございます。この点について申し上げたいと思うのですが、先ほども申し上げられなかった点で非常に申し残して心惜しい感じのしますのは、いろいろな少年についての問題というものは、非常にかけ、声では大きいのでありますけれども、各官庁として少年を専管する、ほんとうに毎日々々少年のことを考えているというお役所はないのであります。家庭裁判所だけであります。あるいは最高裁の家庭局だけなのでありまして、警視庁にもその専門部というものはない。法務省にも全くないのであります。まあ各省、厚生省などは児童局がございますが、少年犯罪という問題につきましては、警察庁にも検察庁にも、あるいは法務省にもそういう部分がないのでございますね。ですからそういう点もおくれがちになるのではないかと思いますが、その点やはり御考慮をお願いしたいと思いますし、また、専門的な教習をやるという熱意はあるようでございまするから、その点につきましてはぜひ御考慮を願いたいと思います。
  53. 赤松常子

    ○赤松常子君 次に、平出先生にちょっと。先ほどの御意見通り保護処分をした人がその末の末まで行く経過まで、あるいは結論まで、あるいはその成果まで突きとめるということは、私は当然だと思うのでございますが、今結局それがなされていないという反論になるわけですね。そうすると、今ではそれがなされていないから、ただ区切り区切りの責任さえ果して次に回すという程度でございますが、今あなたのおっしゃるようなほんとうに一人の人が最後まで見届けるということになれば、具体的にはあなた様のお考えでいいのですけれども、どういう機構改革といいましようか、どういう制度にすればいいでしょうか。
  54. 平出禾

    参考人(平出禾君) 一般論を申し上げますと、制度は要するにその中に働いている人たちが熱意を発揮できるように、そういうものでなければならないと思うので、もし働いておる人たちが熱意が冷まされるような制度だったら、それは制度の方が悪いのじゃないか、こう思いますので、精神主義のようなことを申し上げますけれども、やはりみんなが、その気持になって働くようでなければなりませんので、制度がそれを妨げない限りは、私はあまり制度のことをとやかく申す気持はないのであります。ただ、家庭裁判所が決定をやっておいでになる。そのためにどうしても裁判所的な性格とか、あるいは裁判的な考え方が私が考えますのにじやまをいたしまして、どうしても生みっぱなしになるようなことになりがちだと思うのです。裁判所がおやりになることは、私は裁判所が行政事務をやっちゃいかぬというわけではありませんが、しかし、もし裁判所がおやりになっても、行政事務は行政事務なんで裁判事務ではないというふうにはっきりお考えになって、自分の下された決定について先々まで見通す、報告も決定をされた裁判官の手元へ来る。直接御自分でごらんになる必要はないでしょうけれども、だれがどういうふうに見ているのだということが、もう逐一決定された裁判官の手元にきて、それに基いてみながあれはよかった、これは失敗だ、これからよくやろう、これは直そうというような形になればよろしいと思うのです。それが家庭裁判所にあるためにできないということになるならば、私は裁判所から切り離して法務省の所管にして、そうして保護の実施機関と決定機関とが一つになつた方がい、その方が今家庭裁判所がやっておいでになるよりも、その一貫性について効果が上がるだろうとこう考えております。
  55. 赤松常子

    ○赤松常子君 今むしろ制度が分断しておるという見方ですね。
  56. 平出禾

    参考人(平出禾君) 制度が分断しているために、効果が上がりにくくなっているのじゃないかという私の考えであります。
  57. 高田なほ子

    高田なほ子君 大へんけっこうな御意見をそれぞれ拝聴させていただいてありがとうございます。私、平出先生、それから白石先生、それか栗山先生のお三方からそれぞれの御意見をお伺いしたいと思うのです。時間もおそくなりますから、まず質問点を要約してずっと初めお三方に対してそれぞれ御質問申し上げたいと思うのです。ただ非常に残念なことは、小川先生がいいデータを持って来て下さったのですが、このデータの御説明がないので、非常に残念なので、あとで委員長のお許しをいただいて時間が許されれば、このデータの説明をあとでしていただきたいのです。この説明をしていただかないと、ちょっと質問のしょうがないので、これはあとに回していただきます。  まず、平出先生にお尋ねしたいのですが、御意見の中に保護処分優先について御意見があったのですが、御意見の趣旨は、保護処分を優先にするということについては何ら私異存がない。しかし、今日の手続上はなはだ手ぎわよくない面もあるからというので、次のような意見を述べられておるわけです。つまり、今までのような保護処分をやるとすれば、まず十八才が限度だろう、今日の保護処分の仕方では、必ずしも二十才という線でなく十八才の方が限度じゃないかというような御意見一つと、もう一つは、手続上の簡素化をはかるために、やはり検察の方に先議権をある程度持たせることが妥当ではないか、こういうような御意見であったと拝聴するわけです。その御意見に対して私は次のような御質問を申し上げるわけです。この御意見は決して私は不当な御意見だとは考えておりません。しかし、少子犯罪事件について検察官に先議権を認めるという場合に、該当少年の身体的な条件、あるいは精神的な条件家庭環境、それから社会環境、こういうものが事前に十分に調査されて、その調査の結果起訴自体というものが適正にきめられるものでなければならないはずです。ところが、検察官というのは、いわゆる犯罪の捜査、あるいはまた公訴されているものを維持するということのために全力を注いでいられて、今私が申し上げるような少年事犯についての詳細な事前調査ということは、現在の状態ではきわめて困難ではないだろうかということが一つ。もう一つは、家庭環境精神状態、そういうものの事前調査をするということになってくると、これは相当にやはり検察官の立ち入りが一般個人や一つ家庭とか知人の間にまで介入するということになってくると、ここに若干人権じゅうりんという傾向がなきにしもあらず、こういう傾向のきたることを、私どもはおそれないわけにはいかない。従ってこの検察官の先議権については、私の疑問にこたえる御答弁をわずらわしていただきたいことが一つ。  第二点の質問は、保護処分をした際に、これはやっぱり末まで見届けるような保護処分がされなければならない。このような御意見の開陳があったと思うのです。しかし、どうも今日の保護処分の中には、おっしゃるごとく末まで見届けるというような状態には私はないと思う。とするならば、末まで見届ける保護処分というものを具体的にやるためには、どういう一体方策が必要なのか、その具体的な方策を承わりたい、これが平出さんに対する御質問です。
  58. 平出禾

    参考人(平出禾君) お答え申し上げます。先議権の問題と申しますのは、各方、面から検討を要することであることは間違いないと存じます。ただ、御理解願いたいのは、検察官にはただいまも起訴猶予の制度が認められておりまして、起訴をするか、あるいは起訴を猶予するのが相当と認められるときには、起訴をしないで済ます処分が認められております。これを成人については現にやっておるわけです。そのためにはやはり成人の身辺と申しますか、家庭環境その他性格の点も及ばずながらやってきておるわけなんです。それを少年にまで及ぼす場合に、検察官の権限でこれは起訴しないでいいというところまではやらせていただいて、それから先のどういう保護をしたらいいかということを保護機関の方にお渡しするということでやってはいかがかというのが、まず先議権というものの考え方だと存じます。そして私が考えますのは、そういう建前、先ほど私は特に手続の点で申し上げましたが、その点は割合に皆さん御関心をお持ちでないと存じましたので、特に申し上げたようなことで、そういう点もお考えになって、そしていわゆる先議権の問題をお考え下さる一つの御参考にしていただきたいと、こういう趣旨のものでございますが、もしそういうルートで処理されるということになりますならば、現在のような検察官のやり方でいいということにはならないと存じます。これには先ほどからお話しに出ております調査機関というものが、十分に実態に即した研究をして、検察官のところにおいてはどういうことをどういう程度にやるべきである、それから保護の方にいったらどういうふうにやるべきであるというデータを出していただいてそれは検察官の関与すると申しますか、知恵を合せてそういうことをやった上で、その決定を尊重しながらやっていく、そうして保護との間も、いわゆる縄張りとかセクショナリズムということを言わないで、お互いに反省しながらやっていく、私はそういうことの方が肝心だと思っております。  それから末の末まで見届けるという問題を申し上げましたが、それは簡単に申しますれば、たとえば保護少年保護観察をいたしますと、保護観察のリポートというものができるでありましょう。そのリポートも工夫いたしまして、どれだけの調査が必要であるかということが、やはり調査研究の機関において研究されて、それに従ってリポートができる。そのリポートは順を経て少くともこの決定をした裁判官のところに参りまして、それが皆のやはり検討の対象になって、それに従ってこれは成功した、これは失敗したというようなことが常々に繰り返されて、対策がそのときに応じた、ちょうど医者で申しますと、いろいろ注射をしたり薬を盛り直したりするようなことのできるように、そういうようなやり方が望ましいということを考えておるのであります。
  59. 高田なほ子

    高田なほ子君 平出さん、まだ私疑問が残るのですが、なるほど保護処分優先もいいが、手続を簡素化すべきだということは、実は午前中の参考人の方からも伺ったわけです。それで警察から検察に行き、そしてそこで二人なり三人に調べられて、そこからまた家裁に行く。まかり間違えば地検に回されてそこでまた今度判事の方に行ったりする。それから少年鑑別所の方に行くというふうにぐるぐる回って、はなはだしきに至っては、十六人の人に同じことを繰り返して聞かれる。こういうような手順というものについては必ずしも妥当ではないというお話があったわけです。だからといって少年犯罪事件を検察官に先議権を渡すということになると、これは私は社会防衛の面から機能を果される検察事務、指導防衛の立場から仕事をなさる保護処分の本質的な問題に食い違いが起ってくるので、これは相当やはり慎重にお互いに研究さしていただかなければならない問題であろうと思うのですが、やはりこの青少年問題は、社会防衛というような観点と指導防衛というような観点と非常に似ている。先ほど参考人の小川さんが同じことだと言われておりますけれども、どうも私、イコールにはならないような気がする。やはり本質的に違いはある。これは一つ指導防衛という面から検察官に先議権を渡すことについての可否については、もっと納得いけるようなお話を承わりたい。私は専門家ではないものですからどうもよくわからないのですがね。
  60. 平出禾

    参考人(平出禾君) その問題になりますと、年令を限定いたしまして、十八才くらいのところを境にして、そして十八才以上の先議権というものは具体的な方策として考えられてくるわけでございますが、これとてもほんとうの科学的なデータというものをもっと整備した上でなければ、お互いに率直な話、見当で申し上げているだけでございますので、果してまたこれも犯罪の種類によりましてそれは相当のでこぼこが来るのも当然でしょうし、知能指数などの問題になりますと、生理年令だけでいいとも言えません。いろいろのことをほんとうに科学的なデータをそろえてかかるべきだと思います。その間に相当の失敗はあるだろうと思いますけれども、そういう点は後の教訓ということで、みんなが失敗をただ失敗に終らせずに前進するという方向に気持を合せることが、私はまあ組織の問題もさることながら、そういうことが大事だというふうに私は平素から考えております。
  61. 高田なほ子

    高田なほ子君 ありがとうございました。やはりどうもこの二十才というところから上は検察先議権を持たせるということについても、これはなかなか即断できないような問題であるように拝承するわけです。  それでその次に白石さんから御意見を承わりたいのですが、大体要約して六点ばかり伺いたいんですが、第一問は、この少年審判によって家裁の判事さんがオール・マイティの存在を持つのだと、午前中そういう御意見神崎さんからあったわけです。従ってやはりそういう少年審判にも国定のつき添人というのが必要なのではないかと、こういうような御意見があったんです。私は神崎さんの御意見に対して、非常に賛意を実は表しているわけなんです。まあ、白石さんの御意見をずっと伺ってみると、少年に対してお父さんのような立場での御意見なので、大へん私はありがたく実は拝聴しておるので、神崎さんの今申し上げたような御意見について、どういうふうにお考えになっているか、これが一つです。  第二点は、少年事犯を専門におやりになる判事さんが数が少いとか、あるいは永続しないというようなお話が出ておるわけなんです。どういうわけでこのような大切な部面をお預りになる判事さんが永続きなさらないのか、何かそこには理由があるはずだと思うのです。できるならば、少年専任の判事さんが永続をせられて、ほんとうのエキスパートになって、少年の父となり、判決をお下しになられるような方策が望ましいのですが、事実はそうでない。この永続しないというような理由を一つざっくばらんにお話しいただきたいということが第二問です。  それから第三問です。それは家裁の専任判事の方々が大へん最近事件が多過ぎて、一人の方の負担する仕事の量が実に多過ぎることが聞かされております。これは大へん過労になることでありましてお気の毒だと思いますが、大分あたりでは、この専任判事の一日の、あるいはまた一月の取り扱う件数、これが一日一人どのくらいになっているのかというようなことの実態を承わらしていただきたいと思います。  それから第四点は、家庭裁判では少年を教唆扇動して罪悪に陥らしめるようないわゆるその加害者の立場の者には、禁固刑きり言い渡されていない。これは私をして言わしめるならば、少年よりももっともっとやはり重い罪科を課すべきものだという考え方を持っておるわけです。右も左もわからないような少年に悪いことをさせて、それで禁固で済まされるというようなことについては、どうも納得がいかない。この禁固くらいのものでいいか悪いかと、こういうような問題でございます。  第五にお尋ねしたいことは、東京の家裁あたりに行ってみましても、何だかこう片隅に家裁なんていうものは追いやられているぐらいの感じがするわけですね。調停裁判の場にしても、机をずらずらと並ベっぱなしで、とてもあんなところで合理的な裁判は私はできないんじゃないかというふうに見ています。従ってやはり地方の家裁もそういうふうな状態に置かれているんじゃないか、要するに冷遇されておる家裁の実情というものについて、もう少しその実態を、運営上支障される面から私ども、承わりたい。ここはまあ委員会でございますが、せっかくはるばる遠いところ、御多忙のところをお出ましをいただいたのでございますから、どうかこの際実際上の問題をお話しいただけることを希望するわけです。  最後に不開始不処分の問題が先ほど出たわけでございますが、私どもはしろうとでこの不開始不処分の実態が十分理解されませんので、何かこう甘やかし過ぎるんじゃないかという、やはり印象を世間一般のごとくに受ける面もございます。これは私の理解の足りないところだと思いますので、どうかこの不開始不処分の実態について御説明願いたい。以上でございます。
  62. 大川光三

    委員長大川光三君) 白石参考人お願いしておきますが、ただいまの御質問六点でございますので、各条についてなるべく簡単明瞭に一つお答えをいただきたいと思います。
  63. 白石雅義

    参考人(白石雅義君) それではお答えいたしましょう。  第一点の審判に対してはつき添いなどが必要じゃないか、そういうお問いかと思います。もちろん、少年でありますので、やはり審判になるとかた苦しいような感じを抱くわけです。できるだけなごやかな雰囲気を作ってそうして少年に何でも、とにかく自分の胸に持っている悩みとか、それからその犯行の動機とか、原因とか、それから今後のこととか、親のこととか、兄弟のこととか、いろんなことを述べさせるわけなんですが、やはりそういう場合に学校の先生にきてもらったり、あるいは学校の校長先生にきてもらったり、あるいは親か兄弟の人に来てもらって、何かそこに自分の支持者がある、自分をやはり見守ってくれるなというような、そういう感じを抱かせるようにするために、やはりこのつき添いなんかを認めて、そうしてやっているわけなんです。これに関連しまして、私ある裁判所で検事さんに、先ほどから問題が出ておりまする立会い権とか何とかの問題でございますが、立ち会いを求めた場合があったのです。これもある特殊な場合には検事さんもおられて検事さんもやはりその事件に関心を持って、できるだけその子供が更生するようにというようなそういう趣旨で調べられたのでございましょう。また、いろいろそういうふうな気持を少年が感じておったということを裁判所が見ておったためでございましょう。とにかく検事さんも立ち会われたということがあるそうです。非常にけっこうなことであったというようなことがあってとにかくやはり家庭裁判所の審判においてはただ少年だけぽつんと一人置いて調査官と、書記官と、それから審判官とがおって何か言うことは空気そのものが、非常に雰囲気が何か冷くなるのですね。そうして建物自体が裁判所ですし、これが新しい裁判所ならとにかくですけれども、古い裁判所になりますと、もう何か物置みたいな場所でやっている、あたりも暗い、そういうふうな感じがするので、やはりつき添いというのは非常な必要なことじゃないかと考えます。  第二点の専任の少年係りの裁判官がどうも永続性がない、またあまりおらぬということについての御質問でありますが、これは大体において裁判官の不足ということが一番隘路になっております。それも一つは、この家庭裁判所というものに対する、まだ裁判官ですら理解が薄いのです。そうして何か裁判官というものは、やはり地方裁判所裁判所裁判をするということが、非常に何か一種の誇りといいますか、一種の権威といいますか、何かそういうふうな感じがあるわけです。それで家庭裁判所裁判官にはなるべく行かないようになるような気風があるわけです。これは大体が、私、最高裁判所の方針は、これは家庭裁判所も地方裁判所も同格ということになっておりますけれども、どうも地方に行くと、家庭裁判所は地方裁判所の何か下みたようなふうになって一段下位に見られたような、ふうな気味があるわけです。幸い地方裁判所長と家庭裁判所長を兼務しているところは、幾らかその感じがないんですけれども、それにしましても、家庭裁判所の判事になるということについて、できるだけ地方裁判所におりたいというのが一般の裁判官の考え方です。これは何か家庭裁判所に行きますと、少年事件だけでありまして非常に手続が何といいますか行政的になって法律的でないんです。ところが、裁判所に入る人は、大体何か法律的ないろんな手続とか、法律的な議論をする場面が非常にほしいわけなんですね。そこで自然と、家庭裁判所のようなあんまり議論のない、ただまあ少年をどういうふうに処遇していくかというような、いわゆる行政的な面だけが非常に大きいものですから、何かせっかく裁判官になって、一つも自分の法律知識が活用されぬじゃないかというような、そういうふうな気味があるわけです。それでどうも家庭裁判所に行っても、あとになって地方裁判所に帰してくれというようなことになって、家庭裁判所に長くおらぬわけですよ。よほど篤志家的な裁判官がおれば、自分は家庭裁判所一つぜひやらしてもらいたいといって家庭裁判所にずっとおる人もありますけれども、そういうのが隘路となっておるわけであります。それから一つは、現在の機構といいますか、裁判所裁判官のいろんな何から判事補というのができまして、判事補が判事になるのは十年かかるわけですが、ただ、五年たてば代行、いわゆる判事の代行ができるわけです。その代行になる前に、何でも経験しておけということで、もうほんとうの裁判官になったばかりの若い判事補、まだ結婚もしていないような独身の、そんな学校を出たほやほやというような格好の人が、人の都合では最初に家庭裁判所へ来るわけですね。大体地方裁判所の刑事部に一年ばかり勤めて、それから家庭裁判所少年係りをやらせて、それから今度は地方裁判所の方の民事をやって、それから三年たちますとどこかへ転任というような、そういうふうな段取りになるわけです。そういうようなことになるんですが、どうも地方裁判所は人がちょうどいい、まだ家庭裁判所に行くような人はいないが、家庭裁判所は幸い人がおらぬというふうなことで、そこへ行けといって、そんなほやほやな人が行くわけです。その人は、結局初めからもう一年かそこらの約束でやっておるわけなんですから、最初から少年事件なんかには、なりてもないし、しかも、そういう若い人に少年事件を扱わせるということは非常にどうかと思うわけなんです。まあ、検察庁なんかから見られて、どうも困ると、言われるんじゃないかと、私非常におそれているわけなんですが、そういうことが家庭裁判所裁判官の実態ですね。それで、私なんかがやっぱりあんまりやれないのは、行政事務があるものですから、それによって今自然とそういうふうなことになってしまって老練な判事が長く続かないんですね。  それから第四問の、成人が児童に対していろんなことをした場合の問題ですわ、これは大体今家庭裁判所における、まあ児童福祉法の問題なんかが非常に売春防止法の施行の結果、減りました。家庭裁判所における処罰の問題はほとんどないです。これは地方の家庭裁判所ではありませんですね。それでこの問題は大体において今そう気にされることはないのじゃないかと思うのですがね、家庭裁判所におきましては。従来はどうも罰金にしたりなんかして非常に簡単だったのです。しかし、最近はよく検事の側で控訴されて、控訴審で刑を重くしていく場合があるので、あります。それにしましてもやっぱりどうも執行猶予なんかしてやはり軽いですね。刑の軽いのは、どうもこれはいろんな諸般の事情を見てやるのですから、外部から見ると、いかにも軽いように見られるのは、これは何かやっぱり欠陥もあるかもしれませんけれども、必ずしも軽いとは言えない場合があるように思いますですがね、私たち実務家としてはえらい軽くしたなという場合もありますが、大体においてまあ相当であるというふうに私は解釈しているのです。  それから、五番目の家裁の冷遇されている状態ですね。これは大体が家庭裁判所昭和二十四年にできて、先ほどもちょっと申しましたが建物なんかが非常に古いでしょう。それが所長も大体において兼任の所長が全国多くて、独立の家庭裁判所というのは少いわけです。それでその関係からして、なかなか地方裁判所の建物と同じようなものが、どうもあとになりますね。そうしてそれと一つは、やはりどうも家庭裁判所に対しての何といいますか、やはり幾らか地方裁判所よりも軽く見られるようなそういうふうな傾向がどことなくあるのです、私たちの仲間でも。それで家庭裁判所長には……。というような人が多いのですね。そしてやっぱり地方裁判所の方へ残るというそういうふうな、やはり裁判官でも、所長に行けと言われても、家庭裁判所には……。という人がままある。それがどうかしますと専任の家庭裁判所になりますと、本庁は大体人員がととのっております、ところが支部とか何かになりますとほとんど地方裁判所の職員が大半で、もう場所によっては、地方裁判所職員が十何人おって家庭裁判所の職員は一人という場合があるのですね。それが兼務の所長ならば幾らかいいわけです。ところが専任の所長でしたら、自分の直属長官は家庭裁判所長、一方大半の人は地方裁判所の所長が直属の長官なものですから、何か肩身が狭いような気がするのです、やっぱり。そういうふうな機構になっているのが非常に工合が悪いですね。といって地方裁判所の職員も、実は家庭裁判所の職員を兼務しているのが大半ではありますけれども、何か本務と兼務とそこに違いが出て、やはり本務の人が少いということは、非常に裁判所の所長としても困るわけですね。いろんな、これはくだらぬことですけれども、行ったって地方裁判所の方には受けが悪いというふうなこともあり得るようです。そういうふうなことからして、職員も、もし専任の所長の場合には支部とか何とかにも家庭裁判所の職員も相当数いる。地方裁判所の方が三分の二なら家庭裁判所の職員が三分の一というふうに、そういうふうに幾らか職員の数もふやしてもらえば、あるいはそういうきらいも幾らかなくなりはしないか、どうも家庭裁判所に対する感じ方が、やはり何か地方裁判所よりも、下だというふうな、そういうふうな感じを抱かせるところがあるのです。それはやっぱり機構の関係、今の職員の関係、それから建物なんかの関係ですね、そういうことが出てくると思います。  それから不開始処分の実態ですが、これは先ほどちょっとと触れておきましたが、これは不開始処分という言葉が、非常に何かなげやりにしたような印象を与える言葉で、私たちもこの言葉をどうかできぬだろうか、いわゆる不開始というのは、審判を開始しない、不処分は審判はやったが処分はしないという二つのわけですが、ところが、いずれもこういう不開始処分にする人でもみんないわゆる処分した事件と同じような調査はやっているわけです。一つも変らぬわけです。ただ、道路交通取締りのようなああいうような、とにかくたくさんありますし、これは手が回らぬものですから、これも特殊なやつはピック・アップして幾らか調査なんかやっておりますけれども、あまり事件も多いし、とても今の人手では足らぬものですから、結局そういうことをのいたほかの事件は、すべてやはり相当な手を経てやってきているわけです。それでこれは先ほどの先議権にも触れますが、とにかく性格の調査も微細にやります。それからその人の成育歴から平素の素行とか生活態度とか、家庭なんかも、果して家庭はどういう家庭か、家庭内の折り合いはどうかとか、家族の両親はどんな、ふうな人かとか、それからその兄弟たちとかおじとか、そういう方面も調べるのですが、それから前科があるとかないとか、どういうしつけを平素やっているか、それから今後こういう家庭で監護ができるかどうか、そういうこととか、それから友だちはどんな人がおるかとか、あるいはその地域、これはどんなふうであるか、学校とか職場はどんなふうだったか、それからその人の生活態度とか余暇の利用方法とか、あるいは映画を見るとか遊技場に出入りするとか、月に何回行くか、一週間に何回行くか、どんな趣味を持っているか、酒は飲むか、たばこは吸うか、いろいろな嗜好とか趣味、それからどんな本を読むのか、それからどういうふうなところに金を使うのか、浪費的なものかあるいは享楽的なものか、月にどのくらい使うかと、こういうような非常な微細なことをどの事件でも調べておるわけです。これはこういうふうなことを調べた上で、これは今後社会に復帰する能力があるとか、保護処分で、どういうふうな保健処分が相当か、これから出てくるわけです。このほかにもいろいろな調べをやるのですが、そういうことをやるのですから、これは先ほどもちょっと先生が言われたように、やはり非常に人権の保障にも大きくかかわる結果を来たすのじゃないかというようなことも考えられるわけでありまして、そういうふうな相当な手当をした上で不開始処分をやるわけです。決して投げやりな不開始処分というのは、これは先ほど申しましたように、道路交通取締法にはだいぶあるのですけれども、あまりないわけです。それと一つは、どうも今の保護施設とそれから先ほどからもいろいろ出ましたが、執行段階になってからの手不足とか充実してないということで、どうも少年院にやりたいが、あの少年院にやっても超満員で果してよくなるかどうかわからぬというようなこともあります。また、保護司にしても、何人も受け持っておるものですから、あの保護司にやってもどうなのかというふうな、保護観察はどうなのかというようなことで、それならできるだけこちらの方で何とかしょうということで、いわゆる試験観察というのをよくやるのですね、これはほとんど保護観察と同じようなやり方ですが、大体六カ月から七カ月くらいのところになっております。その間個人の篤志家に預けたり何かしてそこで調査官が見守っておるわけですが、そういうふうなことをして、そしてこれなら一度と再犯のおそれもなかろうというふうな見通しをつけてから、いよいよ不開始処分というふうな処置をとることもある。それで、二つあるのですね。試験観察というのは、実は熊本なんかでは非常に篤志家がおりまして、個人でだいぶ預かっているのです。これは女の子を預かっているところもありますが、男の子を預かっておるところがたくさんあって、非常に成績が上がっている。これは一度、もしこういうふうななにであったら、向うへ行かれてこういう施設を見ていただいたらどうかと思います。熊本には、あっちこっち何カ所かある。私がおったときにも、何カ所かそういうふうな篤志家を頼んでやっておったのでございます。以上でございます。
  64. 高田なほ子

    高田なほ子君 大へん時間もおそくなりましたので、かいつまんで栗田先生にお尋ねしますが、御質問申し上げる前に敬意を表したいのです。大へん少い予算の中で特段の御苦労をして下さる実務家に、感謝とともに深く敬意を表するわけで、特に日本では唯一ではないかと思われますが、お宅の寮は開放されている寮で、一つ日本のモデル・ケースとして相当の成績を上げておられるということを承わって、非常に感謝しておるわけです。先般、初めてこの有明高原寮で脱走事件が起ったことが報道されました。で、私は、この脱走事件の中で、古山さんといわれる先生でしょうか、あの先生の御意見がちょっと出ているのですが、必ず脱走した子供は戻ってくるよと、確信を持ってああいうお話をされていることを、私は、実はこれはもう有明高原寮の経営のほんとうの基本的なお考えに触れたような思いがいたしまして、ほんとうに胸が熱くなるような思いがいたしたわけでございます。こんなわけで、非常に敬意を表することが多いので、それを一度ぜひ拝見に伺いたいとかねがね思っていたのですが、その機会を得ないで、ここに御質問の機会を得たわけですが、やはり定員から収容人員がかなりオーバーしているというふうに考えられるわけです。この過剰人員の処理については、いろいろ困難な問題点がおありだと思いますが、実務家として、その困難の点について数々お聞かせいただきたいことが一つ。  もう一つは、夜間の収容児の処理問題について、相当どちらの方でも御苦心のように何っておりますが、開放寮である有明高原寮の夜間の児童の措置というものは、特にどういうふうにされているのか、そういう点についてお伺いいたします。  それから、いろいろの御意見を承わっておるのですが、どうも食べ物が、カロリーばっかりうまく書いてあるのですが、実物を見ると、やはり先ほどの御意見のようにあまり粗末過ぎるように思いますが、動物蛋白は、一体今一週間にどのくらい今の金でもってやっているものですか。具体的にそんなところを話してくれませんですか。  それから夜間のベッドですね、夜休むときに、ベッドを使った方がいいという意見が午前中にあったのですよ。私も、集団ざこ寝のありさまでなくて、やはりベッドの方がいいと思いますけれども、そういうことをするには、一体どのくいらい予算がかかるものですか。そんなことを御計算になってみたことがございましょうか。もしございませんでしたら、けっこうですけれども。以上です。
  65. 栗山誠司

    参考人(栗山誠司君) 今、大へんおほめのお言葉をいただいたのですが、何しろ山の中におりますので、ただ、職員、生徒、心を一にして、誠心誠意やっておるだけのことでございまして、これは全くお恥かしい次第でございます。また、週刊誌等で大々的にはじさらしのような記事が出たので、これまた恐縮いたしている次第でございます。  定員の過剰という点は、これは各少年院共通の問題でありまして、私の少年院は今六十八名の定員でございますが、私が出発して来たときの人員が、百十八名入っている次第であります。約二倍近くになるかと思いますが、そういうような過剰人員になるということは、これはいろいろたくさんの事件が起きて送致される、あるいはそういうたくさんの施設がないために勢いそういう形になってくるわけであります。  それから東京管区には収容分類というのがございまして、中等少年院をAとBとに分けております。そのAクラスを有明、多摩、静岡という方面に分けておるわけですが、送致区域の関係、あるいは事件等の関係、それから最近東北少年院がいろいろ工事をやっているために、東北少年院に収容することができないために、東北からも十数名送られてきているわけであります。そういうような過渡的な現象もあろうかと思いますけれども、非常に狭い部屋の中にたくさんの生徒が入らざるを得ない。こういうような形で、環境的に見ても、あまり望ましいことではないわけであります。これはやはりこれだけ保護処分、特に少年送致という事柄を重要視するならば、もっと施設の数をふやしていかなければならないのではないか、こういうように思います。  なお、私の方の職員はほとんどすべて少年が非常に好きでございまして、いつも少年と起居をともにいたしておりますが、この前の逃走事件のちょうど七月に、生活指導係長、これは三年間ずっとやってきた職員でありますが、ついに肺炎をやりまして、それから肋膜になって七月二十八日に倒れてしまった。そのことがやはり一つの生徒の生活のよりどころの支持を失なったというような感じで、その手当をする間に、また八月の月がお盆であったというようなこと、その他いろいろな条件が重なって、まあ少年が飛び出す。一つは飛び出して山の中なんかにひそんでおりますと、何か手柄でもやったような気持になるのか、魅力を感ずるのか、次々に出たというような形になったわけでありますが、幸いにしてすべて連れ戻すことができましたので、非常に不幸中の幸いだと思っております。そういうように職員が一人欠けても、すぐ生徒に影響するほどさように職員の数が足らないのであります。現在教務の職員というものは、少年に当っている職員が課長以下十四名です。そういたしますと明けて帰る非番で帰る職員とか、あるいは少年を引き取りに出ている職員、そういうものを計算いたしますと、日中やはり一人当り十人以上の負担になるわけであります。そういう激務でありまして、超過勤務あたりも、まあ非常に大きな時間数になるわけですが、これまた予算の額できめられているので、まあ、その半分も超過勤務を払えることができないというような状況でございます。こういうようなことが、私のところのみならず、各少年院でもこういう実情でありますので、このことについて職員はやはり理想的に言えば二倍、またとりあえず一・五倍程度に御増員を願えば、もっともっと地についた教育ができるのではないか、こういうように思っております。  それから夜間の指導でございますが、これは非常に重要な問題でありますけれども、私の方といたしましては、現在四人の職員を残して泊らしております。そうして二名の職員がここに生活指導のために、絶えず部屋を回り、少年の相手になっていろいろ指導をします。二名の職員が、これはいろいろ新しい生徒も混入しておりますので、そういう生徒に対して特に注意をまあ向けて、夜勤ちょうど夜まで眠らずに起きているという、そういう状況であります。この夜間指導というのは、やはり何か目的を持って指導をいたしますと、少年は非常についてくるわけであります。たとえば珠算の試験を取らせるというために、夜九時から十時まで自習室で一つ指導しよう、あるいは自動者免許を取るために、それでは自動車のそういう講義録を読ませるとか、あるいはそれぞれ英語の会話をやりたいという子供については、テープ・レコーダーによってそれを履習させるというようなことをいたしますと、やはり少年はここで自分の足らないところを補うんだというような意欲が出てくるのではないか。目標のある少年の導き方が、やはり指導の実際としてやらなければならないのではないかと思っております。まだまだ指導の力が足りませんので、ときどきこういうような問題が起きて非常に恐縮しておりますが、とにかくまあそういう全体の雰囲気が、ここで一つ自分の長所を伸ばし、短所をまあ是正しよう、こういう気持が起きることと、それからその生活に対する不安という感じがなくなる。安定した感じで生活ができるということ、あるいはすべてのことが話し合いで解決しようということで、生徒会というような一つ組織を作っていろいろホームルーム、あるいは生徒会の活動で話し合う。必ず在院期間中によい相談相手を発見させる、これは院の先生でもよろしいし、保護司さんでもよろしいし、あるいは篤志面接委員でもけっこうですが、そういう不安動揺の時期に相談相手を持っていないということが、人生航路において失敗するのですから、この発見に努めさせるということが一つのねらいでございます。  それから食べものの関係でございますが、そちらまで資料が回りかねたかと思いますけれども、私のところで支給しておりますカロリーは、基準よりもはるかに上回っているのでありますが、これはちょうど周囲に鐘の鳴る丘、愛の会というものが発足いたしまして、そこからいろいろな寄贈品が参ります。お菓子類とか、あるいはお米とか、おもちとか、そういうものの寄贈がありますので、そういうものを含めての計算で相当量のカロリーが上っているわけでございますが、ただ法務省で定められている基準から見ますと、これは主食に偏して副食物が少い。副食でとるカロリーは三百八十カロリーでございます。それから蛋白で動物蛋白というのが、いつも計算上明らかになって出ます。これは菜食代が一日一十五円でございますので、三食になりますと八円何がしになるわけです。魚一匹買っても、すぐそのくらい出てしまいます。大体鯨の肉が動物蛋白の支給源でございますが、何かちょっと目新しいものを食べさせようと思えば、もう予算が超過してしまう。こういうような状態でございますので、これはなるべく主食を減らして副食費を増大するというような、あるいは全体の予算額の中で操作ができるような形を配慮していただければ非常にけっこうだと思います。主食と副食と合わせての計算では、大体六十四、五円だと思うのでありますが、その程度では現在の一般の普通の家庭でとっている食事とは何かこうもの足りないのではないか。それからその資料の中で、生活状況が極貧家庭とか、あるいは下流の家庭との比率の問題ですが、最近非常に中流家庭、上流家庭のこどもがふえて参りまして、その地域社会において自分の家庭は中流以上であったというものが七六%も占めているわけでございまして、そういう家庭生活した者が、施設に入って急に米麦だけが多いような食事をとることに対しても、非常に不自然な感じがいたすわけでございます。  それから最後のベッドの問題でございますが、これはベッドという形であれば、定員以上入るということはないわけで、これは非常にありがたい形でございますが、ただ、ベッドの生活というものが日本家庭で今どれくらいあるかということも考え合わせますと、まあ現在畳が入っておりますが、各少年院は薄ベリで板の間におりますが、あれはちょっと家庭の雰囲気ではないので、高原寮は冷寒地であります関係から、まあすべての部屋に畳が入っております。そういう意味では、非常に住居として家庭にいるような感じがいたすのではないかと思います。ベッドの予算その他については、ちょっと私現在調べたものがございませんのでこの程度にとどめたいと思います。
  66. 白石雅義

    参考人(白石雅義君) 私先ほどお尋ねになった第三点を落しましたのですが、今思い出しましたので付加さしていただきます。家裁の専任判事負担量がどんなふうだったかということでございましたが、実はやはりどこも多いようでございます。しかし、事件が人体において簡単なものですから、何とかやってはおりますけれども、やはりもう少しへ余裕のあるような事件の負担量にせんと、やはりその事件の適正な措置というのが幾らかどうかと思います。これはまあ全国的なものだと思います。大分にしましても、大体昨年の統計ですが、三千九十二件ありました。もっともこのうち大体七割は交通事件で、大した事件はないのですけれども、三割が普通の刑法犯と特別刑法犯なんかがあるわけなんですが、それを処理していく関係上、相当やはり負担量は多いわけです。この点先ほど落しましたので簡単でございますが……。
  67. 赤松常子

    ○赤松常子君 栗山さん、ほんとうにふだんいろいろ御苦労様でございます。先ほど小川先生の御陳述の中に、将来は小さな施設にこれをしようではないかとおっしゃっております。大ぜいの子供たちをたくさん収容するよりも、ほんとうに徹底して一人々々の子供の個性がよくわかるようにというのがいいと思うのでありますが、あなた様の御経験で、何人ぐらいがよろしゅうございましょうか。また、それを何人ぐらいの職員でごらんになればよろしいのでしょうか。ちょっと御経験を簡単でよろしゅうございますから……
  68. 栗山誠司

    参考人(栗山誠司君) 非常にむずかしい問題で、これはいろいろと調査をして効果の測定とか、そういうものもあわせてやらないと、どの程度の規模がほんとうにいいのかどうかという結論は出ないのでありますけれども、これは常識からいって、やはり少ければ少いほどいいということは一応考えられます。まあ、少年の顔も名前も、家庭の環境も、少年の将来の就職に対する希望とか、そういうものを施設の全職員が知っているという状態が一番望ましい。ですからそれは人によってどれくらいの、それだけの力があるかという職員、集団の問題になるわけですが、現在百五十名以下ならば、大体専門的に見てそれくらいの処置ができるのではないか。これは中施設でありますが、それ以上の形になりますと、何かやはり抜けてくるのではないか。百名以下になればなるほど、家庭的な雰囲気も出てきましょうし、規則詰めのような形にならないで、少年の個性を生かしていけると思いますが、先ほど仙北寮で非常に効果が上がっているということをお聞きしましたが、これは非常にうなずけることでございます。私の方でも、やはり出発は五十数名から出発いたしまして、現在のところ、やはり仙北寮のようなりっぱな成績は上げておりませんが、やはり更生率が八〇%あるいは七〇%の間を動く。年によっては八〇%ぐらいの年がある。これは保護観察その他の受け入れ態勢との関係ございまして、これは少年院効果であるかどうかこれはわかりません。少年院が非常に悪くても、保護観察で非常にりっぱに導いていただいたのかもしれませんし、このあたりはよくわかりませんが、今観察所と連携いたしまして、入ったときの生徒と出るときの生徒にどれくらいの変化が起きるものかということを、今追跡調査をやっているわけなんでございます。何か結論が出ますれば、またお答えいたしたいと思います。
  69. 赤松常子

    ○赤松常子君 職員の方ですが、いろいろそれも能力や何かで違うでございましょうけれども、先ほど小川先生の方では七人か八人に一人の職員の割合が理想ではないかとおっしゃったのでありますが……。
  70. 栗山誠司

    参考人(栗山誠司君) 私の考えでは、一人について五名ぐらいが一番望ましいのではないか。これは各家庭で二人の両親がそろっていて十人、まあ多い家庭で十人おっても、一人の負担率は五人ぐらい。問題の少年であるということに対して専門的な知識といろいろなものを備えているということで、あるいは小川先生は、セラピストとか、そういう養成されたものであれば、七人か八人持てるかもしれませんが、現存の職員とすれば、五名ぐらいが熱意さえあれば相当導けるのではないかと、こういうふうに考えます。
  71. 大川光三

    委員長大川光三君) 小川参考人お願いをいたします。先ほど高田委員からの御要望もございますので、本日いただきましたきわめて御熱心な、詳細をきわめたこのデータについての御説明をわずらわしたいと存じます。なお、他の参考人各位には、はなはだ御迷惑でございますが、いましばらくおつき合いを願います。
  72. 小川太郎

    参考人(小川太郎君) 順序不同で申しわけございませんが、一番最初に、このまるや三角のあるのを説明申し上げたいと思いますが、これは私が最初に申しました攻撃犯と逃避犯というものを八つの主要犯罪につきまして一応分けて、これは厳密に分けられませんが、一応分けてみたのでありますが、水平線の下の力はいわゆる逃避犯の傾向のあるもの、上の方は攻撃犯の傾向のあるもので、それを見ますと、下の方にあるのはおとなでありまして、上二例は年少少年年長少年でありますが、点線は二十五年の状況、実線は三十年の状況でありますが、これを見ましてもわかりますように、非常に攻撃的な傾向犯罪が非常にふえておるということがわかるわけでありまして、この点はむろん日本だけの問題ではなくて各国の問題でありますが、一応戦争気がまえと申しますか、そういうような線が無意識の世界の中にあるのではないかというようなことを、まあちょっと御参考になるかと思いまして作りました次第であります。  それから次の表は、二つ施設の比較という表がございますが、これは前者、このウイルトウッイクと申しますのは、ニューヨーク州にある施設であります。ニューイングランドとありますのは、アトランティック・コーストにある施設でありますが、ウイルトウッイクの方はいろいろな科学的な心理療法と参かいろいろな療法、現在の少年を扱う仮設と申しますか、そういう仮説を十分にわきまえて、その仮説の上に基いた技術でやっておる施設であります。ニューイングランドと申します方は、在来の形式の少年院でございますが、これを根本思想なぞ、それから処遇内枠など、あるいは職員など、その後の効果というようなものをここに出しまして、それぞれ対比してみたわけでございますが、この調査は単にマッコード夫妻という刑事学者がやりましたものですが、このほかに詳細な、この両者の対比の科学的な研究がございまして、単にこの再犯についてこれだけの成績を上げているというだけではなくて、非常に少年処遇の新しい方向というものを示唆しておりまするものでありますので、わが国におきましても徐々にこういう方法がとらるべきではないかという参考資料に差し出した次第であります。  次の少し閉じてあるものがございますが、これは集団補導に関する資料とございますが、これはちょうどその、今、二つ施設の在校で申しましたように、ウイルトウッイクほど十分な予算も施設も人員もございませんので十分なことはでき得ないのでありまするが、ややそれに近い実験を関東医療少年院においてやりました成績を、ここに概要を書いてみたわけでございますが、関東医療少年院におきましては、昭和、三十一年の二月に八王子の医療刑務所の久山照息という技官がおりまして、この人はアメリカで新しい手法を学んできた人でありますが、その人によりまして職員を教習してもらいまして、そういう方向にこれはなかなかむずかしい問題ではありましたが、まあ教習してもらいまして、集団補導というようなまあまねごとみたいなものでございまするが、それをやりました、ところが、大体少年の予後良好者というものが、いくらかでもよくなってふえてきておる。それから少年院の内部の空気が幾らかでもよくなってきておる。  さらにその二ページにありまするのは精神薄弱の少女たちに対してやりました一つの結果が出ておるわけでありますが、精神薄弱の少女につきましては、ほとんど今まで何らの手も打てなかったのでありますが、同時にまた、こういう手法も精神薄弱にはとうていその近よりがたいものである。こういうふうに言われておったわけでありますが、あえてやりました結集は、ここに表にございまするようにいろいろな事故が減っております。  それからこの最後の一枚に、やや顕著に現われたと思われるこの精神薄弱の症状別でございますが、それが横の線は平均得点でございます。縦の線はその療法といいますか、集団補導を施した時期でございまするが、それぞれ各個にそれぞれの違いはございまするが、それぞれの施して以来幾らかでも成績が上がっておるということを実証できるように思いまするので、ここに提出した次第であります。  さらにもう一枚のものは、これははなはだ手軽な参考資料で申しわけありませんが、家庭指導というものが必要であるということをまあ申し上げる時間はなかったのでありまするが、その材料にいたしまするために、アメリカのデンバー家庭裁判所で発表いたしました「子供を悪くする法」、この十六カ条のものを、まあ少年院などを訪れた親にやりますと、なるほど、このようなことをやっておった。改めようというので、親がよくなったために子供がよくなったというような事例もあるようでございまするので、まあ親に対する何らかのこの指示方法というようなものの御参考とも存じまして提出した次第でございます。
  73. 大川光三

    委員長大川光三君) ありがとうございました。ほかに御発言もないようでございまするから、これにて終了することにいたしたいと存じますが、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は長時間にわたりまして、貴重な御意見など詳細にお聞かせをいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会の審査のためきわめて有益な御意見を伺いましたことを厚く深く御礼申し上げます。  それではこれにて散会いたします。    午後五時十八分散会